東大阪の中小企業は「都市複合型」で

何でもつくっています。たとえば、工作機械、プラスチック、住宅・建設資材、ねじ・びょうら、自動車・車軸・・・・・などなど多種多様な産業があります。トヨタの自動車は企業城下町型です。

東大阪市の産業のルーツなる産業

は、江戸時代に発達した三つに分けられるそうです。

  1. 河内木綿・・・・河内湾の後の湿地帯を利用して
  2. 河内鋳物・・・・中国大陸から仏教とともに鋳造技術が入って
  3. 枚岡の伸線・・・生駒山からの水を利用して水車が動力としてつかわれていた

今回はとくに「東大阪のねじ(ボルト・ナット)」について学習しました。

  • ねじは1543年種子島はいった火縄銃につかうためにつくられたのが最初で堺の鍛冶職人が日本第1号のねじをつくったそうです。
  • 明治になって東京の芝、京橋、小石川で小さなねじ工場ができたそうです。
  • 明治14年大阪に日立造船の前身である大阪鉄工所ができて、そこで使用するボルト専業の加熱鋲螺工場が九条にでき、次ぐ次とねじ工場が増えたそうです。

ねじやボルトをつくる材料の伸線をつくるときは

生駒の辻子谷・豊浦谷の水車が動力でした。(枚岡にある)

復元された水車
辻子谷の水車



今やねじは日常生活の中で様々に使われ、機械を構成するための重要な部品としてはなくてはならないものです
近代機械工業の技術発展に大きな足跡を残すねじが東大阪の産業としても大きな存在になっています。
しかし、私も東大阪市民もあまり東大阪の産業について知らないし、関心も低いような気がするように感じられて残念な気持ちがしました。

もうひとつの明治維新

  • 日本においては明治維新は革命だったと言われています。先日観た映画 「北の零年」 でも変革期の悲劇を想像しました。

それと、私の祖父が収集していた 明治・大正時代のマッチラベル のことで
三好一著「明治・大正 日本のマッチラベル出会いました。幕末まで火打ち石で火をおこしていた人たちにとってマッチは文明開化の象徴みたいなモノだったことを思い起こし、ねじマッチも大きな発明品だったことを改めて思いました。当時マッチラベル収集は流行していたそうです。柳田国男、酒井伯爵なども有名なコレクターだったそうです。

明治35年
日英同盟 を祝して
出されたラベル
開栄社の
ヤマトヒメと ブリタニア
明治37年
高嶋燐寸合資会社
インド輸出用製品


明治時代のマッチラベルの中にある人物像を動画で表現しています。
http://blog.kansai.com/kazenoko/24