私的録音録画補償金の堅持と対象範囲拡大を求める権利者団体の発表について

1月15日、日本音楽著作権協会 (JASRAC) など87の権利者団体が、私的録音録画補償金の堅持と対象範囲の拡大を主張する、「Culture First」と題した宣言を発表しました。ダウンロード違法化には直接関係ありませんが、私的複製とも関係する重要なトピックと判断し、これに関連した動きを紹介します。

まず、これに関するプレスリリースまたはそれらに類するものは、87の権利者団体とされるJASRACRIAJなどの公式サイトには一切存在せず、その内容は各種報道から推し量ることしかできませんが、それら報道によると、記者会見では「流通の拡大により、文化がないがしろにされている現状がある」「経済発展は文化の犠牲の上に立っていてはいけない」という趣旨のもと、iPodなどの携帯オーディオプレーヤー、パソコン、携帯電話、カーナビ、ブルーレイディスクHD DVDを利用したレコーダー、ハードディスクレコーダーなどに私的録音録画補償金の課金を求めるとともに、JEITAなどが主張する「DRMが普及すれば私的録音録画補償金は段階的に縮小するべき」という主張について「断じて許せない」と発言しているということです。この宣言は、各種IT系ニュースを配信するサイトのほか、GoogleニュースによるとTBSでも取り上げられたようです。

これに対して、多くのユーザーが意見を述べあう場として、2ちゃんねるスラッシュドット・ジャパンで議論が行なわれていますが、多くは権利者団体の主張こそが金目当てであり、詭弁であるといった批判が多数を占めています。

権利者団体の主張が、経済と文化を天秤にかけて文化の方が重要であるとした点について、文化を食い物にしたのはむしろ権利者団体ではないか、という批判は、このほか多数のブログで行なわれています。たとえば、無名の一知財制作ウォッチャーの独言では、補償金が文化の発展に貢献しないこと、補償金の配分が不透明なことを指摘した上で、このような状況で補償金を増額することなどあり得ない。さらには権利者団体がさも文化の担い手であるかのような顔をするのは許されない、と強く批判しています。

発表の中で、「経済至上主義を追求した結果、環境問題や医療問題が持ち上がっている」という発言があった点について、地球温暖化には疑問を示す立場が強く存在することを例に、文化のあり方についても根本的なところから見直すべきだという指摘が複数なされています。特に、MAL Antennaでは、私的複製が権利者の損害になるかについて、明確な答は一度も返ってきていない、と批判しています。

権利者団体の発表が、欧州のCulture Firstの運動と連動したものであるとされた点について、欧州ではDRMをフリーとして、代わりに保証金を得るように運動しているのだから、日本の権利者団体がDRMの普及と引き替えに補償金を縮小するというJEITAの主張について反対したのはおかしいではないか、という主張が泥府湾日誌でなされています。

また、権利者団体が主張をする際に掲げた「Culture First」というスローガンについて、文化を第一に考えていないのはむしろ権利者団体の側である、として、これを皮肉る発言も数多くあります。とくに、風のはてが掲載した、権利者団体のロゴを改変した画像とそれに派生して、文化を守るために権利者団体は一体どれだけのことをやってきたのだと指弾する主張は、はてなブックマークなどで多くの支持を集めています。Copy & Copyright diaryでは、どんな作品であっても、誰も享受しないのならばそれはもはや文化ではあり得ず、Culture Firstの前にあるのはUser Firstである、と述べています。BUILDING AND DEBUG ERRORでは、真に文化第一と考えるなら、「Creator First」を主張すべきだとしてロゴを発表しました。また、幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをするには、権利者が補償金を求める姿勢を、クトゥルー神話の邪神にたとえた「Cthulhu First」というエントリがあります。

弁護士の小倉秀夫氏は、Culture Firstであるならば、禁止権を中心とするために情報の自由な流通を阻害する現在の著作権法のあり方が見直されるべきであって、その意味であればCulture Firstの理念に賛同するという見解を示しています*2。また、先述のUser Firstと同様、権利者団体は、創作者に対して消費者はそれを受け止めるだけだというように主張しているように見えるが、実際には作品は消費者に受け入れられることで文化となる、という指摘も行なっています。また、現在アメリカで脚本家団体が制作会社などに対して行なっているストライキを引き合いに出し、権利者団体が真に自らへの収益増を求めるべきは一般消費者ではなくテレビ局などではないのか、とも指摘しています。

一方で、権利者団体が「文化を守れ」という趣旨の発表をしたことについて、id:myfuna氏ははてなブックマークで、この問題の決着は、これまでこの問題に興味がなかった人をいかに自分たちの主張に賛同させるかという勝負に移っており、その点から見ればこの発表は非常に有効である、とコメントしました。これを受けて、POLAR BEAR BLOGの小林啓倫氏は、相手の議論に乗るのではなく、勝負に勝つべく戦略を考えないと権利者団体の主張が受け入れられるかもしれない、と述べました。同時に、この議論に一点だけ反論するならば、文化のあり方はその時々の技術によって変容してきたのだから、これまでのあり方をかたくなに守ることではなく、新たな時代にあった新たなあり方を考えることこそが文化を守ることにつながる、と主張しました。

テレビ局に勤務し、自ら創作も行なう孝好氏は、自身のブログニセモノの良心で、かねてから著作する側、著作物を利用する側双方の立場から発言を行なってきています。氏は、今回の権利者団体の主張について、私的録音録画補償金は権利者にごくわずかな額しか分配されておらず、これを守ることを主張することは権利者団体にとっても余り利益にならないのではないか、と指摘しました。これに対し、大野元久氏は実演家の佐々木康彦氏のブログエントリを紹介し、実演家には個々人に補償金が分配されるため、多少意味のある制度になっていると紹介しました*3

今回の発表に関連して、最も過激な意見としては、消費者の自由な選択に任せても、それに見合ったコンテンツは残り、それが文化となるはずだ、という見通しを積極的または消極的に認める見方がいくつかありました。とくに、ときに他のブログの全文転載を行なうなど、著作権について利用者に大きな自由を認めていると思われるネットの自由を求めてでは、守られる文化は衰退する、として「文化を守れ」というスローガンに反対しています。また、我が名は十庵の赤枕十庵氏は、モノとコンテンツとでコンテンツに重きが置かれていた流れが、再びモノの方に傾いており、そのうち、紙芝居を見せるときに紙芝居自体でなくあめ玉を販売してその対価を得ていたようなビジネスモデルを考えなくてはいけないかもしれない、という見方を表明しました。

*1:もとの2ちゃんねるでの議論はhttp://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1200394904/

*2:これには、おそらくCulture Firstを発表した団体に対する皮肉が込められている。

*3:今回の発表をした団体について、87団体中実演家団体が多数を占めることと関係があるか。「Culture First」を唱えた87権利者団体のフォーメーション PE2HO