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illuminate33の日記

2008-11-23

グバージ戦争の年表

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下記はHistory of Heortling Peoplesの36ページから37ページの記事の抄訳です。訳の誤りの責任はzebにあります。

410年ごろ:(セシュネラ軍を率いる)アーカットがタニソールの吸血王、「鉄の吸血鬼」グラカマガカンを倒す。
417年:アーカットが「セシュネラ軍対混沌十字軍大元帥」に任命される。
411年:ハルマストが18歳で入信する。「境界の戦い」。ハルマストの子供が生まれる。413年に1人。414年に3人。415年に2人、等々。
418年:ファランギオ、ラリオスでアーカットを殺害する。ケロフィネラとスロントスの総督と命名される。
420年:ハルマストの「光持ち帰りし者の探索行」。ハルマスト、27歳。
422年:ハルマスト、アーカットとともに帰還。「稲妻の反乱」。ラリオスの部族が自立する。アーカットが出発し、ハルマストは残る。帝国の反撃。
424年:ヴァンガンス丘陵の戦い。アーカットが騎士の軍勢とともに「カージョールクの群れを討つ」ため戻ってくる。アロンゴール王の勝利。非常に効率的な追撃。その後、大部分のアーカット配下の騎士と戦士は出て行く。
426年:アーカットがオーランス信徒に転向。オーウェンレスがヒョルト人の「高王」として選ばれる。[ドラゴン・パス地方]
428年:カートリン峠の戦い。アーカットが敗北する。
429年:(防御的な)「塔の壁」の建造。[スロントス地方で]カクストールプローズ市の攻囲はじまる。
430年:アーカット軍が川を下り海へ。海港の近くで集結。
431年:アーカットがスロントスに上陸。ハルマスト38歳。サードランドスの戦い、スロントス西部が敗北する。ステネントスの戦い、スロントス人が互いに殺しあう。
432年:カクストールプローズの戦い。決戦。ファランギオが援軍を迎えて指揮を執る。ヘンドリック王の「大いなる跳躍」のおかげでその日をしのぐ。
433年:アーカットがエスロリアを通過し、途中途中で解放を行う。「デストール峠」にて、トロウル族の大貴族であるコル・コールKoru Korと面会する。コル・コールは、「いかなる夜も、そして一度は全軍をもって、日中、偽りの君主たちとの戦いを」援助することを誓った。ヘンドレイキ軍は故郷に戻る。アーカット軍は南部のヒョルト人を解放する。
435年ごろ:多くの「ハルマストの息子達」が成年に達する。早期に戦で彼らは出会い、仲間となる。
436年:「四つの門の戦い」。斥候隊が「竜の背骨」山脈越えに失敗。
437年:「竜の口」をアーカットが通過する。不意を突く行動。
438年:「厨房の戦い」。[ターシュ地方]アーカットを止めようとする大きな動き。アーカットの勝利。
438年:「五つの争いの打撃Five Feud Strike」が始まる。[オルゴヴァルト部族]
439年:「灰の平原の戦い」[インフィステーリ部族の北の土地]。以前のベレネス部族の土地も解放される。ハルマスト46歳。自分の故郷のステッドに帰る。(訳注:偽者のハルマストが出たのと関係があるか?)
439年:ヘンドリック王の死。
440年ごろ:ヴェナースとヘナータ、キトリ族との悲恋。
440年:平和な年。
441年:恐怖の波。ドラゴン・パスに対する反撃。「クリークストリーム渡しの戦い」で侵略者達が滅ぼされる。クリークストリーム渡しの三つの魔術。「呑み込む大地」がブルーの群れを飲み込み、「エルマル神の矢」が飛翔者たちを倒し、「ハルマストの息子達」が壁のごとく敵に立ち向かった。
442年:アーカットの(小さな)軍勢が帝国に反乱を起こした地方の部族に支援され、「背骨」の北の国々を掃討する。
443年:戦王サンランスがオーランス人の軍を率いて、アーカットに北へと付いていく。西方人たちに「うなる歩兵どもthe grunters」と蔑まれる。(多くのウロックス教徒の聖なる儀式をけなしていた。[マーコス市の初期の記録による])記録はセアードを通過するアーカット軍、タラスター地方で得た援軍と、「マーコス市の会戦」に先立つ出来事について扱っている。
443年:「五つの争いの打撃」がオルゴヴァルト部族の弱体化と消耗のうちに終わる。[オルゴヴァルト部族の領土]
444年:「マーコス市の会戦」。テラリールの地にて行われる。帝国にとって決定的な勝利。(後の記録では)アーカットの再び軍を集めようとする努力と、ターシュ地方に対するテラリール全土での反撃について大半扱っている。その後、ウズの一団がアーカットを昼夜問わず護衛する。
444年:「ハルマストの子ら」が父であるハルマストに会う。そして殺される。ハルマストは(下手人である)自分の息子の死を命ずることができず、(訳注:恐らく邪悪なるヴェリブールVeribur)永久的な追放に処する。
444年:「北部同盟」がオルゴヴァルト部族を敗北させる。[オルゴヴァルト部族の領土]、氏族のうちいくつかは「北部同盟」に加わり、その他はヘンドレイキ族に加わる。
445年:「昼の雹の戦いBattle of Dayhail」。アーカットにとっての大勝利。シリーラ南部、現代のケリコールの近く。[ダラ・ハッパではハンガリウムHangaliumの戦い]。この戦いの後、軍隊は分割され、アーカットと共に一軍がドラストールに進軍(訳注:「真実(フマクト?)の軍」)。オランマダール戦王の一軍はダラ・ハッパに進軍(訳注:「オーランス軍」)。
445年:「オルゴヴァルト部族の」ハルマストが殺される。(訳注:この人は偽者のようです。)[オルゴヴァルト部族の領土]
446年:オルゴヴァルト部族が永久に消え去る。[オルゴヴァルト部族の領土]

以下、446年から451年:オーランス軍の活動。
446年:セアードの戦い。
447年:ヴィングコットの戦い。アルコス軍が打ち負かされる。そしてシャーガーシュが満足する。「シャーガーシュ神は生贄を受け入れたもう。そして二度とこの軍を襲わないことに同意された。」南方に強行軍。「エラストゥスの渡し」の勝者たち。そして「真実の軍」を救援する。
448年:「山羊の戦い」(オーランス人の勝利)。
449年:テラリールの戦い。
450年:「塔の都の烈風」[ユスッパ市](オーランス人の勝利)。ライバンス市を覆う氷。

以下、451年から459年:ダラ・ハッパ占領時代。
451年:アナレスト(アニレストゥ)皇帝、クィヴィンのヴァストルフ将軍に降伏する。
459年:ライバンスの蜂起。ハランゴット将軍は負けるが逃れる。「冷たき光が反乱に火を点す。」オルダナスト(オルダネストゥ)によって反乱は率いられる。セアードは占領されたまま。
460年:テラリール地方の自立。
465年:セアードが解放される。

以下、真実の軍(アーカット軍)の活動。
446年:アーカット、ドラストールに対して西に行軍する志願兵を募る。サリンズフォートの戦い。アーカットがナイサロールの軍に負ける。
447年:年遅く。アーカットが失踪する。真実の軍の撤退。オーランス軍によって救助される。
448年:年半ば。「トロウルの」アーカットが戻る。トロウル軍の集結。
449年:ドラストール地方の征服。
450年:グバージが滅ぼされる。ファランギオが戦場で再び現れる。

以下、ハルマストの活動。
448年:二度目の「探索行」。
450年:ラリオスで再び蜂起。テイロール卿と一緒に。オーランス人とフロネラ人の争いを止める。双方がカートリン峠とドラストールの攻撃に参加。「最終決戦」に到着。友軍のための地固めをする(この部分の訳不明。)57歳。自分の農場に戻る。
460年ごろ:ハルマストの孫たちが成人に達する。

zebzeb 2008/11/23 19:28 昔の設定だと、アーカットが死んだのはカートリン砦の戦いでしたし、やっぱり「ハルマストのサガ」のために年表書き直したのかな。


History of Heortling Peoplesでももう一つ年表があって、(97〜98ページ)、この年表の方が古いバージョンみたいです。上の年表といくつか矛盾しています。

mallionmallion 2008/11/23 21:39 ハルマストが自分の息子たちを殺してるの?

alley-catsalley-cats 2008/11/23 23:36 例によってハルマストを名乗る人物は複数いるので要注意です。多分ですが殺されたのが「小ハルマスト」こと「ハルマストの息子ハルマスト(Harmast Harmastson)」で、殺したのがzebさんの書いているように「邪悪なヴェリブア(Evil Veribur)」で、彼を追放したのが父ハルマストですね。

zebzeb 2008/11/24 00:52 原文にもはっきり書かれてない上に私が正しく読みとれていればですが、クイヴィン付近のオルゴヴァルト部族の間にも同名のハルマストが現れていて、この人は後に殺されるまで同部族に凶運をもたらし、結局部族は解散したようです。

この人をマストハル氏Mastharという人があるとき訪れていますが、たぶん偽者のところを本人が偽名で訪れているのではないかと。

zebzeb 2008/11/24 01:09 ハルマストの息子たちはお互い殺しあったりで、引退したくもなるのも無理もないような。


若い時はニスキスの信者でしたっけ、息子が多いこと。

zebzeb 2008/11/25 18:11 コル・コール=クワラッチ・カング?