2009-03-19
09読書日記28冊目 『貨幣論』岩井克人
- 作者: 岩井克人
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/03
- メディア: 文庫
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マルクスの『資本論』において、商品としての貨幣が出てくることに着目しながら、マルクスが提示した論理装置をマルクスを乗り越えながら稼動させた先に資本主義のシステムがあることを暴く。大澤真幸の「第三者の審級」理論にも援用されることの多い岩井克人であり、いわば「批評空間」においてニューアカの一角を担った思想家である。とはいうものの、現代思想的なペダンティックな議論は少なく、むしろ論理的なスリルに満ちた『貨幣論』であるとおもう。
価値形態論において、マルクスは価値の実体として超歴史的に表れる労働時間を規定し、価値の形態として歴史的な文脈に制限が与えられる交換価値を規定した。「交換価値は価値の現象形態にすぎず、<価値>ではない」。しかし、岩井によれば、このような価値形態論は、マルクスがもう一つ信奉していた労働価値論が軛となって、論理構造に矛盾をきたしている。価値体系とはモノとモノのあいだに成立する関係の総体であり、この中でモノが商品としてたち表れるのであるが、マルクスはそのような価値体系のなかに労働価値論が最後まで機能するような穴を残していた。つまり、貨幣をも「商品」=労働の産物だ、としたのである。しかし、岩井によれば、価値形態論を推し進めたとき表れるのは、循環論法的に繰り返される全体的な相対的価値形態と一般的な等価形態である。つまり、貨幣を媒介にして、価値体系=モノを商品にする世界を成立させるような循環なのである。貨幣こそは、相対的価値形態と等価形態の二役を演じさせられている媒介に過ぎないのである。マルクスが彼の労働価値説を最後まで保持しているために、貨幣に実体的な存在理由を与えたのに対して、岩井はそれを捨て、価値形態論の論理を貫徹させるのである。
では、このように商品ではなく単なる媒介としての貨幣はどこから生じたのだろうか。岩井は貨幣商品説も、貨幣法制説も、どちらもありえた歴史なのだと論じた上で、むしろ貨幣が「貨幣」という商品的な価値を持っておらずただ流通することによって価値を持つという逆説的な性質を持つにいたるのは、歴史の奇跡としか言いようがない、という。マルクスは貨幣をアリストテレス的な形而上学に回帰した労働時間(価値)の記号とみなして、記号するもの/されるものという構築を行ったのであったが、岩井が価値形態論を推し進めたところに表れるのは貨幣が「無い」ものから「有る」ものを作り出せるという奇跡なのであり、いわばマルクスの貨幣記号論を脱構築するものであった。
237p
9501p
09読書日記27冊目 『闇の奥』コンラッド
- 作者: コンラッド,中野好夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958/01/25
- メディア: 文庫
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ポストコロニアリズムの文脈でも引用されることの多い本作。
闇の奥Heart of Darknessが、執拗低音として二つの形をとりながら小説の中で表れる。一つは、人間の心の奥底であり、もう一つは、アフリカの奥地―原生林が生い茂り、『人食い人種』がいるジャングルの奥である。人間の心(闇)の奥に眠るのは、真実ではあるが、それを伝えるのは言葉である。しかし、言葉は用いられるたびに真実からは遠ざかっていく。マーロウはそれを恐れる、つまり嘘を恐れる。文明とはすなわち言葉を得て合理的に生きる人々らの共同体に他ならない。それゆえマーロウがアフリカ奥地で感じるのは、「真実」であり、その真実を得るには、「少なくともあの河岸の連中と同じ人間らしさに帰らなければならない」のである。すなわち、言葉を尽くす文明社会ではなく、原始の闇黒に立ち戻って、狂騒に共鳴せねばならないのだ。
短い小説では有るが、クルツをどのように解釈するのか、象牙の象徴するところは何か、闇の奥を覗き込んでしまったクルツは結局、闇に落ちてしまったのか、というようなことを様々と考えさせられる。
『ただ彼の魂は常軌を逸していた。たった一人荒野に住んで、ただ自己の魂ばかりを見つめているうちに、ああ、ついに常軌を逸してしまったのだった!』
174p
総計9264p

