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2009-07-04

09読書日記55冊目 『自由論』J.S.ミル

自由論 (岩波文庫)

自由論 (岩波文庫)

自由をめぐる議論は昨今さらに喧しくなり、自由主義リベラリズム)にも様々な方面から批判が向けられてきた。自由主義を先鋭化させたものがリバタリアニズムであり、それは新自由主義と言われるような思想と親和的である。ロールズ以来リベラリズム市場原理主義とは一線を画して国家による福祉政策への賛同を示すようになった。もちろんそれらリベラリズムの系譜に対してはコミュニタリアニズム環境倫理から異議が申し立てられているし、自由主義が端的に「義務」や「責任」抜きの消費行動のためだけの自由に堕落してしまっている、と言うのはよく知られた批判であろう。

そうは言うものの、やはり「自由」を決定的に位置づけたのはミルの古典的「自由論」である。危害原理(「他人に危害を加えない限り、個人の行為の自由は保障されるべき」)と思想信条の自由は、どこまでいっても重要に感じられる。前半は啓蒙・進歩主義的で若干倦んだのだったが、後半(というよりも最終章)で展開される「適用例」は興味深い。自由主義者は道徳や思想に対して中立であるとすべき立場こそ、ミルが主張した「自由論」であるが、それに対して道徳をどのように設定していくのか、という問題は依然として残る。

訳注が詳細で勉強になる。「経済学原理」も読みたくなったくらいだ(今は読まないけど)

288p

総計18491p

国歌・国旗

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20090704/1246674598

少し前ですが、埼玉県知事が、県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて「式典のルールに従って模範を示さなければならない教員が模範にならないようでは、どうにもならない・・・・・・そもそも、日本の国旗国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい」と発言したというニュースを見ました。

この件については、思想信条の自由という基本権を持ち出して議論する左派と、そもそも公務員として業務命令に従うべきだとする右派の議論があります。ぼくは、思想信条の自由は公務員にとってもあてはまり、業務内容自体が改められる必要がある、という風に思います。

ということを言うと、こういう反論がきます。国に仕える公務員は(納税者から)給与を得ているのだし、そもそも公務員の業務にそれが含まれていることを知っていながら公務員になったのであろうに、業務命令を個人的な「思想信条」によって回避することは出来ない、というものです。その点で言えば今回の埼玉県知事の「嫌だったら辞めろよー」という恐喝も的を得ているというわけです。

公務員という仕事を選んだのだから、信条思想を理由にそれができないというのなら、他の職を探すしかない、という恐喝は、ずれています。国に奉仕するのが公務員なのではなく、国民に奉仕するということが公務員の業務内容のはずです。公務員の業務内容は何か特定のイデオロギーにコミットしてはいけないし、その業務内容は思想的に中立である必要があります。どのような思想を持っていても、公務員の(思想的に中立で、かつ、国民に奉仕するという)業務内容を行うことが出来るなら、採用されるべき理由がある、ということは思想信条の自由の権利を裏書しています。

思想的に中立で、かつ、国民に奉仕する、という業務内容の中に、式典において国歌斉唱国旗掲揚の起立が含まれるのか、という点が争点になってきます。一つには、国歌斉唱国旗掲揚は端的に思想的に中立とは言いがたいように思われます。それは、ある特定の国に対して「愛情」や「敬愛」を見せろと言っているのと変わりがない、という風にも考えられるからです。もう一つ、国民への奉仕という内容ですが、式典の際に国歌斉唱国旗掲揚がどのように国民に対して奉仕しているのかはっきりしません。

教員が「式典のルールに従って模範を示さなければならない」のだとすれば、おそらくその点で公務員が国民へ奉仕している内容とは、「模範を示す」ということになるのでしょう。模範、とは式典や公の場でのマナーにあたることでしょうか。そうだとすれば、どうしてそのようなマナーを涵養するために「国歌国旗」が使われなければいけないのか理解できません。別に他のものでもいいはずです(例えば、校歌や校旗だけではどうしていけないのでしょうか)。公教育の場であったとして、公教育という制度を成り立たせている国に感謝しなければならない理由にはなりません。公教育を成り立たせているのは、敬愛すべき国家などではなく、公務員納税者法律に他ならないわけです。

と、ぼくは、いたって平凡な左派的な立場から、教員が思想信条の自由に基づいて、中立的ではない業務内容について従わなくてもよい、と言う風に考えています。

ですが、端的に言って、国歌国旗についてネガティブなイメージ、例えば戦前戦中の軍国主義を思い起こすといったイメージを持つことについては、賛成できません。国歌国旗を、端的にナショナリズムの象徴として、あるいは「隠喩」としてみなすことは、思考を硬直化させてしまうことになると思います。必要なのは、本当にこの国が軍国主義的で偏狭なナショナリズムに傾いているのかどうか、という正確で冷静な判断です。君が代日の丸ナショナリズム隠喩としてしまうのではなく、ナショナリズムそのものについて冷徹に考えていかないといけないと思います。

特にソンタグを参照