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2011-12-16

'11読書日記83冊目 『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』東浩紀

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

262p

総計24758p

非常に面白く読んだ。統治に一般意志をいかに反映させるか、これに尽きる。本書の基本的なアイデアはルソー『社会契約論』の不可解な一節をベタに解釈することにある。

人民が十分に情報を持って熟慮するとき、もし市民がお互いに意志を少しも伝えあわないなら、僅かな相違がたくさん集まって、常に一般意志が結果し、その決議は常によいものであるだろう。( Si, quand le peuple suffisamment informé délibère, les citoyens n'avaient aucune communication entre eux, du grand nombre de petites différences résulterait toujours la volonté générale, et la délibération serait toujours bonne)

「もし市民がお互いの意志を少しも伝えあわないなら」あるいは「もし市民が少しもコミュニケーションしないなら」。この部分は伝統的なルソー解釈としてはどうなってきたのだろう。とにかく、筆者はこれで基本的なアイデアを突っ走る。

本書は、統治論である。だが、統治論だけでは政治は終わらないことは確かで、政治のイメージの一新は部分的にとどまるだろう。というのも、やはり排除や分断の問題は根強く残るように思われるからだ。とはいえ、民意と政治の乖離というような問題圏に関してはうまく本書の議論はアタックできるのではないか。憲法人権の問題に関しては、一般意志2.0のアイデアは少々危ういように思われる。最後のあたりでローティの共感に触れる必要はむしろなかった。ウェブから集約される一般意志=無意識が、他者への共感を欠いていることだって往々にしてある(しむしろそんな共感が働かないことこそ問題であろう)。

高野 高野  2011/12/16 23:52 はじめまして。高野(仮名)ともうします。
ブログ、時々、大変興味深く、拝見しています。

このルソーの言葉、たしかに不可解ですね。ですが、きっとそれなりの筋はあるものだと信じて、なんとか解釈できないか、考えてみました。

ルソーの考えではおそらく、言語という肉体的要素を持つ(音声にしろ、文字にしろ、物理的性格を持つという意味で)媒体に媒介されて、試みられる意志の通約は、けがれなき自然状態においてありえた(ありえる)一般意志の創造的回復という観点から見たとき、むしろネガティブにはたらくのであり、だから、そうしたことは行なわないで、内省的な熟慮によって一般意志に関する情報を獲得した人々が集って、決議を行なうなら、きっと一般意志に比較的そった形の決議が可能となる、ということでしょうか?

そうは言っても、人間である以上、みんな既に肉体は有しているので、「僅かな相違」がすでに発生しているのは、仕方ないとしても・・・。
余計な、あるいは間違ったやり方での、意志疎通の試みを改め、そして、(ルソーの考える)正しい意志疎通の試みを行なえば、一般意志の創造的回復は可能であると・・・。

かなり、強引だと思いますが、こんな解釈をしてみました。
たぶん、ルソーも強引なことを言っていると思うので、無謀で強引な解釈の責は、ルソーに転嫁して、寝ることにします。

時々ブログを拝見して、面白く読ませていただき、また大変勉強にもなっているので、感謝の気持ちもこめて、ちょっとコメントさせていただきました。失礼しました。

ima-inatima-inat 2011/12/17 00:54 高野さん
コメントありがとうございます。
ルソーの言葉は分からないですねー。わからないから面白い、みたいなところもあると思うのですが苦笑
高野さんの説おもしろく拝見しました。ただ「一般意志に関する情報を獲得した人々」というのはよく分かりません。本書の中でも出てくるように、自分で意識した自分の欲望は一般意志=無意識ではありえないはずです。ルソーは一般意志成立には、神的立法者が必要だと言いました。
ルソーにとって、一般意志を成立させるような社会が人々を道徳化するのか、それとも道徳化した人々にとっては一般意志が可能であるのか、それは僕にはわかりません。

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