'11読書日記86冊目 『官僚制批判の論理と心理』野口雅弘

官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000)

官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000)

187p
総計25413p
しごくまっとうな本。まっとうすぎて多少面白みにかけるところはあるが、日本の現代的な政治言論状況を見直すためには必須とも言うべき新書である。新書で出さずに、岩波フロンティアあたりで出てくれたらもっと勉強になるのにとさえ思う。ウェーバーの政治思想の研究者である著者が、ウェーバーの官僚制論を手引きにして議論を進めていく。ウェーバーだけではなく、モンテスキュートクヴィルアレントカフカ、シュミット、ハーバーマスらの官僚制論を横断することで、意外に顧みられて来なかった官僚制批判の系譜をたどる。
筆者によれば、「官僚制(bureaucracy)」という言葉自体、批判的な意味合いを含んだものである(bureau=執務室+cracy=支配)。官僚制を批判することは、それゆえ普遍的なものであり、決して現代に特有のものではない。そうした思想史的な状況を踏まえずに、官僚叩きの尻馬に乗ることは安易にすぎる。官僚制批判は左派(丸山真男からフランクフルターまで)だけではなく、右派の新自由主義陣営からも行われており、そうした対立軸を踏まえておかなければ、簡単に他方が他方へと加担することになる。さらに、官僚制は、人口や空間的な規模が巨大化し様々な階級の人々が暮らす近代社会において、公平性を担保することで民主制を補完するものでさえある。本書は、官僚制を否定し政治家のリーダーシップを無暗に称揚する現代の日本的な状況を相対化し、議論の整理を行う。
これまで政治思想系の議論では、主権論へのロマン主義的な憧憬が絶えなかった。近代的主体観を捨てずにいることも、官僚制への一存をも批判しつつ議論を展開していくことが肝要になるが、筆者によればそれはウェーバーの比較社会学的な視点が役立つ。ウェーバーの比較社会学は、形式合理性と実質合理性との間のジレンマをそのままに提示することによって、決定主義と結託した新自由主義に陥ることがないような防波堤をなす。もちろん、官僚制を「鉄の檻」と見なす認識はリキッド・モダニティなどの観点が提出された議論からは不十分だが、筆者の提示するウェーバー像は再考に値する。これまでの日本的文脈の中で、ウェーバーを扱うことは非常に厄介であった。文献学すぎる日本のウェーバー教へと新しく参入していくことは非常に勇気の要ることだ(羽入-折原論争とか)。そういった閉鎖的な状況に風穴を開けることが出来れば、もっと生産的にウェーバーを活用できるような気もするのだが・・・。