読書日記 『カール・マルクス――「資本主義」と闘った社会思想家』佐々木隆治

マルクス主義ではなくマルクスへ還れ、という標語でさえ陳腐なものになってしまう思想家、マルクス。内田義彦『資本論の世界』や廣松渉『今こそマルクスを読み返す』といった新書もあったことを思い出したりする(疎外論から物象化論へというフレーズも今や途方もなく懐かしく感じる)。本書は最新の草稿研究にもとづいた研究で、特に未完に終わった資本論の第二巻や晩年のマルクスエコロジー論、共同体論、ジェンダー論を論じている点に特色がある。『資本論』の要点、とりわけ価値形態論を正確に理解させてくれるのも良い。
晩年のマルクスは自らが定立した史的唯物論の法則性から漏れ落ちる現象があることを認めていたようであり、農村共同体も抵抗の拠点となりうるということを示唆していたようだが、そうだとすればマルクス以後に登場したマルクス主義の分厚い積み重ね(ポパーに歴史主義と呼ばれて批判されるような)が一挙に崩れ去りそうな気がして(例えば日本資本主義論争や日本の市民社会論など)やや虚しさを感じた。
マルクスの書くことのいちいちが非常なアクチュアリティをもって迫ってくるような現実があるということは不幸なことだと言わなければならないが、『資本論』草稿の次の一節などは、新自由主義的な統治における主体形成の問題を示唆しておりとても興味深い。

奴隷はただ外的な恐怖に駆られて労働するだけで、彼の存在(…)のために労働するのではない。これにたいして、自由な労働者は自分の必要に駆られて労働する。自由な自己決定、すなわち自由の意識(またはむしろ表象)やそれと結びついている責任の感情(意識)は、自由な労働者を奴隷よりもはるかにすぐれた労働者にする。なぜなら、彼はどの商品の売り手もそうであるように、彼の提供する商品に責任を負っており、また、同種の商品の他の販売者によって打ち負かされないようにするためには、一定の品質で商品を提供しなければならないからである。

資本論の世界 (岩波新書)

資本論の世界 (岩波新書)

今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書)

今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書)