戦国末期に南予で繰り広げられた合戦

昨日行なわれた今年度湯築城歴史塾第五回、「南予合戦と山城(永禄〜天正期)」と題する山内治朋氏の講演を聞いて、南予における一連の合戦が、頭の中で漸く整理された。山内氏は一次史料で確認される合戦を日付順に、何時、どこで、誰と誰が戦ったか、戦いの理由、意義や目的、結果などを、一次史料に基づいて解説して行った。
この講演のお蔭で、今まで断片的にしか掴めなかった南予の状況が整理され、有機的な理解が出来そうに感じる。それともう一つ、侵攻して来た土佐と肱川の河口付近で、秀吉軍の四国進攻の直前まで戦っていたことから、長曾我部氏は四国全土を制覇していないことは一次史料に基づいて断定できることが判った。それなのに、長曾我部氏が四国を制覇したという説が未だに消えないのは実に奇妙と言わざるを得ない。歴史研究は一次史料に基づくと言う鉄則を知っていれば、この件は20年以上前に藤田教授が指摘した時に決着している筈である。推測や思い込みで歴史をでっち上げては、韓国と同レベルとなってしまう。