73年前の今日、校庭で玉音放送を聞く

昭和20年の今日正午、全校生徒が校庭に整列し、玉音放送を聞いた。しかしスピーカーの音が割れ全然聞き取れなかった。夕方(何時だったか覚えていない)下校時に再度校庭に集合を命じられ、そこで校長から日本が連合国に降伏し、正午の放送はそれを国民に知らせるための玉音放送だったと知らされた。戦況は日に日に悪化し、到底勝てる状況でなくなっていることは子供心にも感じていたが、まさか降伏するとは思ってもいなかったので、衝撃は酷かった。
この日を境に価値観が一変し、更にGHQが出来てからは総ては日本が悪かったのだと洗脳の毎日で、徹底的に自虐史観を叩き込まれた。一時はその洗脳に完全に引っ掛かったが、二つの疑問がどうしても消えず、これが手懸りとなって後に洗脳が解け、自虐史観から脱却出来たのだった。これらについてもこれから少しずつ記してみたい。
8月15日を一般に終戦の日と言うが、停戦の日と言うべきではないだろうか。戦争が終わったのは降伏文書に署名した陽か、講和条約に 署名した日のどちらかではないかと思う。