本木に行きました。

私のなかで、「もとぎ」は足立区本木町にあった隣保館のことです。当時、もとぎはスラム街といわれていました。本木の人たちが頼りにしていたところの一つがママ先生とよばれていたT先生のいらした隣保館。町の人たちがいろんな相談や、お茶を飲みながらの世間話をしに来ていました。ちいさな無認可の保育園もしていました。
45年前、女子大生だった私は、隣保館に集まってくる近所の子供たちと、2階で宿題をしたり、荒川の土手で遊んだり、、週に一度、通っていました。
そのころ隣保館の保母さんだったkeikoさんと、昨日、ほんとに45年ぶりにもとぎを訪ねました。昨日は、あたたかな1日で、二人ですっかり変わってしまったもとぎを歩き回ってなつかしい場所を探しました。

隣保館はもちろん、今はありませんから見つかるはずもないのですが、ベーカリーもS食堂も見つかりません。Keikoさんは、町の八百屋さんや自転車屋さん、道を歩いているおばあさんにたずねます。ベーカリーはありませんでしたが、S食堂は閉じているけれど、Sさんは今もそこに住んでいるよ、と自転車屋のおじいさんが教えてくれました。そして、ついにSさんのおうちを発見!Keikoさんがピンポンしましたがお留守です。
と、そこに小柄なおばあさんが帰ってきました。「何か御用ですか?」と不審顔です。Keikoさんが「昔、隣保館で保母をしていたKです。」というと、ぱっと笑顔になり、「ああ!わかります。覚えています。けいこがお世話になって、、」
テレビがついたままの居間にあげてくださって、30分ほど、Keikoさんとおしゃべり。Keikoさんの、ごく自然に、人の心の深いところに、すっとよりそっていける人柄に私は圧倒されました。私と同い年のKeikoさん、年賀状の交換だけで過ごしたこの45年間(45年ってすごい!)でしたが、これからは時々お会いして、旧交をあたためたいって、思いながら、北千住で一緒にごはんを食べて秋葉原で別れ、それぞれ帰途につきました。

隣保館の跡地はわかりませんでしたが、「鉄塔が見えた」というKeikoさんの記憶をもとに、ここかなっていう空地の写真を写してきました。


最後の写真は北千住駅。かつて、ここから、「西新井大師行き」のバスに乗り、「西新井橋北詰」で降りて隣保館に通いました。バス停のある駅前は、すっかり変わってしまって、昔の面影はありません。