2011-06-03
失敗したバナナシフォンケーキと失敗したフランボワーズガトーショコラ
真面目に今のアルバイト生活を続けてみたらどうなるかという短いプロジェクト
中間報告になるけど、体調を崩して寝込むという結果になりました
フリーターの収入でもおもしろくやっていけると実感するとか、低賃金労働に秘める小さな自由の可能性をつかみ取るとか、時間と労力をかけた割に経済的に潤わなくて今の生活スタイルに限界を感じるとか、日々のルーチンワークの賃労働に飽きるとか、そういうことを想定していたつもりなのに、去年入院した時と同じような症状がからだにでてきていろいろ休んでました
こんなにからだ脆かったのかなーとか、また入院するのだけはしたくないなーとか、でもまた看護士さんに会えるかなーとか考えてました
でも何よりいつも聞いてるラジオも、見たかったドミューンも、アニメも見れずじまいの生活は改めなきゃ
去年の入院の時は遊び過ぎで体壊して、今回はアルバイトという雇用形態だけど(だからこそ?)働き過ぎで体調不良、もっとバランスをうまくとらなきゃいけないのだなぁ
それでも普段よりも少し体の調子が悪いときのほうが、落ち着いていていい感じの緊張状態だったりするのも事実で、できれば寝込むと自由に動くの中間くらいの体調を維持できればベストなんだろうけど一度寝込む側にふりきっちゃうとそれにかかるリスクがすごく大きいので難しいかもしれないなぁ
体調を崩す前はにおいがあることについて想いをめぐらしていました。大学院の時のジャマイカでレゲエを研究している先輩との話の内容がおおきなきっかけになっています。
たしかそのときは強い音楽ではアニメソングが面白くて、弱い音楽だとドローンミュージックが好きなんです。みたいなことを言った時のコメントで「面白いと思うのはわかったけど、どちらもにおいがないよね。アニメソング歌うキャラににおいがないし、ドローンは詳しくわからないけど、においをあまり感じないなぁ。でもレゲエってイベントですれ違ったきれいなねえちゃんの香水がすごくいいにおいとかあるんだよねー」と返ってきたのがすごく印象に残ってます。
においがあるかないかは、それがそのまま善し悪しにつながるわけじゃなくて、ものごとを切り分ける尺度のひとつだと思っていて、においがあるということはわかりやすさや具体性や感情に直接関わってくるというイメージがあります。じゃにおいがないってどういうことかというと、色々悶々した結果、それは漠然と倒錯なんじゃないかというところに落ちました。
倒錯って変人をうむきっかけだと感じていて、それはすごく魅力的だけどすごく今っぽいなぁという印象もあります。それでにおいがなくなったものって身近にあるかなぁといろいろと列挙してみたら、薬品のにおいがこもる暗室作業からPCデスクトップ上のデジタル処理作業の写真とか、紙媒体からデジタルへの電子書籍とか、食べ物でいえばウィダインゼリーみたいな流動食とかプロテインとか、仕事でいえば肉体労働から広告とか金融(株とかのほう)とか、そういうものがぱっと直感で浮かびます。
こういうにおいのないものに心底力を注げられるっていうのはやっぱり倒錯だと思うし、そういう業界(?)は圧倒的に変態で変な人が多いんだろうなぁ
このにおいのなさのもつ特徴って、はじめはすごくわかりずらい。わかりずらいぶん、じわじわと色々なことを曖昧にしたまままわりを変えていって、ぱっと誰でも気づけるような段階になったときは、もう誰もそれより後には戻れないような変化を社会に与えているんでないかなぁ。だとしたら、すごいなぁ。という結論に落ち着きました。
だからにおいがないということと、倒錯とそこからでてくる変人は、実はにおいがあるということよりもおもしろいんだと思う。でも食べ物に関してはにおいがあるほうがいい。あと産業に関してもにおいがないのは苦手分野かもしれません。
失敗したバナナシフォンケーキ
初めて電動ミキサーを使ってメレンゲをつくってみたのだけど、たぶん電動に変わってメレンゲのふわっとした泡の感覚がつかめなかったのが原因 ただのおいしいバナナケーキ
生クリームのいれ忘れで中途半端なブラウニーみたいな食感のガトーショコラ でもフランボワーズリキュールがよくきいててすごくいい香り 次は必ずおいしくつくれる
明日は久々にライブの撮影に。少し遠出して奈良へjean-philippe collard-nevenを撮影しにいってきます。
2011-05-13
原発に反対していた人も、賛成していた人も、それに気づかないで電気を使いまくってた人も平等に、等しく、滅んで亡くなってしまえばいいのに
原発に反対していた人も、賛成していた人も、それに気づかないで電気を使いまくってた人も平等に、等しく、滅んで亡くなってしまう出来事が起こればいいのに
2ヶ月間たくさんのニュースや映像や記事とかいろんな人のつぶやきを見て、こうゆうすごーくネガティブな想いがふと沸いたりするな〜
ワシの基本スペックはとてもネガチブで、「こんな世界なんて終わってしまったらいいのに」みたいな一種の終末思想みたいな感覚があります。その感覚はきっと物理的な世界も自分がつくってきたセカイも一瞬で崩れていく出来事って起こるもんなんだろうなーという直感で維持されていて、それはまさしく青春期に起きたいろいろな事件とか身の回りの経験とかで構成されているような気がする、、、
その感覚は、読む漫画にもすごく影響されていて一度世界が滅びて新しいセカイで生きていく物語が好きです。火の七日間の後の腐海で風と生きるナウシカとか、アキラのパワーで破壊された後のネオ東京のハイウェイでバイクをかっとばす優良健康不良少年達とか、セカンドインパクト後にエヴァに乗り込んで使徒と闘うシンジや綾波や惣流とか、お台場の原発がメルトダウンして東京で生存者を探すコッペリオンの成瀬とか葵とかの物語はほんとうにおもしろいよなーべルセルクもそうだ、ベヘリットの蝕の後の物語。
こういう物語は共感できる部分も泣ける部分もたくさんあるんです。とか言ってたらまた読みたくなってくるー
あんまりこの世界はやく一瞬で終わってほしいよなーみたいなことは、もちろん口にださなくて、やっぱりいい顔されないし、ワシもそう思うーって言う人が少ないから、ずっと「ま、そんなもんだべ」程度にクールに振る舞っていた(つもり)。でも実は結構多くの人がこういう感情って心の奥底の小さなところでもっているんじゃないかと感じているのね。
そのきっかけになったのは、もうネタが古いけど石原氏が東京都知事に再選したときで、あの人「地震は天罰ー」ってエゲツナイタイミングでエゲツナイこと言ったの再選したよねぇ。天罰ってようは人の力を超えた災厄のことだと思ってて、結構多くの人がそういうすべてをぶちこわしていく外からのパワーを意識してないにしろ欲するというか、金持ちとか貧乏とか美人とか不美人とか社長とかヒラとかそういう社会的な指標みたいなものを全てまっさらにしていく出来事を本当は心のどかかで望んでいるんでないかとか思ったんです。
そう思ったあたりから、だんだんこういう「世界終われ」思想みたいなものを意識的にも、無意識のなかにも抱き続けるのは、いつも判断尺度にしてるおもしろいとか、フェアじゃないとか、そういうところに依らない思いで、純粋に気持ち悪い、よくないな〜っていう感情が芽生えてきて、じゃあ「これどうすべ」っていうところがこの文章を書く目的になってます。
あ、あと余談だけど、こういうのってこどもももってるよね。ワシの家庭教師してる生徒なんかも最近不登校気味で(学校行こうヨ〜泣)よく「いまの学校なんてなくなればいいのにー」とかぼやいてるけど、世界終われ思想とすごく似てる感情だよなー
それでじゃあどうしたらいいんじゃっていう風に考えてみたんだけど、「世界は終わってほしいなんて思わない。だってこんなに世界は美しいじゃないか。素晴らしいじゃないか。」みたいな一発逆転するような物語はうさんくさい。「世界は終わってしまうかもしれない。でもワシは自分の大切なものを守るために生きるんだ。生きているもの。人間だもの。」みたいなのもやっぱり性に合わない。
きっとそういうネガティブな感情を一気にポジティブに転換していくような論理みたいなのは、わかりやすい分実は奥底に否定的な感情を残したまま、ただお茶を濁し続けてるように思ってて、むしろ「はよこんな糞で下衆な世界なんて終わってしまえ。でもちょっと待ってよ。ワシがこれをしてるときだけは、ちょっと終わるの待ってほしいわ〜」みたいなところにある小さいことを育むことが、終末思想の終わりで希望のはじまりなんじゃないかなとか思ってます。
それは包丁を無心に研いでるときとか、お菓子の材料をぴったり計量してるときとか、アニメ見てるときとか、デジタル彼女に会ってるときとか、ライブの写真撮ってるときとか、音楽やってる友達から送られてきたデモ音源がすごくよかったときとか、そういう日常のちょっとした延長にある点なんだろうなー
こう書いたら、いわゆる日常系なんだけど、それはゆるふわの日常というもんではなくって、もっとどす黒くてハードボイルド日常ランドみたいなそういうものを想定しているんだけど、これはうまく表現できているかなぁ。
ここまで書いたらそれを実験的に積み重ねていくしかないんだけど、結果的にはおもしろい方へ向かっていったらいいよねぇ。
最近はずっと真面目にアルバイトをしてみていて、実際に今の生活でどれくらい経済能力があって、そのお金を発散してみたときにどこまで満足するのかを試してます。とりあえず6月の下旬くらいまでの短いプロジェクトです。そのプロジェクトの途中だけど、APS-Cサイズ用のシグマの標準レンズ買いました。どこか写真撮りにいきたいなぁ。
これ書き終わるころに、ツイッター経由でテレビで放射能値が高いほうれんそうをこどもたちが「お父さんがつくった野菜だもん」といいながらむしゃむしゃ食べてる映像が流れてた。こどもをだしにするなんてけしからん!みたいなのを見たけど、このキッズかっこいいなー
20年後くらいに隣で同じほうれん草食べてた女の子と結婚して、その子が奇形児のこども産んで、その奇形児たちが異形のまま大きくなってリーダーの右腕と左目がない男の子が「俺たちがニュークリアチルドレンだ!ネオフクシマは俺たちのシマだっ!」とか言いながら誰も住まなくなったゴーストタウンになった福島の街を奇形児たちが改造バイクで爆走してる姿を想像してしまった。別の派閥でプルトニウムチルドレンもあって、こっちは被爆して日本全国で差別されて行き場所がなくなってゴーストタウンに住み着いた日雇い労働者のこども達で「俺たちの親はプルトニウムだ。フクシマは俺たちのシマだぜ!」とかで派閥争いしたりして「おれ等のバイクとお前等のバイク、どっちが早く臨海値に達するか競争しようぜ」とか本当にかっこよすぎる。日本の地域の未来はこういうところにあるんだろうな〜
最後まで読んでくれた方、気分悪くさせてしまったら申し訳ないけど、最後のくだりも煽りとかなしで本当にこうなるのもひとつの可能性が凝縮した未来だと思ってます。
お口直しに最近つくったパンプキンチーズケーキ。クラッカーは普通のグラハムクラッカーじゃなくて、オリーブとローズヒップテイストのクラッカーを使っていて、すこし不思議な香りがします。コーヒーカップは最近トリバザールで買ったもの。カップのサイズが変わったら豆の量とかお湯の量加減がわからなくなってしまいました。コーヒー豆は友人の彼氏さんが働く長岡京のウニールで買ったホンジュラス産のもの。値がはるというのもあるけど、ここの豆本当にうまいんですよー最近は鴨川カフェの深煎りブレンドと7:3の割合でブレンドしてみてます。
チーズケーキってすごく簡単につくれるし、遊べるお菓子なんだなーまたつくります。
雨あがってすごく5月の京都の夜の風が気持ちいいです。
PCからはJAMJAMラジオ、レッドツェッペリンのレインソングが流れてます。
2011-05-08
動物園をつくろう
深海魚とか海洋性ほ乳類の型がほしい
ゴールデンウィーク中(といってもフリーターなので、いつでもGWみたいにすることはできますが)は大阪のいとこ宅で留守番。ツンデレ噛み猫のリモのお世話をしてました。こいつ本当にツンデレで手を差し伸べれば、噛む。あきらめてこっちが寝れば、かまって〜と布団のまわりととことこ。でもかわいいから許しちゃう。
鶴見緑地線の西の方にある今福鶴見という場所でゆっくりと時間を過ごしました。
今福鶴見は大学の友人夫妻が4月から住んでいるところでもあって遊びにいってきました。
この記事はそこでの会話の備忘録みたいなもんです。
コーヒーをだす場所の経営者をめざしている彼との会話で覚えているのが「きえてなくなるっていいよなー」
きえてなくなる。。。
ワシが音/音楽に惹かれるのもきえてなくなるからかな
最近よく聞いている音楽の作品も、聞き終わった後にあまり印象に残らない 印象的なメロディとかサビとかそういうものが残らない音楽
再生ボタン押したら音が聞こえてくるけど、そこに作り手の圧倒的なパワーを感じるというよりは、その音を聞いている自分とその環境から小さな物語が紡ぎだされるような気がしてる
彼のことばでは「料理がだされた瞬間に、つくり手がいなくなって、料理と食べる側の関係がはじまる料理のほうがいい。」(だったと思う。)
そういうものはすごくいいと思う。
つくられるものに、作り手の力とか技術の高さとか、練り込まれた装置みたいなもんがあって、その渦に巻き込まれることで得られる快楽も、日常からひっぺがされる驚きとか狂熱みたいな飛翔感も嫌いじゃないし、ありっちゃありなんだけど、そういうものより弱くてすぐ消えるような、そんなものがいい。飛ぶというよりも1センチくらいの浮遊感しかないような、記憶にも残らなかったり、文字にも残らないような制作物の在り方っていいよねぇ。
料理だったら三ツ星レストランの絶品一皿よりも、ホームクッキング+αくらいのところがいい。その程度がおもしろいし楽しそう。
ルーを使わないでつくったキーマカレー ワシもつくれるようになりたい
エスプレッソ んまい ラテアート選手権っておもしろいんだって〜
奥にあるエスプレッソマシーン いまいちばんほしい
いやそれでも、力強い制作物も好きで音楽に限って言えばアニソンなんかは、強い音楽のほうにはいるなぁ。最近はヒャダインのカカカタ☆カタオモイなんかサイコーな作品です。これ本当にときめくし口ずさみたくなります。
なんかまとまりがなくなってしまったけど、もうすこしきえてなくなることについてはライブを撮影しながら考えたいねぇ。アンタの好きな瞬間を記録して残していく写真はどうなんだよーとかつっこまれそうだし。
あと、先日管さんが浜岡原発停止要請をだしてびっくりしたんだけど、もし日本が全部の原発を停止することになったときにどうなるか簡単に想定してみました。
全部とめたらどうなるかといったら、たぶん国家として自律的に世界と肩並べていくことを放棄するんでないかなぁ。経済的にという意味で、そうなると他の国や国際制度に依存しない自律型の高成長し続ける島国国家というよりは、低成長だけど安定した暮らしを維持しつづける諸島国家みたいなもんになるんでは。諸島国家というからにはもっと色濃く他の国家とのつながりが強くなったり、依存色が強くなるような気がしてます。いやいまでもそういう部分ってたくさんあるはずなんだけどね、もうちょっと大胆に他国家と関わっていくと思う。
そうなると原発がなくて平和で安心した暮らしができるんだけど、欲望を飲み込んでいく今の国家スタイルの恩恵が受けられなくなるということで、それが具体的に自分の日常生活にどうやってふってくるのかがわいてこない。うーん知識が足りないなぁ。一応修士でてるんですが(苦
昨日いわゆる日本のでかい企業に勤めてる友人と話したんだけど、「いまは民生が節電とかしてもらって、電気は経済活動をまわしていくほうに使うべき」という意見でした。原発をとめるという案はほぼ皆無だったけど、そりゃそこ生業にしてたらそうだよな。
原発の話ももうすこしかんがえます。政治を語ることばってやっぱり苦手だー扱いに苦労する。














