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2012-01-16

[]藤本一司『生きるための哲学

 昨秋藤本一司さんが本を送ってくださった。これで5冊目の単著になる。そして6冊目も予告されており、その後送ってくださった。これはまた日を改めて紹介したい。釧路高専で、理科系学生を相手に哲学を講じる。そういう場合いくつかの方向性が想起される。理科系の知のようなものと向かい合って、同僚の先生たちとも話したりしながら、自分の専門を鍛え上げるという方向性。生きること、学ぶことなどを、学生たちと一緒に考えるという方向性。仕事仕事と割り切ってしまう方向性。

 私は第3の方向性で研究を重ねていると長い間思っていたのだが、最初単著を出されたときに、第2の方向性がくっきりと見えてきた気がした。そして今回の著作は、はっきりと「教室の情景」が見えるようなものになっていると思う。

第1章 夢と現実のあいだで

 1 「夢」も「現実」も手放さない(アリストテレス中庸」)

 2 「外見」は、侮れないー(フロイト無意識」)

 3 「熱情」を「習慣」にまで鍛え上げる

   (アリストテレス「習慣」、プラトンイデア」)

 4 「自分らしさ」に操られない(マルクスイデオロギー」)

 5 未来希望を語る(ラカン「前未来形」)

 6 人のせいにしない(カント尊厳」)

 7 善いことを掬い上げる(宮崎駿「生への祝福」)

第2章 「私の位置」を知る

 1 私は「いつもすでに」決断している(ハイデガー頽落から脱出

 2 迷子であることを知らない迷子とは?(ソクラテス無知の知」)

 3 考えることを考える(カント「超越論的認識」)

 4 「自分の当然さ」を疑う力(フーコー「系譜学」)

 5 「今の自分限界」を知り、その彼方を開く(レヴィナス責任」)

第3章 未知性・他者・贈与

 1 未知性を愉しむ(哲学のはじまり「驚く」)

 2 私の「外部」に耳をすますレヴィナス「他者」)

 3 私の「身体」に敬意を払う(レヴィナス「身体」)

 4 私は幸福である(雲門「日日是好日」)

 5 「物語」が「現実」をつくるー(バルトエクリチュール」)

 6 交換の愉しさ(レヴィ=ストロース「交換」)

 7 他者から承認ラカン人間の欲望」)

 8 「つながり」を生きる(レヴィナス「贈与」)

文献案内

http://www.hokuju.jp/books/view.cgi?cmd=dp&num=790&Tfile=Data

 かといって、放縦に人生観を語るというのではなく、古典的な書物を読み解きながら、教室での弁証を重ねていることが、伝わってくる書物となっている。藤本氏は、コツコツと本を丁寧に読んでいくタイプだと思っている。私のように、ぺらっとめくって三百代言というのとは対極にある。そうした議論が、学生たちや、さらには同僚との信頼関係の形成につながっているとすれば、とても嬉しいことである

 本のことをブログで論じている読者と、藤本氏は出会うことができた。さらに交流ができて、ことばが磨き上げられていくことに期待したい。

2012-01-15

[] 市川虎彦『保守優位県の都市政治 愛媛県主要都市の市政と市長選』

 国立料理屋で行われた院生時代の指導教員ゼミ新年会で、久しぶりに市川虎彦氏と会った。私が岡山就職したあと、しゅーやざわのところに来て、うちのゼミにも出ていたのだが、学会のたびに飲み会で一緒になったりして、よく話すようになった。一本気の好漢で、今や地域社会学学会でも役職をこなしているようだ。そして今回単著を出した。お礼が何ヶ月も遅れてしまった。ありがとうございます

 しかし、筆名の単著を出したのには笑った。私は、ずいぶん長く虎彦が本名だと思っていた。また虎彦というのが、高名な武士から採ったものか、それとも単なるタイガースファンなのか、と意見も分かれている。今回よい機会だったので、たずねたらタイガースファンだからだそうだ。

概要

 愛媛県戦後自民党政治を底辺で支えてきた「保守王国」の典型である。本書は、この地域の主要都市市長選と市政の推移を追うことによって、大都市圏中心に構成された地方政治歴史とは異なる、「もう1つ」の地方政治の流れを浮き彫りにしたものである

目次

序章 もう1つの地方政治

第1章 地方中核都市政治松山市

第2章 地場産業都市政治今治市

第3章 企業城下町政治新居浜市

第4章 新興工業都市政治西条市

第5章 製紙産業地域都市政治―宇摩地方

第6章 伝統的消費都市政治宇和島市

第7章 港湾都市政治八幡浜市

第8章 伝統地方都市政治大洲市

終章 愛媛県市長の類型と時代変遷

 東京から地方大学に赴任すると、いろいろな思いが押し寄せてくる。赴任前の1月に東京で見た映画岡山では4月になってようやく封切りになっていた。深夜のマイナー番組もほとんどない。たとえあっても、一ヶ月遅れはざらだった。本屋丸善紀伊国屋はあったけど、洋書を手にとってみることはできない。音楽アート系の映画お笑い・・・なにもかにもが、絶望的だった。、

 東京では、研究会学会が頻繁に行われていて、学会に行くたびになんとなく疎外された気持ちになったりすることもしばしばだ。私はその焦燥を自分の中に封じ込め、精神神経疾患で壊れそうになりながらも、たまたま偶然で2人の先輩がとてもよくしてくださり、そのおかげで学内外にたくさんの友人を得ることができて、その支えでなんとかやってきた。しかし、地域に密着した仕事ができたのは、岡山を離れてからのことである。これに対して、市川氏は、地元にじっくり根を下ろした作品を仕上げられた。

 「保守王国」というタイトルに、彼が向かい合ってきたものが見えてくるような気がした。オーソドックス社会学をになってきた市川氏は、それを自治体ごとに調べ上げ、東京都は違う地方政治のの構図を描き出した。私のように、地方の可能性みたいなものを必要以上にデフォルメすることなく、分析を行っている。立派な業績であると思った。