『椿の海の記』・『往還の記』

 女子大のキャンパスは、いろいろな植物が茂っていて、そこに古い瓦葺きの質素な旧校舎や、宇宙建築のような新校舎がたちならんでいる。校舎は渡り廊下で結ばれている。昔はそこに簀の子がしいてあって、上履きを履いた学生たちが行き来していたのだろうし、キリッとした向学心に満ちあふれていたのだろうと思う。卒業生は木々の一本一本に強い愛着を持ち、新校舎建築などの際には、ことのほかの気を遣っている。キャンパスを歩くと季節季節により植物の呼吸を感じることがある。しかし、古典を深く学ばなかった私は、それをくくりとることばをもたない。大学に入学した頃、級友たちの音楽、文学、芸術、恋愛などへの造詣に強い劣等感をもった。それ以上に、花鳥風月などへの感受性の語彙が、決定的に貧しいことに悩んだ。ハイキングなどに行っても、友だちたちがいろいろな植物を識別できるのに驚いた。気取りなく交わされる蘊蓄に、ねたましい気分になった。
 私は「木」、「花」、「草」といった識別しかできなかった。それは、アスファルトとコンクリートの街で育ったこともあるけれど、花見、新緑、紅葉狩りといった情緒とは無縁の勉強しかしてこなかったこともあると思う。そういうことを教えようとしていた先生はたくさんいたと思うし、学ばなかった自分の責任もあると思う。大学時代、環境問題のサークルに入り、一人の友人と出会った。成田に生まれ、育ち、空港問題を真剣に怒っていた。都立大の理学部に入学して地球科学を学ぶつもりが、学ぶ方向の違いに気づき、社会学部を再受験した人である。富津のノリ養殖漁民の方の調査に一緒に出かけたりもした。調査の模様を、標準語使用という観点から言語学の講義レポートに書いたら、それを読んだ田中克彦が論文に引用した(雑誌『展望』掲載、『法廷に立つ言語』所収)。彼は、高校教師になった。毎年冬になるとノリ養殖の手伝いに通い続け、その成果を教育に生かしたりもしている。受験的な競争心から幼稚な読書しかしていなかった私に、石牟礼道子を教えてくれたのも、彼だった。たとえば私は次のような文章に圧倒された。

 山の稜線や空のいろが虚空のはてに流れ出したり、そびえ立つ樹々の肌が、岩より硬く大きく割れだしてみえる日に、そのような世界の間を吹き抜けてゆく風の音が、稚い情緒を、いっきょに、人生的予感の中に立ちつくさせることがある。ことに全山的に咲く花々のいろや、その芳香というものは、稚いものを不可解な酔いの彼方に連れてゆく。春の山野は甘美で不安だが、秋の山の花々というものは、官能の奥深い終焉のように咲いていた。春よりも秋の山野が、花自体の持つ性の淵源を香らせて咲いていた。女郎花、芒、桔梗、萩の花、葛の花、よめなの花、つわ蕗の花、野菊の花。そのような花の間に名も知れぬ綿穂を浮かせたちいさな草々がびっしりと秋色をあやどり、それらが全山に開花してゆく頃になると、空は静謐に深くなる。山の中腹の萩や葛の花の下にもぐり込んで横たわり、彼方を仰げば、花頂をはなれた全山の綿穂や花粉がいっせいに、きら、きらと光りながら霧のようにただよいのぼり、山々の姿が紗をかむったようにゆらめいているのをみることがある。山野が放つ香気のようなものが目に見えるのである。稚いものにはそのような山野の精気は過剰すぎ、ある種の悶絶に私はしばしばおちいった。光りながら漂う花粉とともにわたしの感覚は山々をめぐり、それは早すぎる官能の告知ともいうべきで、空のはたてに離魂しているような酔いからようやくさめて、とんびにさらわれたような目つきになって帰るときを、たぶん、ものごごろつく、というのででもあったろう(『椿の海の記』)

 (・∀・)イイ!!と思って、何度も読み返す。しかし、それを口に出して言えるほど、素直でもないし、ずるがしこくもなかった。で、いろいろ反論する。見苦しく学術用語をまじえて。しかし、彼はむずかしいことばは一つも使わずに、おだやかに論破していった。悔し紛れに、コンパで、「オレには下町がある」と言ったら、「それもそうだね」と笑った。私は上機嫌で、横浜市歌を歌い、かれは千葉県民の歌を歌った。以来、この二つはコンパの定番となった。お互いの「定住地」を確認しあえたことで、満足していたとすれば、この共感にどれほどの意味があるのだろう。それでは、ヴァナキュラーの思想が腐ってしまう。そう今では思う。確認すべきだったのは、「往還」だとか、「かよいあう」というような境位ではなかったか。
 それに気づいたのは、竹西寛子『往還の記』を手に取ったときである。古典の素養がない私には、この本は歯がたたないし、神髄を十分に理解できるようなしろものではないことはわかっている。しかし、古典と現代を往還するという着想は。非常に魅力的なものと思われた。この人の「足場」はどこにあるのだろう。原爆の落ちた広島出身ということの意味はなんなのだろうか。この人のモノの感じ方はどんなものだろうか。そんなことを考えながら、もうすこし軽いタッチの『ひとつとや(正続)』などを読み、それをデラシネや移動民などの考え方と照らし合わせた。
 根を下ろすことの安心と暴虐を、自分のことばで考えたい。文化社会学の前期の総括として、そんなことを話してきた。試験答案の書き方を説明しながら。時間があまったので、桜井哲夫氏を描いた『しまがっこ溶けた』の話をふたたびした。社会学科の会議室に行ったら、スタッフが談話していて、「あの本を読んで泣きましたか」と聞かれた。「泣く本ではないと思った」と答えた。ある先生が「泣くのは冒涜ということ?」と聞いた。「そうではありません。そんな横暴なことを言うつもりはない。でも、私にはジュディマリるんるんご機嫌なぢいさまは、ポップだと思う」と答えた。「哲っちゃん」の居場所は、それなりに根があって、かつ横暴でもない。時間がなくてうまく伝わらなかっただろうが、試験答案が楽しみである。

お台場さんま城

 そーいや昨日は、夜帰ってテレビつけてはじめて選挙だって気がついた。っていうか、いつもそうなんだけど、逝こうと思って忘れてしまう。院ゼミは、中間報告最終調整。その後、休憩時間にブログ書いて、仕事やって、水泳へ。二日休んだので、1600メートルにしておく。帰ってネット。
 今日は「月深」で、フジテレビを見る日。「お台場さんま城」は、毎週見ている。アナウンサーの次は、製作スタッフかいなと思いつつ、若手もものすごいキャラが揃っているし、またひょうきん族のおっさんとか、ベテランも面白く、見逃せない。若手のスタッフがゴールデンの番組作って試作するってことなんだけど、試作品より、企画会議が面白い。萌え萌えのコピーがマシンガンのように飛び出して、実に心地よい。たけしが「今漫才やるなら相手はさんま」と言っているのもわかる気がする。時々関西っぽい「美味しいところはみんなもろときまっせぇ」、みたいなこところはあるものの、それが嫌味じゃないのはすごいよね。とあるMLで、さんまだけは30年このノリ一本でやってきたところがすごいと言われていたけど、まったく同感です。第一作の「明石家さんまの冥土のみやげ」というのにはぶっ飛びました。「ご長寿早押しクイズ」みたいなのを、この名前でやったらすげぇだろうなと思った。頭に幽霊がつける白い△な布とかつけちゃって、白装束で杖をもつ。正解するとお見送りぢぢいばばあ軍団「明日は我が身ぃ〜ず」みたいなのが、「イェイイェイ」とゆって拍手喝采。サブローだかシローだかに人生行路のまねさしたりして・・・。小森のおばちゃんの実物とかだすとかね。でも、そうじゃなかった。残念!!っつーか、それはそうだよね。
 先週の勤務評定(企画の中間評価)で、一番面白いという評価のものは、プロっぽい評価なんだろうけど、私は??ですた。逆に、最下位だった、チアガールの踊り氏にそうにわらいますた。あのバディであの動きはすげぇ。アテクシは、ちょいBセン、Dセンなので、けっこう萌えますたよ。馬路。春川ますみを身体固くしたみたいでね。あれで、広田レオナくらい喋れればなぁ。あ、はじまった。もうみます。明日はワールドダウンタウンだね。