プロジェクトINAZUMA BLOG

2006-06-22

[][]『おんなの細道 濡れた海峡』を読む1(井川耕一郎)

(以下の文章は、今年の5月に映画美学校の授業で話したことをメモをもとに再現したもの。週一のペースで四回くらい連載する予定です。なお、テキストには「月刊シナリオ」1980年5月号に掲載されたシナリオを使っています)


 『おんなの細道 濡れた海峡』(監督:武田一成、脚本:田中陽造)は、大学のときに見ています。これはもう「名作」と呼ぶしかないような風格をそなえた作品ですね。しかし、そのよさについてどう言ったらいいのか……。今までにも何度かこのシナリオをテキストに授業をやっているけれど、いつも言葉が作品の面白さに届いていないもどかしさを感じてしまう。

 このままずるずるつきあっていると、まずいことになるぞ、という男女の関係が描かれています。主人公のボク(三上寛)はストリッパーの島子(山口美也子)のヒモをしている。ところが、島子にはストリップ小屋の社長でヤクザの夫(草薙幸二郎)がいる。そんな社長のところに、島子をください、と言いに行くのはどう考えてもまずい。なのに、行ってしまうわけです。もっとも、その前に近くのラブホテルに入るわけですが。


3 ラブホテル・一室

島子「これが最後かも知れないもん。これっきりあんたとやれないかも知れないもん」

 島子が凄く燃えてうわ言みたいな声を出す。

ボク「島子! 島子!」

 ボクも妙に切羽詰まった気持で、まるで苛めるみたいに島子の体をむさぼる。


 その後、島子の旦那のところに行ったボクは殺されそうになって、バスに飛び乗って逃げる。そうして、あてのない旅となるのですが、その途中でカヤ子という女(桐谷夏子)と出会うわけです。このカヤ子がまた、妻子のいる漁師のヒラさん(石橋蓮司)に惚れていて、このままつきあっていてもろくなことはないという状況にある。


22 走るバスの中

 最後部のシートにボクとカヤ子。

ボク「どこまで行っても海だな」

 リアス式の切り立った断崖の際をバスは走っている。

カヤ子「この沖が漁場、ヒラさんの」

ボク「沖は荒れてるみたいだな」

 海面はガスがこもっていて、水平線の方は空も海も黒い色に閉ざされている。

カヤ子「沈んじゃえばいいのよ。……船が沈んで、あの人も海の底に沈んじゃえばいいのよ」

 カヤ子は苦しくてたまらないように言う。

カヤ子「そうすりゃ、さっぱりするのよ、何もかも」

ボク「オッカナイネ」

 ボク、すこしおどける。カヤ子の言い方が深刻すぎるんじゃないかと思う気持もある。

ボク「女はすぐそれだから。関係がちょっともつれるとすぐ、アンタさえいなけりゃ、だもんね。カナワナイヨ」

 カヤ子、ふっと笑う。

カヤ子「あんたの女も?」

ボク「ウーン。どうかな。アイツもやっぱり、そんなこと考えてんのかな」

 とボク、缶ビールを飲む。


 この後、ボクとカヤ子はそれぞれ惚れた相手がいるにもかかわらず、寝てしまう。これまた、面倒な関係になってしまうわけです。しかし、映画としてはこのあたりからが一番面白いところなのですね。寝てしまった翌日は雨で、ボクはぐずぐずと布団の中にいて、まだ眠っているカヤ子の横でウィスキーを飲みながら、ぼんやり窓の外をながめている。このカットは妙に印象に残っています。

 ところで、こんなふうに話していると、まるで成瀬巳喜男の『浮雲』のような映画に見えてしまいますが、そうではないのです。男女の息苦しい関係を描いているのに、不思議とユーモラスでさわやかな印象が『おんなの細道 濡れた海峡』にはある。このユーモアというか、さわやかさはどこから来ているのだろうか。ボクを演じる三上寛の飄々とした風貌から来ているのか。あるいは、こんなシーンがあるからなのか。


(25 北山崎附近)

 北山崎は有名な断崖と荒海の景勝地で、ボクはその絶壁の端で考える人のポーズになり、大きいものを排泄している。

ボク「絶景だ」

 再び、ウーンと唸る。ぞくっと身震いする。絶壁の断面にへばりついている粉雪が風に剥がされ、白い花みたいに底の方から舞い上がってくる。


 そういえば、『おんなの細道 濡れた海峡』を最初に見たときに思ったのは、ボクがこのまま旅を続けて、行く先々でいろんな女と関係を持ち、いつの間にか島子のこともカヤ子のこともすっかり忘れてしまうと爽快だろうな、ということでした。

 しかし、考えてみると、田中陽造が書くドラマでは物忘れによく似た事態は時々起きるのです。たとえば、『陽炎座』(監督:鈴木清順)では、冒頭、松田優作演じる春孤が人妻からもらった恋文を落としてしまって、それを探しています。しかし、品子(大楠道代)に出会った後は、その人妻のことも恋文のこともすっかり忘れているみたいなのですね。同じようなことは品子にも言えます。酔った春孤が道を歩いていると、ある邸宅の裏木戸が開いて中に入るようにうながされる。そうして、屋敷の中に入ると、品子が春孤ではない誰か別の男を待っている様子である(ちなみに、これとほぼ同じ展開は『秘本 袖と袖』(監督:加藤彰)にも出てきます)。ところが、春孤と会ってからは、誰を待っていたのかは問題にならなくなってしまうのです。

 あるいは、めぞん一刻(監督:澤井信一郎)では、萬田久子演じる名前のない「女」は、恋人に捨てられて池に身投げしたらしいのだけれど、偶然、四谷(伊武雅刀)に引き上げられてしまうと、自分を捨てた恋人の顔を忘れてしまっている。以後、彼女は四谷を恋人と勘違いしてつけまわすようになるのですが、話も後半になると、四谷に格好がよく似た「男」(田中邦衛)に接近していって、しまいには二人で池に身投げして心中しようとする。

 要するに、田中陽造が描くドラマでは、ある登場人物が誰かを求めていたとしても、その求められている人物が誰であるかが問題にならなくなってしまうことがあるわけです。ある女が男Aを求めて、結果として男Bと結びついてもかまわない。求めている女の前では、男Aと男Bの違いなど大したものではない、とでもいうような……。

 話が『おんなの細道 濡れた海峡』から大きくそれてしまったので、戻すとしましょう。これから田中陽造が書いたシナリオを読みながら考えてみたいことは、大まかに言って二つあります。一つは、海に面した断崖の上で野糞をするさわやかさが、なぜ『おんなの細道 濡れた海峡』には必要なのか?ということ。そして、もう一つは原作との関係です。

 『おんなの細道 濡れた海峡』の原作は田中小実昌の二つの短編、『島子とオレ』と『オホーツク妻』ということになっています。たしかに、島子が出てくるパートは『島子とオレ』を原作にしています。そして、カヤ子のパートは『オホーツク妻』を原作にしている。ボクが社長たちに殺されそうになってバスに飛び乗るという展開は、どちらの短編にもないけれど、これは二つの原作を結びつけるために考えられたものですね。しかし、『おんなの細道 濡れた海峡』はこの二つの短編だけから成り立っているわけではないのです。

 ボクは何度か「ポロポロ」と呟いています。その「ポロポロ」の意味をボクはシーン34でカヤ子に向かってこう説明している。


ボク「ポロポロっていうのは、パウロパウロって意味なんだ。天なる使徒パウロ。そのパウロ様に誓って姦淫は犯しません、盗みは致しません、てぐあいに祈るんだ」


 原作というほどのものではないけれど、「ポロポロ」という呟きは田中小実昌の代表作『ポロポロ』に拠っているわけです。だとしたら、なぜ『ポロポロ』が『おんなの細道 濡れた海峡』には必要だったのか? これが二番目の疑問です。


 さて、これからシナリオを読んでいくわけですが、その前に準備として段落分けをしておきます。どんなふうに分けてもいいのですが、ロマンポルノだから、ベッドシーンに着目して以下のように段落分けをしておきます(( )内はからみのあるシーン)。


 1:シーン1〜8(シーン3 島子とボク)

 2:シーン9〜19(シーン13 カヤ子とヒラさん)

 3:シーン20〜29(シーン28 カヤ子とボク)

 4:シーン30〜44(シーン43 カヤ子とヒラさん)

 5:シーン45〜50(シーン48 ツエ子とボク)

 6:シーン51〜57(シーン56 島子とボク)

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