プロジェクトINAZUMA BLOG

2006-06-29

[][]『おんなの細道 濡れた海峡』を読む2(井川耕一郎)

 『おんなの細道 濡れた海峡』は、ボクと島子が汽車に乗っているところから始まります。これから島子の旦那、社長のところに行こうとしているのですが、島子は「どうすんのよ」とボクに尋ねる。そうして「あんた殺されるかもしれないよ」とボクに言うわけです。


(1 汽車の中)

 二人、ふっと黙る。島子のスカートの奥でボクの足指が動いている。島子、感じそうになって、押さえる。

島子「きっと殺されるよ、気が短いんだからうちの社長。五年前にも一人殺しちゃってるし。そん時は兄貴って人が全部しょってくれたから助かったんだけど」

ボク「…………」

島子「それでもいいの。一緒に来てくれるのね。私を貰いますって言ってくれるのね」

ボク「……ここまで来ちゃったんだしなあ」

 ボク、ビビってる。ビビりながら、それしかないみたいに足指を動かしている。


 ちょっと気になるのは、「そん時は兄貴って人が全部しょってくれたから助かったんだけど」という島子のセリフです。この兄貴という人物について、シーン5で島子の旦那である社長はこう説明する。「癌だったんだ、兄弟は。半年もたねえって医者に宣告されてたから、俺の間違いを背負って病院に入っちまったの。そんで一月もしねえうちに死んじまったんだ、女房残して」。その兄貴の女房が島子だったというわけですが、だったら、なぜ島子は「兄貴って人」などとよそよそしい言い方をしているのか。

 あとで説明するのだから、シーン1で島子と兄貴の関係を言う必要はないだろう、ということはもちろんあります。しかし、それでもやはり気になる。というのは、田中陽造が書く登場人物は、時々、こういうよそよそしいしゃべり方をすることがあるのです。たとえば、『生贄夫人』(監督:小沼勝)の国貞(坂本長利)がそうですね。彼の場合、自分のしゃべり方について言及するシーンまであります。


(12 墓前)

国貞「何を怖がっているんです」

秋子「怖がってなんかいませんよ」

 秋子、勝気そうに見返す。

秋子「その手で触れられたくないだけですよ」

国貞「三年前までは夫婦だったんですがね」

秋子「今は赤の他人です」

国貞「そう。だから私も他人としての口をきく。しかし……」

 国貞、苦笑いする。

国貞「私のどこがそんなに嫌いなんですかねえ」


 この後、国貞(坂本長利)は秋子(谷ナオミ)を拉致して、山奥の廃屋でSMプレイをすることになるのですが、そうなってからも彼のバカ丁寧な口調は続きます。それにしても興味深いのは、その後、日活で何本もつくられるSMモノと比べてみると、国貞のセリフには秋子に命令するセリフがほとんどないということです。サディスト役のあり方が他とはどこか違っている。たとえば、国貞は「脱げ」とは一言も言わない。秋子は国貞の目的が自分の体であると推測して脱いでしまうのです。すると、国貞は秋子に対してこう言う。「淫らな格好をして誘ってきたのは、あんたの方だ。自分の肉体を売って男をたぶらかす。いいですか、あんたはゆうべ売春婦と同じ事をしたんですよ」。また、秋子がカミソリで切りつけて逃げようとしたあとには、国貞はこんなことも言っている。「先刻は本当にびっくりしましたよ。あなた、本当に殺す気でしたね」「ええ、文句を言う積りはありませんよ。しかしね、あなたにつけられた傷のぶんだけはお返ししなくちゃならないと思ってますよ」。何ともずるい言い方です。国貞はバカ丁寧な口調で秋子と距離を取るだけでなく、自分の欲望とも距離を取ろうとしている。まるで欲望を持ってプレイする自分は自分とは別の誰かだ、とでも言いたいような口ぶりです。

 これによく似た事態は、金子光晴の愛人・大河内令子をモデルにした『ラブレター』(監督:東陽一)にも見られます(映画だけ見てシナリオの出来を判断することはできません。『ラブレター』や『魔の刻』は田中陽造を論じるうえでとても重要な作品です)。『ラブレター』の主人公・有子(高橋恵子)は遠くから聞こえるブランコをこぐ音に誘われるようにして夜の公園に行く。そこで彼女は村井(仲谷昇)という男と出会い、彼がなぜ夜中にブランコをこいでいるのかを尋ねます。すると、村井は妻との関係を説明しだすのですが、そのときの村井の話し方について田中陽造は「なんだか人ごとみたいに喋る」と書いています。要するに、しゃべる自分とブランコをこぐ自分とに村井は分裂しているのです(国貞のようにブランコをこぐ自分を否認したりはしていませんが)。


(15 深夜の児童公園)

有子「どうして、こんな事をなさるんですか?」

村井「ブランコ?」

 有子、頷く。村井は、さあ、と考える。

村井「しいて理由を挙げれば女房への信号かな、嫌がらせ半分の」

有子「女房?」

村井「ええ、別れた女房への」

 ギーとブランコをきしませる。

村井「平山荘って、ちっぽけなアパートが近くにありまして」

有子「ア、お隣りです、うちの」

 村井は、ほう、と改めて有子を見やる。

村井「それじゃタヨのことはよく知ってるでしょう。あれ、私の女房」

 有子、驚いている。

村井「正確には、もと女房。……私、逃げられたんです、アレに」

有子「……?」

村井「女を作りましてね、私が。それがバレちゃって……(苦笑)女とはすぐ切れたんだが、許してくれんのです、アレは」

 村井はなんだか人ごとみたいに喋る。酔っているのかも知れない。

村井「会いに行っても門前払い。顔を見るのもイヤだというわけです。分かりませんなあ。……どういうんですかね、ああいうの。意地が悪いというか、異常な潔癖性というのか、人を憎むことに長けているというのか……」

 もう一度、分かりませんなあ、と呟く。

有子「それで毎晩、こうして……?」

村井「毎晩というわけじゃないけど。……家に帰っても仕方ないし。……寂しいのを通り越して怖いもんですよ、まっくらながらんどうの家というものは」

 有子、頷く。よく分る。

有子「愛しているんですね、奥さんを」

 村井は黙っている。さあ、と曖昧に口ごもる。

村井「よく分からんのですよ。もう一度会って体を抱いてしまうか、それとも決定的に憎しみを募らせ合うか……あいつも迷っているし私も迷っている。それでブランコゆーらゆら」

 と重たげに漕いでいる。


 ついでに言っておくと、ブランコをこぐという行為そのものは、自分に対して距離を取ろうとするしゃべり方とどこか似ていますね。地面すれすれで浮いている感じが……。そういう点でブランコは田中陽造の趣味に合っているのでしょう。セーラー服と機関銃(監督:相米慎二)にもブランコは出てきますね。それから、これはシナリオを読んでいないし、映画も見ていないのですが、『「妻たちの午後」より 官能の檻』(監督:西村昭五郎)にもブランコは出てくるらしい。

 話がまたしても脱線したので、元に戻します。島子のしゃべり方でもう一つ気になることがあります。「あんた殺されるかも知れないよ」というセリフ。あるいはラブホテルでボクとセックスするときの「これが最後かも知れないもん。これっきりあんたとやれないかも知れないもん」というセリフ。あんた、あんた、とボクに呼びかけているわけですが、どうして「あんた」なのか。「あたしたち」と言ってくれれば、ボクも島子との絆を再確認できて、今よりもうちょっとだけ勇気がわいたかもしれない。と言っても、社長を前にすれば、ビビるでしょうが。

 しかし、島子は「あたしたち」と言わないのではなくて、言うことができないのだとは考えられないか。島子には、「あんた」と呼びかけるボクは存在しても、「あたし」は存在していないのだとしたら……? 島子は歯痛を止めるために鎮痛剤を大量にのんでいますね。それから、どうやら睡眠薬も普段からかなりのんでいるらしい。それでラリっているうち、自分がここにいるという実感が薄れてしまっているとは言えないでしょうか。ボクと島子が社長のもとに行くシーン5は長いシーンですが、その大半は社長と社長の子分・松夫とボクのちょっと滑稽なやりとりです。島子はボクの横にいるはずなのに、ずうっと黙っている。彼女がやっと口を開くのは、シーンの終わり近くになってからです。


(5 テケツ売場の中)

 島子、ぐらっとボクに倒れかかる。

島子「だから私なんかに手え出すのやめなって言ったのに」

 ロレツが怪しい。

社長「そこじゃねえ」

 社長、急に大声を出す。

社長「松、何年俺の体揉んでんだ」

松夫「すんません」

社長「もっと下!」

松夫「すんません」

 と必死に揉むのを社長、いきなり張り飛ばす。松夫、ぶっとんで、ボクと重ね餅になる。

松夫「すんません!」

ボク「すいません」

 ボク、完全にビビり上っている。社長はボクのことを怒っていて、義理ある島子がいるので手が出せないのだ。

社長「バカヤローッ」

 社長、島子の襟元掴んで、揺さぶる。

社長「くすりなんか飲みやがって。俺への嫌がらせかよ。オイ、言ってみろ!」

 島子、ガクガク揺れながら、ふっと笑う。


 社長はボクと島子を脅かすために子分の松夫をわざと張り飛ばしている。同じように島子も社長が愛想をつかすようにと、わざとラリった演技をしているのかもしれない。しかし、どこまでが演技なのかが分からない恐さがあります。ひょっとしたら、島子は自分が今、ストリップ小屋の事務室にいるという実感が本当にないのではないか。自分のことを半ば幽霊のように思っているのではないか。

 思わず、「幽霊」と言ってしまいましたが、これは田中陽造が書くドラマを読んでいくうえで重要なキーワードでしょう。ここにいながら、ここにいないかのような存在になってしまうこと――田中陽造が描くドラマを読んでいて、妙に気になるのはそういう幽霊的な存在を目指している登場人物です。いや、目指していると言ってしまうと、欲望を否認する国貞や執着心を恥じる村井にはあてはまっても、ラリって自分の存在感を喪失しつつある島子はちょっと違うような気がする。幽霊になってしまう病にかかっている――そう言った方がよいかもしれません。

 さて、『おんなの細道 濡れた海峡』ですが、このあと、社長は松夫たち子分にボクを外に連れて行けと命令します。松夫たちは木刀をぶらぶらさせながらボクをどこかに案内するのだけれど、ボクは殺されると思って途中で逃げる。このとき、ボクは社長や子分たちが恐くて逃げたのですが、と同時に(こう言うとちょっと言い過ぎかもしれないけれど)島子が恐くて逃げたという面もあるのではないでしょうか。

 夫が亡くなった妻をあの世から連れ戻そうとする神話がありますね。オルフェウスもそうだし、イザナギもそうです。イザナギは亡き妻イザナミを迎えに黄泉国まで行く。しかし、たくさんのウジ虫がたかるイザナミの姿を見て、驚いて逃げ出してしまう。ラリった島子を見捨てて逃げ出すボクには、イザナギのようなところがあります。だとしたら、バスに飛び乗ったあとのボクの旅もイザナギの逃走に似ているのか? 逃げ出したイザナギはイザナミに追いかけられることになるのですが……。

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