プロジェクトINAZUMA BLOG

2006-12-01

[][]回り道をして家に帰る―大工原正樹『六本木隷嬢クラブ』について―(井川耕一郎)

 明日、夫が出張から戻ってきたら、手作りケーキで結婚一周年を祝うことにしよう。そう考えた若妻(若菜忍)はケーキの材料を買いに出かけるのだが、その帰り道、意識を失いかけている女性(立花粧子)を見かける。若妻は自分のバッグを枕にして彼女をベンチに寝かせると、近くの公衆電話まで走り、救急車を呼ぼうとする。だが、その間に一台の車がやって来て、男(徳井優)が女性を連れ去ってしまう。

 女性と一緒に持ち去られたバッグ(それは夫からのプレゼントでもある)を取り返すために、若菜忍は徳井優たちを追い、24時間の奇妙な冒険をするというのが、大工原正樹の監督デビュー作の大まかなあらすじである。配給会社のエクセスがこの作品につけたタイトルは『六本木隷嬢クラブ』。しかし、六本木が舞台となっているわけでもないし、SMクラブが出てくるわけでもない。

 徳井優によって連れ去られた立花粧子は、睡眠薬を飲んでふらふらになっていたのだった。彼女は睡眠薬で深い眠りに落ちた体を男たちに提供するという秘密クラブに所属していたのである。まちがいなく、このクラブは川端康成の『眠れる美女』をヒントにして考えだされたものだろう。ただし、『眠れる美女』とはちがって、客の男たちは老いて不能というわけではないので、眠っている女とセックスするのだが。

 一体、深い眠りに落ちた女性を犯したいという欲望は何を求めているのだろうか。セックスの途中で女性が目を覚ますかもしれないというスリルを味わいたいからなのだろうか。それとも、女性は客の顔を知らないが、客は女性の顔を知っているという点に快感を感じているのだろうか。

 だが、映画を見るかぎり、男たちはそういう快楽を求めているようには思えない。眠りながら犯される女性たちは、時折、あえぎ声を漏らす。アフレコで入っているそのあえぎ声には、肉体が思わず反応してしまったというより、夢の中でセックスをしてあえいでいるとでもいうような不思議な感触がある。ということは、客の男たちは、今、自分は女の夢の中に侵入して彼女を犯しているのだ、と想像して快楽を得ているのだろうか。


 それにしても、夢という観点から見ると、若菜忍が体験する出来事そのものがまるで夢のようだ。人気のない住宅街で、徳井優を見つけた彼女は駆け寄ろうとして転ぶ。そして、スーパーの紙袋から飛び出した果物や缶詰と一緒に、長い長い坂道を転がっていくのだが、そのとき、彼女は自分の意思ではどうすることもできないらしく、何度か「止めてえ!」と叫ぶ。どうやら彼女の体はふいに硬直して物と化してしまったようなのだ。

 そしてさらに夢のようなドラマ展開は続く。徳井優は若菜忍にバッグの返却を約束するものの、今すぐには無理だと告げる。その結果、若菜忍は奇妙な回り道を強いられる。彼女はケーキの材料を買い直したあと、喫茶店に連れていかれる。そこはケーキがおいしい店だというのだが、紅茶を飲みながらケーキを待っていると、奥から徳井優と恋人の叶順子がセックスしているらしい声が漏れ聞こえてくる。

 それでも若菜忍はイスに座って待ち続ける。すると、叶順子が奥から出てきて、徳井優はバッグを取りに裏口から出ていった、と告げる。しばらくして徳井優が戻ってくると、今度は映画館に連れて行かれる。立花粧子がバッグを持って映画を見に来ているはずだという。だが、そこで若菜忍と徳井優覚醒剤の売人と間違われ、張り込み中の刑事たちに追いかけられる。二人は路上に停まっている車に乗って逃走するが、何とその車は覆面パトカーであった……。

 秘密クラブのマネージャーである徳井優が若菜忍に、バッグを今すぐ返すことはできない、と言ったのには理由があった。秘密クラブがひそかに使っている一軒の空き家。そこで立花粧子が客の相手をしていたため、徳井優はすぐにはバッグを取りに行けなかったのだ。しかし、映画館で覚醒剤の売人に間違われ、覆面パトカーで逃走してしまうというドラマ展開は、彼が仕組んだものではない。この夢のようにでたらめな展開を呼び寄せたのは、おそらく若菜忍の無意識の欲望のはずだ。というのも、若菜忍にとって、徳井優は以前から知っていた人物だったのだから。

 徳井優演じる男の名前がハギオ・リョウだと知って、若菜忍ははっとする。その名はコミケットでは有名な名前、十代の頃の若菜忍が真剣に憧れていたマンガ家の名であった。彼女は、筆を折ったハギオ・リョウにもう一度マンガを描いてほしいと励ましの手紙を何度も送ったことがあるという。ということは、つまり、覆面パトカーに乗ってラブホテルに逃げこむという展開は、若菜忍の無意識が徳井優と二人きりになるのを望んだ結果だと言うことができるのではないか。


 とはいえ、二人はそう簡単には体を重ねることはできず、次のような回り道をたどることになる。

(1)ラブホテルで、若菜忍にマンガを捨てた理由をしつこく尋ねられた徳井優は、彼女に睡眠薬をのませて眠ったところを犯そうとするが、結局できない。

(2)翌朝、二人は和解し、ラブホテルを出て公園で遊ぶ。その後、若菜忍のバッグが秘密クラブが使っている空き家に戻っていることが分かり、二人は家の前で別れる。別れ際、徳井優は、まるで高校生が卒業式のときに言いそうなことだけど、と照れながら、若菜忍に、服のボタンを一つくれないか、と頼む。

(3)若菜忍は空き家に入ってバッグを取り戻す。するとそのとき、秘密クラブの客から「紅茶を飲んで待っているように」との電話がかかってくる。事情がよく分からないにもかかわらず、彼女は睡眠薬入りの紅茶を飲み、眠ってしまう。

(4)徳井優が恋人のいる喫茶店に戻ると、秘密クラブの客から「いい子を提供してくれてありがとう」という電話がかかってくる。あわてて空き家に行くが、若菜忍は客たちに犯されたあとだった。徳井優は眠っている若菜忍に服を着せると、客を殴る。

(5)若菜忍が目を覚ますと、隣には眠る徳井優がいる。若菜忍はキスしようとするが、そのとき、徳井優が目を覚ます。間近にいる若菜忍を徳井優は引き寄せ、二人は体を重ねる。

(6)夕暮の川べりを若菜忍を背負って歩く徳井優。若菜忍が目を覚ますと、彼はマンガをもう一度描くことを約束する。そして若菜忍は家に戻り、夫のためにケーキをつくる。

 若菜忍は(3)で十代の頃に戻ってから、(5)で秘密クラブの客のように徳井優の夢の中に侵入しようとする。たぶん、若菜忍が人妻であるために、こうした回り道が必要になったのだと思うが、それにしても、一体、なぜ彼女は今頃、十代の頃のことを思い出さなくてはいけなかったのだろうか。このことを考えるには、映画の冒頭に戻る必要がある。

 映画の冒頭、若菜忍はソファーで居眠りをしている夫を起こして尋ねる。「あなた、結婚前にソープに通っていたことがあったの? 少年ぽいところが素敵な人だなと思っていたのに」。すると、夫は隣の部屋からバッグを持ってきて妻に渡す。「はい、プレゼント。ショーウィンドウに飾ってあったこれ、じっと見ていただろ」。それじゃ、風呂にでも入るかな、と言う夫を見送ったあと、若菜忍はくすっと笑って言う。「バカ。本当に欲しかったのは、これの隣にあったバッグなのに」。

 ここで描かれているのは、「夫に対する失望や不満」と名付けるのもためらわれるような些細なズレだ。だが、『六本木隷嬢クラブ』という映画は、そういう夫婦間のちょっとしたズレの積み重ねが若菜忍を一時的に迷わせ、過去への奇妙な旅に向かわせたと言っているように見える。いや、ひょっとしたら、真相はちょっと違うものかもしれない。若菜忍が夫との間にズレを感じてしまうのは、ケリがついていない過去が彼女に中にあったからだ。そこで、彼女は夫に対する愛を取り戻すために、徳井優に会い、一度だけ彼と寝て、過去にさよならを言わなければならなかった……。

 目的が結婚生活の維持にあるとしても、これは何とも奇妙で面倒くさい回り道である。しかし、考えてみれば、それまで他人だった男と女が同じ屋根の下で暮らすという事態ほど、本質的に異様なものはないだろう。そして、そうした事態が平穏無事に続くことほど、奇跡的なことはないはずなのだ。


 大工原正樹は『六本木隷嬢クラブ』を撮ったあと、主にオリジナルビデオの世界で仕事をするようになる。一見、その仕事ぶりは製作会社から渡されたシナリオを撮るという職人的なもののように見えるが、本当にそう断言してしまっていいのだろうか。彼のフィルモグラフィーをあらためて見渡してみると、そこに『六本木隷嬢クラブ』を出発点とする一つの傾向があることに気づき、驚く。『未亡人誘惑下宿』の未亡人(岩崎静子)と学生たち、『のぞき屋稼業 恥辱の盗撮』の盲目の姪(城野みさ)と連続殺人鬼の叔父、『風俗の穴場』のファッションヘルス嬢(石川萌)と彼女を慕う人々――大工原正樹はくりかえし同じ屋根の下に人々が集まって暮らすことをテーマにして作品をつくっている。そして、そうした共同生活が危ういバランスの上に成り立っていることを描こうとしているようなのだ(『赤猫』もこの傾向の中の一本ということになるだろう)。

 もう一つ、『六本木隷嬢クラブ』を見ていて、はっとさせられることがある。主演女優である若菜忍の顔だ。おっとりしていると言ったらいいのか、見る者を眠りに誘いこむようなやわらかな表情を若菜忍は見せる。この独特な表情は、その後、岩崎静子、城野みさ、石川萌らに受け継がれていく。製作会社が指名した女優で撮っているにもかかわらず、大工原作品に見られるこの一貫性は何なのか。ヒロインたちは、共同生活のもろさに気づきながらも、危機をさりげなく回避しようとする。どうやら、そのときに、女優たちは大工原作品に固有の表情を自然と身につけてしまうようなのだ。

 『六本木隷嬢クラブ』には、映画作家・大工原正樹の刻印がたしかに押されている。彼の作品に接して興味をもったひとには、ぜひ見てもらいたい作品である。だが、フィルムはジャンクされて、現在残っているのは大工原自身が所有しているVHSテープだけだ(それもあまり状態はよくない)。これはあまりに残念なことである……。

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