プロジェクトINAZUMA BLOG

2007-05-31

[][]西山洋市への手紙

西山さんへ


6月2日から15日まで、シネマアートン下北沢で、プロジェクトINAZUMA作品集として四本の作品がレイトショー公開されるわけですが、

ちょうどいい機会なので、ここらで西山さんに映画の演出についてどう考えているかを訊いてみたいと思います。

それで、話のとっかかりとして、西山さんが映画美学校研究科の募集要項に書いた文章をまずは引用しておきましょう。


アクション演出ゼミ(担当講師:西山洋市

「このゼミで模索するのは映画的な芝居の演出である」


「カメラ=万年筆」という映画理論があるが、カメラは本当に万年筆だったのだろうか? むしろ、カメラを向けた先にある出来事(アクション)としての芝居こそが万年筆にあたるのではないか? つまり、芝居によって立ち上げられる出来事(アクション)こそが映画の言葉として思想を表現しているのではないか? カメラも、そして編集も、芝居に従って自動的に、あるいは自然に、決定される。もちろん、カメラワーク自体が、あるいは編集の操作自体が、出来事(アクション)であるような場合もあるのだが、それらは芝居によって出来事(アクション)を十分に作り上げた上でのおまけである(だが、おまけは世界を豊かにする)。まずは思想としての出来事(アクション)を立ち上げる豊かな芝居のアイデアを練らなければならない(独創的なカメラワークはそこから引っぱり出されてくる)。「芝居=万年筆」であり、それによって書かれるのは豊かな思想としての出来事(アクション)である。

 このゼミで模索するのはジャンルとしての「アクション映画」のアクションではなく(もちろん、それも含めてということだが)、上記のような考え方にもとづく映画的な芝居の演出である。具体的な内容としては、古今の映画の演出を分析する講義、芝居の演出の可能性を具体的に探るワークショップ、そして参加者各自の実作である。


最初にこれを読んだとき、ぼくは、へええ、西山さんはそんなふうに演出について考えるようになったのか!と驚いたわけです。

ぼくの単なる思いこみだったのかもしれないけれど、

西山さんの場合、カット割りやカメラワークを考えることが、芝居を演出することと無理なく自然に結びついているような感じがしたのですね。

ところが、募集要項には、まずは芝居の演出なのだ、と書いてある。そして、カメラワークなどは芝居によって決定されるのだ、と。

西山さんがそんなふうに考えるようになった経緯を知りたいわけですが。


ちなみに、ぼくの場合は、と言うと――、

西山さんもぼくも大学のときに早大シネマ研究会に所属していたわけですが、そこでは、映画を撮るときに絵コンテを描いてくるひとが主流だったように記憶しています。

ノートに四角い枠をいくつも書いて、その枠内に撮りたいカットの絵を一つ一つ描いてくるわけですね。で、その絵コンテ通りに撮影していく。

ところが、ぼくにはその絵コンテが描けなかった。カット割りをどういう根拠でやったらいいのかがまるで分からなかった(そして、今もよく分かっていないのですが)。

そういうときに、『月刊シナリオ』1980年4月号に載っていた宇田川幸洋の「神代シネマフィールドノオト」というレポートを読んで(これは今読み返してみても、実にいい現場レポートです)、あ、そういうやり方があるのか!と思ったわけです。

「神代シネマフィールドノオト」の前半はインタビューになっていて、その中で神代辰巳は宇田川幸洋の質問にこんなふうに答えている。


――むかしの『かぶりつき人生』なんかだと、ふつうの撮り方っていうか、その頃のスタンダードな撮り方に近いですよね。だんだん撮っていくうちに神代さん独特の撮り方が出てきたと思うんですけど……?

「よくわかんないんだけど、最初にコンテがあって、カット割りがあって、それから芝居をつくるという人もいるみたいですけど、ぼくの場合はやっぱし、芝居をつくってからカット割りをするということですね」

――シナリオを書くときは、カット割りなんてあたまになくて……?

「カット割りは、撮影にはいってからも、あんまりあたまにないですねえ……ぜんぜんないとは言えないんですけどね。もう一つは、なるたけ客観的な感じにならないように、ということかな。カメラを役者につけるということですね。役者といっしょになって動くということ、そういうのが(他の監督と)すこしちがうかもわかりませんね」


そうして、「神代シネマフィールドノオト」の後半にはリハーサルのレポートが書かれている。

宇田川幸洋が見学した日はリハーサル一週間目――70分程度の映画にしては、ずいぶんと時間をかけてやっているものです。

しかも、そのリハーサルの様子がその頃のぼくにはちょっと意外に思えたのですね。


 シーン20の松林の中。シナリオではサキが「砂の上に座って」だが、寝ころがらせることにした(もしかすると、砂に穴を掘ってその中に入ることになるかもしれない、とあとで神代氏は言っていた)。ゆっくりところがってくるサキ。

 ここで5時になって(にっかつ芸術学院の)教室がつかえなくなったため、録音スタジオに場所を移した。

 ころがってくるサキのところに外男が歩いてくる。サキ体を起こし、外男はそのまえに正座する。

 ここで面白かったのは、『十だって、五十だって、出来るときはできるわよ!』と「そこだけは張ってみろ」と怒鳴らせ、それにつづく『毎月お客様があれば……』を「極端に落とせ。『ま・い・つ・き』ってくらいに思いきって引っぱれ。そこで段差をつけろ」と指示。また別のところで、神代氏は「感情があんまりつながると面白くないな。そこが終わったら別の感情にしろ」と言った。一本調子のやりとりだけはどうしても避けようとしている。『ま・い・つ・き』と機械的なぎこちない発音をやらせたのも、外力によるチェンジ・オブ・ペース導入法だろうか。

 サキが外男の頬をひっぱたき(無双氏は何度もほんとにひっぱたかれた)去って行くところの去り方は、第1案=大股に歩く。第2案=ひざで歩く。第3案=ウサギ跳び。と変わり、ウサギ跳びの回数も何遍か試した結果、2回跳ぶのに合わせて、ウッ、ウッと泣いて、あとは立って泣きやんで歩くということになった。

 サキが『あんた、最初からあたしのことなんて好きじゃなかったのよ!』というところで、彼女は外男の頬をピシャピシャ叩き、それが徐々に強くなっていき、最後にピシャーンと強烈なのを1発、というふうになっていたのだが、やっていくうちに、それとは正反対に、だんだん弱く、最後は指1本で触れるだけ、というようになった。


当時のぼくは、神代辰巳の映画のあのぐにゃぐにゃした独特な芝居は最初から監督の頭の中で出来あがっているものなのだろう、と思っていた。

要するに、役者は神代辰巳の頭の中のイメージを忠実に再現しているのだろう、と。

ところが、宇田川幸洋のレポートを読むと、どうもちがうわけです。

頭の中にどういう芝居をしてもらいたいかというプランはあるのでしょうが、そのプランは実際に演じる役者の姿を見て、たえず修正・更新されているようなのですね。

神代辰巳は役者の意識とではなく、役者の身体と対話しながら、芝居を練っていると言った方がいいでしょうか。

そうか、こんなふうにリハーサルをしてから撮るという方法もあるのか、と思って、ぼくは宇田川幸洋のレポートを参考にして自主映画を撮るようになったわけですが。


何だかよけいな回り道をしてしまいましたが、ぼくが西山さんに尋ねたいことは次のようなことです。


(1)芝居の演出を重視する考えに変わったきっかけは何か?

前に西山さんはプロの役者と仕事をするようになってから感じてきた違和感のことを話していましたね。

プロの役者はきちんと演技をしてくれるのだけれど、自分が求めているものと何かがちょっとちがう。一体、何がどうちがうんだろう、と。

そういった体験が今の考えにつながっていくのだろうと思うのですが、そのあたりのことをもうちょっと詳しく聞いてみたい。


(2)「ワンカット・ワンシーン」という考え方と、芝居の演出重視の考え方はつながっているのか?

前に西山さんは半ば冗談のように聞こえる言い方だったけれども、「ワンシーン・ワンカットではなくて、ワンカット・ワンシーンなのだ」というようなことを言ってましたね*1。その考えと、芝居の演出重視の考え方はどんなふうにつながっているのでしょうか?

ワンシーン・ワンカット」で一番問題になるのは何なのか。一見すると、芝居が展開する空間の切り取り方、つまり、カメラワークが最大の問題となるように見えます。

けれども、実は緊張感がとぎれることなく芝居を持続させることの方がはるかに重要な問題であるように思えるのですが。

西山さんが言っていた「ワンカット・ワンシーン」は、そういう芝居の持続に注目した考えのように思えるのですが、どうなのでしょう?


(3)なぜ映画美学校で芝居の演出を重視する授業を行おうと思ったのか?

「芝居の演出が先で、カット割りやカメラワークはその後だ」という考えにはどこか極端なところがありますね。時々、西山さんが名前をあげていた山中貞雄などはそんなふうには考えていなかったでしょう。

曲がった棒をまっすぐにするには逆方向に曲げなければいけないと言ったのは、レーニンだったか誰だったか――講師としての西山さんの姿勢にはそれに近いものをちょっと感じます。

一体、なぜ芝居の演出重視という考えを西山さんは授業の中で強く打ち出すようになったのか。そのきっかけは何だったのかを知りたいのですが。


井川