プロジェクトINAZUMA BLOG

2007-06-11

[][]大工原正樹の返信1(大工原正樹)

『風俗の穴場』や『未亡人誘惑下宿』を撮ったのはもう10年も前ですから、必ずしも今現在演出について考えていることに沿った話にはならないかもしれませんが、なるべく正直に、思い出したまま書いてみます*1


(1)『風俗の穴場』の石川萌にはどのような演出をしたのか?

 当時僕は(今もですが)芝居の演出に関してはあまり成す術を持っていませんでした。これは一番身近にいた鎮西尚一の影響が大きかったと思うのですが、どちらかというと画面をどうするかを考えることが映画なのだと思っていたのですね。ただ、ここが単純には分けられないところで、画面で何をするか、のほとんどは役者の動きと連動してくる。鎮西さんというのは人を動かしながらカメラを動かすセンスが抜群で、それだけで多くのことが納得できてしまうような快楽を画面から作り出せる人なのですが、同じことは到底僕には出来ない。だから当時、この映画に限らず僕がやっていた演出らしきものとは、映画の演出者なら誰もがあたりまえにすることです。つまり、役者を配置して動かす、ということですね。この『風俗の穴場』では、人が出てくるカットは基本的に固定画面で撮ると決めていたので、それぞれのシーンの登場人物をなるべく照明に時間が掛からないように配置して(アングルを限定しカメラポジションを多くしないということ)その上でいかにカット数を減らすか、ということに腐心していました。これは、6日間で80分弱の映画を撮るために必要なことでもあるのですが、その枷の中でいかに人物を動かすかを考えるのは、パズルを組んでいくようで楽しくもありました。

 さて、肝心の石川萌にどんな演出をしたか、という問いについてなのですが、こんな調子で撮っていた映画なので、彼女から芝居で何かを引き出すといったことは全くしていません。本筋とは関係ないところで芝居を足してばかりいましたね。その時考えていたことは、彼女は姿勢が良く仕草に品があるので、日本家屋で一人で暮らしている女の子の生活が出せそうだということです。その家の主人である石川萌を家に馴染ませるための細部を作るのが僕の仕事だったと思うのですが、主役のキャラクターによっては想像力がまったく働かないこともあります。これは、趣味とか好みの問題にもなってくるので説明が難しいのですが、とにかく石川萌の姿勢、立ち居振る舞いが日本家屋を見つけたときから考えていたことと上手く噛み合ったのですね。

初日から気をつけて見ていたことは、上品過ぎないように、かといって下品にはならないよう彼女にできるのか、ということだったような気がします。

 それで思いついたのは、なるべく家の中を歩かせようということです。たとえば、夜、家に帰って来た彼女が靴を脱ぐ時、後ろ向きで器用に靴を揃えたまま脱ぐ。その姿を庭に面した廊下の奥から横で捉えて、彼女はバッグに鍵を戻しながらそのまま手前に歩いてくる、下手(しもて)の茶の間に入って扇風機のスイッチを足先で押した後に横座りしてセリフを言う。それが上手くできたらOK、だめだったらほかの手を考える、といった感じです。他のシーンでは、布団を居間に運ぶ姿を見せるのに、茶の間の奥にカメラを置いて横切らせる。続いて、居間(劇中は接客用の部屋)でシーツのシワを直し、ローションやタオルの数を数えてからテーブルに置いたあったプレートを手に取り、玄関に出て部屋の入り口にそれを掛ける。また、深夜、座敷でみちる(吉岡ちひろ)と枕を並べて寝ているシーンでは、1人起き上がり薄暗がりの中でぼんやりする。その後立ち上がり、隣の茶の間に入ってきて文机に座りランプを点けてあくびをする、等々、他にもありますが、石川萌だからやってみようと試みた演出というのはことごとくそういった繋ぎの細部です。ことさら書くまでもない、画を見れば分かることであるし、監督だったら誰もが普通にやっていることばかりなのですが、正直なところそうだったのです。

 やはり、『風俗の穴場』の石川萌が良いのは彼女自身に魅力があるからだと思います。作り手だったら誰もが口にすることであるし、僕自身も実感していることですが、芝居の演出はキャスティングで8割くらいが決まってしまう。残りの2割で西山さん言うところの「演出家の思想」に基づく「あがき」が行われるのかもしれませんね。

[][]大工原正樹の返信2(大工原正樹)

(2)『未亡人誘惑下宿』の岩崎静子にはどのような演出をしたのか?

(4)キャスティングについてどう考えているか?


なんとも漠然とした話なのですが、岩崎静子の警戒心を解くことが大事だと思っていたような記憶があります。彼女は芝居をするのも初めてなら監督という人種と接するのも初めてだったらしく、最初に喫茶店で会ったときから警戒しているのがわかりました。ただ、自作解説ではああ書いていますが、彼女に対して嫌な印象は全く無かったのですね。たしかに派手だったし、こちらが何を言っても決して身を乗り出さず、背もたれにもたれかかったまま距離をとって、笑みを浮かべじっと人のことを見てるので、これは観察されてるな、ということに薄々気づくわけです。そういう反応はあまり見たことが無かったので、あれ?という感じとともに、彼女に対する興味が湧いてきたのはたしかです。しかし、彼女の警戒心に気づいたからといって、どうしたらいいのかまでは分かりません。そのうち衣装合わせやリハーサル(唯一このときだけはやったのです)の過程で下宿生役の役者たち(斉藤陽一郎、コンタキンテ、北山雅康、元気安、武田有造)と彼女が打ち解けて楽しそうにしている光景を何度も見るようになり、次第に彼女もリラックスしていくのがわかりました。設定が白雪姫と小人達のようなものでしたから、岩崎静子を中心にキャストを決めていったのですが、相性のいい人たちが集まったという幸運があったのかもしれません。おそらく「撮影」や「監督」がどういうものかという話も彼らから聞かされたのでしょう、撮影が始まった頃には僕に対する警戒心も薄らいでいる気がしました。ということは、彼女が元々持っている地のよさを演出したのは共演者たちということになりますね。

 『未亡人誘惑下宿』での岩崎静子がとても良かったので、次の作品『のぞき屋稼業 夢犯遊戯』にも出てもらったのですが、このときは『未亡人――』の時にはお互いにあった緊張感が無かったような気がします。彼女が1本目との違いに戸惑っているのは分かったのですが、2本撮りで非常に忙しい撮影だったこともあり、馴れ合いというのでしょうか、どうしても「わかってるよね」といった態度になってしまい、あまりきちんと対話ができなかったのですね。彼女の役のキャラクターを僕が作りすぎてしまったという反省もあります。そんなに器用な人ではないのにそれを要求してしまっていたのです。

 だから、『痴漢白書8』の時は、馴れ合いにだけはならないよう気をつけました。それから『未亡人―』の時、彼女は怒ると大変魅力的であると気づいたので、シナリオを直す過程でも意識しました。諏訪太郎さん演じる痴漢が、これでもかと彼女を怒らせるような行為に走るのですが、最後に彼女が怒るときに一番色っぽく見えるといいな、と。


(3)『赤猫』の衣装合わせを終えたあと、役者をじっと見ていたのはなぜか?

これは井川さんの推測どおり、森田さんと李さんが夫婦に見えるかどうかをぼんやり見ていただけです。といっても、どう演出するかという戦略を立てながら見ていたなどということはなく、ただ本当にぼんやり見ていたと思うのですが。

『赤猫』は主人公の千里が妊娠する前の夫婦の描写はありません。つまり普段の生活は描かれないということですよね。となると重要なのは、森田さんと李さんがひとつの空間にいるだけで夫婦に見えないと困るということです。キャスティングではそのことに気をつけていたつもりでしたが、あの衣装合わせの日まで2人が一緒になることはなかったと思うのです。で、つい不躾にじっと見てしまっていたのかもしれません。


(この原稿は「大工原正樹への手紙」(井川耕一郎)(6月4日)に対する返信です)

*1:この原稿は「大工原正樹への手紙」(井川耕一郎)(6月4日)に対する返信です。