映画美学校映画祭2007

今年も映画美学校映画祭が開かれるそうです。

■「映画美学校映画祭2007」開催

映画美学校修了生の自主制作作品から
講師と受講生とのコラボレーション作品、スカラシップ作品まで全31作品を一挙上映いたします。


日程:2007年9月1日(土)2日(日)8日(土)9日(日)
会場:映画美学校
 〒104-0031 東京都中央区京橋3-1-2 片倉ビル1階
 (JR東京駅八重洲下車南口 徒歩5分/東京メトロ銀座線 京橋駅下車3番出口前)
参加:前売:500円 当日:600円
詳しい情報はこちらをどうぞ。


というわけで、いくつか作品紹介を。

杉田協士『河の恋人』と小出豊『お城が見える』について(井川耕一郎)

以下の文章は『映画芸術』2007年冬号(第418号)からの再録です。
なお、小出豊の『お城が見える』は、高橋洋『狂気の海』のカップリング作品として、7月8日(火)21時からユーロスペースで上映されます。
 『狂気の海』公式サイト:
http://www.kyoukinoumi.com/


小出豊『お城が見える』)


「2006年日本映画ベストテン&ワーストテン選評」(井川耕一郎)


杉田協士『河の恋人』(10点)
小出豊『お城が見える』(10点)


 昨年見た新作で、これはもっと多くのひとに見てもらいたいと思ったものに、古謝甲奈『われはうたえどもやぶれかぶれ』、西山洋市『死なば諸共』、七里圭『ホッテントットエプロン・スケッチ』、万田邦敏『接吻』などがある(『接吻』は今年公開予定)。しかし、字数も限られていることだし、ここでは二本の映画にしぼって書くことにする。
 まずは杉田協士の『河の恋人』について。とにかく出演している少女たちが皆、素晴らしい。TVドラマや商業映画では決して見ることができない顔つきだし、しゃべり方なのだ。流行や風俗にきっぱりと背を向けて、少女を普遍の相でとらえようとしていると言ったらいいのだろうか。少女たちの中にはタレント志望の子は一人もいないという。だからだろうか、可愛く映ろうなどとこれっぽっちも考えていない潔さが気持ちいいのである。
 母親の仕事の関係で住みなれた町を離れることになった少女の最後の一日を描いた映画である。少女と母にはつらい過去があった。十年前に突然、父親が行方不明になってしまったのだ。理由はいまだに分からない。町のあちこちに尋ね人の紙が貼られたが、今ではもうぼろぼろになって字も読めない。だが、引っ越し当日になっても、母はひょっとしたら夫が帰ってくるかもしれないと、窓の外につい目を向けてしまうのである。
 忘れられないシーンがある。畑の中の一本道で、少女と友達が話す場面だ。友達は立ち止まると、先を行く少女に唐突に話しかける。わたしはあなたとずっと一緒にいたのに、今まで見て見ぬふりをしてきた。今日だって、あなたが尋ね人の貼り紙から目をそらすのを見ていたのに、気づかないふりをしてしまった……。すると、少女は友達に向かって話しだすのである。本当はお父さんがいなくなってから、一度だけ姿を見かけたことがあるの。お父さん、川でいつものように釣りをしていた。でも、子どもだったわたしは何だか恐くて声がかけられなかった……。
 少女が友達に語った思い出はおそらく夢か幻覚だろう。しかし、少女は釣りをする父の姿を見たときに、父の死を感じ取ったのだ。だが、そのことを母に告げてしまうと、母は希望を失ってしまうだろう。だから、少女は十年間、沈黙を守ってきたのである。
 すぐそばにいるというのに、大切なひとを救うことができない痛み――畑の中の一本道での少女と友達の会話シーンはそういう痛みを見事に表現していたと思う。二人の少女の芝居を緊張感がとぎれることなく1カットで撮りきった松本岳大のカメラも素晴らしい。
 小出豊の『お城が見える』について。男は妻を虐待し、妻は子どもを虐待した。その結果、子どもは死亡。男は我が子の遺体を解体し、海に投げ捨てた――といった事件の概要が手短に語られたあと、男がDV加害者に対する暴力防止プログラムを受ける様子が描かれる。男は警官に連れられて大きな部屋に入る。すると、天井のスピーカーから医師が呼びかける。あなたが奥さんに暴力をふるうようになった経緯を再現して下さい、と。
 男に対するプログラムの要求は事実の正確な再現であった。医師は男の些細な台詞についても、実際と同じように感情をこめて言うようにと命令する。また、男が「ちょっと休ませて下さい」と言うと、妻役の女性が「現実には休んだりせずに、奥さんを追いつめていったんでしょ!」とひどくいらだった口調で男に演じることを迫ってくる。
 命令に従うしかないと諦めた男は、妻に見立てたマネキン人形を突き飛ばして、壁に叩きつけると、TVからAVケーブルを引き抜き、それで何度も鞭打つ。その横に立って悲鳴をあげる妻役の女性。医師が、このあと、どうしたか、と尋ねると、男は、妻にドアのところまで来るように言って、それからドアにはさんで痛めつけた、と答える。そして、その通りのことが再現される。男の手招きで、マネキンをかついでドアまでやって来る警官(このときのマネキンの頭部をとらえたカットが、まるでひとの手を借りずに歩いて移動しているように見えて恐い)。男がくりかえしマネキンにドアを叩きつけると、その音は施設内に大きく響きわたる……。
 人形を相手にDVを再現しているだけなのに、生理的な痛みが伝わってくる映画である。それにしても、「再現を続けましょう」という医師の冷静な声を何度も聞いているうち、プログラムの本当の目的は何なのかという疑問がわきおこってくる。ひょっとしたら、このプログラムは暴力の再現に快楽を見出しているのではないか、と。いや、これは観客である私たちの問題なのかもしれない。『お城が見える』は、私たちの中にひそむ暴力を楽しみたいという欲望をはっきり意識させる映画だ。たった十分の短編ではあるが、密度の濃い危険な作品である。