プロジェクトINAZUMA BLOG

2008-11-20

[]渡辺護の映画論「主観カット/客観カット」(3)

(このインタビューは、2004年に公開された渡辺護監督作品『片目だけの恋』の宣伝サイトに掲載されたものです)


1.「アップ―フルショット」じゃなくて、「主観―客観」

――渡辺さん、今までの話を整理して、ちょっと質問していいですか?

渡辺護「ああ、どうぞ」

――渡辺さんの言う「主観カット・客観カット」というのは、つまり、こういうことですか? 主観カットとは、観客に登場人物への感情移入をうながすようなカットであると。それに対して、客観カットは、観客に「物語の中の世界をどう見るか」という問いを考えるようにうながすカットであると。

渡辺「まあ、そういうことかな」

――で、一言で客観カットと言っても、実際には客観性に高低があるように感じました。つまり、客観性の低い客観カットは、監督が「ご自由に解釈して下さい」と言っているように見えるカットで、客観性の高い客観カットは、そのカットを撮った監督の世界認識を強く意識させるようなカットである、と。

渡辺「うーん、おれは感覚的に思ったことをしゃべってるだけでね……」

――渡辺さんは、小津や溝口の映画では主観と客観が同時進行しているとおっしゃってましたね。ということは、主観カットと客観カットの2種類のカットがあるのではなくて、どのカットにも主観的な面と客観的な面の二つの側面があると理解していいですか?

渡辺「そうですねえ。そう言ってもいいかな」

――だとしたら、渡辺さんの今までの話はグラフに描くことができますね。

渡辺「???」

――X軸を主観性、Y軸を客観性としてグラフを描くと、X軸寄りの領域が主観カット、Y軸寄りの領域が客観カットとなる。で、原点の0から45度の角度で右上へと伸びていく直線の先に、小津や溝口のような主観・客観同時進行のカットがあって、それで、渡辺さんの映画の撮り方はというと……

渡辺「おいおい、難しい数学の話は分からねえよ(笑)。そういう話は(小田切)理紗にしてくれ。あの娘は高校のときに理数系だったそうだから。数学が好きだなんて面白い娘だよ、小田切理紗は!」


 おれの話が役に立つとして、結局、おれが若いひとたちに言いたいことはね、こういうことです。

 若いひとが撮る映画を見ていて最近気になるのは、ドキュメントふうに客観カットだけで映画を撮ろうとしてるってことだ。この傾向は相米慎二以後のものだね。相米慎二の1シーン1カットを評論家がやたらと誉めてた時期があったでしょう? それで、若いひとたちは「アップは説明的だ。引いた画で客観的に撮るのが映画として高級だ」と考えるようになったんじゃないか。

 おれは相米慎二の『翔んだカップル』は封切りのときに見て、しゃれてるなと思ったんだよ。でもね、『魚影の群れ』あたりになるとね、そんなに苦労してまで長回しをやる必要はないだろうという気がした。意味もなく長回しをしていると思った。

 相米さんについては、『お引越』『あ、春』『風花』といった作品で評価すべきだと思う。このあたりの相米さんの映画はさすがだ。人間はばらばらで孤独で悲しい存在なんだということを緻密な構成で撮っている。登場人物の行動のあとにストップする瞬間が来ると、そこが主観カットになっているんだよ。主観・客観が同時進行している映画を撮っていたと思いますねえ、相米さんは。

 でもね、相米慎二のそういう優れたところを若いひとたちは見落としてると思うんだよ。対人関係の描写がいいかげんになっているんじゃないか。「こういう人間関係がありました。あとはご自由に解釈して下さい」って観客に放り投げて終わりという感じ。客観カットで押し切ってドキュメントふうに撮るのが本当に映画的に高級なのか、考えて直してほしいね。

 映画ってのは、登場人物の喜怒哀楽が表現されてないとダメだと、おれは思うんですよ。だから、若いひとには、「アップ―フルショット」じゃなくて、「主観―客観」で映画を撮ることを考えてほしい。フルショットで撮ってもいいけれど、役者の動かし方、間の撮り方をきちんとやるべきだと思う。そうして観客を映画の中に入りこませていかなくっちゃいけないよ。


補足:アップには力がある。たとえば、登場人物がある台詞を言うのが重要だとしますか。そうすると、アップを撮ろうってことになる。でもね、ここも重要、あそこも重要ってことで、そのたびに撮ってたら、アップが効かなくなるんだよ。ただの説明カットになってしまう。言葉にすると、バカみたいに簡単なことだけど、アップはね、お客さんが見たいってときに入らなくちゃ。

 『片目だけの恋』のラスト15分の芝居の中で、最初にお客さんが見たいと思うのは、ユカが「あの日、何で来てくれなかったの?」と言うところだ。だから、この台詞を言うまでおれは小田切理紗のアップを撮ってない。で、いよいよ台詞ってときには、理紗のいい顔を撮ろうってことで、かなり気をつかってアップを撮ってる。


2.「監督は役者に芝居をつけることだけに専念しろ」と言われた

 でもね、実を言うと、おれも昔、小森白に言われたんだよ。「監督は役者に芝居をつけることだけに専念しろ」と。

 『処女残酷』(67)って映画を城ヶ島で撮っているときだった。キャメラマンとおれが対立したんだよ。おれが寄って撮れと言っても、そのキャメラマンは聞かないんだ。こういうときには普通こう撮るものだと言ってね。

 おれはそういう考え方が嫌いなんだよ。おれがTVドラマの助監をやってたときについてた監督はみんな、そういうやつらだった。たとえば、喫茶店で待ち合わせをしているシーンを撮るとしましょうか。そういうとき、おれのついてた監督は、最初に引きの画で喫茶店全体を見せて、それから待っている女のアップを撮って、その次に……っていうふうに何の疑問もなく撮っていくんだよ。それがこういうシーンを撮るときの常識で、撮影の効率もいいってことなんだ。

 おれはそういうマンネリズムが大嫌いだった。だから、監督になってから、1カット1カット、映りに神経質になって撮っていた。それが『処女残酷』のとき、パターンどおりの撮り方をしようとするキャメラマンと対立してしまったんだ。

 そうしたら、運悪くそこにプロデューサーのパクさん(小森白)がやって来たんだよ。

 その日は泊まっていた旅館の都合で、一晩だけユースホステルに泊まることになっていた。で、撮影を終えてユースホステルに着いたとたん、パクさんが「ナベ、ビールを買いに行こう」って言うんだよ。ユースホステルにアルコールはないからね。

 パクさんの車で酒屋に行ってビールを買って……、戻ると思ったら戻らないんだよ。ちょっと呑もうやって、呑み屋に入った。そこであわびなんかをごちそうになってるときに、パクさんに言われたんだよ。

「なあ、ナベ、キャメラマンはいいところから撮るのが仕事なんだ。どう撮るかはキャメラマンに任せろ。お前は芝居をつけることだけに専念しろ」

 ユースホステルに戻ってからも、パクさんは「カット割りなんか考えずに、さっさと寝ろ」と言うんだ。でも、寝ろったって寝られやしない。結局、パクさんがもう寝たろうなって頃にこっそり起きて、明け方まで必死になってカット割りを考えたんだよ。

 翌朝、パクさんが「撮影だぞ」とおれを起こしに来たときに、しまった!と思ったよ。その頃のおれはヘビースモーカーだったからね。カット割りしながら吸った煙草の吸い殻が灰皿に山盛りになってたんだ。でも、パクさんはそれを見ても、何にも言わなかった。

 おかしいと言えば、キャメラマンの態度もおかしかったんだよ。おれがこう撮りたいと言っても、反対しないんだ。「はい、はい」とおれの言う通りにするんだよ。

 どうしてそうなったかは、後になって、そのときのキャメラマン助手から話を聞いて分かった。

 その日の朝、パクさんがキャメラマンを呼んで言ってくれたらしいんだ。

「ナベには芝居だけを考えろと言ったのに、あいつは明け方までカット割りをしていた。そこまで一生懸命になっているんだから、あいつの言うことを聞け。できないなら、うち(東京興映)はお前さんにはもうキャメラを頼まない」と。

 ……今思うと、おれはひとの心を無視して生きてきたと思う。世間知らずのわがままで押し通してきた。ずいぶん、ひとに助けられてきたのに。

 反省することばっかりだよ。今さら、この性格は変えられないけどね。

(続く)

[]渡辺護の映画論「主観カット/客観カット」(4)


1.小森白の『太平洋戦争と姫ゆり部隊』

 パクさんと言えば、若松孝二が小森白の『太平洋戦争と姫ゆり部隊』の助監をやったときのことを『若松孝二・俺は手を汚す』(ダゲレオ出版)の中で書いてるね。

「大蔵貢が来て、『ヨーイ、スタート』って自分がいきなり監督になるわけですよ。監督やってる小森白が、全然小っちゃくなって、ショボンとしてるわけ」

 それで、若松孝二は腹を立てて、助監督を集めてストライキを起こし、小森白を監督に復帰させたとある。若松は正直なやつだから、自分の体験をそのまま言ってると思うけど、これじゃまるでパクさんが何もしてなかったみたいだ。けれど、パクさんに訊いてみると、話がちょっと違うんだよ。

 大蔵貢には現場に来て監督をやる悪い癖があるって話は聞いたことがある。パクさんも運悪く大蔵の悪癖にひっかかったってことだろう。監督にしてみれば、まったく迷惑な話だ!

 おれなら、カッとなって殴ってたかもしれない。けれど、パクさんはその様子をじっと観察してから、「これなら、私が監督する必要はなさそうですね」と言って現場から引き上げたというんだよ。で、仮病を使って病院に入院した。

 どうしてそんなことをしたかっていうと、パクさんには計算があったわけだ。「ナベ、自衛隊はおれが監督だから協力してくれてたんだよ」とパクさんはおれに言った。つまりね、後に東京興映で自衛隊のPR映画を撮ったことがあるくらい、小森白と自衛隊の結びつきは強いわけだ。だから、パクさんが監督を降りたら、自衛隊が黙っちゃいないんだよ。

 案の定、大蔵貢は病院に来て、パクさんに監督に復帰してくれと頭を下げて頼んだらしい。そりゃそうだ。自衛隊に帰られちゃ、戦争映画は撮れないんだから。

 小森白ってひとは大人だからね、そういうかけひきが上手いんだよ。パクさんはその場では黙ってたかもしれないけど、何もしなかったというわけじゃないんだ。


2.鈴木史郎は信頼できるキャメラマンなんだ

 で、何の話をしてたんだっけな。ああ、そうだ。パクさんに「監督は芝居をつけることに専念しろ」って言われたことだったな。

 それから、おれはパクさんに言われたことを守ってますねえ。というのは、撮影を頼んだキャメラマンがダメだったってことがあるとしようか。だからと言って、途中でキャメラマンを降ろすわけにはいかない。そういうときには、演出でお客さんに見せられるものにするんです。結局、監督の仕事はね、いい脚本でいい演出をすることなんだ。

 それにしても、今までいろんなキャメラマンと組んできたねえ。デビュー作の『あばずれ』(64)は、前にも話したように森一生のキャメラをやってた竹野治夫さんだし、クレージー・キャッツの『花のお江戸の無責任』を撮った遠藤精一さんとやったこともある(『女子大生の抵抗』など)。

 『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)や『(秘)湯の町 夜のひとで』(70)なんかを撮った池田清一は真面目でね、オーソドックスな撮り方だったな。久我剛は手持ちでズームを使ってからみを撮るんだけど、これが本当にワイセツなんだ(『人妻を縛る!』など)。

 でも、キャメラマンの中で、一番本数が多いのが鈴木史郎だ。

 鈴木史郎とはずっとコンビで仕事をやって来たからね、もう細かいことは言わないよ。そりゃ、ここぞというときには狙いを言うけど、あとは「寄って」「引いて」くらいしか言わない。

 『片目だけの恋』のとき、撮影現場を見に来た脚本の井川(耕一郎)が面白がっていたね。ユカ(小田切理紗)が井上の家に来て、書斎で寝るシーンがあるでしょう? あのシーンを撮るとき、おれは「ここは映像演出だから、鈴木ちゃん、よろしく」と言って、あとの準備は全部まかせて部屋を出たんだ。

 ただ寝ているユカを1カット撮るだけなのに、鈴木史郎は「うーん、難しいぞ」と腕組みしたそうだよ。それから、部屋の中をぐるぐる歩き回って、隅にある机の前で立ち止まった。で、助手に「用意してあるガラス板を持ってきてくれ」と言ったらしいんだ。

 どんなカットを撮ったかは映画を見れば分かることだけど、鈴木史郎は机の上にガラス板を置いて、本棚が反射して映ってるのを撮ろうとしたわけだ。というのも、ユカにとって、井上が買い集めた古本に囲まれて眠るというのは意味のあることだからね。脚本の行間まで読み取って、いい画をつくってくれたんだよ。

 で、本番になって(小田切)理紗がベッドの上で寝るとね、あの娘がいい顔してるんだ。そうすると、おれが何も言わなくても、鈴木ちゃんはその顔にちゃんと寄っていってくれる――鈴木史郎はそういう信頼できるキャメラマンなんだ。


3.これが昔のピンク映画のいいところだ

 鈴木史郎とは、おれがテレビドラマの助監督で、彼がキャメラ助手だった頃からの知り合いだった。おれのキャメラを初めてやったのは『絶品の壺』(69)だったかな。続けて仕事をするようになったのは、『女の絶頂』(75)あたりからだと思う。

 最初のうち、おれと鈴木史郎の間には摩擦があったんだよ。

 あいつは「監督が何だ!」と思ってるようなところがあるからね。監督の言うことが納得いかないと、それが顔に出るんだ。まったくイヤなやつだよ!(笑)。たとえば、おれがあるシーンを演出してると、それでいいんですかって顔をしてる。そうして、「監督、この芝居はあっちで撮りましょう」って言い出すんだ。「画になるから」って。

 で、鈴木史郎が言う場所に役者を立たせてみると、たしかに役者の向こうで海がキラキラしてていいんだよ。だから、おれも「ちょっと考えさせてくれよな」ってことで、負けずにカット割りをやり直すわけだ。

 まあ、最初のうちはそんな調子だったけど、鈴木史郎は画をつくりたがるやつだからね、おれの言う狙いを面白がってくれるようになった。でも、そうなると、今度は別の意味で大変なんだ。

 『少女縄化粧』(79)は『あばずれ』(64)と同じく、山本周五郎の『五弁の椿』のいただきなんだけど、復讐の前に日野繭子演じる少女が巡礼の旅に出るんだよ。こういう話はキャメラマンがのりそうな話だ。そうしたら、やっぱり、鈴木史郎が凝りだしたんだよ。

 八十八ヶ所まわっている間には、晴れてる日もあれば、雨の日もあるだろう。でもね、これはピンク映画だ。雨を降らすわけにはいかない――と思っていたら、雨を降らすんだよ。それで1カット撮るのに、三、四時間かかった。

 日野繭子がちりーんと鈴を鳴らして通り過ぎるだけのカットを撮ろうとしたら、「じゃあ、霊場ってことにしましょう」と言い出して、石を積み出すんだよ。おかげで十分で撮るはずのカットが二時間だ。

 いい画を撮ろうとしてるんだから、止めろとは言えないよな(そこで「止めろ」と言えないから、おれは金儲けが下手なんだ)。でも、そんな調子だからいつまでたっても終わりゃしない。そのうち、旅館の金も払えなくなって、うちのが金をつくって届けにきてくれた。まったく大変な撮影だったよ。

 『暴行性犯罪史 処刑』(82)のときも鈴木史郎は凝りだしたね。館山に海岸ホテルってところがあって、そこが古い建物だったんだよ。それでよく時代ものの撮影をしていた。『暴行性犯罪史 処刑』のときは、海岸ホテルの二階で憲兵が日野繭子を拷問するシーンなどを撮る予定だったかな。それで、部屋の窓にX字型にテープを貼ったんだよ。ほら、空襲の爆風でガラスが飛び散らないように紙を貼ったってやつだ。

 そうしたら、鈴木史郎がテープの影が床にさしているところを撮りたいと言い出した。でも、それを撮るには窓の外にキャメラを出さないとダメだ。イントレ(キャメラをのせる足場のこと)もないのに、二階の窓外からどうやって撮るんだ?

 ところが、翌朝、起きてみると、あるんだよ、イントレが!

 前日の夜、晩飯を食った後、おれは部屋に戻ってカット割りをしてたんだけど、みんなは酒を飲んでいた。そのとき、鈴木史郎が明日の撮影にはイントレが絶対に必要だと煽ったらしいんだ。

 それで海岸ホテルの裏にある廃材を使って、徹夜でイントレをつくってたんだよ。スタッフだけじゃなくて、役者まで手伝って!

 バカみたいだろう? でも、これが昔のピンク映画のいいところだ。

 世間知らずのわがままで失敗もしてきたけど、おれはいつもひとには恵まれてたと思うよ。


補足:ここまでの話だけだと、奇抜で凝った画を撮るのがいいキャメラマンだと誤解されそうなので、言っておきたい。いいキャメラマンってのは何気ないフルショットがきちんと撮れるひとのことだ。登場人物が、朝起きてアパートを出て、いつもの商店街を通って出勤する――そういう日常を鈴木史郎はきちんと撮ることができる。だから、いいキャメラマンなんだ。


4.渡辺護の洋画ベスト16

 ところで、映画ベスト10だけれど、今回は監督になる前に見た洋画から選んでみようと思った。で、思いつくままにタイトルをあげていったら、16本になった。

 このことについては、またの機会に話そう。

 今回の話はここまで。


渡辺護の「監督になる前に見た洋画ベスト16」

 『天井桟敷の人々』(45:マルセル・カルネ)

 『ヘッドライト』(55:アンリ・ヴェルヌイユ)

 『カサブランカ』(42:マイケル・カーティス)

 『望郷』(37:ジュリアン・デュヴィヴィエ)

 『旅路の果て』(39:ジュリアン・デュヴィヴィエ)

 『荒野の決闘』(46:ジョン・フォード)

 『裸の町』(48:ジュールス・ダッシン)

 『男の争い』(55:ジュールス・ダッシン)

 『サンセット大通り』(50:ビリー・ワイルダー)

 『終着駅』(53:ヴィットリオ・デ・シーカ)

 『忘れられた人々』(50:ルイス・ブニュエル)

 『嘆きのテレーズ』(52:マルセル・カルネ)

 『道』(54:フェデリコ・フェリーニ)

 『死刑台のエレベーター』(57:ルイ・マル)

 『太陽がいっぱい』(60:ルネ・クレマン)

 『勝手にしやがれ』(59:ジャン=リュック・ゴダール)