長島良江への手紙(1)−長島良江『それを何と呼ぶ?』(『桃まつりpresents Kiss!』)について−(井川耕一郎)

長島良江様


桃まつりpresents Kiss!』のDVDを受け取ったのが、たしか一ヶ月ほど前。
そのときに、感想を書きますよ、と約束したのに、今日までずるずると書かなかったのは、
用事がいくつかかさなってしまったということもありますが、
結局のところ、のろまで怠け者という自分の性格が原因なのでしょう。
いや、本当に申し訳ありません。


桃まつり』は去年のやつも見ています。
十二本のうち、興味深く見たのは、片桐絵梨子『きつね大回転』、佐藤有記『emerger』、青山あゆみ『みかこのブルース』の三本でした。
今年の『桃まつり』も似たような感じですね。
長島良江『それを何と呼ぶ?』、矢部真弓『月夜のバニー』、粟津慶子『収穫』の三本が、とても興味深かった。
とはいえ、見る価値のある作品の含有率が、去年は25%、今年は33%なのですから、
桃まつり』という企画、かなり健闘しているんじゃないでしょうか。


長島さんの『それを何と呼ぶ?』の冒頭の五分、素晴らしいですね。
これはもう、息を殺して見つめ続けるしかないような緊張感のある芝居だったように思います。
西山朱子演じる朝子は会社の送別会から戻ってくると、
松岡(吉田テツタ)に向かって、わたしたち、もうお終いね、と言って、同棲生活の解消を宣言する。
そしてさらに、このことはあなたにも分かっていたことだ、と言葉を続ける。
そう言いながら、朝子は松岡の前にある食器を片づけるわけですが、
その片づけ方が見ていてひやりとするのですね。あんたのこともさっさと片づけてしまいたいんだけど、と言っているみたいで。


一方、松岡はどうかと言うと、
自分たちの関係がおかしくなっていることは分かっているけれども、なぜそうなってしまったのか、その原因が分からないでいる。
ひょっとして、愛情表現が不足していたのだろうか……。おそらく、そう思ったにちがいない松岡はいきなりキスをしますね。
ところが、キスされても、朝子は目を開けたままだし、唇を閉じている。
見ていて思うのは、ああ、あの朝子の唇はひどく冷たいんだろうな、ということで、
氷の刃じゃないけれど、ここでまた、も一つひやりとするわけです。
そして、朝子は、今さらこんなことしても何も変わらない、と松岡に告げる。
この宣告の瞬間、室温が一気に下がっていくような感じがしましたね。
と同時に、朝子と松岡の関係が、理不尽な試練を次々と与える神さまと、その試練に耐え続けるヨブの関係のようにも見えてきた。
もっとも松岡は試練に耐えても、ヨブみたいに報われることはないのですが……。


男は自分が男であるというだけで、何か特権を有しているような気分になり、
結果として無意識のうちに女性を傷つけるような言動をしてしまうことがある。
だから、女性が、別れたい、と男に告げるとき、その背後には山のように傷つけられた経験が積み重なっているはずで、
男がいくら許してくれと謝罪しても、もう遅い。女性の決意は変えられないのだ……。
なんてことを、冒頭の五分を見ながらぼんやりと思っていたのですが、
『それを何と呼ぶ?』の本当に興味深いところは、その後の展開が男女の問題からずれたところに向かう点ですね。


松岡と別れた朝子は、友人の藤子(西田薫)の家に転がりこむ。
そして、ある夜、藤子が何気なく口にした「まさか、あんたが眠れないなんてことないよね」という言葉をきっかけにして、二人の関係に亀裂が走ります。
朝子は、あんたの中には、わたしを蔑み、施しをしてやろうという気持ちがある、と言って藤子を告発する。
この朝子の態度を見て、おや?と思ったのです。
たぶん、朝子はこれと似たようなことを、過去に松岡に対しても、そして退職した職場でも行っていたのではないか。
相手のささいな言動に敏感に反応し、自分を見下す感情があなたの中にはある、と告発することを朝子は今まで何度もくりかえしてきたのではないか。
ふと思い出したのは、「境界例」という言葉です。
境界例のひとたちの特徴に、「対人関係が、過剰な理想化と過小評価の間で大きく揺れ動き、安定しない」ということがあるそうですね。
ひょっとしたら、朝子のあり方について、それを何と呼ぶ?と尋ねられたら、
境界例かもしれない、と答えるしかないのではないか……。


精神科医ではないので、朝子が本当に境界例かどうかは判断できませんが、
気になるのは、仮に朝子が心を病んでいたとしても、彼女がしかける告発ゲームが現実において無効にならないということ、ある重要な意味を持ってしまうということですね。
朝子に問い詰められた藤子は、最初のうちは、蔑む感情などない、と否定するけれども、
しまいには、わたしは大人になったけれど、あんたは子どものままだ、と口走ってしまう。
このあたりの展開はちょっと恐いですね。
藤子は自分の中に朝子が指摘するような感情があることを認めてしまったのですから。
それにまた、藤子のその言葉を聞いて、
朝子が、大人になることがいいことなの? わたしたちがバカにしてきた人間になるってことじゃないの?と強気で責めてくる姿も、見ていてぞっとしますね。
このとき、朝子は告発ゲームの中で勝者となっているわけです。
上下関係を告発する者が、関係を逆転させて上位に立つことを欲している――これは何ともやりきれない事態です。
(しかも、朝子との告発ゲームで敗者となった藤子が、この後、松岡の家に乗りこんで行って、告発ゲームをしかけようとするのですから、
見ているこっちはさらにやりきれない気持ちになります)


だがそれにしても、どうして朝子は恋人や親友に告発ゲームをしかけて、関係を次々と壊していこうとするのでしょう?
一体、彼女が望んでいるものは何なのか?
たぶん、彼女が最初に欲していたものは、対等な人間同士の絆の強さだったのでしょう。
ところが、対等な人間同士ということを強く意識するあまり、
相手のささいな言動のうちに、自分を見下す感情がまじっているんじゃないか、と徴候ばかりを読み取る癖がついてしまった。
それが、告発ゲームの始まりだったのだと思います。
さらにやっかいなのは、告発ゲームをしかけている最中は、対人関係が白熱するということですね。
朝子は、絆の強さが獲られないのなら、そのかわりに対立の激しさをむさぼり味わってやろう、と思っていたのではないでしょうか。


だとしたら、近い将来、朝子は自分がくりかえし行っていることに空しさを感じるようになるかもしれません。
そのときに、朝子が藤子と再会したとしたら、どんなことが起きるのか?
本当はそのあたりのドラマまで見たかったようにも思うのですが、しかし、そうなると三〇分ではおさまらないでしょう。
長編ということになるかもしれませんね。


(矢部真弓『月夜のバニー』の感想に続く)

http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20090328