同期のピンク桜―追悼 野上正義―(渡辺護)


(この追悼文は『映画芸術』2011年春号に載ったものです)


 荒木太郎からの電話でガミの死を知る。
 野上正義のことは、ガミ、ガミちゃん、と呼んでいた。
 ガミは若松孝二の『鉛の墓標』でピンク初主演、同じ頃、俺も『あばずれ』で初監督。ガミと俺は同期のピンク桜ってことになる。
 ガミは俺に会う度に言っていた。俺の代表作は『明日なき暴行』だと。監督、また撮ろうよってネ。たしかに、あのときのガミはイキイキしてやっていた。
 『明日なき暴行』は昭和四十五年に撮った映画だ。強盗殺人犯とその女の逃避行。ガミと林美樹、二人の芝居だけに集中し、水上・宝川あたりで撮った。楽しい撮影温泉旅行だ。
 移動中、川で子供たちが泳いでいた。いい絵だ。
 これをバックで撮ろうってことになった。二人の衣装のつながりも問題ない。スケジュールを入れかえればいい。
 だらだらと目的もなく歩く二人にどう演技をつけるか。予定にないシーンだ。ハテ、ドウスルカ、と一人言を言っている俺をガミは見ていた。
 ガミはドウスッカーって感じでアドリブで演じてみせた。面白く撮れた。
深刻な芝居をしたあとにかるく唄ったのも、うまくはまった。ガミは雰囲気をつかんでアドリブをやるのがうまい役者だった。
 土産物店で撮ったときのことも忘れられない。
 助監の深町章はスタッフに「観光映画ってことで店には許可をとってるので、よろしく。カンコウ映画ですよ」と念を押していた。
 準備を終えて、役者が「お待たせしました。よろしく」と入ってきたとたん、店の主人が叫んだ。「あっ、野上正義! 女優さんは来てないんですか。私、香取環さんのファンなんです」
 主人はピンク映画の大ファンだったのだ。
 コーヒーは出るわ、ケーキは出るわ、歓迎されて、店の中をちょっと歩く予定が、こうなればってんで、ずうずうしくカメラは家の中まで入って撮影した。
 主人はごきげんだった。ガミが共演した香取環のことなど、いろいろ面白おかしく話したからだ。製作進行までやってくれたようなものだ。
 ピンク映画のあの頃は、スタッフ、俳優も不思議な熱気の中で生きていた。スターシステムの甘ったるいメジャー大作なんてクソくらえ。俺たちはメジャーにないものを撮る。どんな人間も悪をもっている。悪をとりのぞいたら、人間でなくなるし、面白くない。
 あたりまえの人間の悪を、ときに悲しく、ときに滑稽に見せるのがうまかったガミ。
 ピンクの連中は歌舞伎町が好きだった。打ち合わせ、お茶、酒、ナンパ、いそがしかったネ。呑み屋で一緒に呑んでいたら、ヤクザ風のニイサンから「野上正義! 見てるぞ。チカン映画、面白かったぞ。渥美清よりよかったぞ」とヤキトリのさしいれがあった。「いいよなア。野上さん、女と裸でとっかえひっかえ、やれるんだから。うらやましいネ」
 ガミはニイサンに言った。「この人、カントク。このカントクの作品で『尺八弁天』、来週、新宿座でやります。いいですよ。香取環、辰巳典子、武藤周作、国分二郎……」
 ガミはピンク映画宣伝部になっていた。
 あの頃、歌舞伎町には劇場がたくさんあったのに、今はない。
 おれは一人歩き、ガミを思う。
 カット! ガミ、おつかれ。
 すると、ガミが言う。「おつかれさまでした。次回作よろしく」