高橋洋『霊的ボリシェヴィキ』について(井川耕一郎)

試写で見てから時間がたってしまったけれども、高橋洋『霊的ボリシェヴィキ』の感想をメモしておこうかと(ネタバレにならないように注意しながら)。 廃工場のがらんと広い空間に五人の男女が輪になって座っている(あとから遅れて二人やって来て七人になる…

『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』、ラピュタ阿佐ヶ谷で上映中(9月19日まで連日21時〜)

(この文章は『月刊シナリオ』2016年9月号に掲載されたものです) 「渡辺さん、さっき言ってましたね。『(秘)湯の街 夜のひとで』を撮っているとき、いつか映画が撮れなくなる日が来る……と思っていたって。売り出し中のこれからって監督が何でそんなこと…

鈴木卓爾『ジョギング渡り鳥』について(井川耕一郎)

『ジョギング渡り鳥』では、映画美学校アクターズコースの一期生がとある地方都市に住む人間と宇宙人(モコモコ星人というらしい)の二役を演じているのだけれども、その演じ方にはちがいがあるように感じられた。人間の場合には、撮影前にある程度決めたキ…

オランダのみなさんへ(『色道四十八手 たからぶね』監督・井川耕一郎のメッセージ)

(以下の文章は、オランダのカメラジャパン・フェスティバル2015で『色道四十八手 たからぶね』を上映した際に観客に配布した監督メッセージです。『たからぶね』は横浜シネマ・ジャック&ベティにて12月19日(土)〜12月25日(金)連日19時10分より上映) 残…

渡辺護1931−2013(後)(井川耕一郎)

<緊縛ものと新人女優:1977−1984> 1970年代半ば、新東宝興業は小森白『日本拷問刑罰史』(64)のようなヒット作を求め、若松孝二、山本晋也らに拷問ものを発注していた。同じ注文は渡辺のところにも来たが、拷問ものが生理的に苦手な渡辺は廓の女たちの悲…

渡辺護1931−2013(前)(井川耕一郎)

1931年3月19日東京生まれ。1950年、早稲田大学文学部演劇科に入学。その後、八田元夫演出研究所に入り、演出を学ぶ。テレビドラマの俳優、シナリオライター、教育映画・テレビ映画の助監督などを経て、1964年、ピンク映画界へ。1965年に『あばずれ』で監督…

「渡辺護、『好色花でんしゃ』を語る」をYouTubeにアップしました。

YouTubeに『渡辺護、『好色花でんしゃ』を語る』(15分)をアップしました。 映画美学校アクターズコース生主催の上映会でのトーク(2012年12月8日)の記録。 演技と演出の関係について語っています。

「渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」第7部〜第10部について(井川耕一郎)

(渡辺護が助監督としてついた南部泰三『殺された女』(64)の現場の写真) 第7部『渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(三) 権力者の肖像』(30分) 第7部で主に話題となる作品は日野繭子主演の『聖処女縛り』(79)。渡辺護によれば、『谷ナオミ 縛る…

「渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」第3部〜第6部について(井川耕一郎)

(以下の文章は2013年10月8日の試写のときに配布したものです) 「渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」の第3部〜第6部は自作解説篇になる。 自作解説篇は渡辺護監督作品とのセット上映を前提としている(たとえば、『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)…

渡辺護監督が亡くなりました/その監督人生をふりかえる(井川耕一郎)

(以下の文章は、2014年1月2日に渡辺護公式サイトに掲載したものです) 2013年12月24日、渡辺護監督が82才で亡くなりました。 10月に新作を撮る話が来て、周囲の人々に「面白い映画を撮ってみせるよ!」と宣言していたのですが、11月2日に外出先で倒れ、…

渡辺護、『浅草の踊子 濡れた素肌』について語る。

(このインタビューは、2012年8月23日にmixiに載せたものです) 今日、載せるのは、『浅草の踊子 濡れた素肌』(踊子と書いてストリッパーと読ませる)についての話。 ポスターを入手したので、そこに書いてある情報を記しておく。 『浅草の踊子 濡れた素肌…

渡辺護、『制服処女の痛み』の頃の美保純について語る。

(以下のインタビューは、2013年3月にmixiに載せたものです) 自作解説篇の構成を考えるため、ラッシュを見直し、大蔵貢に関するエピソードを探していたら、なぜだか『制服処女の痛み』(81)の美保純について語っているところが出てきた。ひさしぶりに見た…

映画監督の渡辺護さんが24日、大腸がんで亡くなりました

PGの林田義行さんたちと相談して、25日、26日ににツイッターに書いたことを以下に載せておきます。 (写真は、銀座シネパトスでのトークショー(2012年5月18日)のときのものです) <12月25日>PG_pinkfilm ‏@PG_pinkfilm 12月25日 渡辺護監督が12/24 亡…

渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第3回(清水かえで+井川耕一郎)

<井川耕一郎→清水かえで:『電撃』の病気、『乱心』の病気・その2> 次に『乱心』について。 清水さんは、シーン13で盛太が遠くに放り投げたボールが、シーン14でひよりをあたりそうになるところについて尋ねてましたね。 試写で見たときには、思わず笑っ…

渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第2回(清水かえで+井川耕一郎)

<清水かえで→井川耕一郎:『乱心』のシナリオを読んで> 『乱心』のシナリオ、送っていただき、ありがとうございます。 面白かったです。 どんな役者さんがどんなふうに演じているんだろう、どんなところで撮影しているんだろうって、 冨永さんの映画が見た…

渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第1回(清水かえで+井川耕一郎)

(この往復書簡は、2011年にプロジェクトDENGEKIブログのために書いたものです) <はじめに> 試写で渡辺あいさんの『電撃』を見たら面白かった。それで、大工原正樹さんに、『電撃』の感想をブログに書きますよ、と言ったのだが、あとになって、し…

西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』について(井川耕一郎)

以下の文章は、8月22日にツイッターに書いたものです。 (井川)西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』を試写で見ながら思ったことは、大阪はよそ者にも親しげに話しかけてくる町なのだなということ。そして、隙あらば、ひとの持ち物をくすねようとする町…

渡辺護『少女を縛る!』について1・2(井川耕一郎)

1 『少女を縛る!』(78)というタイトルを聞いて思い出すのは、『谷ナオミ 縛る!』(77)だ。 当然、これから映画を見ようとする者の関心は、少女を演じる女優に向けられるだろう。 しかし、映画が始まってすぐに映る少女役を見て、たいていのひとは、え…

『制服の娼婦』撮影日記(渡辺護)

(このエッセイは『映画芸術』1974年6〜7月号に載ったものです) こんどは女高生売春でいこうとホンヤさんにいったのが確か四月のアタマ。15日頃までにというのに一向に書いている気配もなく、相変らずゴールデン街で飲んだくれているらしい。とにかく30日…

渡辺護とピンク映画についてもっと詳しく

<渡辺護について> 渡辺護のプロフィール http://watanabemamoru.com/?page_id=2 渡辺護のフィルモグラフィー http://watanabemamoru.com/?page_id=7 <渡辺護の発言・エッセイ> 『制服の娼婦』撮影日記(渡辺護) new! http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006…

金子サトシ『食卓の肖像』を再見して(井川耕一郎)

(以下の感想は、2013年4月4日にツイッター(https://twitter.com/wmd1931)に書いたものです) 金子サトシ『食卓の肖像』を再見。映画が始まって30分くらいたったところで、五島列島のとある集会所で行われた市民団体による自主検診が映る。検診の後はビ…

旦雄二『助監督』について(井川耕一郎)

(以下の文章は、ツイッター(https://twitter.com/wmd1931)に書いたものの再録です) 1 (2013年2月19日) 第11回城戸賞入選作・旦雄二(@yujidan)『助監督』(「キネマ旬報」1986年1月下旬号)を読む。旦さんがピンク映画の助監督だった頃を題材にして…

粟津慶子『収穫』について(井川耕一郎)

(以下の文章は『映画芸術』2010年冬号(430号)に載ったものです) 2010年BEST 粟津慶子『収穫』、小出豊『こんなに暗い夜』(各10点) 粟津慶子『収穫』について。怪作である。映画が始まってすぐ、教室で腕組みして居眠りする女教師が映るのだが、その姿…

ぴんくりんく企画「ピンク映画50周年 特別上映会 〜映画監督・渡辺護の時代〜」+『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(2月8日(金)〜2月12日(火)・神戸映画資料館)

2月8日(金)から12日(火)まで神戸映画資料館で開かれるぴんくりんく企画のピンク映画上映会。 その中で、渡辺護自伝的ドキュメンタリー第一部『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』が上映されます。 渡辺護とはどういう監督なのか? 1931年東京生まれ。6…

渡辺護とピンク映画についてもっと詳しく

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渡辺護、『修道女 秘め事』、『猟奇薔薇奴隷』などについて語る

(以下のインタビューは、井川がmixiに書いた製作日記からのものです) 製作日記:70年代後半の向井寛とのつきあい・前編(2012年8月4日) 『ドキュメント 成人映画』(ミリオン出版・1978年)には、何人かのピンク映画監督のインタビュー記事が載っていて、…

参考資料:大和屋竺『おんな地獄唄 尺八弁天』シナリオと渡辺護による直し(シーン48〜シーン56)

(大和屋竺のシナリオ) 48 本多邸・応接間 ソファにゆったりとくつろいでいる本多。 本多「ごろつきどもとは相変らずつき合っているのか?」 「むろん」 答えた男はセイガクである。 本多「お役目とは云え、御苦労なことだ。所で君に来て貰ったのは、私の工…

『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(4)(井川耕一郎)

だらだら書いてきたこの覚え書きもそろそろ終わらせようと思う。 そこで最後の回は、渡辺護さんが撮影で使用したシナリオを手がかりに、『尺八弁天』の創作の現場にちょっとでも近づいてみたいと思う。 私たちは映画の面白さについて書くときに、ある一人の…

『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ(3)(井川耕一郎)

殺意と表裏一体の愛欲について。 これは、『極悪弁天』では英二郎がになっていた。 英二郎に抱かれた加代が「苦しい……死ぬかと思った……」と言うと、彼はこう答える。「俺は人斬り英二郎と云われた男だ……あんたを殺る時は……ドスであの世に送ってやる」 『尺八…

日録1980年7月28日(渡辺護)

(このエッセイは、「日本読書新聞」1980年7月28日に掲載されたものです) 俺の映画の熱心なファンである若者たちが、今はもう劇場で上映されない古いフィルムが見たいといって来た。『少女縄化粧』や『聖処女縛り』を観て俺の名前を覚えてくれたという彼ら…