プロジェクトINAZUMA BLOG

2012-02-06

[][][][]映芸シネマテークvol.12で大工原正樹『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』、井川耕一郎『西みがき』などを上映(3月9日(金)19時〜・人形町三日月座B1F/Base KOM)

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映画芸術」、「coffee & pictures人形町三日月座」主催の映芸シネマテークで、大工原正樹『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』、井川耕一郎『西みがき』『玄関の女』が上映されます。


「映芸シネマテーク」vol.12(3月9日(金))のお知らせ


 大工原正樹監督の映画ではとても普通じゃない愛や憎しみばかり描かれているのに、見ていて不思議と納得してしまう。昨年公開され話題を呼んだ『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』も、あてもなく町をさまようだけのロードムービーかと思ったら、過去の因縁にとらわれた男女の激しい感情が燃え立つまでを見るドラマでもあったような、今まで一緒に見たことない二つのジャンルの混在する映画だった。

 この奇妙さは大工原正樹監督の作家性なのか? それとも脚本の井川耕一郎によるものなのか? 井川耕一郎監督作品『西みがき』は『姉ちゃん〜』と同じく、姉弟の愛と幽霊をめぐる話だ。しかし二本を比べて見ると『姉ちゃん〜』の俳優の堂々とした佇まいと、『西みがき』のどのように動くのか予測のつかない不安定な仕草は、全くの別物だ。

 大工原正樹・井川耕一郎、両監督作品を続けて見ることで、それぞれの演出・脚本のあり様の違いと、そこから醸しだされる怪しげな魅力に迫りたい。


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『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』

監督:大工原正樹 脚本:井川耕一郎

撮影・照明:志賀葉一 録音・整音アドバイザー:臼井 勝

編集:渡辺あい 大工原正樹 音楽:中川晋介

出演:長宗我部陽子 岡部 尚 森田亜紀 高橋 洋 光田力哉

2010/49分


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『西みがき』

監督:井川耕一郎

撮影:福沢正典  録音:臼井 勝  編集:北岡稔美

出演:本間幸子 粕谷美枝 西口浩一郎 中村 聡 前田怜子

2006/53分


『玄関の女』

監督:井川耕一郎

撮影:松本岳大 録音:光地拓郎 編集:北岡稔美

出演:本間幸子

2011/5分


開場:3月9日(金)18時30分 開映:19時

19時〜:『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』

19時50分〜:『西みがき』『玄関の女』

20時50分〜:トーク 大工原正樹・井川耕一郎


会場:人形町三日月座B1F/Base KOM

http://www.mikazukiza.com/map/

中央区日本橋人形町1-15-5柏原ビルB1F 電話03-3667-0423

人形町駅A2番出口より徒歩1分、水天宮前8番出口より徒歩1分


入場料金:1500円


※当日はDV-CAMもしくはブルーレイ上映になります。

※予約は電話、メールにて承ります。問い合わせ先まで、お名前、連絡先(電話番号/メールアドレス)、枚数をお知らせください。予約にて定員(30名)となった場合、当日券はございません。


主催:映画芸術、coffee & pictures人形町三日月座

予約・問い合わせ:映画芸術編集部 電話:03-6909-2160

メール:eigei×y7.dion.ne.jp

(×印に@を入れて送信してください)

映画芸術ホームページ http://eigageijutsu.com/


各作品に関する情報は以下をご覧ください。


<大工原正樹『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』について>

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公式サイト:http://hotohotosama.web.fc2.com/index.html

監督コメント:http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20100609

脚本家コメント:http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20100311/p2

『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』を見て思ったこと(井川耕一郎)

 第1回: http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20110924/p2

 第2回: http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20110925/p1

 第3回: http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20110926/p1


<井川耕一郎『西みがき』について>

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監督コメント「彼女たちを撮りたいと思った」:

 http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060904/p2


出演者コメント

 本間幸子:http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060904/p3

 粕谷美枝:http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060827/p2

 中村聡http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060904/p4

 西口浩一郎:

  井川耕一郎 脚本・演出『西みがき』出演者の追想

  http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060827/p3

  『西みがき』劇中映画『真・三本足のリカちゃん』の演出と出演をしてみて。

  http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20060903/p1


西山洋市「『西みがき』の演技の演出について」:

 http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061018/p1


佐野真規「井川耕一郎論・試論〜上映予定の三作品について〜」:

  http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20080224/p4


北岡稔美「『西みがき 断片・夫の話』供養のいきさつ」:

 http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20061029/p1


<井川耕一郎『玄関の女』について>


監督コメント:http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20110730/p2

2011-09-26

[][][]『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』を見て思ったこと・第3回(井川耕一郎)


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今年の三月にアテネフランセ文化センターで大工原正樹特集があったとき、チラシには次のような『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』の紹介が載った。


子供の頃に義父から受けた虐待の記憶に苛まれる姉弟が、母の死を機に故郷の港町を久方振りに訪れる。彼らの願いは、忌まわしい過去の呪縛の象徴である亡霊から解放されること。ゴーストタウンのような風景に佇む長宗我部陽子と岡部尚の姉弟の寂しげな姿が印象に残る。隣人役の高橋洋の怪演にも注目。


よくまとめてある紹介だと思う。しかし、「故郷の港町を久方振りに訪れる」のあと、すぐに「彼らの願いは、忌まわしい過去の呪縛の象徴である亡霊から解放されること」とつなげてしまうと、結論を急ぎすぎているように見える(150字くらいでまとめるとしたら、これは仕方のないことなのだが)。

木更津を訪れた時点で、姉も弟も自分が求めているものが何なのか、まだよく分かってはいなかったろう。二人が自分たちの欲するものに近づくことになるのは、その日の晩、姉の気まぐれで旅館に泊まったときではないだろうか。


夜、うなされて目ざめた弟は姉に子どもの頃に「あいつ」から受けた虐待の記憶を語る。すると、姉も今まで弟に黙っていた虐待の記憶を語る。しかし、二人とも記憶を語ったあとにすぐ、大人になった今となっては、こんなことはどうってことないのだ、と言葉をつけくわえている(このとき、子どものときから顔つきがあまり変わってなさそうな岡部尚が「バカみたいだろ?」と言って、自嘲するおっさんのように笑うのがとても印象的だ)。

忌まわしい過去は、大したことないと軽く見るか、忘れ去ってしまうかしないといけない。でないと、普通の生活は送れないだろう。たぶん、姉も弟もそう考えて今まで生きてきたにちがいない。


だが、姉は母の死をきっかけに思ったのではないか――わたしは悲しみや苦しみや恐怖については知っている。けれども、憎しみについてはあまりよく知らないし、知ろうとさえしなかった。それでいいのだろうか。わたしの人生は嘘なのではないか……。

そこで、姉が憎しみの対象に選んだのは母だった。とはいえ、その憎しみは「わたし、母さんのこと、ずっと憎んでいたかもしれない」というような不確かなものであり、「母さんも、わたしのこと、憎んでいたんじゃないかな」という仮定の上に成り立つもろいものだった。だから、旅館で姉が語る母に対する憎しみは、弟によってすぐに否定されてしまう。


ところが、姉の憎しみを否定することで、今度は弟が憎しみにとり憑かれてしまうのだった。姉さんは憎む相手を間違えている。憎むなら、母さんではなく、「あいつ」でなくてはいけないんだ……。そう考えた弟は、「あいつ」がどこかで生きていることを望み、この手で殺すことを欲するようになる。

姉は弟に、恐ろしいことを考えないで、と言っているが、彼女の潜在意識はどうなのだろう? 弟の「あいつ」に対する憎しみは、姉が心の奥底で求めていたものではなかったか。つまり、姉にはそのつもりはなかったが、潜在意識が欲する方向へと弟を誘導したのではないだろうか。

(注:まるで他人の作品を批評するような書き方になっているのには訳がある。私はシナリオを完成させると、書いていたときに考えていたことのほとんどを忘れてしまうのである。だから、自作であっても推測するように書くしかない)


旅館の場面は、完成した映画を試写で見て、ここは何度見ても見飽きることがないだろう、と思ったところだった。

シナリオでは、姉が母に対して抱いていたかもしれない憎しみを弟に語るところは、布団に入ったまま、弟に背を向けて語るというふうになっていた。

けれども、映画では、セリフはシナリオのままだが、姉を演じる長宗我部陽子さんは布団から出て、どうしていいか分からないといったふうにいらいら歩きまわっている。

この姉の姿を見て、弟はどう思ったのだろう? 彼は自分が見ているはずのない過去を思い出してしまったのではないか。そうだ、姉さんが「あいつ」にされたことを告げたとき、母さんはあんなふうに家の中を歩きまわっていた……、と。


そして、母に対して抱いていたかもしれない憎しみを弟が否定すると、姉は「そうだよね。わたし、どうかしてた」と言って布団に戻り眠る。

だが、岡部尚さん演じる弟は上半身を起こしたまま、まっすぐ闇を見つめている。

するとそのとき、シナリオには書かれていないことが起きる。夜の海をバックに顔をおおって泣く少女の姿が映るのだ。それは少女だった頃の姉である。姉は寝てしまったというのに、弟は見たこともない過去をなおも見続けている。弟の中に「あいつ」に対する憎しみが芽生えるのはもう時間の問題だろう……。

つまり、大工原さんたちは、姉から弟へ憎しみが飛び火する過程を見事に画にしてみせたのだ。弟が「あいつ」に対する殺意を静かに語りだすとき、窓外が赤く光りだす。赤い光が炎のようにゆらめくのを見ながら、シナリオを書いた立場としては、ただただ現場の努力に感心し、うなるしかなかったのである。


とりとめない文章がどんどんとりとめなくなっていくみたいなので、ここらでやめようと思う(最後の最後にスクリーンに映る長宗我部さんのカットが持つ不思議な味わいについても書こうと思ったのだが、これはひとによってはネタバレと感じるかもしれないのでやめておくことにした)。

だが、あと一つだけ記しておきたい。

旅館で、姉と弟は浴衣の帯の端をそれぞれ自分の手首に縛り、何かあったら連絡するようにしていた。これの元ネタは、もちろん、幸田文の『おとうと』である(『おとうと』で使ったのは、見舞いの果物籠のリボン)。姉と弟のドラマを書くとなると、『おとうと』は避けては通れない作品のように思えたのだ。

シナハンで木更津に行ったときのことだった。映画館が撮影に使えるなどといった情報は事前に大工原さんから聞いていたが、まさかここまでひとがいない街だとは思っていなかった。あちこちに廃墟となった旅館やホテルがあったのもちょっとショックだった。

港まで歩き、中之島大橋の上から街を見渡したとき、ふと「うっすらと哀しいのがやりきれないんだ」という言葉が浮かんできた。『おとうと』で弟が姉に言うセリフだった。弟は丘の上から海と港町を見下ろす自分を想像して、こんなことを言うのだった。

「そういう景色、うっすらと哀しくない? え、ねえさん。おれ、そのうっすらと哀しいのがやりきれないんだ。ひどい哀しさなんかまだいいや。少し哀しいのがいつも侵みついちゃってるんだよ、おれに。癪に障らあ、しみったれてて。――」(新潮文庫・p139)

与三郎通りのことも合わせて考えてみると、どうやら木更津は姉と弟のドラマを書けと脚本家にささやき続けていたように思えるのだが……。

2011-09-25

[][][]『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』を見て思ったこと・第2回(井川耕一郎)


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岡部尚演じる弟がかかえている骨壷から、長宗我部陽子演じる姉が遺灰をつかむと、それをトンネルめがけてまく……。

完成した『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』を初めて見たときに一番ひっかかったのは、シナリオにはないこの冒頭だった。シナリオを書いた立場からすれば、この追加された場面は、一体どこに位置づければいいのか、すぐにはつかめなかった。おそらく、ドラマが終わって数日後のこととするしかないだろう(そもそも、姉と弟は母の骨壷を持って木更津を訪れていないのである)。

しかし、気になるのは、どうして主人公の姉弟が母の遺灰をトンネルの前でまくことにしたのかということだ。シナリオの終わったところから、あまりに飛躍しすぎている。こんな意味不明な場面などいらないだろう、というのが、試写室で見終えたあとの感想だった。


その後、清水かえでさんの『純情NO.1』論を読んだり(注)、渡辺あいさんの『電撃』を見たりして、今は考えが少しだけ変わってきている。あいかわらず冒頭の散骨シーンには違和感があるが、これを初見のひとの目で見たらどうなるのだろう、と考えるようになっていったのだ。

最初に映るカットは、骨壷から遺灰を取り出す姉の手のアップだ。ここで初見のひとは、次に起きるのは散骨だろうと予想するだろう。たしかに、次のカットは、遺灰をまく姉と、その横にいる弟をとらえたものである。しかし、長宗我部さん演じる姉の遺灰のまき方には、死者を追悼するというニュアンスとはちがうものがある。言ってみれば、まるで清めの塩をまくような……。

三カット目は引いた画で、姉弟がトンネルの前に立っていることが分かる。トンネルの奥の黒々とした闇がまがまがしく感じられる。初見のひとは、姉弟が魔物を闇に封じこめる儀式でもやったのだろうか、と推測するのではないか。

たった三カットだけなのに、姉弟のやっていることの意味が変化している。そのうつろいを愉しむ見方もあるだろう。

 注:http://d.hatena.ne.jp/projectdengeki/20110824


だが、映画をすべて見たあと、初見のひとは冒頭の三カットをふりかえってどう思うのだろうか? やはり、気になるのはそこだ。

映画の中盤で、姉は「あいつ」から受けた性的虐待を告げたときの母の反応を思い出し、「わたし、母さんのこと、ずっと憎んでいたかもしれない」と言い、「母さんも、わたしのこと、憎んでいたんじゃないかな」と言う。弟はそんなはずがないと姉の考えを否定し、姉も弟の言葉に同意する。

母に対して抱いていたかもしれない姉の憎しみは、シナリオではそれっきり問題にされない。しかし、完成した映画のあり方は、シナリオとはちょっとちがうと思う。映画を見終えたあと、初見のひとの中には、あの冒頭の儀式は何だったのだろうと思い返すひとがいるにちがいない。そのとき、心の中でよみがってくるのは、一度は打ち消されたはずの、母に対して抱いていたかもしれない憎しみなのではないか。長宗我部さん演じる姉が遺灰をまくときの手には、ひょっとしたら憎しみがこめられていたのではないか……。


気になるのは、骨壷に入っていたものが骨ではなく、灰だったということだ。骨であれば、強く握りしめることができる。憎しみをこめることはそう難しくはないだろう。

しかし、スクリーンに映っていたのは、砂のような灰だった。握りしめた手のすきまから、さらさらと遺灰がこぼれていくさまは、一カット目から映っていた。

あれでは憎しみをこめることはできない。姉が感じていたのは、ひとを憎むことの空しさだったではないか。

一方、弟はどうだったのだろう? 岡部尚演じる弟は姉がまいた遺灰の行方ではなく、もっと遠くを見つめているような目をしていた。おそらく、彼が見つめていたのは、トンネルの奥の闇だ。がらんどうの闇の中に弟は何を見たのか。姉と同じように、ひとを憎むことの空しさを見ていたのだろうか。


ついでだから、トンネルのことも記しておく。

実を言うと、クライマックスにトンネルを持ってくることには後ろめたさがあった。以前書いたTVシリーズ『ダムド・ファイル』でやったことの二番煎じではないか、と思っていたのだ。港で何とかできないかと思ったのだが、駄目だった。それで仕方なく、トンネルにしたというわけである。

木更津の街については歩いて自分の目で確かめているのだが、トンネルには行く余裕がなかった。木更津からマザー牧場に向かえば、途中にトンネルがいくつかあるはずだくらいに思って書いていたのだった。

完成した映画を見たあと、居酒屋で万田邦敏さんが「『ダムド・ファイル』のトンネルよりいいよねえ」と言っていた。あれは何というトンネルなのだろう? 掘ったばかりみたいにゴツゴツとした壁面に味があるし、それに何より途中で道が曲がっているのが恐い。あれは異界に続いていそうな不気味なトンネルであったと思う。

2011-09-24

[][]『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』+プロジェクトDENGEKI、レイトショー公開!(オーディトリウム渋谷にて9/24〜10/8(9/28休映)、連日21時10分から)


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大工原正樹の『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』が、オーディトリウム渋谷でレイトショー公開されます(9/24〜10/8(9/28休映)、連日21時10分から)。

詳しくは公式サイトをご覧ください。

http://hotohotosama.web.fc2.com/index.html


[][][]『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』を見て思ったこと・第1回(井川耕一郎)


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『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』については前に書いたことがある(注)。しかし、あのときはまだ完成作品を見ていなかった。そこで、今回は映画を見たあとに思ったことを記そうと思う。といっても、とりとめのない雑感になってしまいそうだけれども。

 注:http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20100311


『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』のシナリオは、クランクインの日がすぐそこまで迫っている中、大急ぎで書かなければいけなかった。準備期間はあまりない。そこで、エピソードとエピソードをつなぐような芝居は端折って、ぶつ切りのエピソードが並んでいるだけの構成にしようと考えた。

ヒントは、西山洋市さんの短編『プラヴァツキー大佐』だった。あの短編のように細かく章分けして、1、2、3……というふうに字幕を出そうと思ったのだった。十代の頃に読んでいたブローティガンの小説なども頭の片隅にあったかもしれない。

完成した作品もシナリオと同じように細かく章分けされていた。しかし、各章の字幕は算用数字ではなかった。あれについては何と言ったらいいのだろう。とにかく、ぞっとした。板や壁のような硬い物の表面をナイフでえぐったような傷痕が、一つ、また一つ……と音もなくひっそり増えていくのである。

映画を見ながら、こういう傷痕の増殖がやがて文字になっていくのかもしれないな、などととりとめないことを思い、白川静の本のことを思い出していた(蠱のことを初めて知ったのは、白川静の『漢字』(岩波新書)を読んだときではなかったか)。


そういえば、傷痕で思い出したけれども、シナハンで街をひとりで歩いていたら、「与三郎通り」という通りがあった。ああ、そうか、木更津と言えば、切られ与三郎だったな、と思い出した。

切られ与三郎でまっさきに思い出すのは、歌舞伎ではなくて、伊藤大輔が監督した映画の方だ(『切られ与三郎』1960年・大映)。もとの舞台とはちがって、映画には富士真奈美(この頃は少女という感じであった)演じる与三郎の妹・お金が登場する。彼女は血のつながっていない兄を愛してしまい、自害する。市川雷蔵演じる与三郎がお金の亡骸を抱いて夜明けの海に入っていくラストシーンは、忘れられない名シーンだった。これはもう兄妹心中といっていいだろう。

ひょっとしたら、与三郎通りを歩いたことが、姉と弟のドラマを書くことにつながっていったのかもしれない。


時間のなさから苦しまぎれに思いついたぶつ切りエピソードのられつという構成だったが、映画を見ていて、ここはうまくいったかな、と思えたところがあった。映画館で森田亜紀さん演じる女性がトイレで死んでいたひとのことを語る場面がそれだ。

この場面を書いたのは自分だと言いたいところだが、残念ながらそうではない。大工原正樹さんが現場でつけたしたものだ。どういういきさつでそんなことを語りだしたのかが分からなくてかなり唐突なぶん、この場面は不吉な印象を残すのではないか。ぶつ切りのられつが思いもかけない効果をあげたところだと思う。

2010-06-09

[][]『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』が「映画美学校セレクション2010」で上映されます(6月9日21:00〜・ユーロスペース)

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自分のせいでバタバタと慌しく入った撮影から、それに反して、幾度かの中断をはさみながらの、いつ終わるとも知れない長い仕上げ期間を経て、やっと昨日、『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』が完成と相成りました。

早い時は撮影から10日後には完成というペースが沁み込んでいる身には、何度かモチベーションを失いそうになったこともあるゆったりとした仕上げでしたが、いま考えると、とても贅沢なことだったのかもしれません。

未完成版を観た新谷尚之さんに「こういう作品は時間がかかるのです。誰も答えが見えないままに、作品の正体を探して彷徨う事になるのですから」といわれて、ああそうかと、初めて仕上げ期間が長かったことを幸運に思いました。

シナリオの井川さん、カメラの志賀さん、助手の広瀬さん、録音の臼井さん、出演者の長宗我部陽子さん、岡部尚君、森田亜紀さん、出演と主題歌『姉ちゃんのブルース』作詞の高橋洋さん、音楽の中川さん、山根さん、大勢の協力してくださった皆さん、映画美学校の事務局の皆さん、そして11期高等科のスタッフ、ありがとうございました。感謝です。

 事情があって、完成試写はまだまだ先になりそうですが、明日9日、1回だけユーロスペースで上映されます。

 このブログを見てくださっているみなさま方も、もしお暇があったら観ていただければと思います。(大工原)


映画美学校セレクションの詳しい情報はこちらをどうぞ。

http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=277