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2016-09-13

[][]『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』、ラピュタ阿佐ヶ谷で上映中(9月19日まで連日21時〜)

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(この文章は『月刊シナリオ』2016年9月号に掲載されたものです)


「渡辺さん、さっき言ってましたね。『(秘)湯の街 夜のひとで』を撮っているとき、いつか映画が撮れなくなる日が来る……と思っていたって。売り出し中のこれからって監督が何でそんなことを考えるんですか?」

 二〇一〇年、私は「ピンク映画の巨匠」と呼ばれた男、渡辺護ドキュメンタリーを撮っていた。撮ろうと思った経緯は実にいいかげんなものだった。私の脚本で渡辺さんが監督することになっていたピンク映画が製作延期になってしまったのだ。

 渡辺さんの家にはよく遊びに行ったのだけれども、そのたび、渡辺さんは息つぎなしで自分の人生と映画についてしゃべりまくった。脱線また脱線の圧倒的な語り。しかし、聞いていてとても楽しい。この渡辺さんの「話芸」を記録しておこう。暇になった私はそう思ったのだ。

 けれども、撮っているうちに、欲というか悪意というか、想定外の何かが私の中に芽生えてきた。どうしてなのかは分からない。渡辺さんの語りを止めるような質問をしたら、どうなるんだろう……。そんなことを思いながら、冒頭の質問を発したのだった。

 私の質問に渡辺さんは一瞬かたまった。けれども、渡辺さんはじいっと考えてから、はぐらかすことなく誠実に答えてくれたのだった。その答を聞いて、私は負けたと思った。

 そんなふうにして撮った渡辺護自伝的ドキュメンタリーが、この夏、ラピュタ阿佐ヶ谷渡辺護特集で上映されます。ぜひご覧ください。


(『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』は9月19日(月)までラピュタ阿佐ヶ谷で上映中です。連日21時〜)

ラピュタ阿佐ヶ谷http://www.laputa-jp.com/laputa/program/watanabemamoru/

2014-07-21

[][]渡辺護1931−2013(前)(井川耕一郎)


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1931年3月19日東京生まれ。1950年早稲田大学文学部演劇科に入学。その後、八田元夫演出研究所に入り、演出を学ぶ。テレビドラマの俳優、シナリオライター、教育映画・テレビ映画の助監督などを経て、1964年ピンク映画界へ。1965年に『あばずれ』で監督デビュー。1970年頃からピンク映画を代表する監督として認められるようになる。現在、監督作品として確認できるものは210本ほどだが、実際にはそれ以上撮っていると思われる。主な作品に『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)、『(秘)湯の町 夜のひとで』(70)、『日本セックス縦断 東日本篇』(71)、『制服の娼婦』(74)、『痴漢と女高生』(74)、『谷ナオミ 縛る!』(77)、『少女縄化粧』(79)、『激撮! 日本の緊縛』(80)、『好色花でんしゃ』(81)、『セーラー服色情飼育』(82)、『連続殺人鬼 冷血』(84)、『紅蓮華』(93)などがある。2013年、新作『色道四十八手 たからぶね』の準備に入った矢先に倒れ、12月24日、大腸ガンで亡くなる。遺作は『喪服の未亡人 ほしいの…』(08)。


<少年時代:1931−1949>

1931年3月19日、東京府北豊島郡滝野川町に、渡辺恭三郎、ナカの第三子として生まれる(兄、姉、弟、妹の五人兄弟)。その後、一家は王子区豊島に引っ越す。渡辺によると、父・恭三郎の仕事は人入れ稼業。近所にあった築地館の経営に一時期(1939年頃〜42年)かかわっていたこともあった。

子どもの頃に遊んだ荒川周辺では、大都映画がよく時代劇の撮影をしていた。また、父と一緒に歩いた王子の三業地の雰囲気も忘れられないものだった。母・ナカは不良になるからと言って映画を見ることを禁じていたが、ただ見する方法を考えては映画館にもぐりこんでいた。

1941年、憧れの存在であった兄・優(まさる)が結核で亡くなる。東大美学美術史科の学生だった優は、将来、小説か映画の道に進みたいと友人に語っていたという。渡辺は兄が遺した映画雑誌などを読むうち、監督や脚本家などのスタッフや映画史を意識した映画の見方を身につけていく。

神田の錦城中学に入ってからは、軍国主義の風潮になじめないこともあって、学校をさぼって浅草の映画館に通うことが多くなる。この頃に見た映画で忘れられないのは、監督:衣笠貞之助・脚本:伊藤大輔雪之丞変化』(35)、監督:吉村公三郎『暖流』(39)、監督:伊藤大輔鞍馬天狗』(41)。

「戦争が末期になってきたときから、いわゆる名画座みたいなスタイルが出てきたんですよ。昭和10年(1935年)頃から14年(1939年)の、大東亜戦争始まるまでの映画ってのは、結構、日本映画、魅力あったんじゃないですかね。その昭和10年から14年ごろの名作を、おれは(昭和)19年(1944年)の一年で見たような気がするんですけどね。だからおれの映画はもうあの昭和19年に見た映画で、おれの監督の資質ってのはもう全部なんですよ」

1945年終戦。「正直言ってほっとした。おれは非国民だな」。1947、8年頃、幼なじみの高橋正夫(1952年、血のメーデー事件で亡くなる)に誘われ、北区労働者クラブの活動に参加。子ども会の芝居の演出をする。


<監督になるまで:1950〜1964>

1950年早稲田大学文学部演劇科に入学(学費を使いこんでしまったため、卒業はしていない)。この頃、大映ニューフェイスに合格するが、軍隊のような雰囲気に嫌気がさし、数ヶ月でやめ、大学での演劇活動を経て八田元夫演出研究所に入る。研究所には後に声優になる近石真介、槐(さいかち)柳二らがいた。

戦前から体系的な演技論の必要性を感じていた八田元夫は、占領軍のCIE(民間情報教育部)の図書館で見つけたスタニスラフスキー・システムに関する論文を翻訳し、日々の練習に使っていた。渡辺は情緒的記憶や貫通行動などといった理論をたえず意識して演じることに窮屈さを感じてはいたものの、八田元夫のもとで学んだことはムダではなく、監督になってから「ああ、そうか!」と気づくことがあった、と語っている。

「役者がね、「こんな性格の悪い否定的な人間、どう演ったらいいんだ」みたいなことを言ったことがあるんですよ。そうしたら、八田元夫さんがさ、「自分がどういう人間か、よく考えてみろ。お前くらい、いやな野郎でくだらないやつはいないんだ。だから、この役をお前だと思え」みたいなことを言ったんですよ。要するに、自分の中にあるはずだと。その悪役が持ってる精神がね。それ聞いて、おれ、感心したことありましたよ」

1957年山岡久乃の相手役として東芝日曜劇場に出る(岡本愛彦演出『髪の毛と花びら』)。以後、数本のテレビドラマに出演。だが、自分は役者には向いていないと考えていた。

60年代に入ってからは、シナリオライター(『特別機動捜査隊』、『若い炎』などのTVドラマ)、キャバレーのショーの構成・演出、教育映画・テレビ映画の助監督などをやるようになる。1964年、『無法松の一生』の撮影中、役者のスケジュールに関することで監督の土居通芳と口論になり、胸倉をつかもうとする相手の手をふりはらうつもりが、思いきり突き飛ばす結果に。渡辺はテレビ映画の現場を去ることになる。

仕事を失った渡辺に劇場用映画の助監督をやらないかと声をかけてきたのが、十朱久雄の弟・十朱三郎だった。助監督でついた作品は南部泰三『殺された女』。これがピンク映画界に入るきっかけとなった。

「あんまりその映画がバカバカしいから一本でやめようと思ったんですよ。だけどお金がいいんだよね。僕がチーフで6万もらった。当時、サラリーマンの課長クラスの月給が5万ぐらいだから、これは魅力ですよ。それに何たってピンクはキャッシュでくれるからね(笑)。で、その次は自分で脚本書いちゃったわけ。最初のがあんまりひどい映画だったからね。そしたら、ホン代と助監督で10何万なんだよね」(梅林敏彦『荒野を走る監督たち シネマドランカー』北宋社1980年


<新人監督:1965−1968>

1965年、扇映画プロダクションの斉藤邦唯は、南部泰三の現場で知り合った渡辺にピンク映画が撮れる監督の紹介を求める。渡辺は助監督についたことがある西條文喜を推薦し、少年時代に見て感激した『雪之丞変化』をヒントに少女の復讐もの『あばずれ』を企画(脚本は吉田義昭が執筆)。だが、西條は他の仕事が入って撮れなくなってしまい、渡辺が『あばずれ』を監督することになる。

監督デビュー作『あばずれ』の撮影は竹野治夫、照明は村瀬栄一。撮影所出身のベテランスタッフだった。

「一本目はそういうわけで、画としてはメジャー級だったらしいんですけどね。そういう意味ではラッキーだったって言えばそうだけど、俺が作ったって言えるのかなぁ(笑い)。スタッフが決まった時からそういうクラスになってる訳で、俺の力じゃないんだよね。よく夜のシーンをツブシって言って昼に撮ったりするんだけど、竹野さんはツブシは一切やらないんだから。自分で大きなライトを持ってきて、キッチリ、セッティングしてね。女優の左京未知子が、「やる気になるわぁ〜」なんて言ってたよ。初号で、映倫が「ピンク映画もここまで来ましたか」って握手したもの」(『現代映像研究会会報』第7号・2001年)。

渡辺は『あばずれ』を含む初期の九本の映画を扇映画で撮る。

1967年、『情夫と情婦』の準備中、予定していた配給会社が倒産してしまう。渡辺は伝手を頼って小森白のもとを訪れ、彼が社長をやっている東京興映で配給を引き受けてほしいと頼みこむ。完成作品を見た小森は渡辺の演出力を高く評価し、東京興映の専属監督になるように誘う。渡辺にとって、ピンク映画界では大手の東京興映に入ることはうれしい話だった。さらに渡辺は小森の「もう一人、商売になる監督がほしい」という要望に応えるため、山本晋也を日本シネマから引き抜き、『知りたい年頃』(67)の製作を担当する。

東京興映でなければできない映画として、小森白・山本晋也渡辺護の三人で監督する『悪道魔十年』(67年)、『密通刑罰史』(68年)を企画。だが、小森白がある女優が流したデマを信じて急に自分を遠ざけるようになったと感じた渡辺は1968年東京興映を離れてしまう。このとき、ピンク映画をやめて教育映画にもどることも考えたという。1966年、『のたうち』を撮ったあと、助監督の沖島勲に一度だけもらしたことだが、渡辺はデビュー作『あばずれ』を超える作品がなかなか撮れないと悩んでいたのだった。


<主観カット/客観カット>

1968年の一時期、渡辺は仕事をせずに映画館でピンク映画を見続けたという。そのときにひらめいたのが「主観カット/客観カット」理論だった。

「ふっと気がついたのが、山本晋也の映画はアップに入っても客観カットだと。それが分かったんですよ。あいつの演出は主観じゃなくて、全部(ものごとを)客観的に見て撮るんですよ。それで今度は小森白さんの映画を見たんですよ。どっちかというと、おれはパクさんの映画を古くさいと思ってた。だけど、見ていたらね、説明カットは単純に早い。説明を聞いたら、パーン!と切っちゃう。それで、山場が来ると、寄り、引き、移動――延々とその芝居を押していくんですよ。そうすると、お客さんもそこでのると。小森白さんの場合は、全部主観カットになるんですよ、(山本晋也とは)逆に」

渡辺は「主観カット/客観カット」理論を今まで見てきたさまざまな映画にもあてはめて考えてみる。

「主観カット・客観カットってことを考えるようになってから、おれの映画の見方は変わってきたね。市川崑さんは山本晋也と同じ「全編客観カット」の監督だ。アップを撮っても主観に入らない。動きが面白いところをアップで撮る。たとえば、木枯らし紋次郎のふりかえり方が面白いと、そこをアップで撮るんだ。たぶん、そういう撮り方になるのは、劇映画の世界に入る前にアニメーションをやっていたからじゃないかと思う。

凄いのは、溝口健二小津安二郎だよ。溝口さんは1シーン1カットで撮っているけれど、その1シーン1カットの中に主観もあれば、客観もある。小津さんはと言うと、アップは撮らない。全部客観といえば、客観だ。でも、『晩春』のラストで笠智衆が一人きりでリンゴの皮を剥くところがあるでしょう? あそこは引いた画だけれども、主観なんだ。つまり、溝口健二小津安二郎の映画では、主観と客観が同時進行してるんだよ!

そのことに気づいたとき、おれにはとてもそんなことはできないと思ったね。それなら、どうしたらよいか? おれは昔から好きだった黒澤(明)さんや伊藤(大輔)さんのように行こうと思ったんだ。主観カットと客観カットを組み合わせて映画を撮っていこうと考えたんだよ」(『片目だけの恋』公式サイトのインタビュー)

夏目漱石文学論』のF+fを思わせる「主観カット/客観カット」理論は、『あばずれ』を超える作品がなかなか撮れないという渡辺の悩みを解決するきっかけとなった。「山本晋也が客観カットだと、パクさん(小森白)の場合は全部、主観で攻めていくというのを知ったときにね……、あ!そうか!と思ったときには感覚的に自分の現場行くときの感じはずいぶんちがってきた。それから、なんかね、「あ、おれは撮れる!」っていうね、「おれは面白い映画が撮れる!」っていう自信みたいなものが出てきたですね」


<売れっ子監督:1969−1976>

「ボクは地味な方だが、一つの姿勢というか自分の方向を安易に妥協してしまうのがキライだ。妥協してしまえば、スムーズに行くことはわかっているけどダメなんだな。だから手を抜いた仕事はできない。主張は通す主義だ。だから他の監督のように忙しくはない」(「脱がせ屋の素顔(10)渡辺護監督 悪を追求し続ける善人監督」『月刊成人映画』第46号・1969年11月)

たしかに1968年までの渡辺の監督本数は年に5、6本と多くはない。だが、1969年は10本、以後、「五社でも通用する技巧」(『月刊成人映画』第46号)が認められ、年に12本以上の映画を撮っていくことになる。

1970年、渡辺は大和屋竺の脚本で二本の映画を撮る。一本目は女ヤクザ・弁天の加代の活躍を描いた『男ごろし 極悪弁天』(69)の続篇・『おんな地獄唄 尺八弁天』。

大和屋ちゃんの書いてきたホンを初めて読んだときにはふるえたね。『尺八弁天』は俺へのラブレターですよ。いい台詞ばかりだし、主人公のまわりのキャラクターもいい配分で書けている。山中貞雄の時代劇の粋さに負けていないと思った。どうしてもやりたいから、俺は予算オーバーを覚悟で撮ることにした」「『尺八弁天』は小川徹加藤泰に見るようにすすめたんだよ。加藤泰さんは、かなわないな、と言ったそうです。かなわないなっていうのは、緋牡丹博徒のホンは『尺八弁天』にかなわないなってことだと思う」(「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」『ジライヤ別冊 大和屋竺』・1995年)

二本目は温泉街に流れついたエロ事師たちを描いた『(秘)湯の町 夜のひとで』。

「(衰弱した雀が川原で死ぬラストシーンで)顔がぽちゃん(と水につかる)。水が冷たいんだな。でも、キャメラマンが偉いよ。池田(清二)は水からキャメラ引いて撮ったからねえ。分かるんだねえ、監督がのってると。助監督の稲尾(実)、キャメラの池田――あのときのわたなべぷろってのは、スタッフがすごかったねえ。今思うと懐かしいっていうか、一番いいときだったかもしんないなあ。いやあ、意識してたわけじゃないけど、今思うと、呼吸がものすごかったねえ。どんどん引っ張っていかれたですよ、スタッフに」

映画芸術』は1970年11月号で『(秘)湯の町 夜のひとで』を取り上げ、シナリオと二つの批評、そして渡辺のエッセイ「何が難しいことだって ピンク監督の弁」を掲載した。

この頃、渡辺は主に関東映配配給の映画を撮っていたが、山本晋也が間に入って小森白との関係を修復、ふたたび東京興映でも撮るようになる。

1971年東京興映の大作『日本セックス縦断 東日本篇』をまかされた渡辺は、高校生が悪さをしながら旅する映画をつくろうと考える。ところが、シナリオがなかなか完成せず、クランクインの日が迫ってきてしまった。そんなとき、大久保清逮捕の新聞記事を読んだ渡辺は企画を変更し、事件ものでいこうと考える。

大久保清は八人の女性を殺害した疑いがかけられていたが、渡辺が下田空にシナリオを頼んだ時点ではまだ否認していた。そこで映画では大久保清が犯罪に走るまでを描くつもりでいたのだが、クランクイン直前に八件の犯行を自供。小森白は群馬の旅館に電話をかけ、到着したばかりの渡辺に「八人の女性殺害を全部撮れ」と命じる。渡辺は下田空と小栗康平にシナリオの書き直しを頼み、翌日からシナリオなしでも撮れる部分から撮ることになる。

映画は大久保清逮捕から二ヶ月後の七月に公開され、大ヒット。『週刊読売1971年7月30日号に「“大久保の実演”をピンク映画にしたスゴイやつら」という記事が載るほどだった。渡辺は「映画はどう撮ったってつながる」という発見があったことがこの映画の収穫だったと語っている。

1971年日活がロマンポルノの製作を開始した年でもあった。

「ボクたちはこれまで映倫に遠慮してセックスシーンは、ある一線を超えないように撮ってきた。でも、日活ポルノ映画をみて態度を変えることにしましたよ。ボクらが“遠慮”してたところを、日活はかなり大胆に撮っているんですね。もう黙っているわけにはいかない。やりますよ。徹底的にファックシーンを撮るし、負けられません」(「話題の新作「男女和合術」下田ロケ・ルポ 渡辺護監督、「エロ事師」で日活ポルノへ果たし状」『月刊成人映画』第72号・1972年1月)

だが、ピンク映画の製作条件は年々悪化。1973年に小森白はピンク映画に見切りをつけ、東京興映をたたみ、映画界から引退してしまう。1972年から76年にかけて、渡辺は製作・大東映画(関東映配が製作専門のプロダクションとなって改称)、配給・大蔵映画のピンク映画を何本も撮っているが、その中には大阪ホステス殺人事件を描いた話題作『十六才 愛と性の遍歴』(73)や、渡辺自身が代表作としている荒井晴彦脚本の『制服の娼婦』、『痴漢と女高生』(ともに74)などがある。

「これ(『制服の娼婦』)見て、みんな泣いたからねえ、初号のとき。ゴールデン街の荒井の友だちがみんな見に来て、(試写室が)満員になっちゃったんだよ。で、終わったら、(見に来た連中が)「荒井、泣けちゃったよ」「荒井、やったね!」って言うから、あれ、監督はおれなんだけど……(笑)」

また、1975年には谷ナオミの事務所にいた東てる美を見て、「この子はスターになる!」と確信し、主演作『禁断 性愛の詩』(75)を撮っている。

わたなべぷろだくしょんが「門前忍」という変名を使うようになったのは1971年から。この名前で監督したのは、渡辺、山本晋也、栗原幸治の三人である。

1972年声優渡辺典子と結婚。(続く)


[][]渡辺護1931−2013(後)(井川耕一郎)


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<緊縛ものと新人女優:1977−1984>

1970年代半ば、新東宝興業は小森白『日本拷問刑罰史』(64)のようなヒット作を求め、若松孝二山本晋也らに拷問ものを発注していた。同じ注文は渡辺のところにも来たが、拷問ものが生理的に苦手な渡辺は廓の女たちの悲しみを描くというねらいで『(裸)女郎生贄』(77)を撮る。だが、撮影中に男優がふりまわしたサーベルが女優の目の下にあたって負傷するという事故が起き、納得できるものにはならなかった。

同じ年、渡辺は新東宝から「谷ナオミ主演で一本」という注文を受ける。

「(新東宝には)「拷問はやらない」って言ったんですよ。緊縛の変態映画じゃなくて、金に縛られるとか、力に縛られるとか、「縛られる女」って解釈で(映画を撮ろうと思った)。要するに、縄はベッドシーン小道具として考えようと。高橋伴明が(シナリオライターで)いたんで助かったけどね」

渡辺は、高橋伴明立原正秋薪能』をヒントにして書いたシナリオで、『谷ナオミ 縛る!』(77)を撮る。

「『谷ナオミ 縛る!』がそれこそヒットした。当たったもんだから、(新東宝が)またいってくれって。そうしたらね、「ナベさん、日活が(谷ナオミを)もう出さないって言うんだよね。どうしようか」って言うから、ああ、上等だと。(日活が)谷ナオミを出さないって言うなら、谷ナオミが出ないでも、『谷ナオミ 縛る!』を超えるものを撮ればいいんだろうと」

日活に対抗するには少女ものだと考えた渡辺は、廓に売られてきた少女を主人公にした『少女を縛る!』(78)を撮る。この作品は渡辺にとって会心の作となったが、少女と縄の組み合わせで多くのひとに注目されたのは、監督デビュー作『あばずれ』の時代劇版リメイク『少女縄化粧』(79)だった。撮影の鈴木史郎が復讐を誓って巡礼の旅を続ける少女の姿を凝りに凝った映像で撮ったこと、当時、人気が出てきた日野繭子が主演していることなどもあって、『少女縄化粧』は第一回ズームアップ映画祭で作品賞をとる。

渡辺は高橋伴明や小水一男(ガイラ)の脚本で緊縛ものを撮っていた頃をふりかえって次のように語っている。

「『谷ナオミ 縛る!』のときは探り探り撮っていた。『少女を縛る!』のときは、(日活に対抗して)『谷ナオミ 縛る!』以上のものを撮ろうと、演出をかまえて撮っていたですよね。『少女縄化粧』は渡辺護の好みのものでね、愉しんで撮っているというのかな。

ガイラ(の脚本)になってからは、女の体は権力より強いっていうテーマに変わったかな。いくら男が縛っても、男の方は死んじゃうけど、女は生き残っていくっていう映画になっていったね。『激撮! 日本の緊縛』(80)のときはさ、女を縛ってサーベルでもって叩いても、女は生きていくみたいな話。

だんだん、そのときには、縛りものを今度は何で行くかってことで追っかけられる人生になってきたね」

1976年以後、渡辺は新東宝以外にも、向井寛のユニバースプロモーション東映ポルノを撮り、ミリオンでも撮っていたが、それに加えて1979年からは日活の外注作品を撮るようになる。

「次から次へと、撮っては飲み、飲んでは撮る。自分自身で自分がどういう状態なのか、もう、よくわからない。そんな昨今だ。昨日も深夜二時まで、打ち合わせしながら飲んだ。だが、午前八時には目が覚めた。午後二時の新幹線に乗らなくてならない。今日は、大阪の“ピンクリボン賞”授賞式に出演することになっている」(「日録」『日本読書新聞1980年7月7日号)

第1回ピンクリボン賞受賞記念作品『好色花でんしゃ』を撮った1981年、知人の大曲瑛一から「うちの事務所に電話番もできない子がいるんだけど、ものになるだろうか」と相談を受けた渡辺は、一人の少女と会う。一目見て、売れる!と直観した渡辺は、彼女に美保純という芸名をつけて、日活の外注作品『制服処女のいたみ』を撮る。

「最初に池袋で撮ったんですよ。セーラー服の子がいっぱいいるところで歩きを撮ったんだよ。そのとき、(美保純が)セリフを言って、途中でふりむいて、「監督、いいのか、これで?」って言うんだよ。「いいの?」じゃないんだよ、「いいのか、これで?」なんだよ。

「いいけどよ、カットって言うまでやってくれよな」「えっ?」って言うんだよ。「よーい、スタートで芝居するだろ。カットって言うまでやってないとダメなんだよ。お前みたいに勝手に、これでいいのか?はねえだろ」って言ったよ。「ああ、そうか。分かった」。これが可愛いんだよな。

(『制服処女のいたみ』は)できそこない映画ですけど、美保純が可愛かった。魅力的だった。これがね、不思議に売れちゃったんだよな。舞台挨拶のとき、美保純が出たらね、お客の反応が俄然すごいんですよ。大曲はそれを見て、これは儲かる!ってんで積極的にマネージャーやるようになった」

1982年曽根中生のフィルムワーカーズに入った渡辺の最初の仕事は、日活外注作品『セーラー服色情飼育』の監督だった。ところが、出演予定の新人女優が降りてしまい、急遽、代わりを探すことになる。このときに出会ったのが可愛かずみだった。

「これは売れるな!ってね。もうとにかく、(喫茶店で)水も飲まないで、「お願いします。出てくれ。かならず後悔させない。出てよかったっていうふうにするから。おれを信用してくれ。信用って言っても無理かあ」。そういう会話ばっかりしてた。ところが、(可愛かずみの)反応がさ、「出て裸になってもいいけど……、からむのはイヤだ……。だから、わたし、やっぱり、やめる」。そういうことを言ってたよ。

「よし、(からみは)なしでいこう!」。(おれがそう言ったら、プロデューサーが)おい、大丈夫か、ナベさんって顔してたよ。すごかったね、あのときの神経は。やっぱりね、狂気の世界だよ、監督がものをつくるときは。この子で撮ろう! これで決まり! それしかない。おれの場合、それが特徴だね。

セーラー服色情飼育』で可愛かずみが売れちゃってねえ。バーッと評判になって、劇場が満員になったからねえ。そしたら、山根(成之)って監督がいるじゃない。シブガキ隊(の映画)を撮るんで、誰か女優さんいないかって言うから、可愛かずみを推薦した。「シブガキ隊と一緒に出るんですか!」って、おれの作品のときには見せないうれしそうな顔してたよね。あのときの顔、無邪気で可愛かったなあ。「ああ、出る出る! 出ます!」てなこと言ってさ。あんときはさ、誰のおかげだ、コノヤローって思ったよ(笑)」

渡辺は可愛かずみ主演で初の一般映画『忙しい花嫁』を撮る準備を始める。だが、曽根中生から「その前に事件ものを一本撮ってくれ」と言われ、監督したのが『連続殺人鬼 冷血』(84)であった。

「曽根が『連続殺人鬼 冷血』をやってくれと言ったのは、おれの大久保清(『日本セックス縦断 東日本篇』)をおぼえてたから。(高橋三千綱を刺した)中山一也主演でと言ったのも曽根。宣伝がタダになるっていうんだな。「渡辺護が現場でしごいて、カッとなった中山一也に刺されるであろうことを予言する」なんてゴールデン街で言ってたやつがいたそうだよ」


ピンク映画から離れて:1985−1993>

1985年5本、86年3本、87年1本……と渡辺の監督本数は年々減っていく。

「映画を撮らしてもらえないような環境になってたね、ピンク映画は。代々木忠の『ザ・オナニー』とか、そういうのがあたるようになって、ビデオで撮ったものを劇場で流すみたいなことが流行ったことあるでしょ。そうするとね、にっかつでもね、どこでも、ベッドシーンがあればいいみたいな風潮が出てきたんです。

撮る意欲が起きてこないんですよ。何撮っていいのか分かんないってのもあるんですよ。いつだかフィルムワーカーズの資金繰りが大変なんで、ピンクを撮ってくれって言われたことがあってね。いいかげんなもの撮ったんですよ。そのとき、撮っててね、「撮ってやる! 面白いものつくってやる!」ってのがなくて撮ってるってのはね、つらいですよね。もう、そのときは、ピンクはおれの時代じゃなくなっている……ってことはありましたね」

1989年の『生板本番 かぶりつき』を最後に、渡辺はピンク映画から離れてしまう。その頃、渡辺が撮っていたのはカラオケだった(東映カラオケビデオシリーズの『愛しき日々』、『津軽じょんがら流れ唄』、『おれの小樽』、『君は心の妻だから』、『夢芝居』、『涙の連絡船』、『長崎の鐘』、『さらば青春』など)。

「いいよ、カラオケってのは。お金もらって、高級旅館泊まってさ、みんなタイアップだからね。だから、カラオケばっかり撮ってた。うん、それは楽しかった。津軽行ったりさあ、札幌行ったり。それでさ、あれ、ドラマじゃないから。女をきれいに歩かせたりさ、ふっとふりむかせたりとか。要するに、テクニックだな。画にして音楽流して、そういうことが結構面白くて……、ああ、面白かったよ!

おれは早かったよ。ぱっぱっと撮って、あとは(酒を飲む手つき)。その頃は飲みましたから、(撮影の)鈴木史郎と年中。で、鈴木史郎には「映画撮らないんですか、監督」「監督、映画撮ろうよ、撮ろうよ」って言われたけど……」

あるとき、田中うめのの『梅一輪』という女性社長の自伝を二億の予算で撮らないかという話が渡辺のもとに来る。渡辺は監督を引き受けるが、シナリオづくりは難航し、佐伯俊道が書いた第一稿をもとに沖島勲が第二稿を書くことになった。

「飲み屋で受け取った沖島のホンは、生原がこれくらい(5cm)あったんですよ。で、帰って読んだですよ。あいつが考えてることが全部入ってるわけよ。演説ぶってるみたいなもんよ。でも、不思議なもんでねえ、明け方、読み終えたときには、あ、できた、と思ったよ。これで映画できた!と思った」

渡辺の話では、『紅蓮華』(93)でもっとも印象に残っているのは、主人公・さくらの再婚相手・建造を演じた役所広司だと言う。

プロデューサーは他の役者をあげていたんですよ。奥田瑛二とか、根津甚八とか。おれは役所広司の『三匹が斬る!』を見て、これはいい役者だなあってのがあったんだよね。「役所広司、テレビに出ずっぱりだから、おそらくスケジュールあいてないだろうけど、ちょっとあたってみてくれ」と言ったんですよ。そうしたら、プロデューサーが「えっ、役所広司?」。この頃、誰もこの役を役所広司なんて考えてなかった。映画の主役として認めてないっていうか。でも、役所広司は、ホンを読ませたら、すぐOKですよ。どんなスケジュールであっても、これには出ると。おれはついてるなと思ったですよ。

『紅蓮華』は難しかった。動きがないから。ドラマとしてカットバックするものじゃないから。客観カットで決めていかないといけないから。キャメラ、あんまり動かさないで撮っていこうというのがあるから、役者の演技の雰囲気ってのをあてにするわけですよ。

武田久美子演じる愛人の洋子に役所広司が)「子どもができた、だから、帰って下さい」と言われて怒るところをどう撮るかってのは難しかったですね。そのとき、役所広司さんが「これは男のエゴイズムを剥き出しにしないとダメでしょうね」って言うから、「それと自己嫌悪かなあ」と答えた。それで役所広司の芝居に賭けるわけだよな。見たらさあ、泣けたもんね。いい芝居するんだよ。これねえ、役所広司じゃなきゃできなかったんじゃないかと。全身に「生きる意味がない」って悲しさが出てて、魅力的だったですよ。うーん……とうなっちゃったよ。二百何十本撮ってて、おれ、こんなの初めてだよ」


ピンク映画に戻る:1994−2013>

2000年、渡辺は小水一男プロデュースで『川奈まり子の人妻愛モード 上司の妻を辱める』など二本のOVを撮る。

「今度のGAIRA・SHOCKレーベルの二本も、俺はピンク映画のつもりで撮ったんだ。日程的にはきつかったけど、現場は明るかったよ。

一本目はそれなりに商品としてキッチリ撮ったからね。何がどうって、大した話じゃないんだけど、一時間、アッという間に観ちゃうよ。おかしくって、もうみんな現場で吹き出してたんだから。来年早々にビデオが出るのかな? どんな反応があるか楽しみだよ。

もう一本は、商売的には間違いないかもしれないけど、それほどはね。「いつもの、例の手で一丁いきましょう、への三番で」てなもんでね。でもね、今の若い監督はベッドシーンが撮れてないですからね。

来春、国映・新東宝で、久しぶりにピンク映画も撮りますよ。稲尾(実)の製作でね」(『現代映像研究会会報』第7号・2001年)

渡辺はピンク映画に戻り、2001年に新東宝で『若妻快楽レッスン 虜』を、2002年にエクセスで『義母の秘密 息子愛撫』を撮る。だが、このときに撮った映画については、後になって自己批判するようになる。2008年、切通理作によるインタビューの中で渡辺は次のように語っている。

「前に久しぶりでやったときは正直ナメてかかってた。自分の中にあるピンクのやり方の中で撮っていただけで『思い』がない。監督ってのはそういうのあるんだよ。三〜四年前に動脈瘤と癌やって、二度と監督できないと思った。「もうお別れだ」と、持っている物をひとに全部あげたり。でもまた元気になって、昔からの付き合いの制作会社・国映の朝倉さんから「ナベちゃん、映画撮んないと身体に悪いよ」と電話あって、やってみようと思った。今度は最近作られた他のピンク映画も参考に見て、その上で『オレのスタンダードはこれだ!』と勝負出来る映画にしようと」(「21世紀切通理作の一刀両断 ピンク映画時放 渡辺護監督インタビュー」『ニャン2倶楽部Z』・2008年8月号)

2008年、渡辺は国映で『喪服の未亡人 ほしいの…』を撮る。この作品は、切通インタビューの中でも言っているように、ピンク映画の新しいスタンダードをつくる試みの始まりであった。渡辺はすぐに新作の準備に入ったのだが、その後のことについては、私(井川)が別のところに書いたものを引用しておく。

「次回作のシナリオの打ち合わせのために渡辺護さんの家に行ったのは、二〇〇八年六月だったか。「切通理作さんが『喪服の未亡人 ほしいの…』について書いてますよ」と言って『キネマ旬報』六月上旬号を渡すと、渡辺さんはその批評を読みだした。「おい、食えない映画だなんて書いてあるぞ」と言ってニヤニヤしている渡辺さんに私は尋ねた。「次回作、どうしますか?」「そうだな、『喪服の未亡人』パート2――また食えないやつをやろう」」「私は『色道四十八手 たからぶね』というシナリオを書いた。撮影は二〇〇九年秋の予定だったが、残念ながらさまざまな事情から製作延期となってしまった。そこで渡辺さんと私は今の自分たちにすぐできる映画を撮ることにした。渡辺さんがカメラの前で自分の人生とピンク映画史について語る自伝的ドキュメンタリーである」「全十部八時間のドキュメンタリーがもうじき完成するという二〇一三年九月、ぴんくりんくの太田耕一さん、PGの林田義行さんと一緒に私は渡辺家を訪ねた。太田さんの「ピンク五〇周年を記念する映画として、『たからぶね』を撮ってほしいのです」という言葉に、渡辺さんは即答した。「やるよ。絶対に面白いものにする」 だが、十一月二日に渡辺さんは外出先で倒れてしまった。検査の結果、大腸ガンであることが判明。十一月十七日、病院で渡辺さんは言った。「おれはガンだから撮れない。井川、『たからぶね』はお前がやれよ」 そうして、十二月二十四日に渡辺さんは亡くなった」(井川耕一郎「ピンク映画をもう一度ゼロから始める」『PG』第110号・2014年


<監督・渡辺護とその作品(1)>

「ピンクってのは一番監督の映画が作れる場所だったですね。例えば、雪の中を裸で走るっていうキャッチフレーズがあれば客が来たって時代があるわけね。だから、ベッドシーンさえ撮れば内容はどう作ってもいいという自由が我々にはあったわけですよね」「僕らには、これ一本失敗したらクビになるとか、そういう追いつめられた気持ちはないわけよ。日活にはまだあると思うんだ。だから、僕らの映画っていうのは、バカバカしくつまんないとか、あるいは気楽に面白かったというのがマチマチにあったりするんじゃないかな。そういうやり方が逆に、今の観客に対する映画作りのリズムになってるってことも言えるんじゃないかな」(梅林敏彦『荒野を走る監督たち シネマドランカー』北宋社1980年

渡辺にとって、ピンク映画は監督としての自分を育ててくれた大切な場であった。けれども、ピンク映画史の中だけで見ることを試しにやめてみると、渡辺についてどのようなことが言えるだろうか。

渡辺は「僕は小学校の頃から“カツキチ”って言われてね。ええ、活動気違い。もう、浴びるほど見てましたね」(『荒野を走る監督たち シネマドランカー』)と言い、自作については「昔見た映画のイタダキをずいぶんやった」と言っている(たとえば、『女の狂宴』(66)は大曾根辰夫『獣の宿』の、『情夫と情婦』(67)はビリー・ワイルダー『深夜の告白』の、『明日なき暴行』(70)は木下恵介『女』の、『多淫な痴女』(73)はフェデリコフェリーニ『道』の、『禁断 性愛の詩』(75)はクロード・ルルーシュ『パリのめぐり逢い』のイタダキである)。ところで、「カツキチ」をシネフィル、「イタダキ」をオマージュと言い換えてみたらどうか。意外と渡辺はフランスヌーヴェルヴァーグに近いのではないか。実際、渡辺は1931年生まれで、ヌーヴェルヴァーグの監督たちと同世代なのである。

また、1977年、館主会で『谷ナオミ 縛る!』について「これは拷問もの?」と訊かれた渡辺は、「拷問ものじゃねえよ。文芸ものだ」と答えたという。『谷ナオミ 縛る!』が立原正秋薪能』をヒントにしたものであったからそう言ったのだろうが、この「文芸もの」という言い方の背景には1950年代後半から60年代前半に数多くつくられた文芸メロドラマがあるのではないか。

「「よろめき」ブーム以降の文芸メロドラマは、不倫の恋の主題を全面に押し出すとともに、婚前交渉、妊娠、同性愛、初体験、性暴力、若年者への性的誘惑、インセスト、色情症、離婚、自殺などの刺激的な場面を含み、不倫という特殊な恋愛劇をより重層的な性的スペクタクルへと仕立て上げるようになってきた」(河野真理江『文芸メロドラマ映画史的位置 「よろめき」の系譜、商品化、批評的受容』「立教映像身体学研究」第一号・2013年)

河野による文芸メロドラマに関する説明を読むと、ピンク映画の源流の一つに文芸メロドラマがあるのではないかという気がしてくる。特に渡辺は文芸メロドラマ的な発想についてはかなり意識的な監督だったのではないか(たとえば、渡辺の『奴隷未亡人』(67)は溝口健二『雪夫人絵図』の翻案であり、『女子大生の抵抗』(66)、『性能の奥技』(73)、『緊縛色情夫人』(80)の三本は『肉体の悪魔』の翻案である)。さらに言うと、渡辺の初期作品のキャメラマン・竹野治夫(生田洋の変名を使用)は、五所平之助の文芸メロドラマ『わが愛』、『白い牙』、『猟銃』のキャメラマンでもあった。この事実から、竹野治夫を通して渡辺が文芸メロドラマの影響を受けたという仮説を立てることもできるだろう。


<監督・渡辺護とその作品(2)>

「新藤孝衛のように情事ロマン派でもなければ、若松孝二のようにゲバルト路線でもない。いわばおとなの映画が本流かと思うと時には若々しい女の子の現代性を追及してみたり、喜劇ものを撮ってみたり、幅は広い。

だが、彼の世界は女の“情念”といったものが得意といえるだろう。もっとも彼と親しく交流している山本晋也監督にいわせると、

「やっぱり、“情念作家”ですね。彼に情念の世界を描かせたらとても他の監督が追従できない魅力をもった作品をものにする人ですね。その点貴重な人です」と評価する」(「脱がせ屋の素顔(10)渡辺護監督 悪を追求し続ける善人監督」『月刊成人映画』第46号・1969年11月)

「何でもこなす、人情劇から復讐劇、かと思うと諷刺劇から喜劇または時代物だろうが現代物だろうがなんでも撮る。そしてそれが、すべて渡辺護の映画世界としてひとつの糸で結ばれているのだから驚いてしまう。

自分の体の中にシミこんだものを、それぞれのパターンにあわせて器用にギヤチェンジする切れ味の良さを持ち、ありがちなテーマによりかかりすぎて作品的に破綻するというミスをまったくと言っていいほどしない。新東宝映画がピンク映画で本格的に“縛り”を始めてからは“縛りのナベさん”の異名をとるほどSM映画を撮っているが、そのどれもがキワモノになることを極度に恐れた作品構成に重きをおくつくり方である。SMに至る心理描写が執拗に描かれるのである」(鈴木義昭ピンク映画水滸伝 その二十年史』青心社・1983年)

渡辺については、まずは作品の多様さが強調され、次にその多様さの中に共通して流れる何かがあるというふうに紹介されてきた。だが、渡辺が亡くなった今、もっとも知りたいのはさまざまな作品に共通する「何か」だろう。その「何か」をもう少しはっきりさせることはできないものだろうか。

監督・渡辺護の本質を探る試みはとても難しい。何しろ監督した本数が何本なのかということからして正確にはよく分からない。現在、確認できる監督作品は210本程度だが、実際にはそれ以上撮っているのではないかと言われている(渡辺は、70年代に監督作品が百本を超えたところで数えるのをやめた、と言っている)。そのうえ、今、見られる作品はほんのわずかだ(それも70年代半ば以後の新東宝作品、日活外注作品が大半である)。シナリオについては、残っているフィルムに比べると時代的な偏りはそれほどなく、数も多いが、80本弱しかない。

それでも、渡辺が残した言葉と、現在見られる作品をつなぎあわせてみれば、監督・渡辺護の本質に迫る試みの手がかりくらいは得られるだろう(渡辺は直感的な職人監督というふうにひとから見られたがっていたが、実際にはそうではなかった。自前の理論でもって自分のやってきた仕事を分析せずにはいられないひとであった)。

試しに四つほどの仮説を記してみる。


(1)役者のドキュメンタリーとしての劇映画

若い頃、八田元夫演出研究所で学んだ渡辺にとって、監督の一番の仕事とは、役者の芝居の演出をすることだった。渡辺の演技指導は厳しく、下元史朗が語るこんな伝説があるくらいである。

「護さんは、ホント、映画バカ。現場は、すごかったですよ。えらいロングでカラミやって、それを望遠で撮ってるんですけど、突然、護さんがバーッと走りだすんですよ。何すんのかと思ってたら、芝居が気に入らないんだか、何だか知らないけど、エキストラをぶん殴っているんです(笑)。それだけ、現場入ると、こう(近視眼的に)なっちゃう人でした」(松島政一「ピンク第二次黄金時代Part1 渡辺護山本晋也」『別冊PG vol.5 PINK FILM CHRONICLE 幻惑と官能の美学』・2002年)

(注:以前、渡辺にこの話について確認したところ、「あのとき、おれはエキストラを殴ったんじゃない。あいつは役者なのにちゃんと芝居をしてなかったんだ」という答が返ってきた)

だが、一方で渡辺はくりかえし次のようなことを語っていた。

「スクリーンに演技力は映らない。スクリーンに映るものは役者の人柄であり、存在感だ」

渡辺が言わんとしていたのは、劇映画にはもう一つ、別の顔があるということだろう。その顔とは、「役者のドキュメンタリー」ではないだろうか。渡辺は自分が撮った喜劇について次のように語っている。

「ピンクでは、この役はこいつで、こいつが空くまで待ってようなんてできないんだよな。余裕のないとこでキャスティングして映画を作っていかなきゃなんない。そうすると、来た役者が持っている雰囲気でもって芝居を構成していくってことになるんだよね。

腕のいい堺勝朗とか野上正義とか松浦康ってのは喜劇に出ると、役者の業っていうのかなあ、「あいつよりおれの方が面白い」「おれの方が受けなきゃつまんない」ってのがあって、「あいつがこう来るんなら、おれはこうやってやろう」っていう争いになって来るんですよ。テストをくりかえすと、だんだん芝居が変わってきて、本番になると、まるで変わっちゃうからね。これが面白かったですよ。だから、それがね、メジャーにはないピンクの喜劇なんだろうな。条件が整ってないからそういう喜劇になるんですよ。

おれもねえ、言ってたよ。それだけじゃねえだろ? それだけじゃねえだろ? 何にもねえじゃないかよ。もう一度やってみな――てなこと言って役者を煽ったことはずいぶんありますよ」

だが、役者のドキュメンタリーとしての劇映画ということで重要なのは、東てる美の『禁断性愛の詩』、美保純の『制服処女のいたみ』、可愛かずみの『セーラー服色情飼育』の三本ではないだろうか。渡辺は、主演の子が魅力的でかわいいので、次から次へとアイデアが出てきてカット数が増えていった、と語っている。要するに、これら三本の映画は、劇映画であると同時に新人女優の魅力を発見する過程を記録したドキュメンタリーでもあったということだろう。


(2)矛盾を生きること

『日本セックス縦断 東日本篇』で大久保清の事件を描くときに渡辺が注目したのは、父との関係だった。

大久保清がなぜ犯罪に走ったかというと、奥さんが親父に犯られちゃうわけですよ。「おれの女房とやって、お前、どうやってケジメつけるんだ、この野郎」「お前の言うとおりにするから、どうしたらカンベンしてくれるんだ?」って親父が言うと、「車を買ってくれ」。女を暴行するための車を買ってくれってことだな」

自分の性欲を満たすために息子の嫁まで犯してしまう父を憎みながらも、その父と同じようなことをやってしまう――大久保清のあり方は矛盾している。

『連続殺人鬼 冷血』のロケハンのときに渡辺が注目したのは、勝田清孝の父が建てた赤い屋根の家だった。

「小さい家だけど、おれのとこはモダンアメリカ的なんだと。古い日本のしきたりでやってるんじゃないんだってことで、赤い屋根。やっぱり目立つだろう、おれのうちは、と勝田の親父は考えてる」

勝田清孝はそんな虚栄心の強い父を軽蔑しながらも、実際より自分を大きく見せようとしているうち、犯罪に走る。勝田もまた大久保清と同じように矛盾を生きていると言えるだろう。

この二本の事件ものに限らず、矛盾を生きることは渡辺にとって重要なテーマの一つだったのではないだろうか。

『おんな地獄唄 尺八弁天』で、渡辺が力を入れて演出したのは弁天の加代とセイガクのベッドシーンであった。セイガクは加代の背の弁天の刺青を見た後、自分の背に彫ってある吉祥天刺青を見せながら次のように語る。

「こう血が騒ぐのも、俺のせいじゃねえ。お前のせいでもねえ」「契るのは俺とお前じゃねえ」「契るたって仏さん同志のやるこった。俺っち外道の知ることかよ」「こうなる星の下だ。長生きは出来ねえ。墨を入れたお前の体は、今がまっ盛りだってことよ」

渡辺は大和屋竺が書いたこうしたセリフに魅了された。神に衝き動かされる外道であること――セイガクと加代は背に刺青を彫ったときから矛盾を生きている。

また、『聖処女縛り』(79)では、綾(日野繭子)は恋人(下元史朗)を殺した特高の小西(鶴岡八郎)に復讐しようとするのだが、小西に縛られて快感を感じるようになる。ここにも矛盾を生きる登場人物がいるが、さらに渡辺は人を服従させたい権力者も矛盾を生きているとして、特高の小西について次のように語っている。

「(鶴岡八郎演じる小西にとって)反抗する日野繭子(綾)は面白いけれど、岡尚美(綾の姉で小西の愛人)みたいなのは面白くないというのはあったりするでしょうね。反抗的だと、男はそれを服従させたいし、また好きになるわな。一方、服従するやつは分かりきっているし、つまんない女だと。大ざっぱに言うと、そういう差別はあるでしょうね」


(3)さすらうこと

渡辺は子どもの頃に見た映画の忘れられないシーンについてこんなことを語っている。

子どものときね、おれ、海って見てないから。(映画の中で)海を歩く浪人の姿がね、なんとなくかっこいいっていうか、もの悲しいっていうかね、そういうもの感じた記憶あるんですけど。浪人がね、海のところ歩きながらね、楊子かなんかくわえて、こんな悲しい顔してね、泣きながら座り込むシーンなんかあるんだよ。そういうムードがけっこう好きでしてね」

この言葉は、二百本以上の映画を撮った監督が自分の考える映画的なイメージとは何かを語ったものとして読むことができる。さすらうこと(特に水辺をさすらうこと)は、渡辺がもっとも映画的と感じるものであった。たとえば、強盗殺人犯とその女の逃避行を描いた『明日なき暴行』は、さすらうことだけで一本の映画をつくる試みだったととらえることができるだろう。

また、渡辺は『少女縄化粧』をどのように発想したかについて次のように語っている。

「『少女を縛る!』撮って、『緊縛変態花嫁』撮って、もう企画がなくなっちゃったんだよ。さて、次の緊縛もの、どうしようかってときに、ふと思ったのが――少女が巡礼して歩く。恨みをもって復讐のために八十八ヶ所をまわると。それでぱっとホン屋にふるわけだ。「お前できるか?」って。そうしたら、高橋伴明が「それだけじゃなんとも……、八十八ケ所まわるって画は分かるけれども、それをどういうふうに……」。

しょうがないからさ、おれ、『あばずれ』のホン、見せてさ、「これ、緊縛ものになるか、おい」。最後はもうネタあかしだよ。そうしたら、高橋伴明軽蔑したようにおれの顔を見て笑って、「じゃあ、考えさせて下さい」。で、「あ、できますよ」って電話かかってきてさ。

おれは流れるってのが好きなんだよ。旅から旅へってのが好きなんだよ。あの映画を見るとね、『少女縄化粧』っていうけれど、何で縄化粧になるのか……。本当は緊縛ものにならないんだよな」

だが、さすらいという点から見てもっとも重要なのは、シロクロショー、エロ写真、ブルーフィルムなど、エロを見せて旅するものたちを描いた系列の作品ではないだろうか(『シロクロ夫婦』(69)、『(秘)湯の町 夜のひとで』、『男女和合術』(72)、『多淫な痴女』(73)、『おかきぞめ 新・花電車』(75)など)。子どもの頃、どさ回りの役者になって旅することをよく夢想していた渡辺にとって、この系列の映画はのりにのって撮ることができるものであったにちがいない。

渡辺は1981年の『好色花でんしゃ』のあと、この系列の映画を撮っていない。そういう作品が求められなくなっていったことが、ピンク映画を撮る意欲を失う原因の一つになったのではないだろうか。

また、さすらうこととの関連で注目したいのは、80年代後半から撮るようになったカラオケである。生活のためとはいえ、地方を旅しながらの仕事はかなり楽しいことだったのではないか。実際、残されたカラオケを見てみると、水辺を女がさすらう渡辺好みのカットが大半なのである。


(4)幸せなときはもう二度と戻ってこないという悲しみ

「俺はドラマってのは「別れ」だ、と思ってるからね。昭和十八、九年、子どものときに学校さぼって浅草で見た映画を体がおぼえてるんだ。『望郷』や『河内山宗俊』のラスト……ああいうのが映画だ。生きるはかなさ、もの悲しさ……言葉じゃ言い切れないけれど、そういうものに酔ったんだよ。ドラマってのは「別れ」だ。別れがあって、時が過ぎていくってのがドラマだな」(「『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった」『ジライヤ別冊 大和屋竺』・1995年)

「(渡辺護自伝的ドキュメンタリーの)第一部(『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』)でいえば、僕らも初めて知る、兄の死や血のメーデー事件で死んだ幼なじみエピソードを語る時の渡辺さんの相貌に現れる「喪失感」なのだが、やはり白眉は第二部(『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』)で語られる、徹夜の撮影でうたた寝してしまった女優の寝顔を見て、「あれは怖いよ」という一言だろう。渡辺さんは「今」という瞬間の計り知れない恐ろしさのことを言っているのである。ある忘れがたい一瞬があった。その場所が、紛う事なき同じ場所であるのに、もうその一瞬はかき消えているという耐えがたい感覚について。それは兄の遺骸が運び去られた部屋で、今にも兄が襖を開けて入って来そうに思えて、思わず名前を呼んでしまう。すると「え、何処?」と母親が入ってくる。その感覚に通じるものだ。渡辺さんはそれを「つわものどもが遊びのあと」と呼んでいる」(高橋洋「まるで伊藤大輔と競い合って撮っている人みたいな」『映画芸術』第447号・2014年

渡辺自身の言葉も高橋の言葉も、直接、作品に言及したものではない。けれども、「情念」(『月刊成人映画』)や、「自分の体にシミこんだもの」(鈴木義昭ピンク映画水滸伝』)が指し示そうとしていたものが何であったかを解き明かすものになっている。渡辺のさまざまな作品に共通して流れている何か――それは、幸せなときはもう二度と戻ってこないという悲しみではないだろうか。

1965年に撮った監督デビュー作『あばずれ』は、少女が父を自殺に追いやった後妻とその愛人に復讐するというものであった。おそらく、復讐劇は、幸せなときはもう二度と戻ってこないという悲しみを表現するのに最も適した枠組みであったのだろう。渡辺はその後、『あばずれ』を『少女縄化粧』、『変態SEX 私とろける』(80)と二度リメイクしているし(ただし、『少女縄化粧』は時代設定を変えてのリメイク)、現在、確認できるものとしては、『のたうち』(66)、『絶品の悪女』(69)、『好色旅枕百人斬り』(73)、『聖処女縛り』(79)、『濡れ肌 刺青を縛る』(82)などが最愛のひとを奪われた者の復讐劇であることが分かっている。

また、代表作『(秘)湯の町 夜のひとで』(70)のラストは、大和屋竺のシナリオとは異なり、心身ともに衰弱した雀が獄中にいるエロ事師の夫・久生の幻を見ながら川原で死ぬというものであった。ここにも、幸せなときはもう二度と戻ってこないという悲しみがにじみ出ている。

後期の代表作『紅蓮華』(93)では、役所広司演じる建造が、母の死後、こんなセリフを口にする。

「お袋に死なれてみて、俺が、とんでもない、見果てぬ夢を、心に抱いていたことが分った。……(自嘲して)フッフ……それは、俺が、何代も続いた旧家としての中田家を、復興しよう等と、考えていた事だ」「そうして、少年時代の、黄金時代を、取り戻そう等と、考えていたことだ……」「本気で、そんな事を考えていたのか……タダ、夢の中に、無意識の中に、持っていたものか知らんが……そんな想いが、俺の中にくすぶり続けていた事は確かなようだ……」

沖島勲が書いたこのセリフに、自分がくりかえし表現してきた悲しみがはっきり出ているのを見て、渡辺は心を動かされたのではないだろうか。




ここに記した四つの仮説は、やはり仮説でしかない。

では、フィルムの大半が失われてしまった今、渡辺護がどんな映画監督だったかを知ることはもはや不可能なのだろうか。

いや、そうではないだろう。

監督デビュー作『あばずれ』は、渡辺自身もフィルムが残っていないとあきらめていたものであったが、2014年神戸映画資料館が16mmプリントを発見している。まだどこかに渡辺の作品が眠っているかもしれないのだ。

渡辺護ピンク映画がどのような可能性を持っていたのかを探る作業はこれからと言っていいだろう。


(出典が記されていない渡辺護の発言はすべて渡辺護自伝的ドキュメンタリーとそのラッシュからの採録です)

2014-01-03

[][]渡辺護監督が亡くなりました/その監督人生をふりかえる(井川耕一郎)


f:id:inazuma2006:20131229103002j:image


(以下の文章は、2014年1月2日に渡辺護公式サイトに掲載したものです)


2013年12月24日、渡辺護監督が82才で亡くなりました。

10月に新作を撮る話が来て、周囲の人々に「面白い映画を撮ってみせるよ!」と宣言していたのですが、11月2日に外出先で倒れ、病院に運ばれました。

検査の結果、大腸がんであることが判明。

その後の詳しい経緯はこちらをどうぞ。

→ http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20131229/p1


渡辺護1931年3月19日東京生まれ。

早稲田大学文学部演劇科に入学後、八田元夫演出研究所に入り、演出と演技について学びました。

その後、TVドラマの俳優、シナリオライター、TV映画・教育映画の助監督などを経て、1964年に南部泰三『殺された女』の助監督としてピンク映画の世界に入ります。

1965年大映出身の監督・西條文喜のために企画していた『あばずれ』(脚本は吉田義昭)で監督デビュー。


渡辺護が何本の映画を監督したのかは正確には分かっていません(現在、確認できる監督作品は210本程度。実際にはそれ以上撮っていると思われます)。

フィルムが残っているものはほんのわずかで、時代的なかたよりなく百本以上の渡辺護作品を見ているひとはほとんどいないと言っていいでしょう。

そこで、私たちが代表作と考える作品タイトルを記すのはひかえて、渡辺護自身が自分の監督人生と作品をどのように見ていたのかを以下に記すことにします。

渡辺護のフィルモグラフィーはこちら。

  → http://watanabemamoru.com/?page_id=7 )


1965年1973年

1965年に少女の復讐を描いた『あばずれ』で監督デビューした渡辺護にとって、新人監督時代はピンク映画の青春期でもありました。

映画が撮れるというだけで幸せだった時期、若松孝二(62年にデビュー)や向井寛(65年にデビュー)らと競い合うようにして映画を撮っていた時期、メジャーの映画に対抗するように映像の冒険をしていた時期だった、と語っています。


1967年に渡辺護は『情夫と情婦』(『深夜の告白』の翻案)で監督としての腕を認められて東京興映に入ります。

東京興映の社長は、ヒット作『日本拷問刑罰史』(64年)を撮った小森白。「お前のほかに、誰か戦力となる監督はいないか」と言う小森白に、渡辺護は同じ65年にデビューした山本晋也を推薦し、東京興映でなければできない映画として、小森・山本・渡辺の三人で監督する『悪道魔十年』(67年・修行僧が暴行魔となって放浪する話)を企画します。


しかし、1968年、小森白との間にちょっとした誤解が生じ、渡辺護東京興映を離れます(70年頃、山本晋也が間に入って、関係は修復されます)。

「教育映画にでも戻ろうか」と思っていたらしいのですが、結局、ピンク映画を捨てることはできなかった。

ほとんど仕事をすることなく(68年の監督本数は四本と極端に少ない)、映画館で他の監督たちが撮ったピンク映画を見続けていたそうです。


実は以前から渡辺護の中には、「デビュー作『あばずれ』を超えられない」という悩みがありました。

撮影の竹野治夫など、戦前からのベテランに助けられて、『あばずれ』はそれなりのものにはなったけれども、今後、渡辺護でなければ撮れない映画を撮るにはどうしたらいいのか……?

その悩みに対する答が見つかったのが、68年でした。

山本晋也や小森白の映画を見ているうちに、「主観カット/客観カット」という独自の映画理論が生まれ、「おれは面白い映画が撮れる!」という自信を得たと言います。

(「主観カット/客観カット」理論についてはこちらをどうぞ

→ http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20081116

  http://d.hatena.ne.jp/inazuma2006/20081120 )


女ヤクザものの『男ごろし 極悪弁天』(69年)、木下恵介『女』の翻案の『明日なき暴行』(70年)あたりから自信を持って映画を撮りだした渡辺護は、1970年に、以前からその才能に注目していた大和屋竺の脚本で二本の映画を撮ります。

『おんな地獄唄 尺八弁天』(『極悪弁天』の続篇)と、『(秘)湯の街 夜のひとで』(さすらうエロ事師たちの話)――この二本は渡辺護自身も代表作と認めているものです(特に愛着があるのは、『尺八弁天』。大和屋が書いた弁天の加代に惚れたとのこと)。


1971年渡辺護東京興映で大久保清事件を題材に『日本セックス縦断 東日本篇』を撮ります(この作品は大ヒットしたとのこと)。

大久保清が逮捕されたのが5月で、撮影は6月。当初、大久保清が犯罪者になるまでを描く予定だったのですが、クランクイン直後にプロデューサーの小森白からかかってきた電話は、「八件の暴行殺人事件を全部撮れ」というもの。

結果的に太田康(下田空と小栗康平)によるシナリオの直しと同時進行で、撮影が進められました。しかし、完成後に渡辺護は「いい勉強になった」「映画はどうやってもつながる」と感じたそうです。


<1974年〜1982年


1973年くらいまでの渡辺護作品の脚本家は石森史郎、阿部桂一、吉田義昭らでしたが、その後は次第に若手(荒井晴彦高橋伴明、小水一男)が脚本を書くようになります。

1974年に撮った『制服の娼婦』(売春する女子高生と若い男の同棲生活を描いたもの)、『痴漢と女高生』(女子高生を拉致監禁する中年男の話)の脚本は荒井晴彦

渡辺護はこの二作について、荒井晴彦の作家性がよく出ている作品で、自分の代表作でもあると語っています。


1973年に小森白はピンク映画に見切りをつけ、監督を引退します。けれども、新東宝は小森が『日本拷問刑罰史』によって始めた拷問ものをその後も求めていました。

70年代半ば、若松孝二山本晋也に続いて、渡辺護にも新東宝から拷問ものの注文が来ます。

しかし、渡辺護は、拷問ものとはちがうもの、縄をベッドシーン小道具として使うものを撮ることを模索します。このときに脚本家として協力したのが高橋伴明でした。

高橋伴明脚本で、『谷ナオミ 縛る!』(77年)、『少女を縛る!』(78年)、『少女縄化粧』(79年)、『聖処女縛り』(79年)を撮っていく過程で、渡辺護は拷問ものとはちがう自分なりの表現(「緊縛もの」と呼ばれるようになる)をつかんでいった、と語っています。

(ちなみに、この頃には、よく組むキャメラマンが池田清二から鈴木史郎にかわっています)


1979年頃から、高橋伴明と交代するように協力者となっていったのが小水一男でした。

渡辺護は小水一男のオリジナリティーに支えられて、『激撮!日本の緊縛』(80年)などの緊縛ものを撮り続けていきます。

この時期は日野繭子・岡尚美が出演する緊縛ものの時期であると同時に、『制服処女の痛み』(81年)で美保純を、『セーラー服色情飼育』(82年)で可愛かずみをデビューさせた時期でもありました(二作とも脚本は小水一男)。

渡辺護は、魅力的な新人女優に出会うと、作品としてのまとまりや完成度などどうでもよくなって、その子の持つ輝きをひたすら記録することに喜びを感じるような監督でした。

美保純可愛かずみは、『紅壺』(65年)の真山ひとみ、『禁断性愛の詩』(75年)の東てる美の系譜に連なる女優であると言えるでしょう。


<1983年以後>


70年代に入ってから、渡辺護は月にほぼ1本(あるいはそれ以上)という驚異的なペースで映画を撮り続けてきましたが、初の一般映画『連続殺人鬼 冷血』(渡辺自身は『日本セックス縦断 東日本篇』の二番煎じみたいな作品と厳しい自己評価をしています)を撮った1984年あたりから、本数が急速に減っていきます。

渡辺護は当時をふりかえってこう語っています。「代々木忠の『ザ・オナニー』とかがあたるようになって、ベッドシーンがあればそれでいいみたいな風潮が出てきた」「「面白いものつくってやる!」ってのがなくて撮ってるってのはね……、つらいですよね」「滝田(洋二郎)や片岡(修二)の方がおれよりうまいわと感じたことがある」

80年代後半、渡辺護は自分の時代は終わったと感じたのか、ピンク映画界を去ります。


その後の監督人生を渡辺護はどう見ていたのか?

沖島勲の脚本で撮った『紅蓮華』(93年)を渡辺護の代表作の一つにあげるひとは、現在かなりいます。

けれども、渡辺本人は「決していい出来だとは言えない。失敗しているところがいくつもある」と最後まで言い続けていました(役所広司の演技は別にしての話ですが)。


ピンク映画監督・渡辺護


数年前、渡辺護は「渡辺さんほどの腕なら、一般映画でも十分通用したはずなのに、なぜピンク映画を撮り続けてきたんですか?」と訊かれて、その場できちんと返答できなかったそうです。

あとになって、渡辺護は考えを整理して、こんなことを私(井川)に話しました。

「メジャーだと、おれの上に誰かいて、こう撮れ、ああ撮れと指図してくる。それがイヤなんだ。おれはおれの選んだホン、おれの信頼するスタッフ・役者で、おれの好きなように撮りたい。早く言やあ、お山の大将になりたいってことかな。そういう自由があったのがピンク映画なんだ」


渡辺護が最後に撮ろうとしていたのは、ピンク映画でした。

そのことを思うと、なぜこのタイミングで亡くなってしまったのか……と本当に残念でなりません。


<追記>


渡辺護さんの奥さん(典子さん)はここ二ヶ月の看病で心身ともに疲れています。

よって、渡辺護に関する問い合わせは、以下のメールアドレスで対応したいと思います。よろしくお願いします。

 渡辺護自伝的ドキュメンタリープロジェクト 井川

wmd1931※gmail.com (※を@に変えて下さい)



[][]「渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」第3部〜第6部について(井川耕一郎)


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(以下の文章は2013年10月8日の試写のときに配布したものです)


渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」の第3部〜第6部は自作解説篇になる。

自作解説篇は渡辺護監督作品とのセット上映を前提としている(たとえば、『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)+『渡辺護が語る自作解説 弁天の加代を撮る』といったように)。

また、上映作品だけでなく、関連する作品についての話も入れるようにした。渡辺護さんの200本以上ある作品群の中にどんな流れが見出せるのかを示したかったからである(関連作品のフィルムが発見され、上映できればいいのだけれども……)。


第3部『渡辺護が語る自作解説 弁天の加代を撮る』(30分)

第三部で話題となるのは、弁天の加代を主人公にしたシリーズの第一作『男ごろし 極悪弁天』(69)と、第二作『おんな地獄唄 尺八弁天』(70)。

ちなみに、弁天の加代ものには、第三作『濡れ弁天御開帳』がある(ただし、主演は香取環ではなく、林美樹)。また、女ヤクザものというふうに見方を広げれば、『観音開き 悪道女』(70)も関連があることになる。


第4部『渡辺護が語る自作解説 エロ事師を撮る』(30分)

『(秘)湯の街 夜のひとで』(70)について、渡辺護さんはすでに第二部『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』である程度詳しく語っている。そこで、第四部ではエロ事師たちを描いた他の映画――『男女和合術』(72)、『性姦未公開図』(74)との関連に注目することにした。

『男女和合術』、『性姦未公開図』は、『(秘)湯の街 夜のひとで』の変奏とも言える映画だが、性を客に見せる芸人たちを描いた作品の流れを考えれば、『シロクロ夫婦』(69)、『多淫な痴女』(73)、『おかきぞめ 新・花電車』(75)、『好色花でんしゃ』(81)などが視野に入ってくるだろう(『好色花でんしゃ』については自作解説篇をつくる予定)。


第5部『渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(一) 拷問ものから緊縛ものへ』(35分)

「緊縛ものを撮る」は三部からなる。緊縛ものを例に、ジャンルがどのようにして生まれるのかを探ってみた。

第5部で主に語られる作品は、『谷ナオミ 縛る!』(77)と『少女を縛る!』(78)。

渡辺護の緊縛ものと言うと、『谷ナオミ 縛る!』、『少女縄化粧』(79)が有名だが、内容的に見て、『少女を縛る!』はきわめて重要な作品だと思う。緊縛ものという枠をはずしても、渡辺護の代表作の一本であると言えるのではないだろうか。


第6部『渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(二) 処女作への回帰』(30分)

第6部で話題となるのは、日野繭子主演の『少女縄化粧』(79)。前半は2010年に映画美学校で行ったインタビュー、後半は2012年に銀座シネパトスで『少女縄化粧』上映後に行われたトークショーである。

ドキュメンタリーを撮っていく中で分かったことだが、この作品は渡辺護の監督デビュー作『あばずれ』(65)の緊縛時代劇版リメイクだった(『あばずれ』については、第一部『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』の後半で詳しく論じている)。

『あばずれ』のリメイクはもう一本ある――夏麗子主演の『変態SEX 私とろける』(81)。『あばずれ』のフィルムが発見され、三本立てで上映できれば面白いと思うのだが……。


自作解説篇で私たちが目指したものは、渡辺護の作家的特徴の早分かりではなかった。

映画監督渡辺護の作家性は対話の中から生まれた――脚本家との、キャメラマンとの、役者との、観客との、今まで見てきた映画との、過去の自作との……対話から生まれ、磨かれていったのだ。

私たちはそんな対話の重要性を伝えることを目的にして自作解説篇をつくってみた。

対話の積み重ねこそ、歴史の真中を流れるものだ。

私たちの試みが少しでも、これからピンク映画史や日本映画史に取り組もうとする人たちの役に立てばいいのだが……。


出演・語り:渡辺護

製作:渡辺護、北岡稔美、撮影:松本岳大、井川耕一郎、録音:光地拓郎、編集:北岡稔美、構成補:矢部真弓、高橋淳、構成:井川耕一郎

協力:渡辺典子新東宝映画株式会社、銀座シネパトス

太田耕耘キ(ぴんくりんく編集部)、林田義行(PG)、福原彰


[][]「渡辺護自伝的ドキュメンタリー(全10部)」第7部〜第10部について(井川耕一郎)


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渡辺護が助監督としてついた南部泰三『殺された女』(64)の現場の写真)


第7部『渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(三) 権力者の肖像』(30分)

第7部で主に話題となる作品は日野繭子主演の『聖処女縛り』(79)。渡辺護によれば、『谷ナオミ 縛る!』(77)あたりから始まった緊縛ものというジャンルをつくりだす試みは、この作品で一区切りついたという。

また、『聖処女縛り』では、鶴岡八郎演じる特高の刑事を通して権力者の愚かさ、あわれさを描いたとも言い、モデルとなったある人物についても言及している。

第7部後半で語られるのは、80年代以後の緊縛ものについて。『激撮!日本の緊縛』(80)など、小水一男脚本で撮った緊縛ものの特徴について自己分析をしている。


第8部『渡辺護が語る自作解説 事件ものを撮る』(30分)

ある事件が世間を騒がせている間にさっさと映画にしてしまうというのは、ピンク映画が得意とするものだった。渡辺護もそうした事件ものを撮っているが、彼を衝き動かしていたものは「これは商売になる!」という勘だけではなかった。事件ものの背後には、人間に対するまっとうな関心があった。

第8部で取り上げる作品は、大久保清事件の『日本セックス縦断 東日本篇』(70)、大阪「クラブ・ジュン」ホステス強姦殺人事件の『十六才 愛と性の遍歴』(73)、勝田清孝事件の『連続殺人鬼 冷血』(84)の三本。

この他にも、渡辺護は女子高生誘拐監禁事件の『16歳の経験』(70)、立教助教授教え子殺人事件の『女子大生性愛図』(74)といった事件ものを撮っている。


第9部『渡辺護が語る自作解説 新人女優を撮る』(30分)

「スクリーンに演技力など映らない。映るのは存在感だけだ」と渡辺護はよく言っていたが、この言葉は魅力的な新人女優を撮ったときの経験に基づいている。

第9部で言及される主な作品は、東てる美の『禁断性愛の詩』(75)、美保純の『制服処女の痛み』(81)、『セーラー服色情飼育』(82)の三本。渡辺護が新人女優を撮るよろこびを時にあきれてしまうくらい生き生きと語っている。

渡辺護の新人女優に対するこだわりは、監督第二作『紅壺』(65)から始まる。おそらく、主演の真山ひとみを撮っているときに感じた恋愛感情すれすれのよろこびがいつまでも忘れられなかったのではないだろうか。


第10部『渡辺護が語るピンク映画史(補足) すべて消えゆく ピンク映画1964−1968』

当初、第10部は初期作品の自作解説篇とする予定だったのだが、ラッシュを見直すうち、考えが変わった。渡辺さんは自作よりも初期のピンク映画の現場にいたひとたちについて語りたかったのではないか……と思えてきたのだ。

第10部で、渡辺護は助監督時代、新人監督時代に出会ったひとたちのことを語っている。南部泰三、関喜誉仁、竹野治夫、遠藤精一、栗原幸治、山下治――彼らは、若松孝二、向井寛、山本晋也といったひとたちと比べると、ピンク映画史的にはそれほど重要ではないかもしれない。けれども、彼らが現場にいて働いていたことは事実なのだ。

すべては消えゆくかもしれないが、渡辺護はそれに逆らうようにして自分の体が記憶していることを語っている。


出演・語り:渡辺護

製作:渡辺護、北岡稔美、撮影:松本岳大、井川耕一郎、録音:光地拓郎、編集:北岡稔美、構成補:矢部真弓、高橋淳、構成:井川耕一郎

協力:渡辺典子新東宝映画株式会社

太田耕耘キ(ぴんくりんく編集部)、林田義行(PG)、福原彰、旦雄二、東舎利樹


2014年4月1日)

2013-09-09

[]渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第1回(清水かえで+井川耕一郎)


(この往復書簡は、2011年にプロジェクトDENGEKIブログのために書いたものです)


<はじめに>


試写で渡辺あいさんの『電撃』を見たら面白かった。それで、大工原正樹さんに、『電撃』の感想をブログに書きますよ、と言ったのだが、あとになって、しまった!と思ったのだ。冨永圭祐くんの『乱心』とセットにして論じると面白いんじゃないかなあ、なんて余計なことをついでに口走ってしまったからである(冨永くんは『電撃』では共同脚本)。

さて、どうしたものか……!と腕組みしていると、左下の奥歯が痛みだし、その範囲がじわじわ広がり、ついには脳天にまで達した。ものが書けないなんてものじゃない。普通の生活もできなくなりそうだったのである。もうダメだ!と近所の歯医者に駆けこみ、危機はなんとか去った。しかし、歯痛&頭痛と一緒に、それまで考えていたことが全部、頭の中から消え去っていた。

やれやれ、困ったぞ、と思いながらパソコンを見た。立教大学の映像身体学科で私の授業をとっている清水かえでさん(彼女はこのブログに『純情�・1』の批評を書いている)とのメールのやりとりが残っていた。読んでみて思った。なーんだ、これをそのまま、大工原さんに渡せばいいじゃないか。

 というわけで、清水さんに事情を説明し、メールを公開することにしたわけである。これで、大工原さんとの約束ははたした(清水さんの方が私よりたくさん大切な着想を書いていて、私はそれを応用しているだけなのだが)。清水さん、本当にありがとう。助かりました。みのる酒店(志木にある素晴らしい立ち飲み屋である!)で、なにか飲み物と高菜奴をおごります。(井川)


<清水かえで→井川耕一郎:『電撃』、面白かったです>


渡辺あいさんの『電撃』、面白かったです。

変な映画でしたけど。


最初に、美輪玲華さん演じるミチコがナレーションで、

「わたしが妊娠してから、タカヒロはやさしくなりました。でも、彼の浮気はとまりませんでした」

と言いますね。

それから次の次のシーンで、ミチコが買い物から帰ってくると、

リビングに波多野桃子さんがいて、安藤匡史さん演じるタカヒロが説明します。

「妹のキョウコだよ」と。


初めて妹のことを紹介するみたいな口ぶりで、なんかおかしいなぁと思ったのですが、

でも、キョウコは妹ではなくて、ほんとうは愛人なんだろうと、このときは思ったのです。

ちがいました。

タカヒロがうそをついて、キョウコを妹にする必要はなかったのです。

だって、ミチコはタカヒロの妻でも、同棲相手でもなく、

ただの○○○(ネタバレになるので、ふせておくことにしました(清水))だったのですから。

それに、あとになって、ミチコの妊娠もうそだと分かります。


最初にこれがお話の基本設定だと思っていたものが、ぽろぽろくずれていって、

わたしは今、何を見てるんだろと、くらくらしてきました。


でも、最初に書いた「変な映画」というのは、この「ぽろぽろ、くらくら」のことだけじゃないのです。

「わたしはタカヒロの妻で、妊娠している」という妄想がミチコがとりついていて、

そんなミチコにタカヒロやキョウコがふりまわされるお話だったら、分かりやすいと思うのですが、

『電撃』はそうではないように見えました。


ミチコはタカヒロに言います。

「兄妹って、あんなにべたべたするものなの?」

風呂あがりのタカヒロにくっつくキョウコを見ていると、ほんとうに妹という感じがしません。

ミチコがやめてからのシーンですが、

キョウコはタカヒロと同じベッドで仲よくならんで寝ています。

あれ? わたしは今、何を見てるんだろ?

キョウコは妹なの? 恋人なの?と、分からなくなってしまうシーンでした、これ。

キョウコは妹なのだから、そんなことがあってはならないんだけど、

タカヒロを愛しているのかなと思ったりしたのですが、

もしそうなら、キョウコが別の男のひととつきあっていて、じつは子どもがおなかの中にいるという設定は、どう受けとめたらいいのでしょう?

(今さっき書いたことと矛盾しますが、

キョウコはほんとうに妊娠しているのかな?とも思いました。

ミチコがキョウコにエコー写真を見せて、妊娠しているでしょ?と言うシーン。

あのとき、ミチコが手にしていた写真には折り目がついてました。

今、キョウコのおなかに赤ちゃんがいるなら、写真をあんなふうに折りたたんだりするかなぁと、思ったのです。

ひょっとして、流産してしまって、そのショックで、タカヒロの家に行ったのでは?)


それから、タカヒロですね。

でだしのシーンで、タカヒロはミチコの夫ぽくふるまっています。

なのに、あとになって、ミチコはただの○○○だよだとか、

ミチコの妊娠はうそだと分かっていたなんて言っている。

キョウコに対する態度も変です。

キョウコが恋人ぽくふるまって、いちゃいちゃしようとするのを、タカヒロはこばみません。

でも、キョウコがなぜ家出して、うちに来たのかをきちんと知ろうともしないのです。

そんなことぜんぜん興味がないといった感じで、心のそこから冷たいひとなのでは?と思いました。

このひとの本心はどうなっているのでしょう?

それに、タカヒロはほんとうに小説家なのでしょうか?

パソコンに向かってなにか書いているみたいですが、書いているふりをしているだけに見えます。


『電撃』では、ミチコだけじゃなくて、キョウコも、タカヒロも、ぽろぽろ、くらくらです。

三人が三人とも、自分ではない誰かを演じようとしているみたいです。

そこがとても面白かったんですけど、でも、どうしてこうなったのでしょう?

そういえば、大工原正樹監督の『純情�・1』も、演じたい!という欲求につき動かされる映画でした。

渡辺あいさんは大工原さんの教え子だそうですから、やっぱり、影響を受けたのでしょうか?


清水かえで


<井川耕一郎→清水かえで:『電撃』を見て、『乱心』を思い出す>


清水さん、メールありがとう。

たしかに清水さんが書いているように、『電撃』は変な映画ですね。冒頭で示される「妻−夫−愛人」の三角関係が途中で消失して、思ってもみなかった方向にドラマが進んでいく。

それで、ぼくが思い出したのは冨永圭祐くんが撮った『乱心』という映画でした。冨永くんは『電撃』のシナリオを渡辺あいさんと一緒に書いているひとです。


『乱心』の冒頭で、十郎はひよりの部屋を訪ねます。「放っておいてほしいのに」「私、呪われてる」と言うひよりに、十郎は「だとしたら、オレも呪われている」と言い返す。そしてさらに、妹の墓参りに一緒に行かないか、とも言う。

ここまで見て分かることは、どうやらひよりと十郎の間には忌まわしい過去があるようだということです。となると、この後、展開するドラマはどのようなものになるか? 忌まわしい過去を乗り超えようとして、逆にひよりと十郎、二人の身の上に恐ろしいことが起きるというドラマが予想されます。

ところが、その後のドラマは予想したようには進まないのです。

(清水さんは『乱心』を見ていないだろうし、別にネタバレしても問題ないと思うから先に書いてしまいますが、十年前にひよりの父は十郎の妹・耶子を殺しています)


ひよりを連れて故郷に戻った十郎は、まず幼なじみの盛太と清音に会うのですが、そのときに盛太はひよりを見て、「あれ、耶子ちゃんか」と言う。

それから、実家に戻り、両親と会うわけですが、ここでも母の霞がひよりの姿を見て凍りつく。晩飯のときに、耶子の茶碗と箸をひよりの前に出したところから見て、どうやらお母さんもひよりが殺された娘に似ていると思っているらしい。

盛太も霞もひよりに耶子を重ね合わせているのだけれども、ここで気になることが出てくるのです。本当にひよりと耶子は似ているのか?

盛太と一緒にひよりを見た清音はそうは思っていない。後になって、盛太に、何で「あれ、耶子ちゃんか」なんて言ったの?と尋ねている。

十郎の父・十信も似ているとは思わなかったようです。

じゃあ、なぜ盛太と霞は、ひよりが耶子に似ていると思ったのか?


その答は、途中で出てくる十年前の事件についての回想シーンで分かります。

一晩、留守にしていた両親が家に戻ってくる。霞は耶子の部屋のドアを開けて思わず叫ぶ。そこには、耶子の血まみれの死体があって、横には妹の手を握って眠っている十郎がいた……。

おそらく、霞はこのときの人物配置にとり憑かれてしまったのです。だから、十郎の横にいるというだけで、ひよりと耶子を重ね合わせてしまったのでしょう。

では、盛太は? 彼が十郎とキャッチボールするシーンがあるのですが、そこで盛太は「お前が守れば、耶子ちゃんは死なずにすんだんじゃないか」と言います。きっと、盛太は誰かから十郎が耶子の死体の横で寝ていたことを聞いていて、そのことにこだわっていたにちがいありません。

(ちなみに、十年前の耶子とひよりが似ているかと言うと、映画を見た印象ではまるで似ていませんでした。これはあきらかに、容姿ではなく、人物配置に注目せよ、と言っているようなものです)


ほら、ドラマが思ってもいなかった方向に進んでいるでしょう?

登場人物たちが問題にしだすのは、ひよりの父が耶子を殺したことではないのです。殺害された耶子の横で十郎が寝ていたことが問題になっているのです。

とりわけ、この人物配置にこだわるのは、もうじき結婚することになっている盛太と清音です。

盛太は十年前のことをこう考える。おれは耶子ちゃんが好きだったのに、十郎は耶子ちゃんを助けなかった……。

清音は子ども時代をふりかえってこう考える。わたしは十郎が好きだった。でも、十郎は耶子ちゃんを愛していて、耶子ちゃんもそのことが分かっていたみたいだった……。

こうして、盛太と清音の考えがいりまじり、「十郎−耶子−盛太」と「耶子−十郎−清音」の複合体である四角関係が生み出される。そして、この四角関係が、十郎−ひより−盛太−清音の関係に影響を及ぼし、惨劇が起きる。もう少し具体的に言うと、ひよりが盛太に犯され、清音がそれに激怒するというわけです。

盛太の子を宿している清音は十郎の実家に乗りこんでくると、みんなの前で自分の腹を包丁で何度も刺します。恐ろしいことはひよりと十郎の身の上にではなく、二人のすぐ横で起きてしまうのです。


このとき、ひよりは大笑いするのですが、一体、この笑いの意味は何なのだろう?

とても気になっているのですが、それに対する答がまだ見出せないでいます。

ああ、すみません。話が『電撃』からそれてしまいましたね。

(以下、『電撃』の感想が記されるが、清水さんの感想と重複するところが多いので、省略する)


井川耕一郎


追記

『乱心』のキャスト表を記しておきたい。

十郎:福島慎之介

ひより:新井美穂

耶子:江連えみり

清音:柳有美

盛太:平吹正名

霞:大沼百合子

十信:針原滋

浩嗣(ひよりの父):万田邦敏



[]渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第2回(清水かえで+井川耕一郎)


<清水かえで→井川耕一郎:『乱心』のシナリオを読んで>


『乱心』のシナリオ、送っていただき、ありがとうございます。

面白かったです。

どんな役者さんがどんなふうに演じているんだろう、どんなところで撮影しているんだろうって、

冨永さんの映画が見たくなりました。


先生のメールを読んだときには、

清音と十郎のお父さんは、盛太や十郎のお母さんに比べると、

ちょっと鈍感なひとなのかなぁと思ってました。

でも、シナリオを読んでみたら、ちがいました。

十郎のお母さんがひよりと耶子をかさねあわせて、いやな予感がするのよと言うと、

お父さんはこう言います。

「嫉妬してるんじゃないか。息子とられたような気持ちになって」

こんなふうに言われたら、「馬鹿言わないで」と言いかえすに決まってます。

でも、内心、気にしつづけると思うのです。

だから、お父さんはお母さんの気持ちをあおって、何かが起きるように仕向けている感じがしました。

感じだけですけど。


何かが起きるように仕向けている感じは、清音の方がもっとします。

清音は盛太の「あれ、耶子ちゃんか」を聞いて、

「盛太・耶子・十郎」という三角関係が昔あったと想像したのでしょう。

それから、「盛太・耶子・十郎」が、「盛太・ひより・十郎」に変わってしまうかもしれないと、不安になったのだと思います。

林の中で、清音は子どものころのことを話して、

「あたし、十郎君が好きだったのよ」と言いますが、

これって、「私は十郎をあきらめたのだから、あなたも盛太に近づかないで」と言うことですよね?

次の日、清音は盛太の前から姿を消しますが、

盛太の気持ちを自分に向けたくてやったことだと思います。

(でも、盛太は清音を探しているとちゅうで、ひよりと出会ってしまうのですが)


清音のやっていることは、おかしいですよね。

だって、「盛太・耶子・十郎」という三角関係が、「盛太・ひより・十郎」にかならず変わっていくとはかぎらないのですから。

結局、清音は頭の中でつくったお話を現実にしようと動いているみたいに見えます。


『乱心』には、二つのタイプのひとがいると思いました。

お母さんの霞や盛太みたいに、人物配置に敏感に反応してしまうひと。

お父さんの十信や清音みたいに、お話をつくってしまうひと。

でも、この二つはばらばらじゃありません。

人物配置に反応してしまうひとが横にいないと、

お話をつくってしまうひとは、お話がつくる手がかりがなくて、困ってしまうのでは?


それで思ったのですけど、

『電撃』の登場人物って、みんな、目の前の人や物の配置に敏感で、そのうえ、即興的にお話もつくれるタイプのひとたちなんじゃないでしょうか?

ミチコは○○○としてタカヒロの家にやってきたのですが、

自分とタカヒロ、それに一軒家という配置に反応して、

じゃあ、わたしはタカヒロの奥さんを演じようと思った。

キョウコはどういう理由でやってきたのか、はっきり分かりませんが、

自分、タカヒロ、ミチコの配置に反応して、

ミチコのライバルを演じて、タカヒロをとりあってみようと思った。

そうして、タカヒロはミチコが自分の妻を演じれば、夫を演じ、

キョウコが恋人を演じれば、それにあわせて恋人を演じようと思った。

のではないでしょうか?


でも、何でみんな、演技をしたいのでしょう?

そうしたくなる病気があるとか?


あっ、それから。

シーン13で、十郎と盛太がキャッチボールをしながら話してますね。

盛太が「お前が守れば、耶子ちゃんは死なずにすんだんじゃないか」と言って、

すぐ近くから十郎めがけて思いきりボールを投げようとするけれども、

「盛太、そのまま彼方にボールを投げる」とあります。

このとき、投げたボールは次のシーン14のおわりになって、林の中にいるひよりにあたりそうになるんですけど、

これって、映画を見ていて、どんな感じだったのですか?

えっ、今頃、落ちてくるの? 遅ーい。だったんですか?


清水かえで


<井川耕一郎→清水かえで:『電撃』の病気、『乱心』の病気・その1>


(このメールは、『電撃』と『乱心』について論じたかなり長いものになっている。そこで、二つに分けることにした)


清水さんのメールを読んで、なるほど、そうか、そうだったのか、と『電撃』と『乱心』について見えてくるものがありました。

大工原さんとの約束でブログに感想を書くことになっているので、助かりました。ありがとう。


まず『電撃』について。

試写で見たときから気になっていたのは、タカヒロとキョウコはどういう関係なのだろうということでした。

映画のはじめの方で、タカヒロはミチコに、キョウコのことを腹違いの妹だと説明してますね。それから、キョウコの母(タカヒロの継母)については、くそ女だと吐き捨てるように言っている。

また、キョウコが妊娠していることを告げるシーンで、タカヒロは「血は争えないんだな……。産むなんて言い出すなよな」と言っている。

以上のタカヒロの言葉から推測できる彼の家族関係は次のようなものでしょう。

タカヒロの母が病気で亡くなってすぐに、タカヒロの父は再婚した。再婚相手の女はすでに妊娠していた。当然、タカヒロは継母を嫌悪し、彼女のおなかの中にいる子も嫌悪する。ところが、生まれてきた妹・キョウコを間近で見ているうち、タカヒロの中で変化が起きた。継母はともかく、生まれてきた子を嫌うことはないじゃないか。キョウコには何の罪もない……。


もし上に書いたような家族関係なのだとしたら、タカヒロの言動には欠けているものが一つあるような気がしてならないのです。それは父に対する憎悪です。

ミチコの前で、キョウコの母をくそ女と言うくらいなら、自分の父に対する憎悪がもっと表に出ていいはずです。たぶん、タカヒロの父は死亡しているのでしょうが、それでも罵らずにはいられないような憎悪がタカヒロの中にはあるべきでしょう。

キョウコの妊娠を知ったときもそうです。タカヒロは「血は争えないんだな……」なんてことは言わずに、誰の子だ?と問い質すのではないでしょうか? そうして、口ごもるキョウコを見ているうち、タカヒロの中で、キョウコを妊娠させた男と自分の父が重ね合わされ、自分の父みたいな未知の男に対する憎しみがどうしようもなくふくらんでいくのでは?


どうしてタカヒロの言動から父に対する憎悪がぬけ落ちているのだろう? タカヒロがキョウコの母に対する嫌悪ばかり表明しているのを見ると、キョウコとは腹違いではなくて、種違いのような気がするのだが。タカヒロとキョウコ、二人を産んだ母を、ひとから淫乱とかあばずれとか言われるくらい自由奔放な恋多き女というふうに設定した方がすっきりするんだがなあ。

――と、まあ、試写を見た後、しばらくはそんなことを考えていたのです。渡辺さんと冨永くんは基本設定を間違えているんじゃないかと思っていたのですね。

しかし、清水さんの、

>『電撃』の登場人物って、みんな、目の前の人や物の配置に敏感で、そのうえ、即興的にお話もつくれるタイプのひとたちなんじゃないでしょうか?

という指摘を読んで考えが変わりました。

そうか、タカヒロはミチコの「兄妹ってあんなにべたべたするものなの?」という言葉に反応して、即興的にフィクションをつくったのだ。だから、現実には種違いの兄妹であるのに、それを逆転させて腹違いの兄妹にしたのだ、と。まあ、父への憎悪を忘れてしまったのは、小説家にしては詰めが甘かったわけですが。ひょっとして、小説家としては衰弱していたというかスランプだったのかな。


清水さんは、

>でも、何でみんな、演技をしたいのでしょう?

>そうしたくなる病気があるとか?

と書いてますね。

とても面白い考え方だと思います。清水さんのこの仮説をふまえて、『電撃』を整理しなおすと、次のようになるでしょうか。

・タカヒロは小説家だったが、スランプで小説が書けなくなっていた。ある日、彼はウイルスに感染した。症状は、即興的に話をつくり、演技をしたくなるというもの。タカヒロは小説家を演じる小説家となる。

・タカヒロは、一人暮らしの家で小説家を演じていることに物足りなさを感じるようになる。おれには観客が必要だ。そこにやって来たのがミチコだった。

・ミチコもまた、ウイルスに感染。タカヒロの妻を演じるようになり、さらに妊娠しているという設定もつけくわえる。

・ミチコは、タカヒロと二人きりで演技をしていることに物足りなさを感じるようになる。誰かもう一人、登場人物がほしい……。ミチコはタカヒロが浮気をしているという設定を考える。そこにタイミングよくやって来たのが、キョウコだった。

・キョウコもウイルスに感染。ミチコのライバルを演じることを選択する。ミチコからタカヒロを奪うにはどうしたらいいか。ヒントはタカヒロの言動にあった。ミチコが妻のふりをしているだけの女という設定が「あり」なら、ミチコが妊婦のふりをしているという設定も「あり」じゃないの? わたしはミチコの嘘の妊娠をあばいて、彼女を追い出すことにしよう。


『電撃』で、もっとも感心したのは、キョウコがミチコの妊娠の嘘をあばくシーンでした。

リビングで、キョウコはリンゴを食べながら、キッチンにいるミチコをじいっと見ている。それから、キョウコは新聞を読んでいるタカヒロのところに行って、「ターちゃん、私、面白い秘密知ってるんだ」と言って立ち上がる。

このあとなんですね、ぼくが感心したのは。

(続けて妊娠の嘘をあばく芝居について書いているのだが、これから映画を見るひとのためにカットすることにした。ただ、嘘を一瞬であばくあざやかさには、見ていて思わずうなってしまった、ということだけは記しておきたい)

それから、キョウコがミチコの嘘をあばいたことは、キョウコが妊娠しているという設定をうみだす原因となっていますね。清水さんは前に、キョウコが本当に妊娠しているのかどうか疑問だと書いてましたが、最初のうちは、妊娠している設定ではなかったと思いますよ。

キョウコが妊娠しているという設定をつけくわえたのは、タカヒロの家を追い出されたあとのミチコです。キョウコに嘘が見抜けたのは、彼女が妊娠していたからだというふうにしたらどうだろう、とミチコは考えたのでしょうね。

かなり意地悪です、ミチコは。キョウコが妊娠しているとなると、おなかの中の子の父親のことが問題になってくる。それまでタカヒロだけを愛しているという設定でキョウコは演じてきたのだから、これは困った事態――清水さんふうに言えば、キョウコはぽろぽろ、くらくらしたでしょうね。


『電撃』についてはよく考えてみると、設定がずいぶんとあいまいだったり、つじつまがあっているんだかないんだか疑問に思うところがあったりします。そりゃあそうでしょう。ミチコ、タカヒロ、キョウコの三人が相手の芝居を見て即興的に話をつくって演じているのですから。

注目すべきは、にもかかわらず『電撃』が表現として成り立っているのはなぜか?ということです。これに対する答は次のようになるでしょうか――三人の登場人物は、ここで演じたら面白い関係はどんなものなのか(たとえば、相補的関係なのか、対立的関係なのか)ということについては、瞬時に的確な判断を行っている。だから、つじつまがあっているのかどうか疑問に思うことが出てくるにもかかわらず、表現として立派に成立しているのだ、と。

大工原さんがプレスシートで『電撃』のことを論じていて、「つまり、運動神経がいいのだ」と書いていますが、登場人物のこうしたあり方を見ていると、たしかにそうだなあ、と思います。

(続く)



[]渡辺あい『電撃』と冨永圭祐『乱心』についての往復書簡・第3回(清水かえで+井川耕一郎)


<井川耕一郎→清水かえで:『電撃』の病気、『乱心』の病気・その2>


次に『乱心』について。

清水さんは、シーン13で盛太が遠くに放り投げたボールが、シーン14でひよりをあたりそうになるところについて尋ねてましたね。

試写で見たときには、思わず笑ってしまいましたよ。えっ、今頃、落ちてくるの? 遅いよ、と思いました。それから、シーン13とシーン14はほぼ同時刻ということなんだろうな、と思い、映画を見終えたあとには、盛太が投げたボールがひよりを直撃しそうになるのは、盛太がひよりを犯してしまうことの伏線みたいな働きをしているな、とも思ったのです。

しかし、自分の考え方をふりかえってみると、ちょっとおかしな気もします。シーン13のボールと、シーン14のボールはちがうものだと考えてもよかったはずです。いや、その方がすっきりする。二つのシーンは同時刻なんだろうな、などと余計なことを考えなくてすむのだから。なのに、なぜぼくはシーン13のボールと、シーン14のボールを同一のボールだと思ってしまったのか?


ユクスキュルという生物学者が書いた『生物から見た世界』という本(岩波文庫)があります。面白い本です。クリサートというひとが描いた挿絵もいい。第12章「魔術的環世界」のp139に二つの絵が載っています。一つは「オトシブミの魔術的な道」という絵。もう一つは「渡り鳥の魔術的な道」という絵。オトシブミはカバノキの葉の上に、渡り鳥はアフリカ大陸の上に、幻の道を見ている。種の存続のため、生存のため、生まれつき幻の道が見えるようになっているというんですね。

しかし、p139には、オトシブミにも渡り鳥にも見えない魔術的なものがもう一つあるのです。一部分だけ重なりあっている二枚のカバノキと、アフリカ大陸の形がなんだか似ている……。一体、これにはどんな意味があるのだろう……? P139を見たら、きっと誰でもそんなことを思ってしまうでしょう。


どうやら、人間には、何の役に立つのかさっぱり分からないけれど、魔術的なものを見てしまう傾向というか、癖があるみたいです。そういう観点から見ると、シーン13とシーン14のボールを同一と思ってしまうぼくも、耶子とひよりを重ね合わせてしまう十郎の母、霞も似たような癖の持ち主ということになるでしょう。しかし、盛太と清音の二人については、癖というより病気といった方がいいのかな。あの二人にとって、耶子とひよりの魔術的な類似は破滅的な事態をもたらすものだったわけですから。


おっと、気がついたら、だらだら長いメールを書いてますね。すみません。

以下、清水さんのメールに触発されて考えたことを、できるだけ簡単に記します。


・盛太と清音は、現実の中にありえない意味を見出し、それにふりまわされる病気にかかっている。二人は無意識のうちに協力し、幻の四角関係(盛太−「ひより=耶子」−十郎−清音)をつくりだし、しまいには、十郎の実家で清音が包丁で自分の腹を刺すという事件を引き起こす。

・このとき、シナリオを引用すると、


ひより「あははははははははははははははははははは」

    ひよりが全身全霊で笑っている。


となるのだけれども、なぜひよりは笑うのか? きっと、彼女には、目の前の出来事が芝居のように見えたのだ(清音が一度でなく、何度も腹を刺すというしつこさが芝居ぽさを強調していたように思う)。ひよりの中で、病気の定義が変わりだしている。現実の中に幻のような意味を見出し、それに翻弄される病気は、フィクションをうみだし、それを実演せずにはいられない病気になりかけている。これはもう『電撃』の病気のはじまりと言ってもいい。『電撃』が『乱心』パート2に見えたのは、そのためだ。


・映画の冒頭で、ひよりと十郎は、「私、呪われてる」「だとしたら、オレも呪われている」と言っているけれども、これはどういう意味か? ひよりが呪われているのは、加害者の娘だからではない。「なぜ父はわたしではなく、他の少女を殺したのだろう?」という問いにとり憑かれてしまったからだ。同じように、十郎が呪われているのは、被害者の兄だからではない。「なぜ妹を殺したやつがオレではなく、ひよりの父親だったのだろう?」という問いにとり憑かれてしまったからだ。

・ひよりと十郎を結びつけているのは、愛ではない。「殺されていたのはわたしかもしれない」という思いと、「殺していたのはオレかもしれない」という思いが融合してうまれたフィクションが、二人を結びつけているにちがいない。


・清音が自分の腹を刺すという事件を起こしたあと、十郎とひよりは耶子の部屋でセックスする。このシーンはとても重要だ。十郎は耶子が殺された夜のことを語るのだが、シナリオでは次のようになっている。


十郎とひよりが裸になって抱き合っている。

十郎「耶子を置いて逃げ出した時、オレ、ワクワクしてたんだ」

十郎、ひよりの体を突く。

突かれて揺られているひより。

ひより「痛い…痛いよう…」

ひよりの目から、再び涙が出てくる。


このとき、十郎もひよりも自分自身でありたいとは思っていない。別の人間になろうとしている。十郎は耶子を殺したひよりの父を、ひよりは耶子を演じているのだ。


なんだか清水さんあてのメールというより、ブログ用原稿のためのメモみたいになってしまいました。

長々と書いてしまって、申し訳ありません。


ああ、そうだ。

今年の映画美学校映画祭で、冨永くんの『乱心』をやるのです(9月3日(土)18:20〜)。

シナリオを読んで面白かったというのなら、清水さんにはぜひ見てほしいのですが。

招待券、送りますよ。


井川耕一郎


<清水かえで→井川耕一郎:演技のはじまり>


『電撃』の脚本、渡辺さんと冨永さんはどんなふうに書いたのでしょう?

あたまからおしまいまで、きちんとお話をつくってから、

前半・後半に分けて、分担して書いたのではないような気がします。


妊娠している奥さんと、かげで浮気している夫がいたら、お話になりそうかなぁと思って、

出だしを渡辺さんが書いた、

それを読んで、

愛人みたいな女の子が家にやってくるけど、じつは妹で、

妊娠している奥さんは奥さんじゃなくて、○○○だったとしたらどうかなぁと、

冨永さんが続きを書いた、

それからまた、渡辺さんが書いた、

冨永さんが書いた……という感じだったのでしょうか?

ミチコ、タカヒロ、キョウコの三人が、相手の芝居を見て即興的に話をつくっていったのとよく似た感じのシナリオの書き方だったら、

面白いんですけど。


先生のメールを読んで思ったことが、もう一つあります。

ひとはなぜ「フィクションをうみだし、それを実演せずにはいられない病気」にかかってしまうのでしょう?


『乱心』の十郎、ひより、盛太、清音、十郎の両親に共通するものって、何でしょう?

たぶん、十郎の両親、盛太は、耶子に生き返ってほしいと思っているはずです。

清音は盛太のことがあるから、生き返らないでと思っているかもしれません。

それから、先生の考えだと、

十郎は耶子を殺したいと思っていて、

ひよりは耶子のかわりに殺されたいと思っているのですよね?

『乱心』に出てくるひとたちに共通するもの。

それは、殺された耶子に対する思いだと思います。


亡くなってしまえば、それでおしまいと考えるのが、

きっと、一番合理的で、すっきりした考え方なのでしょうけど、

そんなふうに割り切ってしまうことが、ひとにはなかなかできません。

亡くなってしまったひととの関係を終わらせたくないと思ってしまうことが、

「フィクションをうみだし、それを実演せずにはいられない病気」の原因のひとつになっているのかなぁと、思いました。


それでまた、『電撃』のことになりますが……

ミチコは妊娠のうそがばれて、タカヒロの家を出ますね。

でも、こっそり戻ってきて、掃除したり、食事をつくったりする。

これって、かげで○○○をやっているということじゃないと思ったのです。


たしか、映画の後半に、ミチコが橋のまん中でぼんやりしているシーンがありましたよね?

そこにタカヒロがやって来るんですけど、

タカヒロは黙ってミチコの横を通り過ぎてしまう。

それが無視したという感じではなかったのです。

ミチコが見えてなかったみたいというか……


で、思ったのです。

妊娠のうそをあばくとき、キョウコが××××しますね(ネタバレになるので、ふせておくことにしました(清水))。

あのとき、キョウコはミチコに「あなたは死んだの」と言いたかったのでは?

だから、こっそり家に帰ってきて家事をこなすミチコは、幽霊を演じているのだと思います。


『電撃』でも、『乱心』と同じように、

お芝居を演じることが、亡くなったひととの関係を終わらせたくないという思いとつながっているような気がします。

だから、終わりの方で、ミチコの姿を見たとたん、

タカヒロは「やっと会えた。結婚しよう」と言うのでしょう。

でも、生きているひとがそのままで幽霊と結婚するのは、昔から無理な話と決まってますよね?

それで、タカヒロは****れてしまったのだと思います(ここも、ネタバレになるので、ふせておくことにしました(清水))。


それから、

タカヒロが書いているふりをしている小説、

ミチコやキョウコのお腹にいることになっているうその赤ちゃんは、

幽霊の仲間ではないでしょうか。

この世に出てくることなく、あの世にとどまるしかないのですから。


清水かえで


<清水かえで→井川耕一郎:『乱心』、見ました>


招待券、ありがとうございます。

冨永圭祐さんの『乱心』、見ました。


シナリオを読んだときは、シリアスなサスペンスなのかなぁって思ってたのですが、

完成した映画はコメディってことじゃないんですけど、

笑えるところがあるものになっていました。


ひよりが「あはははは……」と全身全霊で笑うところ、

先生は、「彼女には、目の前の出来事がお芝居に見えたのだ」と書いてましたが、

映画を見て、なるほどなぁと思いました。

あのシーンで、十郎のお母さんはシナリオとちがって、隣の部屋で正座しているんですね。

なんだか、楽屋で出番を待っている役者みたいでした。


そうして、よし、今だ!というとき、

お母さんは、パーン!と襖を開けて、みんなのいる部屋にのりこんできます。

でも、お母さんの前にはちゃぶ台があるのです。

どうするのかなぁと思っていたら、

そのちゃぶ台の上にのっかって、堂々とまっすぐ歩いてきたので、

びっくりしてしまいました。

思わず笑っちゃったんですけど、

同時に、演じることにとりつかれたお母さんの姿に感動もしたのです。

いびつな映画だったけど、面白かったです。


それから、ユクスキュルの『生物から見た世界』、読みました。

2枚の葉っぱと、アフリカ大陸、よく似ているなぁと思いました。

でも、先生のメールを読んだから、そう見えてしまったのかも。

先生にだまされてるような気がちょっとだけするのですが……


「魔術的環世界」ですけど、

『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』の「あいつ」と関係があるかなぁと思いました。

(このあと、『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』のことが続きますが、カットしました(清水))


清水かえで


追記:たしかに、ユクスキュルの「魔術的環世界」という考え方は、「あいつ」のヒントになっています。(井川)

2013-09-06

[] 西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』について(井川耕一郎)


以下の文章は、8月22日にツイッターに書いたものです。


(井川)西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』を試写で見ながら思ったことは、大阪はよそ者にも親しげに話しかけてくる町なのだなということ。そして、隙あらば、ひとの持ち物をくすねようとする町なのだということ。(誤解がないように言っておきますが、映画の中の大阪の話です)


(井川)大阪がまるで異なる二つの顔を持っているという設定は一見面白そうです。しかし、ドラマを進めるときの妨げにもなりはしないか。大阪では、ひととひとの間の距離は急速に縮まるけれども、あるところまで来るとストップしてしまう……なんてことを映画を見ながら思ったのですが。


(井川)大阪で暮らす娘に会いにいこうとする父(平田満)と、どうやら父に会うため、ひさしぶりに大阪に戻ってきたらしい娘(真凛)。こう書くと、二人の間に何か起こりそうな気がするのですが、真凛の案内で平田満が大阪見物をする前半部分では特にこれといったことは起こりません。


(井川)この「何かが起こりそうで、なかなか起こらない」大阪の感じをどう受け止めたらいいのか。もどかしいけれども、どこか心地よいと受け取るか……、それとも、何か起きろよ!といらだつか……。正直に言うと、自分はちょっとだけイライラし、この後の展開を心配したわけですが。


(井川)ところが、真凛と別れた平田満が娘(咲世子)の部屋に泊まるあたりから、映画の顔つきが変わってくるのです。娘に対してある疑いを持った平田満は、眠ろうとしても眠れず、夜の大阪を一人ふらふらさまよう。すると、通天閣が異様な輝きを見せ、無人の路面電車が走ってくる……。


(井川)このとき、平田満は夢を見ているわけです。夢の中で、彼は大阪に来てから見聞きした断片的な事柄をつなぎあわせて、必死になって娘に対する疑いになんとか答を出そうとしている。


(井川)平田満のこの無意識のあり方がぼくには面白かった。娘との距離を強引に縮めようとしている。それは、映画を見ている自分が大阪に対して感じているもどかしさとどこかで響き合うところがあったわけです。


(井川)夢から目ざめたあとの平田満は、無意識が欲するものに衝き動かされているかのように行動する。まずは真凛との距離を強引に縮め、次に娘・咲世子との距離を縮めようとするわけです。その姿は滑稽だけれども、同時に感動的でもある。おお……!と声が出てしまったというか。


(井川)特にストリップ劇場で平田満が、はいッ!はいッ!と挙手するところが素晴らしい。それにしても、平田満の暴走にたまたまその場にいあわせた人々がのってしまうという展開は東京では考えられないでしょう。大阪でなければ成立しない奇跡ではないか、と思ったのですが。



西尾孔志『ソウル・フラワー・トレイン』は、現在、新宿のケイズシネマで公開中です(連日20:30〜)。

公式サイト:http://www.soulflowertrain.com/