プロジェクトINAZUMA BLOG

2009-08-31

[][]『演出実習2007』編集ノート(北岡稔美)

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映画美学校2期初等科時代、提出したビデオ課題を見た担当講師の井川さんの講評はこうだった。

「おそらく北岡さんは、考えてきたカット割りをこなすことばかり気にしていて、演出を怠っていたのではないだろうか。」

はい、ごもっともです井川さん、でも私、怠っていたというより、演出ってもんがよく分かってないんです……

当時、そんな言い訳めいたことを言った気がする。

それからは「演出」について考えてみたものの、考えれば考えるほど、どうやったら「演出」したことになるのか分からなくなった。おかげで2回目のビデオ課題は散々な結果となり、「演出できない自分」がトラウマになった。


あれから10年。


「演出とは何か?どうやったら演出ができるようになるか?」という疑問をずっと抱き続けていた。

なので井川さんから「『初等科の演出実習』記録を素材にした教材ビデオを作りたいので、編集を担当して欲しい」とお話をいただいたときには、渡りに船とばかりに引き受けた。


映画美学校の授業内容は、年々変化していっている。


私が現役生だったときには、このような「同じシナリオを使ってグループ毎に演出・撮影をする」という実習はあったが、さらにその後で「同じシナリオで講師が演出をして見せる」というステップはなかった。なので、これは非常に画期的で魅力的な授業に思えた。現役時代、こんな授業があったらなぁ……と羨ましくさえなった。


よし、これは良い機会なので、自分のために引き受けるとしよう!本音はそんなところである。


こうして教材ビデオ制作が始まった。


まず手始めに、実習の記録ビデオを借りて見ることにした。

講師一人につきDVテープ3〜4本、軽く3〜4時間分。恐ろしく長く、正直ゲンナリしたが、編集前の素材のチェックも兼ねているので見なければならない。いや何より演出を勉強するんだから見るべきなんだよ自分!と自らにハッパをかけて見始めたら、これがたいそう面白く、興味深い授業記録であった。確かに、これをデッドストックにしておく手はない。よし、君ら(記録ビデオたち)に日の目をみせてやる!

見処は山のようにあるので編集するのはもったいない気もしたが、ダイジェスト版以外に完全版も自由に閲覧できるようにすると聞いたので、ダイジェスト版は演出を考えるための導入と捉えることにした。

ひとつ気になったのは、後ろで見学している初等科生たちの様子だった。

講師の演出をしっかり見て勉強しよう!と気負いつつ参加したのであろうが、ただ見学しているだけの状態が何時間も続くと、さすがに辛かろう。こんな授業があって羨ましいなどと思ったりもしたが、もし自分があの場にいたとしても、恐らく彼らのような状態で最終的にはボンヤリ見ているだけになってしまうのではないか。それでは単に授業に出席したという事実だけが残り、肝心の演出について何も学んでいないことになる。そんなことも感じたので、このビデオは「授業に出てみたけれど、よく分からなかった」初等科生がいると仮定し、そんな初等科生を始めとする演出初心者(自分も含む)向けに編集することにした。


久しぶりのファイナルカット。腕が鳴る。


万田さん、西山さん、井川さんの3講師の演出記録を見て、いちばん動きがあって進行も分かりやすい万田さんのダイジェスト版から編集に入った。

井川さんから、「実際の時間を入れてください」という指示があったので、素材を取り込んだ後はまず5分刻みの分数を入れた(これは基本フォーマットとして、他の2本にも同様にした)。


万田さんの場合、とにかくよく動く。美学校のロビーに椅子を並べて家具に見立て、即席のセットを作る。作られた空間を歩いてみて、位置を調整し、そこで実際に登場人物二人の動きを試してみる。ベッドに見立てた椅子に横たわろうとし、「いや違うな」という感じで首をかしげて起き上がる万田さんには、ついクスリとしてしまう(万田さんゴメンなさい)。しかしこのシーンは重要なのだ。実際に自分の身体を動かして考える。それはこの実習のあいだ常に万田さんがしていたことだ。その万田さんの動きを中心に繋げばいい。編集方針は決まった。

とはいえ、膨大な素材のどこをカットし繋いでいくか。特に万田さんの場合、実際に撮影するところまで進んでいたので、使えない部分を切っただけでも1時間15分くらいあった。あますところなく丁寧に繋げば、それはほとんど編集しないまま見せることになる。

困り果てて井川さんに相談すると、では実際に撮影をする前まで(カット割を発表するところまで)にしましょう、ということになった。撮影に入るところまでで約65分。あとは方針通り万田さんの「動いて考える」動きを中心に、テイクを重ねている部分や内容的に分かり辛い部分をカットし、なんとか45分のダイジェスト版にまとめた。

ちなみに字幕を付けることにしたのは井川さんのアイデアである。字幕を付けたことで進行がより明確になったのは良かったと思う。


西山さんの場合は、本読みから始まり、リハーサルに移行していくというやり方だった。

しかしこれは、前もって井川さんから「今回は本読みの部分だけを使いましょう」という指示があったので、編集的にはあまり困ることがなかった。というのも、見ていただければ分かるように、一連の流れで進行しているので、切りようがなかったのだ。

しいて言えば、冒頭で、試しに役を入れ替えたのが、そのほうが面白いということになり、入れ替えたまま続行することになった経緯を説明すべきかどうか迷ったことだったが、井川さんの「字幕を入れるだけでいいよ」の一言で解決した。

編集がスムーズにいったから、というわけではないが、西山さんのはフィクション映画を見ているようだった。

西山さんは役者の生徒に対して、様々な指示を出して本読みをさせる。そして尋ねる。「今、何回くらい読んだかな?」「自分の中で、役に変化は出てきた?」そうして役者との対話を通して、西山さんの中にも新たなキャラクターを生み出そうとしているように思える。その流れが、なんとも不思議なやり方に思えてドキドキするのだ。西山さんは一体何を考えて、どこに向かっていくのだろう?と、ワクワクしながら編集していたことを思い出す。(そしてその謎は後日のインタビューで明らかになるのだ。)


井川さんの場合が、一番困った。

リハーサルをやっているわけだが、説明もほとんどなく、「もう一回お願いします」を繰り返すばかりである。

初めて見たときから、リハーサルの回数を字幕で入れることだけは頭にあった。

なので、とりあえず回数を入れてみた。

1回目、2回目、3回目……15回目、16回目……50回目、51回目!

これには当の本人・井川さんもビックリするやら呆れるやらで、思わず笑ってしまった。

この「回数を重ねる」というところが、井川さんの特徴だろう。

ところが。では××回目と××回目を使って、××回目と××回目をカットする、というのが皆目見当がつかない。

結局この『リハーサル編』に関しては、本人に編集構成を考えてもらうしかなかった。

自分が演出している姿を自分で編集するなんて、相当やり辛かったと思う。申し訳ない気持ちでいっぱいである。


こうして、3本の教材ビデオの編集は終わった。


万田さん、西山さん、井川さんはそれぞれ違ったやり方で演出をしていた。それはきっと、経験を積み重ねて到達した自分なりの方法なのだろう。

つまり。演出が分からないと嘆くより、どんどん経験を積むべきだ、ということか。うーん、そうだったのか……

『演出実習2007』は演出のお手本ビデオではない。自分なりの演出を模索するときの研究資料として、大いに役立てていただければと思う。勿論、自分にとっても……

2009-08-25

[]にいやさんと『人喰山』とわたし(北岡稔美)

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にいやさんと初めて会ったのは10年前。思えば長い付き合いだ。

にいやさんは長電話が好きだ。気が付くと1〜2時間喋っていることはザラである。たいていにいやさんが喋っている。ほとんど雑談だが、雑談の中で色々とレクチャーしてくれる。アニメーションは勿論のこと、マンガから映画から昭和歌謡から健康食品から、とにかく引き出しがいっぱいなのである。だから楽しく、とてもためになる。

にいやさんはマンガも描く。ヘンテコなお話ばかりなのだけれど、最後は感動して泣けてしまう。癒し系なのかもしれない。

にいやさんの描くキャラクターはとても可愛らしい。オドロオドロシイ絵も描くけれど、オドロオドシイ中にも不思議と愛嬌がある。タッチが丸っこいせいかしら。

にいやさんとは、ときどき遊びに行く。映画、芝居、展覧会……にいやさんは反応がストレートである。面白いものを観たときは脳がものすごく活性化するらしく、延々と感想を語り続ける。そのときのにいやさんは、嬉々としてとても幸せそうである。

そんなにいやさんであるが、一時期付き合いがパッタリ途絶えたことがあった。

電話をかけても映画に誘っても、いつも「忙しいんでまた〜」と答えるだけだった。

今思えば、それは『人喰山』の制作に入ったからだったのだ。

今回『傑力珍怪映画祭』で『人喰山』を観直して、

「ああ、にいやさんはあの頃、遊びにも行かず長電話もせず、ずっと引き込もってこの絵を描いていたんだっけな……」

ということを思い出した。

にいやさんによると、この『人喰山』の絵(コンテ)は、パーツなどの絵も含めると300枚くらいあるそうだ。

300枚!考えただけで気が遠くなるような枚数だ。

にいやさんは半年もの間、毎日毎日一人机に向かってコツコツコツコツ描き続けてたのである。ハンパな根性じゃできないことである。

また、コンテを描きあげてからの作業には半年かかったということだ。

要するに、コンテを描き始めてから完成まで1年かかっているのであり、ということは、プロットやシナリオを書いたのは1年以上前、紙芝居アニメという手法で作品を作ろうと考えたのは、その更に前ということになる。

やはりアニメーションは、途方もない時間がかかるのだ。

しかしアニメーションを作っている人たちにとっては、それが当たり前なんだろうな。時間の捉え方が違うのだ。

そんなにいやさんを見ていると、なんだか命を削って作品を作っているように思えてならない。でもアニメーションに限らず、創作っていうのはそういうことなんだろうな。


にいやなおゆきの『人喰山』は、「傑・力・珍・怪映画祭」の一本としてアップリンクXで公開中です。

(9月4日(金)まで。20:40開映。併映作品は『大拳銃』(大畑創)、『魔眼』(伊藤淳)など)

詳しい情報は公式サイトを御覧下さい。


「傑・力・珍・怪映画祭」公式サイト

 http://ketsuriki.com/

2008-04-15

[]『グリム童話 金の鳥』感想(北岡稔美)


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(以下の文章は、アニメーション作家・新谷尚之宛のメールとして書かれたものの再録です)


いやー、すごいですねぇこれは!こんな凄まじいパワーを持ったアニメーション作品は、今まで観たことありません。たかだか一時間弱の中にものすごいエネルギーが詰め込まれていて、それが上映によって爆発して観ている者を直撃するような、とんでもない作品だと思いました。あ、そういえばにいやさんの『人喰山』もそんな印象ですね。実写だと、脳とか心とか、割りとピンポイントにくるのですが、全身にビンビン伝わってくるというのは、アニメーションの特性なのでしょうかね。

話戻します。『金の鳥』。

空間の見せ方がものすごくダイナミックでビックリしました。

魔女がロボットを量産している様からカメラがグーッとひきながら俯瞰になって底の方までロボットが延々行進してるのが見える一連のカットや、

ハンスたちがワイン鳥(ロプロスのご先祖様みたいでかわいい!)の住む谷に落ちてくるところからワイン鳥に乗って地上に戻るまでのシーンや、

クライマックスで木馬に乗ったハンスとお姫様が巨大ロボットの周りを回るところや……

観ながら、これは紛れもない「映画」なのだ!と、興奮しちゃって。う〜、もっと大きなスクリーンで見たかった〜!

私が特に感動したのが二ヶ所ありまして。

一つは、あのワイン好きの鳥が翔び立つところ!

まず「ワインあげるから翔んでくれよ」と頼まれて翔ぼうとするシーンの、あの助走の長さがいい。思い出しても笑ってしまいます。

その後。流れからワイン呑んで翔び立つことは分かってるんですがね、その翔び立ち方がね、もう私のありきたりな予想をはるかに超えて、なんだかどう翔び立っているんだか、ワイン鳥も私も分からないようなことになってて、まるで小さい頃に初めてジェットコースターを体験したときみたいな感覚で、うぉー!と思ってるうちに鳥は翔び立ち私は涙……。

そうなんですよー、『ガリバーの宇宙旅行』でもそうだったのですが、物語と関係ないところで涙が出るのはなぜなのでしょう。画面の力に純粋に圧倒されてしまうってことなんですかね。あー、しあわせだー……。

これだけ盛り上げた後にやってくる繋ぎのシーンが、また心地好い。「あの城まで行ってくれよ」「やだよ怖いもん」って、それだけなんですけどね。なんかいい具合にホッとできて。

それからはもう乗りまくりでした。話の筋は分かっているけど、この『金の鳥』の世界では何が起こるか分からないぞ!というワクワク・ドキドキ感で、目が離せなくなりました。

金の鳥を見つけたハンスが、キツネの言いつけを守らず鳥を鳥籠に入れてしまうところ。ハンスが鳥を籠に入れた瞬間、ハンスのアップに鉄格子がガシャン!ガシャン!ガシャン!と降りてきてハンス(と私)がビックリしてるとロングのカットに変わって、あっハンスは小さくなって鳥籠に入れられちゃったんだ!ということがわかって、そんな単純な驚きが嬉しかったりして。

王女さまの寝室に忍び込んだハンスが王女さまの寝顔をみながら夢想するシーンはファンシーすぎて辛かったですが(笑)、でもあれも王女さまのキャラとのギャップを際立たせるための効果なんですね。王女さまかわいいし。

そうそう、背景がですね、淡い色彩できれいだなあと。特に木が素敵。あのキャラクターたちの世界にピッタリ合っている。魔女側の世界の色も雰囲気が出てて格好いい。

あ、魔女といえば。魔女と手下のコウモリたちのミュージカルシーン(?)がありますよね。ああいうシーンがあると、非常に嬉しいなあと思いました。昔好きだった『ムテキング』のモンスターやタコベーダーたちのそういったシーン(大好き)を思い出したりして。今のアニメーションって、そういうのあるのかしら?

そしてついに敵陣に乗り込んでいってから。あのロボット!初めは猫背で丸っこくてヨチヨチ歩いてて可愛いなあと思ってたのですが、目がピカーッと青白く光ったら、もう恐い!そのうち脚が伸びて、目がサーチライトになって、それが何体も何体もになって出てきたら、更に恐い。中身空っぽなのにバラバラにされても勝手に再生する。恐い、恐いよ〜。こんなロボット相手じゃ太刀打ちできないよ〜と本気でハラハラしました!

で、どうなるかっていうと、前に進むことしか教えられてないロボットたち(爆笑設定)は、レミングの群れのように崖からまっ逆さま。うーん、このギャップというかメリハリというかが素晴らしい!

そんでクライマックス、巨大ロボットとの対決で、金の木馬に二人でまたがって戦うわけなんですが。その理屈が素敵で。「勇気ある心のきれいな男の子と女の子が乗ると空翔けるのだ」!すっ、すんばらしい!!こういうのって、たいていは作者の都合っぽいウサン臭さがつきまといそうなものなにの、これは単純に、そうか!そうなのね!と納得してしまう。これもちょっと驚きでしたね。そう感じるのと感じないのとの差は一体?

実は『金の鳥』を見る前に、『龍の子太郎』を見たのですね。で、雪に埋もれた太郎を笛吹きの女の子が馬に乗って助けにくるくだりがあって、そこで「この馬は大きくなって空も翔べるようになったのよ」という全く納得いかない説明台詞があったので、ついそんなことを考えてしまったのかもしれません。

話逸れますが、『龍の子太郎』はリアルタイムで見てたはずなんですが、すっかり忘れてまして(クライマックスの龍の体当たりのシーンだけはなんとなく記憶があったのですが)、今回は新たな気持ちで観たわけですが、イマイチでしたね。ところどころ見てて喉元に詰まる感じで、すんなりお腹にたまっていかない。さっき書いた馬のくだりもそうだし。でもなー、原作も忘れちゃったからなー、どうなんでしょ。そのうち読んでみようかと。

さて話は戻りまして。

魔法の木馬に乗った二人が巨大ロボットの周りを回るあの一連!私が最も感動したもう一ヶ所。木馬に乗った二人の正面から、ロボットの周りをグルーーーーッと回る長い長ーいカットを見てて、もう唖然としてました。素晴らしすぎて。ここでもやっぱりねー、涙出ちゃったんですよー。なんなんだよこれはー!と、頭の中真っ白になりましたね。おかげでどうやって巨大ロボットを倒したかという肝心なところをよく覚えてないのです(笑)。ワイン鳥がやってきて、再登場で嬉しかったのは覚えているのですが、もしかしたらこのシーンの前だったかしら……??

こうして魔女は倒され木になって(あの木もいい!またいつ魔女が力をつけてよみがえって来るか分からない不気味さを残した感じが素晴らしい)、姫の兄さんは人間の姿に戻り、ハンスのお城では祝宴が催され、ワイン鳥も宴席にいたりして、めでたしめでたし。このエピローグも心地好いテンションで良かったです。


こんな感じで見たままを、感じたままに書いてみました。すごい作品を観た後は反芻して記憶を定着させるよう努めているのですが、すでに記憶ちがいな部分もあるかもしれません。ご容赦ください。


今回は東映アニメーションを何本か観てきたわけですが、やはり私のベストは『ガリバーの宇宙旅行(の前半)』と『金の鳥』ですね。にいやさん、ご教示ありがとうございました。他の作品もそれぞれに味があって良かったですし、勉強になりました。 


ところで先日いただいたCDの話。どれも名曲揃いで好きなんですが、思わず口ずさんでしまうのは「レミ」と「長靴をはいた猫」(これは小さい頃から)と「カラバ様」ですね。あ、あと「空飛ぶゆうれい船」の「隼人のテーマ」がロマンがあって好き。それにしても聴いていると、映画のシーンがよみがえりますね。ガリバーの遊園地のシーン(大好き!)や、レミのクライマックスシーンとか。もう一度見たいなあ。



『グリム童話 金の鳥』

1987年/カラー/52分/配給:東映

監督:平田敏夫/脚本:田代淳二/原作:ヤーコブ・グリム、ウィルヘルム・グリム/キャラクターデザイン・作画監督:大橋学/美術監督:石川山子/音楽:ク二河内

声の出演:三輪勝恵、藤田淑子、富山敬、木ノ葉のこ、滝口順平、宮内幸平、八奈見乗児、青野武、古川登志夫、山本圭子

2008-04-01

[][]万田邦敏『ありがとう』を観てきました。(北岡稔美)

(以下の文章は2006年12月5日に「プロジェクトINAZUMA」BBSに書かれたものです)


初日舞台挨拶に駆け付けるつもりでしたが訳あって行かれず、昨日ようやく話題の『ありがとう』を観てきました。

いや〜、よかったです!

実は、ベタベタなお涙頂戴映画になっていたらどうしようかと心配してたのですが、そうはなってなかったですね。ただただ涙を誘うだけの単純な盛り上げ方にはなっていかない、そこに妙に感心しました。

で、私は復興の物語というよりも、赤井英和と田中好子演ずる二人の夫婦の物語と感じたんですね。

要するに、あ、これは現代版『王将』なのではないかと。設定も被るところが多いですし。

とすると、薬師丸ひろ子は田中好子の分身ということになりますが、薬師丸ひろ子演ずるあの人物は原作にあるわけで、そこがなんとも興味深かったです。

それにしても、赤井英和がプロゴルファーを目指してトレーニングするあたりは、『ロッキー』を彷彿とさせますね。

おぉっ!と思ったのは、プロゴルファーを目指すと決意してからの最初のシーンでゴルフの素振り?をしているカット。バストよりちょっと引いたサイズ(ズームバックしていたか?)でゴルフボールは見えないのですが(まあ素振りだったらボールはないわけですが)、よく見ると赤井英和の後ろには、まあるいガスタンクが見えるではないですか!ああっ、これは巨大なゴルフボールじゃあないか!?更に次のシーンでもジョギングする赤井英和の背景に再びガスタンク!プロテストに臨むあたりで入る真っ赤な夕陽も真っ赤なゴルフボールに見えるし!赤井英和がショットを打つときキャップを前後ろに被り直すと、その頭の形が白い球体(半球だけど)だったり!そういやあキャディー役の薬師丸ひろ子のほっぺたも丸くてゴルフボールみたいだぞ!すごいです万田さん!まるで『ダーティーハリー』の十字架じゃあないですか!!

劇中で、薬師丸ひろ子が赤井英和に「若い人のショットは力まかせなだけだけれど、古市さんのショットは的確です」というようなことを言うのですが、『ありがとう』は「万田さんの演出は的確です」ということを感じずにはいられない、そんな映画でありました。

未見の方、是非ご覧になってくださいね。自信を持ってお勧め致しまーす!

2006-10-29

[][]『西みがき 断片・夫の話』供養のいきさつ(北岡稔美)

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 先日、『Round2』上映会で、余興として『西みがき 断片・夫の話』が上映されました。これは、『西みがき』の当初考えられていたラストシーンを、独立した作品として再編集したものです。

 映画制作の編集過程では、不要と判断されたカット・あるいはシーン丸ごと、を削ってしまうことがあります。シナリオに沿って撮影はしたものの、いざ編集してみると、その映画の本質とズレてしまっていたり、全体の構成上不要となったり、理由は様々ですが、これは仕方のないことです。『夫の話』も、そういう運命のシーンでした。

 さて『西みがき』は、シナリオにして10枚・30分前後の短編映画になる予定でした。

 しかし撮影が終わり、ラッシュを観る段階になって、愕然としました。なんとラッシュが約5時間分あったのです!

 30分の映画に5時間のラッシュ! いったい何故そんなことに? それもそのはず、シナリオを読むと、ト書きがほとんど書かれていません。「だって、自分で演出するから、いらないと思って……」とは監督の弁。だってもヘチマもないっ! この膨大な量の素材を繋いで、本当に30分の短編になるのでしょうか? 一抹の不安がよぎります。

 「芝居をじっくり見せたい。」という監督の要望に従い、シナリオに忠実にカットを繋いでいきます。確かに丁寧に芝居を見せるためのカット割にはなっているのですが……結果、映画は長い短編というか、はっきり言って、なんと80分の長編作品になってしまいました。編集者、呆然。監督、思わず苦笑い。

 その後問題点を検討し、結局尺を詰める方向で編集し直すことになりました。

 いくつかのカットが削られ、長回しのカットはジャンプ・カットで繋がれ、その度に尺は2分、3分と短くなっていきました。

 そして問題のラストシーン。

 『夫の話』をご覧になっていない方のために補足しますと、当初のラストは幸子と夫・中村が会話する10分程の長いシーンでした。このシーンで、幸子は夫の優しさに癒され、日常生活に戻っていく……という筋でしたが、それまでの流れを見ていくと、どうもこの内容ではラストにふさわしくないと判断されたのです。

 しかし、このシーンの本間さんと中村君の演技は素晴らしく、非常に惹き付けられるものがありました。要するに、棄てるに惜しいシーンだったのです。一体、代わりにどのようなラストで物語をしめくくろうというのでしょう? しかも追撮せずに!

 結果は『西みがき』をご覧いただいた通りです。監督は既存のカットと字幕でラストをまとめ上げました(あのラスト案について監督「元々、いつかやりたいなあと考えていたネタだったのだ」。ホントか?!)。

 こうして『西みがき』の編集は完成し、当初のラストシーンは幻のシーンとなってしまいました。

 keepにkeepを重ね、長回しで10テイク撮ったカットも、現場で撮るのを忘れ、翌日急遽撮影した目のインサートカットも、ラストシーンをどう編集しようかと知恵を絞ったことも、みんなみんな闇の中に葬り去られてしまいました。


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 編集という作業をしていると、時々どこからともなく声が聞こえてくることがあります。それは自分にしか聴こえないテレパシーのような感じです。何かというと、使われなかったカットや削られたシーンたちの声なのだと思います。

 例えば、OKテイクがあまりよくなく他のテイクと差し替えようか迷っていると「ボクを使ってよ〜」と聞こえてきたり、編集過程で削ったカットに後で「使ったほうがいいよ〜」と囁かれたり……。

 筒井武文さんなら「映画の神様が降りてきたんですよ」とおっしゃるのでしょうが、それはフィルム編集の場合で、ノンリニア編集では降りてきてくれない気がします。しかもフィルム編集の経験の浅い私には、神様が降りてきたと実感したことがありません。なのに、ファイナル・カットで編集していると、時々声がするのです。そしてそれは、神の啓示というより、使われなかったカットたちの、墓場からの声・怨念のような気がするのです。

 思えば「仁義の墓場」も「怪獣墓場」もあるのですから、「捨てカット&シーンの墓場」があってもおかしくありません。

 とすると、『夫の話』もシーンの亡霊といえるのではないか?

 そしてその亡霊はひっそりと、井川監督にとり憑いて、日の目を見る機会を窺っていたのかもしれません。

 『Round2』上映会でオマケとして上映したいのだけれど、と提案されたとき、私は秘かに心の中でガッツポーヅをしました。

 幸運なことに、既に編集してある状態でハードディスクに残っていたので(これも亡霊の霊力か?)新たに字幕と森のカットを付け足し、一本の独立した短編として『夫の話』は公開されました。

 ああ、これでやっと、あの亡霊シーンは成仏したことでしょう。

 なぜなら私にはもう、あの声は聴こえてこないのですから。


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 ところで、『西みがき 断片・夫の話』をご覧になった方、いかがでしたか?「これをラストシーンにしなくて正解」という意見以外の感想、お待ち致しております。


北岡稔美:映画美学校2期生。万田邦敏『夜の足跡』、井川耕一郎『伊藤大輔』『西みがき』の編集を担当。