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半可思惟 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-08-05-Sun

「永久に」という語をめぐる九条と九十六条の関係

chaturangaさんからさらに質問が来たので、可能な範囲でお答えしたいと思います。

1. 「憲法改正限界説」に立つなら、「永久に」という語がある以上、九条の改正には限界がある、と解釈すべきことになるわけですね?

ただ、この場合でも、武力行使を永久に放棄する、といった記述がそもそも「自然法」に反していないか、という疑問は残ります。もし反しているなら、この立場であっても改正できることになりますよね?


2. また「憲法改正無限界説」に立つなら、「永久に」という語があるにも関わらず、条件を満たせばいつでも改正できることになります。現在の日本国憲法の場合、九十六条に改正権が明記されているので、法実証主義的無限界説をとればもちろん、また主権全能論的無限界説であっても、問題ありません。

で、改正可能であるとすると、やはり上のエントリであげた不思議なことがおこります。

「俺は永久に嘘をつかない。次に嘘をつきたくなるまでは!」

とか、

「俺は永久に禁煙する。ただし次に煙草を吸いたくなるまでな!」

といった論理の話です。

これでは、

「俺、武力行使は永久に放棄するよ。ただし次に武力使いたくなるまでな!」

といった人になってしまいます。

この点について、法学ではどういった説明がされているのでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20070805/p3

質問1について

えーと。まず憲法改正限界説は、憲法改正をする権力というのは国民→憲法→国民という流れで与えられてた権力なので、おおもとにある国民の憲法制定権力(制憲権)を否定することはできないという考えをしています。なので、憲法典の文言に「永久」と書いてあるかどうかは関係なく、国民主権原理に抵触する改正かどうか、が判断基準となります。

前述のとおり、憲法9条が規定する平和主義は国民主権と密接な関連があるかは議論の余地があります。でも「関連あり」と考える方が多くて有力です。なぜなら、国民主権を含むすべての原理・主義を実現するには平和が不可欠であるという認識が広くあるからです。

というわけで、憲法改正限界説に立ち、かつ国民主権と平和主義は深い関連性があると考えれば、少なくとも9条の理念である平和主義を変えるとこはできない、という結論に至ります。


次に武力行使を永久に放棄する、といった記述がそもそも「自然法」に反していないかという点についてですが、自然法に反しているかいないかは考え方ひとつなのでなんとも言えません。

ただ、理念たる平和主義というのはわりと普遍的に存在している立場です。第一次世界大戦後に限っても、1919年の国際連盟規約、1928年の不戦条約、1945年国際連合憲章等。一国の憲法においても、1791年フランス憲法第六編第一項、1891年ブラジル憲法88条、1946年フランス憲法前文、1948年イタリア憲法11条、1948年大韓民国憲法4条、1949年ドイツ連邦共和国基本法26条1項等々*1。ですから、文言はともかく、平和主義自体は自然法または根本規範たりうると考えられます。

仮に自然法または根本規範の制約を受けないと考えると、おっしゃる通り改正できることになります。


質問2について

さて、憲法改正無限界説や主権全能論的無限界説の立場に立てば、これもまた改正可能であると言えます。そうすると、9条が「永久に」と言ってるのに変えてしまって良いのか、という問題が発生します。

このような憲法改正解釈問題に関しては、政治の問題がからみ議論が整理されていない、というのが現状です。やはり9条はトピックとして熱く、百家争鳴状態なのです。ですので、申し訳ないですが、以下では9条の解釈をめぐる学説の状況をとても大まかに紹介するに留めたいと思います*2


ところで、憲法の規定のなかにも性質が違うものがありまして、法としての機能(法規範性)はあるけれど、裁判で根拠として主張できない法規というものもあります。例えば前文2段にいう「平和のうちに生存する権利」は、単なる抽象的理念であり、実定法的な権利でない、と考えられています(長沼事件控訴審判決*3、百里基地訴訟第一審*4および控訴審判決*5)。要するに「平和のうちに生存する権利」は尊重すべき権利ではあるけれどお題目であって、それだけを根拠にして国に賠償請求をしたり差止め請求をしたりすることはできないということです*6


憲法9条の裁判規範性は一般に認められていますが、そうでないとする見解もあります。裁判規範性を認めない説は、憲法規範に「現実的規範」と「理想的規範」のうち理想的規範に相当するとしています。つまり政治的マニュフェストにすぎないという考え方です。

chaturangaさんの表現を借りれば「俺、武力行使は永久に放棄するよ。…ただし『永久に放棄』っていうのは理想というか公約だからね。場合によっては守らないかもな!」という感じでしょうか。「永久」という言葉にはそれくらいの重みしかないということになり、情勢によっては改正しても問題ないということになります。


また、9条の裁判規範性はあるにしてもすごく希薄なものだと考える立場もあります。この説は、現行憲法の成立過程において国民の十分な理解を得ないままに成されたことを重視し、さらに9条の解釈は国会などの場で行われるべきで、司法の判断になじまない、高度に政治的なものだと考えています。「俺、武力行使は永久に放棄するよ。…ただしこれって政治的な発言だからそこのところよろしくな!」というくらいのニュアンスでしょうか。


さらに、規範内容が変遷したという説もあります。終戦直後冷戦時代と現在とでは、国際情勢と日本の国際的地位に著しい変化があり、また、国民の規範意識も変わってきているのだから、憲法制定後にいろいろと変わったところがあると言えるとしています。「俺、武力行使は永久に放棄するよ。…つっても、まあ、俺もあんたらも変わったことだし、さ?」みたいな感じです。


以上3つの立場をとると、確かに矛盾して見えるけれど改正は可能だということになりそうです。

もちろん、「そんなのけしからん!二言は無い!武力行使は永久に放棄するって言ったらするの!」という考えをなさる硬派な先生たちも多くいらっしゃり、上記3説を批判しています。

確かに、9条が憲法本文におかれているところからしてみても、苦しい感じがします。しかし、前述したように、イデオロギーの問題がからんでこうした議論がよく整理されていないのが現状なのです…。

*1:ただし、これらによって制約された戦争は侵略戦争のみ

*2:厳密には、以下の学説は9条の「解釈」をめぐる見解であって、「改正」の話ではありませんが、いずれも自衛隊の存在などを容認する文脈で語られています。ですから、まあ敷衍して考えて良いと思われます

*3:札幌高判S51・8・5

*4:水戸地判S52・2・17

*5東京高判S56・7・7

*6:ただし、他の条文へ解釈を及ぼしていくことは可能ですし、別途法律などが存在すれば保障されることもありえます

とおりすがりとおりすがり 2007/08/05 20:52 質問2に対する回答について。
「永久に」という部分は,国会が,「10年間は増税しない。」という法律を制定した後,5年後に同法を廃止して増税することが許されるかという問題と同じではないでしょうかね。
もっとも,上記の例は,国会の立法権が憲法に由来する以上,国会の立法権を制限する条項は無効であると説明することができるから,本件と状況が異なるということはできるかもしれません。
そうであるとすれば,「前法は後法を破る。」という法の一般原則の妥当性を問うことになると思います。裁判規範性がなくても,法的規範であれば,それに従うことは法的義務なわけですから,本文の回答は疑問です。

inflorescenciainflorescencia 2007/08/05 23:51 >とおりすがりさん
コメントありがとうございます。
まず、私は憲法を専門としない一法学部生に過ぎませんから、私のできる範囲でエントリを書きました。その点ご了解ください。
さて、ご指摘なさっているのは「後法は前法を破る(後法は前法に優先する)」のことだと思いますが、確かに法の一般原則の問題として処理できるかもしれません。しかしながら憲法の制限規範性、最高法規性等を考え、さらにわが国の憲法が硬性憲法であることを考慮すると「本件と状況が異なる」と言えるでしょう。
また、9条の解釈問題(と類比して考えられるであろう改正問題)は、その性質上、政治的問題と憲法学的問題とが峻別されて論じられておらず、多分に政治的問題の要素が強いものだと思います。要するに、法学的解釈論はそんなに実益がないということを示したかったのです。
しかし考え方なぞ所詮は人の主観です。とおりすがりさんの考えをもっと説得的に示してくださったら、考えを変えるかもしれません。エントリをどこかで作成されることを希望します。

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