所属する勤め先がないと、なぜ生活できるのかと外野から怪しまれるのが日本。
文脈の異なるふたつの記述を読んで、それを思い出した。
岡田 本当に働くべきかという疑問をみんなが持つべきだね。
例えば、お父さんお母さんの実家と年金があって、とりあえず暮らしていける人はいっぱいいる。
その人自体は「負け組」と言われていようが、家族全体としてみれば、ちゃんと生活が成立している。
最初に言ったように、一族のうち、1人2人しか働いていないなんてことは、東南アジアでは当り前なんだ。日本の問題は、「働かないでいる状態」を「よくないこと」だと決めつけていることだよ。
(岡田斗司夫、小飼弾『未来改造のススメ』より)
ただ、私は世の中の人は、会社を辞めたら食べて行けないというようなことを、少し心配しすぎなんじゃないかという気がします。
(中田武仁『息子への手紙』より)
もう随分前のことになるが、「ニュースステーション」に蓮池透氏が出演されたのを見たことがある。
視聴者からのFAXを久米氏が読んだのだが、その内容が「お勤めしていないようだけど、どうやって食べているのか」。
蓮池氏は苦笑しながら「余計なお世話ですね」と一言。
そのへんのおせっかい焼きといえば母だ。
どこの誰とかちゃんが会社を辞めたと聞くとすぐに「そんなん、どないすんねやろな」と言う。
週5日は勤める姿が人間のデフォルトだと当り前のように思っていて、それ以外にもいろんな生活が組み立てられていることを想像もできないのだ。
その後、娘が半年間無職になったり、夫の会社が吸収合併されて親しい友人が大量にリストラされたりしてもあまり考えは広がらないようで、姉がフリーランサーとの結婚を決めたときは、「一体何をしている人なの?」と異常に問いつめていた。
今、家を2軒ももっているのは姉夫婦だけだが、まだ義理の息子の仕事を人に言えないようである。
とはいえ私も、同じように思い込まされていたことを、大学、東京に出て初めて知った。
そこには大学を出ても就職をしない人、プー、プーもしない人がたくさんいた。
友人の口から「卒業後?役者を続けようと思ってる」と聞いたときの驚愕を今も覚えている。
学窓を出た後、就職しないというチョイスがあること、それを選ぶ勇気をもつ人が当り前にいることに心底ビックリした。
平日昼間のデパートに行くと、おばさんと乳幼児ばかりがダラダラしているのを見て「この一員にはなりたくない」と思った。
それは裏を返せば、私も「平日は会社に行ってるのがマトモ」という偏見の塊になっていたということだった。
そんな学生時代からはるか離れ、ここアメリカは、日本人の私から見ればさらに「どうやって食べているのか分からない」人だらけである。でも、結構みんな幸せそうだし、クビ切られてものほほんとしている。
私も真に仕えるのは神だけ。今年も個人商店トロトロ出発。