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2012-11-29 微細構造定数の夢時間

微細構造定数の夢時間


ケアンズ空港日食観測ツアーの人たちが国際線で日本に帰っていくのを見届けた後、国内線ブリスベンに戻る。


高層ビルが立ち並ぶセントラルにはたくさんのホテルがあるが、別のところを探すのも面倒なので、少々値段は高いが、また二日前まで泊まっていたOaks Auroraにチェックイン。フロントの人は覚えてくれていたようで、前と同じ部屋ー447号室ーは空いていないが、別の部屋なら大丈夫だという。部屋の鍵を受け取る。「ワン・サーティセブン」。「サーティーンズ・フロア?」「イエス。あまり高い階ではありませんが、この前とは反対側だから、川の眺めがいいですよ」。このさい、そんなことはどうでもいい。どこの部屋でもいい。早く靴を脱いで休みたい。とにかく鍵と無線LANのアダプタを受け取ってエレベーターに乗り込む。67フロアもあるこの高層ホテルではだいぶ下のほう、13階(正確には14階)の隅っこのほうの部屋だ。


ツアーの人たちが当日中に余裕を持って日本に帰れるようにという配慮だったのだろう。ケアンズの宿を出たのが朝の五時半だったから、とにかく眠い。部屋に入ると早速布団に倒れ込み、すぐに意識を失った。ケアンズ往復強行軍の疲れもあったのだろう。ここ三日の間に、いろいろなことがあった。夢も思い出せないぐらい、深く眠りつづけた。目覚めたときには日が暮れていて、そして喉が痛かった。部屋に入ったときに自動的に冷房が入ったままの状態だったようだった。布団もかぶらず半袖のポロシャツのまま倒れて寝ていたから、ちょっと風邪を引いてしまったようだった。


世界中のどこにいても、まずはe-mailのチェック。布団から起き上がると鞄から旅行用のMacBook Airを取り出し、ネット接続する。クイーンズランド大学科学哲学を専攻する大学院生、Lさんからメールが届いていた。そもそも、この街へ来たのは、彼が博士論文で取り組んでいるテーマである「意味のある偶然の一致」について議論を深めるためだった。いつ研究室を訪ねようかということで、日程を決めるにあたって、「たまたま日食の日に合わせただけで、それがこの夢の大陸を、生まれて初めて訪れた、第一の理由ではなかった。


最初にブリスベンに到着した翌々日、まずはLさんに連れられて、彼の指導教官である、因果論の専門家、Phil Dowe先生のところに挨拶に行った。本や論文は拝読していたが、直接お目にかかるのは初めてだった。図書館の横にあるカフェ。45億年前に地球ができた直後に、ひとまわり小さな惑星が衝突し、粉々に砕け散った破片が再集合して、月という不釣り合いに大きな衛星ができた。その後、月は地球の周りを公転しながら、徐々に地球から遠ざかりつつある。そして今まさに、その見かけ上の大きさが太陽とほぼ同じになったこの時代に、それを観測する我々が進化した。「創造論者やID論者なら、神が敢えてこのような仕掛けをつくり、我々に勉強をさせようとしていると言いそうなものではないですか?」と、ちょっと挑発的な質問をしてみた。「勉強?何を?」先生は、それが何か?とでも言いたそうな顔をしていた。「たとえば…たとえば、つまり、重力レンズという現象を観測させ、一般相対性理論を勉強させるとか…」。先生は、にやりと笑った。それで、観測選択効果とか、逆ギャンブラーの誤謬とか、そういう議論に結びつけていきたいという理由はわかった、という顔だった。しかし今日はこれから教授会があるので、と言って、あっさりと話を切り上げると、続きはまた後日ゆっくり、と、暖かい握手をしてくれて、先生は会議室のほうに向かって早足で歩いていった。ケアンズから戻ってきたら、本格的なセミナーをするという段取りになっていた。


しかし、Lさんのアドレスから届いたメールの文面を読むと、中身は奥さんからのメールだった。夫は急病で緊急入院してしまい、当面は面会もできない、申し訳ない、という、きわめて簡潔な内容だった。病名もわからない。つい三日前には、日本の職場の同僚の訃報を受け取り、ショックを受けていたばかりだったのに、Lさんまで重病になってしまうとは。オーマイブッダ。同僚は癌で亡くなり、葬儀は自宅の近く、「天文台のあるまち」「太宰の生きたまち(正確には死んだまち)」三鷹市禅林寺で行われたという。享年54歳、若すぎる。奇才、ヴォルフガング・パウリがチューリッヒ赤十字病院の137号室で、やはり癌で逝ったのでさえ、58歳だったのに。


ふと、机の上に置かれた鍵の番号が目に入った。眠りから覚めたばかりで朦朧とした意識がだんだんに回復してきたところで、この部屋が137号室であることの意味が、妙に気になりはじめた。


これは偽りの目覚め(false waking)で、自分はまだ夢の中にいるのかもしれない。慌ててiPhoneと鍵をポケットに入れ、部屋の外に出てみた。扉には「137」という数字が書かれたプレートが貼り付けてあった。物理的証拠としてそれを簡易カメラで撮影して、さらに念のため、twitter経由でネット上にアップしておいた。


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そしてまた部屋に戻り、そしてまたベッドに倒れ込み、また意識を失ってしまった。


何時間か経って、もう一度目覚めたときには、もう日はとっぷりと暮れていた。もう一度部屋番号を確認した。やはり「137」だった。一瞬、この部屋から生きて出ることはできないという、嫌な妄想が脳裏をよぎった。そしてもう一度ネットをチェックすると、早速、日本大学院で量子力学を専攻しているという親切な某君が反応してtwitterに黒冗句を書き込んでくれていた。すこし、気持ちが落ち着いた。やはり、これは主観的な妄想などではない。物理的な事実なのだ。


無論、物理的な空間としてのこの部屋から出られないなどということは、まずありえない話であり、実際、これを書いている今はその外部にいる。しかし、象徴的な意味では、自分はまだ137号室の中にいて、そして最期までそこから出ることはできないのかもしれない。けれども象徴は象徴にすぎない。それは多分に主観的なものであり、やはり物理的実体はない。混乱した頭を整理しようとして、冷静になろうとした。物理的、生理的に起こったことは、ただすこし風邪をひいたというだけのことである。


実体はないのに、意味があると思えば意味を帯びてくる何か。ちょっとした偶然にすぎないと思えば、簡単に捨ててしまうこともできる。たとえば13階という素数に意味を見いだす人もいるだろう。しかし137はもっと深遠な数である。微細構造定数αという、この物質世界を記述するもっとも基本的な無次元数の逆数の近似値だからである。もちろん、しょせんは近似値で、たんなる無理数にすぎない、ということもできる。それでも、これを数式で表せば、


¥frac{1}{¥alpha }=¥frac{¥hbar c}{e^{2}}{¥approx 137.04(CGSガウス単位系)


となる。こんなに短い、四則演算と、せいぜい二乗までしか使っていない式に、この世界の、もっとも基礎的な物理定数が三つも含まれており、しかもそれ以外が含まれていないのだから、それだけでも充分に驚くに値する。


ちなみに、この式は、SI単位系を使って表現すると、もっとややこしくなってしまうのだが、それは、電気磁気の間の対称性が破れているからである。磁気単極子は未だ見いだされておらず、どうやら「この」宇宙には電気単極子しか存在しないらしい。しかも、電気には、一個、二個と数えることができる、それ以上分割できない「素量」が存在する。


おそらくこの対称性の破れが自然に説明され、そしてもっとも扱いの厄介な最後の基礎物理定数、Gが同じ式の中に組み込まれて、ある無次元数が見いだされたとき、ようやく我々はこの世界の本当の姿を目にすることになるのかもしれない。もしその数が、有理数、それも整数であったりしたなら、我々はピュタゴラス的神秘主義者にならざるをえないだろう。


もっとも、神秘主義とは言っても、個人的には、縁起の悪い数やら、古代から伝わるとかいう数秘学のたぐいにはあまり興味はない。理由は簡単で、現在、普通に研究されている数学物理学だけで、正直、じゅうぶんに神秘的で薄気味が悪いからである。


ただし、気味が悪い、気味が悪い、とはいっても、そうした妄想真剣に怯えているというわけでもない。その微妙な薄気味悪さを、むしろ楽しんで研究しているといえばいいのだろうか。例えていえば、怪談を楽しむといった感覚に近いのかもしれない。ただ、いわゆる怪談とは、ちょっと違う話ではある。


日本東北地方の田舎に、ザシキワラシが出るという、いかにもそれらしい宿屋があり、その部屋は何ヶ月も前から予約が一杯で、その部屋で真夜中に不思議な物音を聞いたとか、不思議な光が写真に写ったとかいう話があるが、そういうものは、いかにもB級ホラー的であり、あまり怖いとは思えない。むしろ、普通の都会の、普通のホテルに、普通に昼間にチェックインしたら、たまたま部屋番号が137号室だったという、それだけのことのほうが、だからこそ、薄気味悪く感じられる。ごく日常的な現実の風景に、微妙な裂け目が入り、その向こうに世界の超越的な本態がちらりと垣間見えてしまうような、そういう感覚のほうが、よりA級ホラーであり、怖い。


オレゴンに、ユング派の流れを汲む、アーノルド・ミンデルという心理学者がいる。(物理学者でもあると言われているが、たぶんそれは彼一流のトリックスター的冗談だろう。)ともあれ、心理学者としては、アメリカ西海岸的な、浅薄なオリエンタリズムを差し引いてもなお、なかなか興味深いことを言う人物である。


彼が『24時間の明晰夢』という本に書いていたエピソードを思い出した。


ミンデルは、先住民の知人とともに、アデレードの街を歩いていた。その知人は、ここは大地の力が非常に強い場所なのだと言う。間抜けなミンデルは、こんな高層ビルが立ち並ぶ都会に、大地の力など感じられないと答える。聡明な知人は説明する。大地の力が強いところだからこそ、これだけの都市をつくることができたのだと。


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そういえば、ケアンズに行く前日には、Lさんはまったく元気そうだった。ブリスベン郊外のクーサ山の森の中にある、先住民のロックアートを再現した「野外美術館」を案内してくれた。ロックアートと言えば、決まって描かれるのは、蛇。


山中の小径を歩いてたら、Lさんが、急に「ジーザスっ!」と叫んだ。彼が指差す方向を見ると、ちょうど我々の行く手の土の上を、蛇がゆっくりと横切っていった。「まったくこのあたりは蛇が多い。しかも毒蛇が多い」。イギリス生まれのLさんにとって、それはとても不快なことのようだった。蛇は、楽園にいた最初の人間たちを誘惑し、大事な約束を破って林檎の実を齧らせてしまった邪悪な動物。そしてジーザスは、人間を代表して、約束を破った責任をとろうとした。そういう文化的背景の中で育ったからなのだろうか。


自分が背負っている鞄には齧られた林檎のシンボルが刻み込まれた電子計算機が入っているが、とにかく薄くて軽くて、背負っていることさえ忘れてしまうぐらいだから、ましてや大層な原罪を背負っているなど、そんなことは考えたこともなかった。


ふと、ツェナーダイオードトンネル電流をシードにした物理乱数発生器を背負って、三輪山の山麓を歩いたことを思い出した。道を横切る蛇。山辺の道では、そんな光景はしょっちゅう目にした。なにしろ皆がお供えと言っては餌をあげるものだから、蛇が増殖しすぎるんだと、地元の人は苦笑していた。


同じ精神分析の流れでも、フロイトユングでは基本的に視点が違う。フロイト派は、あらゆることを無意識に抑圧された性的なエネルギーで解釈しようとするから、蛇はその顔かたちのとおり、男性器を象徴すると考える。ユング派は、さらに深い無意識の層、集合的無意識の存在を仮定する。蛇は地母神の象徴であり、しばしば自らの尻尾を自己言及的に咥えた、始まりも終わりもない始まりの時間、夢の時間のウロボロスとして姿をあらわす。


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クーサ山の麓に白人が作った都市ブリスベン。なるほど、あの街にも高層ビルが次々と建設されてきた。大地の力が非常に強いがゆえに、なのかもしれない。


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(2012/2555-11-29。2103/2556-01-24、加筆修正、蛭川立

2012-11-01 Q:専門の研究分野は何ですか?研究の背景にはどのような関心があり

Q:専門の研究分野は何ですか?研究の背景にはどのような関心がありますか?


A:研究室のテーマや名刺には、文化人類学と意識研究、あるいはその境界領域と書いていますが、それはいったいどういう研究なのか、わかりにくいというご指摘をしばしばいただいております。それは、もっともなことだと思います。また、その他の分野にも広く関心を持っているので、広く浅い「なんでも屋」だと思われているふしもあるようですが、それはいささかの誤解です。とはいえ、そのように誤解されるような活動をしているのも事実なので、その種のさまざまな誤解を解くためにも、少々長くなりますが、この場で説明させていただきます。


まずは、いきなり大風呂敷を広げるようで恐縮なのですが、根本的な関心としては、この宇宙が全体としてどのような仕組みになっているのか、それを科学という論理によって理解したいという明確な動機があります。関心分野が多岐にわたっているように見えるのは、そのせいだと思います。


それならば、そういう研究をするのは物理学天文学ではないかということになりそうですし、じっさい、理論物理学宇宙論には非常に強い関心を持っています。ただ同時に、その分野を専門的に究めるには、その分野の研究者になるための基本的な才能が不足しているということも自覚しています。ただし、天文学にかんしては、あくまでもアマチュア的な趣味として、ですが、かなりのめり込んでおります。


また、上に書いた「宇宙」には、物質的、外的な宇宙という意味だけではなく、精神的、内的な宇宙という意味も含まれています。そして、研究対象としては、どちらかといえば、後者の、内的な宇宙のほうにより関心があります。そちらのほうの研究はまだ遅れており、それゆえに、より惹かれるという理由もあります。そうであれば、むしろ専門は心理学だということになります。ただ、心理学といっても幅の広い分野ですし、また一般に「心理学」というと、臨床心理学のイメージが強いのですが、関心の中心はそこにはないので、意識研究、あるいは意識科学という、より限定的な領域を指す分野名を名乗っています。


なお、意識研究とはいっても、そこでいう「意識」は、さまざまな変性意識状態などをも含んでいます。そこは、オーソドックスな認知科学から発展した一般的な意識科学とはすこし異なる視点かもしれません。むしろ、トランスパーソナル心理学に近い部分もあります。しかし、だからといって専門はトランスパーソナル心理学であると言ってしまうと、また臨床的な分野に関心の中心があるのではないかとか、あるいは最悪、いわゆるオカルト的な、あるいは「ニューエイジ」的な、非科学的な研究だと誤解されかねませんし、じっさい、トランスパーソナル心理学者を自称する人たちの中には、残念ながらそのような人たちが少なくないのも事実です。ですから、自分の専門分野として、トランスパーソナル心理学という言葉は、あまり使いたくありません。また、トランスパーソナル心理学がとくに注目している変性意識状態の一種として、サイケデリックス(エンテオゲン)によって引き起こされる意識状態にも関心を持っているのですが、とくに日本では、こうした意識変容作用を持った物質と、依存性薬物が混同され、非常に強い偏見にさらされているきらいがあり、そのような文脈の中で「ドラッグ」や「ドラッグカルチャー」、さらには「サブカルチャー」や「カウンターカルチャー」の研究をしていると誤解されることも多く、それにも困っています。


さて、より具体的な研究テーマなのですが、物質的な宇宙を扱う物理学と、精神的な宇宙を扱う心理学の接点となるべき分野として、現在はとくに「観測」という問題への関心を強めています。量子力学における観測問題や、宇宙論における人間原理などについての研究、というよりは、勉強を進めています。さらに具体的には、量子力学における観測において、観測者の意識が波動関数の崩壊(波束の収束)に「能動的に」作用しているのではないか、という仮説に興味を惹かれ、じっさいにそのような奇妙なことがありうるのか、ダイオードトンネル電流などを具体例として、ここ十年ばかり、実験的な研究を進めてきました。正直なところ、量子力学理論は非常に難解であり、手に余る部分も多々あるのですが、理論はさておき、一定の実験手続きに従えば、データは得ることができます。当座はデータの蓄積を進め、その理論的な解釈は、天才的な理論物理学者に譲りたいと考えています。


なお、こうした仮説的作用は、一般には「ミクロPK」と呼ばれ、物理学ではなく、いわゆる「超心理学(parapsychologyの誤訳)」で続けてこられたため、この超心理学の専門家であると誤解されているふしもあるのですが、その誤解も解いておきたいと思います。超心理学は、その研究対象を否定的に定義しているところがあるため、テレパシーやヒーリング、あるいは予知など、さまざまな異質な現象がきちんと区別されずに扱われています。それらの個々の現象にも興味はあるのですが、あくまでも私の研究上の関心の中心は、いわゆる「ミクロPK」という現象です。ただ、量子論的観測における時間対称性の破れと密接に関係している可能性がある予知(予感)の研究には、強い関心を持っています。もっとも、私は「予知ができる」ことよりも「予知ができない」(そして自由意志なるものが存在するかのように感じられる)ことのほうが、時間対称性を破っているという点において「超常現象」だと考えていますが。


ちなみに、超常現象という否定的に定義されたカテゴリは、いくらでも広くとることができてしまい、UFOUMAから、はては超古代文明が云々といった話まで、非常に雑多な現象を含めて論じられることがむしろ一般的です。個人的には、それぞれの現象にも、そこそこには興味を持っていますが、すでに述べたような理由により、私は超常現象と呼ばれる現象全般の専門家でもなければ、いわゆる超常現象マニアでもなく、またとくにそれを否定的に解明することを目指しているわけでもありません。ただし、「異星人に誘拐された」とされる体験や、臨死体験など、物質的な肉体の死後も精神活動は存続するのだろうかといった問題については、意識研究の一環として、専門的な興味を持っています。


またそれに関連して、人間がいわゆる「非科学的」なものを信じてしまうのはなぜか、という問題にも専門的な関心を持っています。そうした信念から派生する社会的な問題や、それを解決するための「科学コミュニケーション」という活動にも興味はありますが、むしろ関心の中心は、非科学的な疑似科学と見なされるものが持つ論理を、むしろ前向きに研究することで、逆に、近代ヨーロッパで発展し、物質的な宇宙の解明に大きな成功をおさめてきた、オーソドックスな近代科学とはいったいどのような論理なのかを、いわば裏側から浮かび上がらせたいというところにあります。敢えて非科学的とされるものに注目し、そこに従来の近代科学とは異なる論理を見出そうとしている、超心理学と呼ばれている分野に強い関心を寄せているのは、そのような理由によります。


また、文化人類学への関心も、そのような研究の延長線上にあります。いままで、アマゾンヒマラヤなどによく調査に行っていたので、辺境の文化の不思議な風俗習慣への単純な好奇心から冒険をしてきたのだろうと誤解されがちなのにも困っています。学問としての文化人類学はたんなる探検や冒険ではありません。さらに私自身の関心は、地域研究や異文化理解ということでもなく、近代ヨーロッパ的な科学とは異なる論理、つまり構造主義的な人類学がいうところの「神話の論理」や「野生の思考」、さらにはそれを高度に抽象化し、西洋科学を生んだギリシア哲学と並ぶ体系である(と私は考える)インド哲学的な体系を、内的、精神的な宇宙を記述するための科学として再構成できないだろうかと考えています。仏教系の出版社から本を出したりしていることもあって、仏教に特別に関心があると思われているところも若干の誤解で、むしろ情緒的な思想になっている日本仏教よりは、大元インド哲学のほうに可能性を感じています。たしかタイで仮出家したこともありますが、それもまたできるだけインド的な起源に近い初期仏教を学びたかったからであり、また日本でですがハタ・ヨーガを学んだりしたこともあり、とくに仏教という宗教の枠にこだわっているわけではありません。


つまるところ、西洋近代科学は、物質的な宇宙を解明するには非常に有効な方法なのですが、精神的な宇宙を解明するためには(ようするに、心理学には)、近代科学とは別の考え方が必要であり、それを、従来の近代科学と組み合わせて、より包括的な科学の方法論と世界観を模索していくことが必要であると思っています。そのような意味では、私のような研究は、むしろ科学哲学と呼ばれる領域に分類されるのかもしれません。ただ、通常、哲学の研究は、天才的な先哲たちの遺した思索に地道に注釈をつけていく作業が基本にあるものですが、私はそのような研究をメインにはしておらず、先に述べたような「ミクロPK」の実験的研究や、特異的な意識現象の自己実験や聞き取り調査などをベースにしています。そして理論的には、もっと、全体を大きく俯瞰する視野から哲学上の問題を考えたいと考えています。無論、これは非常に壮大なテーマであって、自分のような非才が自力でそれを達成できるとは、到底考えてはおりません。微力ではありますが、方法論としては、むしろ哲学よりは文化人類学や意識研究といった分野での研究を通じて、新しい総合的な科学の方法論の発展に寄与したいと思っています。


(2012/2555-11-02 蛭川立

2012-09-26 近況報告

近況報告


今年度、西暦2013年度、正確には形式上、2013年4月1日から、長期在外研究という制度で、明治大学での大学業務をいったんお休みにして、イギリスロンドン大学のゴールドスミス校客員研究員という立場になっています。(詳細はこちらをご覧ください。)在外研究という貴重な制度を活かして、いわゆる留学というよりは、当座、大混乱状態になってしまっている資料や書類などを抜本的に整理して、まずは自分自身の健康と研究態勢を立て直す、よい機会にしたいところです。


イギリスロンドン渡航してしばらくの間は、日本人の多いエリアにある仮の宿に投宿しつつ、そこを拠点に、住むための家を探していましたが、その後、5月の末にグリニッジ区内の一角のフラットに移住しました。ここでしばらく過ごす予定です。7月までには、日本から船便で送った荷物が届いたり、電話屋さんとの契約や工事が終わる予定です。


ひととおりの生活の基盤を整え、安定した研究生活環境を整えるのには、おそらくは、7月中旬ぐらいまではかかるかと予想されます。ロンドンのような、いわゆる先進国とされている国の大都会でも、サービス精神120%の日本社会とは違って、お客様は神様ではないので、物事はなかなかスイスイとは進まない予定です。とくに、新居に転居してから、今後、電話回線が開通する予定の6月下旬〜7月上旬までの間は、大学など、すでに無線LANが使える場所で電波を拾いながらの生活となりますので、電子メールWEBなど、ネットに依存した自宅での業務が滞りがちになってしまいますが、ご理解いただければ幸いです。


自宅、大学ともに、移転に伴う住所や連絡先、電話番号などの変更、ネット接続状況なども些か混乱状態にありますが、この点の詳細はこちらのリンクをごらんください。最新情報は随時更新していく予定です。


さて、数年前からずっと訴えております、原因不詳の体調不良の詳細につきましては、こちらに長々と書きました。いま現在は、引っ越しに次ぐ引っ越し、慣れない環境での生活の基礎づくりなどに追われて、仕事よりは、むしろそちらの作業の方で疲れてしまっていますが、おかげさまで、大学での仕事からすこし離れさせていただいたおかげで、余計な神経はあまり使わなくなったと申しますか、どうも、自律神経系変調のような症状は、若干軽快してきたように感じますし、今後、さらに、もっとゆっくりと生活が安定していけば、自然に消えていくものと期待しております。


皆さまにはいろいろお世話になり、またご迷惑も多々おかけしてまいりましたが、数年計画という中期的なスパンで、生活や仕事のありかたを基本から見直し、元気な研究生活を取り戻すつもりでおります。当座、書類作成や電子メールへの返信等も慢性的に遅延しがちですが、このような現状にありますこと、ご理解いただければ幸いです。


(2013/2556-06-14 更新 蛭川立

2012-09-25 SPR第36回大会

SPR第36回大会


イギリスのNorthampton大学で行われた、Society for Psychical Reseachの第36回年次大会に行ってきました。今年はまた、SPRの創立130を祝う大会でもありました。


持って行ったノートパソコンがうまくネットにつながらなかったり、メモをゆっくりまとめている時間が十分になかったり等々の理由で、内容をまとめてアップしようという作業が遅れております。Coming Soonであります。


(2012/2555-09-26 蛭川立

2012-07-02 昨日は長い一日でした

昨日は長い一日でした


昨日は、いろいろな意味で長い一日でした。


といっても私的には何かとくに忙しかったわけでもなく、見舞いに来てくれた母親を連れて、ちょっとランチがてらに公園を散歩したりしたぐらいで、あとは、ずっと自宅で静養しておりました。


前回のブログには、近代スピリチュアリズムにかんする科学論的考察の如き奇妙な文章を、長々と書き綴ってしまいましたが、お恥ずかしい。あれではただの愚痴です。文化的な背景なども含めて、もっと勉強した上で、より厳密に整理した議論をまとめなおし、しかるべき場所に発表したいものだと思います。場違いでありました。あのような文章を書いてしまうぐらい、脳が過熱していたということです。


あの翌日、半ば計画的に倒れ、二週間後には復活するという想定で、自宅での静養を始めてから、十日以上が過ぎました。


おかげさまで、つねに仕事に追われているような切迫感や、謎の倦怠感は減り、心身にもだいぶ余裕ができてきました。生理的な倦怠感を抱えながら物理的な時間に追われていると、心理的にもだんだん余裕がなくなってきてしまうのですが、心に余裕ができてくると、また、ゆっくり勉強しよう、研究しようという余裕も戻ってきます。時間も、ゆっくり流れるているように感じられます。この余裕を大事に保持しながら、そろそろ、社会復帰に向けた着陸態勢に入っていきます。


(2012/2555-07-02 蛭川立

2012-06-21 死と再生の季節

死と再生の季節


扉をノックする音で、意識を取り戻しました。扉が開いて、守衛さんが顔を覗かせました。もう、研究棟を閉める時間だというのです。そこでようやく、授業を終えて研究室に戻った後、ソファに倒れこんだまま何時間か意識を失っていたということに気づきました。もともと理科系実験系出身なので、研究室というのは、教授や院生が24時間体制でひたすら実験を続ける場所、といった印象が未だにあるのですが、文科系学部の研究室というのは、どうやらそういう場所ではないようです。


ともあれ、起こしてもらったおかげで、ちゃんと終電を逃さずに、家に帰ってくることができました。


思い起こせば、今日はまた格段に濃厚な一日でした。科学非科学のグレーソーンという、敢えてきわどい分野に身を置いて研究をするようになってから、研究者や、出版関係の人、あるいは仏教など宗教関係の方、ときには、不思議な体験をしたという人から、その体験談をお聞きしたりなど、考えてみると、ここのところずっと、平均して三日に一人ぐらいの割合で、そういう方々にお会いしては、お話し続けるという日々が続いています。たぶん、すくなくとも日本語圏では、その種のきわどい問題を真面目に研究している人が少ないからなのでしょう。


今日は、いや正確にはもう昨日ですが、たてつづけに二人のかたとお会いしました。一件目は、私が所長を務めさせていただいる、意識情報学研究所に持ち込まれた、実験計画のお話。スピリチュアリズムの霊能力を証明するような実験ができないかというお話でした。ここでいうスピリチュアリズムというのは、認識論上の唯心論のことではなく、私じしんもあまり詳しくはないのですが、19世紀後半のイギリスを中心として興隆した、やはり当時隆盛していた唯物論的世界観を克服しようとする思想体系のことですが、じっさいには心身二元論に近い立場のようです。


スピリチュアリズムの体系の中では、よく言われる霊能力というのは、霊魂によって引き起こされると考えるのだと聞きました。たとえば、人の顔を見ただけで、その人が住んでいる場所のことや、家族のことなどがわかってしまう、そういう能力がある人がいるというのです。実際、そういうことができる人はいるようです。私じしんはそういう現象についての実験的研究はしたことがありませんが、すでに百年ぐらいの研究の歴史があり、じっさいにかなりのデータが蓄積されてきていることは知っています。


しかし、現在では、そのような能力は(意図的な不正行為は別にして)生きている人間の持っている特異な能力、たとえば相手の微妙な表情を非言語的に読み取っているとか、あるいはテレパシーと呼ばれるような、いわゆる超能力で情報を得ているのではないかと考えて研究されているのが普通です。いや、その情報が死者の霊魂を媒介として得られているのだ、という仮説も、仮説自体は否定できません。第一に、その仮説に論理的な矛盾がないこと、第二に、その仮説に反証可能性があること。この条件を満たせば、どんなに荒唐無稽なように思われる理論でも、非科学的だなどといって、頭ごなしに否定できないのです。


しかし、それでは、上に挙げたような特異能力が、生きている人間が持っている特異能力ではなく、死者の霊魂の作用によるものだということを、区別して証明するような実験は可能でしょうか。話し合いながら考え込んでしまったのですが、それは、どうもできそうにないのです。というのも、生きている人間がどこまで未知の能力を持っているかが、まだまだ未解明だからです。


もっとも、科学的な手続きからすれば、同じ現象を説明するのに、二つ以上の仮説があってもかまわないのです。しばしば誤解されるところなのですが、実証主義的な科学というのは、唯一の真理を証明するための方法ではなく、起こっている現象を矛盾なく説明する手続きであって、その背景にある真理のようなものの真偽を、客観的に示すことはできないのです。したがって、実験によって反証されていない、互いには相容れない正しい理論というものが、複数あってもいいという、奇妙なことになってしまうのです。それは、科学という方法論の限界なので、仕方がないのです。


とはいえ、それでは気持ちが悪いので、やはり正しい理論ひとつであってほしい、と思うのは自然なことです。そこで、上に挙げた二つの基準に加えて、複数ある正しい理論のうちから、それでもひとつを選びだそうとすれば、第三の補助的な条件として、その理論がどれほどエレガントか、という、一種の美的基準で、より美しい理論を選び出すということは可能です。しかし、どんな理論を美しいと感じるかは、主観的で、客観的ではありません。そこで、同じだけの説明力があれば、できるだけ単純な理論を採用しようという基準を考えることもできます。それなら、ある程度の客観性は保証されます。オッカムの剃刀と呼ばれる基準です。もしこの基準に従えば、たとえば、霊魂のような特殊な概念を仮定するよりも、生きている人間の能力だけで説明できる理論のほうがより単純だから、よりよい理論だということになります。


だから、もしも、このオッカムの剃刀の基準を適用すれば、スピリチュアリズムの理論は、あまりよい理論ではない、ということになってしまいます。しかし、それでは、スピリチュアリズムを科学的に証明したいという目的は実現できません。そもそも、肉体が死んでも霊魂、いや、正確に言いかえれば、主観的な意識の流れは存続するのか、ということは、主観的な問題ですから、早い話が、自分が死んでみないことにはわかりません。客観的な方法でそれを示そうとすること自体が、非常に難しいのです。死後の世界とか霊魂とか、そういうオカルトめいた話だから難しいのではありません。およそ心とか意識というものが関わる現象には、同じような問題がつきまといます。たとえば、他者も自分と同じような意識をもっているのかという、ごく日常的なことでさえ、厳密にいうと、客観的には証明できません。もっと言うなら、素粒子のような物質でさえも、その実在性自体を示すことはできません。科学が行っているのは、「物質のように見えるもの」の挙動を予測可能な理論の妥当性を検討することであり、それ以上のものではないのです。


…などという、科学基礎論のような原理的な話まで議論が飛んでいってしまったところで、お客様には十分納得いただけないまま、時間切れとなってしまいました。所要時間はおよそ三時間。とてもハードな議論で、脳が疲れてしまいました。


その後の時間は、四年生のゼミ。卒論に向けての研究の話です。それはそれで、なかなか濃厚な話題だったのですが、それはさておいて、さらにその後の時間は、大阪大学より物理学者菊池誠先生をお迎えしての「対決」対談授業。簡単に申しますと、いわゆる超能力のようなものは存在するのか、というのがテーマ。たとえばテレパシーと呼ばれる未知能力。正直、私としては、そういう能力があったほうが面白いとは思うものの、あると信じているわけでもありませんし、ないとはっきり証明できれば、それでも満足です。本当のことがわかれば、それでいいのです。が、しかし、お客様をお迎えしてのパフォーマンス授業。私の役割は、たとえばテレパシーは存在するのではないか、じっさい、その存在を示すデータは統計的にみても、もう十分に蓄積されている、と主張すること。


対する菊池さんは、物理学的に考えて、そもそもありえない、と、冒頭から明確な反対論を展開。物質間に働く相互作用は四つあるが、可能性があるとしても電波のような電磁気力。しかしそれが隣の部屋とか、もっと遠くまで伝わるとは、とても考えられない。統計的に有意なデータがあったとしても、まず先に実験方法の不備を考えるのが当然、とのこと。私としても反論しなければなりません。既存の理論実験データが食い違ったならば、理論のほうを変更するのが科学というものなのではないか。五番目の相互作用という新しい理論を考えたっていいのではないかと。


しかにそうやって三番目、四番目の相互作用についての理論が発展してきたのは事実だが、しかしそれは、その理論にいろいろな現象が説明できる汎用性があったからであって、テレパシーというひとつの現象だけを説明するために新しい理論を持ち出すのは性急であると菊池さん。新しい理論をつくるのはかまわないが、他のいろいろな現象を予測できるような汎用的なものでなければ、「ありえなさ」の高いハードルを超えることはできないと。


と言われても、物理学の素養がない私(そして多くの心理学者)にはそんな革命的な理論など作れそうにないわけでして、だからこそ物理屋さんと話が話がしたかったのですが…というところで議論は行き止まりになってしまいました。答えの出ない難しい問題に対して、肯定、否定の両方の立場から考えつづける脳力を身につけよう、という趣旨の授業なので、そうそう簡単に結論めいたものを出さないほうがいいのですが、しかし、そういう授業を企画している私自身の脳は、さらに疲れてしまいました。


敢えて戯画化していえば、スピリチュアリズムのような方面からは、霊魂の存在を信じてくれない頭の固い科学者だと思われ、正統な物理学のような方面からは、実験不備によるデータを超能力の証拠だと主張している疑似科学者だと思われ、いやはやなんと損な役回りなのだろうかと、ダブルで脳が疲れてしまったわけですが、いやしかし、多方面から様々な批判にさらされるような議論の絶えない研究にこそ、深いやりがいがあると考え、社会的地位が危うくなるかもしれないリスクを冒してまでも、わざと奇妙な研究テーマを自主的に選択して、そして実際にはそれを楽しんでいるのは他ならぬ自分自身なのですから、他人様に文句を言うつもりはまったくないのです。むしろ、日々、各方面の論客と、エキサイティングな議論を楽しませてもらっているとさえいえるわけですから。


けれども、その代償として、脳の変な部分ばかりを偏って酷使しているような気がしないでもありません。変化球ばかり投げ続けている野球選手が腕の特定の部位を傷めてしまうように、科学とは何かという問いに対して、わざと奇妙な方向ばかりからアプローチしているうちに、脳の特定の部位を傷めてしまったのかもしれません。もしそうなら、それは一種の職業病です。それが、ここ数年ずっと悩まされている、謎の倦怠感の本当の原因なのかもしれないと、あらためて思った今日、いや正確には昨日、でした。


菊池さんとの熱い対談授業が終わって、ほとんど霊魂(!)が抜けたような状態で立ち尽くしているところに、いつも助手を務めてくれている院生さんがやってきて、ありがたいお説教をいただきました。どうかゆっくり静養してくださいまし、と。しかしただ休養するだけでは意味がありません、と。規則正しい生活が大事です、と。たとえば、夜中にパソコンを打ち続けるようなことは、いちばん良くないことです。と。尤もな話です。


などと、考えたことなどをちょっと書きとめておこうとおもっているうちに、夢中になって、ついつい長文になってしまいました。時計をみると、なんともう午前五時を回っています。こういうふうに、時が経つのも忘れて熱中してしまうのが、良い意味では研究者としての適性なのかもしれませんが、また職業病になりやすいリスクもあるわけです。そこは、バランスが大事です。健康を害しては、考えることもできなくなってしまいますから。


この時間でも、外はもうすっかり朝です。そうです。間もなく北半球は夏至を迎えます。南半球は冬至を迎えます。太陽の死と再生です。私もこれからしばらく、死んだように眠り続ける予定です。その間、暫し仕事が滞ってしまいますが、どうかご容赦くださいませ。今後は、脳の特定の部位だけに無理な負担をかけるようなことは、しすぎないように、注意したいと思います。反省しています。そして、また元気に再生したいと思っております。


(2012/2555-06-21 蛭川立

2012-04-21 最強のトド退治アプリは何か?―スケジュール管理の電子化による合理

最強のトド退治アプリは何か?―スケジュール管理の電子化による合理化の可能性と不可能性―


 引きつづき、多忙と過労のネガティヴなポジティヴフィードバックの中でアップアップと溺れています。生活は破綻寸前です。というより、すでに、かなり以前から破綻したまま、なんとかつじつまを合わせてサバイブしているのが現状です。


 この悪循環から抜け出すには、第一に、謎の過労・過眠症治療することであり、そのことについては、前の闘病記(?)にも書いたとおりです。


 第二に、やるべきこと=ToDoトド、を整理し、合理化、削減することです。作業の電子化による合理化はどれほど可能か、ということを、いろいろ試しています。


 そこで唐突に、ハードウエアの話なのですが、かつては、パソコンAppleを使っていました。今でこそ当たり前になっていますが、画面のアイコンマウス操作するだけで、たいがいのことができてしまう、というのは、魔法のように魅惑的だったのです。


 以下は、文化人類学的フィールドワークをしてきたという、特殊事情によるところも大きいのですが、携帯電話は、Vodafoneを使っていました。「世界の標準、自宅は圏外」と謳われていたのは本当でした。とにかく、大英帝国による世界制覇の威光には驚くべきものがあり、世界の田舎でじつによくつながることに驚きつつ、鉄筋コンクリートで遮蔽された自宅での電波状況の改善には、しばしの歳月がかかりました。


 ちなみに、調査の必携アイテムである小型ビデオカメラは、しばらくパナソニックの3CCDのやわらかな発色に魅せられていましたが、赤外線撮影など、暗所での撮影になにかと便利かと、SONYのハンディカムに乗り換え、やがてパソコンVAIOに変えました。双方がSONY製であると、専用ソフトで連携しているので、編集が楽になります。


 携帯電話のほうは、Vodafoneの調子が悪くなったのをきっかけに、二年前に、ソフトバンクショップでiPhone3Gに乗り換えました。つい最近、中身だけiOS5にしました。やや重くて動きが鈍くなったような気がしないでもありませんが、新規に登場したiCloudというものには、可能性を感じています。


 まず、住所録をOutlookと同期させました。これはなかなか便利で、とりわけパソコン側から入力した住所が瞬時にiPhone転送され、外出先では手元のiPhoneの住所に触れるだけで詳細な地図が出てきます。これで、道に迷うことがほぼなくなりました。総じて、iPhoneにしてよかったと思えるのは、唯一、このGPS地図機能の便利さでしょうか。


 逆に、不便になったことも多々あります。文字の入力は、ケータイのボタンをプチプチ押すほうが、はるかにやりやすかったものでした。iPhoneは、もっぱらメールを読むだけにして、長いお返事は、けっきょく、あらためてパソコンキーボードで打っています。そもそも、ノートパソコンにつないで、外出先でモデム代わりに使うことができなくなりました。もっとも、このtetheringという作業は、ハードウエア的には可能になっているのですが、日本ソフトバンクソフト的に禁止しているだけです。これは、なんとかしていただきたいものです。


 さてそこで本題なのですが、スケジュールの電子化の可能性です。もともとこの種のことは、紙と四色ボールペンでやっていましたし、いまでもやっています。とくにスケジュールとカレンダー、これをわざわざ電子テキストとして入力するのは、とても面倒です。ふだんは、時間目盛り付きの小型システム手帳を使っていますが、これなら、その時間帯に印をつけて場所だけ書き込めばいいので、とても簡単ですし、書式もまったく自由です。いや、それを超えるぐらい使いやすいiPhoneアプリなどがあれば、ぜひ教えていただきたいところです。


 スケジュール管理のもうひとつの側面は、トドの群れの管理です。こちらも、長い間、紙に書き出すという、原始的な方式を使い続けてきました。じっさい、そのほうが書式が自由で、気軽でよいのです。しかし、トドがどんどん増殖して、数百匹のオーダーになってきますと、だんだん群れの統率が難しくなってきます。いったん紙に書いてしまうと、テーマごとに集めなおしたり、優先度順に並べ替えたりということができませんから、どんどん混乱してわけがわからなくなっていきます。


 そこで、電子化です。まずは、GoogleTodoを使ってみました。デフォルトでも、シンプルですが、ひととおりの機能はそろっていて、実用に耐えます。同期するiPhone側のアプリとしては、まずGoTasks。締め切りを過ぎた作業の数を、赤字で警告してくれますが、並べ替えの機能などがなく、もうひと工夫ほしいところです。似たようなものとしては、gTasksというアプリがありまして、優先度順の並べ替えなどができます。しかし、作業の締め切りが過ぎているのか、いないのかを、うまく識別してくれません。


 新しいiCloudのほうはどうかといえば、OS5からは、リマインダーというTodoアプリが、最初からついてきます。しかし、これは、字が大きすぎて画面で多数のトドを視認しにくい、トドの階層化ができない、などの弱点があり、あまり実用的ではありません。WindowsVista以降のパソコン側のOutlookとも同期してくれますが、そもそもOutlookでも、トドの階層化は基本的にはできません。iPhone用のToDoアプリにも、iCloud対応のものが出てきていますが、2Doも、階層化ができないのは標準のリマインダーと同じ、より複雑に階層化できる定番のTodoは、まだうまくiCloud全体と同期してくれません。


 なにか、これなら使える、という、トド管理アプリがあれば、教えていただきたいものです。


 等々、つらつらと書いているうちにも、iPhoneアプリたちを見ると、未読メールは58、Todoは総数で386、締め切りを過ぎたもの、急を要するものが29と赤字で出ております。また、個別の業務の世界に戻ります。。。


(2012/2555-04-21 加筆修正 蛭川立

2012-04-18 そこそこに闘病を続けております

そこそこに闘病を続けております


 たまにはブログに日記といいますか、近況報告でも書こうかなと思って筆をとりましたが(実際にはキーボードを叩いているのですが)、やはりまず最初に書かなければならないのは、情けないことに、体調不良と、それによる業務の遅れについてのお詫びです。ここ数年、慢性的に疲れてヘタレている状況の詳細な診断結果と治療状況につきましては、FAQのページに書きましたが(→こちら)、その後も体調は一進一退です。


 まずは業務上の遅延について、繰り返しお詫びをしなければなりません。さしあたり返信をすべき電子メールの数、これはまるでkg単位であらわした体重のようだな、50ぐらいで動的平衡状態を保っているあたりが妥当なところかなと思っているのですが、実際にはその倍ぐらいの電子メールが返信waiting状態にあり、増えていく速度に、減らしていく速度が追いついていません。


 やりたいことや、やるべきことや、その締め切りなども、一時期、大混乱で、わけのわからない状況になっていましたが、電子的なToDoというものを使って整理してみてはどうだろうかと考え、実験的にGoogleToDoiPhoneと同期させながら使っています。いま、手元のiPhoneをみると、設定した締め切りを過ぎている「トド」が、赤字で28と記されています。こちらのほうは、つねに、可能なかぎり、ゼロに近い値を保っていたいのですが、現状の機械はただ締め切りからの遅れを知らせてくれるだけで、代わりに仕事をしてくれるわけでもありません。困ったものです。すみません。


 もちろん、病気治療、体調改善への努力は続けています。まだまだあきらめてはいません。当然ですが、病むこと自体は、決して楽しいものではありません。しかし、病院に行って、いろいろ検査したり、薬や器具を試してみたり、自分でも勉強し、担当医のかたがたと議論しながら謎を解いていくのは、どこか、自分が好きで職業にしている研究と似ているところがあって、意外に楽しんでいるところもあります。


 問題はどうやら複合的で、単純には解決しそうにないのですが、目下、今月に入ってから取り組んでいるのは、睡眠の基本となるサーカディアンリズムの調整です。メラトニンアゴニストを使って睡眠を誘導し、波長の短い可視光ライトを使って覚醒を誘導しています。補助的な対症療法としては、おもにベンゾジアゼピン系の睡眠薬と、ヒスタミン系に働きかける、新しいタイプの眠気覚ましの薬を併用しています。どのような効果が出てくるか、楽しみです。


 メラトニン自体にも睡眠を誘導する作用があるのですが、新しく開発されたラメルテオン(ロゼレム)は、三種類あるメラトニンレセプターのうち、サーカディアンリズムに関連するMT1とMT2だけに、メラトニン自体よりも強いアゴニストとして作用するのだそうです。


 f:id:ininsui:20120419220704g:image:medium:rightまた、覚醒を促す物質としては、従来は、メタアンフェタミンや、メチルフェニデートが主流でしたが、ドーパミンノルアドレナリンと単純に構造が似ており、かなり強引な効きかたをするので、乱用されることも多く、最近は規制が厳しくなっています。現在試しているのは、モダフィニルモディオダール)というもうすこし洗練された薬で、分子構造も右に記したようにそう単純ではなく、作用機序もまだ不明な点が多いのだそうですが、なるほど作用はマイルドな感じがします。


(2012/2555-04-19 加筆修正 蛭川立

2012-04-11 西暦2012年度 情報コミュニケーション学学際研究

西暦2012年度 情報コミュニケーション学学際研究

大学院博士後期課程のための特殊授業です。ここには、蛭川に直接関係のある授業の情報だけを載せていきます。

まず、前期ですが、6月22日に予定されていた西川君の発表、7月20日に延期ということになりました。


(2012/2555-06-27 蛭川立

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