巨匠ヘスス・ロペス=コボス指揮で、ショスタコーヴィチ交響曲第13番「バビ・ヤール」を聴く―都響定期

都響の第761回定期公演で、楽しみにしていたショスタコーヴィチ交響曲第13番「バビ・ヤール」を、現代の巨匠の一人である、ヘスス・ロペス=コボスの指揮で聴く。「バビ・ヤール」の前に、トゥリーナとラヴェルの短い曲が演奏されている。
 前日ほとんど寝ていないので、眠い中での鑑賞だった。サントリーホールの、席は1階3列28番、中央よりやや右側、通路側の席だ。
 ロペス=コボスは、さすがに巨匠だ、間然とするところのない円熟した指揮ぶりだった。ただ、コンドラシンばかり聴いてきた耳には、ややまとまりのよすぎる演奏に思えた。スラブ系指揮者とラテン系指揮者との肌合いの違いもあったろうか。
 都響も指揮者の意図によく応えている(と思える)厚みと迫力のある立派な演奏だった。特に弦パートの巧みな美しは格別である。このオケの能力は高い。

 バビ・ヤールの演奏のCDでは、初演指揮者のキリル・コンドラシンの3枚の録音でほぼ満足している。モスクワPOの2枚、ヴィタリー・グロマツキー(初演2日目のライブ)と、アルトゥール・エイゼンとのもの、そして亡命後のバイエルン放送SOでのジョン・シャーリー=カークとのもの、この3枚を代わる代わる聴いていた。また、渾身これショスタコーヴィチの権化であるルドルフ・バルシャイの指揮するWDRでのセルゲイ・アレクサーシキンとのものもまた十分聴かせる。

 この中では、エイゼンが他を圧する素晴らしい歌唱を聴かせる。朗々として深みのある声、痛切な感情表現、コンドラシンの指揮とともに凄味すら感じさせる。今後これを凌ぐ演奏はそう現れないだろうと。周知のように、エイゼンはボリショイ劇場所属の高名なオペラ歌手である。
 モスクワ・フィルハーモニー所属のグロマツキーは初演時ヴィクトル・ネチパイロのいざという時のための控え歌手であったため、やや準備不足の感がする。しかし、ムラヴィンスキーさえ回避したこの曲の初演を、当局の干渉をものともせず公演に踏み切ったコンドラシンの度胸に感嘆するとともに、グロマーツキーも控え歌手であったにも関わらず、コンドラシンの期待に応えてステージに立った勇気は立派だ。最初は戸惑うような感じもあったが、後半は次第にこなれてきて十分聴かせる。グロマツキーは、コンドラシンと、ともに当局の圧力を受けながらも演奏を強行した2作品、「バビ・ヤール」と、同じエフトゥシェンコ=ショスタコーヴィチのコンビによる作品「ステパン・ラージンの処刑」のソリストとして歴史に名を残した。
 シャーリー=カークは英国人にもかかわらずよく練れた立派な歌唱だが、アンタル・ドラティ=ロイヤル・フィルの「カルミナ・ブラーナ」での伸びやかの中にも閃きのある歌唱に比べればやや控えめだ。
 バルシャイ盤のソリスト、アレクサーシキンはマリィンスキー劇場の代表的歌手である。

 この曲の評価は難しい。「バビ・ヤール」は反ユダヤ主義を正面から非難したエフゲニー・エフトシエンコの詩にショスタコーヴィチが曲をつけたものだが、初演の後、エフトゥシェンコが当局の圧力を受けて、冒頭近くの四行と、結び近くの四行を取り替えている。当局の最終勧告「バビ・ヤールでは、ユダヤ人だけではなくロシア人やウクライナ人も死んでいたと言う事実を反映するように第一楽章を書き直せ、さもなければ今後この交響曲の演奏は禁止するというもの」(『ショスタコーヴィチ ある生涯』ローレル・E・ファーイ、292〜293頁)に従ってエフトゥシエンコが書き直したのである。
 エフトゥシェンコの名誉のために記しておくが、巷間彼ががショスタコーヴィチに相談せずに政治的に修正した新版を発表したと言われているのは真実ではない。この作品の演奏禁止を免れるために彼がコンドラシンとともにショスタコーヴィチを説得し、ショスタコーヴィチもこの作品の修正をしぶしぶ承諾したのだ。更に言えば、批判にさらされているのは歌詞全体であり、この程度の修正で済んだのはむしろ幸いであったという見方もできるだろう。(この辺の事情は、前述のローレル・E・ファーイの本を参照した。)
 現在では、ほとんどオリジナル版で演奏されているようだ。

 下記の動画は、ヴァレリーゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団&合唱団、バス独唱はミハイル・ペトレンコである。以下はpart,1/7映像だが、7/7までyou tubeで全曲鑑賞することができる。