なるべく眼にしないようにする理由の一つです

 今日はまだおりこんを読んでないのですけれど……他のSS書きさんらの日記を読んで、「なるほど」と思ったり「えー!」などと思うことが多々あります。
 基本的にまだ読んでない作品の感想は眼にしないように気をつけているのですが、その中で「なるほど」と「えー!」を同時に味わったものがありました。
 それは「No.073 14文字の涙」に対するある人の感想。


 >電話の向こうが、幼いと言っても良いくらい若い子だったという事は、物語で暗示されてます(乙女っぽくないは伏線)が、更に長髪色白痩せ型の美女だったに違いないと、男ならみんな考えるでしょうね(笑)。


 私はこの作品を読み、「乙女の知識が足りない」を全く別の意味にとっていたのですね。彼女は幼いのではなく、そのまんま中学3年生(これも若く、幼いの範疇に入るかもしれないけれど)。そして、そうした乙女っぽい変化を示しようがないほど、体が古くから死に冒されていた(生きるために当然生じる変化が体に現れなかった。はっきり言ってしまえば月経など)。また、そうした闘病生活が長かったために、それらの知識を操る同年代の友人も出来なかった。そういう伏線だと受け取っていたのです。ですから、この作品設定にかなりの重みを感じました。
 しかしなるほど、言われてみれば幼いことの暗示と受け取るのも妥当な伏線です。そしてそう受け取り、その視点の下でこの作品を思い返してみると……作品の評価が変わってしまうのです。
 私がこの作品に対して抱いた感想は、まだ詳しくは明かさないでおきますが、電話先の少女が「メールに託す」思いを作者がメールを介してどのように操ったのか、を大きく評価していました。そうやって作品外の読者達が持つ屈折したものを、ストレートな内容を見せかけにして表現していると感じていたのです。
 しかし電話先の少女が、少女ではなく幼女としたら? イメージとして少女自体が屈折しない童女としたら?
 そう考えると、その部分が霧散してしまうのです。ストレートさは見せ掛けではなくて、正真正銘の直球勝負玉になってしまう。それは魔球ではなくなってしまうのです(魔球は言いすぎですが)。
 ここんところ、「なるほど」で「えー!」でした。一つの言葉でイメージが変わり、作品の意味まで変わってくる。
 同じく引用させていただくと、ある人が日記で


>自分がいいと思った作品はスルーされ、どーだろなというものが誉められていたりする。すわ、自分は大多数の意見から大きくはぐれた存在であろうか…などと考えさせられもします。


 と書かれているのですが、(その人の論の展開から大いにはずれる事を承知の上で引用させていただきました)、こんな小さな受け取り方、各人が言葉の背景に抱く思想一つで感想なんて簡単変化させられてしまうんだな、と思います。
 あちこちで高評価されている作品。しかし、私が嫌いな作品。それも他の人の感想を読ませてもらい、何かに気付かせてもらえば、驚くほど違って見えてくるのかもしれません。


 わかったつもりでいても、忘れがちなもの。昨日から今日にかけて、今回それを大いに感じさせて貰いました。こんな驚きがあるから、やはりこんぺは楽しいです。



 しかーし!
>「虎の棲んでる穴に大した目的も無く入っていって、あまつさえその中でけらけら笑い声を響かせてるような、そんな女、恋人にするか?」
 から、俺は屈折寄りの感想をまだ固持するんだけどね!