ルイス・マンフォード『機械の神話』

機械の神話―技術と人類の発達

機械の神話―技術と人類の発達

ルイス・マンフォードのこの名著での一番のポイントは、「メガ・マシーン」という概念を創り出したところにある。

直訳すると「巨大機械」となるこの概念は、人工物としての機械をさすのではなく、部品として集合させられた人間が形成する組織体のことをさしている。

マンフォードによればメガ・マシーンはピラミッドの頃に形成され、そのときに頂点を迎えている。名言はしていないが、ピラミッドはその組織体の概念図であるのかもしれない。

メガ・マシーンはその後、破綻を来たし、それでも残存しながら、中世における分散型の技術体系と共存していくことになる。それが、復活を果たすのが近代なのだ。

われわれは、つい、昔の人はすごいことをやったものだと、ピラミッドを見てしまうが、ピラミッドが造られたのはそんなに長い期間のことではない。日本の前方後円墳のような巨大な建造物、構造物は世界各地にあるが、延々とつくり続けた文化はないだろう。そういったものは文化がある段階に入った一時期にだけつくられて、その後はつくられることがない。それはおそらく、社会や文化の生成と大きく関係しているのだろう。社会の構造は不可逆的であり、「王」の発明によって一度はメガ・マシーンになった人々も、部品としていられることはできないのだろう。そのことは、近代における市民革命や、ナポレオン帝政や、ナチスのような社会の生成とも関わりがあるかもしれない。

メガ・マシーンの概念に問題があるとすれば、部品となる側の主体性や喜びが描かれていないことだ。ピラミッドは強制労働ではなかったというのが最近の見解であるが、マンフォードは当時の核兵器文明を悲観するあまり、古代の社会についても悲観的に描きすぎた。彼らがなぜ支えたのかについて、見解がないわけではないが、あまりに抑圧的に過ぎるような気もする。


その他にも、この本には特記すべきことが多々ある。
言語が、道具に先行した人間の発明品で、何も発明されなかったと見られる旧石器以前の社会では、言語の発明精製に時間をかけていたのではないかという見方。あるいは、「道具」という概念の対として「容器」という概念をあげていること。近代の機械は、むしろ古代の人間機械を模倣してできていること、などなどきりがない。

最近、都市計画を妄想する建築家がいなくなったのと同様、文明史を描く歴史家もいなくなってしまった。目の前の経済的なことだけを見続ける近視眼的な学者が増えている現在、都市計画家も、文明論者も、人に対する悪口になってしまっている。マンフォードは都市計画も文明史も手がけた希有な人材だが、ますます評価されなくなっていくのだろうか。