堀本洋一『ヨーロッパのアール・ヌーボー建築を巡る』

イタリア在住のカメラマンが、ヨーロッパ各地の都市を巡り、アール・ヌーヴォーらしき建築の写真を集めたもの。写真の量、質ともに申し分ない出来になっている。

残念なのは、解説が貧弱であること。確かに建築史家ではない著者は門外漢ではあろうが、これだけ長いことアール・ヌーヴォーを追いかけているのだから、門外漢を気取る必要は全くない。ある意味、一番の権威とも言えるくらい、アール・ヌーヴォーの実際には詳しいはず。にもかかわらず、どこかの建築史の本から引用してきたような史実だけを扱った解説というのはどうであろうか。もっと独自の見解をしみしても良いはずだ。

アール・ヌーヴォーは、植物を基調とした装飾を、鉄やガラスによって作り出す空間の表現様式だが、一概にその常識的な判断に従って区分してしまうのは危険だ。というのも、アール・ヌーヴォーの神髄は、歴史主義に頼らず、独自の表現様式で空間を統一しようとした、その精神にあるからだ。

植物模様が主体となるのは、「神」に対抗する概念として「自然」というものがあったからだろう。19世紀は、博物学の時代であったが、自然を神が作り出したものではなく、まさに自然として発見していった時代でもあった。創造主がいるわけではないのに、複雑で美しい自然の神秘に気がついた時、そこに自分たちを取り巻く空間の様式の源泉を求めても不思議ではない。それゆえに、自然をモチーフにすることは時代の要請ではあっても、必然ではなかった。他の装飾様式であっても、同じような態度で空間の統一性を求めていれば、それはアール・ヌーヴォーと同じ精神を宿すデザインと考えることができるのだ。

加えて、19世紀の終わりは、さまざまな技術や素材の登場によって、それまでできなかった加工が大量にできるようになった時代でもあった。アール・ヌーヴォーに鉄やガラスが多いのはそのためだ。

また、アール・ヌーヴォーは産業ブルジョワジーと工業労働者の街に出現しているのも特徴である。それは、19世紀の近代都市が持つ新しい価値観と、新しい構造が、それまでの歴史主義的ではない空間を必要としたからに他ならない。

アール・ヌーヴォーは文字通り、新しい芸術と考えるべきで、装飾様式の問題ではない。神の秩序を体現するのではなく、大量生産と大量消費が訪れようとした時期の、都市空間の変質が招いた、新しい空間構成の原理である。それゆえ、草花モチーフではないアール・ヌーヴォーも大量にあるはずで、そういったものも見つけ出してほしかったように思う。

アール・ヌーヴォーが盛んになった都市は、まさに19世紀の後半に興隆し、鉄を中心とした工業で大もうけし、記念として都市を飾り、その後、そういった産業構造が通用しなくなったために没落していったところが多い。グラスゴーブリュッセル、ナンシー、バルセロナといったところがそうだ。一時期に都市が飾られ、その後、没落したこともあって、アール・ヌーヴォーで凍結されたような街並が保存されている。というほど、たくさん作られたわけではないが、比較的残っているものが多いのはそういうわけだ。