2012-06-04
近代美術館
初めてパリを訪れたのが1976年、その翌年ポンピドーセンターは完成した。石造りの古都にあって明らかに異形の建物だ。
「現代的芸術創造のためのセンター」というのが趣旨だから、企画段階から確信犯的に周囲から浮いたデザインが意図されたのだろう。この建物を初めて見た時、なんで
こんなケバイのを建てるのだろう、と戸惑った記憶がある。
カラフルなパイプは通風、給水、電気ケーブルなどの機能毎に色分けされており、ヒトが通るエスカレーターは赤だ。
ここの4階と5階が
国立近代美術館だ。
入館待ちの
長蛇の列。
以前月の第一日曜に来たことがある。その日は無料とあって、この広いビルをぐるりと取り囲む長い行列に負け、ラーメン屋へ転進したことがあった。
今回はその反省からネットで入場券を買ってから出かけた。切符を持ってるから即入場できるほど甘くはなかった。長蛇の列が2本伸びているが思ったより早く列は進んだ。
自分の数人前のおばさんが係員にはねられた。切符のない人はあっちの列へ、と誘導されていた。散々並ばせておいて向こうの列へ行けはない!と内心憤慨した。
日本だったら行列の最後尾に係員が配置され切符のない人は右の列、切符お持ちの方や団体は左、とか整理するのに、こちらはそんな親切は一切なし!
こうしたサービスの荒さは我われの眼には粗野に写るが、行列に慣れっこのフランス人民はおとなしく従っている。たまたま並んだ列が正解だったので私は問題なく入れた。
4階の近代美術館へ直行し、すぐ5階へ上る。5階は1905年から1918年までの
比較的知っている作品が並ぶ。それ以降の飛んでる作品は4階だ。
所蔵作品は3万点を超え、展示作品は頻繁に入れ替わるので季節ごとに見学に行くのがいいかも知れない。
ご存じピカソ2点

Matisse 「○○嬢のポートレート」 16年作
Kandinsky 「黄・赤・青」 原題はドイツ語だった。1925年作
Fernand Leger 「3人のコンポジション」 32年作
Yves Tanguy 「のろのろとした一日」 37年作
ここにアップするまでダリだとばっかり思い込んでました。
ここからは第二次大戦後になります。
Jean Dubuffet 「アプリコットの香りのホテル」 なんのこっちゃ! 47年作
Matta 「池」 58年
Alain Sechas 「自転車」 83年
Agam 「ポンピドー大統領のエリゼ宮私室をアンチ部屋へ改修」
という訳の分からない題 72--74年
同じフロアの反対側でセザンヌの特別展をやっていた。
セザンヌは好きな画家だ。さあいっぱい撮るぞ、と意気込んで入場した。
今まではフラッシュを焚かなければカメラОKだったのに会場入口の最初の
一枚を撮ったところで撮影一切禁止!と係員が飛んできた。
その貴重な一枚がこれ↓。
セザンヌ 「サンミッシェル 秋から冬」 04年 彼のスタートは点描だったのだ。
このあとも素晴らしい作品がすらりと並んでいたのに撮影できず実に残念であった。
出口の最後の作品「青」の連作の一枚。最後の駄賃とばかりそそくさと盗撮して退散。いい色でしょう!
5階から見た西方の眺望
左が商品取引所、右がサン・テュスタッシュ教会。
遠くにかすむはデファンス地区のビル群。
撮影した中からランダムにアップした作品を制作年代順に並べてみると、戦後の作品は何故こんなのが美術館入りなの、という素朴な疑問が湧くほど我々の周りに溢れている見慣れたタッチやデザインばかりだ。
現代美術がピカソやセザンヌから始まったのが良く分かりました。(いの)
なお記載した作品名は私の勝手な直訳調翻訳であり美術本にある確定日本語訳ではないことをあらかじめお断りしておきます。
Musee National d'Art Moderne
Centre Georges-Pompidou
rue du Renard
01-38-47-69-72
2012-06-03
初夏の植物園
セーヌ河畔のオーステルリッツ駅の近くに植物園の正面入り口がある。
しかし、モスクに併設されているカフェでハッカティーなど飲んでから行ったので
裏口から入った。
すぐ正門に通じる長さ500メートル余りの大広場にでる。
銅像は王立植物園時代の管理責任者を務めたビュフォン。
セーヌ側からの大広場。正面は進化大陳列館
ポピーが満開である。

植物園のバラ園も有名だがまだ咲きはじめ。
つつじに似た紅白の花。のばらの一種なのかしら。
野の花が雑草扱いにされて抜かれていないのがよかった。
「アヤメ園」Jardin d'Iris
アイリスにはアヤメ以外に花ショウブ、カキツバタなどを含んだ意味があると思うが
パリにあるものは日本の清楚なイメージは全くなく、けばけばしい。

となりに動物園があるからだろうか、メリーゴーランドも普通の木馬ではなく、
ライオンやオカピやダチョウ。
木馬だと普通に回っている感じだが、こんな動物だと追いつ追われつというイメージ?
アールデコ様式の大温室に行ってみたかったが、裏口から入ったため、
チケット売り場まで往復するのがめんどくさく次回ということにした。
しかしこれから夏、温室に行きたい気分ではない。
涼しくなったらということになりそう。(とら)
Jardin des Plantes
57 rue Cuvier 75005 Paris
2012-06-02
パリのモスク
中東は日本からは地理的にも心理的にも遠い国々であり、イスラム教は4人まで妻が持てるとか、アルコールはダメとか、断食の時期があるとかの断片的な知識しかないのが一般的な日本人ではないだろうか?
パリには中東からの移民が多いし、髪をベールで覆ったイスラム教の女性もよく見かける。ハマム(トルコ風サウナ風呂)を併設しているモスクがあると聞いて、植物園の裏側にあるパリのモスクへ出かけてみた。白亜の異国情緒豊かな建物の入口の頭上にはイスラム教のシンボルである三日月と星のマークが。トルコやパキスタンの国旗はまさしくこれだ。
入口を入ろうとすると、門番のおじさんが入場料はあちらで、と指さす。
一人3ユーロ払って中に入ると広いパティオがある。
1920年代にできたスペイン・ムーア様式の建物。
ミナレットは約33mの高さがあり、周りは市街地なので結構目立つ。
この中庭を取り巻く回廊の壁面のタイルは一面モザイクだ。

建物の中心にはモスクがある。ここで日に6回アラーに祈る。
イスラム教にもいろいろな宗派があるが、中に入るのに服装をうるさく言わないあたりがパリのモスクだ。
しかし祈りの場には入ってはいけないと厳しく入場時に注意されており、押さえるところは押さえている。
異教徒進入禁止なので礼拝堂の入口からレンズだけ入れて撮影。
パティオをつなぐ回廊

庭園になっているこのパティオはグラナダのアルファンブラ宮殿を
イメージしているとか。
おじさんふたりが記念撮影している。 

庭のバラ
蕾が花を取り囲んでいる
集会所か
イスラムの装飾デザインはなにか魅かれるものがある。

この建物の東側に中東風カフェがあり、その奥にハマムがある。
男女別かと思いきや日によって男の日と女の日に別れる。なんと週に男は2日だけ、後の5日は女だという。
イスラムは女性にやたらやさしいようだ!?(いの)
La Mosquee
Place Puits de I'Ermite 75005 Paris
01-41-31-18-14
2012-06-01
パリでハシゴ
軽くつまみながら飲める店に行こう、とふと思いつき、以前ランチに行った9区のバスク居酒屋を目指して家を出たが、ちょっと出遅れたのでもう満員かも知れない、とふと
ネガティブ思考が働き、最初の道を急に右に曲がりイタリア広場へと転進した。
つまむ程度の小皿料理というと、バスク料理のほかには同じスペインのタパスがある。イタリア広場から延びるアカシア並木のゴブラン通りにカフェ・タパスという看板が出ていたのをふと思い出したのだった。
7時過ぎだというのに通りは明るい。

まずサングリアを飲みながら
メニューを選ぶ。
温かい料理と冷たい料理を適当に4皿とガスパチョスープを注文した。
ガスパチョは
美味しく
写真を撮るのも
忘れあっという
間に消えたので
写真は4皿
だけです。
リオハの白ワインをグラスで注文したらフチまでなみなみと注いでくれた。
日本の升酒みたいにこぼす訳にはいかないがそのキップは気に入った。
5品とワイン どれも単価は3.9ユーロ
それにサングリア 50cl 10.9ユーロ
合計で38.2ユーロ。
Casa France Espagne
58 avenue des Gobelins 75013 Paris
01-43-36-06-16
で、普通はこれでオシマイなのだが実は〆のパエラを我慢して店を出たのには
訳がある。
スペイン広場を挟んで少し歩けば中華街。一杯入って元気がある。
もう一軒、と現役時代の乗りに戻りハシゴだ!
でも現役時代より食が細くなっている。最初の元気はすぐ失せ、結局二皿だけ
注文した。
エビ雲呑スープ ほうれん草炒め 

しかしアルコールだけはしっかり注文。白とロゼをハーフづつ。
これで
21.2ユーロ。
Sinorama
店を出たのが9時10分過ぎ
通りはまだまだ明るい。
赤い顔して歩くのをはばかられるのが夏の夕べの酒です。(いの)
2012-05-31
ルテティアの円形劇場
パリはローマ時代ルテティアと呼ばれていた。
初めてこの地名が登場するのはジュリアス・シーザーの「ガリア戦記」の中である。
ローマの遺跡で現在パリに残っているのはクリュニー中世美術館で見られる浴場跡とここのアレーナ(円形劇場)のふたつだけだそうだ。
19世紀後半市街地整理で発見され1920年代に修復され現在の公園となった。
メトロ7号線 Jussieu 下車、徒歩3分ほどで公園の入口に着く。
← この公園の由来のプレート。
公園への通路にはローマ時代を
思わせる石積み壁。
観光客は我々以外に一組だけ。
超マイナーな観光地である。
ここはサーカス、劇の上演、剣闘士の試合、とマルチな使い方をされたらしい。
ガリアという田舎ならでは、ということか。
この入口から剣闘士が入場したのだろうか。
それはローマ人? ガリア人? ゲルマン人?
アレーナといえば、ローマのコロッセオを思い浮かべるが、
ここの劇場はいかにもしょぼい。
劇場は35列 15,000人収容とはローマと較べると三分の一ぐらいの規模か。
ふとパリ・オペラ座を見学したバンコク駐在のジャーナリストS氏の感想
「ハノイのオペラ座とは比較にならない」を思い出す。
パリもルテティア時代はローマの植民地だったわけだ。
今は公園、入場料なしで誰でも入れる。
観客席でおしゃべりする人、かって試合が行われた運動場の片隅でのんびりと
バドミントンをする親子。
世界中から田舎者が集まってきている大観光都市にあって閑散としている。

緑は美しく、アカシアも満開、静かな環境、
なかなか良い所であった。(とら)
Arene de Lutece
rue de Navarre 75005 Paris