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黒部峡谷秘境、黒部ルート見学会(2)

先ほどまでの部分は、「黒部川第四発電所」に関係した施設であり、それに伴う坑道でした。第四と付くからには当然、第三や第二も存在します。そして、それぞれの発電所下流側から開発が進められました。

黒四の難工事はとてもよく語られてますが、工事着工は1956年(昭和31年)で戦後の建設。それに対し黒三は1936年(昭和11年)と戦前の建設ということで、技術や時代背景の面から言っても、こちらに関してはさらに悲劇的な難工事の現場であったようです。

中島みゆきが熱唱した隧道をトロッコで5分程度進むと、屋根の付いた鉄橋が現れます。ここでトロッコの軌道は黒部川の右岸から左岸に移ります。

そして橋の正面には仙人谷ダムが。ここで取水し、黒部川第三発電所に送水が行われてます。1940年(昭和15年)竣工にしてはとても綺麗な外観です。
この橋を渡ってすぐ、ダムを建設するために造られた隧道が沢山の悲劇を生むことになった高熱隧道です。

走るトロッコから手を伸ばして写した高熱隧道の内部。硫黄で黄色く変色している部分が多数あります。現在は隧道のすぐ側に送水管を通すことで温度が下がってますが、それでも気温40度程。湿度もありカメラのレンズがすぐ曇ってしまいます。

この隧道は掘削当時、岩盤温度が150度もあり、岩盤発破用のダイナマイトが暴発したそうです。また昭和初期と言うことで技術もほとんどない時期、使用したダイナマイトの中には不発のもあり、それが後から暴発するということも。作業員は列になって黒部川からくみ上げた冷水を前で掘削する作業員にかけながら作業進めたが、熱中症で倒れる者も少なくなかったらしく。この隧道掘削に伴う死者は数百名に及んだそうで。昭和初期の工事であるためか、正確な数字はわからない模様。

隧道の形はいびつで、手彫り感が残ってます。そして、どれほどの難工事だったかもよく伺えます。この写真では偶然、硫黄口を警告するスプレーされた部分を撮しました。
この黒部第三発電所に伴う死者は、この高熱隧道以外にも日電歩道の落下や、雪崩で計300名以上。あまりの事故多発に当時の富山県警察部は再三の中止命令をだしたが、なかば国策として押し進められたため工事を止めることはなく、出稼ぎ労働者に当時の平均年収倍以上の賃金を支払う形で人を集め、完成にこぎ着けたそうです。今ではとても考えられないような話。

そんな高熱隧道を過ぎてしばらく、安定したトンネルを進むと欅平上部のエレベーター口に到着します。

下流側からトロッコ軌道を敷設したものの、この欅平で急激に勾配があがるためこれ以上敷設できず、その策としてトロッコも乗せられる大型エレベーターを設置したそうです。

かなり大型の機械も入れられる大きさ。人は30名ほど乗せられるが、それはあくまでスペースの話であって重量はもっと耐えられる作りとのこと。

中には見学会参加者用に解説パネルがありました。

こうして工事関係者専用区画は終わり、欅平駅に到着。ここで見学会は終了となりました。

現在も稼働している黒部川第三発電所の風景。普段当たり前に使っている電力が、どれだけの苦労、苦難、犠牲の上で成り立っているのか。普段見られない風景を見られる喜びと同時に、色々と考えさせられる見学会でした。

最後は欅平駅側の橋から撮した渓谷風景を。緑の美しい時期となりました。これからはさらに深い緑の世界になっていきます。



黒部ルート見学会に興味を持った方は、下記アドレスを参照し応募してみてください。ただし平日のみの開催なのと、接続する交通機関の時間がシビアなので注意。あと、最近は応募が多いため毎回抽選になります。

応募方法やイベント詳細はこちら
http://www.kepco.co.jp/info/hokuriku/koubo/

当選倍率の情報はこちら
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1400/kj00000094-003-01.html

最近はいろいろと電力関連を見直す出来事があります。珍しい風景を楽しみながらも、電力について考える良い機会ではないでしょうか。