2012-02-10
住居を巡る人間関係の変化について。
独自ドメインでブログ作ったから(「未来回路.com」http://miraikairo.com/)、こちらのブログの扱いをどうするか考えていたんですが、まとまりのない断片的な思考の痕跡やほんとに日記的な文章を残していく場所として、存続していくことにしました。
さて、最近の関心事についてなのですが、去年と引き続き、住居環境とその様々な環境の中でのライフスタイルの変化とかその辺のことを考えていたりします。
もちろん、最近でも「一軒家、建てたった!」とか「マンション買ったった!」とか、昔は「自由でいいですね!」とか言ってた人に「そろそろ落ち着いたらどうですか?」とか言われたりもしますが、僕が注目しているのはリノベーション物件やシェアハウスなのです。特にシェアハウスでのコミュニティ形成について関心がある。
近年、シェアハウスを扱う不動産屋さんも増えてきていて、住もうと思えばかなり幅広く選択肢が用意されています。結構豪華な物件も増えてる。昔、ゲストハウスと呼んでいたような物件をシェアハウスと呼ぶ業者さんもいたり。確かにその方が印象がいいように思います。その印象の良さは、「コミュニティというものが付加価値となる」、そんな時代のバックグラウンドからも由来するのではないでしょうか。
そうなるとシェアハウスを扱う不動産屋さんのお仕事に、コミュニティの運営ということも入ってきます。そこまでいかなくてもファシリテーターくらいは必要になる。パーティを主催したりとか、ソーシャルメディアを使ってコミュニケーションしたりとか。これはとても面白いことだと思っていて。これまでの住居って基本的にプライベートなもので、そこでの人間関係には業者さんは介入しないものでした。大家さんと入居者の間を取り持つだけというか。つまりここで、入居者、大家さん、不動産業者さんの関係が変化しつつあるのです。
まっ、こんな感じでここに日記めいたものを書いていこうと思ってます。
2011-12-01
もうひとつの民主主義の可能性、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(東浩紀 著)
近年、情報技術の発達によって可能になった情報速度や人の繋がりが、社会的なうねりとなって有効に機能している、ということがよく言われている。例えば、中東などで起こっている市民革命の盛り上がりにその影響を指摘する論調も多い。そのこともあり、情報技術を利用した民主主義の可能性という話をすると、まずその国際的な市民運動の盛り上がりの文脈が意識されるのは、ある意味当然のことかもしれない。けれども、本書で問題とされているのは、そのような社会情勢とは別のところにある。情報技術が張り巡らされた社会において、民主主義や政治のイメージそのものが変わってしまうかもしれない、としているのだ。
一般的に情報技術の可能性としてよく挙げらるオープンソースの理想は、「熟議」を前提としている。けれども、それはこれまでの民主主義のパラダイムの枠の中での話でしかない。そしてそのパラダイムは今、機能不全に陥っている側面がある。そこで、著者の東浩紀さんが提案しているのが「無意識民主主義」というもうひとつの民主主義の可能性についてなのだ。
「無意識民主主義」とは大衆の無意識を情報技術によって可視化し、その分析を政治の場に活用する、というもの。その活用により、従来の「熟議」を前提にする民主主義の限界をこの可視化された「無意識」を使用して補おうとする。密室化する熟議の場を可視化することによって、熟議の暴走(理性の暴走)を抑制することが可能になるのではないか、としているのだ。
この「無意識民主主義」には他にも大きなメリットが存在する。それは政治参加へのコストを劇的に下げることができる、ということだ。現在の敷居の高くなってしまった政治参加とは別に、激安の機能制限版普及型政治参加パッケージを提供できるのではないか、と東さんは述べている。
ここで重要になるのは、具体的にどのようにして大衆の無意識を可視化し、専門家の熟議の場に介入させるのか、ということである。そこで例として挙げられているのがライブストリーミング動画共有サイトの「ニコニコ生放送」だ。「ニコニコ生放送」では、会話の行き先の範囲が視聴者の欲望によって枠付けされているという感覚があり、ここに「熟議」と「無意識」の相互作用が上手く機能しているカタチが現れているのではないか、としている。
さらに、このような「無意識民主義」が、この日本という「場」から提案されることの重要性も指摘している。
熟議を前提とする西洋由来の民主主義は日本人には向かないのではないか。その一方、日本人は「空気を読む」ことに長けているし、情報技術の扱いにも長けている、と。ならば、適性のない「熟議」に固執するのをやめて、「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎を据えるような社会システムを構想したほうがいいのではないか。ここに日本が民主主義後進国から民主主義先進国へ一発逆転する、という「夢想」が示されている。
もしかしたら読者は、ここで示されている情報技術によって可能になる民主主義社会の姿を無味乾燥なもののように感じるかもしれない。しかし、東さんが示そうとしているのは、とても人間臭い社会観なのではないだろうか。理性の力だけではなく、動物的な「憐れみ」の力をも利用して社会を設計すること。それは代議制と熟議に過度に頼った社会設計よりも、包括的な社会設計になるのではないかと思えるのだ。
本書は、50年、100年先の未来を見据えて書かれている。逆説的ではあるけれども、今、私たちにはそのような先を見通すための想像力が必要とされているのではないだろうか。
2011-11-24
同時代に生きてることを繋いでいく、『東京演劇現在形 ー8人の新進作家たちとの対話』(岩城京子 編著)
様々な媒体、例えば、音楽、映画、ネット。 現在、それらはデータとして、広く国境を超えて流通させることができる。そのような情報環境は、演劇というメディアにとってなかなか困難な時代にあるのかもしれない。データ化し流通してしまう形では演劇と呼ぶことが難しいからだ。
その結果かどうか分からないが、日本の演劇は閉じやすく内輪的な印象を与えがちだ。もちろん、その内輪の形成はこの環境の中で必然的な役割も担っている。仕事場では満たされないコミュニティへの欲求の受け皿にもなっているだろうし、その場合、むしろ閉じている方が共同体意識は強く醸成されることもある。つまりコミュニティにおいては演劇は「ネタ」として機能していることもあるのだ。
それ故にその共同体の外部へ開こうとする時、社会全体における利益と自己のホメオタシスとしての機能がここで葛藤を起こしかねない。もちろん、その劇団内の共通見解にもよるだろうが、開くことで壊れるものも多いだろう。けれども、それでも開くための回路は必要だと思うのだ。
この本の著者である岩城さんは小劇場の秘境化の理由を3つ上げている。
1、現在の日本における演劇文化全体の下位性
2、経済不況下における観劇券の高コストな博打性
3、日本演劇界の閉鎖性
このうち、特に3つめを最大の要因としている。
本書の目的もこの閉鎖性を打開していくこととしている。その手段として自己完結化したコミュニケーションを自覚的に排していくこと。日本語と英語による2カ国語で書かれているのはそのような意図があるのだ。
何故開く必要があるのか。おそらくマクロ的な視野から眺めるとそれは国際的にも通用し評価される作品を作り上げるためだ。特に文化先進国の多いヨーロッパにおいて、ハイアートと認識されやすい演劇において優れた作品を示すこと。それはスポーツの世界と同じくその国の存在感を示すことになる。ここに日本においてどちらかというとマイナーな演劇に公的資金が投入される根拠があるのだろう。日本においてハイアートがまともに機能していないことは多くの論者が指摘していることだけれども、おそらくは同じ舞台で競うことが重要なのだろう。
もちろんそのことを否定するつもりはまったくない。実際、どのような文脈にしろ、そこに何らかのカタチで開かれアクセス可能な回路が作られたことは確かなことなのだから。文化の流通経路は複数あっていい。
本書は8人の劇作家のインタビューとして構成されている。
対象者は高山明(Port B)、松井周(サンプル)、岡田利規(チェルフィッチュ)、岩井秀人(ハイバイ)、前川知大(イキウメ)、三浦大輔(ポツドール)、タニノクロウ(庭劇団ペニノ)、前田司郎(五反田団)。
演劇に関心がある人たちだけでなく、そこから遠く離れている人にも読んでほしいと思うインタビュー集だ。同時代を生きるアーティストたちがどのように生き考え作品を作っているのか。そのことを自分の中の実感と重ね合わせてみて欲しい。
また、本書は既存の出版社からではなくインディペンデントな形での出版となっている。そこにも著者の思いを感じてみたい。
2011-11-14
『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(萱野稔人 著)、問われざる前提としての「ナショナリズム」について。
ナショナリズムという概念を自らの思想体系の中でどう位置づけるか。それは日本における人文思想系のコミュニティにおける承認の基準になっています。つまり、「ナショナリズムか反ナショナリズムか」という2項対立の中で世界が動いていることが重要な軸として想定されているのです。
このようなコミュニティの論理は、著者の萱野さんが対象としている日本の人文思想業界に限らず、至る所で散見されます。それはコミュニティを維持するための仕組みとして機能している。根拠の無根拠性は隠蔽されそれを露わにしようとすると、そのコミュニティから排除の対象となってしまいます。そして、その排除に対する感情が同調圧力として現れ、コミュニティの安定とアイデンティティが維持されている。
本書は、日本の人文思想界が前提としてきたフレームを根本的に問い直すということを主旨していますが、その議論の射程距離は日本の社会やコミュニティのあり方にまで拡張することができるのではないでしょうか。例えば、「原子力ムラ」が特殊なわけではなく同じような構造は批判的な立場の集団にもある、といったように。
萱野さんはナショナリズムを肯定するにあたり、その範囲を限定しています。基本的に「国家は国民のために存在するべきであり、国民の生活を保証すべきである」、と。そして、アイデンティティのシェーマとしてのナショナリズムを明確に批判します。つまり、ここで肯定しているのは国家を縛る原理としてのナショナリズムなのです。
日本におけるナショナリズムを巡る言説空間の特異性を、著者は大学院に留学していたフランスとの状況比較によって発見しています。そして、日本においては倫理に対する考え方に偏りがある、としています。倫理には、心情倫理と責任倫理との2つがあり、それぞれ道徳と政治に対応するのですが、日本ではナショナリズムを論ずるにあたって前者の論理で動きすぎている、と。そして、ナショナリズムの危険は政治的にしか縮減できないと、著者は考えているのです。
よくあるナショナリズム批判として、ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」という概念の使用の仕方が挙げられています。アンダーソンは「想像の共同体」という概念を、直接顔をあわせられる人間関係の範囲を超えたあらゆる共同体に対してもちいているのですが、例えばナショナリズムと対置されやすいインターナショナリズムこそ、ネーションよりもっと抽象的な「想像の共同体」に立脚しなければ成り立ちえないものであると。ネーションを「想像の共同体」だとして批判しておいてインターナショナリズムを志向することは、倫理的矛盾なしにはできないということを指摘しています。
そしてナショナルなものが立ち上がってくる上で、出版資本主義の発展が重要になってきます。その発展が新聞や小説などの大量流通を可能にし、国民語の成立を可能にし、ナショナルなものの成立に大きく関与した、と。ある人間の集合は、共通の言語をもつと考えられるようになったからこそ主権をもつ共同体だと想像されるようになったという歴史的な背景。なぜ共通の言語が重要かというと、人間のあいだの意思決定は言語によってなされるから。ナショナリズムは表象の問題である以前に、社会編成の問題であるのです。
また、ナショナリズムというものはファシズムと関連付けられて語られることが多いけれども、国民国家はかならずしもファシズムに向かうわけではない、という指摘があります。ドゥルーズ=ガタリによれば、国民国家をファシズムに向かわせる最大の要因は、国内市場の衰退という歴史的状況と、国外市場の拡大を重視することで逆にその国内市場の衰退を放置したり加速させたりしていまうような経済政策にある、と。つまり、労働市場のグローバル化を通じた国内経済の崩壊によってナショナリズムが排外主義へと向かうことを防ぐには、ナショナリズムの中にとどまってナショナリズムそのものを書き換えいくことが必要である、というのがこの本での結論のひとつとなっています。
本書は、ナショナリズムに依存しながらそれをみないようにして批判するという態度に対して根源的な問題提起をしています。問題の所在を明らかにすること、まずそのことが今の私たちには必要なことなのではないでしょうか。
この問題提起によって、日本のナショナリズムを巡る言説空間に様々な議論が起こることを期待しています。なぜなら、この日本社会のあり方とその言説空間はおそらくは共依存の関係にある、と思うからです。
2011-10-28
『未来回路4.0』、コンテンツ発表!!
*画像をクリックするとamazonの商品ページに移動します。
2011年11月3日(祝)の文学フリマにて頒布開始予定の『未来回路4.0』コンテンツ一覧を公開します!
表紙は展示会「floating view 2 「トポフィリア・アップデート」(2011年9月30日-10月12日 於 新宿眼科画廊)」の写真を使用させていただきました。
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テーマ「拡張するソーシャル以後の世界」
【巻頭エッセイ】
「生きたい場所を見つける〜世界一周旅行からその先へ〜」
長塚香織
【鼎談】
「拡張するパーティカルチャー〜ソーシャルメディア時代の新たなシーンの作り方〜」
藤原ちから×遠藤一郎×齋藤桂太
【対談】
「『住む』ことを編集する〜『住み開き』と『シェア』、そのポテンシャルと未来について〜」
久保田裕之×アサダワタル
「ノマド化するニートとシェアハウス〜創職時代の新たなライフスタイルへ〜」
玉置沙由里×pha
【インタビュー】
「アクチュアリティの場所〜建築・演劇・書店の未来〜」
阪根正行
「揺らぎに留まる〜言葉を演出する身体へ〜」
神里雄大
【寄稿】
「ソーシャルと呼ばない時代に向けて」
江口晋太朗
「流れるパンと流れないパン」
妖怪きのこ
「有線式存在束縛」
雑賀壱
「京都35年」
松尾惠
「未来の食卓 〜異文化としての虫食〜」
三島凜子
「生の語りと日本のプレカリアート運動」
カール・カッセゴール
「ถูกใจ!」
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以上です。
価格は800円となります。
11月3日(祝)以降は、書店、amazonでの取り扱いも開始致します。
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- Stratum on Frontier - 2011年10月28日のツイート
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