勉強は大事 → けどそれを活かす機会は来るのかしらん

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51238509.html

サイボウズ・ラボの中の人々に至っては「いつ仕事しているのか」を通り越して、「遊ぶのが仕事」にしか見えない(よね?:)。」
うけた.

内容は私にとっては非常に納得の行く言説であった.私にとってはperlが「書ける」けど「身につかない」言語なんだけど.


んで本題.ブコメ欄で,

id:A-xtu: 「職業プログラマは、ダンコーガイ(笑)のこのコトバをゆめゆめ信じちゃいけない。でないとおマンマ食えなくなるぜ、いやマジで。俺ら社会人の任務は、求めるものを求める水準で求める納期にデリバリすることに尽きる」
id:dankogai: 「And your job goes to India >id:A-xtu

こんなやりとりがあった.


私はインド人を信頼していないので,海外アウトソーシングなんていうのは一定以上には増えないと信じている.(この件については,自分の経験を交えていつかポストしたい).とはいえ,「俺ら社会人は」という枕詞付きで「納品物,納期と水準に尽きる」と言いきってしまうのはなんとも寂しいことだと思う.


私のような駄目プログラマでさえ,求めるものを求める水準で求める納期にデリバリできる能力を将来に渡って担保するためには,そこを目標にしてはいけないと思っている.


開発力を長期に渡って確保するためには,基盤技術の変革が起こったときのロバストネスを保証していかなければならない.個人的には,これのためにはとにかく沢山の言語と,沢山のミドルウェア,沢山のアルゴリズム,沢山のデータ構造に触れるのが一番だと考えている.こういう勉強のモチベーションとして「求めるものを求める水準で求める納期に」というのは弱すぎるだろう.ダンコーガイはそれを(使い古された)「35歳説」と組み合わせて「遊ぼう」と煽っているけど,個人的にはこれは「遊び」の話じゃなくて,「勉強」の話だと思っている.


さて,「技術変革」などという言葉を軽々しく出したが,既存デベロッパの技術力の順位を変動させ得るような技術変革が,将来起こり得るだろうか?というのはなかなか興味深い問題である.もちろん,プロセッサも変わってきているし,社会のニーズも変化する以上,かならずそういうのは起こるべきなのだが,それ以上に既存のビジネスを維持したい人達のほうが多いのではないだろうか?とも考えている.

勉強は大事だと思うけれど,ここに関しては悲観的にならざるを得ない.コンピュータ産業は大きくなりすぎたのではないだろうか?

オチはないけどおわり