メモ@inudaisho

君見ずや出版 / 興味次第の調べ物置き場

デジタル覆刻時代

 木版で出版していた時代には覆刻ということがあった。これは印刷された本の紙をそのまま版下にして版木を彫りなおし印刷しなおすことで、当時大量に、かつ比較的正確に複製をつくろうというときにおこなわれた。
 活版印刷の場合は活字をひろいなおして一々版を作りなおす。いずれも一長一短あり、木版は版をそのままのこしておけるが、その版木の置き場所に困る。活版は版をのこせないが印刷所は小さくてもいける。機械化がはじまったころには活版の利点が生かされ、木版を駆逐したが、活版もデジタル化によって駆逐された。
 文字情報だけで見ると、活字か木版かみたいな話になるが、それはそもそも文字情報という形で話を切りとるからそういう話になるだけで、印刷するときは結局全部込みで一枚の絵になるのである。そう、字というのは絵である。アルファベットももとはエジプトの絵文字を周辺異民族が再利用したときに音にあうように抽出したのが元である。この文章にも混じってる漢字なんてのは古代の絵文字が絵文字としてそのまま形が洗練されたものが現代まで使われているものだ。ひらがなカタカナも漢字から抽出したものだが、そのまま漢字と併用していたから記号として洗練されず、絵の性質がつよい。たとえば「ニンソリ」なんて手で書いたときには微妙な傾きで違いをつけるわけだが、どこまでがンでどこまでがソか、というような話になると当の日本人でもなかなかその境目がわかりにくい。

 閑話休題。そういうわけでデジタル化の時代にはテキストデータもフォントの衣をまとって版面に降りたち画像データとなるわけだが、昔の本もスキャンして画像データとすれば版下になるわけである。まさしく「覆刻」できるということだ。今「復刻」でググれば昔の本を復刻する商売をやっているところがたくさんでてくる。少部数から対応しますということだ。しかも中には元にする本がないのも相談に応ずるというところまである。

 そういう目で国会図書館デジタルコレクションをみると、低品質ではあるけれど無料の版下が大量に置いてあるということになる。特に、著作権が切れているものについてはもう問い合わせをしなくても自己責任でやってもいいことになった。なるほど、大正大蔵経を出版しているところが国会図書館に文句をつけてそれを公開させないようにしたが、わからんでもない。