2010-07-05
■リスク管理における“A(発生確率)×B(被害)=∞”という無意味な計算式

↑リスクに敏感な人のファッション。ノアの箱舟に乗れなくっても余裕だぜ!
ひさびさー。ちょっとした揉め事ー。
tikani_nemuru_M セルクマ inumash あのな、B=∞だったらA=0でなければA×B=∞になっちゃうだろ。つまりゼロリスクを求めるのが合理的となるんだということすら読めないの? 馬鹿がドヤ顔で鳴いてるんじゃねえよ。顔あらって出直せ。
さて、リスク管理において、まず「最悪の被害」を想定することは前提ですが、しかしその値として被害値を“∞”にすることは基本的にありません。必ずなんらかの形で数値化・指標化します。それをしないとリスク査定できませんからね。ましてや、それを理由に“A=0にしなければならない”という結論を導き出すこともありません。それは実際に何も考えていないのと同じですので。
地下猫さんの言うとおり“A=発生確率”はゼロになることはありません。と同時に、被害想定を際限なく拡大していけば、どのような微細な事象でも“破滅的な被害”を想定できてしまいます。ですから“B(被害)”に∞を代入する行為に意味はありません。
ご自身で述べている通り、リスクを考える上では“A(発生確率)”と“B(被害)”のバランスが重要となります。言うまでもないことですが、基本的なリスクマネジメントの方法は“A(発生確率)に関連する要因”と“B(被害)に関連する要因”を詳細に分析し、「どの程度の被害が、どの程度の確率で発生するか」を細かくステージ分けしてその内容を検討する形です。その際、“Aと比較してBが大きすぎる”あるいは“Bは小さいがAの確率が高すぎる”と判断されれば、その行為自体を取りやめ、“AまたはBを0にする”ことも選択肢としてはあり得ます。
しかし、“B(被害)”に∞を代入することが許されるならば、上に書いたようなプロセスは全く無意味なものとなります。故に、リスクを考える上では“B=∞だったらA=0でなければA×B=∞になっちゃう”という計算式にも、またそれを根拠にした“原発に絶対確実な安全性を求めるのは当然”とか“ゼロリスクを求めるのが合理的”という言説にも意味はありません。端的に、ご自身が解説された「リスクに関する考え方」を思いきり脇にぶん投げる発言であるとしか思えませんよ。
ついでに、原子力に関しては“A(発生確率)”に対して“B(被害)”が大きすぎる技術(少なくとも、現在は)だという地下猫さんの意見に同意します。リスクを低減させる方法としては、おおまかに「“A(発生確率)”をゼロの近似値に近づける運用プロセス」と「B(被害)をリカバーする技術の導入」という方法がありますが、そのどちらも現在のところ上手く行っているとは言えません。チェルノブイリやスリーマイルの例に限らず、原子力の利用に関する事故やトラブルの発生確率は決して低いとは言えないでしょうし、同時にその被害をリカバーする技術は実用化の目処が立っていません。
ですが、現在の生活様式やコストなどを考えると、ただちに原子力の利用を停止するわけにもいかないでしょう。故にリスクを低減すべく現行の運用体制にパッチを当てながら、代替エネルギーの研究・育成を続け、長期的に移行を図る形が妥当であると考えます(急進的な意見・方法には反対)。
これが僕の基本的な考え方ですよ。「絶対確実な安全性なんて存在しねーよなぁ」と思ったのでそのままブコメ書いたら“反原発反対論者認定”されちゃいましたけどね。
あと関係ないけど“∞の被害”がどんな被害か想像すると楽しいですよねー。『ミスト』みたいに次元が崩壊して謎のクリーチャーが大量発生するとか想像したんですが、それじゃ“∞の被害”とは言えないしなぁ。↓こんなん出てきたらワクワクするんだけど。
mda
2010/07/05 23:18
無限の損害ってのは「通常の物質世界が全て破壊される」に一票
あ
2010/07/06 14:06
チェルノブイリが代表的な損害額の査定に使えそうですね
- ここは酷い横須賀美術館ですね
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2010-01-20
2009-12-29
■「ゼロ年代の音楽」と「初音ミク」

最近読んで面白かった音楽を巡るいくつかのテキストで、何人かが同じ現象を別の言葉、別の視点で語っていたので最近考えていたことも含めてつらつらと。
(※以下僕の適当な要約や主観を含むので、この手の話に興味がある皆様におかれましては原典や個々のコンテンツに当たられたし。あとアーティスト名は敬称略。)
ひとつは井手口彰典さんの『ネットワーク・ミュージッキング』という本。ここでは、楽曲がCDやレコードなど物理的な制限の強い物理メディアから、取得・複製の自由度が高いデジタルデータをネットワークベースで交換する時代となったことを背景に、音楽とリスナーを巡る関係が、「ものを持つこと」に意味を見出す“所有”から、コミュニケーションなど様々な欲求を瞬間的に昇華するために必要なコンテンツを膨大な「リスト」から都度選択する“参照”に移行したと論じられている。
ふたつ目はid:loco2kitさんの昨日のエントリ。ここでは、リスナー側の視聴環境の変化が90年代から続く並列化と細分化をさらに加速させ、その“狭いサークル”の中で様々な情報が共有されているという前提で新たな表現が生み出されていった結果、その前提となる知識や情報が“圧縮記号化”され、ひとつの作品、ひとつの音により多くの情報が込められることとなった、と論じられている。そして“圧縮”されたそれらの“記号”における、(他の“狭いサークル”で生まれた)別の“圧縮記号”との隣接・反応という可能性も示唆されている。
最後に原雅明さんの『音楽から解き放たれるために』に収録されている「word and sound」及び「recycling」というタイトルの論考。ここでは、コード9やフロスティの現状認識、またLAの「ダブラブ」が展開している様々なアクションを下敷きに、音楽における“並列化”の駆動装置でもあるDJカルチャー、サンプリングカルチャーが、歴史との関係性や物語性などの重層的な意味を包括するようになったことで、過去蓄積されてきたアーカイブから最適なサウンドを抽出し現在に蘇らせる“リサイクル”という行為が可能となり、スタイルやフォームの“更新”という脅迫観念から音楽を開放し、より豊かな視聴体験をリスナーに提供することが可能になると論じられている。
これらは「ゼロ年代の音楽」を語る上で必須の論考と言っても良いだろう。また、いち音楽好きとしてもここで語られている現状認識と自分が体験してきた(いる)それは相違ないもののように思う。
そして、今日の(日本における)音楽の現場において、これらの現象のサンプルとして最も的確な“アーティスト”が「初音ミク」であることに疑いの余地はない。
ミクが「圧縮記号の集積」であることは登場直後から語られていたことであるし、“情報の圧縮”という傾向は、歌詞やサウンド面に留まらず、ヴィジュアルや付属するタグからも読み取ることができる。
また彼女に関連したコンテンツの大半はCDやレコードを中心とした旧来の視聴形態ではなく、ニコニコ動画を中心としたネットワークベースの(井手口さんの言葉を借りれば“参照”という)視聴形態とともに広まってきたことは今更指摘するまでもない事実だ。
(ただし「初音ミク」においてでさえ、CDなど物理メディアを経由した“所有”という視聴形態を求めるリスナーが少なくないことは頭に入れておくべきだろう)。
原雅明さんの言う“サウンドのリサイクル”という現象も、初音ミクというフィルターを通じて行われている。過去の楽曲の掘り起こしにミクが利用されることはもちろん、特定のジャンルで使用されてい過去の音像を再構成し、現在のリスナーに提示するといったコンテンツも増えつつある(個人的には“ミクトロニカ”周辺にそのような傾向を強く感じた)。
現在のところ「初音ミク」にはおおまかに2つの役割が与えられている。
ひとつは“キャラクターとしての初音ミク”。もうひとつは“メディアとしての初音ミク”。“メディア”という言葉を言い換えるなら“ヴィークル”や“ディスプレイ”になるだろうか。いずれにせよ、上に並べた現象はすべてミクの後者の役割によって生まれたものである。
ジャンルを問わず、ある技術や表現を広域に広めるためのツールとして「初音ミク」が選ばれていることは、関連コンテンツの量やバリエーションからも明らかだ。ミクはその内実の希薄さと(ヴィジュアルなどのいくつかの要素を除いて)いくらでも書き換え可能な代替可能性によって“メディア”としての役割を十二分に果たすことが可能になっている。
その傾向はミクに関連した音楽からも見て取れる。初音ミクを使用した楽曲のうち、“キャラクターとしての初音ミク”に依存した、あるいはそれを補強するタイプのものと、それを無視する、あるいは全く別のキャラクターが与えられるものの二つに大別されることは過去何度か語られてきた。
しかし、ミク自身がそうであるように、それらは必ずしも分離されるわけではない。ミクが持つもともとの文脈を巧みに活かしながら、あるいはそれを解体・再構築し、全く別の文脈、全く別の音楽的価値を付加して提示しようとするクリエイターも存在する。
そのひとつの例がimoutoidによる『ファインダー(imoutoid's Finder Is Not Desktop Experience Remix)』だろう。
主旋律はほぼ原曲そのままであり、また楽曲を構成する個々の音やリズムもひとつひとつを解体していけば新しいものは見当たらない。いずれも“どこかで聞いた音”であり、それぞれに個別の意味や感情、記憶が内包されている。しかし、この楽曲ではそれらの音が巧み配置される(本来あるべき位置からずらされたり、わずかに揺らがされたりする)ことによって、「テクノ」や「エレクトロ」「エレクトロニカ」などとは違った、“どこかで聞いたことがあるのにいちども聞いたことがない音楽”としか言いようがないサウンドスケープを構築している(これと同じ感覚を竹村延和やレイ・ハラカミを初めて聞いたときに感じた)。
そして、それらバラバラに配置された音と、そこに内包された意味や感情や記憶が、「初音ミク」というキャラクターが持つ文脈に統合され、ひとつの“新しい物語”に昇華されていく様は圧巻としか言いようがない(正直、僕のこのテキストなんて蛇足もいいところだ。皆いいヘッドホンでこの曲を聴いてくれ)。多くの人が言う通り、初音ミク関連の楽曲の中でも現在最高の一曲であり、また2009年を代表するトラックでもある。
そして、惜しくも今年4月に急逝した彼と同世代のクリエイターたちによって同種の試みが行われている。「サークルおかのうえ」による『Rebuild the path:Catalinaosy』がそれだ。
C77 12/30 東ク-45a おかのうえ 「Rebuild the path : Catalinaosy」
詳細は告知用サイトとmixを参照して欲しいが、ミク関連の常連クリエイターとは別のフィールドにいる、しかし非常に面白い面子が集まっている。冒頭を飾るtofubeatsのエディットっぷりは既に貫禄が出てきたし(“彼の親友”であるdj newtownの最新トラックも素晴しいので聞いてくれ!)、Nyolfenやoutstandingによる端正なトラックはそのままクラブヒットしてもおかしくない(特にoutstandingのハウス・トラックは最高に好みな音)。
しかしこのコンピの白眉はSilvanian Familiesによる「キミの星を歌いにいくとちゅう」のリミックスだろう。アクフェン風のカットアップから始まって、様々な音やリズムが数小節単位で目まぐるしく入れ替わりながら、しかし決して破綻することがない構成はさすがの一言。うまく言語化できないのが正直歯痒い。
このCDは明日(っつーか今日じゃねぇか!)のコミケで領布予定。とらのあなでも委託されるとのこと。初音ミク関連の曲をあまり聴いてこなかった人や、正直好きじゃないという人は是非この作品を聴いてみて欲しい。「初音ミク」というキャラクターへの依存度はそれほど高くなく、またどのトラックもそのままクラブやポップ・フィールドに出しても通用するほどのクオリティを維持しているのですんなり聴けると思う。苦手な人にとっても、既存の「初音ミク」のイメージを書き換えてくれる作品となるはずだ。同人CDにありがちなマスタリングの不具合もない。
初音ミクに関係なく“注目の若手クリエイター見本市”として手元に置いておくのもいい。loco2kitさんの言う“圧縮記号をより肉体的に扱う新世代”は、恐らく彼らのようなクリエイターを指しているんだろうから。
さて、つらつらと書いてきたが、エントリ冒頭、3つの論考をこの順番で並べたのは理由があって、それは井手口さんが論ずるリスナーの聴取スタイルの変遷と、loco2kitさんが論ずる音楽における表現スタイルの変遷が、最終的に原雅明さんが語る“循環と再生”に結実して欲しいというごく個人的な願望からである。
音楽産業を巡っては最近悪い話しか出てきていないが、しかし上記のような新しい感覚を持った世代が新しい方法で自らの音楽を広めようとしているのを見ると、行き詰っているのは音楽“産業”だけで、実のところ音楽を取り巻く環境はより自由かつ豊かになっているように思える。
なんにせよ、次の10年でもまた素晴しい音楽に出会えることを楽しみにしております。
ネットワーク・ミュージッキング―「参照の時代」の音楽文化 (双書音楽文化の現在)
- 作者: 井手口彰典
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2009/08/26
- メディア: 単行本
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音楽から解き放たれるために? ──21世紀のサウンド・リサイクル
- 作者: 原雅明
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
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te
マルチネ連中を誉めたいだけなのがありありと伝わりますね。
初音ミク関係ないじゃん
初音ミク界隈を語るならまだまだ愉快な奴らが沢山いますよ。なぜマルチネだけなのか。
それでよく若い連中が、などと。若い才能は他にもあります。才能を見出したいならもっと視野広げましょうよ
imoutoidの様な才能が、まだ語られる事なく眠っているかもしれない。彼の亡霊にしがみついてマルチネコミュニティーを探しているだけじゃ若い才能は埋もれたままですよ
ましてマルチネはミクと繋げなければ価値を見いだせない程落ちぶれましたか。
inumash
>heさん
ですねー。感動しますよねー。
inumash
>teさん
『Rebuild the path:Catalinaosy』が面白かったから書いたエントリだもんこれ。彼らをピックアップするのなんて当たり前でしょう。最初から最後まで読めば誰でも分かるさ。それともマルチネ界隈の連中が褒められると何か不都合でもあるの?
ついでに言っとくと、このCDに参加してる中で「マルチネ界隈」と言えるのはtomadとtofubeats、あとはSilvanian Familiesくらいでしょ。他はマルチネの人らじゃないじゃん。せいぜい「ネットレーベル界隈」って言うのが関の山でさ。そこで「マルチネ」っていう括りをしてしまうあなたの方がよほど“亡霊”にとりつかれてるように見えるけどね。
で、
>>
初音ミク界隈を語るならまだまだ愉快な奴らが沢山いますよ。なぜマルチネだけなのか。
と言うなら具体的な作品名、アーティスト名を挙げて「なぜ彼らが愉快なのか」を自分のブログなりなんなりで語りゃいいじゃない。こんなコメント欄でマルチネくさしてるだけじゃ「若い才能」はピックアップできないと思うけど。
te
別にアナタに言われる前から好きなだけ語っていますから。
なぜここにコメントしたら語ってない事になるのかわかりません。
見えないものは無いと断定するという事ですか?
それで、アナタは若い才能を、マルチネ以外の他の才能をどこでピックアップしてるんでしょうか。他にブログでもやっているのでしょうか。
若い才能発掘ブログをやっているのなら教えてください。
見えないなら無いという事でいいんですよね。
shinimai
マルチネは才能を拾ってくれるからエライんだよ。
忙しいリーマンにはマルチネ追ってるだけでも大変なんだよ。
良いクリエータを発掘しているブログあるんなら俺も知りたいけどteさんも自分でやれよ。俺もやろうかと思うけど、正直、金がでるならともかく忙しくてなかなかね。
2009-12-27
■『2009年ベストアルバムを勝手に決めようぜ』Ustまとめ。

ついったらーが選ぶ【2008年のベストアルバム】まとめ - 想像力はベッドルームと路上からの2009年版。 現在進行中。
ここ↓
http://www.ustream.tv/channel/cinematic
【サンプル】
・Fuck Buttons 『Tarot Sport』
・Wild Beasts 『Two Dancers』
・Jamie T『Kings and Queens』
・Basement Jaxx『Scars』
・Micachu & The Shapes『Jewellery』
■USインディ(@TTPCセレクト)
・Neko Case『Middle Cyclone』
・Superchunk『Leaves in the Gutter EP』
・Built to Spill『There is no Enemy』
・The Mountain Goats『Life of the World to Come』
・Headlights『Wild Life』
■日本語ロック(@Quecy_セレクト)
・クチロロ『everyday is a symphony』
・younGSounds『bootleg of ys』
・クラムボン『re-clammbon2』
・ECD『天国よりマシなパンの耳』
・神聖かまってちゃん『You tubeやニコニコで配信した楽曲全て』
・Mos Def『The Ecstatic』
・Ras G『Brotha from Anotha Planet』
・The Sa-Ra Creative Partners『Nuclear Evolution - The Age of Love』
・Hudson Mohawke『Butter』
・サイプレス上野とロベルト吉野『Wonder Wheel』
・SkyfIsh『Raw Price Music』
・Zen-La-Rock『The Night of Art』
・Tono from Ciazoo『Tono Sapiens』
・V.A.『Herve Presents : Cheap Thrills Vol.1』
・Moritz von Oswald Trio『Vertical Ascent』
・桑田つとむ『This is My House』
・Moderat『Moderat』
・Planetary Assault Systems『Temporary Suspension』
■ドラムンベース(@cinematicセレクト)
・Fanu『Homefree』
・Original Sin『Grow Your Wings』
・Mistabishi『Drop』
・The Qemists『Join The Q』
・Silver『Dance Dance Dance』
■ダブステップ(@ecrnセレクト)
・MARTYN『GREAT LENGTHS』
・KING MIDAS SOUND『Waiting For You』
・2562『Unbalance』
・PEVERELIST『Jarvik Mindstate』
・RSD『Good Energy: A Singles Collection』
・Caspa『Everybody's Talking, Nobody's Listening』
■DJWILDPARTYスペシャルセレクト
・dj newtown『cutegirl(.jpg)』
・芳川よしの『Beyond The Chasmpoka』
・like ittoecutter『best party ever』
・squire of gothos『RAVE LOAD EPB』
・Buraka Som Sistema『Kurum (Dj Manaia Ultimate Remix)』
・JACK BEATS『GET DOWN』
・Mistabishi『Printer Jam (Barbarix Remix)』
・Dizzee Rascal『Bonkers (Doorly Remix)』
・Stagga『timewarp』
ボーカロイドの音楽CD市場は、2008年は同人が大半を占めていた中、2009年は本格的にメジャー市場に進出する重要な年になった。口火を切ったのが3月に発売された、supercellのアルバム。2008冬コミで頒布したものをリマスタリングし、パッケージとしての価値を高める意匠を凝らしたデザインで話題を呼んだ。TVCMの配信から渋谷ジャックのような画一的なプロモーション手段は、逆にこれまでボーカロイドを知らない人々に対しての訴求効果を見せ、オリコンチャートで5位以内に食い込むという快挙を成し遂げた。
初音ミク黎明期から「メルト」により多くのファンを獲得し、ボーカロイド界の象徴とも呼べるクリエイター集団の勢いはまだまだ続くように思える。
・toy box『OneRoom』
軽めのテクノポップから大衆受けするロックサウンド。一般的には衰退していく一方のジャンルも、ミクというキャラクターを載せることで一定のファンを獲得した。CDの完成度は高い。
・Hatsune Miku Orchestra『Paw Lab.』
ミクを使いYMOをカバーする絶妙な組み合わせで人気を博した。動画の再整数は並だったのだが、アキバblogで取り上げられたことも含め同人ショップで瞬殺される程だった。同人CDにも関わらず、マスタリングの精度が非常に高いことでも話題になる。
・アヒルホスピタル『捻れたアヒル』
ひと癖もふた癖もあるクリエイターが集まる「捻れたアヒル」から頒布された同人コンピレーション。ブレイクビーツからポストロック、エレクトロニカなど一般的な潮流からは外れた作品を集める。
商業同人含め、ボカロのコンピレーションは数多くリリースされているが、一曲一曲の当たり度が高く、癖の強い作品は中々見られない。
・逆方向の街『ゆや』(2008/12/28頒布)
テックハウスからエレクトロニカ、ブレイクコア、テクノポップ、クラブ色の強い音楽ジャンルを横断しつつも、キャッチーな作品に仕上げるゆうゆPのセカンドアルバム。作者が音楽を楽しんでいることを感じることの出来る多彩な一枚に仕上がっている。
未だメジャーデビューしない人気クリエイターの一人。
・堀江由衣 『プレパレード』
・2MUCH CREW『BUBLE YOU』
・livetune feat. 初音ミク『ファインダー(imoutoid's "Finder Is Not Desktop
Experience Remix")』
・ももいろクローバー『ももいろパンチ (tofubeats remix)』
以下ykicさんからのコメント
2009年、今日ほど歌の価値を問われた年はないだろう。初音ミクとPerfumeの勃興と機械的に処理された歌い手はに区間を喪失すると共に失われゆく大文字の物語を実体と活動によって回帰する運動となって顕れたがしかし、今日のアーカイブが無文脈に散乱するインターネット空間とDAWの整備された音楽作成環境において全ての音はフラットであり、やはりそれら全ては材料であることに代わりはない。しかし、だから何だと言うのだろう。文脈は、歴史は、いま現代の力強い輝きによってのみ照らされるものなのだから、感傷に唾棄する我々はより力強く物語る、より美しく放たれる音の驚きに先導される。恋愛サーキュレーションがマチズモを掲げるギャングスタラップに対する美少女からの解答であることは聡明なる諸君らには明白だ。美少女が美少女であることに「詞=物語」は必要ない。であるならば、美少女を信仰するエディターにそれが必要だろうか?
否、tumblr的に並べられ喪失された文脈を再構築し、並走し侵食し合う同時多発的多次元世界を作り上げる純粋の信仰に駆られたエディターの脱構築的コミケット精神はきっと瞬間の沸騰だろう。ここに、2009年、ゼロ年代最後の年を駆け抜けた「アニソン」を集約した。ここに批評的なる曲はなく、我々が我々のルールに乗っとって虚構を創り上げる余地がある。彼らを物語るのは彼らの使命ではなく、我々に課せられたご褒美です。
2009-12-12
■「スポーツと政治は別」

指定されたURLは存在しません ― スポニチ Sponichi Annex
1999年3月27日、グランパス対ヴィッセル戦。福田健二のゴールをアシストしたストイコビッチは、着ていたユニフォームをたくし上げ、スタジアムに向かって咆哮した。彼と肩を組んだ福田が「これを見てくれ!」とユニフォームの下のアンダーシャツを指差す。そこにはこう書かれていた。
「NATO STOP STRIKES!」(NATOは空爆を止めろ!)
この試合の3日前、コソボ自治州の独立を巡る政治的緊張はついに「空爆」という最悪の事態を迎えた。ランブイエで行われていたコソボ代表団との和平交渉が決裂したこと(交渉の最終段階になって、ユーゴ国内でのNATO軍基地常設や兵士の治外法権を含む「アネックスB」と呼ばれる条項が提示されたことが決裂のきっかけとなった)を受けて、ユーゴスラビアに対するNATO軍の空爆が開始されたのだ。ピクシーのパフォーマンスはそれに対する抗議であった。
ピクシーだけではない。Jリーグをはじめ、世界各国でプレーしていたユーゴスラビア出身選手の多くがこの空爆に対する抗議行動を行った。レアル・マドリードに所属していたミヤトビッチは試合をボイコットし、アメリカ大使館の前でユーゴスラビア国旗を身に纏うパフォーマンスを行った。セリエAのラツィオに所属していたミハイロビッチとスタンコビッチは「PEACE NO WAR!」と書かれたTシャツを着て試合前のピッチに現れ、サポーターにメッセージを送った。リーグ1のメッツに所属していたルーキッチなどは「同胞と同じ方法で国に尽くす」と言いチームを離れ軍に志願までした。
しかし、このパフォーマンスを受けた川渕チェアマン(当時)は、「ピッチに政治を持ち込むな」としてJ1、J2所属の全チームに対し喪章を含むあらゆる政治的パフォーマンスを禁止する通達を出した(余談だが、主にユーゴスラビアの選手が活躍し、また空爆の主体ともなった欧州各国リーグではこのような禁止措置は取られていない)。「スポーツと政治は別」というわけだ。
「スポーツと政治は別」
残念ながらこれは現実を表す言葉ではない。あくまでも理想であり、願望である。そしてストイコビッチにとっては“信念”であった。木村元彦氏の言葉を借りるなら“イナット”(意地)と表現するのが最も的確かもしれない。
ボスニア内戦の際も、「クロアチア独立」を強く掲げたクロアチア民主同盟(HDZ)の党員として対外的なスポークスマンの役割を果たしたボバンとは対照的に、ストイコビッチは一貫して「スポーツと政治は別だから」と言い続けた。92年の国連制裁に伴いEURO92の出場権が剥奪された際も、その決定に怒りと落胆をあらわにしながらしかし「スポーツと政治は別」と言っている。
そんな彼が、自らの信念に背いてまで(後に彼は「あれは政治とは関係ない」と言っているが)ピッチ上でメッセージを発した。ユーゴスラビアではセルビア人、アルバニア人、ボスニア人関係なく空爆の危機に晒されており、また空爆は民族間の憎悪を煽るだけで問題の解決にならないどころかそれを悪化させるだけだと知っていたからだ。
現にこの空爆を境にコソボ自治州での戦闘は激化し、セルビア・アルバニア双方の民兵部隊が市民の暴行・略奪・殺害を行う事態にまで発展した。と同時にNATO軍の空爆もその対象範囲を広げ、非軍事目標である放送局や薬品工場、発電所も空爆で破壊された。コソボから避難したアルバニア人もかなりの数がこの空爆の犠牲になっている。
しかし、その彼の悲痛な叫びも「スポーツと政治は別」というお決まりの論理で封じ込められた。彼とユーゴスラビア代表がまさしく“政治的な理由”によって長い間国際舞台から締め出されていたにもかかわらず。なんという皮肉だろう。
「スポーツと政治は別」
それは現実ではない。理想であり願望である。
「スポーツと政治は別」
それはストイコビッチの信念であり、そして彼を2度裏切った言葉。
「スポーツと政治は別」
そしてある人々にとっては、厄介事を回避する為のレトリックでしかない言葉。
「スポーツと政治は別」
川渕三郎日本サッカー協会名誉会長、今貴方が言うべき言葉はなんですか?
ご列席の皆様、
民族融和には何が必要なのでしょうか。単に「民族融和は大事だ」と何百回繰り返したところで、それはただの言葉に過ぎないでしょう。私は真に必要なものはこの「架け橋」であると思います。人々の交流なしに融和は生まれません。交流を生むためにはきっかけが必要であり、そのきっかけとしてフットボールは大きな役割を果たしています。
例えば、毎年トヨタカップが開かれる東京には、地球の裏側から何千というサポーターが駆けつけます。フットボールの魔法は、瞬く間に国境や大陸を超える力を持っているのです。この魔法を民族と民族の壁を消すために使えないものだろうか、私はいつも考えるのです。西バルカンの各国が親善試合を定期的に行うというのはどうでしょうか。既に近隣諸国との公式戦は行われていますが、公式戦はどうしても勝つことが全てに優先してしまうので民族融和という意味では、親善試合の開催が重要です。既にBHとセルビア・モンテネグロの間では親善試合が行われております。これから少しずつではありますが、多くの親善試合を企画していきたいと思っています。代表チームが試合のために近隣諸国に移動すれば、サポーターも移動します。まずは人々が移動する、交流するということが大事だと思います。そうやって少しずつ少しずつ、壁が無くなっていけば良いと思っています。
(中略)
私は、一貫して「スポーツと政治は別である」と言い続けてきました。その思いは今も同じです。私は政治家ではなく、国のシステムや経済政策を変えることは出来ません。しかし、フットボールという共通の言語、誰もが知っている言葉、誰もが愛するテーマを通じて、フットボール選手が平和のために貢献することを願っており、それは可能だと信じています。
私の大好きな映画「アンダーグラウンド」の言葉にもあります。「この物語に終わりはない」と。ようやく西バルカンは平和と安定に向けて歩み始めました。物語は始まったばかりであり、私もフットボールを通じて民族融和の物語に参加していきたいと考えています。多くの人々、特に未来を担う子供達がこの物語に参加してくれることを願ってやみません。
有り難うございました。
平 和 親 善 大 使
- 作者: 木村元彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2001/06/20
- メディア: 文庫
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