公園から追い出されたのは「彼等」だけじゃない。

長居から戻って - Arisanのノート
長居公園、行政代執行 - モジモジ君のブログ。みたいな。
ホームレスは怖いですねえ - 猿゛虎゛日記(ざるどらにっき)

「ホームレス支援」という文脈からは少し別の視点で。

行政側に正当性を与える言説は、「公園は公共の場所であるから、占有することは許されない」というものである。正論と言えば正論だ。

そう、公園は「公共の場所」、即ち「僕達の場所」である。つまり、その形式や用途に関して、「僕達」が決定権を持っている場所だということだ。

では、現在、本当に「僕達の好きに」使える公園が一体どれくらいあると言うのだろう。

例えば多くのパフォーマーがいることで有名な井の頭公園だが、今年からこんな制度が実施されている。

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/seibuk/inokashira/artmrt.pdf

要するに、「公園で何かパフォーマンスをしたければ許可を取れ」ということらしい。ちなみに年間登録料は12,000円。全額前払い制(ケチ!!)

もし登録料を払いたくなければ、東京都が指定するヘブンアーティストに認定されれば良い。これならば登録は無料で井の頭公園他都内44ヵ所でパフォーマンスができる。但し、東京都による審査に合格しないとこのライセンスは受け取れない。

つまりだ。「僕等の場所」であるはずの井の頭公園で何かを表現したければ、12,000円支払うか、東京都にわざわざお伺いを立てて「貴方は素晴らしいパフォーマーです」という認定を頂かなければならないということだ。

本来「僕達の場所」であるはずの公園を使用するのに、わざわざここまでの手続きを踏まなければならないのは一体何故なのだろう。この制度にすることで、一体誰が幸せになるというのだろうか。少なくとも、「僕」はそんなことは望んでいない。

他にも、「ボールを使ってはいけない公園」や「中で飲み食いをしてはいけない公園」なんかがそこら中にある。まるで使われること自体を拒否しているようだ。

こうして「公共の場所」から人々が排除されていった結果残るのは、きれいに整備されているだけの、何も出来ない、誰もいない空間である。それが本当に「公共の場所」と言えるのだろうか。

件のホームレス排除を、単に「公共空間の占有」という額面通りの言説で受け取ると痛い目を見る。行政側の言う「公共」は、僕等が考える「公共」を意味しない。彼等の言う「公共」は、「自らの管理化にある」ということであり、そこには真の意味での「公共性」、つまり「自主性」や「自己決定」、あるいはそこに至るプロセスは含まれてはいないのだ。

行政側が「公共の場所」と言うとき、それは「権力の所有地である」という言葉と同義であって、「僕等の場所」を意味するものではないのだ。その決定的な差異を、僕等はきちんと認識しておかなければならない。


ちなみに。

今回の件で「アヴァン・ガーデニング」(<アヴァンガーデニング>の項参照)という概念の有効性を強く感じた。

もし長居公園のホームレス達が単にそこに「居住」しているのではなく、土地を耕し、公園を整備する「生産者」「管理者」として振舞っていたとしたら(あるいはその言説がもっと流通していたとしたら)、それこそ「公共の場所」としての公園を問い直す大きな問題提起になったかも知れない。