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2007-03-07

銃口を突きつけられているのは「彼等」ではない。「貴方」だ。〜「論座」4月号『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』雑感 銃口を突きつけられているのは「彼等」ではない。「貴方」だ。〜「論座」4月号『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』雑感を含むブックマーク

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「丸山眞男をひっぱたきたい」…: 雪斎の随想録

受け皿がないと、なぜ行動できないのだろう - 風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜

「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答 −論座2007年4月号− - 御託専科

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論座」4月号の『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』にはかなりの衝撃を受けた。書店で読みながら思わず「うわぁ・・・」といううめき声をあげてしまったほどだ。その「応答」があまりに的外れかつ真摯さを欠いたものだったからだ。

元となる「論座」1月号に掲載された『「丸山眞男」をひっぱたきたい』に関してはこちらを参照して欲しい。

さて、今回の「応答」に関する感想なのだが、端的に言って、

赤木氏を引っ張り出してきた論座のことだ、主要読者である左翼言論人にこういう特集を組むことである種強烈なメッセージを送っているのかもしれない。先ほどの「応答」にしても、主要な言論人がいちフリーターの主張にこんなへなちょこな反論しか出来ない、というのをあからさまにさせている。また、同じ号では麻生外務大臣にインタビューしているが、記者が大臣に軽妙に手玉にとられている様子をがそのまま載っている。

トータルすると、左翼言論人の情けなさが露骨に見えてしまう。それが何を目指しているのかはわからないが、どうも左翼のばかさを曝す、という意図は鮮明な気がする。

「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答 −論座2007年4月号− - 御託専科

に付け加えることは無い。全く話が噛み合っていないばかりか、『何故「戦争」なのか』という真意も読み解けていない。

赤木氏は『「丸山眞男」を“ひっぱたきたい”』と書いている。『「丸山眞男」になりたい』でも『「丸山眞男」をこき使いたい』でもない。“ひっぱたきたい”のだ。「戦争」による暴力が向けられるのは他でもない、正義や平等を謳いながら自身へ助けの手を差し伸べることの無かった左翼である。

応答文は、戦争が決して問題の解決にはならないことを指摘する。しかしこのように、「希望は、戦争」という発想の根底に社会への敵意があるのなら、その指摘が説得力をもつことは難しいだろう。暴力によって社会の矛盾を解決しようという志向性の根っこには、社会から見捨てられているという感覚がある。

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彼等は言う。『戦争の暴力は、平等に降り注ぐわけではない』と。そしてこう問うのだ。『戦争で自分が死ぬ可能性は考えないのか?』と。

では彼等に言おう。『戦争の暴力は、外敵からのみやってくるわけではない』と。そしてこう問うのだ。『戦争で同胞から銃口を突きつけられる可能性は考えないのか?』と。


赤木氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という意思表示は、明確な「悪意の表明」である。そして「戦争」という手法の導入は、その「切実さ」を表す為のロジックに過ぎない。

だからこそ、それに対する「応答」は、「戦争の本質」や「論旨の稚拙さ」ではなく、まずその「悪意」に対する応答でなければならなかったのだ。

しかし愚かなことに、その「応答」に立った人々は、その本意も切実さも理解せず、「悪意」の対象が自分であることも認識しないまま、ただただ常識論を返すだけである。


湾岸戦争直後のイラクを舞台にした、デヴィッド・O・ラッセルの「スリー・キングス」という映画がある。

この映画で、生まれたばかりの子供を失ったイラクの兵士と、彼に拉致されたアメリカの兵士とのこんなやり取りがある。

「何故俺の子供を殺した?」

「子供を殺してなどいない。クウェートを守っただけだ」

「ウソだ。お前等はこれが欲しいだけだろう。」

そう言ってイラク兵は、アメリカ兵の口に石油を流し込む。

その原因をまったく理解しないまま悪意を向けられて狼狽するアメリカ兵の姿が印象的なシーンだ。


今回の『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』は、上のシーンを思い起こさせる。

赤木氏の言う「戦争」は、「希望」を意味するのではない。「戦争」へ向かう彼の姿は、その社会情勢と貧困から自爆テロへ向かわざるを得ないイスラムの若者と並べて考えるべきである。そして、その「テロ」の対象となるのは「貴方」だ。

しかし、赤木氏はこう言っている。

それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争で苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないで欲しいと。

そう、彼は「貴方」に銃口を向けながらこう言っているのだ。

『お願いだからこの引き金を引かせないでくれ』と。

それに対する真摯な回答があのようなものであるならば、その悲劇を止める術を僕は持たない。


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[追記]もちろん、「イスラムの若者」と「日本のフリーター」や「ワーキング・プア」といった格差社会の犠牲者を並列に扱う必要はない。格差の度合いも違えば、その原因も違う。しかし、その宗教的特性は除いたとしても、そこに働く力学は同種のものではないかと思う。

quawabequawabe 2007/03/08 01:40 どうもこんばんは。
単純に、赤木さんの言葉への返答は、特集「グッとくる左翼」の「素人の乱」の在り方で、答えられているのではないでしょうかね。身内贔屓なのでしょうか…

CircusmanxCircusmanx 2007/03/08 09:34 inumashさん、こんにちは。Circusmanxです。トラックバックしていただいたうえ、「巻頭引用」までして頂き大変光栄です。
人通りの少ない道でぶつぶつ独り言を言うのには慣れておりましたが、こうして意見の合う方にお目にかかれて大変嬉しいです。
時々覗かせていただきます。これからもよろしくお願いします。

inumashinumash 2007/03/08 18:10 >quawabeさん

どもです。

多分、受け皿にはなると思います。でも、あれは「既存左翼」が手を差し伸べる形で作られたものではなく、赤木氏と同じ境遇に置かれた「持たない若者」がその境遇ゆえにわずかな持ち物をシェアした、という部分が原点になっていると思います。

そう考えると、受け皿にはなっても、赤木氏への「応答」にはならないと思います。彼の原点は、既存左翼に対する猜疑心であって、あの「戦争云々」の話はその発露の一形態に過ぎないと考えるからです。

そこに対する言葉を持たない限り、「左翼」と「赤木氏」の不幸なすれ違いは続くのだと思います。

inumashinumash 2007/03/08 18:13 >Circusmanxさん

どうも、はじめましてです。

あの号の感想は、Circusmanxさんのエントリそのままでしたので、僭越ながら引用させて頂きました。

こちらこそ、宜しくお願い致します。

CircusmanxCircusmanx 2007/03/08 18:34 inumashさん、
自分で読み返してみると誤字脱字はもちろんのこと、あんまり練られてないなあと反省。inumashさんに引用いただいたところが一番締まってますね。誤字はあるけど(笑)。その点も感謝感謝。

ところで、エントリでも言ってますが、今回の論座、「左翼への鎮魂歌」とでも題した2-3ページの解題を巻頭につけたら、「諸君!」特別号ができそうな勢いでしたね。論座編集部は左翼言論サークル内でマジ自爆テロをやってるのでしょうか???? ほんと不思議でしょうがない。真意を聞くべくメールでも出してみようかと思うこのごろです(笑、かな?)。

inumashinumash 2007/03/08 18:45 でも、いい傾向だと思いますよ。どちらにせよ、ああやって相対化されれば、問題に気が付く人も出てくるでしょうから。いくら狭いサークルの中であっても。

次の赤木氏の反論に(色々な意味で)ちょっと期待。

sjs7sjs7 2007/03/11 10:22 あなたは、銃口を突きつけられ、実際に引き金を惹かれる寸前の人に対し、「彼はとても辛い経験をしたんだ、だから我慢しなさい」と言うんですか?この文章からは、そういうメッセージしか受け取れなかったです。

銃口を突きつけられているのが彼ら?冗談じゃない。

これから赤木氏みたいな人々により、戦争(もしくはそれに準ずる何らかの暴力)への流れが始まるとして、それが成就する頃には彼らは死んでいるか、既に隠居しているでしょう。戦争=暴力を彼らは経験しません。

暴力に晒されるのはね、僕たちの世代なんですよ。実際に前線に投入され、銃で殺される、もしくは殺すはめになるのは、今十代後半の、僕ら。

そりゃあ確かに赤木氏や論座の同じ号に載っている若年フリーターのような、最低限の生存権さえ保障されていない人には、私達の社会は保障すべきでしょう。

でもそれは、あくまで「彼らが最低限の生存権すら保障されていない」という事実に基づく措置であって、彼らがルサンチマンや悪意を抱いてるなどということとは全く関係ないし、関係があってはならないのです(ルサンチマンや悪意すら抱けない人々のことを考えよ)。

もし彼らが社会に対し悪意を持ち、この国を戦争に引きずり込もうとするなら、私達は、どんな卑劣な手を使ってでも、彼らを阻止し、平和を守り抜くでしょう。

彼らが例えどんなに「正し」かったとしてもね。

inumashinumash 2007/03/12 19:17 >sjs7さん

失敬。ご返答が遅くなりました。

だから僕は「戦争」という手法の導入はあくまでその切実さ(と衝撃とほんのわずかながらの正当性)を与える為のロジックに過ぎないと書いているでしょう。それに、赤木氏はきちんと「戦争に向かわせないで欲しい」と書いているじゃありませんか。言葉の表層だけでなくその意図を理解するべきではないですか。彼が「本気で」戦争を望んでいるのかどうか。

そして、残念ですが、彼等は既に多大なる「暴力」に晒されています。「資本」と「無理解」(あるいは意図的なラベリング)による暴力です。自らがそれを望んだわけではないのに導入された「それ」は、彼等を確実に「撃ち抜いて」います。

ここには、軍事力や具体的な暴力を伴わない「攻撃」が確実に存在していると考えて良いでしょう。

つまり、既に彼等は「撃たれて」いるのですよ。同胞からね。それに対するリアクションのひとつの例が赤木氏の論文です。

>そりゃあ確かに赤木氏や論座の同じ号に載っている若年フリーターのような、最低限の生存権さえ保障されていない人には、私達の社会は保障すべきでしょう。

上記のような言葉を受けながら、彼等は延々と放置されてきたのです。「自己責任」という掛け声と共に。だからこその「悪意の表明」なんですよ。そこまでしなければ彼等はその存在すら認められなかったのですから(そうまでしても認めない人もいますが)。

僕は彼の主張に正当性を与えろなど一言も言っていない。ただ彼等のような存在を放置し続け、自らは体のいい正義感に浸ってきたという事実をどう捉えるのだ、と問うているに過ぎません。

そして、未だイデオロギーの影に隠れ、その「暗部」を見つめようともしない左翼に心底嫌気が差しているのですよ。

ところで、「ルサンチマンや悪意すら抱けない人々」って一体誰ですか?