2007-07-24
■概念上の「貧乏人」と実存する「貧乏人」を混同して語る愚かさ。

人生論として見るなら別に個人の自由だから構わないけれど、これを社会全般に適応させるのは間違ってるよね。しかも、現状認識もズレてる気がする。
まず、「格差社会」なんて言葉が出てくるようになったのは、もちろんメディアが過剰に騒ぎ立てている部分もあるけれど、餓死者や自殺者といった「貧困の犠牲者」と「ネットカフェ難民」のようなその「予備軍」が目に見えて増加してきたからに他ならない。
彼らに必要なのは具体的な「住居」であり「食事」であるが、自給自足が可能な環境でない限り、「住居」と「食事」は「消費」という手段を経なければ手に入らない。またそうした環境を獲得し維持するための「職」と「収入」も必要となれるが、それらは往々にして「収益の最大化」を強く求められる。それを拒否すれば「職」と「収入」が消失し、「消費」を通じた「住居」と「食事」の確保もできなくなる。政府による再分配機能も力を弱める一方だし、それにかわる「家族」や「地域」といった受け皿としてのコミュニティも崩壊したままなのに、そこでどうやって「生きていく」ことができるのだろうか。
現在、「格差社会」を問題視して「金を!」と声高に叫ぶ人々は、なにも「今持っている以上の金」を要求しているわけではない。大半の人々は「今最低限必要な金」すら持っていないから、それを要求しているのではないだろうか。彼らは概念上の「貧乏人」なのではなく、実存としての「貧乏人」なのである。だからこそ、彼らには「具体的な手当て=金」が必要なのだ。それが最も的確かつ素早く彼らを「生存の危機」から救うことになるのは明白だろう。
また、現状でそういう状態にない人であっても、「一歩間違えば」自分がそういう状態に陥ることは分かっている。だからこそ、その状況に「NO」を唱えているのではないか。
「もっと金を」というソリューションを提示する人々は、論理的に言えば、彼ら自身「貧乏人」であり、その読者たちもまた「貧乏人」であり続ける他ないということになるであろう。
それこそ「貧困」から切り離されたからこそ言える論理だろう。実際に飢えている人に「敬意」を払ってもそいつが餓死するのを止めることはできない。その彼が死んでしまったら払われた「敬意」になんの意味もないだろう。まるで、昔あった国の軍隊みたいな話だと僕は思うのだけれど。多分、彼らは「貧乏人」だと言われても一向に構わないだろう。何故なら、彼らは「死にたくない」だけなのだから。「貧困による死」の不安をできるだけ遠くに追いやりたいのだ。まさに雨宮処凛の「生きさせろ!」そのままなんじゃないだろうか。
「貧困による死」が厄介なのは、それが「今すぐに」襲ってくるわけではないということだ。たとえば「ネットカフェ難民」であっても、今日や明日、2年、3年後に死ぬとは思っていないだろう。しかし10年後、20年後には確実に「貧困による死」がやってくる。僕にとっても他人事ではない。だから、「今動けるうちに」そこから抜け出すための「原資=金」と、いつでもそれを獲得できる環境の整備を必要としているのだ。
彼らが求めているのは「敬意」などという曖昧な概念ではない。何よりも「生存する」という、どんな生物でも持っている最も基本的な願望を満たす為だけの「金」を求めているに過ぎない。「たったそれだけのもの」も与えられない人間が払う「敬意」に何の価値があるだろうか。そんなもの、まずは彼らの「生存」を保障してからいくらでも与えてやればいいじゃないか。
「格差社会」は、「人間的価値」の格差なんていう生ぬるいものではなく、「生存可能性」の格差に他ならない。僕はモルデカイ・シュシャーニ師のことは詳しくしらないが、誰しもが彼のような位置まで到達できるわけではないだろう。多くの人がそうであるように、僕も「貧困による死」は恐ろしい。だからこそ叫ぶのだ。「もっと金を!」と。
さあ、全ての貧乏人よ。叫ぶんだ。
「はてなスターTシャツ欲しい!」
と。

将来に希望が持てないままでは、「私はいったい何のために生きているのだろう?」という思いが拭えません。
「音楽を聴いたり、麻雀をしたり」
したりできる余裕なんてない人たちのことなんですよね。
そうですね。その辺が明確に見えているのと、それから昔と違い「もっと豊かになる」ということが単なる幻想というか最早「妄想」に過ぎないことをみんなよくわかってますからね。だから、「今」具体的な手当を求めざるを得ないんじゃないでしょうか。
そうそう。そもそも、そんな仲間と場所すらもっていないという。基本的に孤独ですからね。社会構造が変化してるのに、昔と同じ感覚で「貧乏」を語られても困るという。
残念ながら、このエントリの末尾のアレはなぜかキーワードリンクされてないんですよねw
なのでもらえないという・・・
1、金持ちから税を徴収して、貧乏人に配分するシステムを成文法として制定するという解決法。
2、人間が、生まれて、生きているということには価値がある。
他人の生も自分と同様に価値がある。
豊かさの指標とは、どれだけ他人に援助できるか?ということにある
人間というものには、能力や年齢や性別や民族や出自に関わりなく、尊厳を持って生きる価値がある。
そういう価値観を共有する社会を形成する
もし仮にそんな社会が在ったとしたら、成文法として富の再分配のシステムを作らなくても良いかも知れない。
尊敬する人が、飢えていたら?
尊敬する人が、失業していたら?
尊敬する人が、住む所なく困っていたら?
お互いが、お互いを人間として尊敬し合ってしるような社会。
法律で決められていなくても、困っている人がいたら、見返りを期待することなく、当然のこととして手を差し伸べる社会。
ん〜!可能ですかね…?
不可能だと思っているから、内田先生のブログ記事に反論を書かれるんでしょうねえ…。
そのような社会というのはどうやってつくるんでしょう?その具体的な施策は?
そして何より、「今目の前」に飢えている人たちがいるのに、内田ン先生をはじめ彼らに手を貸そうとしないのは何故でしょう。彼らは「尊敬」に値しないから?
それを見るだけで、答えは出ているような気がするんですが。
常識的に考えれば、そうですね。僕は逆にそういう人にこそ「尊敬とやらの価値は?」と聞きたいんですけどね。
もちろん、フリーターに関するエッセイで金を貰っている内田のこの無知蒙昧さは、到底、許されるものではありませんが。
お返事ありがとうございます。
具体的な施策はありません。
ありませんというか、思いつきません。
飢えている人がいるのに、施しをしないのは何故?
と問われれば、「それは、私が拝金主義者だからです」
と、お答えするより他ありません。
自覚するしないに関わらず、拝金主義イデオロギーに支配された世界に生きている私も、拝金主義者だと思います。
それは素直に認めます。
でも、『格差社会』解決の手段は、『金』しかないのだ。
という考えこそが、『拝金主義イデオロギー』を強化するのではなかろうか?
それはまた、『格差社会』を助長することになりはしないか?
という意見を公表するということは、『拝金主義イデオロギー』のこれ以上の蔓延を防ぐ一手段なのではないでしょうか?
それが、どれほどの効力を発揮するのかと問われれば、答えようもありませんが。
勿論、たった今、目の前で飢えて死にそうな人がいるときに、そんな悠長なことは言ってられませんけれど。
『たった今、目の前で飢えている人を救う方法』と『格差社会の構造を変革する方法』とを同列に論じるわけにはいかないと思います。
自分が最初に書いたコメント論調が、失礼だったことをお詫びいたしまします。
誰でも自分の実体験をベースに物事を語りたがる傾向はありますからその辺は仕方ないとは思いますけれど、今のフリーターとかってそんなに「自由」ではないんですよね、実は。もっともっと「追い詰められてる」と思います。
こちらこそ、失礼なご返答をしてしまい、すみませんでした。
具体的な施策に関しては、実はとても簡単だと思います。派遣業の規制を強化すること。それからパート・アルバイトの最低賃金や労働環境自体を改善すること。この2つだけで状況は大分変わると思います。
内田先生の言うような、「働かなくても(貧しくても)楽しく生きていける人」は問題じゃない。今問題なのは、「真面目に働いているのに生活できない人」だと思います。
これは単に「拝金主義」以前の問題ですよ。それこそ、「労働者」あるいは「働く」という行為に対する企業や社会の姿勢の問題です。
内田先生の認識がずれているのは、「格差社会に反対する人」は何も「金」だけを求めているわけではないということです。そうではなく、「働く」ということ、あるいは「働いている人」対する社会の扱いへの異議申し立てを行っているのだと思います。
それを単に「金で解決させる」と読み解いている時点で、大きな勘違いをしているんだと思いますよ。
ご丁寧なお返事ありがとうございます。
人とコミュニケーションがとれた!という喜びほど嬉しいことはありません。
感謝いたします。
有難いことです。お金には換えがたい喜びです。
>それこそ、「労働者」あるいは「働く」という行為に対する企業や社会の姿勢の問題です
ということには、全く同意いたします。
そう、賃金を上げさえすればそれでいいんだろ?
というような、経営者の考えには、まったく反感を覚えます。
企業が、正規雇用を非正規雇用に改め、賃金を安く抑えようとする。
派遣業者が、不正なピンハネをするというのは企業倫理の荒廃があるように思います。
うちの会社は、儲けなんてそこそこで良い。
働いてくれている人々が、充実した生きがいを感じて働いてもらえればそれでいいのだ。
というような企業が生き残れなくなっている現状。
貧困の受け皿となる、コミュニティー、地域の消失の原因。
それは、大企業の、経済力を基盤とした、暴力的、破壊的な行為。
それも勿論ありますが、我々、あ、否、自分自身が、地域や、コミュニティーの活動よりも、自身の経済的利益を優先してきたということにも原因があるように思います。
>それこそ、「労働者」あるいは「働く」という行為に対する企業や社会の姿勢の問題です
まさに、おっしゃる通り、人に対する社会の姿勢の問題だと思います。
と、いうことは、内田先生のご意見と、非常に似通ってくると思うのです。
まじめに、一所懸命働いているのに生きていけるほどのお金が稼げない。
ということは
>それこそ、「労働者」あるいは「働く」という行為に対する企業や社会の姿勢の問題です
ということであって、お金の問題ではない。という内田先生の意見と、まったく同じだと思うのですがいかがでしょう?
ん〜、でも内田先生のあの言説は、その問題の当事者が「何を行うべきか」を不明瞭にするだけだと思います。
ベースとなっている部分は同じです。でも、内田先生のような言説はこれまでも散々繰り返されてきました。結果、「やりがい」というそれこそ「主観」でどうにでもなるようなものが最重視され、労働者、特に若年労働者や不正規雇用者に対する具体的な施策や手当はおざなりにされてきました。
だから、もうそんな戯言は必要ないんです。必要なのはその「敬意」とやらをどうやって形にするのかという具体的な施策と、それを機能させる「システム」の構築です。
もう言葉だけ、態度だけ「労働者」や「若者」を気にしているような言説を僕は容認しません。その「敬意」には具体的な対価が支払われるべきです。それは「金」であり「労働環境」であり「権利」です。
その内容が示されないまま、あるいはそれを提供する以前に、「それだけでいいのか」と言ってその獲得を阻害する言説は邪魔なだけですよ。「それだけじゃ駄目」なんてことはみんな分かっているんです。でも、「まずはそれを獲得すること」が現段階では何よりも重要なんです。「それだけじゃ駄目だ」は、「それを与えてから」言いましょうよ。それはこれまでも散々いわれてきたんですから。
>その内容が示されないまま、あるいはそれを提供する以前に、「それだけでいいのか」と言ってその獲得を阻害する言説は邪魔なだけですよ。
「それだけじゃ駄目」なんてことはみんな分かっているんです。
でも、「まずはそれを獲得すること」が現段階では何よりも重要なんです。
「それだけじゃ駄目だ」は、「それを与えてから」言いましょうよ。それはこれまでも散々いわれてきたんですから。』
おっしゃる通りだと思います。
何の異論もありません。
私とinumashuさんとはそれほど意見の相違があるとは思えません。
いや、意見の相違というか、望むことの相違というか。この世に不幸な人が無くなって欲しいと思っていますよね。
すべての人が、…、生きるのが苦手な人、働くのが得意じゃない人、人間関係を上手く構築できない人、情報収集が苦手な人、恥を忍ぶことが苦手な人。
不器用な人…が、それでも生きていくことが出来る世の中になれば良いのにと思います。自分がそんな人間なので。
制度、施策が制定されるということは、目的があるということですよね?
この制度を制定することによって、現状を改善したいという。
目的の背景には、思想、哲学、信条がありますよね?
結局、社会変革のためには、考え方、価値観、思想、哲学、が制度に先立つのか?
それとも逆に、現実を変革するために、まず、制度改革が必要なのか?
あ、inumashさんのご意見はよくわかります。
屁理屈こねくり回している前に、今のこの現状をなんとかしろよ!
という怒り。
とにかく今のこの現状をなんとかしろ!ということになれば、ごたごたとまだるっこしい哲学や思想より以前に「まずはそれを獲得すること」が何より重要ということですね。
よくわかりました。
ありがとうございます。
もしかしたら、また、理解力の乏しい稚拙なコメントを送るかも知れませんが、お許しください。
ではまた。ありがとうございました。
inimashさんと、意見を交換できたこたは、非常な喜びでした。
ありがとうございました
いえいえ、こちらこそ。
なんていうか、僕ものすごいシンプルに物事を捉えていて、「哲学」や「思想」は現実のシステムやプロセスに反映されてはじめて価値が出ると思っています。
ですから、それらを無視するのではなく、それを実現するための方策をひとつひとつ実施ひていくことにプライオリティを感じている、ということだと思います。
もちろん、れが絶対的に正しいとは思いませんけれど。
社会の下積みで大変な割りに儲からないしステイタスも今一な仕事を頑張って、子供を大学にやるとか、
自分で独立して会社を興すとか、昔からある話でしょ。
それを拒否して、現代日本社会が何か特別に悪いかのように考えて、怠惰な自身を正当化すると。
貧困の受け皿としての家族や地域が崩壊って、敗戦まで口減らしに家族に売られるのも、地域もそれを止めないのが当たり前だった状況はスルーっすか?
>なんで彼らは3k長時間労働やらないんですか?彼らの言う仕事が無いは、美味しい仕事が無いってだけでしょ。
派遣でまわされる仕事って所為3Kと呼ばれる現場が多いんですよ。いろんなところで統計出てるので調べてみては如何でしょう。
んでもって、過去日雇い労働者がそうであったように、現在の派遣(特に日雇い派遣)は労災や失業保険等、様々な社会保障の対象外になっているので、それをきちんと適応させましょうね、というのが僕の意見なわけですが。安易な自己責任論は、自分だけでなく、社会全体のリスクと将来的なコストを増大させるだけだと思いますけどね。
それから、家族や地域はセーフティネットとしては穴があるなんて自明です。ただ、現在の状況はその「穴のあるネット」すら崩壊している状況なんですけどね。
んでもって、その「穴があるネット」を再構築する=地域や家族にといったコミュニティにそれを求めるという右派の選択を僕は容認せず、「制度的なセーフティネット」(生活保護及び公的サービス)の再構築が必要だ、と言っているんですが。
財源の問題なんかは別の話ですけどね。
東西冷戦構造崩壊後、市場経済と一般に呼ばれるパイの奪い合いに参加しようとする人数は増えています。
日本約1億2700万人、アメリカ約2億9300万人、カナダ約3300万人、ドイツ約8200万人、フランス約6000万人、イギリス約6000万人、イタリア5800万人
先進7カ国なんてよばれて資源のパイの奪い合いに参加できていたのはせいぜい7億人少々。
冷戦が終わって東側とか、第3世界とかが加わってきたら取り分が減るのは目に見えますなぁ。
中国だけで約13億人いるんです。
地球上にいる60億いるといわれている人間が全員、先進国並の生活がしたいなんて言い出して、今まで先進国だけでやってきた市場経済に参加してたらどうなりますよ?
食料だって、鉱物だって、エネルギーだって、機械化されて工業的に効率よく、企業が生存をかけて一生懸命採取しています。
そうおいそれと今日や明日に収穫量が10倍になるとは考えにくいです。
パイは増えないのに、パイに殺到するアリが増えれば、アリ1匹当たりの分け前が減るのは当然です。
世界60億人が絶頂期の日本人のような生活を達成するのは土台無理なのです。
みんなが豊かな生活をするには物理のくびきを超越しなければなりません。
概念はすでにフィクションでは示されています。「攻殻機動隊「ゼーガペイン」「ルサンチマン」
我々もチップ化して「向こう側」にいくしかないと思います。