2012-04-08
お世話になった人に返す何か
久しぶりに上山の桑原さんにお会いした。
ボランティアで海外の学生を受け入れて、
相変わらず良い人をしていたよ。
久しぶりにお会いして、
外でガチで話していたんだけど、
言語の壁で
学生らに意思疎通するのが難しかったけど、
褒めるところは褒める。
叱るところは叱る。
これだけは徹底したそうだ。
やっぱり適格に指示を与えることが出来なくて、
これから役に立つことを教えられたか?は不明だけどだって。
この話を聞いて桑原さんに
「自分も6年前に色んな人に迷惑をかけました。今、生活に余裕が出来て、慕ってくれる人も増えました。あの時にお世話になった人に何か返せるものが無いか?考えているんですよ」
と伝えました。
それに対して、
「今日は何のために来たんだい?マルシオさん(主催者)が困っているから来たんだろ?私は何かを返して欲しいとは思わない。私が教えたことで君がそれをどこかで活用してくれて、誰かの為に動いてくれることを期待しているんだよ」
と私に伝え、
「それよりも、そうやって何かを返したいからこうやって来れる。そんな人がいて幸せだな。」って言われました。
これは主催のマルシオさんからもそう指摘された。
俺はマルシオさんから下の名前で呼ばれている。
「毅君、〇〇さんがいつも君のことを話すんだよ。僕は〇〇さんに友達はどれくらいいるか?を聞きました。〇〇さんは友達がたくさんいると返しました。じゃあ、その友達に悩みを相談できますか?相談できる人を本当の友達としなさいと伝えたら、〇〇さんは毅君に電話をしたみたいですね。〇〇さんにとって君は(以下略)」
「私は〇〇さんに電話できついことを言ってしまいました」
「だけど、〇〇さんは君と話をしたがっているんだよ」
その後、いろいろとやりとりをして
世の大半の人はやりたいことを持ちたいと思っても、何をやっていいかわからず、だから踏み出せず、そういう葛藤に埋もれながら、妥協してこれが幸せだと割り切ることで生きていく。
それを良しと思えない人は一生懸命抗う。
年を重ねるに従って、抗うのをやめていく。
それが大人になることなんだろうけれども、
そんなの嫌だと言う人は、
やっぱり一生懸命抗い続ける。
前に後輩のブログにも書いてあったけど、
みんなが次々と妥協していって、
自分を貫いている奴が輝いて見えて、
そういう人に近づいて、
自分が輝いていないと自覚した途端、
「〇〇は頑張っててすごいな、だけど俺も家族を持ってそれなりに幸せな生活を送ってんだよ」って言い出す。
後輩はその言葉に対して、
「なんで俺も…」って絡んでくるの?
幸せだったらそういう比較するように言う必要ないじゃん。
何か、引っ掛かることでもあるのですか?
そういうことを言うのって、
実は満足していないんじゃないですか?
そもそもそんな情報いらねーし
というようなことを書いてた。
結局何が良いのか?わからないけれど、
困っているから、その人のところに行けた。
家族以外で、
そういう人がいることは幸せなのかもしれないよね。
なんて思うようにしよう。
2012-04-04
米を炊くということ
これから書く内容は、
彼が良いとか悪いとかではなく、
単純にもったいないと思ったのでメモ程度に記載しておく。
うちの会社は
会社の制度として、
ご飯を炊いてみんな好きな時間にそこからよそって食べる
というものがある。
そのために、
長時間保存していても品質が劣化しにくい炊飯器がある。
ご飯を炊く行為なのですが、
彼葉炊いてあるから食べるというスタンスになっていて、
誰かが炊かなければ自発的に食事をとることはない。
来たばかりだから、
自分で炊いて食べるというのは気が引けるかもしれない。
だから、
誰かが炊くまで待つ。
ここでこういう行動をとったらどうだろう?
炊いたらみんながご飯を食べることは分かっている。
ならば先に
「今からご飯を炊くんで、何人分炊けば良いでしょうか?」
と質問を投げて、
米を研いで炊いてしまえばいい。
別にここにいる誰もご飯を炊く炊かないで評価はしないと思う。
だけど、
そういう行動をとったら、
それなりに好印象となり、
炊かないことで印象が0よりも
炊いて印象が少しでもプラスになる。
それよりも大きなことは、
炊くことによって主導権がいきなり自分に来る。
つまり、
誰が炊くまで待つのではなく、
好きな時間に食事をとれる上、
これからずっと自分の都合の良いように食事がとれる。
これがどれだけすごいことか!
早めに主導権をとってしまえば、
これからすぐにいろんなことを提案しても許される。
たかがご飯を炊くだけの話だけど、
いつでも主導権をとる姿勢を身に着けていれば、
出来ることは遥かに多くなると思う。
こういうことの積み重ねが、
その人の味というものを形成していく要因ではないか?
なんてことを思いました。
2012-03-11
嫌なこともたくさんあったけど、あながち悪くないと思える人生は素敵なのかな?
珍しく、
ここ数日、仕事以外で人と話す機会が多かった。
もめたり、相談にのったり、愚痴を聞いてもらったり
こんなの久しぶりでなんか新鮮だった。
共通した話題として、
無収入期間の頃の話で、
事業を立ち上げた経験がある人ばかりだったので、
みんな働いても無収入ということを経験したことがあったので、
ちょっとした思い出話みたいなやりとりになった。
そんな中、自分が話すことが多かったんだけど、
知り合いがいない農村で単身生活したことが、
今の自身の考え方につながっているという事を
とにかく深く考えさせられた数日間だった。
彼らと俺の違いというのが、
無収入期間に嫁または彼女がいたかどうか?
周囲に
無収入になる前の知り合いがどれだけいたか?
ということで、
無収入の時に彼女に食わせてもらっていたという話はよくあって
成功者として扱われたらたぶん美談として扱われるだろうけれども、
俺にはその経験が無いんだ!
うらやましかった。
ということをその時にしきりに主張していた気がする。
つらいことがあって、
誰かに話したいとしても、
誰に話していいか?わからない。
無収入といえど、社会人であるわけだから、
新しく知り合った人に自分をさらけ出すことなんてできない。
このできないというのは、
人としてのプライドというものが邪魔しているだけなんだろうけど、
そうと分かっていてもやっぱり難しいものがある。
それがなかったとしても、
そもそもお金に余裕がないので、
愚痴っぽい話がありなシチュエーションである飲み会を催すことだってできない。
知ってるか?
初対面の誰かと交際するのって、
案外お金がかかるんだぜ。
移動して会いにいくにしても交通費がかかるし、
会ったところでお金の使わないような交際なんてあるのかい?
実際にはあるんだけど、
相当近所の人と親しくならない限り有り得ない。
そもそも知り合いがいない。
どうやって知り合いを作るか?
と言えば人の集まりに顔を出すようにする。
そういう人の集まりってなんだい?
小学生のガキどもじゃあるまいし、
公園で走り回ってれば参加できるようなものではない。
何らかのコミュニティに入るためには、
そのコミュニティのコアとなる部分、
趣味とかそういうものに合わせて、
その集団に入らなければならない。
先日、
3ヶ月ぐらい交際していた女性に
「やっぱり価値観が合わないから、これ以上一緒にいるのは無理だ」
「理解できない」と言われた。
向こうから近づいてきたのに、
価値観が合わないというのがいまいちわからないが、
そもそも価値観とは何ですか?
って言う話になった。
価値観とは見ているものとか考え方が似ているとか言うけれど、
とにかく、
集団に入り込むために、
その人たちの趣味とかを好きになろうとしてきた自分としては、
自分の価値観というものを持ってしまい、
それに合わないからハイさよならなんて許されなかったわけで、
固執した考え方こそが人を不幸にすると思って、
仕事で決めた方向性以外はなるべく持たないように意識してきた。
(意識したつもりでできていない可能性は十分にある)
結局のところ、
私はこういう人でこういうものが好きである
と固執していたら、
多分、今お世話になっている方々と出会うことなんてなかった。
どう考えても接点ないような人と
酒を飲み交わしたり、遊びに行ったりしている。
俺の人生こうだ!と決めなかったから、
フィールド&マウンテンさんの方々とも出会えて、
名誉なことに自分の作品が情熱大陸で紹介してもらえるという機会も得た。
学生の頃に自分の専門は植物だから、
植物の事をやろうと固執しなかったのに、
なぜか植物の事で相談されて今の会社にいて、
自分の仕事は農業技術だからって頑固に栽培に従事せずに
プログラムを書き始めたことで、こういう知り合いもできた。
本当にあの時に
自分は栽培をやり続けなければという意識をやめて良かったと思ってる。
昨日、高校の頃の同級生が言ってたよ。
俺には彼女がいたから、
自分の興味のないコミュニティに無理して入る必要もなかったし、
どうしようもなくつらい時に一人で抱えることもなかったよ
だからそこまで必死になることもなかった。って
当時は物凄く寂しかったけど、
一人だったが故に頑張ったことというのがたくさんあって、
一人だったが故にどうしてもこの環境から抜け出したくて作成したドキュメントが、
後に出版社の方と仲良くなるきっかけだったと思うと、
まぁ、あながち悪くなかったのかもね
と振り返れるけれども、
寂しさの代償に見合っているか?と言えば不明である。
実際のところ、
同級生からは
そういうことを考えると悲しくなるから、
ポジティブな方だけ考えようぜ
とは言われたけどね。
そうそう、
この話に出てきた相談してきた方、
自社製品のお菓子が読売テレビで紹介されたみたいで、
最近、
こういう話題性のある人が集まってきて、
持ちつ持たれつの関係になれて
本当にありがたい限りです。
2011-12-11
質問をするということに関して
この記事のコメントに
以前投稿された質問に対する催促があった。
以前投稿された質問に関する記事は
効果を検討しない策に価値はないに詳しく記載しました。
こいつに対して、
正直、返答する気すら起きない中、
律儀に記事を書いた俺は本当にえらいと思う。
何で返答する気が起きないのか?
それは、
質問があまりにも低レベルであって、
たぶんこの人と出会っても時間の無駄なんだろうな?
と思えてしまったから。
どの辺が低レベルか?というのは記事に書いたことそのままだけど、
明確な目的があって、
自分なりに検討してからの問いだったらいいんだけど、
箇条書きの仕方が、
どうみてもそういう気配を感じない。
それすなわち、
他力本願で生きてきている奴の特徴だろ?
そういう生き方をしているから、
有益である可能性の高い情報を得る時に、
こんなに腐った近寄り方をしてくるんだろ?
彼の問いに対して私が答える価値はありますか?
彼の問いに答えることは、
以前投稿した記事をまた投稿するだけですよ?
そんなことで
せっかく自分の流れを作れて運営しているサイトの質を落とすなんて
正直言ってくだらなすぎる。
さて、
話は変わって、
この前メールで質問が来た。
この人は一度京都で会ったことがある人だ。
実はこの人の質問に対しても
正直答える気はない。
なぜならば、
俺はリンゴの木村さんの技術は価値がないと思っていて、
その旨を以前伝えたことがある。
例え木村さんが素晴らしい技術だったとしても、
あれをフューチャーしてマネしたら確実に破産する。
(3年前の俺や西前がマネした経営は半年もたない)
そんな人をたたえること自体価値のないものだと思っているのだが、
それを伝えた人とはじめて会った時に、
セレクトファームの技術と木村さんの比較の話をしてくる。
お前何しに来たの?状態で、
以前無価値だと考えていると伝えたものを、
延々と聞かされた俺の時間は何?
俺、その時間にどれだけSOY Shopの開発を進めて、
様々な仕事を得る機会や、
面白い奴と出会える機会を得られるはずなのに、
その尊い時間がしょうもない人の話に付き合っただけで消えていく。
最初は技術が無くて当然です。
技術のある人に教えを乞うのも当然で、
俺だっていろんな人に迷惑をかけてきた。
技術力の無い頃なんて、
教えてくれる人に何もしてあげることはできない。
だけど、
教えてくれる人が親身になって教えてくれるか?
そういう状況を作るのって、
教えてくれる人の事をどれだけ尊重できるか?でしょ?
その一つが、
その人のポリシーから外れた話をなるべくしないことと、
教えてもらう時に自分はここまで考えた
という姿勢ではないでしょうか?
質問されることが多くなってきて、
返答することで自分の生活にも支障が出てくるようになってきた。
自然とこんなスタンスになってしまう。
凄い著名人で、
丁寧に返事を返している人がいるってたまに聞くけど、
その行為は本当にすごいと思うわ。
2011-11-19
取材の時の話
この前、
奈良新聞の取材があった時、
農場長にやまどうぐレンタル屋さんからいただいた雨具を絶対に脱ぐんじゃないぞ
と伝えたが、
農場長が暑いからと脱いだ。
そして、
当日の記事に掲載された時の写真が下記の画像

キャラバンの雨具を着ずに
自分の白いTシャツで写っていた。
キャラバンの雨具は
やまどうぐレンタル屋さんが、
仕事に役立ててほしいという名目でいただいたわけですが、
着て映っていた場合、
着ずに映っていた場合、
善意で物を送ってくれた人はどう思うか?
先に後者だけど、
着ずに映っているということで、
まぁ普通にスルーだわ。
では前者の場合、
あぁ、着ていてくれたのね。
という風に思ってくれるはず。
小さな違いだけど、
こういうことの積み重ねが後々の印象に響いてくるはず。
だって、
プレゼントを貰ったらちゃんと使ってほしい
というが人の気持ち。
俺が誰かに何かをプレゼントしたら、
晴れの舞台で使ってくれるのはとても嬉しい。
そういうものでしょ?
だから、
普段から役に立っているというのなら、
こういう時こそちゃんと着るべきだろ。
どのタイミングの写真が選ばれるかわからないから、
いつでも着ておけと言ったのに、
結局着てない時期があって、
着てないタイミングのものが載った。
さて、
農場長はコミットしたら面白いかも?
と思われることはあるのでしょうか?
今のこの状態では、
これ以上の進展はないと思う。
