岩瀬は1000年以上前から日本海側の主要港であった。
江戸時代も加賀藩の重要な港であり、
神通川舟運の起点や北前船の寄港地として多くの物資が集まった。
また、加賀藩新川領の年貢米の積み出し港ともなり、
加賀藩の御蔵が建ち並び、年貢米がここから瀬戸内海経由で大阪へ運ばれ、
金銭に換えられて藩費を賄った。
さらに、加賀藩は、参勤交代の大名行列が小杉から水橋に向かう際、
富山城下を通らない岩瀬ルートを取ったため街道が整備され、
多くの旅人が行き交って賑わった。
明治後期に北前船の時代が終わった後は、
富山港や富岩運河に隣接した工業地帯、また漁業の町として生きてきた。
歩行距離13km、高低差0m、歩行時間3時間30分。
金刀比羅社常夜燈。
1865年に建てられた高さ約6mの灯台。
桝田酒造店。
1893年に創業した清酒万寿泉でおなじみの造り酒屋。
北陸銀行岩瀬支店。
森家。
1878年に建てられた北前船廻船問屋の家。
地元では北前船をバイ船と呼ぶが、倍倍に儲かることからきたという。
また、船の往復で儲かるので「のこぎり商売」ともいわれた。
富山から北海道へ、米、酒、醤油、薬などを運び、
北海道から富山へ、昆布、ニシン、サケなどを運んできた。
北前船。
料亭松月。
1911年創業の老舗料亭。
シロエビ200匹の肉だけを使ったモチモチの福団子が有名。
富山港展望台。
1985年に金刀毘羅社常夜燈をモデルに建てられ、高さは約25m。
富山港。
当初は神通川の河口港であったが、
富山市内の神通川が直線化されるのに伴って土砂が流入して浅くなり、
大型船に対応できなくなった。
川の下流では土砂の流入は避けられないので、
1926年に神通川に新たな堤防を築いて流れを西に振り、神通川から分離した旧河口を港にした。
1.5万トン級船舶4隻、1万トン級船舶1隻を係留できる岸壁がある。
主にロシア、中国、韓国、ベトナムと貿易を行っている。
岩瀬漁港。
魚津、新湊に次ぐ漁獲量を誇る。
富山湾の宝石といわれるシロエビの漁が中心で新湊と肩を並べる。
富山ライトレール。
JR富山港線の廃線を富山市を中心とした第三セクターが引き継ぎ、
地域再生の切札として2006年に開業した。
1日平均5300人が利用しており、旧線末期の1.5倍に回復した。
岩瀬カナル会館。
運河としての使命を無くした岩瀬運河をレクリェーションエリアとして再活性化するために造られたレジャー拠点。
岩瀬運河。
物資の輸送範囲を広げて工業地帯の拡大を図るための富岩運河支線。
富山競輪場。
「りんりん富山ケイリン りんりんサンサンバンクで〜♪」でおなじみだが、サンサンバンクとは3.3バンクのことで、コースが333m。
岩瀬諏訪神社。
1659年、西岩瀬諏訪神社から分霊された漁業守護の神社だが、
北前船の寄港地であった関係から航海安全、商売繁昌が祈願されている。
岩瀬スポーツ公園。
サッカー・ラグビー場、テニスコート、健康スポーツドームなど。
富岩運河。
1935年に完成した富山市中心部と岩瀬を結ぶ延長5.1kmの運河。
掘削土砂は富山市内にできた旧神通川の廃川地を埋め立てるのに使われた。
上下流の河底に2.5mの高低差があり、自然のままでは上流の水深が浅くなるため、中島に閘門を設けて堰き止め、上流部の水面を上昇させている。
馬場記念公園。
1923年に廻船問屋馬場家の寄付により旧制富山高等学校が創設されたが、1962年に五福へ移転したため、1971年に跡地を公園にした。