天漢日乗 このページをアンテナに追加 RSSフィード

近日中に再引っ越しします
再引っ越し先は、現在βテスト中なので、正式運用が始まり次第、改めてurlをお知らせします。 仮引っ越し先は 天漢日乗 http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/ です。

2007-01-17 本日15:00までココログメンテ

「落ちて3秒以内に戻せば大丈夫」

[]また1/17がやってきた

合掌。

このblogアクセスが増えたきっかけは

 新潟県中越地震

の時だったけど、あの時、掲示板の書き込みを毎日三時間くらいかけてコピー&ペーストし続けた理由は、阪神淡路大震災後に、震災が元で友人を一人亡くしたからだった。

2005-03-30

[]瓦礫の下の少女が救出できない@インドネシア・ニアス島

被害の規模が徐々に明らかになっているが、救助の手が届かない。こんな悲しくもどかしい事態が発生している。

2005/03/30-22:36 15歳少女、携帯で「助けて」=がれきの下、救助の手だてなし−ニアス島


 【グヌンシトリ30日時事】スマトラ沖地震で最大の被害を受けたインドネシア・ニアス島北部のグヌンシトリで、震災発生から45時間以上が過ぎた30日午後、倒壊家屋の中に閉じ込められた15歳の少女が携帯電話で助けを求めるメッセージを知人に送った。救援当局が現場に駆け付けているが、重機などがないためなすすべがないとしている。 

携帯で助けを呼んでいる少女。SOSは届いたが、重機がないため、少女を救い出すことが出来ない現場。

同じような修羅場は、あちこちにあるだろう。

どうかこの少女が助かりますように。

2005-03-29

[]スマトラ沖で夜間に地震、被害の状況は徐々に明らかに

また地震だ。一報がはいったのは夜中の一時過ぎだった。

マグニチュード8.7。場所はスマトラ沖。時間時間だったので、なかなか被害の詳細がわからず、徐々に報道され始めている。

前回の地震津波では、28万人以上の犠牲者を出した。

前回の地震津波復興が始まったところでの大きな地震だ。建物の倒壊が最も懸念される。


犠牲になられた方のご冥福をお祈りする。

震源地に近いニアス島の被害が大きいようだが、まだ詳報が出ない。建物が倒壊し、下敷きになっている人がたくさんいる。


各国が救助に向かっているようだ。

2005-01-17

[][]阪神淡路大震災から十年

合掌。


ここ数日、関西では震災特集番組を多く放映している。

火事と焼け跡の映像は、見るのが辛い。あの炎や煙、そして瓦礫の下に、生きながら火に命を失った多くの人たちがいる。なすすべもなく、延焼する炎の前に立ちすくむ消防隊員、家族が映っている。


焼け跡から、家族の骨を掘り起こしている人を執拗に追い、放映したのはTBSのニュース23だったろうか。

煙の上がる様を「温泉場のようです」と、想像力を欠いたコメントを送ってきたキャスターのいる番組だったか。


あの朝、揺れが来る一分前に目覚めた。大きな地震が来る時はいつもそうだ。

地鳴りのような気配を感じて、はっとした。揺れ始めた。ベッドの横の本棚の裏にあるガラス障子をとっさに抑えた。

揺れは長かった。築50年近い木造家屋は激しく揺れた。

一つ幸いだったのは、揺れ方向と直角の方向に本棚の正面があったことだった。もし、揺れが水平方向だったら、わたしは恐らく倒れた本棚の下で絶命していた。重い本がぎっしり詰まった本棚にガラス障子一枚隔ててベッドを置いていた。ベッドの幅と部屋の幅が同じ、京間の二畳間にベッドがあった。揺れ方向が90度違ったら、まず、本が飛び出しガラスが砕けていただろう。震源からはそんなに近くはない京都市内でも、揺れ方向と水平か直角かで、被害が違った。この家に置いた十本の本棚は、背の低い一本を除き、すべて直交する方向に棚の面があった。


すぐにテレビをつけた。各地から寄せられる第一報は、比較的被害の軽いものばかりだった。「天理市内で、棚から落ちたものでお年寄りがケガをした」確かNHKの一報はこうしたニュースであった。京都の震度は5。ほどなく高松の弟から電話が来た。「震度5だって?大丈夫?」声がうわずっていた。埋め立て地の五階にある弟の部屋は激しく揺れ、食器棚からたくさんの食器が飛び出したという。

八時近くなってからだったか、神戸が大変なことになっている、というのがようやくわかってきた。


大学院では、西宮から通っている同期がいた。彼女は被災した。交通網が回復せず、大学院に通ってくるのも大変だった。彼女の小さい子どもが「亀裂」という言葉を覚え、街を歩くと「あそこにも亀裂がある」と、建物を指さすので、必死に止めた、という。

研究所には、神戸に家のある教職員がいた。昼になると、コモンルームなどで、いろんな話を聞いた。焼け落ちた近所の話。幸いに焼け残ったために、逆に嫉妬されて、放火された屋敷の話。山側のお屋敷町は水道が生きていたが、海側はダメになってしまったので、水を貰いに行くと、意地悪する人がいる話。納車したばかりの車をマンション一階の駐車場に置いていたら、一階が潰れ、圧延になってしまった話。同期生からは、ツマガリが、震災から三日ほどで店を再開したと聞いた。お店を開けると、高級車でさっそく乗り付けて、どこぞの奥様が買い物に来たという。ツマガリは、再開直後はシュークリームを焼いて売っていた。食うや食わずやの被災者がまだまだ多かった時期の話だ。マリー・アントワネットの逸話を思い出した。

うちの大学院は、建物に亀裂が走ったり、本が落ちたりしたものの、比較的被害は少なかった。同じ学科を構成する民博は被害が大きく、危険なために立ち入り禁止箇所ができた。ちょうど展覧会を開催していたが、展示物のいくつかが壊れ、担当の教官は展示物を貸し出してくれた国と機関に悲痛なお詫びをした。揺れ方向と水平に本棚を置いた研究室がいくつかあり、本棚がドアの後ろ側に倒れ、しかも内開きのドアなので、あかなくなった部屋ができた。


大学の先輩には、亡くなる方も出た。家族のほとんどを失った方もあった。

印度学の先輩には、神戸やその周辺にお寺を構えている方が何人かあった。強い揺れに、重い屋根を頂く寺はひとたまりもなかった。庫裡が倒れ、家族がすべて亡くなった方がいた。しかし、それ以外にも多くの方が亡くなっているので、先輩は、遺体が収容されているそばの高校に赴き、せめても、と枕元で読経されたと聞く。他の先輩も、僧籍にある方達は、それぞれつとめを果たされたり、境内を開放されたりした。


阪神淡路大震災は、身近な活断層をあぶり出した。研究所の近所には大きな断層が走っている。その断層に沿った形で池があるのだが、地震の後、池が深くなった。断層が少し落ち込んだらしい。

それまであまり地震のなかった関西で、活断層を意識することはなかったが、この後は防災地図が出来、活断層が示された。京都市内のいくつかの活断層は、人口密集地域の下を走っている。


地震から何ヶ月かして、友人が亡くなった。死因は動脈瘤破裂だったが、憤死に近かった。

彼の愛する町が、地震で失われた。もともとリーダータイプの友人は、避難所などで先頭となって働き、震災のショックから立ち直れない人たちを励ましたりしていた。だが、様々なストレスが彼を蝕み、震災後は、ほとんど食事らしい食事を取らず、アルコールを流し込むだけになった。

母一人子一人で暮らしていた。ある日、具合が悪い、といい、救急車を呼んだときには、もういけなかった。年老いたお母様が一人残された。

震災で亡くなった方以外に、友人のように、震災後の問題で世を去った方も少なくないと思われる。