タイの道端で、物思い

翌日、ガイドブックを片手にうろうろしてみる。



午後、ホテルへ帰ってひと眠りして、起きたら19時だった。


賑やかな所にあるホテルなので、外はガヤガヤしている。
薄暗い部屋で、1人で暇でぼーっとしている、寝起きの私。
なんだか涙が出そう。ゲストハウスとかにすればよかったかな。


外へ出て、道端に座って人々を観察する。


イルミネーションがきれい。
果物を売る男の人がいて、一緒にいる子どもが超かわいい!
子どもに話しかけたくて、パパイヤを買う。


「旅の指差し会話帳①タイ」を見ながら話しかける。
「ナーラック!(かわいい)」
と言ってみたら、男の人がうれしそうに笑った。
「アーユゥタオライ?(年いくつ?)」
と聞くと、子どもが指を3本出してきた。
3歳かぁ。ていうか、通じた!うれしい。まじかわいい!
近くに座ってパパイヤを食べる。


その親子が焼き鳥を買っていたので、同じ店へ行ってみる。
「ニーアライ?(これ何?)」
「ニーガイ、ニー××…(これは鳥、これは…)」
ガイは鳥。鳥しか聞き取れなかったので鳥を買う。


しばらく、色々な場所に座っては、屋台のおばちゃんを見たりしていた。
やることもないので、ぼーっと物思いにふける。


ここにあるのは、人々の普通の日常生活で、私はただの部外者だ。
私の日常は、ここにはない。
私は私で、日本で生活していればいいのに、なぜ来たんだっけ。


そうだ、違う日常を体験してみたいって思ったんだった。


でも、しばらく滞在したとしても、それはただの体験で、
私がここでの日常生活を本当に送ったってことではない。


それに、私はちょっと体験したいと思っているだけで、
決して本当の日常にしたいとは思っていないのだ。
来れるから来てるだけ。なんだか傲慢な感じがする。


屋台を手伝っている女の子とかは、昼間は学校へ行っているのかな。
花を売り歩いている、小さな男の子は?
みんな、将来はどうなるんだろう。屋台のおばちゃん?
私のように、裕福な国からやってきた観光客を、どんな風に思うんだろう。
将来を自由に選べる、今の私の立場は、すごく恵まれている方なんだろうな。


とは言え、選択肢はたくさんあっても、選べる道は1つだけ。
その選んだ道でなんとかやっていくっていう意味では、結局同じ?


自由っていう尺度で考えると、日本人の方が選択肢がたくさんある人が多いけど、
幸せっていう尺度で考えると、分からなくなる。
信じられる人がいて、信じてくれる人がいる、そういう安心感が「幸せ」?
今日の、果物売りのお父さんと子どもと思い出すと、幸せは世界共通!と思って
しまうのだけど、そう考えてもいいかな。


私はタイに何をしに来ているんだ。
タイ人がそれぞれがんばって生きているタイに、
日本人の私は、わざわざ、何をしに来たんだろう。


いやいや。
日本で、のうのうと親元で暮らしているだけじゃイカンと思ってきたんだった。
1人でがんばってみよう、期限付きだけど、って。
ホテルの取り方も、飛行機の乗り方も、もう分かったし。
タイ語で買い物も、少しできるようになったし。


ホテルへ戻ると、ムクナダさんから電話が来た。
村に行くのが、明日じゃなくてあさってになったとのこと。
・・・一人旅、延長!