ミーチェの言葉

2011-08-27

リア充

12:22

書店にて、「リア充」と題された文庫本に興味を惹かれ、

一冊手にしてみると、なんてことはない、シェイクスピアでした。


全国のお茶の間の皆さん、こんにちわ。さしみです。


TVで言う「お茶の間」というのはリビングのことでよろしいですか?

もしくは、お茶を飲むという行為に専念するために設えられた庵ですか?

ほら、千利休などがよく利用しているそうじゃないですか。

ああいった場所にテレビを置くのはどうなんですかね。

あまりしっくりこない気がします。


何の話でしたか。そうリア王のね、話をね。リア充の。

でもその話もう終わっちゃったから、書くことが思いつかないですね。


そういえば昔、酔った勢い友達の部屋の中で花火をしたことがあります。

先ほど、「室内 花火」というキーワードGoogle検索をかけたところ、

ネットアイドル書類送検されたというニュースを発見しました。


何かを、感じます。

2011-08-19

カンパネルラとジョバンニの謎

13:50

我々は普段、内容・正体などがはっきりわからない事柄を謎と呼ぶ。宇宙誕生生命起源。まだ現代科学でも解明できていない謎は数えきれない。

科学進歩歴史は、常に謎との戦いでもあった。ある者は、夜空に浮かぶ正座の軌道不思議に思い、地動説を導き出した。またある者は、木から落ちる林檎を不思議に思い、重力に辿り着いた。というのが通説となっている。

十年前、そうして進歩してきた科学界にある一つの謎が論文として提出された。論文タイトルは「カンパネルラとジョバンニの謎」。執筆者は、小学六年生の女の子だった。

当時、この論文の異質さに気付いた人間は数える程しかいなかった。そしてそれらの人々も「何か変だな」というくらいの違和感は感じていたものの、あまり重要ではない事柄として片付けてしまった。ために少女論文は、日の目を浴びることもなく、十年もの間、ひっそりと実家の押入れで眠ることとなった。

偶然にも、論文を発見したS氏は興奮した面持ちでこう語った。

「あんな文章は生まれてこのかた読んだことがない。奇才だよ。まさに奇才」

その論文が収められた冊子は、小学校卒業文集という形式で、数多くの論文が収められていたが、やはり彼女の論文は群を抜いていた。

多くの論文修学旅行を題材にしているのに対して、彼女の論文は校内展示の為に取り組んだ一枚の絵画について触れられている。

彼女は静かな口調で語り始める。

「私は校内展示の為に、銀河鉄道の夜という物語の絵を書くことになりました」

宮沢賢治銀河鉄道の夜を知らない日本人はいないだろう。読んだことがなくても、タイトルくらいは知っているものだ。

満点の星空を駆ける蒸気機関車。そんな幻想的な絵を想像した人も多いと思う。

しかし彼女が絵の題材として着目したのは、主人公ジョバンニ少年と友人カンパネルラであった。彼女は断言している。普通の人は鉄道の絵を描くようだが、私はそんなことまったく思いつかなかったと。

その理由について、彼女は超然とした態度で言い放っている。

鉄道の絵を描くなんて、私には不可能に値すると思ったからです」

小学六年生にして既に、自分に与えられた能力をいかに最大限活用するか、という点に着目している点については、実に驚嘆に値する。彼女は小学生ながら、意思決定に際して、消去法という考え方を採用していた。

論文は続く。下書きまでは非常にうまくことが運んだらしい。しかし、何か紙の表面がザラザラしており気に食わない。その不満を友人に打ち明けたところ、友人は驚愕して叫んだという。

「それ裏だよ!」

そんなことを繰り返しつつも、下絵は完成した。キャンバスに描かれていたのは、座っている二人の少年の姿だった。

しかし、なにかつまらない。決定的に何かが欠けている。悩んだ末、彼女は一人を立たせることとした。座るカンパネルラと、立つジョバンニ。最高にホットな構図の出来上がりだ。

下絵できました。喜ぶ彼女に対して、冷たい目をした教師は、突き放すように提案した。

「やはり機関車は描かれるべきではないか」

これには流石の彼女も、相当精神的にまいったらしい。柄にもなく図書館機関車を調べたりしたようだ。しかし自分には機関車を描く才能はない。ジレンマを抱え、悩みに悩み抜いた結果、彼女はあるひとつの結論に辿り着く。

サソリでいいや」

堪えていた私の腹筋は決壊した。その時、どういった精神作用が彼女に働いたのかは、もはや知る由もない。強いストレスの結果、取り組むべき課題をすげ替えるという退避行動は、幼児期にしばしば観察される。しかしながら、普通の人間に、ここまで飛躍した論理展開は不可能である。

思考の跳躍、とでも呼べばよいだろうか。彼女はその跳躍力を駆使して論文を続ける。そしてサソリの下絵も完成し、後は色を塗っていく段になり、彼女はまたしても壁にぶち当たる。

それは壁と呼ぶには、途方もなく大きく固い壁であり、彼女はそんな壁にぶつかれば、割れてしまう柔らかい卵であった。その壁は、彼女の絵画における、根源的かつ致命的な欠陥を指し示していた。


カンパネルラとジョバンニを取り違えた。


カンパネルラとジョバンニを取り違えた。


大事な事なので二度書いたが、はっきり言ってしまって意味がわからない。しかし、描いている本人がそういうのだから仕方ない。彼女はカンパネルラとジョバンニを取り違えたのだ。

座っていた二人の少年。つまらないという理由で立たされたジョバンニ。本来立つべきはカンパネルラだったのに。

真実はこうだった。作中、川に溺れた友人を助けようとしたカンパネルラは、溺れて命を失う。孤独少年ジョバンニは、空想の銀河鉄道で友人カンパネルラと旅をする。銀河鉄道の旅が終わったとき、ジョバンニはカンパネルラが死んだのだと理解し、友人の死を悲しむ。彼女が表現したかったのは、空に旅立っていくカンパネルラと、座って悲しむジョバンニだったらしい。

そんな致命的な欠陥を目の当たりにして、彼女はジョバンニに対してこう告げたのだ。その瞳に憐憫さえ浮かべて。

「ジョバンニ、デブに描いてごめん」

このとき、既に決壊していた私の腹筋は完全に崩壊した。かつて筋肉だったものが、床を転げ、のたうちまわった。

……続けよう。この奇跡のような論文はこう締めくくられている。

「(死んでいないジョバンニを立たせたことは)かわいそうでしたが最終的にあまり気にしませんでした。中略……あと少しなので完成が楽しみといったところです」

一体何なんだろう。この脱力感は。彼女は小学六年生にして世界を舐め切っていた。いや、正確には、彼女は世界ともっとも遠いところにいた。

二人の少年。片方は立ち、片方は沈痛な表情で座っている。そして夜空には一匹のサソリ。これはもうジョバンニとカンパネルラどころの騒ぎではない。はっきり言って理解の取っ掛かりすら存在しない。

そしてそれは、この世界に絵画の形をした新しい謎が誕生した瞬間でもあった。

ここからは余談になるが、卒業文集には恒例のように、何でもランキングというものが存在する。面白いひとナンバーワンとか、そういった類のあれだ。

もちろん、6年3組のランキングにおいて、彼女は堂々の一位を獲得している。そのランキングテーマは当然こうである。


「謎の多い人」

2011-07-06

死屍累々だよう。

07:18

何がって?

もちろん、僕らの死体さ。

2011-07-03

私が戻ってきましたよ。

01:22

ちょっと最近色々と環境の変化があってブログ止めてたんですけど、なんとなく復活することにしました。アメブロは嫌なことがあったのでID毎消しちゃったので、昔ながらのはてなです。とりあえず復帰第一戦なのでゆるりと今日日記を書いてみます。

今日は、6時半に起床して、3kmほどランニングをして気持ちよく汗を流した後、食パン牛乳朝ごはんを食べて「俺ってなんてストイックな俺なんだろう」などと悦に入ってから、そろそろ着手しないと間に合わないであろう知人の結婚式二次会用の余興ビデオ制作に取り掛かったところで、彼女から「飲みながらやれば効率あがると思うよ」なんて言われたのを真に受けて、11時くらいから部屋で氷結ストロングを飲み始めたのですが、昼ごはんに近所の回転ずし行くことになって、そこで生ビール飲んだら、それがどうやら昔から探していた俺のやる気スイッチだったみたいで、回転ずし食った後、中野の角打ちでホッピーを飲み始めたのがたぶんいけなかったんだと思うんだけど、それこそ粋狂としか思えない勢いで縄跳びを購入して、近くの公園で華麗な二重跳びを披露してから、小学生サッカーに少しだけ参加したりして汗びっしょりになったから、帰ってシャワー浴びて寝たら、余興のビデオがまったくできてなくてかなりびっくりした。

ええ、かなりびっくりしてます。今も。

tt 2011/07/04 01:27 縄跳びとはまた粋な遊戯を。
そういえば君は昔縄跳びと名のつくありとあらゆるタイトルを、総なめにしていたね。
地元ではちょいと名の知れた縄跳びアンだった。
そう、縄のサトシと、竹馬のテツ。
ふん、古い話をしちまったな…。