モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

─ 心霊研究の黎明 ─  物理学者オリヴァ・ロッジ 心霊研究論文 Ⅱ 


 7 「生命と意識」

 近代科学の優れた荷い手たちが自分自身にどんなに狭苦しい制限を課しているかを私は次の最も有能な学者の言葉を引用して示そう。

 ―科学がその理論をしっかり築き上げて以来、まともな人間では1人として次のようなことを考えた者はなかった。つまりどこからメカニズムはやってきたのか、どうしてここにあるのか、どこへこれから行こうとしているのか、あるいは、それを超えるものがあればそれは何なのか、それと対等に並ぶものがあればそれは何なのか――このようなことを我々が知っているとか、知りうる望みがあるなどと考えた者は1人としてなかったのである。これらのことは我々の感覚で捕えることはできないことであり、科学によっては説明はできず、またできうべきはずのものでもないのである。             
                                 (E・R・ランカスター 英国の動物学者)


 

 

 私は自然科学の世界に関して、狭い意味で考えたにせよこれほど際立った無能宣言をすることにはためらう。しかしこれは一般に科学的唯物主義者とされている著名な学者たちの立っている立場を示し、また個人的なものではないが彼らの示した限界なるものを超えようとし、直接的な感覚で捕えられる範囲を超えた領域のことを探究しようとする他の科学者に対する反感を表わしている。

 しかし私は彼の言葉のうち将来も知りえないとする、その将来に関する否定的な議論だけを別にすればこの言葉に同意する。メンタルなものを物理的なものに変換し、逆に物理的なものメンタルなものに変える器官は間違いなく脳髄である。しかしその変換がどのように行なわれるのかに関しては我々は考えの糸口さえ持っていないと私はあえていう。しかし、やがてはサイコフィジック(訳註)なプロセスを部分的に理解するのに役に立つヒントは非常に例外的なケースを研究することによって得られそうである。というのはこのような研究はノーマルなケースを継続的に探究するよりももっと示唆するところが多いからである。

(訳註) 精神物理学、ふつう刺激と意識の関連を問題とする学問をこういうが、ロッジがここで使っている意味はもう少し広く物質と精神の関わり合い全般を対象とする学問という意味である。


 人間の意識という問題は確かに非常に際立って難しい研究課題ではあるが、といって全く研究が困難というものではない。それは生命の形態として我々の面前に置かれているものだからだ。生命と物質、あるいは心と生命の関わり合いは同一レベルの問題であって一方について理解の糸口が得られれば他方にもそれが光を投げかけると期待してよい。しかし、我々が もっとも単純なサイコフィジックな相互作用がどのようにして起こるのかという起こり方についてもう少し知識を得るまでは――つまり、我々が明らかに違った存在の形態である心と物質 という2つの存在の間の深淵にはどのようにして橋が掛けられるのかを十分に知るまでは――もっと事実を観察し、収集し、どんなに試論的な仮説でもそれを作るのには極めて用心深く対処することが安全というものである。少しでも有効な仮説を立てるためには、それが如何に試みのものであっても我々はもう少し多くの手掛かりをまだ把む必要があるからだ。

 私は注目すべき本『進化と戦争』の著者ミッチェル博士のとっている立場に感銘を受けた。 私はこの著者の説に賛成にせよ反対にせよ性急な意見を作り上げているととられたくはない。それ はこの問題はいずれにせよもっと精細に論じなければならぬものであり、また挿入句的に扱われるべきものでないからだが、といって私は博士の議論に対し論争的な態度で臨む者でもない。この本から心と物質の関係、そして進化の過程で人間が自由意志と意識的選択によって動物とどのように違ってきたかということに関連のある数節を紹介しよう。

 博士は意識の起源はその低次の段階において動物やまたおそらく植物の領域の中に根を持っているという説に賛成していない。また初歩的意識とか自由意志をただ人間に結び付けるだけでなく全ての生物に結び付けて考える議論――これらの論者は意志とか知性の基礎を原生動物の中にも認める――には強く反対している。また一方、彼は “極端に科学的" な学者連中の考え――彼らは人間の起源が動物だという意見で押しつぶされていて、人間の性質を原形質からだけ説明しようとする――にも反対している。彼は言う。

ー我々がその起源を生物を発生させる可能性を秘めた泥土の中に持っているという意見がどんなに役に立つもので、また興味あるものだとしても、我々が意識を持っており自由の感覚を持っているという事実は強力で何を以っても否定できない顕著な事実なのだ。 また

ベルグソン流の解釈には意識や自由がどのようなものであるかについて我々を少しも納得させるものがない。そして彼らは意識や自由を人間だけのものから動物の中にも存在するとして話を拡大していく。しかし動物が自由を持つという云い分はもっとも好意的に評価してもせいぜい推量にすぎない。彼らはこうすることで自由や意識の観念から明確さと実在性をなくさせ、同時に人間と動物の区別をぼやかし科学と哲学のもっとも困難な問題を避けて通るのだ。しかし、このような事実は、動物は本能的で人間は知的、動物は責任能力を持たず人間は持っている、動物は自動機械で人間は自由である、そしてもしお望みなら神は動物に美しい肉体を与え人間に理性的魂を与えた......。というようにいう方がもっと真実なのである。 そしてすぐ続けて、

――物事に対処するのに同時に俳優、観客、批評家としてはせず、過去、現在、未来を分けては認識せず、一瞬のその場のフラッシュの中に生きる......我々が動物の意識に関してそれをもっとも高く評価してもせいぜいこれだけのことである。ここに人間と動物を全く違うものにするはっきりした区別がある。

――我々は南洋のジャングルから楽園の庭園への道程の途中でゴリラのような人間の祖先に外から魂というものが注入されたように考えねばならないのか? 私はこんな考えに賛成しない。しかしこの考えのほうがさっき私が紹介した一般に人気のある説よりは事実に対して正確なものではある。私はダーウィンのように人間の肉体が動物のそれから進化してきたという考えには同意する。そこで人間の知性、情動、道徳的能力も動物のもつ素質から進化してきたものであろう。その進化のプロセスを理解するために私は2つの実際に観察される事実を紹介しよう(その実例は省略)


ーこのあと彼はこの一節を「私の言葉は、もし私がもっと断定的に言えるとすれば人々にはシナイの雷鳴のように響くだろう」と結んでいる。この秀れた生理学者の意見は私がこの本で扱っている多くのことに関して私と同意見ではない。もしそうであったとすれば彼はこんなに弁解的な調子――私はそれは現在の科学の状況からして当然のことと思うが――で語らず、もっとよい著作になったと思う。彼の考えに対して冷たい誤解が生ずるのを防ぐため私はもう少し引用しよう。

 ―私は1つの生理学的事実として道徳法則は星空と同じような実在性を持ち、また人間の外部に存在するものだと言おう。この意見を私はダーウィン的進化論者の1人、解剖ナイフや 顕微鏡の愛好者、忍耐強い経験科学的観察者でどんな形の超自然主義をも嫌う者、そして思想とは胆汁が肝臓の分泌物であると同様に脳髄の分泌物だという言葉に関わり合うことにさえためらいを感じない者の1人としていうのである。道徳法則は1人の人間や1つの国民の中に存在するものではない。それは人類の長い歴史の血と涙の所産である。それは1人の人間の中に生まれつきのものとしては存在しないが、彼の伝統、習慣、文学、宗教の中に大切なものとして秘められている。それの創造と維持持続は人間の栄光であり、それを彼が意識することは人間を動物の境涯を遥かに超えたものにするのである。人は生き、死ぬ、1つの国民も興隆しほろぶ、しかし1人の個人、1つの国民の闘いは近視的に評価されてはならない。それは1人の人間や国民が人類の偉大な完成にとって、プラスかマイナスか、いずれの方向へ向かったかということで評価されるべきである。


 私自身のこの種の問題に関する考えはもっと人間と動物などの間にある類似を認める方向のものである。私は博士ほどに人間と動物いな動物と植物、そしてまた物質からできている生物と非生物の間にすら大きな断絶を認めない。私は ^魂"という言葉の意味をもっと大きな分母として拡大する――すると分母の大きさがその分数をうんと小さいものにする――そして仮説的に単に個人の死後の生存だけでなく全ての生命の形態の死後の生存を認める。個人的人格に関しては、それは、それがすでに存在した場において残存する。そしてその存在はそこに将来に向かって永遠に存在し続ける。しかし個人性、人格性を離れて生命そのものの残存としてはそれはもっと場所的に拡張して考えてよい。

 物質は道具、生命を形に顕わす手段であるが、それが唯一の可能な手段や道具だと限ったものではない。我々は体の組織を作り上げるために物質を利用している。しかし体の組織作りが終った時でも生命の持つ形成能かはまだ残っている。そこでその形成能力は物質的な世界以外にも形成能力を行使すると期待することができる。もしこの仮説――これは明らかに仮説である が――が本当だとすれば全ての生命形態が可能となる。進化のプロセスが現在の段階までになってきたことは、現在はまだ知られていない条件のもとで将来の方向へ同じことをなしていくと考えることができる。私は敢えて言う、非物質的存在の世界というものが将来は、いま我々がそう考えるのに慣れているものより遥かになじみのある、分かり切ったことになるかも知れないと。

 それに、我々は眼に見える物質的な肉体だけが全ての生命の持ちうる唯一の体なのだとはどうして知ることができるのか? どうしてものは影的世界の中にその物質的な体の影的な片割れを持っていてはいけないか? おそらく全ての存在はその影的な片割れをすでに持っているのではないか、そして我々の感覚はそれの物質的な片割れの方のことだけを知るのであろう。しかし私はそのことを正確には知らない。このような考えは馬鹿馬鹿しいものに見えるかも知れない。しかし証拠がその方向へ私を導いていくなら私は理由のない抵抗をすることなくその 方向へついて行こう。ともかく事実は発見されるのを待っているのである。                   
                                                                                           (抄録終り)


 
 

残存人格の信じにくい理由


  
   ―小さな子どものように事実の前に座れ

    そして全ての先入観は捨てよ どこのどんな深淵に自然が君を導き行こうとも、そこへ素直に従いて行け

                                               ―― トマス・ハックスレー


 人々は死後の残存人格を信ずることには大きな困難をしばしば感ずる。同じように“次の世”と呼ばれる世界の存在を信じたり実感したりすることも難しい。しかし、そのようなことを考えると実はこの世の存在を信ずることも、やはり難しいのである。存在というものを信ずることは どんな存在でも同じように難しいのである。存在の全ての問題はまことに人を困惑させるものなのだ。それはア・プリオリ(先経験的に)に断言することは決してできないのである。全てのものは経験の問題、つまり事実の問題だと言える。

 私たちは経験によって物事が実際に存在していることを知る。しかしそれがどうして存在しているのか、それらは何のために存在しているのか、それらは他とどんな関連を持っているのかといったことは我々の理解を超えたものである。我々は他のことについては何の経験も持ってはならないという立場を、もし基準として選ぶのでない限り、我々は自分たちのよく知っている種類のもの以外にはどんな種類の存在もあり得ないなどと仮定すべき理由を持ってはいない。しかし、これがまさに現在私が問題 にしていることである。我々はこの世の存在以外に、どんな存在にも直接的にも、間接的にも、何らかの証拠を持っているだろうか? もし持っているとすれば、その存在に対してその存在の実在性を信ずるのは困難だといって云々するのは無駄なことである。我々は事実によって導かれるべきである

 人類の現在の歴史の段階では天文学の主要事項以上によく確証され広く受けいれられている科学上の事実はいくらもない。星の大きさや距離、とてつもない多数さ、太陽系のようなものが宇宙中には広く散りばめられていることなどは広く人々に知られた事柄である。しかし物事を想像する力のある人間の心にとっても、もしこれらの事実が本当に手で掴めるようであったとすれば、それは圧倒的なものであってかえって信じ難いことに思われるだろう。

 太陽は地球より100万倍も大きい、アルクトウルス星はその太陽より100倍も大きく、そしてニューヨークとロンドンを20分の1秒もかからずに往復する速さの光でもそこから地球に来るには2世紀もかかる――これらの事実は小学生も知っている。しかしこの裸の事実はまさに恐怖さえ起こさせる事実のはずである。

 地球は他の星から見れば眼にも入らないゴミくずみたいなもの、我々がその上に住んでいる世界は無数の同じような星の大群の中のほんの1つにすぎない―といった事実は街、汽車、役所といった慣れ切ったものに基礎をおいた存在に対する展望のとるに足りなさを実感させ、日常的経験と窮極的現実との間の比率の感覚を教えるものであろう。ヨーロッパ全体の大問題といえども。それは結局、蟻のわずらい、太陽の100万倍の100万倍の光の輝く光輝の中では......。 ということになるだろう。 しかし、また人間の魂は個々の個人にとって無限の価値、至上の重大さを持つものとして理解されねばならない。そしてまた、存在の可能性を狭く限ることからそれを広く拡げることはもう1つの重要なことである。物質的存在の多様さ、多面性、壮大さは人間の心をいじけさせるものではない。存在の可能性を拡げることは人間ドラマの演じられる舞台を、輝やかしいものとし、そして拡大し、我々にとって如何に大きな可能性の世界が常に存在しているかについて、常に心の用意をさせることになるはずである。

 我々がそのような可能性の世界についてほんのわずかしか知らないということは何物をも証明する役に立つものでない―たとえば全ての眼に見える世界の存在、宇宙の存在の途方もない多様さについて我々がどんなに盲目であるかが何と容易にわかることだろう。昼間の仕事が終わるまで、我々の大きな星(太陽のこと)が地平の彼方にその姿を没するまで、そして夜の空が晴れわたっている時でなければ、そのような時以外には物質宇宙の壮麗ささえ我々の注意を惹くことはないではないか。いやその時でさえ、地上の大気がもう少し濃かったとすれば人間は地上の世界以外のどんな世界の存在にも気付くことはなかったに相違ない。こんな状況下―それを逃れることは難しいーのもとで人間の宇宙に対する概念は不幸にも如何に貧弱で狭く限られたものとなっているのか、我々が我々の置かれた状況、環境は宇宙にありうるどんな存在に対してもそれを知る手がかりをすでに我々に与えていると馬鹿な想像をするのならともかく、そうでなければ、不幸にも貧弱で限られたもの、という言葉は宇宙に対する人間の概念の本当の姿なのだと私は言いたい。そしてこれはほとんどためらいなく事実の導く所へどこへでも従っていこうとしてきた人々の概念さえそれは同じなのである。

 科学、歴史、文学のどの分野の研究者のグループにせよ、もし彼らがすでに確立され組織立てられた知識の体系に基づいて彼らの視界に入ってくる――その視界は私に言わせれば半分は盲目なものの視界だが――事実について唱導し、存在の限界、ありそうに考えられる境界に関しては根拠のないせま苦しい考えを持っていて、それを自分らの物事をはかる地平線としているとすれば、そのことは嘆かなければならない事実である。これらの研究者は自分らの勤勉さ、精緻な今までの実績を自賛する一方、我々が他の分野の人々とも手を組んで上げてきた成果に対し不平の合唱を浴せるだけなのである。

 しかし、この種の不当でネガティブな傾向を持った考えは我々の知らないものではない。 それは1つにはいまは確証された真実の美しい骨格となっているものの回りに寄生虫的にまつわり付いて真の姿をくらましてきた過去の残り滓をきれいに取払い、その真実の姿を明らかにしてきた今までの先人たちの業績に対する信頼から、そして1つには戦闘的な偶像破壊者からの防衛の情熱から生まれているのである。

 ダーウィン主義者やその系統の仮説の成功は科学畑の人間だけでなく歴史とか神学とかの研究者をさえ事実に対する過度の信頼、不適当な評価へと導く傾向を持ってきた。そこでこんなことさえ言われよう―私は『ダーウィンと近代科学』という本から引用するのだが―「科学的唯物主義の時代はもっとも事実からは遠い時代であった。そして科学の時代は逆に根気強い探求を もっとも拒否する時代であった」私はこれほど極端には考えない。この説には誇張のきらいがある。しかし、彼ら自身強固なドグマと先入観の中にがっちり身を固めて戦闘的な姿勢をとっている生き残りの科学的唯物主義には嘆くべき傾向があるのは確かなのである。彼らはこの大して堅固でない城を素直に観察され記録された事実に対する防壁だと見なし、そればかりでなくその城を反対の立場の者を打くだくための砦にもしようとしているのである。

 

 

 超常交信 (死者との交信) の方法

 心は他の心に対してどのようにして心を伝えるのか? 私たちが使いなれている方法は奇妙にも一様に間接的な方法ばかりである。 スピーチ(話すこと)は頭脳と神経の統制のもとに口の筋肉を動かして空気の中に濃い薄いの波を作り出すことであり、これは表面的に見れば池の表面に波紋が広がって行くように広がって行く。空気の波はそれ自身としては何も心理的な意味を含んでいるものでなく、池の中の水の波紋と同様に単純にメカニックなものであるにすぎない。ただちょうどレコードの表面に刻まれた波紋のように池の波絞よりは一工夫がこらしてあるのだが これはその中に含まれているコード (通信の信号)の働きである。しかし、このコードは喩えてみれば人が外国語を習う時に感ずるような抵抗なしには習うことができない。音波はある点では無線通信の発信装置によってそこに発生させられる波とよく似ていて同一のカバー領域をもった受信装置に感受され、人工的に作られたコードを伝えるのである。

 聞くことは神経の末端を刺激するのに適したメカニズムによっていま述べた空気の波を受取り、最後には脳の中の聴取センターに影響を与え、そして発信者が意図したと同じ意識にその刺激を飜訳させることである。すべてのプロセスはそのために用意されている生理的メカニズムによってあまりに速く、簡単になされるためにこのような間接的で驚嘆に価するプロセスは普通はさして注意されずにいるのである。そしてあまりになじみの深いごくあたり前のこととされている。無線通信はこれに比べてもう少しびっくりさせるところもあり、なじみのあるものでもないために人の注意を少しは余計に惹くというわけである。

 紙の上の何かの印を媒介とする「書くこと」「読むことは」空気の代りにそれらの道具を、耳の代りに眼を使うだけで、書かれたものが読まれる時にはそれは頭の中では音で聞いた時と同じに解釈されている。書く、読むの場合はその伝達方法が奇妙なまでに人工的でこみいった間接さをもっていて、書く読むの間、つまり発信、受信の間にはどんなに長い時間の経過―たとえ数世紀でも―も有り得る。

 絵画や音楽でもこれは同様である。一方では絵の具のアレンジが、一方ではメカニックな手段によって作り出された手の込んだ振動が画家と鑑賞者、作曲者と聴衆、もっと一般化していえば発信者と受信者の間に意識を伝達するのである。

 このように間接的でメカニックな方法で伝達されたり蓄積されたりする考えや感情が受信者の心に間違いのない確かさで影響を及ぼすことは経験の証明する事実である。しかし物質の中に蓄積されたものがこのように純粋にサイキック(精神的)な効果を作り出すということは、心の持つ能力、心に前もって知られていた前の経験ということを除外しては説明できるものでない。物質の領域、物質という術語だけをもってしてはどんな心意的な影響も説明することはできない。

 物質は心と心の通信の間接的な仲介者であるだけだから物質による物理的メカニズムの仲介なしにも心と心の間にテレパシー的な直接的交信があってもそれは驚くにはあたらないのである。 それは確かに証明されねばならないことではあるが、その事実は我々があまり慣れっこになっている事実に比較してそれ以上に我々を困惑させるものでもない。

 なぜテレパシーは我々になじみのないものなのか? テレパシーはなぜ例外的で時折の通信方法にしか見えないのか? それは多分ベルグソンがいったように今のように通信方法がメカニックで物理的なものに限られている方が、我々人類の現在の発展段階においては有利な点があるからであろう。なぜならこれは人間の筋肉によるコントロールが効くし、それによって刺激や通信を閉め出すことも可能なものだからだ。我々はこれらの通信から自分たちをたとえメカニックにでなくとも場所的に切離すことも、その領域外に身を置くこともできるからだ テレパシーに対しては我々はこのように身を守ることができない。脳髄の実際的な有要さ、つまり抑制と抽象の力はこのためにあるのであって、狂人ではこの力が欠如しているのである。

 物理的なものは脳を通じてのみ――もしそれが全てなら――意識に達しうる。我々が他の心からのテレパシーを多分に受け入れることが可能としても物理的なものに関してはこれは事実なのである。また逆に脳を通じてのみ我々は意識的な意図を物質的世界に対して作用させうるのである。他の意識あるいは精神的なダイレクトな交信に関しては我々はもし特別に気付かされることがなければ「死んで眠った者」なのである。トランス状態においてはこの逆のことが起き、普通は休眠状態にある能力が起こされ、解放され、ダイレクトな交信がより可能になる。

 ともかくこれはある種の人々には事実なのだ。我々は完全に正気であるが、やや例外的な状態の時には習慣的な脳髄の制約が取払われるか取払われうるというような人々を少数ながら知っている。彼らの心は時には分離された状態でなくなりより、ダイレクトな影響を受取れるようになる。彼らの心の使いなれた部分、いつも習慣的に物質界に働きかけたり働きかけられたりしている部分とは違った部分、心の潜在層とよばれている部分、物理的な物事に普通は使われてない、潜在意識の領域を通じて受け取るのである。

 このような人々、つまり例外的で、本当はごく単純な能力を持っている人々に起こる事象は日常的経験の基盤の上では予期も期待もされる種類のものではない。たとえその存在に対する証拠が集まっており、それが日常的な性質のものではないにしても。また我々がそれらの問題を検討することができ、このようにして受取られた事実に対する説明を批評することができるなら、その不可能を主張する先入観念によってこの事実を否定し、その証拠に立入りその結果を判断することを拒否する態度には何の意味もない。

 かつて自分の抱く信念の崩れるのを恐れて木星の衛星を見ようとしない者があった。またつい先ごろまで、もし、その実験が失敗したら自分の持つ視覚上の理論が覆えるとして光の円錐屈折の実験を見ようとしなかった数学者がいた。 それと同じで、今日、日常普通の領域外の交信様式やそれで得られた事実に対し、それを拒否し、 研究することすら非難する人々がいるのは奇妙なことである。彼らはその否定的偏見を保持するだけの地盤すら自分では持っていないのだからである。 彼らのシステムは他の小さなシステム同様にそれが謳歌される時もあるが、やがては消え去って行く。
 
 我々はそのシステムにあまりに密着しすぎる必要はない。宇宙の事実が我々の思考の対象領域の中に入って来るとすれば、現在の盲目さが如何に驚くべきものでも、我々がそれに困惑させられる必要はない。それに特有の制約を持ちながらなされたものの物質的側面に対する研究は相応の成果を上げてきた。人間の知的探究の分野は単にこれだけの領域内にのみ限られるだけのものではなく、もっと他の領域にも広げうるのである。

 しかし、一方まだ不確実で野心的な領域に対して眼を向けている人々がすでに物質界の領域でなし遂げられた成果に無知で眼が開かれていないなら彼らの主張する新領域への探究、領域の拡大という議論が信頼を受けえないのは止むをえない。そして、彼らが既に確認された自然の他の領域においての知識に関してそのように無知であるとすれば、彼らの前に新しい天地が開かれるということもありそうには思われない。彼らはこの同じチャンネルから同じ様式での情報を得ることはできないだろうからである。このような知識面の分裂、雰囲気の相違、違った態度が2つの異なったグループの間にあったことが――時には同一人物が両グループに属し、2つのグループの空気を吸ったということがあったとしても――相互の理解を遅らせていたのである。どちらのグループにも相手の方法を拒否することで自分たちの立場を強化しようとはかる喧嘩早い人種がいる。だからもし時にウォレスやクルックスのような人間――つまり1人の中に違 った方法でなく同一の方法で得た両方の知識を結合する人間、 彼らの理論は全て科学のグラウンドにおいて実験的探究の方法を通じてのみ正当化されるのである――がいなかったとすれば 新しい領域、そして窮極的には宗教の領域とのボーダーライン上にある、この領域への科学的展望は開かれなかったであろう。

 このような人物の存在が世界に休止符を与え、時に陥りやすい間違いを正し、それを顧みる――それは現在ですら部分的にであるが、受け容れやすいムードを作ったのである。我々は急ぐ必要はない。しかし、この新知識が人々の悲しみを軽減するものとすればその進歩の速いことを願わずにはいられない。そしてまた宇宙についての人間の研究の新しい書が開かれるなら、その初めの章はよく精読されるべき時である。

あるいは私は自分がスピリットと交信しその記録を記録するために使った時間とその労力を全ての親しい者を失った者にも求めているのかと問われるかもしれない。もちろんそんなことはない。私はこの問題の研究者であり、そして研究者は特別な種類の細かな労苦をいとうわけにはいかないものである。私は多くの人々には大まかにあなたは、自分の親しい者が現在も生き続けており、その生に興味をもっていて幸福で有用な生を送っているのだ――彼らはあなた方がもう一度一緒になるまで有用な生を送っているのである――ということを知り、事実として実感すべきだと勧めたいと思う。

 この心を安める確信を得るためにどのようなステップを踏むべきかは個人の問題である。ある人は宗教に慰めを求めよう、ある人は信頼できる人の証言にそれを求めよう、またある人は時に 自分自身の手による直接の体験にそれを求めよう。そして、この直接体験が外部の者の手を借りずに自分1人で静かな瞑想によって、あるいは白日の夢のような雰囲気で得られるとすればそれが一番望ましい。

 人々がするべきでないことは生命の残存の可能性について眼をふさぐことである。そして甲斐のない悲しみに自分を捧げるべきでない。
私はもっと広く確証された、すでに存在するシステムと結合されるなら、今までとは違う領域の活動によって探究され、信仰の領域の問題とされてきた世界にも新しい知識は関連を持ち、 その領域にも影響を与えることを示唆してきた。それなら、この科学の新領域の拡張は宗教の領 域では歓迎されるものになるか否か? 確かに私が1つの探究様式によって導かれてきた結論は もっとも眼の開けた神学者たちの達した結論と対立するものではない。しかし私は過去から伝えられてきた教会の哲学には心霊問題の研究者はほとんど同感を感ずる者でないことを告白せねば ならない。実は彼等は、それらの哲学はもっと高い、ベターな知識に取って代わられ自然に消滅するだろうと考えるゆえに、それら教会の哲学を攻撃することをしないだけなのである。
教会関係者はこのような問題を世俗の方法によって探究することを公式に非難する。そしてこの方法で得られた結果にいい顔をしないものである。

 

 

 
 超常交信の内容

 スピリット界との超常的な交信に対する確信に対し 現在の科学の世界がどんな受けとり方をしようが、それには一向に関係なく自身の直接的な体験によって2つの世界の境界――もしそれが存在するなら――を距てて交信が可能だということを知っている人々は数多い。その二つの世界とは我々が動物としての本当にわずかな感覚によって把握している世界と我々の知識がまだまだ限られたものでしかないより大きな存在の世界である。

 交信は容易ではない、しかし可能である。そして我々は自分自身そのような能力の所有を自覚し、交信の仲介者として我々の役に立ってくれる少数の人々に感謝すべきである。我々の知識の領域を拡大し、我々を単なる動物的領域を超えた世界の物事と関係を持ちうるようにしてくれるこれらの能力は他の何らかの能力と同じように濫用され悪用されることも ある。この能力は単なる興味本位とか現世的で価値のない目的、利己的な目的のために歪めた利用のされ方がなされうるのは他の知識の場合と同様である。

 しかし、それは悲しみにくれた者、親しい者と死別した者を慰め、愛情の絆を死によって表面的には越ええないと見られている障壁によって一時的に断たれた者の間にそれを取戻すというシリアスで敬虔な目的のためにもむろん利用されうる。障壁は最後には絶望的に頑強なものでもないということが明らかになる。両方の国の間の交信は人が考えているほどに不可能なものではない。交信に関連して両方の側から何かのことが学ばれうる。そして次第に首肯しうる統一のある知識がたくさんに集積されていくように考えられる。

 死によって断たれた愛情の絆の回復がまず交信の第一の目的となる。交信の初期の段階において死者は生者に対して人格の死後の残存を確信させ、変化した状況が決して両者の間の愛情を弱めたり記憶を破壊したりするものでないことを実感させ、残された者の幸福は死別によって取返しのつかないように打壊されるものでないことを頑固なまでに強調するのに力を尽くす。この目的のために親兄弟や友人にどのメディアムを通じて交信しているにせよ、その他界の通信者が他の者ではない1個の特別な関係の知性的存在であることを確信させるのに適した細かな些細な物事や事件が呼び起こされてくる。このようなメッセージはそれまでこのことに 無関心で知識を持たなかった人々をただちに信じる気にならせるものであることがしばしばなのである。

 しかしよく考えるとそこに難題と疑いが生じてくる。生者とのノーマルなテレパシーとか、その心を読む読心術とかの可能性が認識されるにつれ、それらのメッセージを争う余地のない死者の人格の残存の証拠と見なすことに躊躇が生ずる――これはもっとも真剣な研究者、考え深い人によって起こされる疑いである。そして、これらの奇妙で思いがけない種類の、そしておそらくは気取った疑いを打ち壊すためには、そこにいる人々の誰にも知られていなくて後から確かめうるといった種類の事実が与えられることが要求される。このような時たまで例外的な交信 内容は心霊問題の研究者には、やや特殊な言い方で、evidential(証拠立てられたもの) と呼ばれている。そして、これが相応な受取られ方と批評的吟味を経た評価を得るには時間とおそらくはある種の幸運も必要になる。なぜなら、2人の友人の間でのせわしない会話で最もよく語られる事柄は大概は双方にとって、共通の話題であって双方の知識の中にある問題についてだからである。クロス・コレスポンデンスの手の込んで入念な方式が発展したのは心霊調査協会の特に経験豊富で、批評的探究家たちの死後においてであった。彼らはこの問題の困難さをよく知っておりこれらの困難を打ち砕きすでに十分強力な証拠力を持つものとなっている証拠を完璧で最終的に決定的なものにするための強力で巧妙な方法をとったのである。

 大概のケースではこれほどこみ入った、また血も凍りかねないような完璧な証拠は生じもしなければ必要でもない。これらはまさに専門的研究者以外には吟味もできないし理解もできないほどのものなのである。大ていのケースで効果的な証拠はその残存する者の人格如何に応じて違う種類の様々なものとなる。しばしば得られる証拠は他の者では伝えようのないちょっとしたその者独特の如何にもその者らしい人柄を示す小さな感触であって、これは十分な説得力があり、当然誰でも持つような懐疑の最後の残り滓を打砕く力を持っている。これ以上のものは その人の訓練とか関心の如何にかかっているといえる。

 この点において多くの、科学的探究の形をとった探究がなされ交信は普通の考えの情緒的あるいは家族的インターチェンジの中へ分解されていく。しかし数は多くないが新しい情報を与える要求が起こったケースもある。そして十分な愛情がある時、これが重要なことなのであるがありふれたメッセージ以上のどんなメッセージに対しても有能で適切なミディアム能力を持つミディアムがいる場合には、インストラクティブでジェネラルな情報がもたらされうるのである。たとえば他界の者の側から見た交信の方法はどのようなものなのかといった説明や概要、他界の生存の様子に関する情報、時には人間の宗教的信仰上の概念を受入れる困難さを減少させるべき知的試み、そして全体としての宇宙に関するより広い知識を与える試み――これらの試みが全てなされた。しかし他界の彼らの知識は我々より少しも広くはない、彼らも未だ誤りに陥り易く真理を手探りする者にすぎない、その真理に彼らは美と重要さを強く感じそれが無限のものであると実感するが、彼らの精神上の把握能力は地上の我々のものと同じく不十分なものであるなどと彼ら自身言い張っているのである。

 我々が 確かめ得ない。交信と呼ぶものがある。なぜなら、我々はそのことについて 他界の彼らを我々がパーソナルなこととか世俗的なことの場合にやるような方法では地上の証言台に寄び出して証言を求めることができないからである。非常に高尚崇高な情報がもたらされることがしばしばあるが、これらはめったに本などに公表されることはない。その理由はこれらのことにどれだけの価値を与えるべきか、どれだけ信頼すべきかを判断することが難しいからである。

 しかし私はこの問題の真面目な研究者の増加を見るにつけ、いまや専門的に確かめられない“こと”と呼ばれている事項について討議したりする時期が到来していると思いつつある。これらの事柄をそれ自身の中にある一貫性、統一性とかいった点を基準にしてちょうどベルグソンの言うように“旅人の物語” を検討し検査する場合のように検査し検討するためにである。しかし 人間が全体として最初の一歩を踏み出し、これらの交信内容がありうることの範囲内のものとして認められるようになるまでは、あまりに野心的な方向へ深入りするのは賢明ではないとも思う。

 しかし、哲学的な立場からは人格の死後の残存はより厳格には過去の復活(過去の記憶という意味)よりむしろ“旅人の物語”を検査する立場に立っての検査、照合に最終的な証拠のより所を求めるべきだということは示唆されてきた。なぜなら我々が記憶というものについてもっとよく知るまでは確かベルグソンが言ったのだと思うが全ての過去は超潜在意識的な能力によっては掘り起こされることのできるものだと想像することも可能だからである。そこで人は明らかに個人的な回想の記録というものにぶつかった時には懐疑的な態度で、それをこの能力の無意識的な働きのせいにしテニソンにならって「風が過去の記憶を囁くのが聞こえる」と言うかも知れないのである。

 しかし私はこの個人を超える記憶というものを承服すべき仮説とは思わない。私はもっと単純な見方の方が本当なもののように思う。そこで私は小さな取るに足りない事項の記憶とか個人の性格を示す感触とかに重要性を認めるのである。しかしそれでも私はこのような確証できないこと、を記録し公刊するのを控えることが、比喩的な言い方ではあるが、誤った情報を知らされる人々を作り出す働きをする、つまりほとんどこの種のことに経験を持たない人々を他界との交信は全て取るに足りないつまらない性質のものばかりなのだという結論に簡単に飛び付く人にしてしまうという言い分には反対するものではない。

 

 

 

 超常交信に対する疑問に答える

 サイキックな交信で伝えられる交信内容は全てとるに足りないことがら、無意味な話題ばかりだという議論が事実に基づかない虚偽の議論だということは前の項でも述べた。この議論が全く事実でないことはサイキックな交信について経験を持つ者には誰にでもよく知られていることなのだが、私はこの項ではこの議論に関して述べることにする。

 サイキックな交信で伝えられる細かな“とるに足りない事柄”は実は人格の残存を証拠立てるための最も有力な証拠であって、人格の残存を証拠立て、その死後人格の人物が間違いなくその者であることを生者に確信させるという大きな目的のための手段となっていることが強調されねばならない。サイキックの入門者や口やかましい批評家連中は記憶され易く、確証のし易い事項を当然のこととして欲する。そしてこれらの事項が有効なものであるためには、それが多くの人の知っているような公共的ニュースだとか、自伝的記録を見ればすぐわかるようなことであってはならない。そこで彼ら(残存人格)は決まったように記憶の片隅にあるようなささいな家庭内のことやユーモラスなエピソードなどを話す。このような事柄は彼と関係のあった人々には愛情のこもった記憶とともに決してつまらぬこととは考えられないし、それが動機となってこの種の事項が交信の中で“再生”されるわけだ。

 以上のような特別な目的のためには“とるに足りぬ事柄”は歓迎すべきものであり、これらの事項によって証拠立てられる事柄は決してつまらないことなどではない。死んだ友人はつねに重大な事柄にのみ専心すべきであってジョークやいたずらを憶えているのは怪しからんなどという考えは全くいわれのない勝手な要求であってそれは捨てさらねばならない考えなのである。ユーモアは地上の生活から決してて姿を消すものではないとすれば、なぜ、あの世でもそうであってはいけないのか?

 交信で伝えられる深刻で重大な事柄は、たとえそれ自体としての価値もあり興味も惹くものではあっても同一人物性を証拠立てるためには取るに足らぬことの方が役に立つのである。しかし、これら重大事は交信の最初のステップ――つまり確かめうる事柄によっての同一人物性の認識 ――がなされるまでは決して交信の中に出てこないということは興味のあることである。というのは重大事は原則として本質的に確証できない性質のものだからだ。これら重大事の記録は今まで非常にたくさん集められている。私はランダムにその中の1つを選んでこの後で紹介しよう。それは自動書記の記録でその人はケンブリッジ大学のカレッジの校長でサイキック研究の中ではM・A・オックセンとして知られている。ここに紹介する記録は彼が無意識下で自動書記したもので「霊の教え」という名で本になっているものからの抜粋である。


 
 『オックセンの記録』

 あなたがたは宗教がいままで人類の上になしてきたこと、それから我らが人間の願い、渇望について説くことの正しさについてほとんど理解していない。あなた方は今のあなた方の状況、考えの様式の中でははっきりとは分らないことについて気付かねばならぬ。あなたがたは、我々にわかっているようには、今まで未来に関して人間が何も知らなかったという不注意ぶりだった ことに気付かない。人間の未来につき考えたことのある者たちは、「それについては何も分らない」という結論に至っただけだった。また、それ以外には未来につき人間が判ったとして述べられた言説は全て馬鹿馬鹿しく、矛盾だらけで不満足なものだったということを知っただけである。彼の理性は彼に神の啓示はただその起源を人間の中に持っているだけだと分からせた。そしてまた理性は啓示の尺度にならぬ、 理性は探究のとば口の役目をするのみでやがては信仰にとって代わられるとする宗教的フィクションはバイブルの中にごちゃごちゃと入っている誤りと矛盾を発見することが人間にできなくするために巧みに仕組まれた狡猾な企みだと解らせた。

 理性で考える者はそれをすぐ見出す。だがそうせぬ者は「信仰」(霊の信仰という意味らしい=訳者)を拒み盲信の者、非理性的狂信者、こちこちのこり固りになって彼の教えられてきた溝の中に入り込んだままだ。そして彼らはそれ以外のことを考えようともしないいう単純な理由によってこの溝から抜け出ることができぬ。人間は宗教について考えてはいかぬ、信ぜよ という説教ほど人間の心を歪め、精神の成長をいじけさせる方策は他にあるものではない。これは全ての自由を麻痺させ精神の起ち上がるのを不可能にする。精神は伝統的宗教――それが人間にとって正しい か正しくないかに関せず――に圧服されている。太古の祖先にとって適していた宗教は他の時に生を送る魂にとって適していると限らない。霊の生活もその生まれと地域の如何で左右される。これは彼がキリスト者、回教徒、異教徒、グレイト・スピリット(北米インディアンの守護神)の徒、孔子の徒であろうと彼のどうにもできぬことだ。

 だが、いまやその地理的宗派心はもっと開けた我々の啓示にとって代わられるべき時は来たのだ。人類はあなたがた自身が考えている以上にもはやそれに適する段階に来ているのだ。スピリテュアリズムの至高の真理――それが高貴なるものか理性的なるものかは見る者の判断だ―が神の地上から宗教的宗派心、神学的苛酷さ、怒りや悪意、愚行や蒙昧、宗教の名において宗教を汚してきたこれらの一切を放遂する時は来たのだ。人間は明光の中に至高の創造者と霊の永遠なる運命をほどなく見よう。
我れ汝に告げん。時はすぐ近くに来たのだ、無知の闇は去って行く、宗教屋が人々にはめた手枷足枷は破られる。汝は知るに違いない。死者は地上にあった時と同様に生き、汝らに断ち切られることのない愛をもって力を貸し与えていることを!(以下略)

 これらの真面目なメッセージはどれもこれも敵意と疑惑をもって指弾することもできるものであろう。これらはいずれも残存人格の第一前提を確証するには適しないものばかりである。もしこれらのメッセージが残存人格の証拠の一部としてでも提出されることがあるとすればそれには敵意をもって指弾する側の方がおそらくは正当であろう。これらのメッセージが口で話す形で受取られたのでないことは確かであり、またそのミディアムの才能、能力などを遥かに超えたものとして受取られたのでもないことは確かである。この種メッセージはしばしば受信するミデ ィアムの能力の範囲を超えたものとして受信され、また、その送信者(スピリット)と想像される者を我々が知っている場合には非常にしばしばその死者の性格的特徴を表わしているケ ースが多いのだが、いま引用したケースについてはそのどちらもあてはまらない。ただし、どんな種類のメッセージでも、これらのメッセージの送信されてくるチャンネルによって多少の変型を受け、また多少にかかわらず交信が緊張したものになったり、また受信者の能力の限界や不完全さのために元のものとは幾分か違ったものになるのは避け難い。

 しかし、それはそれとして、ここに引用したような例は時には紹介するほうが適切だと私は思う。それはそのメッセージが特別に深いことをいっているという理由のためではなく、自動書記とかミディアムの口から話されることは決まって無意味でつまらないことばかりだという単なる想像に基づく間違った説に対する反証としてだけの理由によってである。このようなメッセー ジは――どのような価値がそれにあるか、また逆にどんなに価値がないかということとは関係なしに――いま述べたような根拠のない無知な偏見に対しての強力な反証であることは明白であろう。この種のメッセージをどんなふうに人々が考えようとも、これらは誠実な気持で、宗教的と呼んでよい真摯な気持と熱情を持って受取られているのである。

 さっき引用したオックセンの自動書記の後半には彼自身の神学上の疑問や困惑、またこの自動書記自体に対する懐疑も出てくるのである。長くなり過ぎるので引用はしない。しかし、このようなメッセージに関してもっとも悪くいえば、それはミディアム自身が意識的か無意識的かは問わないが、教会の説教集かなんかを読めば自分で創作してしまうことだってできるということである。そして、ミディアムはこの議論に対してある点ではそれを認める傾向もあるのだということだ。つまりこれらのメッセージは普通の夢の中に出てくる思いがけないメッセージと大して違わない種類のものでもありうるということになる。この種のメッセージを受取ることと夢の2つの現象に関しては同じ説明もなされうる訳である。ただし私はその説明はどのようになされるべきなのかということに関しては何も分からない。

 

 

 超常交信の実際

 超常的交信の方法のうちもっとも一般的で易しくもあるのは自動書記といわれる方法である。 前に引用したオックセンのメッセージもこの方法によって得られたものである。自動書記は「無意識の知性 を通じてなされるものである――これを行う者は自分の手を自由にしていてどんなメッセージがやって来ようがそれをそのままに書き出し、メッセージをコントロール しようとか、何が書かれるかなどといったことに特別の心構えをしたりすることなく書き出すのである。 自動書記でもこれを初めてやる者などは普通何を書き得ないし、単なる無意味な殴り書きか何かになってしまう。もっとも注目すべきことは、ある種の人々はこの方法によって意味のあることを受信し、自分らの通常の知覚範囲を超えた情報源への扉を開くことができるという事実である。もしこの能力に基本原理というものが存在するとすれば、それは常に期待できるとは 限らないが多分、開発することも可能であろう。ただ、この能力の利用には注意力、根気、知性 が要求されはする。人がもしバランスのとれた精神、自己反省能力を持ち、その上これにフルに専心するのでなければ、それはしないほうがよい。
 
 もう少し程度の高い自動書記になると自動書記者は自分の所へやってきた情報を読み、それに対し口頭で適切な答えやコメントをする。そこで結果として一方の側が話し、一方が書くといった形で全体が一貫した会話となるのである。 ――大ていは話す側はむしろ口数少なく書く方は 自由にフルに書くという形で。
この専門的に自動書記と呼ばれている、潜在意識下の活動の単純な形態を開発することは自然には誰にもできるというわけではないが、おそらくやってみれば、比較的多くの人にも可能なのだとは思われる。ただしある人々にはこのようなことをするのは賢明でもないし、するに価しないことではあろうが。

 このプロセスの中で情報を仲介する役目を果たすメンタルな資質は普段は意識の下に眠っている夢のそれに似た意識の層だと考えられる。手はおそらくは普通の生理的なメカニズムに従って動いているのであるが、ただこれを動かしているのは普通に意識して使われている部分とは別の脳の場所にある神経中枢なのである。あるケースでは書き出されるものの内容や題目はこの中枢から流れ出たものばかりで、これは夢以上に価値のあるものではない。しばしば、もっと初歩的な自動書記用具で初心者に使用されるプランシェットとかオージャといわれる道具を使っての自動書記は大ていは、このようなものである。しかしメッセージが“証拠力のある”ものになる時には、それは、今言った自動書記者の潜在意識的な部分がテレパシー的な、あるいは何か他の仕方でかは兎も角として、他の別個で通常的には交流の可能なはずはない知性的存在と接触をするからだと考えられる――その他の知性的存在とは遠く離れた地にいる生きた人間と か、あるいはもっとしばしばはそれよりも接触し易い死者の残存人格なのである。死者の残存人 格のほうが遠くの生者より接触し易い理由は、前者の場合には普通にいう意味での距離というも のはほとんど存在せず、その者の他者との関係の持ち方は空間というものとは違ったものである ためである。この種の交信の存在は証明されねばならないということはむろんいう必要もないことである。しかし経験はそれを証明する完全な証拠は日々いくらでも集まっていることを示して いるのである。

 次にもっと強力な交信方法には、自動書記者が自分の身体組織を通じてもたらされる情報に 完全に注意を払わなくなってしまうだけでなくて、はっきりと無意識に、トランス状態になって行なう交信である。このケースでは彼の生理的メカニズムはもっとコントロールに従い易くなり、彼のノーマルな知性によって歪められることが少なくなる。その結果、より重要性とプライバシーを含んだメッセージが伝えられるようになる。しかしメッセージは他の者によって受取られ、他の者がそれに従いて行く必要が生ずる。というのはこのケースになるとトランスが真正であればその状態に陥った者はそれから醒めたときには書いたり、言ったりしたことを全く記憶していないからである。
 
 この状態ではスピーチが書くことと同じように一般的なものになってくる。いやスピーチの方がむしろより一般的になる。それはそのほうが受信者、つまりメッセージが送られてくる対象になる友人や親兄弟などにとってより受け取り易く面倒が少ないから であろう。トランス状態の時に通信を送ってくる送信者はトランスでない状態で自動書記者の手を動かして送信してくる人格と多分同じ人格であろう。そして送信の全体的な性格もやはり同じ性格のものなのである。この時、意識は完全に死んでいるわけでなく一時的に部分的に休止して いるのである。トランス状態の時には普通コントロールと呼ばれる1つの人格が登場してきて非常にドラマティックなものとなる。コントロールはミディアムの肉体をその通常の “所有者”による支配が明らかに休止してしまった状態の中で支配し使うのである。つまりコントロールがミディアムの肉体の主人公としてその本来の“所有者”にとって代わるわけである。このコントロ ールという特異な人格についてはトランス状態に陥っている人間の潜在意識的な自我であり、それがしばしの間、夢の中のように表面に現れてきて解放されドラマ化されたものにすぎないという説もある。

 また、医者や精神病医たちには2重人格ないしは多重人格として知られている多かれ少なかれ病的な現象に基づく人格の変種であって、健康で管理も可能な1つの人格なのだとする説も言われる。しかし、また完全な別個の知性、別個の人格として十分な実在性を持ったものであってミディアムの人格や精神の中にあるものでないとする人々もある。 しかしこの問題に関しては如何に多くの異った意見が過去にも唱えられたり書かれたりし、これからもされえようとも広く認められているのはコントロールのドラマティックな外観は疑いなく別の人格――そして他界の側に存在する者であって、ミディアムが我々人間界で果たしている役割と同じ役割を他界の側で果たしている者だろうということである。ミディアムをコントロールし、メッセージを伝えるのは彼に課された1つの義務のように見える―それを喋るのが彼の仕事なのだ。コントロールの持っているドラマティックな性格は非常に生き生きしていて 統一された人格を示す。

 そこで彼らの本当の性質は何なのかということについてシッティングの参加者や実験者が感ずるものがどのようなものであり、またそれが本当であったとしても彼らの気嫌をとるもっとも素直なやり方は彼らを額面どおりに評価、別個の人格、責任能力も実在性も ある真の人格として取扱うことなのである。確かに一部のメディアムの場合、とくに彼が疲れたりしている時にはコントロールは消えやすかったり、また逆にとても出しゃばり振りを発揮したりすることがしばしばある。だが、これはさほど重大視すべきでもない。コントロールを本当の人間のように取扱うことは確かに滑稽であろう。しかし真面目なコントロールは彼ら自身の性格、人格、記憶などを持っていて、また人が時々に会って話をかわす相手のようにちゃんとした人格の継続性を持っているように思われるのである。彼らは中途で止めた話を次の機会 にはその次の所から始めるし、会話で言われたことは相応なコントロールなら実によく記憶している。しかも、その一方同じミディアムが複数のコントロールを持つ場合、同じメディアムの コントロールでも他のコントロールはそのことを記憶していないが、これはむしろ自然で当然のことというべきであろう。そしてミディアム自身はトランスから醒めた時にはこんなことは一切知らないのである。

 最良のケースではコントロールの持っている人格性は非常にはっきりしたものであり、また同時に彼が親切に伝えてくれる他界の送信者のメッセージも極めて明瞭なものであるため、彼らは実在の人格であるとするこれらのスピリットの送信者の断言を受け容れたくなる。そしてコントロールを束の間の気まぐれな人格化現象などでなく、我々の側でメディアムと呼ばれている人間と同じ種類のもので向う側に住んでいる者なのだと考えたくなるのである。

 普通の交信のプロセスには――ひどい悲しみを味わっている者に時に特権的に恵まれるもっと 直接的なケースを別にすれば――通信のための仲介者が2人、それと幾人かの、人物が含まれるのが一般的である。まず初めに他界側の考えやメッセージの送信者ないしは発案者。そしてメッセージを受け取りこれを伝達するコントロール。彼はその交信の間、自分に貸し与えられた生的組織(ミディアムの肉体のこと)を「オン」 (送信中の状態) にセットすることで今のことをやるのである。そしてもう1人はミディアム。受信中は彼のノーマルな意識は休眠して生理的組織だけが利用される。そして最後にシッター(シッティングの出席者)――何やら奇妙な名前だが――彼はメッセージの受信者であり、メッセージを読むか聞くかして、それに答えたりするが、この送受信の一連のシステムは彼のために 設置されるのである。このほか多くの場合に筆記者がシッティングに出席する。

 科学的な実験やその他より細心の配慮が必要な場合には、このほかに経験の豊かな実験者という者も出席する。彼の役目はこの一連の送受信システムに眼を配り、その設営をし、またミディアムの健康などにも注意したりすることである。
それからこれは、超常通信になれない人には興味もなく理解もされにくいことだが、他界の送信者がプライベートなことを送信しようとするときにもミディアム――つまり我々の側の交信の仲介者――の存在は送信者にとってほとんど、あるいは全く邪魔にはならないということである。ミディアムはいないものとみなされ、実際に送信中は彼は一時的に存在しないのである。これに対し、他界の送信者に時にまず初めに嫌われるのはコントロール――つまり他界側の知性的存在――ちょうど文盲の人の恋文を代筆してやるためにそこに控えている東洋の書記のような存在で他界のメッセージを受け取りこれを伝える役割の存在――なのである。

 また真に信頼すべき種類のコントロールは実在の人格なのだと考えさせるケースは時々、ある程度の経験を経た他界の送信者が彼自身でミディアムをコントロールする場合である。この時、送信者は第一人称で語るべき事柄を第一人称で語るだけでなく、時には、その語る事柄に合った人称で語るのであって、その上彼の生前に持っていた性格的特徴もその中に出てくるのである。そこで、もし1人のコントロールが実在の人格であるとすれば私には他のコントロールはそうではないと否定する理由は見出せない。私は声の調子、文字の書きっぷりなどがしばしばこのように再現されるとはいえない――確かにそのようなことは特別な努力によってほんの短い時間だけ起こることはあるけれども。しかし、他の時間に見られたり、聞かれたりする残存人格本人の声や文字との相違は、交信に使われる生理的組織がミディアムという別人のものだということで説明はできる。またこれらとは別に性格上の細かな特徴、マナーの感触、態度といったものはそのメディアムが送信者本人を知らなくてもしばしば多かれ少なかれ忠実に再現されるのである。また送信者本人がミディアムをコントロールする場合には、コントロールがそれをやる場合に比べてメッセージの性格的特徴、話される話題などはより一層本人らしさの目立ったものになるのである。


 

 サイコ・フィジックの方法

 私は理論化の困難さという逆毛を立てているけれども、手を付ける必要のある1つの風変りな 問題を避けて通るわけには行かない。それはごくノーマルな通信のもっとも初歩的方法の基本原理でもあり、この方法は多くの人々がそれから始めるのがもっとも簡単だ としているものである。
手で鉛筆を持つ代りにものを書くには適しないもう少し大きな木片の上に手を置くことによってもある種の通信をすることはできる。この場合、木片の動きは雑であり通信用コードは初歩的なものにはなる。しかしその手順、やり方を分析してみれば基本的な原理として本質的には鉛筆でものを書くのと違いがあるわけではない。それは信号を送ったり旗を振ったりする信号機の腕とよく似たものだと言える。しかしメンタルな活動力を物質、ものの動きに変えるための方策は意識的な行動の場合と同様に潜在意識的な行動にもちゃんと役に立つのである。テーブルをティルトさせることによって送るメッセージは粗雑で初歩的なものではあっても、ちょっと見た時にそう思われるほどには本当は驚くほどのものでも馬鹿げたものでもない。

 無線通信の送信用キィの動かし方はテーブル・ティルトよりもっと限られたものであるが、それでも役に立つ。ペンや鉛筆は指によって動かされる生命のない物質の一片なのである。プランシェットはただの木片であるが、手を触れるときには筋肉の動きによって動かされているものと推定される――生命のない木片が何らの筋肉の動きの仲介なしにダイレクトに動かされているかのような、ちょうど水脈探査人の小枝の場合と同じような錯覚がしばしばなされているが......。そこで我々はテーブルや他の家具もノーマルな筋肉の力によって ティルトされるのだと推測することができよう。それはメディアムやシッティングの参加者などそこにいる者のエネルギー以外のものによっては動かされるはずはないのである。しかし、この場合にはテーブルのティルトによって伝えられるメッセージはテーブルに手を触れている者の意識の範囲には属さないものなのである。そこでメッセージに意味と適切さを与える指令はその人々自身の意識によってなされてはいないこと になる。

 テーブルその他の道具が使われる時には他界の送信者は他界側の仲介者ーコントロール― を通じて送信する時よりももっと直接的にシッターと接触しているように感じると言っている。 そしてこのため彼らはよりプライベートなメッセージを伝えることができ、また名前とか特殊な言葉とかをずっと容易にずっと正確に伝えることができることを発見する。この方法で言葉を書 き出すのは非常に遅い速度でなければできない―それは書くことより遅い―この点でこれは 大きな弱点を持っているのだが、ある点ではそれを相殺する利点もあるのである。

 この方法が信ずべきものに思われようが、思われなかろうが、ともかくそれは驚いていいこ とではある。私は物がこの方法でコントロールされた時は、その物は情緒的感触や声の抑揚に比べていいものまでを非常に見事に伝えることができるのだと証言して差支えない。無線通信の送信用キィはこれに比較するとその動きの範囲ははるかに限られていてオンとオフのぎくしゃくした動き方で作動するだけである。これに反し、コントロールされた時の軽いテーブルはもはや生命のないものとは見えず、生き物のように行動する。しばしの間それは生命を持っているのである――どこか腕の確かな音楽家によって生命を吹き込まれ、彼の意思に従うように訓練させられたピアノやヴァイオリンのようにである――そして、このようにして得られたドラマティックな動きにはまさに注目すべきものがある。それはためらいや確信を表し、情報を探し、それを伝え、答えの前には明らかに考え、新来者に歓迎の挨拶をし、喜びや悲しみを示し、楽しさや壮重さを表し、コーラスに加わっているかのように歌に合わせて拍子をとり、そして最も驚くことにきわめて確かな様子で愛情さえ表現するのである。

 自動書記中のミディアムの手はやはりこのような行動をすることができる。また普通の人の身体が情緒を表現することができるのはごくあたり前のことである。これらのものはしかし、他のものより幾分持続的に生命を吹き込まれているとはいえ全て物質の一片であることに変わりはない。だが、全てのものは一時的に生命を吹き込まれているのである――どれ1つとして永久にそうなのではない――そしてそこには両者を明確に区別する境界線があるとは思われない。我々が知らなければならないことは、どんな形の物質、ものといえども魂のエージェントとして行動することができるのだということ、そして物質、ものの助けによって多種多様な情緒も知性も一時的に形を与えられ、外に表現されることができるのだということである。
音楽にはふさわしそうでない品物――たとえば台所道具のようなもの――から初歩的な音楽を作るというのはよく知られた舞台の見せ物である。 今まで考えられなかったかも知れないが、とてもそれにふさわしくなさそうな品物を通信の目的で使うというのも同じカテゴリーに属することである。

 ヴァイオリンから人形芝居の人形までその目的のために作られた品物によって人間の単純な情緒が表現されたり引き出されたりすることを我々は知っている。しかし全く違う他の目的のために作られた品物の中にも同じ種類の可能性が存在していることはいま明らかになった。
テーブル・シッティングは古くからあってむしろ軽く見られてきた娯楽の一種であり、多くの家庭に知られ、また賢明にも捨てて顧られなくなっている。しかし注意深さと沈着さ、真面目な気持をもってこれを交信手段として利用することはできる。サイキック活動のこの初歩的フォーには他のもっと手の込んだ方法よりミディアム的な能力は少ししか必要でないように思われる。

 我々がここではっきりと知り、認めなければならないことが1つある。それはつまりその道具が鉛筆であろうが木片であろうが品物が人の肉体と直接に接触して動かされるときでも全ての場合、無意識的な筋肉の動きがそれをしているのだということである。そしてまた参加者に知られているのか、予期されているような種類の情報がやって来る時にはそれは割引して考えられねばならないということもである。しかしながらメッセージは時に予期されない、人を困らせるような形でやってくる。そして時にそれは彼に知られていない情報をもたらす。その超常的価値 はその通信の内容によって評価されなければならない。

 私はこの本の中ではダイレクト・ヴォイス (直接対話)、 ダイレクト・ライティング(直接書記)とか物質化現象と呼ばれるより人を困惑させるものであり、より直接的で非常に特殊な物理 現象にはふれていない。これらの珍らしくもあり、1つの観点から見ればもっと進んだ段階―― 違う意味から見ればより低い段階のものだが――の現象の中では生命を持たない物質が生理的組織の直接的な介入なしに作動されるように見える。しかし、この場合でも生理的メカニズムはそのすぐ近くに存在しているのに違いない。私はこのような不思議な現象も、もしその本質が確かめられれば、それは私がいま触れた方法の中に吸収されるものだということが明らかになるだろうと考えている。それでも両方のものについてもっとよく解るまでは完全な説明はその2つのもののいずれについても与えられないであろう。私が全ての運動はそれがたとえ直接人が手を触れているものでも筋肉の働きによって起こされているのは確かだということを断定しない理由の1つはここにあるのである。私はここでは早まった結論に対しては警告を発しておくだけなのである。サイコ・フィジックな相互作用やその活力という総体的な主題はもっと然るべき時、然るべき場所で注意が喚起されるべきものだと思うのである。だが、地面はいまでも余りに不安定で落とし穴が多い。そしてその領域は多くの人々を惹きつける魅力も持っていない。組織的な大軍勢が召集されて進撃を開始するまでは、長い射程をもった大砲が幾つかの頓固な要塞を突き崩すのを待つことにしよう。


 

 
 スピリチュアリズムに対する正しい態度

 私はこの項の初めにマイヤーズが自分の著書『生者の亡霊』の前書きで言っている言葉を引用しよう。マイヤーズは言う。

 ――新しい探究領域に付き物の把み難さや混乱は、すでに堅固に築き上げられた領域の豊かな知識の蓄積に慣れっこになっている、大学者。連中には自然の成り行きとしてあまり好感をもって迎えられるものではない。だから彼らがこの本を読むとすれば、彼らは有能な指揮官と 性能のよくわかった武器、弾薬の十分に揃った大軍団から引離されて頼りない小舟に乗せられて訳のわからない海藻でいっぱいの不案内な海に投げ出され、そこで自ら航路を探りながら進まねばならなくされたような気がするに違いない。私はこの比喩はまさにそのとおりだと認めよう。しかし、その一方私は彼らに次のように言いたいのである。すなわち、訳のわからない見たこともない海藻がその海に漂っているなら、それは新たな大陸がその近辺にあることを示すものであり、コロンブスがサーガソ海(藻海。北大西洋西インド諸島の海域で海面一面に海藻が蔓延っている海)を苦闘して乗り切った航海は人類にとって大きな利益をもたらすものであったのだと――

 マイヤーズが何を言おうとしているかは私が余計な説明をするまでもあるまい。多くの人々にとって単純であたり前の事実だと思われていることに対して、知識層といわれる人々の多くが心を閉じていることはひどく注意を惹くことである。これに対してスピリチュアリストを自任している人々は、単純で平明な自分たちの信念を披歴し、自分らの経験を率直でありのままの形で語る。しかし、歴史の経験に照らしてみると単純、率直な心を持った民衆の方がつねに新しい事実を受け容れる能力を持っているものなのだと言える。

 確かに一部の民衆は時には不徳な者たちによって容易くごまかされて誤りに陥る軽卒さを免れないのは事実であるが、それでも、今のことは歴史の示す法則なのである。新しい知識の領域が広げられ、新しい知見が人類にもたらされるのは、常に理論的な類推によってではなく、直接的な経験によってであり、この経験を最初に受容れるのは“賢者”ではなくて単純で素直な民衆たちなのである。しかし、 からといって、単純で素直な人たちは誤まってもよい、感覚的な印象にすぎないものをさも絶対確実なものとして受取ってもよい、そして知識層は彼らのそれまでの知識の枠組みと飛び離れたものに眼を閉じてもよいということが正当化されるわけのものではない。なぜなら新しいものは常にそれまでの秩序とは飛び離れたものであり、また単純な人々に容易く現を抜かせさせるものだからだ。
私はここで「常識」を巡ってのシャスター博士の面白い比喩を紹介しよう。博士は常識とは訓練を受けない知性のことだが、その最良の機能は問題の結論は、もっとも明瞭な結論が大体において正しい結論なのだということを理解する能力なのだと言った後、次のような話をしている。

 ―例えば、皆既日食の時に太陽の周囲に見える炎に関しては、もっともはっきりした説明は、それは太陽から噴出される大量の蒸気によって起こされている現象で、それは実在の現象だというものである。これに対し、学のある友人が私にそれは変則的な反射が原因で起きている視覚上の錯覚にすぎないのだと言ったとしよう。そこで私はその説明は自分の常識と相容れないとして反対する。だが彼はなお自分がなぜそう結論するかという理由を上げて私にまた反論する、しかしそれでも私の常識が彼の議論を承服しないとすれば私は、単に私の常識を満足させるだけのもの以上の確たる根拠を示して彼に反論しなければならないことになる。

 厳密な議論に関しては常識というものは何の役にも立たないものである。しかし一方、それは依然として世間の人々を正しく導くか、あるいは誤りに導くかのいずれかの働きをする有用でありながら、また誤り易い指標としての働きは持っているのである。 この話の意味を要約すれば、つまりは常識的説明とは正しくない場合も少なくなく、それに反証する完全な理由のある場合には、存在価値を持たないものであること、しかしその一方、それに代わるべきものが不明瞭な仮説などである場合には、より単純で明瞭な常的説明の方がより真実である場合が多いということなのである。言葉を変えて言えば単刀直入な説明は必ず誤りだなどとは言えないのだということになる。

 サイキック研究の分野で出食わす現象に関しては、長い間、生きている人間以外の知性的存在 (死者の人格) がその説明の根拠とされてきており、この現象は霊が下ってくるという意味で 「降霊現象・降神現象」と呼んでもよいものである。この説明に替わるものとしては、生きた人間との間のテレパシーということがどんな説明でもその根拠として唱えられてきた。このような態度はぜひ必要なものであり、完全に至当なものではある。しかしよく考えてみればテレパシーなるものは、この現象の説明としては「降霊」という説明と同様にやはり常識的視点からすればオーソドックスなものではない点では同じものなのである。テレパシー的説明が永続的な生命を持つものであったとすれば、それはそれでよいであろう。しかし私の判断ではテンパシー的な解釈では説明のできない現象は多く、これに反して「降霊」的説明によれば実際上ほとんど全てが説明しうるのである。この結果、私は再び自分自身で「常識的説明」と名付けてもよい地点に戻ったのである。つまりシャスター博士の比喩で言えば、私は太陽の周囲に見える畑は、実際においても眼に見えるとおりの現象なのだと考えるに至っているということになるのである。今述べてきたことは私自身のサイキック研究の歴史であり、結論である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─ 心霊研究の黎明 ─  物理学者オリヴァ・ロッジ 心霊研究論文 Ⅰ

 

 形はどこまでも分割できる。だが生命はいつもその外にいる。我々は彼(生命)に出会う時だけ彼の存在を知るのだ

                                                                                      テニスン 『記憶』

 


「引力があって物が落ちるのではない」といったのは20世紀最大の科学者アインシュタイン、これに対し ロッジは「死者は生きている」と言う。アインシュタインの説は今では科学の常識となっているが、初めは彼も狂人扱いをされたように、ロッジも当時は人々に冷やかな眼で見られたそうである。だがロッジの説も遠くない将来、単純な真理として受容れられるようになるかもしれない。
なぜ新しい真理はつねにこのような運命にさらされるのか? それは人々が常に“常識”という偏見に囚われているからだ。しかし秀れた人の説く所は我々が“常識”という偏見を捨てて聞いてみると意外に単純な真理であり、なぜ今までそんなことに気づかなかったのかと自分で不思議になるほど易しい真実であるものだ。そしてそれが次の時代の常識を作っていくのである。

 ロッジはまず最初にこれまでの科学の方法と態度をざっと説明して、それではこの問題は扱えないのだと説いてから、生命とは何か、死とは何か、残存人格とは何か、心と物質の相互作用の 実際、心と頭脳、生命と意識などに関して新しい視点からその考えを説く。このように紹介すると如何にも難しげに思われそうだが、その説くところは専門家でなければ解らないとか、難しげな理論で読者を困らすなどといったものではない。いずれも読者自身が自分の身を顧みてよく考えてみれば容易に理解できることばかりである。ただ普通の人は――これまでの科学者たちも含めて――この問題をロッジのような視点から精緻な観察眼をもって見てはこなかった、つまり見逃してきたということが一読すれば誰にでもすぐ解る。そしてロッジはなぜそのように見逃されてきたかという理由にも言及する。

 以上の説明の後、超常通信の方法、超常通信で指摘される事実、超常通信への疑問に答える、超常通信の実際、サイコ・フィジック(精神―物理学)の手段、どのような態度でこの問題に臨むべきか――など具体的な問題の解説に入っていく。超常通信その他について書かれた本が他にないわけではないが、この本の場合はさっき言ったように生命に関する諸問題についてロッジの新しい考えがすでに説かれているので読者には後の具体的問題も理解し易く、また他に例のない説得力をもったものとして受取られるのである。

 


 著者オリヴァ・ロッジについて紹介すると

 オリヴァ・ロッジ卿(Sir Oliver Joseph Lodge、1851年6月12日 - 1940年8月22日)は、イギリスの物理学者、著述家。初期の無線電信の検波器に用いられたコヒーラの発明者である。また、点火プラグの発明者である。1898年のランフォード・メダルの受賞者である。エーテルの研究でも知られる。また心霊現象研究協会のメンバーで、心霊現象を肯定する立場での活動、著述も行った。

 ミッドランズ西部の現在のストーク・オン・トレント市内の生まれ。ロンドン大学で科学を学び、1881年リヴァプール大学で教えるようになる。1900年にリヴァプールを離れてバーミンガム大学に移り、1919年の引退までそこに留まった。

 英国の生んだ世界的物理学者であると同時に、その物理学的概念を心霊現象の解釈に適用した最初の心霊学者である。

 すなわちロッジは目に見えない世界こそ実在で、それはこの地球をはじめとする全大宇宙の内奥に存在し、物質というのはその生命が意識ある個体としての存在を表現するためにエーテルが凝結したものに過ぎないと主張した。その著書は大小あわせて20冊を超えるが、いずれも現実界は虚の世界で霊界こそ実在界であるという、仏教の色即是空の哲学に貫かれている。
  彼は霊の世界について50年以上も研究し、その結果ますます宇宙を支配する超越的知性すなわち神への畏敬の念を深めたと述べている。科学的探究がかえって宗教心を深める結果となったのである。もちろんここでいう宗教心は特定の宗教に係わるものとは違う。

 早世した自身の息子レイモンドと交霊しえたと信じ『レイモンド』を著し、日本でも大正時代に野尻抱影らが翻訳し、川端康成などに影響を与えた。

 ある心霊現象に係わる詐欺容疑の訴訟問題で証人として法廷に立ったことがある。その時、ロッジの前に証言した人たちが口にした"霊の世界"というのは一種の幻覚ですねと尋問されて、ロッジは首を横に振って
「この世こそ幻影の世界なのです。 実在の世界は目に見えないところにのみ存在します。」と返答した。
 
 
 1929年の著書『幻の壁』の中でこう述べている。

「我々はよく、肉体の死後も生き続けられるだろうかという疑問を抱く。が一体その死後というのはどういう意味であろうか。 もちろんこの肉体と結びついている50~70年の人生の後のことに違いないのであるが、私に言わせれば、こうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問にすぎない。 というのは、こうして物質をまとってこの地上に生きていること自体が驚異なのである、これは実に特殊な現象と言うべきである。 私はよく、死は冒険であるが楽しく待ち望むべき冒険である、と言ってきた。 
確かにそうに違いないのだか、実は真に冒険というべきはこの地上生活そのものなのである。 地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象である。こうして肉体に宿って無事地上に出て来たこと自体が奇蹟なのだ。失敗する霊がいくらでもいるのである。」


                                  

 

 科学的唯物主義の独善と限界

 ロッジはここでは「私の理論にどのような価値があるかないかは私は問題にしない。ただ、この理論は自然の事実の連鎖の中から当然生まれるべくして生まれる理論であること。そしてそれらの事実は私にはすでに知られた事実であって、また人が(知る気なら)知ることのできる事実なのである。私はこの理論を提示することに少しのためらいもない。ただし、これらの事実はいわゆる科学畑の科学的な人といわれる人々の多くに今すぐ受け容れられるとは思わない」といって新科学宣言をしながら、今の言葉の中で上げた、いわゆる科学的な人々。いままでの科学者の非科学的な態度を攻撃し、どうして科学者が非科学的になっているのかを次のように彼らの根拠としている科学的唯物主義の限界と独善を暴くことで理解させようとしている。

 ロッジは次のように言う。科学的唯物主義は次の3原則を柱にしている。つまり

 ①それが宇宙の原因結果を説明する法則であること

 ②メカニズムの原理―――すなわち宇宙に意思が存在するとか、宇宙を目的論的に解釈することへの拒否 

 ③物質や運動の観点から説明することのできない精神とかメンタルな本質的存在が存在するということへの拒否

 以上の3本柱である。しかし、このうち①は科学の共通の資産であって、何も唯物主義的科学が自分1人のものだといって独占的に専有する権利はない。そして②や③を①から導かれる当然の理論だというのは馬鹿げた言い分である。また②を独立の命題として考えても、そんなことは宇宙の全てが解った時に言えることであって、科学者の探究の限界を超えたことである。科学者はもっとも近い近因を探究するが、それ以上は彼の役目ではないし能力も持たない。②はもっと正確に、「実際上の科学はその対象領域を②に限っている」と言い換えるべきである。だから、②はポリシィ(政策)であってフィロソフィ(哲学)では ない。ポリシィはポリシィの有用さを持つのだから、それはポリシィであると認めることでその 限界内で立場を確立すべきである。③については物理学の領域内に限って議論したってその虚偽なことがすぐわかる。確かに熱や音は物質や運動―気体や液体の―に還元して説明することができる。しかし電気は純粋の力学理論などで説明できない“本質”なのだ。

 つまりロッジの言いたいことは自分の限界を知りその限界を超えたものは素直に認め、それについては勝手な臆説で背を向けるなということなのだが、また次のようにも言う。「科学的唯物主義理論の果たしてきた役割は大きいし、大きな貢献をしてきた。しかしその成功がかえって彼らを盲目にし自分らの理論の枠を超えた問題はないと思い込ますに至っている。 そこで彼らはこの種の事実を根拠もなしに拒否するが、それは科学者としての慎しみを自ら捨てることである。」

 ではロッジの立場はどこにあるのか? 科学的唯物主義理論を攻撃するのだから、宗教か哲学がかった唯心論か、等と早合点をしてはロッジは大迷惑だろう。ロッジ自身が物理学者として唯物的方法で物理学を研究してきた人である。(物理学は本来そういうものであろう。少なくとも今迄は)一言で言えば自己の立場とその限界を常に見つめて、その立場の限界内では解決できない問題に直面した時には、その立場自体を変更していく謙虚で柔軟な科学の立場といったものだろうが自己の立場を柔軟に変更することができるのはロッジが独創の人であるからだろう。それはさておき唯心論的な宗教家に対しては次のように言っている。


「私の説く所は心の広い神学者たちの説く所と結果的にたまたま一致した所もある。しかし私は教会の哲学には心を惹かれない。といって教会の哲学を攻撃することもしないが、それはもう少し経てば教会の哲学はもっと上等な科学的知識によって取って代わられるものだと思っているためで、それに賛成だからではない」

 科学的唯物主義を攻撃したと思ったら返す刀で教会に斬りつけた観がある。しかも攻撃しないといって実際は正面攻撃以上の爆弾を食らわせているのである。何しろ問題にもしない、もっと上等の知識に取って代われるのが近いというのだから。そしてその上等な知識とはロッジ理論であることは言うまでもない。ではロッジ理論の立場とは何か? ロッジ自身がこれについては精神と物質の2つを同時に問題の正面に据える2元的立場だと言っている。つまり、今までの科学は物質の分野に関しては科学的唯物主義の立場と方法で研究してきた、しかし著者が問題にしたサイキック、スピリチュアリズムの分野はこの方法では理解も解明もできない。といって宗教家の説くのは事実を超えた信念にすぎない。この分野の問題を理解し解明するには物質と精神の両方を同時に問題にし、両者の関わり合う接点を探究するよりないというのである。この接点を問題にする点がロッジ科学の眼目なのだが、そのような接点があると考えること自体が今までの科学の常識的思考からは考えもつかないことなのでロッジ科学の新しさが人の注意を惹くとともにすぐには受け容れられにくい感じを持たせることになる。

 
 では以下順次、 著書『死者は生きている』で述べていることを摘出し紹介していくことにするが、その前に 一言だけロッジの言葉をそのまま紹介しておく。

 「私の理論の根拠になっている諸事実は私には化学や物理学の分野における原子理論の根拠と同じ程度に確固たるものに思われる。」

 

 


 1 「生命とは何か」

 私は生命とは、物質に生気を与え、いわゆる生命活動を起こさせる1つの本質的な原理、形を持たない原理なのだと定義する。生命を持った物質(つまり生物体)の行動は生命を持たない物質のものとは明らかに違うことは誰でも知っている。このことはメカニックで動く物質の一片の 不思議な動きに対して、まるで生きているみたいだ。などという表現が使われることからもよくわかる。しかし生命の行動が単純な物理学などで把握できるものでないのは言うまでもない。たとえばジャンピング・ビーン(メキシコ産のとうだい草科の植物の種。この中にいる小さな虫の動きによって揺り動く)の不思議な動きは確かにメカニックの原理によって説明されはするが、それでもそれが何時動くのか、どの方向へ動くのかということは予測することはできない。動かしているものが中にいる虫だからである。

生命活動をしなくなったもの(物質)を我々は死んだというが、この物質は生命が置き去りにしていった物質的部分であって、これ自体を完全な生命体とは言えない。しかし、この場合我々が言えるのは、生命という原理がどこかへ消えてしまったというその事実だけであって生命そのもののことについて我々はそれ以上どんな説明もできない。どんぐりの種やその他、草花の種の中に宿っている生命にしてもその生命自体のことは我々の理解の範囲を超えているのである。我々はその生命の活動の結果を知ったり、結果からして生命がそこに、いる。とか、いない。とか言えるだけである。

 生命はそれ自体として考えねばならないものである。それはエネルギーの1つの形式でもないし、その他どんなものによっても説明のできるものではない。電気も生命と同じで他の何ものでも説明できないが、これは全てのもっとも基礎的存在について同様なことである。大抵の物質は電荷(電気を帯びること)を持っているが電荷のことは他の何ものでも説明できず、これも生命の場合と同じである。生命という原理的存在がエネルギーの形態の1つでないことは、生命を宿した植物の種子が無限の世代にわたって子孫に生命を伝えていくことで簡単にわかる、エネルギーは無限に分割することなどできないからだ。

 生命はまた物質やエネルギーを自己の生命の目的――それは主として成長と繁殖である――に合わせて利用する。しかし生命そのものは力も出さなければ働きもしない。しかし、生命はエネルギーを自己が生命活動をさせているもの(生命体)のために適する。形にするどうやってそれをやっているのかその方法は我々にはわからなくても生命は間接的に物質世界と相互作用を行ない、物質世界に影響力を行使している。同じ食べ物がそれぞれの動物に食べられれば豚になったり犬になったり人間になったりするが、それは生命がそうしているわけである。人間の脳とか 神経組織のようなものは非生命の物質の世界には不要なものだが、生命体には欠くことのできな いものである。脳や神経組織は物理的刺激をメンタルなものに換えたり翻訳したりする――あるいは逆にメンタルなものを物理的なものに換える―ための器官である。

 

 

 
 2 死とは何か

 生命そのものがどのようなものであれ、それは我々には1つの抽象されたものである。そこで生命を理解するためには我々は生きているものについて知り、それに共通しているものは何かを見る必要がある。生命体が生きている間は生命は物質をその生命体の性格にそって形成し、エネルギーをその目的のために利用している――その目的とは特に成長と繁殖である。そこで生命体は生きている限りはその複雑な体を衰退と腐敗から防衛している。死は生命が物質とエネルギーに対する統制力を失うことであり、そのあとにはコントロールされない物理的、化学的な力が後に残ることになる。

 死は消滅ではない。精神も体も消滅したり存在しなくなったりするわけではない。体はそれ以前と同じ重量を持っている。ただ1つ失ったものは形成能力だけである。そして我々が生命という原理に関して言えるのはそれがもはや物質的組織に生気を与えなくなったということだけである。我々は生命そのものに関しては、それがもはや活動力を持っていないとか、まだ持っているとか、生きていないとか、いるとかいう議論をすることは、それ以上のことを知らない限り何とも言えない。

 我々が「肉体が死んだという」時、それは正確な言い方であるが、「彼が死んだ」という時には2つの意味にとれるやや不正確な言い方をしているのである。我々が彼の肉体について言っているのならこの言い方は正しいが、彼のパーソナリティについて言っているのなら正しくはない。私はあえて彼は肉体が死んだと同じ意味では死んではいない、彼は肉体の中を通過して去ったのだという。彼の肉体が腐敗するのは彼がそこにいないからであって「彼自身は腐敗にも破壊的な作用にも直面させられるものではない。また肉体についても消滅するのではなく、それは変化するだけだということは 知っておく必要がある。

 彼には不連続はなく、曲がり方の違ったカーブに直面しただけだという言い方をしてもよいだろう。―― 死は誕生と同様に変化ではあっても何ら恐れるべきものではない。我々は誕生においてその状態を変化させ、空気と意味と無量の存在に満ちた世界の中にやって来る。我々は死においてその状態を変化させて別の領域の中へ入っていく――ではそれはどんな領域にか? 私の領域は交信がテレパシーと呼ばれているものによく似た方法でなされ、意思の交流は我々のなじんでいる間接的で物理的プロセスを経ずになされる世界だと思う。そしてまた美や知識は我々の世界と同じに生き生きと感じられ、進歩も可能で、賞讚、希望、愛はより以上の実在感を持って存在している世界だと思う。この意味では我々は “死者は死んではいない。生きている。" と言うこともできる。

 

 

《ルースタニア号の遭難者の手記》

私はここでルースタニア号(1915年5月、北大西洋でドイツの潜水艦に撃沈された英国の汽船)の 乗客だったある女性の手記を紹介しよう。私は彼女がこの災難にあった直後、友人に紹介されて会ったのだが、彼女は魅力のある若い女性で災難直後にもかかわらず快活で、ただアメリカに残してきた夫と友人たちがどんなに心配しているだろうかということを気にしているだけで自分自身はいたって明るく振る舞っていた。この手記は彼女が私の求めに応じて書いてくれ、名前を秘す約束でこの本に載せる許しをもらったものである。死の本質と死に直面した時の人間の心があます所なく描かれていると私は思う。

 

〈手記>
 
 あなたさまのお手紙をいただきうれしく思うやら驚いているやらといったところです。私はエドバストンでお会いした朝、私の話を同情を持って聞いて下され、また私が人間が本当の危機一髪のときにはどのような気持を感じ、どのような人生の展望を得るかを話すのは本当に難かしいと申上げた時に、その言葉にあなたさまが不思議そうなご様子をなされたことをよく憶えています。
 
 あなたさまが私にするようにお求めのことは私には易しいことではございません。なぜなら私にはそれをどんなふうに書いたらわかって頂けるかがよく解らず、私は暗闇の中で手探りしているようなものだからです。でもあなたさまはそれの中からご自身光を見付けられ、その光を他の人々にもお分けしようとされるのでしょう。 「私はあの時の経験にあったときの自分の気持をできる限り忠実に憶い出して書いてみることにします。 それがあなたさまに何かのお役に立つのなら......。 「私があの航海の初めから何が起こるかを知っていたというのは今になってみるととてもおかしなことに思われます。でもそれは本当の実際の知識というものではなく、ただ私ははっきりした悪い予感、航海の静けさと平安がある点では何か大きな事変を待っているといった状態だということを感じていました。それですから船が大爆発 (それはピストルの発砲のように 突然に起きました) によって引き裂かれた時にも、この心の中にあった奇妙な予感のせいで特にこれといったショックは受けなかったほどだったのです。その瞬間のことで私が憶えているただ1つの鋭い感情は犯罪がなされた時に感ずる慨りの気持、眼に見えないけどすぐ近くにいる敵に直面した時の闘争本能だけでした。私は時々あの時の一部の船客の気味悪いほどの平静さもあるいはこの闘争本能――ダイスをやる時のような―――が彼らの心のある部分を占めたせいではないかと思うのです。結局のところ―あれはただの船の難破ではなく戦争の勃発ではありました。

 私は読んでいた本を下に置くと船の他の舷側の方へ回って行きました。そこにはボートの周りに沢山の船客たちが群がっていました。ルースタニアはひどい揺れ方で立っているのも困難でした。でもパニックといったものはどんな種類のものにせよそこには発生していなかったと思います。私はキャビンへ取って返しました。船客係が親切に救命着を着るのを手伝ってくれ毛皮のコートを捨てるよう忠告しました。私はあせりも心配も感じず、甲板へ再び上がって行きました。甲板に立っているのは難かしいことでしたが、私はそこで脇にいた老紳士と助かるチャンスはどうだろうかといった話をしていました。

 私たちが我々の中にはそれが生であろうが死であろうが、いずれにせよ自分たちの眼の前にやって来るものを何でもじっと待つという本能――それは死にもの狂いな生への本能ではありません――がどんなに強く存在しているかを実感として感じとったのはこの時だったと思います。それは私たちに人格を失なわせず、下の甲板に群がって絶叫し死にもの狂いになっている狂乱した群集のようになることを止めさせるものでした。私は自分が水の中にいて――頭上の空のように静かで大きな海の中を難破と地獄的な修羅の場から遥かな彼方にまで漂っていることに気付くまでは自分の最期の交差点を横切って行く時が来たのだとは感じませんでした。私の背後では海に沈んでいく人の叫び、オールのはねかる音、救命ボートで救助作業をやっている人たちの叫び声――などが段々微かになっていきました。私が助けられる見込みはないように見えました。そこで私は自分自身に言って自分の心を納得させようとしました。時はやって来た、最期のしきりを横切る時は来た、お前はそれを知らねばならない。しかし 私の心のうちには執ように叫び続けるものがありました―違う、それは今ではない。

 かもめが私の頭の上を飛んでいました。私はその時の自分がかもめたちの羽からはね返る海の水の青いシャワーの美しさに眼を注いでいたことを今でも憶えています。かもめたちは幸福そうで生き生きとしていて、私を少し孤独の思いにさせました。私の思いは自分の家族の上へ走りました――私に会うのを心待ちにしているだろう、この瞬間には庭でお茶を飲んでいるだろう......。 彼らがどんなに悲しむかという思い、それは私には耐えられないものでした――私は小さな声で泣きました。本の名前が私の頭をよぎります。1つの本の題名が特に。“どこにも恐れるものはない。”それは本当にその瞬間の私の気持を表わしていました。孤独、確かにそうでした、他の者を悲しませることへの悲しみ――しかし恐れというものはありませんでした。事態はとてもノーマルなもの――非常に正常なもの――これから起ころうとする事態の自然な展開というふうに思われました。私はむしろ他界にいる誰かのことを知ろうと思いました。そして、その世界には私を助けにきてくれる親切な見知らぬ人がいるのだろうかと思ったりしました。

 救命ボートが静かに私の背後に漂って来て私が2人の男の手でボートの中に救い上げられた時、 私はほんとにボーダーラインの近くにいたのでした。生命がこんなにも早く戻って来たということは本当にびっくりすることでした――ボートの中の人々は皆とても落着いていました一1人の男は死んでいて、1人の男は気絶していましたけど。1人の女の人がお茶が1杯ほしいと言葉少なに言いました。するとその希望はクインストンから来た掃海艇(海中の機雷を除去する船)の中で私たち全員にすぐ叶えられました。私はその船の名は忘れましたが、その船の乗組員たちの親切は決して忘れることはないでしょう――特に私に乾いた衣服と温いタオルを与えてくれて私を救ってくれた士官のことは。

 私が書いてきたことはあまりあなたさまの興味を惹くことはないでしょう――私には書くのは苦手だからです――でもそれはご存知ですわね。私は自分がボーダーラインの経験をしたことを非常にうれしく思っています。そしてそれが常に如何に身近かにあるものかを実感したことを。
あの日、私には開かれなかったゲートを通って向う側へ行った人も沢山ありました――しかし私は彼らがその時が来たときに恐れを感じたとは思いません――そうではなくて、彼らが何を見たにせよそれは美しいものに感ぜられ、それはある種のことの完成といったものに感じられたと思います。......私はこの世 からあの世へ行くことには何の苦痛もない、少なくとも病気によるのでなければ.....と考える理由を持っています。それは私たちが人生という道の上の1つのステージを通っていくことのように見えたのです。

 


 
 
 3 「死と腐朽」

 生命が去って形成作用を失った肉体について考えてみることにする。しかし、まず最初に私はこのことを考える時にそれと墓の観念とを結びつけて連想することのないようによく忠告しておきたい。生命の去った肉体はむろん葬られなければならない。それはコントロールされることのなくなった肉体の腐敗作用は同じようにコントロールされない火や洪水と同様に危険な自然力として生者の安全をおびやかすからである。また一方、死後に残存する人格と死者の肉体を彼を地の中に横たえる。とか「ここに彼眠る」という語句のように結び付けたり、死体の復活というような観念と結びつけることは非科学的で苦々しいことである。単純でありのままの真実はもっと健全であって人間の想像の産物より清々しいものだと知るべきであろう。 では何がありのままの真実なのか? 私は散文的な見方と詩的な見方からこれを説明してみよう。

 散文的に見れば、腐敗のプロセスは科学的にそれ自体なんら気に食わないものでも何でもない。それは発酵作用その他の化学的、生理的プロセス同様興味深いものですらある。腐敗は毒薬と同じに生物にとって有害なため自己防衛の本能がこれに対して嫌悪の情を催させるだけで 科学的観点からは何らそのような嫌悪の原因になる理由はない。虎はインディアン部落には脅威の的でもハンターには魅力ある存在なのである。

 詩的な観点から見ると詩人たちは、これに様々な美しい言葉の衣裳を着せている。

「彼を地中に横たえよ、彼の美しく清浄な肉体からはヴァイオレットの花が生えいずるであろう」「彼の灰の中から祖国を守る魂が湧き出でる」 などの詩は東西古今に幾らでもある。 庭園の土壌は植物や動物の物質的な残骸の死体収容所であり、ある点から見れば死と腐敗の象徴であるといえる。しかしタンポポは腐敗物の山を隠し野薔薇は廃虚に咲いて自然はこれらの腐敗物を再び美しいものに変えるには時さえあればよいことを教えている。死体は元の姿に留められるものでなく変遷、変移していくものなのだ。

 肉体の眼に見える形は偶然の産物ではない。それはその内部に宿り生気を与える生命という本質が作り上げるリアリティに合致して作られた作品であり、また真の人格の周囲だけでなく、そ の体の周囲にも愛着の情がまとわりつくのである。それは1つの記念品である。さっきのような叙情詩を読む人はその者にまとわりついていた感情を知り、その者の歴史を感じとり、その者の生きた状況をも感じとるであろう。

 このような叙情詩からその詩の表面に表わされている以上のことを知ることができるのは疑いない。しかし現在はその理由が理解されていないもう1つの方法によってもそれを知ることができる方法がある。ある感覚を持った人々は自分に無関係な種類の叙情詩、小さな品物の断片、人の持ち物などからその人の歴史、人間関係などについて直観的な洞察ができるということは如何にも迷信的に聞こえる。しかしこれは経験上の事実なのである。この能力はサイコメトリー(物に接触してその物の過去、未来、運命や所有主その他その物に関連する全てのことを知るという神秘的能力)と呼ばれていて水脈探査人(木の小枝をもって地上を歩き、小枝のふれ方で地下の水脈のありかを知る水脈探査法をする者)のそれよりもっと理解しにくいものである。 サイコメトリーに関しては多くのことが書かれてきたが私も一言付け加えておこう。 この事実の意味がもし正確に理解された時には私にはそれは心と物質の関係を理解するためのある光を投げるだろうと思われる。そして多くの半科学、半迷信的分野の闇も照らし出されそうである。しかしそれまではこの平坦でなく危険も多い分野は用心深く歩き、深く踏み込まない方が多くの人々にとって少なくとも安全ではあろう。

 


 
 4 「過去、現在、未来」

 我々の実際の経験は奇妙に限られていて、現在と呼ぶ一瞬のフラッシュでしか我々は 直接的に外の世界を把握しない。だが我々の実際の存在はこれより広く過去、現在、未来の中に同時に生きているのである。現在が現在だけのものであったらそれは我々には何の意味も持たないものとしか思われず単調で退屈至極なものでしかないだろう。我々は記憶の過去、実際の現在、展望の未来を同時に自分のものとして生きている。我々はどこからやって来てどこへ行くのかということが人間の関心の対象となるのはこのためである。そこで人間の死後の残存ということも生き生きとした意味を持つ大事な問題となるわけである。

 死が消滅でなく離脱だとすれば、その離脱の向う側では精神的な活動主体は生き続けそれは他の同じ精神的活動主体と相互の交流を持つに違いない。テレパシーの事実は肉体的器官が意思の 交信のために必しもなくてはならぬものでもないということを証明している。心は他の心にダイレクトに通じ、物質的手段によらないでもそれを刺激できることが明らかになっている。物質の 世界に属さないでもそれは“活力"によって作られたメカニズムを通じて影響力を行使することができるのである。しかし、それがどのようにしてなされるのかという方法は全く解らないし、 我々がそのことになじみがない以上、そのような交流が可能だということは奇妙でびっくりすることに思われる。だがそのような所では心はもっと伸び伸びとしてダイレクトで活力のあるものになっていて、もはや精神と物質との間の相互作用の必要などはなくなっている。脳や神経のメカニズムのせま苦しい働きも消え肉体の場所に束縛されているという空間的な関係も消滅しているのだと想像することはできないことでもない。

 経験が我々の指標である。この特殊な領域に関する実際の観察や実験に、先入感や頑迷な偏見などから眼を塞ぐ人々は、科学的と言われる人々の中にさえ非常に多い。しかしこれは真に非科学的な態度である。ある人々は肉体を離れた心に活動力があるというようなことを考えるのは馬鹿馬鹿しいと言い、ある人々はそれは神を敬わぬこととし、ある人々は賢明にも自分の能力のなさを上げてこの分野の探究から尻込みする。しかしこれが確かめられるべき事実とすればパイオニアにはそれを確かめようと努力する義務があるはずである。

 

 

 5 「心と物質の相互作用」

 生命、心、意識といったものはその正体がどんなものであるにせよ物質の領域には属さないものである。これらは物質を利用し、それに支配力を行使するが、物質やエネルギーとは完全に違う何かである。

 物質はエネルギーによってアレンジされたり動かされたりするが、またしばしば生命や心の命令によってもそうされる。心は力を行使しなければ物理的な領域にも入り込んでは来ない。しかしそれは心が間接的な仕方で、もしそうしなかったならば生じなかったような結果を生み出す。 それは動きや組織、構成をその性格に応じて作り出す。鳥は羽根を生やし巣を作る。生命はそれをどう指し図し、どう完成させるのかはまさに1つの神秘であるがこれはごくありふれた観察された事実でしかない。1本の指の動きから飛行機の製作までそこには一連のステップがあるだけである。一粒の種の成長から鷹の飛超まで生命の組織し指図する力が物質を指揮しているのは明らかである。

 精神が物質に対して優位にあるのを誰が疑うことができるか? この事実はほんの小さな例でも示されるが、もっと大きな分野についても同じである。

 心と物質の間の相互作用がもし本当に起こるものなら、そして両方ともが恒在の"本質"であるなら、その相互作用の起こる可能性の領域には制限はない――その制限は前もって設けられるべきはずはない。我々はただ経験によって導かれ、教えられるべきである。
その作り出す結果が不思議なものであるかどうかはただ我々の知識がどれだけのものかということによって判断されるだけである。白人に初めて会った土着民は白人を超自然的存在と思ったに違いない。手紙、銃、それに入れ歯だって迷信の材料になる。人がなじんでいる自然と比べてこれを超越する力が存在する時、その力は超自然的なものと思われ、人はこれに宗教あるいは迷信的態度で応ずることになってしまうのである。

 

 

 6「 心と脳髄」

 記憶は脳の中にあるとしばしば考えられている。また確かに記憶が思い出されたり、書き出されたり、口に出されたりする時には脳の中で何かの生理的プロセスが働くのは間違いないのであろう。しかしこのことは記憶が脳の中にあることをすぐに意味するものではない。メンタルなものの総体の貯水池の中から1つの考えを引出して、これを意識の中に持ちきたし、必要な神経と筋肉を刺激して記憶を再生するのに適した状態にするためのある能率的なチャンネルとか常置されている通路とかいうものが脳の中にはあるに違いないが、それでもやはり記憶が脳の中にあることにはならない。 ものを記憶するため人はよくそれをノートに書く。そしてこの場合、記憶は脳の中にあるというのと同じ正確さでノートの中にあるということもできよう。1つの生理的プロセスがそれをノートの中に書く、そこには1つの生理的な配置が存在する。そしてこれと反対の生理的プロセスが繰返される時にそれは人が単純にノートを“見て読む”と呼んでいる行為によって記憶の中に帰ってくる。しかし真の記憶はいつでも心の中にあるのであってノートの中の“預金”はそれを呼び出し、再発見を容易にするための止め金にすぎない。ある情報を伝えるとき我々はそれに注意を集中しなければならない。そしてその注意は脳の中のある部分に集中しようが、ノートのある頁に集中しようがほとんど問題になる相違はない。注意はそれ自身はメンタルなプロセスであって、たとえ生理的な付随行為を伴うにせよ、それ自身は生理的プロセスではない。

 以上のことは心と物質の関係という我々の目下の問題にとって鍵になる重要なことである。これはこの本の中でも議論の多い部分だと思うので私はもう少し詳しく述べることにする。 よく使われる比喩を述べよう。それは生物の習慣と記憶、それに無生物の物理的プロセスの反覆とを対比させるものである。たとえば伸縮する螺旋状のバネ、これは前に巻かれた時の記憶を次に渦を開く時には呼び戻す、また歯車は何度も繰返して回転するうちスムーズに回転するようになるというのがこの種の例である。もう一方の例は長く使われたヴァイオリンはよりよい音色を出すようになるとか、何度も人が通った道は人の足によくなじむようになるというものである。一部が雑草に覆われて形が変わったばかりの花床はその雑草の間から球根とか半ば忘れられていた植物が芽を出してくる時にはまた元の形を示す傾向がある。

 この最後の例は無生物の世界でなく意識のない世界に明らかな記憶があることを示す衝撃的な例である。動物の世界を見るときこのような例が広く認められるのは疑いない。種族の記憶が本能の驚くべき例を説明するものとして思い出される。巣を作る鳥、新しく孵った小鳥が正確に餌をついばむことなど......。孵ったばかりの小鳥の脳の中に経験が宿っているわけはないのにである。

 成長した動物の脳の中には貯えられた記憶があってこれがある行動を容易に行なわせる役をするというのは驚くにあたらない。何かの物理的あるいは生理的な随伴物が記憶されているのは明らかだからである。しかし、このことはやはり記憶それ自体、または何かの種類の意識が脳の中に位置を占めて存在するということとは明らかに違ったことである。確かに脳というものがなければ少くともこの地球上の生命活動に関しては、意識は外に顕わせず、他の者に理解されるものにならないということは本当であるにしてもである。
 
 プロティノス(205~270 新プラトン派の哲学者)はこのことをやや極端な表現で言っている。

 ――記憶に関しては肉体は邪魔ものである。……いつも不安定で動揺している肉体というものの性質は記憶のために役立つより忘れるためによく役立つ。肉体は本当に忘却のリースィの河である。記憶は魂に属しているのだ。


 事実の実際の再生(記憶を呼び起こすこと)記憶を外に示すことと記憶を実際にすることが脳や筋肉のメカニズムによってなされていることは疑いない。しかし記憶それ自体は本質的にメンタルなものであり、最初に記憶を受けとったり貯えたりする時に働く肉体的メカニズムを離れても存在することは確認されている。そしてそれと同じか、あるいはそれと同じ役目をするメカニズムなしに人間が記憶を知ることができない、したがってそれなしには人に記憶を示すことができないとしても、私の経験では記憶の再生にはそれの貯蔵の時に必要なものと同じ器官が絶対的になくてはならないものでもないことは明らかなのである。むろん同じ器官を使うことが一番容易で効果的ではあるけれども。エジソンの蓄音機でも初期のものは録音と再生に同じ装置を使っていた。しかし後にはこの2つは別の装置でやるようになった。このことは記憶という精神的な貯蔵物がその中味の一部分を他の生命体に対して伝送するのにテレパシー的あるいは遠隔精神作用的(普通の感覚器官を通さないで知覚を送ったり受けたりすること)プロセスを使ってもできることを示すメカニック面の比喩になると言えそうである。

しかし疑わしく不確実なことと考えられ易いこの種のことを離れて考えてみても脳と意識の関係についてはある事実が存在する。これは広くめ認られているものなのだが、但しばしば誤った解釈がなされているものである。脳を傷付けると意識が失なわれる。 “失なわれる”という言葉は正しく、破壊される、ではない。傷を治すと記憶が再び戻って来るのである。つまり 意識の正常な外界への表示がもう一度起こるのである。我々が脳の傷害の結果についていう時全てのケースの場合それは意識のディスプレィに関して言っているだけなのである。意識の外部表現には肉体器官の使用が不可欠である。もし肉体器官が存在しないとか、ひどくダメージを受けたときには意識の外界への正常な表示は不可能である。しかし、この事実は誤って解釈されやすい。 一般的には物理的現象に対する感覚は感覚器官、神経、脳髄を通さずに受取ることはできえない。物理的現象に対する着手、それを始めることは脳髄、神経、筋肉を通さずしては起こしえないと言える。物理的現象を離れて意識というものの存在を知ることはできない。だが我々は そのことで意識が存在しないのだと断定することはできない。一般的な言い方の場合はこのように完璧で厳密な事物の側面を云いたてることは必要ではない。それは不正確で軽率な表現の仕方のために誤った見解が流布している場合に必要になるだけのことではある。

 モット博士は中枢神経組織の機能に関する優れた講義の中で「意識にとっては常に酸素の供給がなされることは必要不可欠である」といっている。この言葉が言っていることは非常に明瞭である。しかし厳密に分析してみれば、この言葉は言いすぎである。我々は酸素でも何でも意識と関わりを持つ物質については本当には知らない。博士の言葉が本当に意味しているのは、「酸素の供給がなければ意識はそれを物理的信号によって外に表現することはできない」という意味だと私は考えている。

 意識の物理的表現が部分的に阻害された場合のことは、たとえば脳の言語中枢だけが障害を受けた場合などの例として次のように説明されよう。このような時、人がただ口の筋肉だけを頼りとするとすれば、我々は意識が離脱してしまったとか、あるいは意識は存在しなくなったのだというかも知れない。しかし腕の筋肉はまだ脳のコントロール支配下にあって書くことによって意識はつ常存在していることを示すことができる。これは単に喋るという意識を表現するための1つの、簡易なやり方が抑制されたというにすぎない。ある場合には抑制がもっと広範である場合もあろう――そんなケースについては我々はほとんど知るところがない。しかし、部分的なものについては我々は相当に知っているのである。


 
 モット博士の講義から彼の診療したある戦争神経症のケースを要約して紹介しよう。

 ―彼らの心の中の黙想はちっとも不完全でないのに、どうして彼らは喋ることができないのか? 彼らは聾ではない限り自分に対して言われることを完全に理解する。そして彼らの心の中の言葉は少しも障害を受けてはいない。なぜなら彼らはたとえ聾であったとしても自分の考えや判断を書くことで完全に表現することができるのである。だから緘黙症は知能の欠陥のためでもないし、心の中の黙想の言葉が自分自身の意志によって抑圧されているためでもない。声を出すことや喋ることへの最初の刺激である聞くことは大ていの場合少しも障害を受けていないのだが、彼らは話すことはむろん、囁くこと、咳をすること、口笛を吹くこと、声を出して笑うことさえできない。しかし、これら自分から話すことのできない者でも多くの者は夢の中で戦争をしていた時に彼らがよく使っていた叫び声などは発する。そして時にはその後で話す能力が蘇ってくるが、大ていはそうならない。夢の中でいつも叫んでいた1人の患者は戦争神経症と判定されて病院に入れられてから8か月経つまで自発的に話すことや声を出す能力を回復しなかった。


 これらの興味ある事実は我々の単純だがしばしば見逃されてきた理論に多くの光を投げかける。つまり我々は普通は物理的な現象を通じて、その助けをかりて我々の願望、印象、考え、記憶を把握し、あるいは他人に伝えているということである。メンタルなものから物理的なものを切離してしまうと交信は消えてしまって不可能になる。そしてまた物理的なものとメンタルなもののつながりを回復させると、それが不完全な形のものでも初歩的な交信は再び復活するのである。
これは人間の意識の交流の基本原理であるが、我々はそれを理解しているか? 我々は自身の心が自身の体にどのように働きかけているかを知っているか? 我々はそれがどのようになされているかということを実は知らないのである。

 我々は一つの心が困難と不完全さとをもってではあるが、一時的に他者の体にどのようにして働きかけ、それを自分の指揮と統制にどのようにして従わせるのかを知っているか? 我々はそれを知らない。では我々はそのようなことが実際に起こるという事実は知っているか? これは問題―証拠の問題である。私はこの問いにははっきりと答える――理論の問題としてでなく―それはまだ理論から程遠いところにあるのだから―― ありのままの経験の問題として答える。誰でもこの経験を得るだけの労を惜しまなければ私と同じ結論に至るのだと。

 人々は生命に自分の体と脳髄を完璧に利用させ切っているか? いや、とても完璧にどころではない。その1つの利用方法さえ満足にとは言えないだろう。多くの人々にとってそれは多分は不可能なことだからである。催眠術にかかった人々とか求めに応じて自分の肉体的メカニズムをこの目的のために提供するミディアムたち自身もそのプロセスがどんなものかということについては完全には知っていないようである。ミディアムたちは彼らの特殊な能力に関して我々に教えてくれるべきものをおそらくは持っていようが、それは極めて小部分のことに違いないのである。我々は彼らの語るところによりも彼らのすることから学ばざるをえないのである。

 外部からの観察者や実験者としての我々は、つねに感覚を研ぎ澄ましている一方で自分自身は特殊な能力とか感受性とかを発揮しないようにしなければならない。これが少なくとも科学的探究の観点から見た場合はそこで起こることの全てを記録し判断するのに最も大切なことだからである。我々は注意深く批判的な態度を持ち、あるいは時には懐疑的な気持でことに対すべきであるが、同時に忍耐強く沈着で公正でなくてはならない。我々は初めからそれが可能なことだとか不可能なことだとかといった先入観を持ってはならない。我々はただ事実を知りそれに導かれるよう心がけ、独善的なドグマに陥らないようにしなければならない。そうすればやがては真実が姿を見せ、それは我々の心の中において他の実証科学の分野と同じように確たるものとなっていくであろう。

 


 

神道青年全国大会記念シンポジウム講演記録 Ⅱ

 

「神々と情報 メディアとしての神社」    松岡正剛氏 (編集工学研究所所長)

 
 ―京都の四生同堂(しせいどうどう)

 今日は神々にかかわる方々のお話しをということで、ちょっと緊張しておりますが、できるだけ私の仕事と私自身が感じていること、それから私の日本の神々に対しての考え方を織りまぜながらお話ししたいと思います。
私は京都の古い町家に生まれ育ちました。当時は気がつかなかったのですが、その頃の体験が、今でも自分の原体験になっているのだということに、ずいぶん後に気が付きました。
そのころ京都の中京ではどの家庭にも神棚と仏壇があって、神棚には毎日ご飯、お水、お米などをお供えし、毎週榊を買って供える。当時はまだ大原女や白川女のおばさんやお婆さんが頭に花を載せて、「花いらんかえ」と言って売りに来ていたんですが、私の母親はいつも大原女から榊を買っていました。この前テレビのドキュメンタリーを見ていたら、もう大原女の方がお1人しか残ってないというので、たいへん残念だなと思いました。

 母親は一方では仏壇も大切にお供えものをして守っていました。私も子供心に、そこにはつねに先祖がいるという感覚があった。それから、庭には濡れ縁がかかっていて、季節になるとウグイスが来たり、メジロが来る。犬も飼っていた。父親がいて、母親がいて、私がいて、妹がいて、動物たちがいる、また、先祖も神様も同時に見えている、というふうにいくつもの存在たちがいた。このように祖先、神々、現実に生きているものがつねに同居している空間に私は生まれ育ったんです。

「四生同堂」という言葉があります。四つの生きるものたちが一所にいるという意味ですが、かつて私たちは、神のような超越的なもの、時間を超えたもの、空間を超えたものと、自分の身近にいるウグイスやメジロや猫や犬、家族たちとを、ある同じ目で見つめることができていたように思います。そして、そのあと 大原女が京都で1人になってしまったように、残念ながらそのように神を見つめたり、仏を見たり、さらに動物を見つめる目がだんだん分化してしまった、分かれてしまった。

 最近になって、過剰な資本主義が発達しすぎたせいだと思いますが、環境やエコロジーが問題になったり、 あるいはアイデンティティや付加価値や心というものが問題になったりしてますが、分かれてしまった四生同堂、バラバラになってしまったものをもう一度集めなおし、1つ1つそこにひそんでいるものに目を凝らし、耳を澄ますという時代が再びやって来つつあるのかなという気がします。しかし、いったん分けてしまったものを集めるのはなかなか大変ですし、また集めるときにいろいろ根拠の違いを問うたり、比べたりすることは大変難しい。

 私は祇園祭の鉾町あたりに育ち、御霊会、風流という世界にもなじんできました。 小さいころは鶏鉾という鉾町で、コンチキチンというお囃子で育った。初夏になると、町内一帯に祇園祭のためのさまざまな道具が出てくる。ご存知のように、祇園祭の山車には、ゴブラン織りのようなものから、中国神仙思想を型どったものから、役の行者のような古いキャラクターを伝える日本文化の型まで、世界中の文化が入っています。こういう世界が、京都の町の奥にあるんだということを、子供心に知らされるわけです。

 でも「祇園さん」すなわち八坂神社というのは、子供にとっては大変わかりにくいもので、父親に聞いても、鉾町の長老たちに聞いても、「牛頭さんというのが居はってな。えらい恐い神さんや」という説明をされるだけで、牛頭さんが人の名前なのかなんなのか最初はまったくわからない。けれどもわからないなりに子供たちは受け止めていくんですね。なんとなく畏怖感をもち、それがのちにスサノオ伝承と結び付く日に、ああそうかとピンとくるわけです。

 また、ちょうど小学校の半ば過ぎから、中京のあたり、御所の近くに引っ越しまして、そこは下御霊神社の近所でした。すぐそばに荒神様がありまして、荒神口という町の名前やバスストップがあり、そこへ行く時は、走っている時でも、「ちゃんとアン(拝む)してから行きなさい」と母親に言われる。ほかのところではあまり言われないのに、なんで荒神さんにはアンとやっていきなさいと母親が言うのか、よくわからなかった。こういう荒ぶるものも、町の中にかつてはもう少し生き生きと生きていたんです。
それから、私の家は井戸が2つあり、大きな大黒柱があって、上がサーカスの天井のように組まれていて、 高いところから光が漏れてくるような古い家でしたが、大黒柱に寄りかかったり、そこでチャンバラごっこをやったりしようものなら、こっぴどく叱られる。
そして、鋏やいろんな持物と家の物々とがどういう関係にあるかということを、一種のタブーとして教えられたわけです。私が東京へ出てから、その京都の家も 新しいオーナーが出現し、いまやビルになっています。 一体こういうふうに、消えてはいませんが、見えにくくなったものたちをどうやって探したらいいんでしょうか。かつてはあきらかに自分の中にも生きていたものに、もう一度再会するにはどうしたらいいのか。今日は神主のみなさんも背広をお召しになってますが、普段でもたいていの男性は靴を履き、靴下、ネクタイという西洋の文化の中で暮らしています。住まいなども、照明や電気製品など、技術の文化に囲まれている。そうした中で神々ともう一度再会するためには、新たな視点が必要になってくると思うのです。

 さて、今日お話しする新たな視点というのは、ひとことでいえば「情報」という視点です。情報という考え方は、言葉としてはそれほど難しくないと思いますが、情報化社会、高度情報社会といわれると、一体何が情報なのかがなかなかわかりにくい。
しかし、上は政府から、下は商店主まで、情報については耳をそばだてていますし、それ自体が大きな経済のパーセンテージを占めるにも至っているわけです。いまや67~8%の割合で情報産業が日本を支えています。でも、誰も情報とは何かということを説明できない。そういう現代を覆いつくしつつある情報 と、古代から山野、あるいは都に、町に、辻に、去来していた神々との関係は、一体結びつくのかどうかということを、少し私なりに探してみたい、試みてみたいと思っています。

 


 ― 庭の山椒に鳴る鈴かけて

 最初に、私が神々や神道に対して何を感じているかを申しあげておきたいと思います。 私は「社」という言葉がたいへん好きです。ご存知のように「やしろ」という言葉は、最初は屋根の「屋」という字と、千代の富士の「代」という字をあてていました。ということは、もともとは「代」というもの があって、この「代」に屋根、覆いがついた状態が社の原型である。この「代」と出会うときに、人々が何かを感じる仕組みがあったのだと思える。では、いったい「シロ」とは何か。その「シロ」というものに巡り合いたいというのが、私の最初の神道的世界観への入り口でした。 「私の父親は京都の上賀茂神社が好きだったので、よく一緒に連れて行かれました。上賀茂神社の奥、 鞍馬と比叡山の間ぐらいに雲ガ畑という地域があって、そこからは本当に雲が涌き出てくる。私の家では、 上賀茂近辺で1年に一度か二度、家族で何事かを「トキ」するということをしていました。「トキ」とは何か、その時一体父親が何をしていたのか、父親は私が23の時に亡くなりましたので、残念ながらそういう話を聞きそびれていますが、きっと父親にとっては何か大事な日だったのだと思います。子供にとっては遊びに行くようなもので、あそこの焼き餅がおいしいとか、じゅん菜を初めて食べさせられたとか、そういう記憶しか残っていない。

 ただ、1つ強烈に残っているのは、父親たちが何かやっている間、遊び回って走るうちに、いわば結界の中に私が入り込んだことがある。母親が「そんなとこに入ったらあかんよ」と言っていましたが、もう夢中で遊びまわっていたので、鬼ごっこか何かしながら、いつのまにか道が途絶えて山にさしかかっていく坂まで入ってしまいました。と、その瞬間に雲ガ畑から出てくる雲に、雷鳴がとどろいた。あわてて結界から飛び出してきたんですが、以来「お社の奥には何かあるんよ、それが大事なんやさかいに、そんなとこ行ったらあかんよ」と言われまして、その謎がずっと残っている。元々カミナリは神鳴りですからね。 そんなことがありまして、長じてから「シロ」というものに関心をもつようになったわけです。
まず結論からいきますと、私は「シロ」というものは、情報の去来する装置だと思っています。そこで、 今日の話のなかで、ヤシロの「シロ」ということと、現代に語りうる情報ということが、実際にはどう関係しているかということを少しずつ両側からアプローチして、つなげてみようと思うのです。

 こういうことがありました。私には全盲の叔父がいます。生まれついての全盲で、彼が遊びに来ますと、 子供の私が手を引いて町を案内させられていたんですが、ある時デパートへ買物へ行きたいというので行った。ちょうどデパートの1階に入った時に、「正剛ちゃん、えらいきれいな風鈴の音やね」と叔父が言う。私にはまったく聞こえなかったのですが、あれこれ買物をしてエレベーターに乗って、5階の扉がすっと開くと、そこに鉄の風鈴がずらり並んでいてリンリンリンリンッと鳴っている。私が驚いていると、叔父は「ずっと聞こえてたよ」と言う。私はたいへんショックを受けました。人間の知覚、その場合は聴覚ですが、聴覚は研ぎ澄ませばこんなにすさまじいものになるのか、遠いものが聞けるのかと、よく知っている叔父ではありましたが、改めてそういう場面に遭遇して知らされました。

 ついでながらもう1つエピソードを申しあげておきますと、私の家は呉服屋でした。染屋さん、仕立屋さんが外にありまして、うちでまとめて、それをお得意さんにお届けするという古い呉服屋です。その仕立屋のなかに、耳が不自由なおばさんがいた。発音も少し不明瞭で、話をする時は相手の口元の唇の形を見て話される。読唇術ですが、私はまだ幼かったので、なんとなくそのおばさんのことがちょっと不気味だったんです。大体「おばさん」と声をかけても、こっちを振り向いてくれない。目の前へ行って「おばさん」と口を動かして見せると、「ああ、正剛ちゃん」と、発音不明瞭な声で答えられるわけです。

 ある日そのおばさんのところへ届け物をさせられた。怖くていやいやながら、おばさんのひとり住まいの小さな家に行くと、その日に限って「上がってらっしゃい」と言われた。「今日はケーキがあるから」と言う。だいたい相手が自分の顔の方を向きながら、唇だけを見ているというコミュニケーションはきわめて奇妙です。ゾクゾクしながらケーキをよばれていたら、なんとなくもっと寒気がしてきた。ふっと気がつくと、部屋のなかに、当時ですからまだ初期の巨大なステレオが置いてある。「あれ、おばさんはひとり住まい で、耳が悪いはずなのに」と考え出すと、居ても立ってもいられなくなってしまいました。おばさんは嘘をついてる、なにかこわい人ではないか、ケーキで釣っておいて僕を食べちゃうんだとか(笑)、どんどん想像が羽ばたいてしまって、恐怖のどん底に陥ってしまった。
するとおばさんが察知して「これは私が聴くんだ」と言う。私がまだ不思議な顔をしていると、おばさんはニヤニヤして「じゃあ、私がこれを聴くのを聴かせてあげよう」と言って、レコード盤を置いて、ピックアップを下ろして、ボリュームをいっぱいに上げた。その瞬間にダッと両手を広げてスピーカーにあて、本当に音を聴いているんです。

 このこともさきほどの叔父と同じように、知覚、感覚、感性がいかに発達しうるのか、研ぎ澄ませるのかということを、子供心に植えつけた大きな出来事でした。本来の神道というものも、もともとこのように知覚を磨くことそのものだったと思います。神主さんはもっと知覚を澄ますべきだということですね。日本人は昔からこの磨き澄ましの仕組みをいろいろつくってきたはずです。
たとえば、稗搗節という民謡に、「庭の山椒の木に鳴る鈴かけて」という歌詞があります。そしてその庭に 何かが出ておじゃるというふうに歌詞が続く。何が出てくるのか。神でしょうか。何でしょうか。鈴をかけておくのはどういうことなのか。これは鈴の音に耳を澄ましたわけですね。山椒の木は依代です。つまり木に鈴をかけて知覚を磨く方法があったわけです。

 私の友人に守矢君という男がいます。守矢家は諏訪の一族で上賀茂神社とも縁がありますが、その守矢君といっしょに、彼の親戚でもある当時の考古学者の藤森栄一さんに会いに諏訪まで行きました。そのとき藤森さんが鉄鐸というサナギを見せてくれた。30年前のことです。そして、シベリアシャーマンから日本に至る北方文化圏におけるシャーマンの歴史の話を聞かせてくれた。
シャーマンという言葉は、「沙門空海」というように「沙門」という日本語になっているほど、直接北方シベリア系の、ウラル・アルタイ系の一種の考え方を日本に導入しているものです。その文化の流れには、必ず鐸の文化が入っている。それは小さい鐸で、銅鐸のような大きいものではなく、腰にぶら下げたり、胸のところに飾ったりする。「そうして、何かを待つんだ」と、藤森先生は言っていた。当時の鐸は、ラッパのようになっている。中ががらんどうになっていて、それをいくつも重ねる場合もありますし、並べて鳴子のようにする場合もあります。それを非常に大事な木にかけて待っていると、そこへ風が吹きこむ。大事な木というのは境木としての依代です。先生は「その音を聞いて、一瞬にして行くんだ」と言うのです。「行くって、どこですか」と聞くと「それは魂、精神が行くんだよ」。これを聞いたとき、私はまた、叔父の風鈴と、仕立屋のおばさんの手が聴いた音を思い出しました。そうして自分の中に古代的なもの、上代的な人間 像ができあがっていったのです。

 その後、どうも鈴が鐸を原型にしていることがはっきりわかってきました。そして、おそらく最初の鈴は舌がないものだったことも確信できた。空洞のことを私は空とよびますが、そこは何かがやって来るところなんです。古代の人びとには、全身が聴覚のようにはたらくような能力があったんだと思います。そのような能力を専門化したのがシャーマンだった。だから鐸をしきみや榊、ようするに世界木としての重要な神木にか けて祀った。そうすると、「おとづれ」というものがやってくる。「おとづれ」はいまは「訪れ」と書きます が、じつは「音連れ」であって、音を連れてくるものがあったわけです。だから耳を澄ました。かくて私は、 この鐸をかけた木が「シロ」の母型ではないかと考えるようになったのです。

 しかし、残念ながら人間の五感は鍛えていないと衰える。サナギというのはチョウチョやセミの蛹と同じ意味ですから、ギリシャ語でいうプシュケー、インド語でいうプラーナ、日本語でいうヒ(霊)、あるいはタマ(霊・魂)が籠りそうなものを示します。そしてその籠るかたちをサナギとよぶわけです。ひょっとしたらサナギという語感は、イザナギイザナミという言葉とも関係してくるかもしれないので、非常に重要な言葉 です。そのサナギの「おとづれ」を聞き取り、神がやって来たんだと感じられる能力が、われわれ現代人は 段々落ちていってしまったんだろうと思います。そのために、「何かが来た」ということをもう少しはっ きりつかむため、結局、鐸に舌をつけることにした。あるいは、それを全体に包むことによって鈴というものができてきたのではないかと思うのです。 ということは、どうやら私が関心を抱いてきた「代」とは、見えない情報を人々に見えさせる装置らしい。すなわち、「代」というのはエージェント、代行物、何かの代わりをするものです。今日の言葉でいうと、メディアにあたるものです。その媒介しているものに向かいながら、人々はその奥にあるものを感じようとした。その媒介になっている「シロ」を充実させること、あるいは大事にすることによってコミュニケーションの端緒とした、始原としたのだと思いはじめたわけです。こうなってくると、「ヤシロ」というものが大変大事になっていくわけで、いわばわれわれのコミュニケーションの、人間のコミュニケーションの最初の仕掛け、始まりということにさえ当たっていくわけです。

 いろいろと調べていくと、「代」という言葉には「社」以外にもたくさんあることがわかります。形代、 依代、苗代という言い方をします。みなさんすでにご承知のことなので、いうまでもないと思います。
では、何と何をつなぐものが「代」なのか。ずっとこのことを追いつづけて、ようやく気がついたこと は、「比処」と「彼方」、here と there 、ここと向こう、村の家と川向こうとでもいいし、村全体と山の向こうとでもいい。生の世界と死の世界でもいい。ともかく here と there をつなぐものがメディアとしての、あるいはエージェントとしての「代」であろうと思うのです。 「そうすると、この「代」を大事にしていくということは、結局向こう側からやってくるもの、すなわち there から来るものと、here から伺うものとの出会いの場を守るということになります。いわゆる斎場です。そしてその出会いの場には、「おとづれ」による出会いをもっと劇的に、もっとわかりやすく、もっとメモリアルに象徴するメディアが必要になってくる。それが御幣であったり、鈴だったり、巫女の踊りだったり、いろいろなものになっていく。
 
 現代の情報社会の情報洪水の中にいる私たちにとって、寄る辺として持つべきものを失っている私たちにとって、こうした「代」を媒介にしたコミュニケーションのあり方や、なにか寄る辺となるものをもとうとすることはたいへん重要なテーマになるように思います。もちろんテレビ、新聞、雑誌などからも情報はガンガンやってきますが、実はそういうマスコミやマスメディアを通してだけ情報がくるわけではなくて、人同士からも、自然からも、いろんなところから情報はやってきている。自分の内部からも情報は出てきている。一本の木や一枚の葉のそよぎからも情報はやってきているわけです。
そうした中で、情報をいろいろキャッチウェーブしなくてはいけない。けれども、私たちにはまだ情報をキャッチする装置が見え切っていないのです。情報の新しい「代」の、デバイスとして、どういうものがふさわしいのか、わかっていないのです。テレビや新聞は情報の依代にはなりえない。このことを考えるときに、環境の方から見るとか、社会資本づくりの方から見るとか、いくつもの検討が必要になってくるのですが、それらと同様に、これからの神道の在り方という問題も、ぐっとクローズアップされてくるわけです。


 
 ― たくさんの情報を引き出す
 
 では、情報とはどう考えたらいいかという話をしておきたいと思います。たとえばこの演台にあるコップは物です。経済的には物財ですね。ですから、これを誰かにあげたり、売ったりすると、私の手元からなくなるわけです。 しかし情報は違う。いま私がこうやってしゃべっている話、つまり情報はいくら私がみなさんに伝えようと、私の手元にも残ります。すなわち、情報は相互流通し、相互保存することができるという、不思議な性質をもっているのです。物財は売れば手元になくなっていく。売れなければ在庫になる。それに対して情報財は、どんどん渡しても交流しても、両方に残っていくものである。ここにきわめて情報の得体の知れなさとともに、興味深い性格があるわけです。

 もう1つ、情報は、一言でいえば理解というものを前提にします。プラトンの言葉やアインシュタインの数式ももちろん情報ですが、それらを理解できない子供にとっては、情報にはならない。もともと価値がすごくあっても、受け手に理解されないことによってたちまち情報の力を失ってしまいます。ということは、情報は理解の函数であり、感知のコミュニケーション・システムの上になりたっているのだということです。いま神道というものが大きな情報をもち、理解すべき内容を抱えていながら、情報の本質である 相互流通、相互保存、あるいは理解という前提をつくって相手に渡していくことができているかどうかというと、ちょっと曖昧な、あやしいところがあると思います。しかし、もし情報が現代に欠かせないものであり、なおかつその意味、内容が、新しい「代」という可能性をもって動きはじめているのだとすれば、神道も情報の本質を取り戻すべきであり、また神道を情報の性格や性質にあわせたコミュニケーション・システムとして見なおす必要があるのではないかと思うのです。

 情報にはまだまだたくさんいろんな性質や不思議なことがあります。一番重要なことは、情報は「意味」というものを実現できる。たとえば、言葉は情報の大きな道具ですが、いま私が手に持っているコップを見ても、みなさんはコップだとしか思わない。つまり意味が限定されすぎてしまう。文化はつねにこのように物と情報の関係を限定していく方向に進んでしまうのです。これをそうではなくて、ここにありうる情報のすべてを生かす方向にもっていけたときに、いろんな本来の文化が甦るのです。

 たとえば、このコップには、ガラス製品、器、物体、物質、円形、商品、青いもの、定価1,000円以内のもの、 日用品、家庭用品、食器などといろんな呼び方が含まれているのです。水入れ、花瓶に代わるものかもしれない。コップという一つの物には、おそらく100や200くらいは情報がひそんでいるはずです。にもかかわらず、私たちはこれを単にコップと呼んでしまう。こうして一つの物と情報の関係は、これを「代」に、メディアにしなくなっていく方向へ落ちてしまう。これを回復することが現代の文化、あるいは今日の情報文化の使命です。コップをコップ、神道神道というのでは文化がそこで止まってしまう。理解や感知は深まらない。物と情報の関係はつねにオールラウンドで、多様的で、八百万でなければいけない。

 でも、今日のわれわれがコップ1つから八百万の情報を取り出せなくなっているように、消費文化も単一な経済に向かってしまっています。だから、時々はそのことを破ろうとしてヒット商品が出る。ラジカセはその典型です。ラジオとカセットをくっつけて、2つ以上の機能をもたせた。最近のコンポというオーディオ装置も、いかにたくさんの機能がついているかが売り文句になってます。これはおそらく現代の経済社会があまりに物と情報を一対一関係で押しこめすぎたということで、ふたたび反省しはじめたせいでしょう。というか、それだけでは物が売れなくなったんですね。ふつうはこれを付加価値といっていますが、付加価値をつけるということは、本来の意味を自由に復活させることにもつながるのです。

 しかし、だからといって、たとえば「神道の本来の意味を復活させよう」という言い方をしてしまうと、 そこにはたった1つのメッセージしか含まれなくなる。今日の神道界はどうもこのように意味を限定しすぎてしまう。コップをコップとしてしか見なさない。この言葉でしか言えない、これ以外の考え方は全部ちがうというような本来性を考えてしまう。けれども、本来というものは、情報的にみると、ありとあらゆる 意味の自由を許すものであるはずなのです。そこが難しいポイントになってくるわけです。

 私は子供時代、最初にホッチキスを見たときに、とても驚いた。何だかよくわからなかった。家の店先に 大きなホッチキスがバカッと置いてあったんですが、使い勝手がわからない。大砲のような新しい武器のようにも見えるけど、呉服屋の店先にそんなものがあるわけがない。しかしイメージはすごく膨らむ。ついに そのホッチキスをこっそり持ち出して、遊び仲間たちに「これはおれの大砲だ」と見せた。普通の家庭の子供はまだホッチキスなんて見たことがないから、みんなうらやましがるんですが、どこから弾が出るかわからない。あれこれいじくっていると、ガシャンッと音がして「壊れたんじゃないか」とか(笑)、カニの足のような形の針が出てくると、これも不思議でしょうがない。そのうち仲間の子供たちは、この謎の物体X をめぐって、たくさんの物語や意味をつくってしまった。後にこれが紙を留めるものだということを知っても、私やそのときに遊んだ子供たちはそのときの想像力が、意味が、翼を生やして大きな世界をもったこ とを忘れないわけです。だから私はコップを見てもコップだとは言わないで、物体とも、青いものとも、メーテルリンクの好きな色とも、色のついたものとも、いろんな情報を引き出すように心がけています。 「そのようなことが、本来の神、あるいは惟神の道に対してわれわれがとりうる自由度であり、意味の多様性をもつ許容範囲でなければいけないと思います。どうもそれが少し欠けてきているのではないかという気がします。
そこで、現代社会において何が問題で、そして、これからの神道がどんな役割を果たすのかということを、 別の角度からお話ししたいと思います。

 


 脳と心の市場

 私はいま世界がどこに向かっているかということについては、まず「脳と心の市場」に向かっているよう に思います。非常に知的なもの、インテレクチュアルなものと、ソウルフルでマインドっぽいものが、これからもっともっと求められるだろうと思います。
たとえば、テレビ番組を見ているとみなさんお気づきにように、やたらにクイズ番組がふえている。しかもナポレオンの話やバッハのこと、アレキサンダーの話、南北戦争のことが突然クイズになってでてきます。 残念なことにどの番組を見ても回答者がだいたい同じ顔ぶれなんですね。いつも森口博子山瀬まみが出ている(笑)。クイズの世界は違うのに、回答者が同じなのはどうも気に入りませんが、クイズ番組が多いということ自体は、「知」の再編成が、テレビのような大ざっぱなメディアにも必要になったことを表していると思います。これはおおげさにいえば「脳の市場」の拡大を意味します。フランスの哲学者たちはこれを「知の脱構築」とよびました。

 もう一方で、心がたいへん市場化しています。新々宗教もふえてきた。それにともなって納得型の商品がふえている。私はこれからの産業の一部は、マインド・インダストリーとよばれるものに向かっていくと思います。そして、さまざまなマインドウェアというものが工夫されてくる。ハードウェアでもソフトウェアでもないもの、マインドウェアという“心の着物"が求められていく。これも一般的には新聞、雑誌、テレビでは付加価値という言葉でまとめられてしまってますが、その付加価値が心の方に寄ってきていることは事実だと思います。これが「心の市場」の拡大につながります。
こうしたものを通して世界中の人びとが求めはじめているのは、新しい物語社会(narrative society) の復活、再生ということです。先々週に『バットマン2』がアメリカで封切られて、史上最大の観客動員数をあげたことがニュースになっていましたが、『バットマン』は昔からある漫画です。また、ランボー、スーパーマンインディ・ジョーンズといった英雄がスクリーンに次々に登場しています。でも、これはアメリカがすでに 失ってしまった物語を回復したいからなのです。なかなか本当の物語をつかみきれないで焦っている。湾岸 戦争でやっと出てきたシュワルツコフを大スターにして、これをアメリカの新しい物語にしようと思った人びともいましたが、やはりそれだけでは足らない。

 では日本ではどうでしょうか。日本は大いなる物語、大いなる物語社会を築きえているのでしょうか。私は、物語は創造できていないと思います。第一、本当に物語があった時代、必要だった時代、生きていた時代について、私たちはほとんど忘れてしまっているからです。囲炉裏端に座って、爺婆がいて、子供たちに はお茶やみかんが出て、囲炉裏の火が赤々となって、そこでおじいさんが、「さあ、いい時がきたから話をしよう。昔なぁ......」と言った瞬間に、その時空間ごと、大きな共有された物語世界にワッと入っていけた。 いまはそのようなきっかけや、物語空間がなくなってしまい、新聞、雑誌、テレビを通して、役者やタレントを通して物語を知るということをしているにすぎないわけです。この国がもつべき多様な物語とは何かと いうことはまったく議論されていません。 「私は物語というのはたいへん大事だと思っています。物語は「もの」が語るということです。もともと日本文化にとって、「もの」というのは「物」であり、「霊」でもあるわけです。すなわち物質的な、マテリアルの世界であって、同時にスピリチュアルな動向のことです。同様に「こと」というのは、「事」であって、「言」です。すなわち、日本人は、「こと」と「もの」を大前提にして物語をつくっていますが、そのモノ・カタリ は「物」と「霊」、すなわち脳と心、物質と精神の両方をちゃんと使える言葉を原型にして組み立てていたは ずです。

 今では、「もの」という字は「物」を指してしまっていますが、ご存知のように、もの珍らしい、ものすごい、ものさびしい、ものがなしいというときの「もの」は物ではない。気持ちのことをいっています。
「もの」という言葉については、スピリチュアルな使い方はたくさん残っている。大阪で はいまでも「ものごっつう」などと言う(笑)。その「もの」の大きさは測れない。「霊」あるいはスピリチュ アルな意味で「もの」をとらえているからです。
かくて本来、物語は「霊」が語っていたわけです。そして、こういう様々な「物」、きびだんご、お椀、竹やぶ、鉢などと霊との関係、すなわちコップと情報の関係を残すこと、そのしくみを残すことが物語だったわけです。したがって、日本のたくさんの物語には今日の情報社会が取り戻さなければいけない物 と霊、マテリアルとスピリチュアルなものの関係が全部含まれている。これを神道の中に生きる人々は声を大にして言うべきだし、また研究すべきだし、復活させるべきだと思います。

 こうした物語の原型は何かといえば、これはいうまでもなく、神話や昔話です。NHKが『古事記』を取り上げたいというので、私のところに話がきました。内部でも極めて揉めているが、おそらく近いうちに やれるのではないかという話でした。あるいは、松江市では地域活性化を考えている市長が「松江というのは全然人が増えない。観光客も増えない」と困っていらっしゃる。そこでなんとか 「国際神話シンポジウム」を開きたい、「神話ランド」というテーマパークや、「国引き」という公園をつくりたいと、かなり熱心になっ てます。「あんまり出雲ばかりに神話が集中するとまずいんじゃないですか」と私は言いましたが、「いや、日本の神話にこだわっていたんではだめなんです。ここであらゆる世界の神話も語られるようにしたいんです」 ということを言っていた。やっと何かタブーが解けはじめたなという感じがしています。 アメリカにノンコマーシャルのすばらしい局があります。PBSという局です。これはいろんな財団や企業がメセナでお金を出してつくっている番組です。そこが7本のスペシャル番組をつくりたがっている。それは「世界の神話」という番組で、その7つのうちの1つにどうしても日本を入れたい。なんとかやって くれませんかという話がきています。

 これらはたまたま私のところに相談をもちかけられた話にすぎません。たとえば、神道青年会で1つそのシナリオづくりをしてくれ、アメリカの国民に日本の神話をどう伝えるか、原案をつくってくれというような依頼がきたとして、どういうシナリオで何をすれば、現代の社会に物語の原型としての神話が復活できるのか。これは普段からこういう議論をしていないととてもできないことです。 「私はかつて筑波科学博でパビリオンを演出をしたことがあります。その時の他のパビリオンで、ヤマタノオロチヤマトタケルをつかっているところがありましたが、ああいう持ち出し方ではまだまだ物語の復活にはほど遠いなということを感じました。つまり、シンボルとして何かひとつを取り上げたのではだめなのです。「モノ」が語る、つまりある人間の魂が語り続けている世界が必要なのです。そうしないと、人々の記憶に残らないし、その物語のしくみの中に入っていけない。最近になって、そこをうまく構成してみせたのがファミコンロールプレイング・ゲームです。

 また、私は商品開発や地域の開発の相談もしょっちゅう頼まれるのですが、とくにコンセプトをつくってほしいという依頼がとても多い。たしかにコンセプトは大事です。しかし、もはやたった1つのコンセプトが勝利を収める時代は終わっています。いかにニューストーリー、新しい物語を創出していくかということが、いま一番必要な戦略として求められているのです。そのためには、情報を物語のかたちにパッケー ジする必要があります。そして、この情報のパッケージの原型が、神話や民話や説話にあるのです。 日本は、このような物語型の情報パッケージを、何度も何度も行ってきました。まず最初は、遊行芸能者たちが道を歩き、能を鳴らし、今日は会場に傀儡子のご研究をされている鈴鹿先生もお見えになっています が、風とともに日本列島を歩きまわった人たちが、さまざまな物語を語り部として伝えていた。やがてこのような語り部たちが集まり、物語を交換し、さらに新しい物語を生み出す情報編集センターが各地に出現し ます。たとえば比叡山や青蓮院から語りの僧が集まってくる箱根権現、白拍子や遊女たちが集まってくる関西の江口や岐阜の青墓 などです。語り部たちは、このような拠点で、かつての伝統的物語や神話の原型を復活させていく。日本人が大好きな曾我五郎の仇討ちの物語の原型はスサノオ伝説ですが、これらを編集したのは箱根の語り部たちでした。

私たちは、今まで、このような物語世界は過去のもので、現代とはつながりのないものだと見なし、無視しつづけてしまったのです。つまり、産業や経済の世界と、神話の世界は無縁のものとして扱われてきた。 ところが、これをついにビジネス・エンターテイメントで成功させた男がアメリカに出現した。それはジョージ・ルーカスという映画監督です。『スターウォーズ』で世界中を夢中にさせた監督です。いまや、ルーカスフィルムは、アメリカで急成長している最大の映画プロダクションで、あいかわらずたくさんの大ヒット作品を次々と生み出しています。スピルバーグ監督のヒット映画『インディ・ジョーンズ』も、ルーカスのプロデュースのもとに作られたものです。

 私はルーカスの映画がなぜこんなに当たるんだろうと思っていたんですが、ある時回答を得ました。ルーカスは、ジョセフ・キャンベルという神話学者の一番優秀な生徒であり、キャンベル先生が講義をする時、いつも教室の一番前に座るほど熱心な生徒だったのです。ジョセフ・キャンベル は私もずっと尊敬していた人で、特に神話の中でも英雄伝説の専門家です。5,6年前に亡くなりました が、世界中の英雄伝説を研究し、英雄伝説の母型を発見したという偉大な業績を残しています。つまりイエス・キリストも、モーゼも、スサノオも、オーディーンも、桃太郎も浦島太郎も、英雄の多くは同じ物語の型をもっている。このような英雄伝説の型が人間の記憶の底にあって、その型を見せられると、人々はその英雄に何かを託したくなる、そのように心が動いていくということです。

 キャンベルは、その英雄伝説の物語情報の原型を次のように証しました。その構造はほぼ3段階になっていて、最初は「セパレーション」―here からの旅立ちです。2番目に、「イニシエイション」―通過儀礼の段階がある。ここで大いなる隠れた父(または母)に出会う。そしてついに there に到着し、謎を解いたり、真相を発見したり、宝物を獲得する。しかし、英雄はふたたび here に帰らなければならない。これが3段階目の 「リターン」―帰還です。世界中のあらゆる英雄はこの3つの型で冒険をし、世界中のあらゆる民族の記憶の中にこの型がある、というわけです。

 この英雄伝説の原型を学んだルーカスは、まさにこの通りに『スターウォーズ』をつくっています。ルーク・スカイウォーカーが生まれ育った村から旅立ち、いろいろな困難に出会っていくストーリー展開は、世界中の英雄の物語と実によく似てますね。オオクニヌシスサノオもそうです。そしてだいたいどの物語 でも、次に意外な人物が登場し、あるヒントを授けてくれる。それはみすぼらしい人であったり、妖婆であったり、いじめられている動物であったりする。そして、その導きによって、自分の大いなる父の世界へと誘われ、大いなる父と再会したり、あるいはそれが裏切られたり、ということがおこる。ルークとダースベイダーの出会いもまさにこれですね。このようなさまざまな体験をして、やがて故郷へ帰りたい、あるいは 帰らなくてはならない事情になる。するとここで必ず、浦島太郎の龍宮城の乙姫のように、誰かによって引き留められてしまう。それを振り切って帰ってきたときに、世界がもうひとつ体験を終えていたということになる。英雄の物語は、必ずこの3段階の冒険から成り立っているのです。

 ルーカスフィルムの作品を全部ご覧になるとわかりますが、スピルバーグに監督させた『インディ・ジョーンズ』も、ジョー・ダンテに頼んだ『ポルターガイスト』も、すべてこのパターンです。だからルーカス フィルムはSFX、特殊撮影技術に巨額の技術料を投資することができるのです。絶対人々の心を打つシナリオを握っているわけですから、あとはキャラクター・デザインや、ひとつひとつの場面に完璧な技術を加えることができる。ルーカスフィルムの強さはここにあるのです。
このように、あるひとつの物語の原型が、何十回、何百回と演じられて、人々を感動させ、夢中にさせているわけです。文化もこのようなものだと思います。ある母型があって、そこに技術が加わって、その国なりの、その民族なりの技術文化になっていく。その鍵を握っているのが神話の姿だと思うのです。
もちろん日本の神話は世界がもっている母型だけでできているわけではありません。この母型を使って、その母型の前後左右に、あれこれ日本的な物語をくっつけている。それがヒルコ伝説になったり天孫降臨になったり、海幸山幸の話になる。つまり、世界中の民族がもっている記憶、原型としての物語の母型と、日本がそこに加えた新しい組み立て方が、われわれの文化の奥には潜んでいるわけです。
私は、これこそ神道が使うべき情報のしくみだろうと思います。そして、そこから出てくるいろいろな物語を今日に生かすには、多少、新たな方法も導入すべきだと思うのです。そこで最後に、私がやっている仕事、これを「編集工学」と呼んでいますが、その編集についてお話ししておきたいと思います。

 

 
 神道を再編集する。

 私が編集と言っているのは、雑誌やテレビなどの編集だけではありません。そういう仕事もしますが、人 間がもっている根本的な作業を編集と考えています。たとえば、みなさん、きのう一日のことを思い出して みてください。朝起きて夜寝るまで、おそらく15時間ぐらい起きていたことでしょう。
朝起きて、飯を食って、テレビを見て、新聞を見て、庭を掃いて、というふうに思い出していくと、昨日の15時間を思い出すのに、15時間はかかりませんね。どうしてなんでしょう。もちろん昨日の15時間を思い出すのに15時間かかると、1日も進まなくなる(笑)。でも1時間かけて思い出す人もいないんです。5分ぐらいでだいたい思い出せてしまう。実は私が編集と言っているのはこれなんです。なぜ1日の時間と空間、15時間が5分になるのか。この中に編集の秘密がひそんでいるのです。 「みなさんは、スサノオの物語、タケミカヅチの物語といわれると、だいたいの方はパッと浮かぶと思いま す。どうして浮かぶんでしょうか。その浮かび方は人によって違います。つまり編集の仕方が違うのです。これが編集というものです。その仕組みを見つめ、その仕組みの中に人間のもっている能力を嗅ぎ出し、それを使って現代にもう一度物語や様々な情報文化を生かし直そうというのが「編集工学」です。工学という名がついているのは、このプロセスの研究を電子化しているからです。でも、それにはまず われわれの頭の中に、そのような15時間を5分にできる構造があるんだということを確信して、その方法に注目しないと見えてこない。

 このように編集というのは1人の人の中にもありますが、歴史の中にも、科学の中にも、あるいは芸術の中にもそれぞれにひそんでいると思います。私たちが、ペルシャ戦争があったことや、ペロポネソス戦争があったことを知っているのは、ヘロドトスやツキディデスが編集した歴史書があるからです。しかし、それは事実ではないのです。あくまでヘロドトスやツキディデスが編集したものです。あるいは私たちは司馬遷の『史記』で中国の歴史を読むことができる。でも、それは事実を知っていくことではない。司馬遷によって編集されたものに触れていくということなのです。日本の『古事記』も『日本書紀』も編集されたもの です。その前の『旧辞』『帝紀』のようなものが失われてしまっているため、今の我々は『古事記』や 『日本書紀』を通してしか、古代を知ることができない。

 ご存知だと思いますが、『古事記』は呉音というプロトコルと文法で、『日本書紀』は漢音という読み方による綴り方をやっています。同じ情報をつかって、『古事記』と『日本書紀』は編集の仕方を変えている。なぜでしょう。 編集意図が違うし、仕組みが違うし、そこからもたらすものの狙いも違っている。『古事記』は古い前段階の情報も入っていますが、最終的に大伴一族を中心にしながら編集されたものですし、『日本書紀』は、おもに藤原一族が意図をもって編集したものです。

 ありとあらゆる歴史的な事実には、もともと編集が入りこんでいます。現代でも同じです。新聞に載っているものは事実などではありません。テレビで流しているニュースも事実ではない。編集された事実があそこにはあるだけです。ですから、朝日と毎日とではちがうことを報道します。

 カメラもどこを長く映すか、黒人暴動なら黒人暴動のどこを長く映すかというところで、編集の視点が入ってきます。もし湾岸戦争のニュースを、CNNではなくバグダッド側のニュースで見せられていたら、まったく違う印象をもったかもしれない。でも、シュワルツコフによってリードされた爆撃の凄まじさを、 私たちはかなり一方的に見せられてしまったわけです。
このように、編集は、ある意味では恐るべき能力をもっているとともに、その仕組みに負けてはだめなものでもあるし、もっといえばその編集を前に出して、先に皆さんで編集をすべきことがたくさんあるという意味でも大事な方法です。
では、神道がもっている世界、思想、意味、情報は、これからはどのように編集されればいいのでしょうか。もちろん皆さんはこれまで長年にわたり神道の「編集」をされてきたことでしょう。しかし、皆さん同士で通じている編集の仕方は、おそらく長年のクセでしかないと思います。おそらく同じ形、同じやり方でしか編集できなくなっているのではないでしょうか。たくさんの会合や大会が全国で行なわれ、 たくさんの方が祝辞を述べられているでしょう。私も何度か記念特集の報告書を拝見したり、たまにはそう いう末席にいたりしたこともありますが、そうして伝えあっていることは、あまりにも方法が限定されすぎ ているような気がします。西田長男さんや高取正男さんのように、編集の視点を思いきって拡大しようとさ れた人もいましたが、どうも最近は固定化されているような気がします。

 でも、今は新しい編集が求められているのです。日本人はみんな物語を求めています。だれかにタブーを破ってほしいと思っています。時代は常にタブーを破るものですが、誰かがこれを起こしてくれることを待っているのです。
神々がもっていた物語と、現代社会における情報の強さ、これを皆さんの世界の中でも、神道の世界の中でも生かしてお使いいただければということでお話しいたしました。どうも失礼いたしました。

 

 

 

 

 


  「祈りの対象 神と仏の姿」

   衛藤 駿氏  ─ 慶應義塾大学教授(東洋美術史)

 
 今年の初詣は、過去最高の人出だったという。世の中が不況だから遠出を避けたためだろうといった論評があったが、たとえ好況であったとしても、人口の3人に2人が、どこか別のところに出かけるというものでもなかろう。神社仏閣以外に、これだけの人数を、物理的にしろ吸引しうるイベントや行楽地はあるまい。 日の出ですら富士山頂や二見ヶ浦といった社寺がらみの場所が選ばれるのである。

 今日、日本の照葉樹林は、鎮守の森と仏教寺院の境域以外はほとんど絶滅しているといわれている。ということは間接的にしろ神仏の力が初詣という現象を生み、結果的に環境保護の役割を果たしてきたといわざるをえない。
社寺は、祈り拝む場所を提供する施設(ハード) として存在してきたのである。人は、いつでもどこでも祈ったり拝んだりすることはできるが、なぜ特定の日に限って、しかも年に1度、それも年の初めに、集団現象としてそれを行ってきたのだろうか。 1つには当面というか、むこう1年間への期待の確認である。

 2つには自他ともに、ということである。願いごとは、自分自身かせいぜい家族のための限られたものな のだが、といって自分だけが願いごとをしているという孤独な不安感を、集団の中での安心感に置き換えようとしているのである。
3つめの場所についてだが、御利益についての公平感は銀行利子のようなものであって、どこでも大差ない。お守り札などに対する支出も、掛け捨て保険の程度を超えることはないのである。あとは距離とブランド、そして専門分野というか、たとえば受験や商売繁盛といった願いごとの種類によって初詣先は決まるのである。
ところで人は、神に祈ることはできても、神を見ることはできなかった。しかし神の姿をつくり、神の住みかをつくることはできた。

 弱き者・人間にとって、生活の知恵の最たるもの、それは神をもつことであった。人間にとって頼れるもの、というより頼らざるをえないものが自然の力である。人は自然の力を借りるために、直接自然そのものに祈った。「かなわぬときの神だのみ」であった。自然は様々な姿かたちと現象をともなっているから、神の姿もまた様々になった。これが八百万の神の誕生であり、鰯の頭が神たりうる理由もここにあった。
日本の神々は、当初こうして人間の姿をかたどった偶像ではなく、大自然の中にその神性を求めたのであった。日月、山水、滝、一木一草、鳥獣、そ れぞれが神を象徴した。もともと姿かたちのない神々の存在を、感性の対象としてとらえようとしたとき、神はつくられたのである。 「なにごとのおはしますかは知らねども」といった神々しさは、自然そのものによって支えられていた。それは神の住みかとして、もっともふさわしい場所であった。鳥居や注連縄は、神の所在を示す標識だった。人はそこを祈りの場所としたのである。
御神体が鏡であったり、三種の神器が地位を象徴したことは、自然信仰の器物崇拝への移行であり、新しい支配者が、外来文化、とくに新技術の力に拠ったことを示唆している。

 神像の成立は、日本人にとって偶像崇拝への転換であった。それは仏教の日本神との接触によるものであ り、一方大陸から渡来してきた人びとのもつ、祖先の像を祀る祖霊信仰の風習がもたらしたもの、と考えられている。
初期の神像は、彫刻の技法としては同時代の仏像彫刻の手法によっているが、表現された姿は仏像にみられる超人間的なものではなく、むしろ同世代の氏族の首長的人物の中に求められている。

 初期の神像が等身大につくられていること、男神と女神が存在することはいっそうの現実感を与えた。祈りの対象の象徴から偶像への変貌であり、これが日本における神像彫刻の祖型となったのである。
やがて神像にはしだいに本尊的性格があらわれ、小型化し、洗練さが加わる。眉目秀麗、ふっくらとした面、男神は眼光鋭く精気に満ち、女神は慈愛にあふれたのである。支配者というより、父母のような親近感を示してくる。
「みめかたち、おもだちやさしく、たふとい」ことが、神の属性として類型化する一方、仏像との相似も 造像技法はもとより、外見的にもいっそう進行する。僧形八幡像もその一例である。しかし服装や髪型、持ち物は、当代の貴族たちの風俗習慣にしたがっている。いわゆる延喜式神像の成立であった。神像が尊崇の 対象として成立した以上、宗教彫刻としての造形の中に、神意の顕現が求められたのは当然であった。

 神は人間を超えた存在であるから、個性を表現する必要はなかった。人間の姿を借りて神をつくる場合 にも、個性は捨てて普遍的なものを求めたのである。一方仏像彫刻も理想像の追求であったから、神仏両像ともに造形の世界では、普遍性を求めるという共通点をもっていたのである。
仏像が異国に生まれ育った理想像であるならば、神像は日本人本来の、生活感情が反映しているはずである。神像の美しさは、たとえ仏教の呪縛を避けえなかったにしても、新しい日本美の象徴として鑑賞されて然るべきものであろう。なぜならば神像は、日本人が初めてつくり出した人体表現であり、人間の理想像であった。日本人は日本人の言葉で、それに祈り拝むことができたのである。

 


 


 「森と社と神神習合」

  鎌田東二 武蔵ヶ丘短期大学助教授 (日本思想)

 2万年前、日本列島はまだなかった。ユーラシア大陸とつながっていたからだ。もちろん、「日本」という 呼び名も国家もなかった。まだ名前をもたざる日本はユーラシア大陸の東端に突き出た半島だった。
氷河期が終り、氷床が溶けて海面が上昇するにつれて縄文海進が進み、しだいに日本海が形成され、およそ1万年前に完全に大陸から分断された。日本列島の成立である。それまでは動物も植物も人間も大陸と陸続きで自由に移動していたのだ。日本列島からマンモスやナウマンゾウの骨が発見されるのはこのためだ。
しかし、日本列島が形成されてからまもなく、東北アジアの一角に独自の風土性と歴史性をもつ文化が生まれた。世界最古の土器をもつ縄文文化が。 土器の装飾にはヘビやイノシシやシカなどの動物が描かれ、それらの土偶も造形された。いってみれば、
「トーテミズムが横溢している世界が土器の紋様や土偶からうかがえるのである。そこでは、貝塚も単に貝や食用動物の骨のゴミ捨て場ではなかった。それは生命の再生と循環を願う祈りの場でもあったのだ。貝塚は、再生装置、変成装置としての食物の墓だったのである。

 縄文の森はブナ・ナラ林が主流であったが、時代が下るにつれて南西の方から照葉樹林が広がってきた。 このブナ・ナラ林帯の世界と照葉樹林帯の世界を見事に描いたのが、宮沢賢治泉鏡花であった。
宮沢賢治は『注文の多い料理店』でブナ・ナラ林帯の世界を透明にかつ実に美しく描いている。「どんぐりと山猫」では、山猫に招待された少年一郎が山猫の棲む森に入っていくが、それはクリやブナの森であった。 その森で一郎はドングリの裁判を行ない、名判決を下して、お礼に金色のドングリを一升もらったのである。 いうまでもなく、ドングリは縄文の主食であった。また「鹿踊りのはじまり」では鹿と融合状態になった百姓嘉十の体験が描かれている。鹿も縄文時代の主食であったが、嘉十はトランス状態になって鹿の話を聞いたのであった。『注文の多い料理店』には、アニミズムやトーテミズムやシャーマニズムが横溢しているので ある。

 もう1つ重要な点は、宮沢賢治が森や野原や風や月明かりから話を聞いたと述べている点である。祝詞の言葉を使っていえば、「語問ひし磐根・木根立・草の片葉」の世界を彼は生きていたのである。草木語問う世界を。これは縄文の根幹を形作る宗教世界であり、それが杜(森)の信仰や自然崇拝の根っこになったのである。
ところで、縄文時代後期から次第に広がってきたシイやカシやクスノキなどの照葉樹林の森は、泉鏡花の『高野聖』に、昼なお暗い、無数の山蛙や 大蛇の生息する森として描かれている。うっそうとして湿気を含み、無気味な小動物を無数に宿した森。その森を抜けて、高野聖の僧は人をウマやサルなどに変える恐るべき魔力をもった美女の棲む家にたどりつくのであった。

 ここにもまたアニミズムシャーマニズムの横溢する森の世界が描かれている。ブナ・ナラ林と照葉樹林。この2つの森林が日本列島の東(北)の森と西(南)の森を二分する。そして森林の違いから、東西の文化風土の違いが派生してくる。たとえば、猛烈な神社統廃合の反対運動を展開した 南方熊楠は、一時期、熊野山中に1人住んでいたが、そこは典型的な照葉樹林の森である。それに対して、生涯、岩手県花巻で暮らした宮沢賢治は、典型的なブナ・ナラ林の森に住んでいた。互いにアニミズム的かつシャーマニスティックな感性をもちながら、その上に独自の曼陀羅的思想を打ち立て、野の科学を実践 した南方熊楠宮沢賢治。彼らは日本列島における二つの森の世界を端的に表現し、生きた。

 こうした森の文化は、7世紀以降の律令体制期に整備された「神道」の中にも大きな影を落としている。 たとえば、『日本書紀』中に三例見える「神道」という語のうち、第二の用例は孝徳天皇紀に記載されているが、そこでは「天皇、尊仏法、軽神道」とある。それでは、「神道を軽」る行為とは何かというと、それは木を伐ることであった。「軽神道」の語のあと、割注に「生国魂社の樹を暫りたまふ類是なり」とあるのがそれである。おそらくこれは、摂津国生国魂神社の神木ともされているような古い巨木を伐ったことを指しているのであろう。1本の木を伐ることを深く怖れ畏しみ慎しむ感覚、これが神道の感性的基盤を形作っていると私は思う。木には木の生命があり、木霊があり、魂が宿っているから、1本の木を伐ることも怖れ畏こみ、伐るにあたってはたいへん丁重なる儀礼的手続きを必要としたのである。

 こうした木を伐ることの儀礼的手続きの典型が、伊勢神宮の木本祭と諏訪大社御柱祭である。木本祭は 遷宮の中心をなす「心御柱」となる木を伐り出すにあたっての祭儀で、その祭儀については口外することを固く戒められた秘儀である。なぜ神宮では、社殿の構造力学上まったく必要のない「心御柱」をもっとも重要なものとして20年に一度社殿の下に奉建するのか。また諏訪の御柱祭では、社殿があるにもかかわらず、 なぜ7年ごとに社殿の前にそれぞれ4本の柱を奉建するのか。またなぜわが神道においては、神々の数を数える数として「柱」の語を用いるのか。そしてまた祝詞中の典型的表現として、なぜ「底つ磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて」という言葉がくりかえし奉唱されるのか。木や柱にまつわる神話、儀礼、伝説は数多い。
神道」が木を大切にする宗教文化であるとするなら、それは言い換えると、森を大切にする宗教文化であるということだ。森なくして社ではない。社とは「屋代」であり、神霊を一時的に招き入れる仮屋のことであった。それは「底つ磐根」と「千木」、すなわち磐座・磐境と神籬の常設化であった。であるなら、社とは森のミニチュアである。社は森を表現しているのだ。

 最後に、一言言っておきたいことは「神仏習合」についてである。私は「神仏習合」は、縄文時代から森と同じほど長い時間をかけて形成されてきた「神神習合」の1バリエーションにすぎないと考えている。 神々の間の習合があったからこそ、「神仏習合」も、またキリシタンマリア観音のような信仰も生まれたと主張したいのである。
ただし、この「神神習合」も「神仏習合」も平和裡に進行したというわけではない。そこには物部・中臣氏と蘇我氏との排仏派と崇仏派の対立のような葛藤・闘争があり、神仏対立のみならず、神神対立もあった ということを強調しておきたい。それが最終的に日本神話における「天つ神」と「国つ神」の対立と融和に落ち着いていったのだ。オオクニヌシノカミ(大国主神)の「国譲り」の神話は、そうした神々の対立と融和が それほど生やさしくなかったことを端的に物語っている。

 また、アマテラスオオミカミも大日要貴という「亦名」をもっており、オオクニヌシも宇都志国魂神・ 八千矛神・葦原醜男・大汝貴神・大物主神などの「亦名」をもっているが、これもまた「神神習合」の存在を示すものである。一柱の神は複数の顔をもち、複数の神性を秘めているのである。それは本来別々の神であったものが、神社の統廃合のように、ある時期に1つの神に統合され、習合した結果である。
こうしてみれば、『日本書紀』に記されているように、わが国の「神仏習合」は古い神と新来の「他神・番神」との「神神習合」の1バリエーションにすぎないのである。「神仏習合」は「神神習合」文化の一コマなのだ。
とすれば、逆に、国学者が主張したような「古道」や、いわば純粋神道古神道・惟神の道は、「神道」の長く深い伝統を忘却した本末転倒の議論であったということができるであろう。むしろ、「神仏習合」の方こそ、本来の伝統に依拠しているのである。なぜならそれは、「神神習合」の1バリエーションにすぎないのだから。それゆえ、「神仏習合」を教義的かつイデオロギー的に否定する国学者神道学者や神道家を私は認 めない。彼らの「神道」の理解は皮相であり浅薄であるからだ。

 こうした「神神習合」や「神仏習合」を可能にし、その「習合」を媒介したのは、森の信仰であり自然崇拝であったと私は思う。森、海、自然こそが、たとえば太陽信仰がアマテラスと大日如来という原理的に異質な神仏を習合させ、水信仰が市寸島比売命弁才天女という異質な神々を習合させたのである。日本列島の森や自然は神神の座所であり、それゆえ新たな神々である仏菩薩の座所ともなったのである。

 そこでは、自然は単なる物理的な自然ではなく、非物理的、非物質的な他界をはらんだ自然であった。 森も海もともに生命の森であり、神々の森であった。そして同時に、森も海も1つの他界であった。山中他界というのも海上他界というのも、別物ではない。それはワープして1つにつながっているのだ。山中 他界は同時に海上他界であり、両者は相互に入れ子構造になっているのだ。 そうした他界との通路に聖地があり、神社があるということなのである。 このような考えのもとに、私は森と水の聖地であり、「神仏習合」の拠点であった吉野山中の 天河弁財天社を支援している(詳しくは、鎌田東二津村喬編『天河曼陀羅』[春秋社]を参照されたい)。そして「神神習合」の過程でさまざまな痛みと敗退を背負ってきた国つ神の文化と思想性を掘りおこそうとしている。それ は、たんに日本列島の先住神や土着の神々の世界を超えて、大陸や南方の島々やアメリカ大陸のネイティブ・ カルチャーの世界に通じている。たとえば、吉野や熊野は沖縄やバリ島やアイヌネイティブ・アメリカン の宗教世界とも深くアクセスしているのである。このような国つ神の「神道」、国つ神の神学と霊学の立場に立っていることを、私はここにはっきりと宣言しておきたい。

 

 

 

 

 『場所の記憶と神社のネットワーク』           毛綱毅曠(もづな・きこう) 建築家


 建築技術というのは、人間中心の進化論的なもので、国の内外からいろいろな人々の知恵によって開発されてきたように思われる。しかし、神話の上では、伊勢神宮出雲大社など天上の都をインスピレーションで見て、現実社会に移しかえたとされて、歴史の中で唐突ともいえるテクノロジーの華を咲かせている。
そこでは神道五部書の『倭姫命世記』にもあるが、神社の千木、鰹木から階段にいたるまで、すべて神学的な意味をもって建物が造営されているという。

 たとえばチベットの老建築家は、天界遍歴し、ヒントを得て「タシマゴーン」という移動式の神殿をつくるが、まさしく人類の蒼古的記憶には神様の世界の建築について幻視したりそれを語り継いでいた時代があった。これは進化論的な建築技術という近代的概念とは裏腹の「逆進化論」ともいえるすごいイメージである。
「経絡(けいらく)」ともいえる世界各地の聖域には「大地」がもつパワーとエネルギーが集積されている。 これは地球の聖なる場所に共通しており、この「大地」のパワーとエネルギーの上に神殿などの建物が築かれているのだ。これが日本の惟神の道の場合、いろいろな幾何学的形態で全国にネットワークされ、存在していたわけである(たとえば出雲、諏訪、宇佐、春日の平行四辺形など)。
聖域となっている大地にはこれらの記憶がひそみ、またこのことはわれわれの民族としての記憶の中にも息づいているはずである。
これら天や土地、われわれの奥にひそむ「場所の記憶」とそれぞれのネットワークが蘇生されることは、 聖域、さらには地域の環境にとって重要である。これらをグローバルにとらえ、神社の再生を考えなければならない。建築は単なる様式のコピーではないのだ。
 
 これまでの近代都市計画では、低い家を壊し、高いビルを建て、やたらに道路を広げ、車をたくさん通して、つまらない街にしてしまってきた。これは西洋的、ある意味でキリスト教的な発想だ。そうではなくて、 もう少し深い部分で、環境とインターフェースする街を作っていかなければならないと思う。
私の高度情報都市プロジェクトの中に「七福神」による都市計画がある。これはいわゆる「縄文神道」的なネットワークの発想であるといえる。
七福神は、もともと商売繁盛、病気平癒、家内安全など都市生活を送る人々の、ハイテクノロジーの願望の象徴だった。その七福神という都市の生態系の拠点、つまり「ツボ」にあたる部分に針を打ったり、お灸をすえたりして、 都市のネットワークを再生し、都市の願望を整理しようというものである。 「市姫様」である弁財天を中心に、現代のテクノロジーに置きかえると毘沙門天は都市の中の再生工場、大黒天はバイオテクノロジーの拠点、恵比須は海洋コンベンションや海洋的牧場、ということになるだろうか。
このように七体おのおのの神様を、都市の中の基地にして、そこから新しい都市の姿を浮かび上がらそうというものである。

 神社はもともと大地のバイブレイションとか宇宙からの光や音などを、千木や鰹木のような「もの」として顕在化させている。21世紀になれば、その形式はもっと還元的になっていくはずである。
神社のネットワークというのは、おそらくわれわれの目には見えない、たとえば地下でつながっている水の流れなどによって形成されていたのではないだろうか。これが人びとを生き生きさせたり、清々しくさせたりするのだと思う。しかし、近代化計画によって地下水脈などは断ち切られてしまっている。
昔ながらのネットワークを取り戻すことは困難であるが、場所の持っている力を再生させ、これを修復するために新しいテクノロジー珪素化学や光ファイバー技術などを使って、ただ原始に帰るのではなく、神社を含めた自然を再生していくことが重要になってくると思う。

 例えば能舞台は、床にテーパーをつけたりして重量感覚をずらすことによって非日常的な空間を演出している。その意味で建築はあくまで「しかけ」である。場所と空間のドラマづくりや演出で、気分をもりたてる要素の中に神社の意味性といったものがある。
神社建築は人間の身体と同じで、皮膚や筋肉、内臓、意識があり、そして奥の奥に神様が鎮まっている。
これは世界の聖なる場のもつ空間構造と同じなのである。これは人間が修業していくプロセスを表象するとともに、神学的意味を持って作られているはずである。
神社には、天地、宇宙との交信や人体宇宙、人体構造が重層的につまっている。定点や地点を求め、よい場所に行きついて、そこに鎮まったということもあるだろう。神様はやはり奥に鎮まっていなければならない。
鳥居をくぐり参道を行く。ゆっくりと神殿に向かう。心が聖なるものに段々と近づいていく。「しかけ」 にもノウハウがある。現代はそれを忘れてしまっている。
われわれの遺伝子には、何千年にもわたる宗教的な建築空間に対する意識が大きく広がっている。機能性や合理性だけ追った近代の発想は、そのことを忘れてしまっているのだ。

 

 

 

 

 『外から見た神社・内から見た神道』          田中優子 法政大学教授(日本近世文化)


 江戸時代の人びとはよく神社に出かけた。何かというとすぐ、「お参りに行ってくる」となる。お参りに文句は言えない。「あんたのため」なぞと言われるとなおさらだ。お茶絶ちや酒絶ちなど、絶ちものをして祈願することもたびたびだ。
江戸でいえば、神田明神湯島天神、富岡八幡、市ヶ谷八幡、江の島の弁天様、七福神山王権現、根津 権現、東照宮、大山参り等々。このほかに、寺がある。五百羅漢、六地蔵五色不動、六阿弥陀、成田不動、 江戸三十三カ所(観音巡り三十三カ所や、深川三十三カ所など、バリエイションも多い)、御府内八十八カ所秩父 三十四カ所、そのほか、浅草寺寛永寺増上寺をはじめとする大小の寺を合わせると、お参りに行くところのなんと多いことか。さらにここに富士講が加わり、富士山そのものへのお参りばかりか、江戸と関東全域に広がるイミテイションの富士、すなわち富士塚があった。
京都では北野天満宮伏見稲荷、大阪では生玉神社や住吉神社、そして全国共通の、伊勢参宮に、西国三十三カ所、四国八十八カ所等々、日本全国、参詣の時代だった。

 このような参詣のばあい、人々は神様と仏様の区別、神社と寺の区別など、特別にはしていなかった。周知のように、神社と仏閣が別のものとして整理されたのは明治に入ってからのことである。それまでの日本人にとって、神社と神様の世界は、仏教や儒教とまったく別に存在するわけではなく、むしろ仏教や儒教の存在とともに、それによってのみ、意識化されうる世界だったのである。

 神社としてあげた中でも、山王権現根津権現のような「権現」はもともと、仏菩薩が仮に神の形をとって現れた社であるから、神仏習合がその起源である。その存在の仕方も、従来は習合のものであ って、山王権現延暦寺の鎮守社であった。神田明神も、祭神は平将門牛頭天王も祭ってあるところだが、 かつては将門の御霊を鎮めるために、日輪寺という念仏道場がいっしょにあった。祭りの時には、日輪寺住職が神前で法事を営んだという。 富岡八幡は隅田川を鎮守する神社だが、その縁起は高野聖霊夢にあり、真言宗の寺が別当を務めていた。それが、庶民の神社の実際の姿だったのである。また、人気を集めていた七福神の構成は、弁才天と大黒天と毘沙門天がインドの神様で、福禄寿と寿老人と布袋が中国の神様で、残った恵比須だけが日本の神なのである。江の島の弁天様も同様だ。東照宮は、家康の本地仏薬師如来が、東照という神になって姿をあらわす、という習合によって作られた。例をあげればきりがないが、近代以降の神道と異なり、とにかく純粋な神社や神道というものは存在しない 世界の中で、神社はさかんに参詣され、祭りは熱気を帯びていたのである。 インドの神、不動明王は姿を変えて江戸歌舞伎の元祖団十郎となり赤い体に隈取で、火炎に包まれて登場した。 江戸時代といえば、神道の純粋化が一歩を踏みだしたように見える。国学の発生があったからである。

 しかし周知のように、契沖のような古典学の場合は、儒教や仏教のイデオロギー的解釈を、どう免れて古代の言葉に近づくかを模索したのであり、そこには、僧侶だった契沖の戦いの跡が見える。一方、神道の考えが中世では仏教の理論で語られ、近世では儒教の理論で語られたことも知られている。林羅山山崎闇斎神道を積極的に語りなおし、本居宣長は「からごころ」の観念があって初めて、「やまとごころ」という観念を持ち出すことができたのである。庶民信仰の世界でも、思想史の中においても、神社や神道といったものは、仏教や儒教といっしょに考えなければ、ほとんど意味はない。

 しかし、江戸時代ではなく、現代に生きている私が神社を訪れた時、一体何を感じるだろうか。寺や湯島聖堂に感じるものと同じだろうか。それはまったく違う。 敷きつめられた砂利や石、広大な境内、堂々とした鳥居、そして何よりもその背後にある山と森、海と水を見たとき、それはどう考えても神社特有のものなのである。そして意外なことに、習合と共存が行われていたはずの江戸時代でさえ、神社には特有の空 気があったらしいのである。

 江戸時代はじめに日本を訪れたケンペルは、寺の建築の見事さについて述べ、「不恰好な仏像さえなければ、われわれは全体の装飾から、ローマ・カトリック教会の中に足を踏み入れたと思うであろう」と書いている。それに対して神社については、立派な鳥居、長い長い参道の割に、その建物は「粗末な木造の小屋」 で「大きい物置のようなものが藪に覆われているだけ」で「中はがらんとしていて、時々中央に金属製の鏡とか、数本の藁の束とか、またその代わりに細く切った白い紙片が房のように、長い縄に付けてあるものが 下がっていたりする」だけなのだ。 昔の欧米人の眼から見た日本は、私たちが過去を想像する上で役に立つ。なぜなら、私たちの生活が彼らの生活の方にずっと近くなっているので、私たちがタイムマシンで昔の日本を覗いたらこう思うであろう、 という感じ方にかなり近いからだ。そして実際、寺の豪華さと偶像や諸道具の明確さに比べて、神社はかや葺きの屋根と不明瞭で虚ろな空間からできている。目立つのは建築物や礼拝対象ではなく、砂利、鳥居、 巨大な縄、そして、山や森や海なのである。宗教的モニュメントとしては不思議なこの景観こそが、習合を繰り返しながらいまだなお神社が失わずにいる特性であり、今後、地球規模で意味をもつであろう、未来的な風景である。

 ところで、「神道」という理念や理屈はもともと、神々の世界のものではないので、その成立には仏教や儒教の言葉と論理を借りねばならなかった。しかし実際は、神道の力は自然の力であると同時に祝詞の言葉に 代表されるような「つらね」の言葉の力であり、そのようなシャーマニスティックな言葉の有り様は、日本の芸能や歌舞伎や物語の言葉と、その根を同じくしている。

 また、山、森、海、縄、岩、石、そして虚ろな社(屋代=屋の代理物)といった神社を構成している重要な要素とその空間配置は、人々の空間感覚と行動に微妙な影響を与え続けてきた。このような空間は寺の境内と違って、まるで河原のように、何が起こっても不思議ではない空間なのである。 阿国(出雲阿国)の一座 は北野神社で歌舞伎踊りを興業し、同じ頃、遊女たちは河原で歌舞伎踊りを興業した。井原西鶴は生玉神社で万句興業を開催し、同じ頃芭蕉は旅を住処とした。神社はこの時、河原であり、旅なのである。

 山水画、石庭、茶の湯、能、そして禅宗の日本的改変の根底にある意識の方向も、中国のような文明化を目指しながら、常に結果的に大自然と生命の野蛮なありようの方に向かってしまう。その不思議にねじれた方向性は、私には神社のもつ空間感覚や日本神話のもつ生命観と無縁だとは思えない。その意味で、仏教や儒教が言葉として信仰として日本人を圧倒し、変えてきたにもかかわらず、その身体的、全体的な存在のしかた、という次元で、神話と神社がもっている意味は、われわれが考えているより大きかったと思うし、 今後も大きいであろうと思う。ただし、神社神道天皇に万歳を唱えるかわりに、自然を拝し、祈り、守る宗教になるならば、である。

 南方熊楠は神社合祀反対運動を展開していたが、その明治45年前後、全国で57,238社の 神社の森がつぶされ、13万社強が合祀準備に入っていたという。神社と神道にとって真に危険なのは、仏教の権威ではなく、このような動きだろう。なぜなら、神社と神道の存在理由は山や森や岩や海の中にこそあるからだ。熊楠がアラヤ識(これは仏教用語)とよんで自分の精神の場とした、言葉を超えたあらゆる情報が一瞬のうちに総合される場は、山という神、樹木という神、水という神が存在してこそ、存在可能なのである。分節ではなく、新しい直観的統合の場が必要とされている。

 

 

 

 


 『神の多様性と多重化』   松岡正剛 


 今、神道は奇妙な位置にある。初詣にだけはどっと押しかける一般的な日本人が持っている神道の知識は著しく低く、近所の神社の祭神の名を知っている人も少ない。それでも「御利益」と「神さま」は しっかり結びついていて、たいていの自動車の中にはお守りがぶらさがっている。
海外における理解もかなり低いものである。私はボストン美術館神道アートを中心にした展覧会にかかわったことがあるが、観客の多くから「美術品はすばらしいが、日本人が神道を信仰していない理由がわからない」という質問をたくさんうけた。『聖書』にあたる 神道バイブルがないのも不思議らしく、右翼やヤクザと神道の関係についても何度も問われた。
いろいろ問題の背景にひそむ原因が考えられる。ここではおおざっぱに6つの視点にしぼって提供しておきたい。 「第一に、鎮守の社が後退してしまい、祭祀とともに人生の節目を体験しなくなったことが挙げられる。これをかつて私は「社にはじまるコミュニケーション」の低落とみた。代わって数々の祭礼はイベントととしてうけとられ、単なる人出の多い賑わいと思われるようになった。しかし、これであきらめてはいけない。 「人出」というのは実は重要な概念であって、神が常に「出遊 」や「影向」を伴うということと相俟っている。「出かける」ということは、その奥底に未知の神々と遊ぶという意識が関わっているのだ。かつてはこれを「出遊」とよんでいた。

 第2に、日本神話に対する関心が薄くなってしまったということがある。これは国家神道と戦争がむすびついたという暗くて危ない記憶がはたらいているためでもあるが、神話がもたらす「学び」や「癒し」の効 果(これをロラン・バルトは神話作用と名づけた)を低く見すぎたということもある。
もともと神話には共同体の記憶の原型が含まれる。記憶の原型はもっぱら物語という様式をとる。この物語を様々な形で語り伝えるうちに、そこに多様な芸能が発生し、複雑な意匠が形成される。神話と交差することは、何も国威を揚げるばかりの効用のためではなかったはずなのだ。
しかし、この点についても少しずつ訂正の兆候がみられないわけでもない。ソウルやバルセロナのオリンピック開会式に民族の神話が大々的に登場し、われわれは「民族の物語」を自分たちの手で捨ててき過ぎたことに少しさびしい思いをしはじめたからだ。私のところにも、国際神話シンポジウムや記紀神話のテレビ化などの企画依頼が舞いこんでいる。

 第3には、日本の神についてのイメージが誤解されているということがある。日本の神の原初的な本質は 「オトヅレ」にある。オトヅレはもともと「音連れ」で、何かが来臨するときに微かな音をたてたことに由来する。東南アジアにもピーという名のたくさんの神様がいるけれど、それらも多くは音をともなってやってくる。ただ日本の神々は、一定の時をへて、たいていはやがてどこかへ帰っていく。去来する神であり、一所に常住しない神なのだ。そうだとすると、神社は一種の仮泊の時空なのである。
このことは、そもそも「社 」が「屋代」であって、その「代」とはエージェントという意味だったことが理解できれば納得できる。そこが重要なのだ。それを折口信夫は神のマレビト(客神)的性格と言った。ということは、日本の神は「主としての神」と「客としての神」を交互に演じ分けられる神だということである。 そしてこのような主と客の役割を交換するという光景は、今日のわれわれも日頃お目にかかっているはずなのである。

 それは、自宅のお座敷や夜の街の料亭で、今夜も「いや、どうぞ、どうぞ」と席を譲りあっている、あのよく見知った光景にあらわれる。そこでは、ホスト(主)はつねにゲスト(客) に席を譲ることによって「主客の按配」を成立させている。その、人々がふと譲り譲られようとしている関係に、実は古来このかたの神々の気配が去来するのだ。

 第4に、知識人が神道を厳粛なものと考えすぎている。今度の神青協の大会には「好きやねん!神さん」 というキャッチフレーズが若い主催者たちによって選ばれた。たいへんくだいた表現だが、それでいい。神さまはしゃちこばってはいないのだ。神はもともと遊び好きであり、恥ずかしがりであり、またいたずら好きでもある。慎重であって、かつ唐突な多くの神人格をもっている。ヨーロッパの神にも嫉妬深い神や復讐に長けた神なと、たくさんの神がいる。この「神の多様性」ということをもっと伝えるべきなのである。

 また「神の多重性」ということももっと深く研究された方がいい。たとえば、アメノワカヒコ(天若日子) とアジシキタカヒコネ(味和高彦根命)の物語のあいだには、表面的には顔がそっくりであること、民間伝承としては瓜子姫伝説やアマノジャク伝説や七夕の儀式との関係、祭神問題としては賀茂社の先行形態、さらには桃太郎の原型や世界中に流布する流され王のルーツなどがかかわっているのだし、もっと普遍的には「類 似と再生」という人類学がかかえるきわめて重要な問題を示唆するいくつもの興味深い類縁性がひそんでいるのである。おそらくは、この2人の神だけで大半の世界神話の普遍構造を議論することだってできるに違いない。

 第5に、神道は日本人独特の表現世界の秘密をたくさんもっているのに、それが取り出されていない。国際社会における日本人のアイデンティティや独創性を持ち出したいなら、もっとわれわれ自身の社会文化史に刷りこまれていた方法の発掘に熱意を示すことを勧めたい。たとえば「言霊には霊力がある」という解釈 だけでは足りない。そこにはさまざまな情報編集技術が駆使されているということまで言及すべきなのである。

 一例をあげれば、オオクニヌシ(大国主命)とスクナヒコナ(少名毘古那)には「大と小」という言語力学の方法が作用している。ツヌグイ(角俄尊)やイクグイ(活概尊)には「くむ」という言葉がひそんでいて、ここには 日本人が好きな「情状酌量」とか「気持ちをくむ」という方法が隠されている。擬音や擬態を巧みに神名や神の性質に適用している例も少なくない。威神フツヌシ(經津主神)は剣が風を切る音を、水神ミズハノメ(岡象女神)は女性のおしっこの強さを暗示する。日本で擬似音や擬態語を駆使した劇画が流行する理由の1つに、実はこんなことも関与しているのである。

 最後に、神社の経営にあまりにも革新の意志がなさすぎるのではないかということをあげておきたい。神職に就いているからといって、経営を軽んじてはいけない。もともと経営という言葉は山水画の「経営位置」から出ている。「景気」という言葉も風景や景色の力を暗示した。その深みを理解すれば、鎮守の森としての神社を廃れさせないためにも、神社はいい加減なアルバイト感覚で経済を乗り切ろうとしてはならないのである。

 それには、「社」という時空間がつねに「市」や「繁盛」にかかわってきたことを忘れるべきではないだろう。すなわち、さまざまな意味での「交換」が成立しうるところ、交換のトポスであったこと、このことこそが神社の本質だったのである。そこには、「霊験と奉納」という交換ばかりでなく、物品の交換、身分の 交換、職業の交換、芸能の交換が、さらには物語の交換や、また熊野や住吉の有名な病気と治癒の交換などが含まれている。神社は人間の喜怒哀楽と生病老死のすべてがいろいろな仕組みで交換されてきた時空間なのだ。私は、これからの神社がそんな神社であってほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

『心に海を  ― 速さすら姫の精神で』

                    鈴鹿千代乃  神戸女子大学助教授 (神道学)

 
 ここ3年の間に、私は何度か不思議な空間を体験した。この15年、取り組んできた筑紫舞のうちの神舞(宮司舞)の伝承を年来の友人である何人かの神主さんたちに呼びかけた。3年前から筑紫舞の中の「あづまもの」の伝承が、川崎の稲毛神社(市川緋佐麿宮司)で、関東の10社の神主さんたちが集まってはじまった。
この舞の日本でただひとりの伝承者である西山村光寿斉氏は、10年前から福岡市に住んでおられるが、神戸生まれの神戸育ち、生粋の神戸っ子であるから、関東のことは何もご存知ないのである。
その光寿斉氏をご案内して、関東の神社へ行くと、光寿斉氏の幼いころーそれは、今から60年も昔のことだが―関東地方から舞を教えにはるばる神戸へ来た人たちのことを鮮やかに思い出されるのである。
しかも私の呼びかけに応じてくれた1人1人の神主の神社の伝承と、光寿斉氏が聞いておられた話とが不思議と一致するのである。

 横浜の師岡熊野神社(石川正人宮司)の三つ足烏の伝承、千葉の道野辺八幡宮(北山武司宮司)の道中守護の八 幡様の伝承、茨城の大甕(おおみか)神社(朝日敬輿宮司)の大甕にまつわる伝承などなど、神社側の伝承と、関東からきた芸能者たちが幼い少女に繰り返し語った話とが一致するのである。

 稲毛神社にいたっては、大祭である山王祭に脱落してしまった芸能を光寿斉氏が伝承していると考えられる節がある。
そして鹿島神宮に詣でたとき、光寿斉氏が「鹿島神迎えの舞」を思い出され、昨年の「筑紫舞の会」で300年ぶりの上演となったことは、鹿島大神のお導きとしか考えられないことであった。
私は、年来の友人に伝承を呼びかけただけである。しかし、その友人の奉職する神社が、すべてこの舞に何らかの関わりを持っていたという事実を、私は、もはや偶然という一語では考えられなくなった。
尾張でもあった。昨年より、やはり年来の友人である三輪隆裕氏と半田茂氏とに伝承を呼びかけたところ、2人とも快く応じてくれ、名古屋の上野天満宮(半田寛宮司)で伝承が始まった。

 ここでは、半田一族の伝承を尾張から来た芸能者が光寿斉氏に語っていたし、三輪氏が宮司をつとめる清州の日吉神社に詣でた時、豊臣秀吉の出生にまつわる伝承で、神社側の伝承と一致した。さらに、社務所に掲げられた、歴代氏子総代の写真の中に、尾張の芸能者たちを連れて神戸に来たと光寿斉氏が記憶している人がいたのであった。

 そして、その芸能者たちこそ、60年前までは確かに全国ネットワークをもって存在した傀儡(くぐつ)族であった。
傀儡の芸の本質は「祓え」の芸である。彼らは古代末期には史料に登場する。彼らは、非農耕民であり、非定着氏である。街道をさすらい、芸の力で農耕民、定着民のケガレを祓い、祝福した。彼らは、神社を点とし、街道を線として、全国にネットワークを形成していたと考えられる。
彼らは、中世期までは、れっきとした誇り高き職人であった。権門勢家に招かれて芸を披露し、能楽や、人形浄瑠璃・歌舞伎といった芸能を大成させた一族である。
祓えの芸という意味からすれば、宗教者たる神主や修験者たちも、その源流は傀儡族に求められよう。いわゆる「渡り神主」「歩き巫女」といわれた、さすらいの宗教者たちや、霊場を掛搬する修験者・山伏の徒もここから分かれた人々である。

 
 毎年、6月と12月の晦日に神社で執行される大祓(おおはらえ)の行事には、延喜式以来の「大祓詞」が読みあげられ る。そこには、われわれ人間(定着民=農耕民)の生みだした罪・ケガレが、天皇の呪力によってまとめられ、 川から海に流され、神々のバトンタッチによって根の国・底の国に坐す、速さすら姫という女神にあずけられると記されている。そして、その速さすら姫が、その罪・ケガレを消滅させるのであるが、その方法は、 ただひとこと「持ちさすらひ失ひてん」とある。
速さすら姫がその罪・ケガレを持ち、「さすらふ」ことで消滅するという一条は、われわれの祖先が罪・ケガレをどのようにとらえていたかを語ってあまりある。

 つまりは、海の潮の聖なる呪力によってのみ、この恐るべき罪・ケガレは浄化せしめられるのだという認識である。
罪・ケガレは、これを生みだす農耕民(定着民)には、絶対に浄化せしめることはできない。それは、さすらいという行為によってのみ浄化される。ここにさすらいの宗教者たちの存在意義がある。彼らは、祓えの芸を演ずることで、定着民たちのケガレを身に受けたが、彼らは、これを街道を「さすらう」という行為によって消滅させた。
傀儡族のルーツは、海人族(あまぞく)であることもすでに言われている。彼らは、速さすら姫の坐す海から来た聖なる民であった。

 傀儡のネットワークが切られたのは、おそらく明治の頃であったろう。国家神道には、神主自身が芸を演ずることで神と交流するという一条は必要なかったからである。
そして、いまから60年余の昔、秘かに伝えていた彼らの芸を、神戸の造り酒屋の娘に生まれた1人の少女に、全国の傀儡が来ては教え込んでいったのである。彼らはいつ召集があるかわからないという危機感の中で、必死に教え、彼らの神の話を少女の魂の奥底に注ぎこんだのである。

 60年後の今、光寿斉氏も私も、何か目に見えない糸に操られてそれぞれの神社に連れて行かれているような気がしている。
今こそ、その土地その土地の神々が本来の御姿で目ざめようとしているのではないか。切られたネットワークをつなごうとされているのではないか。そんな息吹きが私には感じられるのである。
神社こそケガレを封じこめ、これを浄化する聖域である。そこに仕える神主は、心に海を持ってほしい。 速さすら姫の強力な祓えと鎮魂の呪力を支柱にしてほしいー1人の神社参拝者として、私は切に思う。

 

 

 

 

 

 『わが道の神社と神道』        薗田稔 京都大学教授 (宗教史)

 いまから8年前に『神社新報』に寄稿して、次のように述懐したことがある。「 いづれにせよ所詮、道は歩むもので、言葉に聞いてわかるものではないということであろう。自分の足で 探し求め、自分の心に聞いて自ら踏み固めるべきが「道」であって、先輩が歩んできた道をそのまま安易にたどると考えること自体が誤りということに尽きる。道は出来合いの与えられるものでは決してない。 求めてやまぬものが自ら道を成すー。祀職を継ぐ者に許される道の信仰とは、ぎりぎりのところそうした ものにちがいないとは、ようやく大学を出るころの心境であったと思う。」(拙稿「道の家族」昭和61年3月31日) なにやら宣長大人めいて今は気恥ずかしい文章だが、ようするにいつの時代の神道人にも、いま流行のマニュアルはないということである。
いっそ、かの南山大師のように「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」とでも言うべきか。その言わんとするところ、どの宗教の道もまた学問の道も同じだと思う。

 ところで今回与えられたテーマの1つは、「外から見た神社・内から見た神道」というものである。これ は、いってみれば神社・神道アイデンティティ、つまり我らが神社神道の自己規定にほかならない。望ましい斯道の自画像を語れということに違いない。
そうであれば、ここで責任をもって語るべきは、私が自分で奉じている神社や神道のあり方以外にはない。 そこでわが私見ないし偏見を覚悟の上で、以下やや逆説めいた否定命題を、さしあたって6つほど申し述べてその責を果たしたい。

 

 1「神道は歴史ではない」

 いうまでもなく神道には長い歴史がある。だが、歴史が古いから神道尊いのであろうか。古ければ尊いのであれば、仏教やキリスト教のほうがよほど古い歴史をもっている。現代は新奇なものを喜ぶ反面、 むやみに歴史をありがたがる一種保守化の風潮がある。神社に参拝する善男善女の中にも神社の由緒で古さを強調すれば、それだけで満足する者が多いので当惑することがある。神社はあくまで祭りの場である。 そして祭りは時代を超えてつねに新生であるからこそ尊い神道は永遠に古式が歴史を無化するからつねに
新しいのである。 伊勢の式年遷宮 は、新築の御正殿にすべての神具を新調して御祭神の新生をこそ祝う。神社や神道は歴史があるから尊いのではなく、 祭りにおいて常に新しいから尊い

 
 2「祭りはイベントではない」
 
 近頃、神道の祭りをイベントと混同する手合いが多い。神職にも区別を心得ぬ者がある。伝統の祭りもイベントも同じ催しには違いないが、本質は正反対である。イベントは趣向を変えて新奇を追うところに効果があるのだが、祭りは逆に同じ趣向を繰り返すところに大切な意味がある。年ごとに古式床しい祭りが為されてこそ祭る者の安心立命があるのだ。祭りがイベントになれば陳腐化して滅びるが、もしイベントが祭りに組み込こまれれば、それは賑わいの「風流」になる。祭りはあくまで永遠回帰の神話的再現である。


 3「神は在るのではない」

 神々は、あたかも物があるように存在するのではない。我ないし我らが所有するように有るのだ。我らが 自我を有するように我ら有ってこそ神も有る。我らが有らんとするからこそ神もまた有るのだ。有るとはただ在るのではない。有るとは所有、つまり持つあり方である。神有ってこそ我、我有ってこそ神である。客 観的に物が在るように神々の霊界が在るのではない。我らが有って生かしめられることのさきに畏怖すべき 神の霊性を主体的に感得する。神秘とは客観的なもののあり方ではない。我らが主体的に神秘を客体化する ことのあり方にほかならない。科学や似非科学で実験や実証をする体のものではないのである。


 4「神社は教会ではない」

 神社はまず神を祭る、つまり神の臨在を待ち迎え、侍座して奉仕する祭りの場であって、説教したり修行する教会や道場ではない。神の社は神の杜でもあって、清浄な森や自然の風物に富む森厳な聖域をその理念としている。古来日本人は、植生豊かな自然を風土化して家郷世界を築く中で、生活に触れる風土の神々を発見し祀ってきた。いわゆる鎮守の社や森は、そうした生活風土に住民が感得した目に見えぬ神の霊性を 客体化した造形である。カミとは語源上、森山や水源に隠れた生命本源の霊性を指すからである。季節に沿 う生業の折り目ごとに、姿なき神のミアレを待ち迎えて祭る里宮が神社の祖型といってよい。


 5「神社は個人の宗教ではない」

 かくして神社は家郷秩序の原点であって、なによりも住民共同の心のふるさとである。日本の集落秩序には中央に広場を欠き、その中心は形を見せないが、実は集落の「奥」に鎮守の森があって、いわば「透明な秩序」を構成している。ふだん住民は個別に参詣することもあるが、参詣せずとも要は鎮守の健在に安 心の生活がある。しかし年に何度かは鎮守から神を迎え、ムラがマチ化して祭りや市のにぎわいが共同体の再現となる。マチもイチもマツリも同語源の言葉だから、元来マツリはムラをマチ=イチ化して地域社会を 真のコミュニティたらしめる貴重な宗教文化なのだ。だから神社は、個人的信心を超えて本来コミュニティ 共同の宗教といわねばならない。現代のムラおこし、マチづくりにもっともふさわしい拠点と神社をすべき理由がここにあるのだ。


 6「神職は職業ではない」

我らは、時に自嘲して「神主は喰わん主で、神職は貧職だ」という。 確かに、今時全国にたった2万人ほどしかいない職種で、しかも専業で自活できる者がその2割でしかないという職業はほかにあるまい。現代の職業観からすれば、まことに憂れうべき実態である。だが、 よく考えれば、もともと神職は生計をたてる職業ではないのだ。神主とはすなわち祭主の役で、神職はかつ ての社家社人の総称である。しかも近世以前は、純粋の社家社人は当時も数少ない大社に仕えるばかりであった。今でも8万を数える大多数の中小規模神社はかつて神仏習合の形で寺持ちか、せいぜい宮座の当屋神主か修験山伏 の管理にまかされていた。つまりもともと大部分の神社は兼帯か兼職か、あるいは兼務の者が奉仕するもので、専業がなりたつ職場ではないのであった。だから明治の神仏分離で神社がみな独 立したからといって、その多数を専業の職場とみなすことにはじめから無理があるのだ。そこで神社を生計 の立つ場と最初から決めこんで無理をすると、あるいは神社本来のあり方を損なうおそれなしとしないので はあるまいか。

 私の見るところ、神職はまた出家でも聖人でもない。世俗を捨てても世俗を見下ろしてもいけない。ごく当たり前の生活人として、ただ誠実に生きる人々を代表して祭るべき神に奉仕する者でありたいと思う。 たとえ兼業であっても、むしろ奉仕社を生計の具にせぬことに誇りをもってよい。付言するまでもなく、誠実な神社奉仕の結果その報酬でもし自活が叶うならば、そこには感謝の生活あるのみである。

神道青年全国大会記念シンポジウム講演記録 Ⅰ

   神道青年全国大会記念シンポジウム講演記録 Ⅰ   ― 1992.3

 

  「神々の生物学 宗教の進化について」 

    ── ライアル・ワトソン博士 (Ph.D Lyall Watson)

 

  人間は特別ではない

 私たちは動物です。しかも、他の生物に対して強い優越感をもった、きわめて変わった動物です。自分たちを他の生物と分けて考え、神話や信仰の中でも、自分たちの特異性を強調し、特別の存在だと主張しています。他の生物を好き勝手に扱ってよい、資格や特権を持っているかのように考えているのです。
しかし、人類が他の生物とあきらかに異なっているという証拠を、科学はひとつも見つけてはいないのです。相違点についてひとつ考えつくたびに、他の動物が数世代にわたって、それと同じことを行なってきたという証拠が見つかってしまうのです。かつてはその独自性の証明として、人間だけが「道具の使い手」であるといわれていました。しかし、いまではハゲワシもダチョウの卵を割るために、卵の上へ石を落とすという手段をとることが知られています。また、人間だけが「道具を作る」ともいわれていました。しかし、チンパンジーがシロアリやアリをつかまえるために、その巣の穴に突っ込めるような適当な道具を小枝で作ることが発見されると、この説も放棄せざるをえなくなりました。「人間は特別」学派にとっての最後の砦は「人間だけが抽象概念を描くことができる唯一の動物」という主張です。しかしこの説も、イルカやサルが心の中に概念を持つことが完璧にでき、少し時間がたってからでも、その概念を違った状況に当てはめて考えることができる、ということが数年前にわかったとき、崩れ去ってしまいました。

 私はかつて、飼育場で生まれたイルカの赤ちゃんが、タバコを吸う人に初めて遭遇したところを、目撃したことがあります。イルカは水槽の中のパネル越しに、覗きこむようにして、観客がタバコに火をつけるところをじって見ていたのです。その人はイルカが自分に興味を示していることに気づき、ほんの戯れに、窓ガラスに向かって口から煙を吹きかけました。イルカは驚いて後ろに下がり、しばらくの間じっと、考えこんでいました。それはあたかも、いまの出来事を心の中で思い巡らし、その意味を理解しようと試みているかのようでした。やがて決心がついたのでしょう。目の前から泳ぎ去りました。私はイルカの赤ちゃんがいったい何をたくらんでいるのだろうかと思い、ずっと様子を見守っていました。
赤ちゃんイルカは、母親を探しに泳いで行ったのです。まだ授乳期だったらしく、お母さんのオッパイを飲んでいました。少なくとも私には、それだけとしか見えませんでした。しかし間もなく、私がその赤ちゃんイルカの天才ぶりをきわめて過小評価していたことに気づいたのです。

 次に私が見たものは、その赤ちゃんイルカが水槽のまわりをグルグルと泳ぎまわり、観察窓をひとつひとつ覗きこんでは、観客用の通路をちらっと見やる姿でした。タバコを吸っている人を見つけ、注意を引きつけるまで、そ の動作をひたすら繰り返していました。それから、私が40年間動物の行動を観察してきた中でも、もっとも驚くべきことをやってのけたのです。
その赤ちゃんイルカはそれまでずっと母親のミルクを口の中にふくんでいて、そしてはっきりと意図的に、ガラスに向かってプッと鋭くミルクを吐き出し、モクモクと白い流れをつくり出したのです。それはまるで タバコの煙が空中を漂っているようすを、水中で完璧にまねたかのようでした。ほんの短い間に、その イルカは抽象的な概念をもつ能力があり、それを創意に富んだ理知的な方法により置き換えることができるばかりでなく、愉快なユーモアのセンスをも持ち合わせていることをはっきりと示したのです。

 私はイルカや野生のチンパンジーについて研究してきた結果、これらの動物をはじめ多くの動物が優れた知性、非常に強い個性をもっているということに疑いの余地がなくなりました。これらの動物たちと私たちとが本質的に違うことを示すのは、ほぼ不可能であると思うのです。

 ただ1つの可能性は、18世紀に英国の哲学者エドモンド・バークによって提唱されたことです。彼は 人間を「宗教心をもつ動物」だと言いました。これはたしかに真実です。人類の歴史において、宗教はもっとも深遠な力の1つであったことを誰も否定できません。このような深い情熱的な感情を私たちに与えうるものは他にありませんし、また宗教ほど多くの戦争をもたらしたものもありません。そして、もし他のいかなる生物もこのような宗教心を持ちあわせていないならば、それがどこから来たのか、なぜ、どのように起こってきたのかを問い正さなければなりません。
しかし、そのような問いかけを始める前にひとつ大切なことがあります。私は宗教的体験について語ろうとしているのです。私たちが神聖なるもの、神々しいものと呼ぶ、自然の中の神秘的な存在にときおり触れる、あるいは気が付くという感覚について、語ろうとしているのです。私はそのような感覚の正当性に関心をもっているのではありません。しばらくは、神が存在するか否かということはおいておきます。

 ただ、私は、16世紀にフランスの随筆家ミッシェル・モンテーニュがその問題について語ったことに、 ある種の共感を覚えるのです。「人間は気が狂っている」「人はノミをつくることはできないのに、何ダースもの神々をつくりだす」と彼は言いました。それもまた真実です。人のつくりだした神々のリストは長すぎてはかりきれません。私は八百万の多くの神々を記した神道のテキストを見たことがあります。「八百」とは神秘的な数で、「万」とは非常に大きく、想像をはるかに越える数ということでしょう。しかし、私たちが崇敬する神々の多さ、またそうせざるをえない人々や文化の多様性を考えると、いまここで問題にしていること は基本的なことであり、生物としての欲求の中に、このことが入っていると考えざるをえないのです。

 私が言いたいことは、神々を敬う気持ちはそれをよりよく理解すればするほど、性と同じくらい、極めて重要な人間の本質の一部だと、わかるかもしれないということです。そして、宗教的体験とは何であるのかという問題に対応していくことは、私たち人類のつとめのひとつでもあるといえます。私は生物学者であり、進化論的観点から物事を考える訓練を受けてきましたので、いま私たちが探索に向かう方向、つまり宗教心は一体どこからおこってきたのかということを理解する唯一の方法は、過去をふりかえる、生物の発生起源をふりかえることから始まると考えます。

 


 神秘とDNA

 地球上の生命の歴史は30億年前にまでさかのぼり、この間徐々に進化し、より複雑に変化に富むようになってきました。これは仮説的理論ではなく、規定の事実です。私たちは連綿と続く生命の鎖の一部です。 私たちの祖先をたどっていくと、小さな脳をもつ動物や樹上で生活するネズミほどの小さな哺乳動物、さら には両棲類や呼吸する魚、そしてもっとも単純な初源的な生命にまでつながります。これは希望的観測によってつくりだされた、想像上の歴史ではありません。明確に年代が推定される堆積岩の中の化石のような、 実際の記録を見ればわかることです。 この進化を示す「生命の樹」という言葉は広く使われるようになっており、私たちはこれを、定まった事実として、もはやそれ以上考える必要がないものとして受け入れてしまっているように思えます。しかし、 それはとても残念なことです。なぜなら、このことは壮大な考え方を示しており、次から次へと遺伝子を次代に伝えている、何十億世代もの細胞のつながりを経て、私たちはいまここに存在しているということを意味しているのですから。私たちははるか昔、奇跡的に生命が脈打ち始めて以来続くロセスの一部なのです。 あなた方と私はまさに最初の一個の細胞にまで行き着くのであり、この遠大な統合性は事実として受け止めるべきです。そしてこのことが、なぜ私たちがこの世に存在するのかを問うときに、必ずかかわりをもってくることなのです。

 世界の成り立ちやしくみについては、すべてわかっていると主張する人々の確信は、16世紀にコペルニクスガリレオが、 地球は宇宙の中心ではないと証明したことにより粉砕されました。さらに私たちの自信は、19世紀においてふたたびぐらつきました。ダーウィンと彼の門弟たちが、人間は特別な創造物ではなく、それぞれが生存競争を行いながら、密接な関係を保ちつづけている生物たちの中の、ひとつの種にすぎないということを示したからです。ダーウィンの業績が当時の指導者たちに大きな衝撃となったのは、生物とは神によってつくられたものではなく、単に生存競争を通して、自然の淘汰によって形作られると示唆したからです。自然界には計画などなく、したがって計画を立てる者もなく、すべては偶然によっておこるのだと、彼は主張していると考えられたのです。

 チャールズ・ダーウィンが、当時の宗教指導者から、なぜあのような猛烈な攻撃をうけたかは、もう明らかかでしょう。世界の成り立ちという創成説を説く宗教指導者たちは、ダーウィンの説が自分たちに直接的な脅威となると見てとったのです。彼らが説く創成説こそが、人と神の仲介者として、彼らを特権ある地位につけていたからです。ダーウィン説は最終的に宗教の説く創世説などというものを必要としない、進化のメカニズムや遺伝子やDNAの発見というものにまで、怒濤のごとく発展していったのです。

 1960年代の人々は次のような言葉を聞いたでしょう。「神は死んだ」と。しかし、そのような極端な考え方も、最近はより思慮深いものに変わってきています。遺伝学や生化学やコンピュータモデルが、進化は どのようにおこるかを理解するのに大いに役だっていることを認めはするが、科学だけでは説明のつかない、いくつかの神秘的な事柄が残っていると考え出しているのです。
私はみなさんとともに、これらの神秘について探求したいのです。それらが世界の創成や崇敬心というものについて、重要な糸口を与えると信じているからです。
しかし、そのためには、まず進化がどのようにおこるかを見る必要があります。動物や植物のかたちは、 そのすべての遺伝子の相互作用によって決定されます。時として、遺伝子のいくつかに「突然変異」と呼ばれる自然発生的変化が起こることがあります。その結果、遺伝子の効果が変わり、自然淘汰が作用する範囲を多様化するのです。

 たとえば、あるハムスターの毛の成長をコントロールする遺伝子に変化がおき、毛が長くなると、そのハムスターはほかの毛の短いハムスターよりも、寒い冬を有利に過ごせることになります。多くの冬を迎えるうちに、この種の毛の長いハムスターが増えてくることになります。このことは想像以上に、きわめて早く起こりえます。ハムスターが10年生きて、1年ごとに10匹の子供を生むことができるとすると、10年間で2000万匹を越える子孫が生まれることになります。もちろん、このようなことは実際には起こりません。10匹のハムスターから1匹だけが生き残り、90%は環境の中で淘汰されてしまうからです。そのため、生き残ったハムスターたちはお互いに密接な関係をもち、驚くべき数の遺伝子を共有することになるのです。

 このことは人間にも起こります。どうぞ、あなた方自身の祖先に思いを巡らしてみてください。あなた方ひとりひとりには2人の親があり、そして4人の祖父母、8人の曽祖父母、16人の高祖父母、そしてさらに、と続いていきます。さて、もしそれぞれの世代がざっと30年続くと仮定したら、この一千年のあいだにあなた方の一家で多分33か34世代目となるでしょう。一千年前、9世紀までたどって考えてみ ると、あなた方ひとりひとりの祖先の数は10億人を超えることになります。もちろん、そんなことはありえません。平安時代の日本の総人口は500万人そこそこだからです。

 私たちは共通の祖先をもち、思った以上にお互いがより密接な関係をもっているのです。たとえば、あなた方誰もが藤原氏の一員であった先祖をもっているかもしれないし、自分の血管の中に皇室の血が通っているかもしれないのです。私たちはほかのすべての生物と同様に多量の遺伝子を交換し、それにより濃い毛や違った鼻の形という新しい特徴が、集団に非常に早く広がっていくことを可能にしているのです。 地球上で生命が誕生して以来、何十億世代にもわたって、遺伝子プールは様々な配合を行なってきました。そのため、人類の起源をたどることは、私たちの先祖を追求するだけでは終わらず、すべての生物を 生み出すのに共通に必要な化学的性質にまで、その起源をたどることになるのです。このことは、世界の安寧はすべての物事のかかわりの中に存在しているとする、神道の見解に非常に近いものがあります。このよ うな結論が、純粋に科学的な裏付けによってなされたということはすばらしいことです。

 


 生きのびるための経験知識

 さて、このことを念頭において、どのようにして進化がおきてきたかを振り返ることにしましょう。まず化学的物質のランダムな交ぜ合わせが、進化の基になっています。この過程はまさに機械的なものですが、 次の段階ではランダムではなくなります。どの種が成功し、どの種が失敗するかを決める選択の過程であって、偶然にまかすというようなことではなくなります。毛の長いハムスターが毛の短いハムスターよりも、 厳しい冬を乗り切ることができるように、彼らの生存率は平等ではありません。結局は、冬という環境がその選択を行なうのです。 毛の長いものが生き抜き、次の季節に子を繁殖する。そして、毛の短いものより数が多くなるという、選択を行なうのです。毛の短いハムスターが自分たちの生存率を上げるために、他のなんらかの解決方法を見つけないかぎり、これは確実なことです。

 実際本当に、その解決方法を見出したハムスターがシリアにいます。彼らは毛の長さを変えるかわりに、その行動様式を変えたのです。つまり、寒い冬に一日中食べ物を探し回るかわりに、深い穴を掘り、十分な食料を貯蔵することを選択したのです。彼らは身体を変えるのではなく、様式を変えることによって、冬という淘汰の圧力に対応したのです。そして冬以外の季節には、彼らより毛の長い仲間たちと、同じ条件下で競い合って生き残ってきたのです。
これを進化における戦略と呼びます。それは表面上はとても単純で、あたりまえのことのように見えるのですが、実はそうでもないのです。実際、いくつかのなかなか解きがたい疑問を提起しています。シリアのハムスターが食べ物を貯蔵することを始めて以来、彼らの頬の部分が大きくなるという現象が生じました。 それによって、各々の巣へ持ち帰る食料が以前よりも10倍も多くなり、貯蔵がより効率よくなったのです。 中近東の過酷な冬は、ハムスターの世界に作用した最初の選択の圧力でしたが、次に他の要因が出てきたのです。つまり、種の中で作用する、動物の頭の中における精神的な要因です。

 このハムスターは、ある意味で、あのタバコの煙をまねて見せたイルカと同様に、賢明な頭脳をもっていたのです。考え方が変わることによって行動様式が変わり、それが次には、偶然より大きな頬をもった次の世代の子孫たちに、有利な選択の要因として作用したのです。進化の多くは、このようにして起こります。 たとえば、陸上で生活する動物が、たまたま偶然に、水掻きのついた足を獲得し、それから水の中へ飛びこむことをはじめたとは、誰も思わないでしょう。また、カワウソの祖先が泳ぐことを身につけるまでには、 浅い水の中にいる魚をじっと見張っているという時期が、非常に長いあいだあったと考えるほうが、より納 得できます。いまでも、泳ぐことはカワウソの本能とはいえません。子供のカワウソは水をいやがり、両親 から水の中へ入ることを強制されなければ入らないし、泳ぎ方も教わらねばなりません。しかし、いまや彼らは水掻きがあるという、祖先と比べて有利な点をもっています。彼らの歴史上のある時点で、足の指の あいだに膜が生じるという偶然の変化がおこり、それが、新たな水中生活に有効にはたらき、膜のない効率の悪い指よりも、優先して保持されてきたからです。
進化における大きな変移の多くは、このように行動様式の変化がのちに生物の組織構成や機能の変化をも たらすというかたちでおこります。このことは、自然史において動物の精神生活や頭脳が大きな力を持つと考えねばならない、ということを意味しています。たしかに、この力こそが意識や覚醒の発達を、また私たち人間は特別な存在である、というような考え方を導き出したのです。

 私たちは知識をもっていることを誇りにしています。そして、この知識は基本的に2つの形態をとることがわかり始めています。まず最初の形態は、言葉や記号を使って表現する以前の、私たちが行なっていることや感じていることの自覚というものです。これを純粋経験と呼びましょう。そして2つ目のものは、言葉や図式や数学的記号で表現される「知ること」の部類です。これを象徴的知識とよびましょう。この2つの相違は明瞭で、簡単に理解できます。山の中を1人だけで散策するとき、私たちは木や岩や川につい てなんらかのことを学び、自分の感情を言葉にしないでも、それらの美しさを鑑賞することができます。それが純粋経験というものです。その後家に帰り、その日の出来事をほかの人に話したり、あるいは友人に手紙を書き、その散策で感じた自分の気持ちを伝えようとします。それが象徴的知識です。
どちらが最初のものかはいうまでもありません。純粋経験がなければ、どのような象徴的知識もありえな いのです。純粋経験を象徴化しないかぎり、それについて話すことも書くこともできません。いいかえると、 純粋経験は主観的であり、自分自身の中で行なうものです。一方、象徴的知識は客観的であり、他者と共有しうるものです。象徴化された物事は、それを批判的に考えたり、論議したり、理解することもできるが、 純粋認識はそれを象徴化しないかぎり、そのようなことはできないということです。

 

 
 宇宙の意識を共有する

 さて、ここからが本題です。科学と博物学には象徴的知識がかかわり、議論するのもかんたんです。しか し、宗教と芸術は、本質的には言葉では語られない経験なのです。どんなに高尚な宗教的、美的経験をした人でも、他人にそれを説明したり、描写したりするのが非常に難しいのはそのためです。しかし、自然界における私たち人間の独特な強さや特殊な才能は、まさにその困難なことを克服させたのです。私たちは 言葉によらないかたちで獲得した知識を明確にし、コントロールして有効に利用しています。このことが人 間と他の動物とのちがいです。多くの動物たちも純粋経験は共通に体験しているでしょうが、私たちが行なう象徴化という方法で、経験を反芻することはできないのです。

 自然界についての私の経験からいえば、イヌもネコもウマもサルもイルカも類人猿も、さらにはカラスも オウムでさえもみな、私たち人間とほとんど変わらないかたちで、この世界に対する言葉によらない経験を共有しています。実験によると、迷路を抜けだすことに関しては、人間もネズミと変わらないのです。初め て迷路に入ったときには人間もネズミも、頭の中に地図をつくろうとします。2回目には、もっと早く抜け出せるようにするためです。このとき人間にノートをつくったり図面を描いたりするという、言葉によらない経験を象徴化することが許されないかぎり、人間とネズミには差がありません。実際に多くのばあい、言語化以前のレベルでは人間と他の動物たちとの間に違いはないのです。典型的な事例として「賢いハンス」と呼ばれた馬がいました。その馬は黒板に書かれた複雑な数式の解答を、脚を鳴らして示すことができるように見えました。科学的調査の一団がそのことを確かめにやって来ましたが、その馬が誰よりも鋭い観察力を発揮していたことに気づかず、その馬をほめたたえました。その馬は科学者たちが意識しないで示す反応を見て取り、正しい答えを見つけていたのです。

 言語化されないレベルでの能力に関しては、もっとも優れた人でも動物たちに及ばないことが明らかになりつつあります。子供たちは大人よりも少しは優れているものの、それも彼らが話すことを身に付けるまでのことです。人類という種として私たちが唯一優れている点は、物事に対する全般的理解を高めるために、純粋経験を役立てということだけです。言葉によらない経験を明瞭に語ることによって、私たちは世界を知的にコントロールしているのです。言葉を使い分析し、記号化することによって、物事を不明確なものから明確なものへと分類するのです。

 私たちが純粋経験を言語や記号によって共有し、そして文化を構築してきたこの数百万年の間に、人類の知識がおよぶ範囲は、脳そのものが大きくなりながら、驚異的に発展してきています。この点こそが、 ほかの動物と異なる点です。しかし、このことはすべて、すでに人類が生まれる前から存在していた意識に基づいているのです。聖なる意識、ある大いなる力にときおり触れているという感覚は、私たちと他の生命が共有している宇宙の純然たる意識の一部であると、私は思います。
船を走らせるとその舳先にイルカがやってきて、船といっしょに泳ぎまわります。イルカたちは楽しんで やっているのでしょう。散歩につれていってもらったイヌは、うれしそうに走りまわります。また、赤ちゃんが死んでしまったゴリラは、死んだ赤ちゃんを胸に抱いて、本当に悲しそうにしています。チンパンジーが日没どき木の上に登り、真っ赤な夕日を眺めている姿を見たことがあります。私には夕日を楽しんでいるとしか見えませんでした。

 私たちの精神的な生活と動物たちの行動の情緒的な側面とを分けて考えることは、本当に難しいこと です。また、そんなことをする必要もないと思います。私たちは他の意識ある生物たちと多くのことを共有し合っており、ただ一点、象徴的思考や論理的思考の力においてのみ、他と異なるのです。

 


 外側と内側の権威

 論理的思考や言葉は、知識と経験の広がりを導き、それによって得られた利点が世代から世代へと伝えられることを可能にしました。そして、このことが進化の本質そのものを変え、私たち人類だけに、自分たちの運命を自分たちの手でつくりだす能力を与えたのです。これは大きな進歩ですが、必ずしもよき進歩というわけではありません。進化はつねに生存競争のためにより適した種をつくりだすと考えるのはまちがいです。生存競争を勝ち抜くために巨大すぎる角や過大すぎる花をもち、それゆえに、自分自身が絶滅してしまった動物や植物がたくさんあります。

 私たちも同じ道を歩む危険性があります。この力は私たちを進化の新たなレベルへと導き、その結果としてすばらしい果実をもたらしてくれました。しかし同時に、ヒンドゥー教イスラム教、カトリックプロテスタント、そしてアラブ人とユダヤ人とのあいだにおける悲惨な戦争に人類を追いやっている、宗教への情念のようなものをも含む力であることを、強く認識する必要があります。私たちは人類の宗教心の起源を慎重に考え、それが私たちの生活と、どのように結びついているかを理解しなければならないのです。

 私たちが成し遂げた大きな飛躍の本質は、私たちはいまや伝統の上に生活を営んでいるということです。 ハムスターには、そのようなものはありません。たとえ生まれたばかりのハムスターを両親から離し、親から学ぶ機会をなくしても、彼らはハムスターであり続けます。彼らの生態に、目につく変化はありません。 しかし、人間社会では、そのような孤立があると、一世代のうちに崩壊してしまいます。伝統、つまり共有知識は、私たちの生活の一部になっているのです。私たちが生き残っていくために必要な能力を保護し、共有し、そして増大させる方法となっているのです。 「私たちの身体は、この300万年の間に、ほとんど変わっていませんが、頭脳は飛躍的に変化しました。 頭脳は私たちの裸の体を守る新しい力であり、私たちよりも強くてすばやい動物と戦うのに必要な武器を与え、また誰も食料を手に入れられないときにも、食料を生産することを可能としたのです。頭脳が自然淘汰の力を、人間の計画に置きかえたのです。しかし、そのことがいまでは、地球上の数百万種の生物が、 たまたま有用だとわかったほんの数種類の栽培植物や家畜動物に駆逐されるかもしれない、という状況をも たらしています。

 このことは非常に重要な点です。この新しい文化のシステムは自然に伝達されるのではなく、学習によって伝達され、各々新しい世代がその教えを受けとめる用意があってこそ、うまく作用することができます。 そのことは、新しく生まれた赤ちゃんは、情報の受け取り手として訓練されねばならないことを意味しています。教わったことはすべて信じるように、しつけられていなければならないのです。人類が文字どおりひとつとなり、「信じる」ということを行わなければ、伝統は伝承されません。過去300万年のあいだ、私たちは他のいかなる動物よりも、子供のとき教わったことを信じる生き物へと進化してきたのです。私たちは子供の時から、両親の伝統や信条を守るように条件づけられた、教化に適した動物なのです。生まれた時から、規律を学ぶようにプログラムされているのです。

 年をとるにしたがって、私たちは伝達された情報を取捨選択することができるようになります。事実でないとわかると捨てることもできるし、取り換えることもできます。これは、生物の進化において致命的な遺伝子が排除されたり、有害な突然変異を避けたりするように、自然の摂理でもあります。私たちが、地球全体の文化にとって不可欠なものとなっていくにつれて、そのことは一般化しつつあるのです。

 しかし、基本的事実は依然として同じです。私たちは生まれてからずっと外部の権威、すなわち私たちに 何を信じるべきかを教える両親、家族、社会または制度といったものを認めるよう訓練されています。自分独自の道を歩んだとしても、なおもその権威によって支配されています。なぜなら、人はそむくべき何ものかを持たない限り、反逆者になれないからです。私たちは何者になろうとも、より偉大なより知識の多い人々に対するおそれと愛情が、奇妙に入りまじった子供時代をすごします。これはすべての子供たちにとっ て、大人の環境に対する正常な反応です。このようにして社会のシステムは、私たちに伝統を教える人々に 権威を与えるようにつくられているのです。また、情報そのものにも権威が与えられています。こうして私たちは内面的権威を獲得するのですが、その権威は私たちに規律を守らせるため、かなり厳格で容赦のないものです。いいかえれば、私たちは良心や自律心を習得し、自分たちの態度や振る舞いを正し、それによって多くのいざこざを社会から取り除いているのです。
しかし、ほとんどの場合これだけでは十分ではありません。社会は私たちをまったく自由にさせるほど寛容ではありません。多くの人々が、物事の是非を告げる声を無視するからです。それゆえ、規律に従わない場合は罰を受けるかもしれないという恐怖、私たちの心の奥底の考えや個人的行動をすべて知り抜き、想像を絶する懲罰を与えることが可能な、目に見えない超自然的権威から天罰が下されるかもしれないという恐怖によって、この権威は強化されたのです。

 私たちの社会の成功や全人類の未来は、世代から世代へと伝統が伝達されるかどうかにかかっています。 一世代たりとも飛ばすことはできません。とぎれることなく情報を伝達することに、すべての基礎をおいているのですから。そのためにその連続性を保証する確実な安全装置への欲求がきわめて強いことも当然のことです。強いがゆえに深い情緒的反応を引き起こし、自らの信仰に攻撃が加えられた場合には暴力によって反撃したり、さらには信仰の対象が誤った方向に導かれる、ということもあるのです。

 

 

 生物学的起源をもった宗教

 17世紀はじめにフランスの数学者ブレイズ・パスカルは「人が信じ愛するということは、人間の本質である。そして、人が自分の信仰と愛情の正しい対象をもたない場合、その人は間違った対象に愛着することになるだろう」と言っています。これは人間と動物とのちがいを説明するのに、有効な考え方だといえ ます。人は信じる動物である、つねに何かを信じている、自分たちの文化を守るために、社会的規範が必要な種へと進化したことの必然的結果が宗教であるという考え方は、宗教を理解するためのひとつの考え方です。たしかにこれは、どうしてこんなにお互い相矛盾する信仰をもつ宗教が多いのか、ということの説明にはなっているでしょう。しかし、すべての宗教に共通するものが、なぜ存在するのかということの説明にはなりません。

 すべての宗教が、同じ深遠な真理から生まれたかもしれないことを示唆する事実。生きる手助けをしてくれる何かと、接触しているように感じる、幻想ではなく非常にリアルな共通の経験。私たちに並はずれたエネルギーを与え、楽天的にさせることによって、私たちをより力強いものにする何か。外からやってきて私たちの中に入りこみ、最後には私たちの生き方を変えてしまう何か。
この経験は普遍的であり、生物学的起源をもっているように思えます。それを確認する唯一の方法は、外部からの布教活動により始まった宗教ではなく、経験にもとづいて発達してきた宗教を調べることです。そうすると、キリスト教ユダヤ教イスラム教や仏教は除外され、完全に土着の信仰形態が残ります。そのうちのひとつが神道です。神道についてはのちに述べるとして、まず最初に、スーダンの非常にくわしく研究されている、2つの宗教について述べてみたいと思います。

 最初はそのうちのひとつ、ディンカ族の宗教です。彼らの宗教の核心は、生活環境の中でさまざまな形態で出くわす霊的存在です。ディンカ族は、これを遠くの霊界からくる魂としてではなく、自分たちとともに この世界をなりたたせている「力」と考えています。もう一方のニューア族はもっと哲学的です。彼らは「クオス」とよぶ、普通の感覚では経験できない何ものかの存在を信じています。それは彼らの内面の一部、純粋な意識の一部なのです。ディンカ族にしてもニューア族にしても、彼らの精神生活は、同じ仮定にもとづいています。つまり、自分自身そのものではないが、自分たちの中にある何ものかが影響を与え、うまく自分たちのエネルギーを高めてくれるという仮定です。これらの宗教的信仰からわかることは、困難に打ちかつ力をあたえ、自信と勇気を増してくれる、なんらかの要素が私たちの生活の中にはたしかにある、ということです。それは神秘的なものではありますが、非常に客観的で現実的なものです。

 マハトマ・ガンディーが「すべてのものを貫いて存在している霊妙な力」と 表現したものです。私たちはそれを見たり、聴いたり、嗅いだりすることはできません。しかし、この世に色や音や匂いというものは、実際には存在しないのです。それは単に、エネルギーの波や粒子が私たちの 頭脳に残す、感覚か印象にすぎません。
客体は、おそらくギリシァの哲学者プラトンのいう「イデア」(私たちが物事はこうあるべきだと考える潜在的心像)によって、私たちの心の中でこそ明確なかたちと美をなします。このようなイデア、つまり世界についての共通した認識こそが、記号化された知識という伝統の中で、私たちが伝えていくものなのです。このことは、私たちが神、霊または力などとよぶものは、自然の中で見つけた不思議な力を具現化しようとする、私たち人間の衝動の結果であるかもしれない、という可能性につながっていきます。

 

 超感覚コミュニケーション

 さて、この自然の力とはどのようなものであるかを検討する前に、それはすべて私たちの心の中にある、 純粋に想像上のものであるかもしれない、という可能性について簡単に考えてみる必要があります。前世紀の心理学は、意識のコントロールの及ばない精神的活動の領域が存在する、という認識にいたっています。シグモント・フロイトはこれらを「潜在意識」とよび、生まれたばかりの子供には存在しないと考えました。子供というものは動物的衝動によって行動するものであり、それを満たすためにのみ努力するもの、さらには、強烈な宗教的感情の裏側にひそむものなのかもしれないのです。
私は確信があるわけではありません。しかし、私たちは他の種族と、おそらく自然のすべてのものとも、 つながりをもっており、私たち人間だけが唯一の宗教的動物であるとするのは、間違いであると私は感じ ています。生命がはじまって以来の歴史と人類の短い歴史をくらべてみると、私たちがなしとげたすばらしい成果である芸術や文学、科学でさえも、私たちが動物としてもつ、より長くより強い性質に付け加えられた、単なる上辺だけのものだということは明らかです。

 


 支配と服従のシステム

 私たち自身の進化、また私たちの生命を支配しつづける力を振り返ることによって、自分たち自身について学びうることがまだまだたくさんあります。
たとえば、動物の世界では、繁殖期に2匹のライバル同士のオスが出会ったばあい、一番よいテリトリーを獲得するため、またメスの関心を引くために脅かしあい、実際に戦うことがあります。しかし、ライバル同士が傷つけあい死に至ることはまれです。攻撃が意図的な服従行為によって抑制されるからです。そのような出会いで破れた鳥は、突然地面に首をのばし横たわります。首を引き裂かれそうになったオオカミは 突然戦術を変え、自分を守ることをやめて、敵に自分の首を差し出します。このような譲歩、自己犠牲の結果として、勝者のオスは攻撃を途中でやめ、さらなる流血が避けられるのです。 私たち人間は、相手を脅迫するシグナルと反対のシグナルを送ることによって服従を表します。脅迫する側の者はできるだけ背が高くなるように見せ、胸を張り、拳を握り、顔をにらみつける。そして、服従する側の者はできる限りからだを小さく見せようと背を丸め、手を広げ、顔をそむけなければなりません。

 このような特質のすべては、儀式的服従ジェスチャーへと変形していきます。より極端な例は、地面に額をつけて跪くという中国の「叩頭」、そして地面にうつぶせになりひれ伏すことです。これ以上に身を低くするには、地面の下に身を埋めるしかありません。私は最近そのような場面を見ました。国技館で靴を履いたまま土俵に上がったNHKのカメラマンが、怒った日本相撲協会理事長に呼びつけられたとき、実際にそのような行為を行なったのです。

 このような行為は今でもありますが、時を経るにしたがって次第にその隷属性が減り、実際の行為は 象徴的ジェスチャーにとってかわられてきています。そのため、人は帽子を取るかわりに帽子にさわるだけ、 お辞儀のかわりにちょっと頭を下げるだけになったのでしょう。アラブ諸国では、伏し拝むことがサラームと呼ばれる仕草にとって替わられています。サラームとは、最初に手を胸へ、そして口に、さらに額に押しあて、続いて軽いお辞儀をすることです。 これは地面に体を押し付けることを象徴しており、「私はあなたのために、体のこれらの部分を地面に押しつけます」という意味になるのです。

 宗教に関していえば、私たちはいまでも祭壇や聖堂の前で跪き、身をひれ伏して、昔どおりの入念な従順さを示しています。しかも、実際にはそこにいない偉大なる者に向かって、私たちはこのような従順な行為を行なうのです。巨大な大聖堂や寺院を建てることによって、この目に見えない礼拝の対象がもつ威力は強 化されます。だからこそ、これら神々の家は一般の住居を圧倒するほど、高くそびえ立っているのです。もちろん神々はその中にはいないのですが、神々とは巨大なものに違いないという印象を与えるのです。

 神々と人々との仲介者である聖職者が、服従しない者には神々が天罰を下すであろうと説教するために、この偉大なる者に対する服従は、、偉大なる者が不在にもかかわらず、確固としたものになるのです。いまま で洪水や病気、飢饉や火事などのすべての自然災害は、神聖なる怒りの証として、私たちの罪に対する罰と して説明されてきました。聖職者はまた、服従する者は報われるが、そうでない者は永遠の責め苦をうける という、死後の世界をもつくりだしました。そして、私たちの関心を引くため、儀式や複雑な集団行動を含む祭儀を発展させてきたのです。

 神々が多くの人々を同時に支配し、服従させることができることを示すためには、それらのことが不可欠なのです。そしてついには、私たちの協力を確保するために、多くの宗教的指導者たちはそれぞれの神々への厳格な忠誠心、それと同じく、異教徒たちへの強い拒絶心を育てあげたのです。そのことは必然的に、文化の孤立とともに様々な宗派を生み出し、異教徒には暴力を用いてでも対抗するという考え方をもたらしました。なぜそうならねばならなかったのかを理解するのは、非常に難しいことです。知性のある人類が、なぜこれほどにも長い間、そのような不合理な圧力や恐怖に屈服してきたのでしょうか。

 その答えは私たちに知性を与えたもの、そのものにあると私には思われます。言語や象徴化によって、明確に表現された知識の発達の中にあると思うのです。これらのことはすべて、子供のころから、教わったことは信じるという性質を受け継いできたことにより、守り発展させてきたことです。のちに大人になり、自分自身で考えることができ、自分たちの子供を育てるようになっても、この感情は残っています。それは強い衝撃であり生存に不可欠なため、私たちは大人になっても、子供のとき両親に感じたのと同じくらい強い 感情を私たちに与えてくれる親(おそらくは「超越的な親」)が、いまだに必要なのです。そのため、私たちは神々と人々との仲介者である聖職者が、服従しない者には神々が天罰を下すであろうと説教するために、この偉大なる者に対する服従は、、偉大なる者が不在にもかかわらず、確固としたものになるのです。いままで洪水や病気、飢饉や火事などのすべての自然災害は、神聖なる怒りの証として、私たちの罪に対する罰として説明されてきました。聖職者はまた、服従する者は報われるが、そうでない者は永遠の責め苦を受けるという、死後の世界をも創り出しました。そして、私たちの関心を引くため、儀式や複雑な集団行動を含む祭儀を発展させてきたのです。

 神々が多くの人々を同時に支配し、服従させることができることを示すためには、それらのことが不可欠なのです。そしてついには、私たちの協力を確保するために、多くの宗教的指導者たちはそれぞれの神々への厳格な忠誠心、それと同じく、異教徒たちへの強い拒絶心を育てあげたのです。そのことは必然的に、文化の孤立とともに様々な宗派を生み出し、異教徒には暴力を用いてでも対抗するという考え方をもたら しました。なぜそうならねばならなかったのかを理解するのは、非常に難しいことです。知性のある人類が、なぜこれほどにも長いあいだ、そのような不合理な圧力や恐怖に屈服してきたのでしょうか。

 その答えは私たちに知性を与えたもの、そのものにあると私には思われます。言語や象徴化によって、明確に表現された知識の発達の中にあると思うのです。これらのことはすべて、子供のころから、教わったことは信じるという性質を受け継いできたことにより、守り発展させてきたことです。のちに大人になり、自分自身で考えることができ、自分たちの子供を育てるようになっても、この感情は残っています。それは強い衝撃であり生存に不可欠なため、私たちは大人になっても、子供のとき両親に感じたのと同じくらい強い感情を私たちに与えてくれる親(おそらくは「超越的な親」)が、いまだに必要なのです。そのため、私たちは母なる女神、偉大なる父としての超越的な両親を、さらには、私たちを守ったり罰したりすることができる。 神々の全家族をも求めているのでしょう。

 

永遠の幼児性

 もうひとつの有史以前におけるきわめて重大な経験は、食物採取から狩猟へと変わったことです。狩猟民 として、私たちはおたがいに協力することが必要な一方、個性や創意といったものを保持することも必要でした。それにより、狩猟を行う各々のメンバーが本人の判断力を訓練し、状況に応じた行動がとれるようになったのです。しかし、このことは狩猟が必要とするものと、より保守的な傾向をもつ社会が必要とするものとに、対立をもたらします。

 こうして、狩猟の中で「自然に」あらわれる指導者と、私たちがより精神的な生活を送り出した時に出現した、伝統的な指導者との間の争いを避けるために、集団を団結させ、ある種の盲目的信仰によって 信頼される、超越的な指導者が必要となったのです。こうして、部族の誰もが対抗したいとは思わないような、偶像を創り出したのです。後に人々が定住をはじめ、より農耕的になり狩猟にあまり頼らなくなったときにも、この方法が非常にうまく作用しつづけることがわかりました。狩猟の神々が五穀豊饒の神々に、また組織された宗教の中心になるのにも、そう長くはかからなかったのです。
この変遷がどのように起こったかを正確に示す、古生物学上の証拠はありませんが、ほぼ同時代におこった生物学的な出来事があります。そのことは今日でも繰り返しおこっており、私たちをこのようによき「信仰者」にしたのは何か、ということを解明するのに非常にわかりやすい考え方を与えてくれます。

 初期の狩猟に加わっていた動物は、私たちだけではありませんでした。すぐにオオカミやジャッカルが私たちの食べ残しを求めて、私たちの後に付いて来はじめたのです。わざと食べ物を残しておいたのかもしれません。夜間ジャッカルたちがキャンプの周囲にいてくれれば、大きな猛獣の接近をすばやく警告してくれるからです。まもなく、これらキャンプの随行者たちは、狩猟の助っ人になりました。実際に狩猟に加わり、獲物の居場所を突きとめたり追いたてたりして、あとにしたがうかわりに先頭にたつようになったので す。オオカミやジャッカルの迷子を拾って、自分たちの周囲で飼うようになるまで、それほどかからなかったでしょう。考古学的な証拠から、ジャッカルのような動物がほぼ15,000年ぐらい前に、最初の家畜化された動物としてキャンプ地の周りにいたことがわかっています。

 家畜化は非常に興味深い過程をたどります。まずジャッカルのような群居する犬科の動物たちが、自分たちのリーダーに示す従属的な絆を、人間という新しい主人に対する忠誠心へと変化させるのです。さらに、これらの動物たちが人間とより親しく生活するようになると、彼らは行動様式だけでなく容貌も変えてしまったのです。毛が短く、尻尾が丸く、耳が垂れ、頭が丸く、鼻が短くなりました。彼らはより飼い犬らしく 見えるようになったのです。
さらに興味深いことに、この容貌の変化はジャッカルにとって、何ら目新しいことではありません。今なお幼いジャッカルやオオカミは、これと同じ姿をしています。何が新しくなったかといえば、これらの特徴が成熟した大人の生活でも保たれているということです。また、それらの特徴をもちながら、初期の犬たちは子供のときの行動様式も保持し続けたのです。

 野生の子犬は母親に強烈な愛情を示しますが、成長するとたちまちその愛情は消えてしまいます。しかし、家畜化された犬の場合、この母親への愛は飼い主への愛に変わり、永遠に彼らの精神を形成する一部として残ります。飼い犬は特定の主人に対して、深い愛情を持ちます。この愛情は心からの忠誠心であり、通常生まれて6カ月から1年半の間に、1日か2日の内に突如として生起するものです。そして、無条件の献身という、ほとんど子供のような状態が死ぬまで続くのです。それはあたかも、肉体的にも精神的にも、永遠に幼児期に凍結されたかのように見えます。

 この奇妙な過程は幼形成熟として知られており、不思議なことに私たち人類にも起こっているらしいので す。大人になっても、私たちは胎児の特徴を多くもっています。大きな頭、小さな歯、平面的な顔、体毛の少なさ、生まれたあとも脳が成長できるようにゆっくり閉じられる頭蓋骨の縫合、さらに教育に要する非常 に長い時間などです。私たちは、大きさ以外は2,3歳のチンパンジーとほとんど変わらない頭蓋骨を持った、幼い類人猿なのです。ちょうどもっともよき友である犬が、永遠に遊び好きなオオカミの子供であるよ うに、私たちは子供の好奇心と遊び心を失わない、決して成熟しない数少ない種族の1つです。
さらに、もう1つの類似点があります。犬が主人を見るときの眼を考えてみてください。彼らは、祭壇や聖堂の前で跪いている信心深い人の眼と、非常によく似た眼をします。その眼の中には、同じような愛情、 そして忠誠を尽くす対象への無条件の服従が見えます。一方は突然の絆の定めによって、一方は明らかに 宗教的な回心によって、このような状態になったのです。
犬が人に対するのと同じように、おそらく人々は神々に対しているのです。ほとんどの神社に犬という「犬」がいることは、偶然の一致なのでしょうか。私たちと神々、または聖なるものとの関係は、精神的であると同様に、生物学的な根拠を持つのかもしれません。私たちは、直接的に犬と関係があるわけではあり ませんが、しかしよく似た社会的背景をもち、同じ生物学的作用や原理の産物であるともいえるのです。

 私たちと犬たちとの違いは、経験を象徴的知識に変え、ほかの人々と共有できるようにする能力です。 犬のような動物たちも、特殊で現実的な、自分たちを越える外部の何かが存在していることを、感じているかもしれません。しかし、私たち人間だけが、それを概念化することができるのです。たとえば、火は常に世界に存在しています。それは自然において経験する現実の一部です。しかし、私たちだけがそれを創り出すことができます。私たちが宗教的と称する経験は、宇宙という自然の一部なのかもしれません。ただ 人間だけがそれを言語化し、名前を与えているのです。それらすべては私たちに、何か具体的な信ずべきものを与えてくれます。私たちが人生を十分にまっとうするためには、何か目的をもつ必要があるようです。 私たちは、何か信ずることが必要なのです。それが何であるかは問題ではありません。根本的で現実的な、そして普遍的な純粋経験接触したり認識した時の、これは自然な反応だと思います。

 私はここ30年間、人間の超常体験について調査してきました。霊的あるいは宗教的だといわれる現象に関する報告書を調べたり、実際に話を聞いたりしてきました。カラハリのブッシュマンやインドの聖者、また再生したと称するアメリカのキリスト教徒にしても、すべて本質的には同じことを語っています。彼らは皆、自分以外の外部にある力と接触し、気持ちが昂揚して、強さや自信で満たされたと言うのです。神とかクオースとか、あるいはマナや先祖の霊とよび方はいろいろですが、何かが自分たちを通して作用していると言っています。
私はユングのいう、「時として、私たちに出会うべくしてやってくるもの」が存在すると考えざるをえま せん。しかし、これが特殊な人格をもったもの、あるいは何か特別な目的を持ったものだとは思えません。 この超越的な力に関しては、それぞれ文化ごとに、ずいぶん違う形や特質が報告されており、その違いは、私たちがそれぞれ違う服を着ているように、私たち自身の経験に着せる服の違いにしかすぎないといえます。

 18世紀の思想家モンテスキューが「もし三角形に神が存在すれば、その神は三角形のように三辺をもつだろう」と言ったようにです。その力は宗教的経験によってのみもたらされるものではなく、時折の超自然的なものとの不思議な出会いによっても、もたらされます。私たちはこれを、テレパシーによる交信、異星人との遭遇、霊魂の再来、 または私たちに物事の裏にある世界を信じさせる奇妙な現象などとして解釈しています。ギリシャ人は、この神秘的な力をもっともよく理解していたようです。彼らはそれを「en theos(エートス・神懸)」と呼んでおり、英語の中でもっとも美しい言葉のひとつである「enthusiasm (宗教的熱狂)」という言葉を生みだしま した。それは、外部の力と神秘を反映して私たちを興奮させる、私たちの内部に存在するものの働きを示す言葉です。それは内界と外界とのあいだの壁を取りのぞき、私たちを自然と直接触れ合うようにさせます。
これから私は神や霊や力という言葉より、むしろ「自然」という言葉を用いたいと思います。私が生物学者として、自然に対して大いなる愛情と尊敬の念を持っているためでもあり、自然という言葉を使うことによって、より真実に近づくと思うからです。

 30年以上も前、私が博物学の学生だった時、よく精神や意識について議論したものです。そのようなものが、存在するかどうかについてではありません。人類がそれらをもっていることは確信していたので、 問題となったのは、進化の中のどこで、いつ、精神が初めて現れたかについてでした。私は、すべての生命体に精神が宿るという可能性を、否定できるとは思いません。それは、私たちが呼吸をするようにな ったり、体温が一定になったり、言語を獲得したときに、魔術によってあらわれたものではないのです。

 最近の生物学では、意識の起源について、最初のDNA分子にまでさかのぼって探求する必要があると説 いています。また最近の量子力学においては、精神はすべての有機体にだけではなく、あらゆるもののあら ゆる原子にも存在すると言っています。私たちは生命の長い進化における不可欠な一部ですから、生命につ いて内面から、また私たち自身の経験から知ることが可能だと思います。

 このことが、今日私がここにやってきた理由なのです。つまり、神道には自然の本質を探究するための有効な示唆があると、私は信じているからです。西洋人にとって、神道を理解することはたいへんむずかしい ことです。神道では、哲学的な言葉による叙述を重視せず、特別な方法で、世代から世代へその信仰をうけ ついでいるからです。日本人以外の者にあなた方の信仰をかんたんに説明してくれる聖典や教義というものはありません。神道のしきたりや神社の歴史について書かれた文献は多くあるのですが、「カミ」の本質や儀式の意味について知ることを助けてくれるものは、ほとんどない。これは、神道の信仰が教わるものではなく、自ら把握するものだからでしょう。「カミ」への信仰は、頭から頭へではなく、心から心へと伝えられていきます。キリスト教イスラム教のような宗教が、主に理論的で象徴的な知識に重点を置いているのに対して、神道は、ほとんど全面的に、純粋な直接経験、言葉によらない知識に基づいているのです。

 外部の人間として私がいえることは、あなた方はほとんど経験だけを拠り所としているということです。 それが神道の本質だと思います。母親に背負われて、神社に初めて連れてこられた時からあなた方が後に どのような信仰を受け入れようとも、生涯を通して貫くような絆が生まれるのです。あなた方が鎮守の神様 に対して感じる親しみ、村の祭りに参加することによって得られる興奮については、私は想像することしか できません。
しかし、その神秘性について、私もある程度は理解することができます。アフリカに対して、私自身の 精神的根源を同じように感じるからです。

 

 
 出会うべくしてやってくるもの
 
 私はアフリカで生まれました。今でもはっきりと、私自身が絆を感じた瞬間を思い出すことができます。9歳の時、私は砂漠の端にある家のまわりの丘を、一日中歩きまわっていました。そして突然、とてもはっきりと地球が声を出して、私に話しかけるのを聞いたのです。それはこう言いました。「ここだ。ここがお前自身の場所だ」と。一瞬にして、私はそれが真実であるとわかりました。私はその場所に属しており、岩石や大地の子供であり、地球が生んだ1個の果実であることがわかったのです。それは、犬が主人を愛する ことを学び家畜化されていくように、私が自分自身の絆を感じ、自分自身が家畜化された瞬間でした。その時初めて、私は自分がどこかに属し、そしてそうありつづけるだろうことがわかったのです。

 自分自身より大きな存在を、そして自分がその一部であることを感じる瞬間は、どのような人の人生においても、重要な瞬間です。それは宗教的な経験以外の、何ものでもありません。外人である私でさえも、神社を囲む木立に入るときや儀式が行なわれている社殿に立つとき、同じような喜びを感じることができます。 そして、伊勢の壮麗な神宮を覆う杉や檜の中を歩いている時、あなた方と同様に私は深く心を動かされます。このような感情は、アフリカの灌木を越えて沈む夕日の中で、またアマゾンの霧中の夜明けの中で、私が経験した感情と深く結び付いていると思うのです。

 どのような小さな神社においても、このようなことが経験できます。つまり、神道は自然の神秘性に参拝者が触れられるようにし、彼らの気持ちを俗世から崇高なものへ導き、生き方を変え、ユングのいう「私たちに出会うべくしてやってくるもの」と、日常的に接することを可能にしたのです。
結局、神道は「出会うべくしてやってくるもの」に、自分たちの方から出掛けていく方法を見つけたと言えます。神道にとって樹木、特に榊がいかに重要かということを、私は理解しています。日本人以外の者にとって、最初に強い印象を受けることの1つに、多くの神社が木立や森に囲まれており、また、たった一本しか木がなくても、その幹にはしめ縄が張られているということです。

 そのことは、私にとっては大きな意味を持ちます。植物が真の知覚をもっている可能性を、もはや誰も否定できないと思うからです。今では、私は樹木を感覚ある生き物と見なしており、ひとところにずっと居続けざるをえなかったため、瞑想的な意識を発達させたのだと考えます。これは、そのように長い間 じっとしていられない、私たち人間を含めた動物たちには、なかなか獲得できないものです。 また、神道にとって山がいかに重要かを知っても、私は驚きません。地球を巨大な生命体と見なすことが、私たちの地球をよりよく理解する唯一の考え方です。地球は太陽系のもっとも巨大な生きものであり、動植物の生命の基本を形成する有機物と、それと同様に重要な無機物との、微妙なバランスの上に成り立ってい ます。岩は地球の骨であり、土壌は肉です。実際、もし地球に意識があり、精神を持っているとすれば、記憶や夢は情報をより効率よく保持できる、鉱物の結晶体によってもたらされるでしょう。シリコンはカーボン同様、有力な建築材料だとみなされはじめています。しかし、たとえ私たちがシリコンで建物を作って も、富士山ほど美しい形を作りうるでしょうか。科学がより進めば進むほど、自然と直接触れあっていた私たちの祖先には常識であった結論へと、ますます近づいていきます。私たちは、先祖の生き方、自分のまわりの世界が持つ力と神聖さに対する自覚、そしてその流れに逆らうよりもむしろいかにともに生きるかを、ゆっくりと学びつつあるのです。これが、いわゆるニューエイジが実際に行っていることであり、よきエコロジーの実現なのです。

 しかし、西洋では一般には気づかれていないことですが、神道にはすでにこのような考え方があるのです。 神道は、日本人独自の習慣と思考様式が織り込まれた、本質的に日本的なものです。しかし同時に、神道は 普遍的な意義をもつと思います。神道は自然を知るための、もっとも洗練された形態をもっています。今まさに地球が危機の時代に突入しようとしているとき、神道は私たち人類を救済するための方法をもっているのです。いままで以上に私たちは、自然を知るための叡知を、そして世界に対する深い感受性と細心な観 察から得られる、注意深く記録された純粋経験によってのみもたらされる洞察力を必要としています。私は 神道のもつすべての洞察力の中で、もっとも重要で影響力のあるものは、「カミ」というものだと思います。

 


 英語にならない「カミ」

 英語ではふつう「カミ」は「高貴な霊(noble spirit)」「神聖な存在(divine being)」と訳されます。しかし、この 翻訳はその意味を正しくとらえていないと思います。たとえば、「カミ」は太陽、月、川、岩、木などに対し て使われますが、それはこれらのもの、そのものを表現しているのではありません。成長や繁殖といった性質、美徳や技能、さらには風や雷のような無形のものに対しても使われます。「カミ」は物や事そのものでは なく、それらの精神、魂を表現していると私には思えるのです。この考え方はいかにも日本的であり、翻訳するのが不可能なため、「カミ(kami)」は英語やその他の言語に、そのまま用いられるべきです。ちょうど「アラー(Allah)」や「エホバ(Jehovah)」がアラビア語ヘブライ語から借用されたようにです。

 「カミ」というのは、ひとつの概念、考え方です。そして、概念は、ご存知のとおり、それ自体が進化する力や勢いをもっています。進化は、有機体が自分自身をコピーして、固体数が増えることによっておこります。または、複写の過程において現れる、新しい有利な特質を生みだす変異によって起こるともいえ ます。このようにして、自然淘汰が行なわれます。しかし、重要なことは、これは何も生体や生化学だけに限られいないということです。人類が象徴的知識を自分の生き方の中にとりいれ、お互いを教育しはじめて以来、精神的な世界においても、進化は重要なことになったのです。
世界の新しい音楽、流行、デザイン、宗教、また理論はすべて、ちょうど遺伝子のように、いまや伝達可能な単位となっています。それらは、生き物のように振る舞いながら、子から子へと伝えられるかわりに、脳から脳へと伝えられるのです。ですから、たとえば「UFOの存在を信じる」といった考え方は、世界中の個人個人の神経系統の中でおきる何百万回もの変化という、身体的なものとして理解されるのです。空飛ぶ円盤は、実際にほかの天体から飛来するのではなく、このように私たち自身の頭の中からやってくるものだといえます。

 そして、「カミ」もまさにこのような働きをするのだと思います。「カミ」という概念は、私たちの注目の焦点である山や木や、その他の実在のものと結び付くことによって、思考が働くのに役立つようになります。 また、「私たちに出会うべくしてやってくるもの」にこちらから近づいて行くのに、手助けとなるような儀式 を遂行するためにも、「カミ」という概念は有効です。すでに私は、この不思議な力は実在するものであり、 おそらくそれは、地球、自然そのものの中に起源をもつと述べています。さらに私は、もし私たちが純粋で 直接的な経験をするために、象徴的知識を使うのをやめ、つまりしばらくの間論理的な考え方をやめ、 そのかわり自分自身の感覚が告げるものに頼るようになれば、その不思議な力と出会い、理解することができるようになると言いたいのです。

 私の経験からいうと、なんらかの根本的な方法で自然と一体化すれば、そのようなことは簡単にできます。私がよく使う手段は、航海に出ることです。海に出ると、すぐに光や闇や太陽の動きを強烈に感じるようになります。そこでは、潮と風の様子に厳重な注意を払わねばなりません。私は自然の中に包み込まれてしまいます。言い換えると、太陽と月の循環のリズムに敏感になってしまうのです。そして、自然を知ることから生まれる、非常に現実的な喜びや洞察力が再び得られるのです。ですから、大地や海と密接に結び付いて生活をしている農夫や漁夫や遊牧民が、いま私がお話ししているような力を受け入れていたとしても、それは当然のことです。また、彼らが実際にこの神秘的な力を、一度私たちが象徴的知識を身に付けると発せざるをえない疑問、たとえば「何のために生きるのか」「生きる意味とは」といった疑問に対する解答と見なしているとしても、私は何ら不思議なことだとは思いません。

 私にとって神道が特別に重要な意味をもっているのは、いまや私たちが成すことのほとんどすべてが象徴的となり、言語や記号で自分たちの世界を築くようになっているにもかかわらず、根源的で言語によらない非象徴的な方法によって、私たちが現実と対応することを、神道は可能にしてくれるからです。

 神道は、仏教やキリスト教などのより近代的な信仰と共存しています。なぜなら、神道は他の宗教と張り合ったり、争ったりしないからです。神道は違うレベルのものです。自然をあるがままに受け入れ、自然界の背後にある道理とか意義とかを追求したりしません。「カミ」は、火や水や木といったものであってもいいのです。あるいは、勇気や親切さといった力であってもいいのです。「カミ」はつねにそれ自体、そのもの です。何かほかのものの象徴ではありません。富士山は「カミ」の住む場所ではないのです。富士山そのも のが「カミ」なのです。それがあるだけで、畏敬すべきもの、尊敬する価値あるものとなるのです。「カミ」 という概念が、すべての自然には聖なる資質があることを、確信させてくれます。同様に、木が「カミ」で あるというのは、それが「高貴な霊(noble spirit)」を象徴するのではなく、木そのものが霊であり、魂なのです。こうして木は、木としての個性や命を保ちながら、宇宙の一部となります。

 人間でさえ、「カミ」の性質を授けられることができます。しかしその場合、いわゆる神(God) になるので はなく、通常の人間としての強さや弱さをもちつづけます。「カミ」らしさという資質が与えるものは、自然との親密な関係です。そして、このことが私たちの日常生活でのすべての行いを、宗教的な行いへと変えていきます。「カミ」を通して、自然が私たちの生活に入りこみ、同じく私たちが自然の中へ入りこむことの重要性を、私たちは理解し認めることができるようになるのです。

 

 
 神職神道の「遺伝子」たれ

 多くの神社には鏡が祀られていますが、このことは非常に意義深いことです。それは神霊の姿を映し出すためだといわれていますが、また、それは叡知という輝きを反射し、私たちのいるべきところを知らせ、自然と私たちとが一体となった映像を示しながら、私たち自身の姿をも映し出しています。
こうした中で、神職のつとめは、儀式と伝統を守り、それを次代に伝えるために必要なことは、どんなこ とでも行うことです。神職とは、その継承における「遺伝子」なのです。神職こそが、過去からのシグナル をとらえ、それをふたたび未来へと送りだして、情報を途中で途切れさすことなく、より精気に満ちた、より深い精神的な知識をもっていた時代へ戻れる道を、私たちが捜しだせるようにしているのです。

 神職の方々の中には、現代の人々にもっと受け入れられるように、古い物語を書き直すことを検討したり、神道をもっと今の時代に合ったものにしようと考えている人たちがいます。その熱意はよくわかりますが、神道が宣教師的また伝道師的な活動を行うのは、私は間違いであると思います。神道では純粋な感覚的経験、また言葉や記号では簡単に語られない現実との交わりといったものに、すべての力点が置かれているのです。本を読んだり講義を聴いたりすることによって、神道を学ぶことはできません。直接経験しなければならないのです。そして、経験を通して「私たちに出会うべくしてやって来るもの」と接触しようとするのです。
この力はすべての自然の中に存在し、生命の根源であると思います。そして、神職にすべてが委ねられている祭祀儀式、舞また祈橋といったもの以上に、その力とよりうまく、コンピュータ用語を用いるならば、 「アクセス」できる方法を、私は知りません。神職は宇宙に対する鍵を握っているのです。そういったものを、今最もも必要としている人々のために、しっかりと守り、純粋なまま保っておいてください。

 私は神職ひとりひとりは神道における「遺伝子」であり、全世代にわたって情報を伝えていると述べまし た。これは物事を考える上で、正しく有益な考え方だと信じています。実際、神職神道の記憶といえます。 「よき知らせ』を学び、守り、そしてそれを伝えています。その、よき知らせは、自然の心を知ることが できる方法、私たちに何ができるか、また何をすべきかということを再び学ぶ方法、進化の過程での私たち自身の役割を再発見する方法があることを、私たちに告げています。 「私にとって、これは単なる空想的な考えではありませんし、また単なる自己満足型で何も説明していない 神秘哲学でもありません。実際に、これは大変優れた基礎生物学的な考え方です。生物学者として私は、すべての有機的生物のもっとも基本的な特徴のひとつは、彼らは自分自身を再生することができる、と いうことにあるのを知っています。彼らは、たとえ体の一部に損傷を受けたり、一部を失ったりしても、 元通り回復することができます。扁形動物は半分に切られても、それぞれが元通りになり、2匹になることができるのです。柳の木から切りとられた枝も、それ自体が大きくなり、完全な柳の木へと成長していきます。私たち自身も、血を再生したり、傷ついた肝臓や内臓の内層を再成長させたり、皮膚の傷を癒したり、骨を治したりすることができます。そして、脳に損傷をうけた人に赤ん坊の細胞を移殖すると、その細胞がその人自身の性質と記憶をもった健全な組織に育つことが、最近わかり始めています。

 科学用語で説明することが大変難しいものが、確かに存在します。いったい何が、有機体がどのように成長するかを決定するのでしょうか。内部にまったく同じ遺伝情報をもつ未成熟な段階での細胞が、 あるものは眼に、あるものは手の指や足の指になるということを、いったい何が決定するのでしょうか。そこには何か、青写真や計画とでもよべるようなものが、すべての有機体に存在するように思えるのです。有機体それ自体が生まれる前から、存在するような何かが。人をニワトリやカエルではなく、人ならしめている「概念」といえるような何かが。科学者が「フィールド(場)」と呼び始めたような何かが。 フィールドは物質ではありません。簡単にいえば、それは物質を生みだすエネルギーをさまざまに構成するパターンです。フィールドの効果、つまりどのような物質を生みだすかは、以前に同じようなことを行ったことがあるという、フィールドの記憶によります。いまやあきらかに膨大な種類のフィールドがまわりに存在しており、私たちの世界の驚くべき多様性をつくりだすべく、それぞれが働きつづけています。

 それぞれの有機体は、宇宙の誕生に際して、おそらくビッグバンとともに生まれた「統一場」にまでさかのぼるほどの長いあいだ、進化し、成長し、変化しつづけてきたに違いありません。重力場、電磁場、また量子物理学の物質場を対象とする場の理論の研究は、まだ始まったばかりです。そのアプローチは有益であり、また、いくつかの古典的な理論、たとえばギリシァの哲学者プラトンの理論ともむすびついているように思えます。プラトンは、かたちというものは「イデア」によってもたらされるものであり、その「イデア」は世界霊魂、新しい述語でいえば世界場(World Field)、から生じると言っています。 このことと神道の考え方、「カミ」がよきことを求める力、フィールドとして積極的な役割を果たすことによって、世界を創りだす力となっているという考え方とは、ほとんど違いがありません。ですから、宗教的経験と呼ばれるものをもたらす自然の不思議な力や、また、「私たちに出会うべくしてやってくるもの」に ついて私が語る場合は、プラトンの言う世界霊魂や物理学における統一場を想定しているのです。

 私がそれにとりつかれてしまったのは、その不思議な力と触れることにより、どのように自分たち自身を 再生すればよいのか、どうすれば私たちひとりひとりが、そして私たち全体が、宇宙の中でのあるべき姿を 教えてくれる純粋な知識を得られるのか、どのようにすれば完全に充足した生活を見つけることができるの か、というようなことについて、よりよく知ることができると感じるからです。
そして、神道はこのことをすべて可能にしてくれるものだと、私は信じています。本質的に神道は協同的なものであり、世界のすべてを、そしてその記憶を尊ぶものだと思います。私にとって、それはたいへん立派なエコロジーであり、もっと深く知るに値します。ですから、私は今日ここに、皆様方のもとにやってきたわけです。私は教えるために来たのではなく、学ぶために参ったのです。そのためのすばらしい機会を与えてくださったことに感謝いたします。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

ベルクソン バーミンガム大学におけるハクスリ記念講演 Ⅱ

 意識と予見不可能性


 ところで、世界の中に現われてきた生命をこの角度から考察してみると、生命はただの物質とははっきり対照をなすものをもたらしたことに私たちは気が付きます。 世界は、世界だけのままでは決定的な諸法則に従います。 物質は一定の条件のもとでは一定の仕方で動きますから、 物質の動きには予見できないものは何もありません。も し私たちの科学が完全であって、私たちの計算力が無限であったなら、あたかも日食や月食を予見するかのように、無機物質の世界に起こるすべてのことを、たとえそれが全体の中で起こることであっても、それぞれの要素の中で起こることであっても、すべて前もって予見できるでありましょう。つまり、物質は惰性であり、幾何学であり、必然であります。しかるに、生命とともに 予見できない自由な運動が現われてきます。生物は選択し、あるいは選択しようとします。

 生物の役割は創造することであります。他のすべてのものが決定されている世界の中で、決定されていない地帯が生物を取り巻いております。未来を創造するためには、現在において何らかの準備をしなければなりませんし、そうして、まだ 存在していないものを準備することができるのは、既にあったものを利用することによってしかできません。 ですから、生命とは、はじめから過去と現在と未来が互いに侵入しあって不可分の連続をなしている持続において、過去を保存し未来を予期しようと努めるものなので あります。この記憶とこの予期が、すでに見てきたよう に、意識そのものであります。そうして、それだからこそ、事実上ではないにしても、権利上においては、意識は生命と同じ外延を持っているのであります。

 それゆえに、意識と物質性は根本的に異なった、反対でさえある存在形式を持ったものとして現われてくるのでありますが、この2つの存在形式は1つの妥協案を採用し、どうにかこうにか協調しています。物質は必然であり、意識は自由であります。しかし、両者はいくら相互に対立していても、生命はそれらを和解させる手段を見つけます。それというのも、生命とはまさしく必然の中に割り入って、必然を自己の利益となるように変える自由であるからであります。もし、物質が従っている決定性というものがその厳密さを少しもゆるめることができないものであるとしたら、そういう自由は不可能でありましょう。

 しかし、あるとき、ある点で、物質がある弾力性を提供するとしましょう。その弾力性のあるところへ意識が座を占めるでありましょう。意識はそこに、初めは身をすぼめ小さくなって座を占めるのでありますが、いったん地歩を占めると、意識はふくらみ、自分の領域を増やし、しまいにはすべてを手中に収めるようになるでありましょう。その理由は、意識は時間を利用できるからであり、そうして、どんなにわずかな量の不決定性といえども、無際限に追加されるなら、ほしいだけの自由がその不決定性から得られるからであります。 ――しかし、この同じ結論を次の新しい事実の系列から、もう一度見つけることにしましょう。そうするなら、 この結論はもっと厳密なものとなるでしょう。

 

 自由な行動の機構

 実際に、生物が運動をするのにどんなふうにするかを 考えてみると、その方法がいつも同じであることに気が付きます。その方法というのは、爆発物と呼んでもよいようなある物質を利用することにありますが、その物質は、ちょうど大砲の火薬のように、点火すればたちまち爆発するような物質であります。 私は栄養物、より詳しく言えば三元素の化合物、すなわち含水炭素と脂肪のことを言っているのであります。多量の潜在的エネルギーがこれらのものの中に蓄積されていて、いつでも運動に変わろうとしております。このエネルギーは、植物が太陽から時間をかけて少しずつ摂取したものであります。 そうして、植物を食べる動物、植物を食べた動物を食べる動物、植物を食べた動物を食べた動物をさらに食べる 動物等々は、生命が太陽エネルギーを蓄積して作った爆発物を自分の身体の中に摂取したにすぎません。動物が運動をするときには、以上のようにして閉じ込めたエネルギーを解放します。その解放のためには、ただボタンを押すか、ピストルの引金を軽く引くか、火を付けるかさえすればよいのであります。そうすれば、火薬が爆発し、狙った方向に運動が行なわれます。

 最初の生物が植物生活と動物生活との間をさまよっていたのは、 生命はその初めにあっては、爆発物を製造することと、 それを種々の運動に利用することとを同時に引き受けていたからであります。次第に植物と動物とが相違を増してゆくに従って、生命は二つの領域に分裂し、初めは結合していた2つの機能が分かれました。そうして、 一方の領域では、生命は特に爆発物の製造に専念し、 他方の領域では、生命は爆発物を爆発させることに専念するようになったのであります。しかし、進化の出発点においてみても、進化の終着点においてみても、生命はいつも、全体としては徐々の蓄積と急激なる消費という 二重の働きであります。すなわち、生命の主眼とするところは、ゆっくりとしたしかも困難な作業によって、物質に潜在のエネルギーを貯蔵させ、その潜在のエネルギーを一挙に運動のエネルギーに変化させるところにあるのであります。

 ところで、自由因には、次に述べること以外にどんなやり方があるでしょうか。すなわち、自由因は物質を支配している必然性を破る力はないとしても、その必然性を曲げることができるものでありますし、 そうしてまた、この自由因は必然性を曲げるという物質に及ぼすことができる極わずかな影響力で、段々とよりよく選択された方向へと、段々とより強力 な運動を物質から獲得しようとするものなのであります。 自由因はまさしく今述べた通りにするでしょう。自由因は、引金を引くか火を付けるかするだけで、物質が長い時間を要して蓄積したエネルギーを、一瞬の間に利用できるように努めるでありましょう。

 

 持続の緊張

 しかし、私たちは第3の事実の系列からも、すなわち、 生物において、行動そのものではなく、働きに先だっ表象を考察することによってまた、同じ結論に到達することができます。たまたま自分の関わった出来事に 自己の刻印を残すような活動家を、私たちは普通どんな特徴によって見分けているでしょうか。その特徴は、ある長さの時間をかけて継起する出来事を、活動家が瞬間的な直視の内に包摂しているということにあるのではないでしょうか。その人の現在の内に含まれている過去の部分が大きければ大きいほど、生起しかけている偶発的な出来事に対処するために、その人が未来へと押し進める一群もまたどっしりとしたものとなります。 すなわち、ちょうど矢を射る時のように、その人の表象がより強く後ろへ引っ張られるのに応じて、その人の行動がますます強い勢いで前へ放たれるのであります。

 さて、私たちの意識が、知覚した物質に対してどんなふうに働くかを見てみましょう。意識はどの瞬間の中にも何十億かの振動を含んでいます。これらの振動は生命を持たない物質にとっては、次々に継起するものであって、もし物質が思い出すことができるのならば、最初の振動は無限に遠い過去のこととして最後の振動に現われるでありましょう。私が目を開いてすぐに閉じる場合に、私が感ずる光の感覚は私のある一瞬間に含まれますが、その光の感覚は、外界に繰り広げられている非常に長い歴史の圧縮なのであります。そこには、次々に継起する何兆かの振動があります。もし、その光の振動を数えようとすれば、できるだけ時間をうまく使ったとしても、なお何千年もかかるような出来事の系列が あります。しかし、単調で特色のないこれらの出来事は、物質が自分を意識するとしたら、物質にとって三十世紀の期間全てをふさぐものではありますが、私にとっては、私の意識の一瞬間を占めるに過ぎず、私の意識はそれらを一幅の絵のような光の感覚に縮めることができます。さらにまた、他のありとあらゆる感覚についても、同じようなことが言えるでありましょう。感覚は意識と物質の合流点にあって、私たちにだけ属していて、 私たちの意識の特徴となっている持続の内に、非常に長い期間を圧縮しているのであります。その長い期間というのは、強いて言葉を広げて言えば、ものの持続と呼んでもよいものであります。そこで、私たちの知覚がこのように物質の多くの出来事を縮めるのは、私たちの行動がそれらの出来事を支配するためである、と考えるべきではないでしょうか。

 いま仮に物質にだけ属している必然性は、物質のどの瞬間においても、非常に狭い範囲でしか打ち破られないものだとしてみましょう。 そのような場合に、それでもなお物質に自由な行動を―たとえその自由な行動が引金を引くためか、あるいは運動を方向付けるために必要なだけのものであるにしても―差し入れようとする意識には、どんなやり方があるでしょうか。意識は、ちょうど今申しあげたような仕方で、物質に自由な行動を差し入れようとするのではないでしょうか。意識の持続とものの持続との間には、物質界の数えきれないほどたくさんの瞬間が、意識を持っている生命のただの一瞬間の中に含まれているというような、両者の緊張の相違が見られると、私たちが予想してはいけないでしょうか。このような緊張の相違がありますと、意識がある一瞬間に意欲しなし遂げた行動は、物質の無数の瞬間に分割することができますし、したがってまた、その行動の中に、物質の各瞬間に含まれるほとんど無限小の不決定の和を求めることもできるのであります。言い換えれば、意識を持っている存在の持続の緊張度はまさしく行動の能力の尺度であり、世界の中に導き入れることのできる自由な創造的な発動性の大きさを測る尺度ではないでしょうか。私はそうだと思いますが、その点を主張するのは後ほどにしましょう。

 ただ、ここで私の言いたいのは、この新しい事実の系列も、先にあげた事実の系列と同じ論点に私たち を導くということだけであります。すなわち、意識が命令する行動とその行動を準備する知覚のいずれを考察してみても、そのどちらの場合にも、意識は物質の中に割り入って、物質の中に座を占めて物質を自分の利益になるように変える力として現われるということであります。意識は相補的な2つの方法によってこの働きをします。すなわち、物質が長い間かかって蓄積したエネルギーを、選んだ方向に一瞬のうちに解放する爆発的な行動がその1つの方法でありますし、そうしてもう1つの方法は、物質がなし遂げた数えきれないほどの小さな出来事を、このただ1つの瞬間の中に集め、はかり知れない長さを持つ歴史を一語に要約するという圧縮の仕事がそれであります。

 


 生命の進化

 そこで、これらの様々な事実の系列が一点に集中する点に立ってみましょう。一方には、必然性に服従する物質があります。この物質は記憶を欠いているか、あるいは相継起する諸瞬間のうちの2つの瞬間をつなぐのにちょうど必要なだけの記憶しか持っていません。その1つ1つの瞬間は先行する瞬間から演繹されることができる瞬間でありますから、既に世界の中にあったものに何物をも付け加えない瞬間であります。他方には意識があります。意識とは自由を伴った記憶であり、要するに、持続における創造の連続であります。そうして、この持続においてこそ真に増大があるのであります。この持続は引きのばすことができる持続であり、 過去が不可分の形で保存され、植物のごとく成長する持続であります。それはちょうど、葉や花を作り変えようとして自分の形態をたえず新しく作り出してゆく魔法の植物のようであります。

 もっとも、物質と意識という2つの存在が共通の源泉から出てきたものだということは、私には疑いのないことのように思われます。前者は後者の逆転であり、意識はたえず自己を創造し豊かにしてゆく働きであるのに対して、物質は自らを破壊しすり減らしてゆく働きでありますから、物質も意識もお互いを切り離しては説明できないということを、かつて私は証明したことがあります。ですから、ここではそれを繰り返さないことにしましょう。ただ、地球上における生命の進化全体の中には、創造的な意識が物質を横ぎっているのが見られるということだけを言っておくにとどめましょう。その創造的な意識というのは、動物では閉じ込められたままになっており、人間において、初めて遂に日の目を見ることができるあるものを、工夫と発明によって解放しようとする努力であります。
 
 ラマルクとダーウィン以来、種の進化という考え、すなわち、もっとも単純な有機体からはじまって次々に種が種を生んでゆくという考えを、多数の観察がますます確かめてきたのでありますが、そのことを細部にわたってお話しする必要はないでありましょう。私たちは、 比較解剖学と発生学と古生物学という三重の証言に裏付けされているこの仮説に、賛同を拒むことはできません。 そのうえ科学は、生物が与えられた条件に適応する必然性が、生命の進化の全行程においてどんな結果によって表わされているかを明らかにしました。しかし、この必然性は、生命がある一定の形態に停止することを説明するものではあっても、有機体を次第に高等なものに高めてゆく運動を説明するものではないように思われます。 生命の最初の段階である有機体といえども、私たち人間と同じように生存の条件にうまく適応しております。なぜなら、その有機体もそこで生きることに成功している からであります。それでは、生存の条件に適応して生きることに成功しているこの生命が、なぜ複雑になっていったのでしょうか。そうしてそれも、だんだんと増大してゆく危険を冒しながら、なぜ複雑になっていったのでありましょうか。私たちが今日見ることができる生命の形態は、古生代のいちばん古い時代からすでにありました。その生命の形態は多くの時代を通じて変わらずに存続したのであります。ですから、生命が一定の形態に停 止するのは不可能ではなかったのであります。それでは、 停止することができたあらゆる場合になぜ生命が停止するだけにとどめておかなかったのでありましょうか。 なぜ生命は前進したのでありましょうか。段々と激しさを増してゆく危険を冒しながら、段々と高い性能を目ざして、躍動によって引っぱられていったのでないとしたら、一体いかなる理由で生命は前進したのでありましょうか。

 生命の進化を一瞥しますと、この内的推進力が実際に働いているという感じを持たないわけにはゆきません。 しかし、生命を持つことができた物質が、内的推進力によってただ1つの方向に指し向けられたのだということを信じてはなりません。また、様々の種がただ1つの道の諸段階を表わしているとか、この行程が障害もなく遂行されたとかいうことを信じてはなりません。この努力は自分が利用する物質において、様々な抵抗に 出会ったことは明白であります。この努力は途中で分かれなければならなかったし、持っていた諸傾向をいろいろな進化の路線に分け与えねばなりませんでした。努力は、逸れたり後退したりしましたし、時には、はっきりと停止しました。ただ2つの路線においてのみ、努力は否みがたい成功を収めました。一方の路線では部分的な成功であり、他方の路線では比較的完全な成功でありました。節足動物脊椎動物がすなわちそれであります。第一の路線の先端には昆虫の本能があり、第二の路線の先端には人間の知性があります。ですから、進化する力は、最初はその力の中に混じり合って、というよりもむしろお互いに含みあって本能と知性を具えていたのだと信ずるのは、もっともなことなのであります。

 要するに、あらゆる種類の潜在力が互いに浸透し合っている意識の果てしない流れが、物質を横ぎって物質を有機体化し、そうして物質が必然そのものであっても、 物質を自由の一手段となすかのようなことが起こっているのであります。しかし、意識は罠に落ちこみそうなこともありました。物質が意識のまわりに巻きついて、 意識を、元々物質だけが持っている自動的な運動に 従わせ、かつ、同じく物質だけが持っている無意識の内に眠らせます。いくつかの進化の路線、特に植物界の進化の路線においては、自動的な運動と無意識がならわしとなっています。もっともこの路線においても、進化の力に内在する自由は、立派な芸術作品とも言える予想外の形態を創造したということに示されています。 しかし、この予想外の形態もいったん創造されると、機械的に繰り返されてゆくだけで、個体が選択するということはありません。ところで、他の進化の路線においては、個体がある感情を取戻し、したがって、ある選択のゆとりを取戻し取戻すほどにまで意識は解放されるようになります。けれども、そこでも生存しなければならないということが、選択の機能を生存欲の単なる補助手段に過ぎないものにしているのであります。

 こういう訳で、生命の低い段階から高い段階にいたるまで、自由は鎖につながれていて、せいぜい鎖をゆるめることができるだけであります。ただ人間に至って初めて、突然跳躍が敢行され、鎖が絶ち切られるのであります。人間の脳は、実際、動物の脳に極めてよく似てはいますが、人間には特別な働きがあります。その特別な働きというのは、どんな凝り固まった習慣にも他の習慣を対抗させ、どんな自動的な運動にも他の自動的な運動を対抗させる手段を提供するという働きであります。そうして、 一方の必然性が他方の必然性と争っているすきに、自由は備えを立て直して物質を手段の状態に連れ戻します。それは、ちょうど分割して支配するかのようであります。

 物理学と化学との共同の努力によって、生命を持つことができた物質に似た物質の製造に成功する日が、いつかは多分やって来るでありましょう。生命は物質の中に入り込むことによって進んでゆきます。物質を純粋な機械運動から引き離した力も、まずその力が機械的な運動を採用しなかったならば、物質に入りこむことが できなかったでありましょう。ちょうどそれは、鉄道の転轍機がレールにぴったりと沿いながら列車を離すのと同じであります。言い換えれば、生命が最初に入り込んだ物質なるものは、生命なしでもできかかっていたような、あるいはできかかることもありえたような種類の物質であります。しかし、物質だけに任せておくと、その物質はそこで止まったでありましょう。そうしてまた、生命を持つことができた物質を製造する研究室で行なう仕事も、言うまでもなく、そこで止まるでありましょう。 生命を持つことができた物質の特性の若干を模倣することはできても、その物質を再生する躍動、形態転換論的意味で進化する躍動といったものを物質に植え付けることはできないでしょう。然るに、この再生とこの進化こそが生命そのものなのであります。両者のいずれもが内的推進力を表わしており、空間における多数化と時間における複雑化によって、数と豊かさを増してゆこうとする二重の要求を表わしております。さらにまた、この再生とこの進化が、生命とともに現われ、後には人間の活動の2つの大きな原動力となる2つの本能、すなわち愛と願望とを表わしております。私たち人間には、 自分を縛る枷から解放しようとするとともに、自分自身を越えて、まず自分の持っているすべてのものを与え、次には自分の持っている以上のものを与えようとする力が、まぎれもなく働いています。

 このことよりほかに 精神を定義する仕方があるでしょうか。そして、もしも精神の力というものが存在するならば、その精神の力が他のものから区別されるのは、まさしく自分が持っている以上のものを自分自身から引き出す働きによってではないでしょうか。けれども、この力の進路を阻むあらゆる種類の障害に考慮を払わなくてはなりません。その起源から人間に至るまでの生命の進化は、ちょうど地下道を切り開くかのように物質を貫通する意識の流れという形像を、すなわち、右に左に探りながら多少とも前 に進んでゆくが、たいていの場合は岩に突き当たって壊れそうになりながら、辛くも1つの方向に突き抜けて、再び陽光に浴するといった形像を、私たちの目に浮かばせます。この方向が人間に達する進化の路線であります。

 創造的な活動 しかし、なぜ精神がこのような企てに身を投じたのでしょうか。どんな利益があって精神がトンネルを掘るのでしょうか。この場合も、いくつかの新しい事実の系列 をたどるのがよいでしょう。それらの系列もまた、ただ 一つの点に集中するはずであります。しかし、それには 心理的生命について、心理と生理との関係について、道 徳の理想と社会の進歩について、種々のこまかな点には いってゆかねばならないでしょうから、むしろ私たちは まっすぐに結論へと進むことにいたしましょう。そこで、 物質と意識を対立させてみると、物質とは何よりもまず 分割するものであり、明確にするものであることがわかります。思考は、思考自身だけのままでは、一つとも多数とも言うことができない要素が相互融合の状態を呈しております。思考とは連続であり、およそ連続なるものには渾沌があります。思考が判明になるためには、思考をいくつかの言葉に分散しなければなりません。すなわち、1枚の紙をとって、互いに浸透しあっている様々な単語を1つずつ切り離して一列に並べて文章にした時にのみ、私たちは自分の精神の中に持っていたものをはっきり知ることができるのであります。

 このようにして、生命の根源的な躍動の内に渾沌として溶け合っていた諸傾向を、物質は区別し分離し分解して個体にし、ついには人格にします。また他方において、物質は努力を誘発し努力を可能にします。思考されただけの思想、構想を抱いただけの芸術作品、夢想されただけの詩には、まだ苦労はいりません。詩想を言葉に、芸術的構想を彫刻や絵画にというように物質上に実現する場合にこそ、努力が要求されるのであります。その努力は骨の折れることではあります。しかし、努力は、努力が生み出した作品と同じ程度に尊いものであります。それどころか、作品よりも尊いものでさえあります。なぜなら、 努力によって、人は自分の持っている以上のものを自分の中から引きだし、自分自身を自分より以上に高めることができるのですから。然るに、この努力は物質がなければ可能ではなかったでありましょう。要するに、 私たちの努力に対して、物質の持っている抵抗力によって、また私たちが物質を慣らしうるという物質の従順さによって、物質は障害であると同時に道具であり刺激なのであります。かつまた、物質は私たちの力を試し、私たちの努力の刻印を保存し、私たちの努力を強化することを任務とするものなのであります。


 
 
 歓喜の意義

 生命の意義や人間の進むべき目標について思索した哲学者たちは、自然がこれらの問題についてわざわざ教えてくれていることを十分には指摘しておりません。自然は明確な印によって、私たちが目標に到着したことを知らせてくれます。その印とは歓喜であります。 私は歓喜と言っているのであって、快楽と言っているのではありません。快楽は、生物に生命を維持させるために、自然が考案した技巧的な手段に過ぎませんし、快楽はまた、生命が進んでゆく方向を指し示すものではありません。しかし、歓喜はいつも生命が成功したこと、生命が地歩を占めたこと、生命が勝利を得たことを告げています。そうして、大きな歓喜なるものには勝鬨の響きがあります。

 そこで、この印に考慮を払って、この新しい事実の系列を辿ってゆきますと、歓喜のあるところにはどこにも、創造があることがわかります。創造が豊かであればあるほど、歓喜は深いのであります。 わが子を見つめる母には歓喜があります。母が歓ぶのは、 母が身体的にも精神的にも子どもを創造したのだという意識を持っているからであります。営業を発展させている商人、自分の営んでいる事業の繁栄を眺めている工場主は、お金が儲かったということや有名になったということのために歓ぶのでありましょうか。富や名声はもちろん、その商人や工場主が感ずる満足の中で大きな要素を占めてはいます。しかし、その富や名声は彼らに、歓喜よりも快楽をもたらすものであります。そうして、彼らが本当の歓喜を味わうものは、発展する企業を創始し、何かに生命を吹き込んだという感情であります。自分の構想を作品にし上げることができた芸術家の歓喜、発見あるいは発明をした学者の歓喜といったように、非常に特別な歓喜を考えてみてください。そういう人たちは名誉のために精励しているのであり、人々に褒め称えてもらうことが彼らに鋭い歓喜を与えるのだ、と言う人もいることでしょう。何というひどい誤りでしょう。 人は成功したという自信を持っていなければいないほど、賛辞や名誉に頼るものなのであります。虚栄心の底には卑屈さがあります。人が賞賛を得ようとするのは、内心の不安をほっとさせるためであり、自分の作品を人々の熱っぽい賞賛で包みこもうとするのは、ちょうど早産の子を真綿で包むように、おそらくは不十分な自分の作品の生命力を守ってもらうためであります。しかし、自信を持っている人、生命力が溢れており、かつ長く生き続けることができる作品を産み出したという絶対的な自信を持っている人は、賛辞を必要としませんし、名誉を超えたものを感じています。その理由は、彼が創造者であるからであるとともに、彼が創造者であることを知っているからであり、そうしてまた、彼が感ずる歓喜は神的な歓喜であるからであります。そこで、ありとあらゆる領域において、生命の勝利が創造であるならば、芸術家や学者の創造と違って、ありとあらゆる人間がどんな時にでも追求しうる創造にこそ、人間の生命の存在理由があると考えるべきではないでしょうか。その創造とは自己による自己の創造であり、少しのものから多くのものを引き出し、無から何ものかを引き出して、世界の中にある豊かさに絶えず何ものかを付け加える努力によって、人格を成長させることにほかなりません。

 

 
 芸術的な生命

 外から見ると、自然は予見できない新しい形態が果てしなく咲き誇っている花園のようであります。自然に生命を吹きこむ力は、動植物の限りなく多様な種類を、愛によって、何ものかのためにではなく、ただ単に快楽のために創造しているかのように見えます。自然は、そのおのおのの種に、偉大な芸術作品という絶対的価値を与えています。自然は、最初にできたものにも、後からできた他のものと同じだけ、人間と同じだけの愛着を持っているかのようであります。しかし、生物の形態 はいったん作られると、果てしなくその形態を繰り返してゆきます。同じように、生物の行動も一度行なわれると、その行動をまねて自動的に繰り返そうとする傾向があります。ですから、自動的な運動と反復とは人間以外のどの領域をも支配しているのでありますが、この自動的な運動と反復は、生物の形態は停滞であること、このように同じ場所で足踏みするのは生命の運動そのものではないということを、私たちに知らせてくれています。 だから、芸術家の観点は大切ではありますが、決定的なものではありません。生物の種類の豊かさと形態の独自性は、確かに生命の開花を表わしております。しかし、この開花の美しさは生命の力強さを示してはいますが、それとともに、生命がその躍動を停止していることを表わし、もっと先へ進む力が一時的になくなって、無力となってしまっていることを表わしています。それはちょうど、スケートをしている子どもが滑走の最後に描く優美な輪のようなものであります。


 
 道徳的な生命

 人間探求者の観点はもっと高いものであります。ただ 人間においてのみ、特に人間の内でもっとも優れた人々においては、生命の運動は障害なく前進が続けられ、生命の運動がその前進の途中で創造した人体という芸術作品を通して、道徳的な生命の限りなく創造的な流れを噴出させています。絶えず過去の全体によりかかることによってより強く未来にのしかかってゆくようにな っている人間というものは、生命が収めた大成功であります。しかし、最上の創造者というのは、その人の行動自体が充実しているだけではなく、他人の行動をも充実させることができるような人であり、その人の行動自体が高邁であるだけではなく、高邁という炉床に火を点け燃え上がらせることができるような人であります。道徳上の偉人、特に創意的で純粋な英雄的行為によって徳へ達する新しい道を切り開いた人々は、形而上学的真理の啓示者であります。彼らは進化の頂点に立っている人 人ではありますが、またかえって生命の起源のごく近くにいる人々であり、根底から来る衝動を私たちに見えやすくする人々でもあります。私たちが直観の働きによっ て、生命の原理そのものにまではいりこもうとするので あるならば、これらの人々を注意深く注視して、彼らが感ずるものを共感するように努めましょう。もっとも、 深い底にある神秘なものに入り込むためには、時には頂上を見なければなりません。地球の中心にある火は、火山の頂上にだけしか現われないのであります。

 

 
 社会的な生命

 生命の躍動が自分の前に切り開いていった2つの大きな道、すなわち節足動物の系列と脊椎動物の系列に沿って、初めには溶け合って含まれていた本能と知性が、様々な方向に発展しました。前者の進化の頂点には 膜翅類の昆虫があり、後者の進化の頂点には人間があります。そのどちらの場合にも、到達した形態の根本的な相違にもかかわらず、そうして、通過した道が次第に 遠く離れて行っているにもかかわらず、進化は社会的な生命へと達します。それはちょうど、社会的な生命という要求が初めから感じられていたかのようであります。というよりもむしろ、生命の根源的にして本質的な憧れが、社会においてしか十分な満足を見つけ出すことができないかのようであります。社会は個々の成員の力を共同のものにするところでありますから、社会は、すべての成員の努力から利益を受け、そうして、すべての成員の努力をより容易にします。社会は個体を自分に従属させるのでなければ存続できず、かつまた、個体をしたいままに放任しておくのでなければ進歩できません。つまり、社会はこの相反する要求を和解させなければなりません。

 昆虫にあっては、第一の条件だけが満たされています。蟻や蜂の社会は感心なほど規則が保たれ統一されていますが、固定しきった習慣に凍りついています。そこでは、個体は自分自身を忘れますが、社会もまた進むべき目標を忘れてしまいます。個体も社会も、夢遊病者のような状態で、同じ円の線上をぐるぐる限りなく回り続けるだけであって、まっすぐ前に向かって、一層大きい社会の力と一層完全な個体の自由へと前進しようとはしません。ただ、人間の社会だけが、2つの到達すべき目標を目の前において進んでいます。人間の社会は、自己自身と格闘し他の社会と互いに闘いながら、接触と衝突とによって、角を丸くし、対立をすり減らし、矛盾をとり除き、個人の意志がゆがめられずに社会の意志の中に入ってゆけるようにし、各社会もまた独自性と独立性を失うことなしに、もっと広い社会の中に入ってゆけるようにすることに、ひときわ目立った努力をしております。人間の社会は、ちょうど見る人の気をもませたりほっとさせたりする演劇のようであります。この演劇を見る観客は、「ここでもまた、生命は数知れない障害と闘いながら、もっとも数多くの量の、もっとも豊富な種類の、そうして、もっとも高級な質の発明と努力を獲得するために、個体化しようとするとともに全体化しようとして骨折っている」という感想を持たずにはいられないでありましょう。

 


 来世

 いまこの最後の事実の系列から離れて、前の系列に舞い戻ってみましょう。そうして、人間の心的活動は脳の活動からはみだしていること、脳は運動習慣を蓄積するけれども、脳は記憶を蓄積するのではないこと、思考の他の諸機能は記憶よりもさらにはっきり脳から独立していること、したがって、人格性の保存とその強化は、 身体が無くなった後も可能であり蓋然的でさえあること、などを考えあわせてみましょう。そうするならば、 意識がこの世で物質を通過してゆくうちに鋼鉄のように鍛えられて、もっと強い生命のために、もっと効果的な行動のために備えているのではないか、という推測が起こらないでしょうか。この来世の生命を、私はやはり闘いの生命であり、発明を要求する生命であり、創造的進化であるというふうに想像します。そこでは、私たちの おのおのは自然の力の働きだけで、それぞれの精神的段 階に座を占めるでありましょう。その段階というのは、 ちょうど大地を離れた気球が、その比重によって一定の高さにまで昇ってゆくように、その人の努力の質と量に応じて、この世で既に潜在的に高められている段階なのであります。

 といっても、このような推測は仮説に過ぎないことを私も認めます。 私たちは先ほどまでは蓋然性の領域の中におりましたが、ここでは、私たちはただ可能性の領域の中にいるのであります。私たちの無知をいさぎよく白状しましょう。けれども、その無知が決定的なものだと信じて、あきらめてしまわないようにしましょう。意識にとって来世があるならば、それを探求する手段が私たちに発見できない理由はありません。 いやしくも、人間に関することなら、何ものも人間から隠しきれるものではありません。またしばしば、私たちが極めて遠く無限の彼方にあると想像している知識が、 私たちの極そばにあって、私たちがそれを摘みとる気になるのを待っているようなこともあります。惑星の外の空間が、かつてはいま一つのあの世とされていたこと を思い出してください。オーギュスト・コントは、天体の化学的構成は永久に知ることができないものであると断言しました。それから何年か後に、スペクトル分析が発明され、今日では私たちは、星がどんな元素からできているかを、そこへ行って見た以上に詳しく知っているのであります。

ベルクソン バーミンガム大学におけるハクスリ記念講演 Ⅰ


 アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson [bɛʁksɔn])

 20世紀前半を代表する哲学者  ノーベル文学賞受賞(1927年)

 


 「意識と生命」

 バーミンガム大学におけるハクスリ記念講演 (1911. 5. 29)

 


 大きな問題

 1人の学者の霊に捧げるといった講演をしようとする時には、その学者が多少とも関心を持っていた題目を選ばねばなりませんので、窮屈な感じがするものであります。ところが、ハクスリという名を前にして、私は題目を選ぶのに何の不自由も感じません。なぜなら、19世紀を通じてイギリスが生んだもっとも幅広い精神の持主のうちの1人に数えられるこの偉大な精神が、何の関心も持たなかったような問題を見つけ出すことのほうが、むしろ難しいからであります。なかでも、意識と生命とその両者の関係という三重の問題は、自然科学者であり同時に哲学者でもあった彼のような学者には、とりわけ強く提起されていた省察の課題であったに違いないと、私には思われるのであります。私としても、この問題こそがもっとも重要な問題だと信じますので、この問題を題目に選んだようなわけであります。


 
 
 演繹と批判と体系の精神

 さて、この問題の攻究にとりかかるにあたって、私は諸々の哲学体系の助けを得ることなど、あまりあてにはしておりません。なぜなら、多くの人々を不安に駆り立て、苦しませ、熱狂的にさせる問題が、形而上学者の思索のなかで、いつも第一の位置を占めているとは限らないからであります。私たち人間はどこからやって来たのでしょうか。私たち人間とは何なのでしょうか。私たち人間はどこへゆくのでしょうか。これらの問題こそまさに根本的な問題であります。もし、私たちが諸々の哲学体系に頼らないで哲学をするならば、たちどころにこれらの問題に直面するはずであります。しかしながら、あまりにも体系的な哲学はこれらの問題と私たちとの間に、ほかの諸問題をさしはさみます。体系的な哲学はこう言います。「問題の解決を求める前に、まず どのようにして解決を求めるべきかを知らねばならないのではないか。思考の機構を研究しなさい。認識の本性を論究し批判力を批判しなさい。このようにして、道具の価値を確かめてから、道具を使うことを考えればよい」と。残念なるかな、そういうときは決してやって来ないでありましょう。どこまでゆくことができるかを知るのには、ただ一つの方法しかないと、私は思います。 そのただ一つの方法とは、出発して前進し始めることであります。もし、私たちの求める認識が本当に有益なものであるならば、つまり、その認識が私たちの思考を伸び広げてくれるはずのものであるならば、前もって思考の機構を分析していたのでは、認識を前進させるなどということはできないということを示すだけでしょう。なぜなら、認識によって思考を伸び広げることこそ問題でありますのに、その拡大の前に私たちの思考を研究してしまうからであります。えてして、精神の精神に対する早まった反省は、進む勇気をくじいてしまいます。 ただまっすぐに進んでゆきさえすれば目標に近づくことになりましょうし、そのうえ、障害と見られていたものは、たいてい幻影に過ぎなかったことに気づくようになるでありましょう。
 
 ところで、いま仮に、形而上学者が批判のために哲学を、手段のために目的を、影のために獲物をとり逃がすようなことをしないと仮定してみま しょう。その場合でも、形而上学者は人間の起源、人間の本性、人間の目標といった問題に直面しますと、あまりにもしばしば、この問題を通り越して、彼がいっそう高いと判断する問題に移ってしまい、先の問題の解決は 一にこのいっそう高い問題に依存していると言うでありましょう。彼はまず存在一般、可能と現実、時間と空間、 精神性と物質性について思索します。次に、この一般的なるものから段々と意識と生命へと降りていって、 意識と生命の本性を突きとめようとします。その時の形而上学者の思索はまったく抽象的であり、かつまた、 その思索はものそれ自体に基づいた思索ではなくて、形而上学者がものを経験的に研究することをしないで作った、あまりにも単純な観念に基づいた思索であることは 明白なことではないでしょうか。ある種の哲学者がこんな奇妙な方法に愛着を持っているということは、その方法が哲学者の自尊心を満足させ、哲学者の仕事を楽にし、哲学者をして決定的な認識を得たと錯覚せしめるという 三重の利益を持つのでなければ、理解できないことであります。その方法はあるごく一般的な理論へ、ほとんど空虚な観念へと哲学者を導きますから、哲学者はいつも後からその空虚な観念の中へ、経験がものについて 教えてくれるすべてのものを、遡って入れることができます。この場合、哲学者は推理の力だけであらかじめ経験を先取していたのだと主張するでありましょうし、より広い一つの概念のなかに、より限定された諸概念を前もって包摂していたのだと主張するでありましょう。しかしながら、この限定された諸概念のほうが、作ることの難しい概念であり、保持しておくべき有用な概念であって、事実を深く究明することによって把握することができる概念なのであります。

 また他方、抽象的な諸観念を用いて幾何学的に推理することほどやさしいことはありませんから、哲学者は一切が密接に相関連し厳密さをとりえとしている一つの学説を、苦もなく作りあげます。しかし、この厳密さは実在のうねうねとくねった動的な輪郭を辿ることをしないで、図式的でこわばった観念を操作することによって生じた厳密さであ ります。そんな哲学よりももっとつつましい哲学、つまり、対象が依存するかに見える原理などにあれこれ気を使わないで対象そのものにまっすぐ向かってゆく哲学の方が、どんなに望ましい哲学であることでしょう。 この哲学は一挙に確実性を得ようとは望まないでしょう。 一挙に得られるような確実性は束の間の確実性でしかありません。この哲学はもっと時間をかけます。光の方 へとゆっくりのぼってゆきます。段々と広さを増してゆく経験によって、段々と高い蓋然性へと高められてゆくならば、ちょうど極限へ向かってゆくがごとく、 私たちは決定的な確実性に絶えず近づいてゆくことになるのであります。

 

 事実の諸系列

 私としては、こういう重大な問題の解決を数学的に演繹しうるような原理はないと思っています。その上、本当のところ、物理学や化学の場合とは違って、問題を解決する決定的な事実もまたここにはないと思っています。ただ、経験のさまざまな領域には事実のいろいろなグループが認められ、そのグループのおのおのは私たちの獲得しようと望んでいる認識を与えはしないとしても、そういう認識を見つけ出せる方向を示しているように思います。ところで、一つの方向を持っているということは、それだけでも大したことであります。そうして、それをいくつも持っているに越したことはありません。なぜなら、これらの方向は同じ一点に集中するはずであり、そうして、この一点こそ私たちの求めるものだからであります。つまり、私たちは現在すでにいくつかの事実の諸系列を持っています。その諸系列の長さはまだ十分ではありませんが、しかし、仮に伸ばして考えることができます。私はみなさんといっしょにその諸系列のうちのいくつかをたどってみたいと思います。その諸系列を一つ一つ別々にとりあげる場合には、そのおのおのの系列は私たちを単に蓋然的な結論に導くに過ぎないでしょう。しかし、諸系列が同じ方向を指し示す時には、その事実の諸系列の全体は、確実性への道を歩んでいるのだと思えるほどの蓋然性の集積を私たちに見せてくれるでありましょう。そうして、私たちは善意ある 協力者による共同の努力によって、限りなく確実性に近づいてゆくことができるでありましょう。と申しますのは、この場合には、哲学はもはやただ一人の思想家の構成、つまり、思弁的な作品ではなくなるからであります。 哲学は追加と訂正と加筆を必要とし、また、絶えずそれらを要求するでありましょう。哲学は実証科学のように進歩するでしょう。哲学もまた、協力によって次第に作られてゆくものなのであります。

 


 意識・記憶・予期

 私たちが進もうとする第一の方向は、次のようなものであります。私たちが精神という場合、それは何よりもまず意識を意味します。それでは、意識とは何でしょうか。といっても、私はこれほど具体的でこれほど誰の経験にも常に現われるものを定義しようとするのでないことは、みなさんもおわかりでしょう。しかし、意識について、意識自体よりもはっきりしないような定義を下さなくても、私はきわめて明らかな意識の特徴をあげることによって、意識というものの性格を示すことができます。すなわち、意識とはまず記憶を意味します。 記憶には詳しさが欠けていることがあるし、過去のわずかな部分しか含んでいないことがあります。そうしてまた、たった今起こったことしか記憶していないことがあります。けれども、記憶そのものは存在します。もしも記憶が存在しないならば、意識もまた存在しません。 自分の過去を何も保存しない意識、自分自身をたえず忘れる意識は、瞬間ごとになくなってまた生ずる意識だということになります。これこそまさに無意識の定義ではないでしょうか。

 ライプニッツが、物質とは「瞬間的な精神」であると言ったとき、いや応なく、物質とは感覚を持たないものだと宣言したのではないでしょうか。こ のようにして、意識というものは記憶であり、つまり、現在における過去の保存と蓄積なのであります。 しかしながら、意識というものは未来の予期でもあります。みなさんの精神の方向を、任意の一瞬間でよろしいから考えてみてください。そうなさるなら、みなさんの精神は現在あるものにかかわっていますが、しかし、それは何よりもまずあろうとするもののためであることがおわかりになるでしょう。注意とは期待であり、生への何らかの注意をともなわない意識はありません。そこに未来があります。未来は私たちに呼びかけます。あるいはむしろ、 私たちを未来へと引っぱります。この不断の牽引によって、私たちは時間という道を進まされるのですし、この牽引はまた、私たちが絶えず行動を続ける原因なのであります。行動とは未来への侵入なのであります。だからして、すでに過ぎ去ったものをとどめておき、 まだ存在していないものを予期すること、これこそ意識の第一の機能であります。もしも、現在が数学的な瞬間に還元されるとしたら、意識にとって現在はないことになりましょう。この数学的な瞬間は、過去を未来から区別する、単に理論上の境界点に過ぎません。厳密に言えば、この瞬間は考えられるかもしれませんが、決して知覚されはしません。私たちがこの瞬間をつかまえたと思ったときには、この瞬間は私たちからすでに離れてしまっているのであります。私たちが実際に知覚するものは、二つの部分から成りたっている持続のある厚みであります。その二つの部分というのは、過ぎ去ったばかりの過去とまぢかに迫った未来であります。私たちはこの過去によりかかり、この未来に傾いています。このよりかかることと傾くことは、意識を持っている存在にだ けあることであります。したがって、意識は、あったこととあるだろうこととの間を結ぶ連結線であり、過去と未来をつなぐかけ橋であるとも言うことができましょう。 しかし、このかけ橋は何の役にたつのでしょうか。そうして意識の任務とするところのものは何でしょうか。

 

 意識を持っている存在とは何であるか この問題に答えるために、意識を持っている存在とは何であるのか、意識の領域は自然のなかでどこまで及んでいるのかを考えてみましょう。そうは言っても、ここでは完全にして厳密な数学的明証性を求めないことにしましょう。というのは、数学的明証性を求めるなら、 私たちは何も得ることができなくなるでしょうから。ある存在が意識を持っていることを確実な学問的事実として知るためには、そのものの中に入り、それと一致し、そのものとなってしまわなければなりません。いま みなさんにお話をしているこの私が意識を持っている存在であるということを、実験によってでも推論によってでも証明してみせることができるなら証明してみせてください。もしかすると、私は自然が巧妙に作りあげた、 行ったり、来たり、おしゃべりしたりする自動機械であるかもしれません。私が自分は意識を持っていると宣言したところで、その言葉そのものが、もしかすると無意識のうちに発音されているのかもしれません。けれども、 そういうことは不可能ではないとしても、ありそうもないことだとみなさんは言われるでしょう。ところで、みなさんと私との間にはっきりした外的類似があります。 この外的類似から類推によって内的相似を求めることが できます。言うまでもなく、類推による推論は蓋然性以上のものを決して与えはしません。しかし、その蓋然性が、実際には確実性に等しいほど高い蓋然性である場合がしばしばございます。ですから類推の糸をたどっていって、意識はどこまでおよんでいるか、意識はどの点で止まっているかを調べてみましょう。
 
 人はよく次のように言います。「私たち人間では、 意識は脳に結び付けられている。だから、脳を持っている生物だけに意識があるのであって、他の生物には意識はないとせねばならぬ」と。しかし、みなさんはすぐにこの論証の欠陥に気づかれることでしょう。これと同じやり方で推論すれば、次のようにも言えるはずであります。「私たち人間では、消化作用は胃に結び付けられている。だから、胃を持っている生物は消化作用を営み、 他の生物は消化作用を営まない。」と。ところが、これはたいへんな間違いであります。というのは、消化作用を営むためには、胃を持つことはもとより、器官を持つことさえ必要ではないからであります。たとえば、アメーバはほとんど分化していない原形質のかたまりに過ぎませんけれども、消化作用を営みます。ただ、生物体が複雑になり完全になるに従って、作用は分化してきます。 それぞれの機能にそれぞれの器官があてがわれます。そうして、消化の機能は胃に、より一般的に言えば、消化器官に局所化されるようになります。その消化器官は消化の機能だけに限られているゆえに、消化作用をよりよく営むことができます。同じように、意識が人間にあっては脳に結ばれていることは異論のないところであります。

 しかし、だからといって、そのことから脳は意識に 欠くことのできないものであるということは帰結しません。動物の系列を降りてゆけばゆくほど、神経中枢も次第に簡単になり、解体してゆき、終いには、神経の諸要素は消えて、ほとんど分化していない有機体のかたまりの中に没してしまいます。そこで、次のように考えられないでしょうか。すなわち、生物の最高段階では、意識が非常に複雑な神経中枢に定着しているのならば、意識は生物の段階をずっと降りていっても、意識はやはり神経系にともなっている、そうしてまた、神経を作っている物質がまだ分化していない、生命を持つことができた物質のなかに溶けこんでしまったときには、意識もまた散らばって渾沌としたものとなり、ほとんど消失したようではあるが、しかし全然なくなったわけではない、というふうに考えられないでしょうか。だから、 厳密には、すべて生命を持っているものは意識を持つことができると言えましょうし、原理的には、意識は生命と同じ外延を有しているのであります。しかし、事実においてもそうなのでしょうか。意識には眠ったりあるいは消え去ってしまうことが生じないでしょうか。それはありそうなことであります。以下で見てゆく事実の第二の系列は、そういう結論へと私たちを導くようであります。

 

 
 選択の機能

 私たちがいちばんよく知っている、意識を持っている存在にあっては、意識が働くのは脳の仲介によってであります。ですから、人間の脳を一瞥して、人間の脳はどのように働くかを見てみましょう。脳は脳自身のほかに 髄や種々の神経などを包含した神経系の一部であります。 髄にはいくつかの機構が仕組まれていて、そのおのおのは、いつ始めてもよいように準備ができている複雑な行動を含んでおり、身体は、したいときにそれらの行動 をすることができます。それはちょうど自動ピアノに装 置した穴をあけた巻紙に、ピアノが奏でるいろいろな 曲目が前もって書いてあるようなものであります。これらの機構のおのおのは、外からの原因によって、じかに働きはじめることがあります。この場合、身体は受けた刺激に対する反応として、互いに順序だった一まとまり の運動を直ちに行ないます。しかし、刺激がじかに髄に働いて、身体の多少とも複雑な反作用を直接的にひき起こすのではなくて、刺激がまず脳にのぼり、次に降りて来て、脳に仲介させたあとでしか髄の機構を働かせない場合があります。なぜ、このような回り道をするのでしょうか。脳の介入はどんな役に立つのでしょうか。神経系の一般的構造を考えてみるなら、苦もなくその解答がわかるでありましょう。脳は髄の機構一般と関係しているのであって、ある機構とだけ関係があるのではありません。かつまた、脳はどんな種類の刺激をも受けるのであって、ある種の刺激だけを受けるのではありません。 ですから、脳はどんな感覚の道からやってきた振動であるにせよ、その振動が、どんな運動の道とでも連絡しあえる四つ辻であります。脳はまた、身体組織のある一点から受けた流れを任意の運動の機関の方向へ向けることができるスイッチであります。したがって、刺激が回り道をするとき、その刺激が脳に要求するものは、もはや自動的にではなく、選択をして運動機構を働かせることにあるのは明白であります。髄は種々の状況から提出される問題に対して、多くのできあがった解答を持っていますが、脳の介入はその解答のうちもっとも適当なものを働かせるのであります。脳は選択の器官なのであります。

 ところで、動物は下等の段階になるに従って、髄の機能と脳の機能との区別がだんだんはっきりしないものとなってきます。高等動物では脳に局所化されていた選択の機能が、しだいに髄におよんでゆきます。その際、髄はそんなに多くの機構を持たなくなり、その仕組もむろん正確さが減ってきます。最後に、神経系が発達していない動物ともなれば、まして、はっきり区別されるような神経要素を持っていない動物ともなれば、自動的な運動と選択はいっしょに溶けこんでしまっています。すなわち、反作用はほとんど機械的とも見えるほど単純になっています。それでもなお、その反作用はまだあたかも 意志によるかのごとく、ためらったり手探りしたりします。

 先ほどお話し申しあげたアメーバのことを思い出してください。アメーバは食物になる物質に出会うと、この外の物体をつかみ包むことができる突起を自分の方から伸ばします。この偽足はりっぱな器官であり、したがって機構であります。そうして、この偽足は状況に応じて作られた一時的な器官ではありますが、すでに初歩的な選択を表わしているもののように思われます。動物的生命の高等なものから下等なものへと見てゆくと、下等な動物となるに従って、ますます漠然とした形にはなりますけれども、選択の機能、つまり一定の刺激に対して多少とも予想外な運動で答える機能が働いていることがわかります。これが第二の事実の系列において、私たちが見つけ出すことができた結論であります。かくして、私たちが第一の事実の系列において出した結論が補われます。というのは、前に言ったとおり意識は過去をとどめて未来を予期しようとするものであるならば、そ れはとりもなおさず、疑いもなく、意識の任務は選択することであるからであります。すなわち、選択するためには、何をなしうるだろうかを考えなければなりませんし、かつまた、すでになしたことについては、その結果が有益であったか有害であったかを思いださなければなりません。予見しなければならず、回想しなければならないのであります。さらにまた、私たちの結論がこのように補われるなら、先に私たちが提出した問題、すなわち、ありとあらゆる生物は意識を持っている存在であるか、それとも、意識は生命の領域の一部を占めているに過ぎないのかという問題に対しても、この結論は一つの是認できそうな解答を提供してくれます。

 


 
 目ざめた意識と眠った意識

 実際、意識が選択を意味し、意識の役割は決断することにあるとしますと、自発的に動こうとせず、決断しようともしない有機体に意識があるということは疑わしいことだとせねばなりません。けれども、本当を言えば、自発的な運動が全然できないように見える生物はありません。植物界においてさえも、その組織は一般に地面に定着してはいますが、自分を動かす機能は、ないというよりもむしろ眠っているのであります。すなわち、 その機能が役に立つようなときがくれば目ざめるのであります。ありとあらゆる生物は、植物にしても動物にしても、権利上はその機能を持っているのですが、事実上では多くの生物はその機能を捨てているのだと私は思い ます。その機能を捨てた生物とは、まずかなりの動物、 ことに他の有機体に寄生していて食物を見つけるために移動する必要のない動物のうちの多くがそうであり、それから、大部分の植物がそうであります。この後者、すなわち大部分の植物は、人も言うように、大地に寄生しているのではないでしょうか。ですから、もともと生命 を持っているすべてのものに内在している意識が、自発運動がなくなったところでは眠り、生命が自由な発動性の方へ向けられるときには高まるということは、 私には本当らしく思われます。そのうえ、私たちは誰でもこの法則を自分自身によって検証することができます。私たちの行動の一つが自発的なものでなくなり、 自動的なものになったときには、どんなことが起こるでしょうか。意識がそこから退いてしまいます。

 たとえば、 体操を練習する場合、私たちは初めは自分のする一つ一つの運動を意識しています。その理由は、その運動の原因は私たちであるからでありますし、その運動の一つ一つは私たちの決断の結果であり選択を含んでいるからであります。次に、これらの運動がだんだんと緊密に連携しあい、次第に相互に機械的に決定しあうようになってくると、私たちが決断したり選択したりする必要がなくなってきますから、私たちが一つ一つの運動について持っていた意識は減少し消えてゆきます。反対に、 私たちの意識がもっとも鮮明さを持つのはどんな瞬間で ありましょうか。その瞬間とは、二つあるいはそれ以上のとるべき道を前にして、いずれを選ぶべきかをためらったり、自分の未来が自分のすることによって決まると感ずるような、内的危機の瞬間ではないでしょうか。だから、私たちの意識の強さの度は、まったく、私たちが 行動に際してどれだけの数の選択をしているかということ――どれだけの大きさの創造をしているかと言っても よいのですが――に対応していると、私には思われるのであります。そうしてこれらすべてのことは、意識一般 もまた、このようなものであるという考えを私たちに持たせてくれます。意識が記憶と予期を意味するというのは、意識が選択と同意語だということであります。

 そこで、生命を持つことができた物質を、それが最初に示した原初的な形で思い浮かべてみましょう。それは 原形質のゼリー状のかたまりで、ちょうどアメーバのようなものであります。生命を持つことができた物質は自分で形を変えることができますから、漠然とした意識を持っています。さて、その物質が成長し進化するために、 二つの道がその物質の前に開かれています。一方では、 生命を持つことができた物質は運動と行動の方向、すなわちますます効果的になる運動とますます自由になる行動へと進むことができます。この歩みには危険があり波乱がありますが、それはまた次第に深さと強さの度を増してゆく意識なのであります。他方また、この生命を 持つことができた物質は、それ自身の中に萌芽として持っている行動と選択の機能を捨てて、自分に必要なすベてのものを探しにゆく代わりに、じっとしていて獲得しうるように手筈を整えることもできます。これは安住しきった、落ちつき払ったブルジョア的なあり方では ありますが、同時にまた、これは不動性ということから 帰結する第一の結果としての麻痺状態であります。それはやがて決定的な仮睡状態になり、無意識になります。 以上が生命の進化のために開かれた二つの道であります。 生命を持つことができた物質の一部は前者の道をとり、 一部は後者の道をとりました。前者は大体において 動物界への方向を示しています「「大体において」 というのは、かなりの種類の動物は運動を捨て、ひいては疑いもなく意識をもまた捨てているからであります。 後者は大体において植物界への方向を示しています [ふたたび「大体において」というのは、運動性が、そうしてまたたぶん意識も、次として植物において目ざめる場合があるからであります。

 

 

 

 

 

 

 

心霊研究とその歴史 Ⅱ

第5章 精神的心霊現象


 大別すると心霊現象は、精神的心霊現象、物理的心霊現象および心霊治療の3つになる。そして精神的心霊現象には、霊視、霊聴、霊言、自動書記、霊感、精神感応、杖占いなどがある。これらの現象は同時にいくつかが一緒に現われるのが普通である。



 1 精神的心霊現象

 "精神的心霊現象"とは「霊能のある者のみが知覚しうる」心霊現象の総称で、霊能の強弱、入神状態の深浅、その人についている指導霊(後記)の霊格の高さなどによって、知覚される事象に差が生じる。精神的心霊現象が一名"主観的心霊現象"といわれるのは、このためである。
 霊能の発現が弱く、入神状態が浅く、指導霊の霊格が低い場合には高い霊界の事象は知覚できない。
 この問題に関連して霊能者は、一様に、高い霊的事象は高い振動数で、低い霊的事象は低い振動数で振動しているように見える、といっているが、いずれにしても霊能者には霊的に高級な者とそうでない者があり、霊的に低い霊能者には、高い霊界の事象は見えない。
 それほど、霊能が高くないはずの一般人が、いわゆる"夢枕"(死の直前の人間の霊魂は肉体から離脱しやすくなり、会いたいと思う人の所へすぐ行ける。その姿を見る現象を夢枕という)を見うるのは死者側の霊的振動数が人間に近いからとも解釈できる。精神的心霊現象は、霊媒の自我意識が混入しない入神状態で行なわれることが望ましい。しかし霊能が特に強く発現する場合以外、深い入神状態に入ることは困難であり、また無意識状態に入ることに対する恐怖心などもあって、実際は半意識状態で行なわれることが多い





 2 霊視現象

 霊視能力者が、半意識または意識のある状態で、霊界に属する事象を見る現象を「広義の霊視現象」という。霊視の対象は多くの場合、幽霊その他、霊界の生物(後記)や景色などであるが、現界(この世)の、数日または数年先に起きる事象を見ることもよくある。霊能が強く発現した場合の霊視者は、目を開けたまま、肉眼で見ると同様に幽霊などを見ることができるが、一般には、霊能者でも目を閉じて精神統一をし、顕在意織の活動を抑えると見えてくるのが普通である。

 これに対して霊能がそれほど高くない霊視能力者は睡眠状態で、顕在意識がほとんど働かない場合に霊視するのが大部分であり、夢枕・白昼夢などがこれに属する。夢に見る情景は、白黒でかつ間もなく忘れるのが普通であるが、霊視で見る光景は天然色で、しかも長期間、細部まで克明に覚えている。
 霊視現象は、さらに、狭義の霊視、千里眼、透視、心霊鑑定、水晶球画像などの諸現象に分類されるが、このなかの二つ以上が同時に起こることや、どちらとも区別しがたい場合もある。




 3 狭義の霊視現象

 霊視の対象物のみが浮き出して見える現象を狭義の霊視現象または一般に霊視という。霊視能力者は精神を統一し、心で指導霊(第8章参照)に質問すると、答が、絵や文宇や文章で見え、またわからない数式の解法や機械の構造図まで見えることもある。つまり、“狭義の霊視"の機構は、霊視者の指導霊が霊視者の思魂(おもいみたま)を操作し、肉眼で見るときと同じ感覚を起こさせる、と考えるのが無難のようである。まれに勉強もせずに神童といわれる子どもがいるが、これらは調べてみるとほとんどが霊視能カ者で、いずれも「試験場で眼を閉じると、答が白い字で見えてくる」と言っている。
 
 広島大学機械工学科の主任教授・浅尾春海博士が昭和25年、朝鮮動乱が始まって間もないある晩、著者らと精神統一の練習中、突然、根元が赤で下方の大部分が緑色の朝鮮半島の地図が現われたが、間もなく緑の部分は縮小し始めて、ついに釜山付近のみとなり、他は全部赤となって、「おかしな物を見たが、これはなんでしょう」と、話していた。それは朝鮮動乱の進行状態を2,3カ月前に霊視したのである。最後の緑の部分の形は、後に新聞に掲載された両軍陣地の境界線の形とまったく一致していたという。これは浅尾教授の指導霊が、未来の状況を教授に霊視させた例である。




 4 秋山参謀の霊視

 これは有名な秋山真之中将が、わが国近代心霊研究の草分け浅野和三郎氏に「誤解を招かぬよう、今まで誰にも語さなかったが、あなただけにお話します」と前置きして漏らした日露海戦の秘話である。

 1つはウラジオ艦隊がウラジオを抜け出して次々と常陸丸、佐渡丸を襲ったときのことである。日本の朝野は、この奇襲に色を失って震愕した。上村艦隊はただちに前線から呼び戻され、敵艦の捜査に当たったが、出没不明の敵の行動には手の下しようがなかった。秋山中将は当時、東郷艦隊の一参謀として軍艦三笠に乗って旅順の封鎖に従事していた。無線電信で捜査の情況は刻々報告されるが、東郷艦隊としては旅順の沖を一時たりとも離れることはできない。秋山中将の苦心焦慮は極点に達した。敵が日本海を通ってそのままウラジオヘ引き上げるのか、それとも太平洋へ飛び出し、日本の東海岸を荒して津軽海峡また宗谷海峡を抜けて帰港するのか、上村艦隊はこれによって追撃の方策を決めねばならぬ。成功か不成功かはこの一断によって分かれる。
 
 人間がいかに知恵を絞っても決しかね、敬虔な心をもって神前にひれ伏すとき、神は初めて真心の人間を功けてくれるということを、このとき、秋山中将は初めて体験したのである。終夜考え尽くして考ええず、疲労の余りまどろんだと思った瞬間、彼の眼中は目の出前の東の空のように明るくなり、百里千里の先まで、はっきり見えだした。ふと、気がつくと、それは日本の東海岸の全景で、津軽海峡が彼方に見える。そして今しも、三隻の軍艦が津軽を指して進航しているが、それこそ夢の間も忘れたことのないウラジオ艦隊のロシア、ルューリックおよびグロボイ号ではないか。
「あいつ共、日本の東を回って津軽を抜けるのだな‥‥と直覚した瞬間、海も波も敵艦も一時にパッと消えて眼が覚めた。夢か夢にあらず、現か現にあらず、しばらく留まったが、これが、いわゆる霊夢というものではないかと気がつき、いい知れぬ感激に打たれた。

秋山中将はこの霊示によってウラジオ艦隊が太平洋を回って津軽海峡を抜けることを確信したが、
「今朝、霊夢で知らされた」
と言ったのでは冷笑を買うだけに終わる。そこで霊夢のことは誰にも語らず、次のような意見を発表した。
「理詰めの判断によって、敵艦隊の行動を推察した結果、敵はかならず太平洋を回り津軽を抜けてウラジオヘ戻るはずであるから、上村艦隊は日本海を通って津軽海峡の内側で敵を待ち受けるべきである。敵艦隊の後を追って太平洋を捜索するのは、空しく敵を逸するおそれがある‥‥」
 この意見は軍司令部にも上村艦隊にも無電通達されたが、惜しいかな、当事者たちは採用しなかった。その結果、恨み重なる長蛇を逸し、敵をして悠々と津軽海挟を通過し、ウラジオに帰らせることとなった。
もしもこの時、秋山参謀の建策、いや神示が用いられていたら、上村艦隊は、その後の蔚山沖の海戦を待たずに、ウラジオ艦隊を撃減して国民の溜飲を下げえたであろう。           (浅野和三郎著『冬篭」より)





 5 日本海海戦の予知

 秋山参謀には、もうひとつの貴重な霊的体験がある。これは真に重要なことで、日本人は、ぜひ知っておいてもらいたのである。これも日本海海戦に関することである。日本艦隊のこの時の覚悟と用意とは、実に想像の外にあった。根拠地を鎮海に置いて、敵の接近を今や遅しと待ちながら、さて、敵は果たして対島海峡にやってくるだろうか? 当局の心痛苦慮!
 来てくれればあリがたいが、万が一、太平洋を迂回し、津軽海峡宗谷海峡を通過してウラジオに入られては、たいへんなことになる。
5月も20日を過ぎてからは、心身の緊張は極点に達した。幾日かに渡り着のみ着のままで、ごろ寝を続け、真に寝食を忘れて懸命に作戦の画策に耽っていた。
「忘れもせぬ、5月24日の夜中でした」
と、秋山さんは当時を追憶しつつ話を続けるのだった。
「あまり疲れたものですから、私は士官室に行って椅子に体を投げました。他の人たちは皆寝てしまって、室内には私1人だけしかいません。眼をつぶっていろいろ考えているうちに、つい、うとうとしたかと思うと、私の目の中の色が変わってきました。
  そして対島海峡の全景が眼前に展開し、バルチック艦隊が2列になって、ゆっくり来るのが、はっきり見えるのです。しめた!と思った瞬間、私はハッと正気に返ってしまいました。
しかし、このような霊夢を見たのは、これで2度目なので、私はただちに、これは確かに神の啓示だと直感しました。そして、これでもう大丈夫だ!バルチック艦隊は2列を作ってかならず対島海峡に突っ込んでくる。これに対抗するのには、第一段はこう、第二段はこう、と例の私の七段構えの計画が、すらすらとできあがったのです。
 
 いよいよ27日の未明となって、ご承知のとおり、信濃丸からの無電で敵艦隊の接近したことがわかり、結局、あの大海戦という段取りになったのですが、驚いたことには、敵の艦隊の配列は、3日前に霊夢で見たのと寸分の相違もありません。ひと目それを見たとき、私は嬉しいやら、不思議やら、ありがたいやら、実になんとも言えぬ気持でした‥‥」
 日本海海戦の檜舞台の花形役者から、はじめて重大な打明け話を聞いたのであるから、実におもしろかった。
「とにかく私には日露戦役中に2度までも、こういう不思議なことがありましたので、いざ戦報を書こうとして筆をとった時には、自然と、“天佑と神助により‥‥"と書き出さないわけにはいかなかったのです。私は実際、そう信じていたので、決して、おまけでも形容でもなかったのです」

                                                                                               (浅野氏『冬篭」より)





 6 容器内透視

 透視問題が新聞紙を賑わした明治43年頃、かねてから貞子夫人の透視能力に興味を有していた松本市の高橋宮二氏は、同氏の恩人で東京在住の今村力三郎弁護護士に透視用の実験材料の送付を依頼し、同43年12月3日、今村氏から近日中に発送する旨の手紙を受け取った。すると同月5日、突然、夫人が入神状態となり、
「壁に立派な筆跡で、是空という字が出ている」
と言った。高橋氏はその時、直感的に"送ってくる字”と考えたが、翌6日午後、今村氏からの待望の小包が届いた。早速、外装を除くと2個の円筒形のものと1個の円形偏平のものが現われた。いずれも丈夫な白紙で糊付けして多教の封印を押し、そのうえを厳重に麻縄で縛って結び目にも封印を施してあった。
 
 第1回の実験は同夜7時から行ない、立ち合ったのは高橋氏と子息2人であった。夫人は約30秒で入神状態に入り、目をつむったまま両手を伸ばして机上の実験物に触り、やがて、
「見える、見える、なかなか厳重にしてある。白紙が、1枚、2枚、3枚、‥‥糊でベタベタに貼って1枚ごとに今村という印が押してある。綿が出た。封筒が出た。封印が上下2カ所に押してある。中に字が入れてある。これが実験の字だな、出た、出た、白紙に字が書いてある。りっぱな字だ、これは今村先生の直筆で是空と書いてある。これは壁に出た字と同じだ--」
と、独語した。これが済むと2番目の円筒状の物の透視に移った。
「これも前のと同じようだ、なかなか厳重にしてある、矢張り字だな、方‥正‥、やさしい字だ、これも筆跡は立派だ‥‥」
これで自然に入神状態から覚め、疲れたので残りは明日にまわした。2つの透視に要した時間は7分間であった。透視結果は、ただちに電報で今村氏に通知し、透視材料も翌朝、小包で送って、7日は終日今村氏からの返事を待ったが、その日の午後7時頃、返事の電報が配達された。
電文には、
「2つとも的中驚嘆」
とあった。2回目の実験は翌8日の朝に行なった。透視は3分間で終わったが、「口では字画がはっきりしない」というので、高橋氏が鉛筆を手に持たせると、目をつぶったまま“足立文声”と書き、
「これは活版刷りの名刺だ」と言った。
そして、この実験結果に対しても、令村氏から折返し的中の返事があり、これによって貞子夫人の透視は3つとも的中したのである。          (雑誌「心霊研究」大正12年8月号、高橋宮二氏の手記による)




 7 本吉嶺山氏の透視実験

 昭和23年4月、日本心霊科学協会は春期総会を兼ねて本吉嶺山氏の透視実験会を催した。来会者は80人ほどであった。実験は希望者が絵を描いた紙を裏返しに重ねて机上に置くと、目隠しした本吉氏がこれを当てるのである。ところで本山氏が精神統一をして、いよいよ見ようとしても見えないらしいのである。同氏には苦悩の色がありありと現われ、なんとか努力するが見えない。しばらくして本吉氏は何事かに気づいたらしく統一を止め、目隠しのままで司会者に何かを訴えた。司会者は演壇上に登り、
 「本吉氏が、黒雲のようなものが机上を覆って、どうしても視力を貫通させることができない。これは実験失敗を希望する人の念が凝り固まってできたもの(後記)であるから、参観者は、白紙の気持で見ていて欲しいと言っている。批判は結果を見てからするように」
と参観人の注意を促し、実験を再開した。たちまち、2,30の問題が全部的中した。
 また土佐の霊媒、北村栄延氏の透視は有名で、3個のサイコロをありあわせの箱に入れ、揺すって3個の数字を透視して、百発百中、間違うことがなかった。筆者の1人の父も若い頃、この話と同じことができた時期があったと、よく話していた。




 8 心霊鑑定

 霊能者が手掛りの品物を手に持つか額に当てて精神を統一すると、その品物の来歴や所有者に関する事柄が霊視・霊聴・霊感(後記)される現象を心霊鑑定という。これも霊視・霊聴・霊感によると考えられている。
 アンナ・デントン・クリッジ夫人はボストン大学の世界的地質学者ウィリア・デントン教授の妹で1850年頃から家に配達される手紙を手に持って、発信人の性格・環境・容貌・髪や目の色まで言い当てるようになった。兄のデントン教授は1883年、彼が亡くなるまでの30年間に何千回もの実験を行ない、妹のこの神秘的な能力を地質学の研究に応用して、石や化石の生成を知り、不明だった諸問題を解明して地質学に偉大な功績を残した。
 
 ある時クリッジ夫人は、外からは絶対にわからないように包装されたマストゾン(第三紀に棲息した巨大な象)の牙の一片を渡された時、次のように話し出した。
「私の印象は、なにか巨大な動物の一部であると感じます。私は重い脚、重過ぎる頭と非常に大きな胴をもった大きな動物のように思います。私は浅い流れに水を飲みに下りて行きます。私は話すことができません。私は4つ足で歩いているように思います。森を通して騒ぎが聞こえます。私はそれに応じる衝動を覚えます。私の耳はたいへん大きく、歩くとき、その耳が私の顔にバタバタ当たるように感じます。強そうに見える大きな牙をもった老いた象が見えます。5,6歳の若い象も見えます。象の群れです…」


 元伝染病研究所長・長谷川秀次博士が英国オックスフォード大学心霊講座のお抱え霊媒に会った時、初めはなかなか当たらなかったが、霊媒の希望で万年筆を渡すと当たり出し、次のような会話が交された。

 霊媒「あなたは医者ですね」
 博士「OK」
 霊媒「あなたには子どもが四人いる」
 博士「OK」
 霊媒「あなたの一族に仏教の坊さんがいますね」
 博士「当たっている」
 霊媒「奥さんは左の眼が悪い」
 博士「家内は子どものとき、左の眼を手術したことがある」
 霊媒「奥さんは50歳ぐらいで太っている」
 博士「それも当たっている、どうしてわかるのか」
 霊媒「医者の場合は赤十字のマークが見え、子どもの数は数宇が明るく照らし出されるのでわかる」
といった其合でしたが、そのとき、霊媒は目をあけたままでした‥‥。
と長谷川教授は著者らに語った。
 
 以上のように心霊鑑定は実によく当たるので筆者らは、ある霊媒に警察の犯罪捜査に協力するよう要請したところ、
「我々には真犯人や犯行の状況まですぐわかるが、これを人に話そうと思うと、犯人に憑いている悪霊どもが物凄い形相で睨むので恐ろしくて止めてしまうのである。他の霊能者にも聞いてみたが、自分とまったく同じでした」
とのことであった。ほんとうに残念な次第である。すなわち、犯人にも悪霊が憑いて犯罪を行なわせ、さらに発見させまいと活動しているのであるから、捜す方でも高級霊に依頼し、さらに神の援助を祈願するようにしなければならない。
 このように霊の世界でも現界と同様、たえず闘いが営まれているので、著者らは時々、警視庁捜査課や検察庁に、「せめて1人ずつでも、秋山参謀のような方がおられたらなあ」と、考えることがある。




 9 水晶球画像

 水晶球画像とは普通、直径が5〜7.5cm程度の水晶球を黒いヴィロードで包み、前だけ開けて、霊能者がこれを凝視していると、はじめは乳白色の雲が現われて一切を蔽うが、やがてこの雲が晴れると忽然として固像が現われ、それが映画のように次々に変化し進展する現象で、霊能者が目をあけて、これを見ながら説明できる点で独特のものである。水晶球画像の機構は"狭義の霊視”の一種と考えられている。わが国でも名古屋市にこれの上手な霊能者がいる。

 H夫人はR氏宅を訪問したとき、偶然に居合わした水品球画像霊媒に、興味本位で自分を視てくれるように頼んだ。霊媒はわざわざ自宅から水晶球を取り寄せ、しばらくH夫人に握らせたのち、自分の手に取り凝視していたが、その結果をH夫人に語すのを拒んだ。しかし、「ぜひ」と言うH夫人の要求に断わりきれず、目撃したとおりを語し出した。
 「1人の背の高い禿頭に近い紳士が室内を歩きまわっています。その紳士は何回も卓上から電話器を取り、狂気じみて高声に怒鳴っています。やがて引き出しからピストルを取り出し、興奮してドアにピストルを向けました。しかし、いつまで経っても誰も入ってこないので、がっかりした様子で、自分の胸にピストルを当てて引金を引いたので、血が飛び散り床に倒れました。しばらくして一人の婦人が室内に入ってきて、自殺者の頭を持ち上げましたが、その帰人はあなたでした…」
 この薄気味悪い話を聞いたときH夫人は笑い出した。それは、今しがた夫と別れてきたばかりであり、そのとき夫は、きわめて愉快そうで自殺しようなどとは夢にも思えなかったからである。しかしこの予告は3日後に事実となって現われた。H氏は突然、発狂して自殺したのである。そのときR氏はH氏から電話で、ぜひ同行するよう依頼され、断わりきれず自宅を出るには出たが、途中で3日前の水晶球画像の件を思い出し、念のため、その霊媒の家へ立ち寄ったところ、
「今、行ってはならぬ」
引き止められ、3時間ほど遅れて行ったため、危いところを助かったのであった。                                         (「英國心霊研究学会誌」1923年11月号掲載)




 10 霊聴

 ソクラテスは、つねに彼の守護霊(後記)ダイモニオンの声を聞いたといわれており、また一般に、霊の声や、ジャンヌダルクのように天使の声を聞く現象は非常に多い。これを霊聴という。霊聴の機構は指導霊が霊能者の言魂(第8章参照)を操作して、霊能者にあたかも耳で聞くがごとき感じを起こさせるものと考えられる。

 明治22年10月のことであった。当時、大隅重信侯は外務大臣として欧米各国との間の条約改正に着手していたが、そのなかに外国法官任用の項があり、ごうごうたる非難の声が起こった。玄洋社員も、国威を失墜し国家の体面を傷つけることはなはだしいと憤慨し、その1人、来島恒喜は大隅侯を道に待ち伏せて爆弾を投じ、その片脚を奪い、同時に自分は自殺した。ちょうどその晩、玄洋杜の仲間たちが、的野半助氏の家に集まって雑談中、
「おい、的野君、的野君」
と言って門を叩く者がいる。そこで、
「あれは来島君の声だ、早く門をあけてやれ」
と、家人に命じて門をあけさせたが誰もいない。しかし確かに今のは来島君の声に、違いないと一同不思議に思った。翌日になって事件を知り、一同「やはり来島君が来たのだった」と語り合った。         
                                                                             (岡田建文著『心霊不滅』掲載)




 11 霊言

 霊能者に死者の霊魂その他が乗り移り、生前の特徴を示現しながら発言する現象で、霊視現象と違って多勢の人々に同時にその声を聞かすことができるため、音から代表的な神秘現象として畏敬されてきた。ギリシャ時代の神託と神功皇后の霊言については前に記したが、昔は知名な神社には、かならず巫女がいたもので、宇佐八幡宮の神告も巫女の口を借りて得られたことが記されている。神社にいる白衣赤袴の少女はその名残りである。
 霊言者と向かい合って席をとり、霊言者にかかって、発言する霊と問答する役を審神者(さにわ)といい、審神者の立合いのもとに完全な無意識状態で行なう霊能者から、審神者を必要とせず、ほとんど平常と変わらぬ意識をもって、自分で客と応対しつつ霊言を行なう霊能者までいる。
 霊言現象の機構は、死者の思魂が霊能者の言魂を占領、操作して、発言させる現象であるが、霊言霊媒の場合は、霊媒の指導霊が死者の霊の態度・思念などを感じ取り、霊媒の言魂を操作して、その霊の様子を彷彿させつつ発言させると考えられている。霊界の事情によって、指定する霊を呼び出せない場合もあるが、指導霊が優れている場合には、短時間で希望の霊を呼び山し、話し合い、また霊界の状況を聞くことができる。
 
 しかし霊言霊媒の指導霊は、善意をもつ高級な人間霊だけとは限らない。むしろ反対に、低級な人霊か人真似のうまい動物霊の場合が多いのである。立派な神の名を名乗って出てくる場合は、ほとんど全部、動物霊の詐称と考えてよい。これは優れた霊視能カ者が霊視すればすぐわかってしまうのである。霊的な力量と霊格の高低は別である。それゆえ、審神者は十分な経験を持ち、出てくる霊を見分り、霊言の内容の真偽を判別し、毅然たる態度を持して霊と応対し、偽りを見抜いた場合は、ただちに適切な処置を講じなければならない。高級な霊言霊媒の場合は別であるが、一般には霊言の内容の価値は霊言者より審神者によって決まるといわれているのも、そのためである。
 
 心霊知識のない一般新興宗教の信者が、教祖の霊言やこれに基づく教祖の考えを、全部正しいと信じ、これをうのみにすることは危険千万である。
 毎年7月下旬、1週間にわたって行なわれる青森県恐山の祭礼にはイタコが出るので有名である、イタコとは、この地方でいう女の霊言霊媒のことで、すべて盲人である。祭りの間、30人ほどのイタコが地蔵尊堂の周囲に並び、参詣人の依頼に応じて、一種独特の節をつけて祝詞のような霊言をするのである。しかし訛り酷いため土地の人以外には理解しがたい。

 今までの霊言霊媒中、世界的に最も優れていたのは英国のオスボン・レオナルド夫人だといわれている。同夫人は子どもの頃から霊能があったが、両親がこれを嫌ったため、一時霊能がなくなったように思われた。しかし19歳で入院したときの付添看護帰が心霊研究に興味をもっていたため、夫人の霊能は復活し、3年後には優れた霊言霊媒として認められるにいたった。1918年、英国心霊研究学会の審査委員会は3カ月にわたりレオナルド夫人の霊能に対して厳密な検査を行なった後、「霊魂の死後存続の問題は、レオナルド夫人によって遺憾なく証明された。レオナルド夫人の霊言が真実であることについては、疑いをはさむ余地がない」
という決議を発表したほどである。
 
 レオナルド夫人は指導霊の言い付けにより少額の報酬のほかは受け取らず、また申込み順に少数の人の要求に応ずるだけだったので、希望者は自分の番が来るまでに、1年以上も待たねばならなかった。特に第一次世界大戦後は、戦死者の遺族がレオナルド夫人に依頼して、死んだ家族との対話を希望する者が多かったという。知名の物理学者オリヴァー・ロッジ卿もその一人で、戦死した子息レイモンド氏の霊魂との対談を集めたのが有名な『レイモンドの通信』である。レオナルド夫人の霊言を受け持つ指導霊はフイダと自称する霊的に非常に高級な少女の霊でフイダが他の霊の思念を取り継いでレオナルド夫人に話させるのである。
「霊を呼ぶ場合、霊界の居住者はただちにあなたの前に姿を現わすか」
との問いに、フイダは、
「私の目にその姿が見える場合もあり、姿は見えず単にその思念を感じるだけの場合もあります。(後記) フイダと霊界居住者との連絡は確実ですが、フイダと人間界との連絡は波長が違うため、あまり、うまくはいきません」
と答え、また、
「思念はどういうようにして受け取るのか」
との質問に、
「他の霊が寒いとか悲しいと感じれば私も寒く悲しく感じ、こういうことを言いたいと思えば、それを私はすぐ感じるのです。」と言っている。



 12 ノースクリッフ卿からの通信
 
 これはレオナルド夫人による故タイムス社長ノースクリッフ卿(1865〜1922)。新聞を現在のように大衆化したイギリス新聞界の大立物)の霊界通信の一端を示す記事で、人間死後も霊魂はそのまま生存することを示すよい実例でもある。

 交霊会は、1925年1月18日午前11時からロンドン郊外のアンドレー.ブラッドレー氏(有名な文学評論家。オックスフォード大学教授)宅で開かれ、出席者はレオナルド夫人、スワッファー氏(『ピープル」誌主筆)とブラッドレー氏の3人であった。レオナルド夫人は約四分間で深い恍惚状態に入り、指導霊フイダがかかってきて、
「皆さん、おはようございます。大将(ノースクリツフ卿の渾名)もここに見えています。きょうは邪魔者がいないので具合がよいと大将はお喜びです。スワッファーさん、大将は今あなたの背中を叩いておられますが、おわかりですか…」
と、言ったが、間もなくノ卿の思念を受けて声も変わり、あたかもノ卿が話しているかのように会話が始まった。

ノ卿 「スワッファー君!君は、もっと落ち着いてくれ。君は死後の生存を立証しようとあせりすぎる…。君も知っているマックが、こちら(霊界のこと)に来ているが、マックからルーイス(ノ卿の元秘書、女新聞記者)によろしくとの伝言だ。近頃ルーイスはマックの子どもを親切に世話しているようだが、マックは彼女の好意を深く感謝しているよ‥‥。
 死後生存の証拠は案外つまらない日常の些細なことから得られるものだ--。私は幾度もルーイスの頭髪を突ついてやったが、多分、当人は気がついているはずだ。近頃、ルーイスの仕事がうまくいっているのは私が陰から手伝っているからだよ。今度ルーイスに会ったら、私がよく人をまいた話を聞いてみるとよい。私はいろいろおかしな手段で自分の所在をくらましたものだ。ルーイスはきっとその話を覚えているに違いない‥‥。
 きょうはルーイスの噂ぱかりになったが、私は近頃ルーイスが自分の上着のリボンを縫い付けているところを見ておいたよ。あべこべの衿にリボンを縫い付けたところを‥‥。この事を言ったらルーイスはきっと大笑いするに違いない。それからルーイスはリボンの帯環が癪に障っていたようだ--」
 
 こんな話をしていたとき、ブラッドレー氏の書斎の電話が鳴り出し、しばらく鳴り続けていた。ノ卿は早速、電話のことを話題にした。
「電話という奴はうるさいもので、私は鳴らない電話を1つ作って使っていたよ。スワッファー君! 君もそれを覚えているだろう」
ス氏「私は記憶していませんが‥‥」
ノ卿「私の手許に電話が3本あった。2本はすぐ手近に置いたが、1本は室外に置いた。室外の電話で返事をしにいくのにルーイスはよくドアを閉めずにいくので、私はそのたび彼女をよく叱ったものだ‥‥」
 ノ卿の話はさらに続き、新聞記事についてス氏に適切な注意を与え、交霊会を終えたのは零時30分であった。
 
 ブラッドレー氏とスワッファー氏は、ルーイス女史に関する部分だけを、個条書きの質問状にまとめ、ロンドンに帰着して間もないルーイス女史に面会して次の答えを得た。
「私はマックの息子を連れて、1カ月スイスに滞在し最近連れて戻りました。スイスに行ったら体によいと思いましたので‥‥。また卿から触れられたと感じたことは何度もあります。私はたしかにそうに違いないと思っています」
 ノ卿が人をまいた話に対しては、
「ええ、よく記憶しています。あの方は始終、自分の居所をくらまして喜んでおられました…」
近頃、なにか縫物をしたか、の質問に、
「ええ、近頃、私は針仕事ばかりしています」
また上着のリボンについては、
「ええ、縫い付けました。あべこべに縫い付けて大失敗をしました」
また、ノ卿の鳴らない電話を覚えているかとの質問には、
「ええ、覚えていますとも。‥‥それは高い音を出さない電話で、話すときも小声で囁けばよいのです。ノ卿は、高い声でしゃべってはいかん、私の使っているのは鳴らない電話だ、とよくお叱りを受けたものです‥‥」(浅野『心霊講座』)
 以上はノースクリッフ卿が亡くなってから3年目に行なわれた交霊会の模様であるが、もちろん霊媒レオナルド夫人とルーイス女史は、それまで一度も会ったことはなかった。


 12,3年前、東京の西郊に当時、著者らが東都随一と折紙をつけた霊言霊媒がいた。以下は筆者の1人が親戚某をそこへ連れていったときの記事である。
 はじめに某が生まれる前に亡くなった祖父と称する人の霊が出てきて、
「印判は押すな」「石垣はできたか」「この男は知らない」
その他のことを聞こえるか聞こえないかのような小さな声で繰り返し言っていたが、急に態度が変わり、両手で格子をゆさ振るような真似をしながら、らんらんたる目付きで、
「俺は久吉だ、どうしてこんなところへ入れたのだ、早く出せ、みんな、ぶっ殺してやる」
などと長時間泣き喚いていたが、なにを思ったか、ふと立ち止まり、帯を解いて首をつる真似をして動かなくなった。
 
 審神者の指示で触ったところ、霊媒の体はコチコチに硬直し、審神者が抱きかかえても棒のように曲がらなかった。某は何のことかわからず帰って父に聞いたところ、前の2つについては「祖父が他人の保証人となって印を押し、家代々の財産をなくしたことと、墓地の後ろの崖の土が壊れるので石垣を造りたいと言っていたのに果たせず亡くなった」ということが判り、その他のことも全部当たっていた。
 
 しかし、久吉氏の件は父も知らず、1年後、父が長姉に会った折に聞いてみたら、自分たちが子どもの頃、お化けが出るから行くなという部屋が奥にあったが、夜になると母が食物を運んでいた。ところがあとで久吉という叔父があまり道楽が激しかったので、祖父が座敷牢を作リ押し込めたら、はじめは格子をゆすって悪態の限りを尽くしていたが、少し経って首を吊って死んでしまったことを知らされたとのことだった。このように高級霊霊媒は死者の様子を彷彿させることができるのである。





 13 自動書記

 自動書記とは、霊媒の言魂が指導霊の指示によって霊媒の手を操作して字や文章を綴らせる現象で、字の代りに絵を描く場合を自動書画という。霊言の場合と同様、直接、他の霊魂が霊媒の言魂を操作することもある。自動書記者は、ただ精神を鎮めて受身の状態になっておればよい。すると自分の顕在意識とは別個と思われる意識が手を動かし、慣れてくると、暗闇のなかでも、人と話をしているときでも、手が動いて、文章や絵を書くのである。初めは手が大きくでたらめに動くだけであるが、だんだん固まり、小さい字を書くようになる。
 自動書記はこのように簡単なので、一人または少数で行なう心霊研究、例えば死後の世界の探究などをするのに向いている。
 しかし手を動かすのは、霊界居住者とは限らず、本人の潜在意識の場合や他人の暗示、および列席者の考えが思想伝達されて現われることもある。たとえば、お筆先といわれた大本教の出口直子の自動書記は、暗闇中でも平気で書かれ、30年前に今回の敗戦の様子を克明に書き、これが軍・官憲の目に触れ、表面は、不敬罪で弾圧されたわけであるが、こういう正しい部分と、本人の潜在的欲望や不正な取巻きたちの暗示によるものと思われるあまり感心しない部分もある。
 プランセットは心臓型の小板に3本の短い脚(2本は先端にボールペンのようにボールを嵌入して滑りをよくしたもの、1本は鉛筆)を付けたもので、自動書記者が板の上に手を乗せると板が動いて字や絵を書くのである。

 プランセットによる霊界通信中で最高作品は、『review of review』誌を創刊したイギリスの知名なジャーナリスト、ウィリアム・ステッド(1849〜1921)による『死後』だといわれている。これは生前、ステッドと親交のあったジュリアと呼ぶ一女性の霊界からの通信をまとめたものである。
 その一部に、
「肉体から離れた霊魂が幽界に入った当座は、往々途方に暮れるものです。接触する風物はどことなく不思議で、外国へでも来たのかと思います。しかし、間もなく死後の世界を指導してくれる天使が言葉をかけてくれます。天使には翼を持つものと、翼を持たないものがあり、新しい居住者に適した姿で現われます。しかし生前、死後の世界の存在を信じなかった人たちの霊魂は、死を悟らず、まだ生きているものと思い込んでいて、天使の指導に応じません。すると天使は、それっきり姿を消してしまい、これらの霊魂が自己の非を悟り、神の援助を願う気持が、起こるまで捨てておかれます」
とあるが、わが国では、この天使は龍神と呼ばれ、普通、老人や坊さんなどの姿で出てくる。
 またウィングフィールド嬢(英国人)の自動書記を集めた『他界からの指導』も有名である。

 次はマーシァル・ホール氏の手記である。

 私がハンプトンの姉の家へ行ったとき、ちょうどウ嬢が滞在して自動書記をやっていた。姉が私になにかひとつ実験の材料を出すようにすすめるので、当時の私は心霊は嫌いであったが、ウ嬢に対する礼儀から、咄嵯の思いつきで、前日、兄から来た手紙を新しい封筒に入れて封をし、ウ嬢に手渡して、この手紙を書いた者はどこにいるかと聞いた。ウ嬢はプランセットに手を置いたが、しぱらくすると、
「この手紙の筆者は死んでいる」
と書いた。私はびっくりしたが、これを確かめようとさらに質問した。
「いつ、どこで、この筆者は死んだか」
すると再び答が現われて、
「彼はきのう、南アフリカで死んだ」と書いた。
これを見たとき、私はさらに驚いた。兄は実際、南アフリカにおり、この手紙もそこからきたのである。私は半信半疑であったが何事も語らず、その晩口ンドンヘ帰った。それから、20日余り経って、南ア滞在のゴール監督から手紙がきた。ゴ氏は私の友人で、兄とも親交のある人であるが、その手紙には、
「御令兄は意外にも今朝、床の中で死んでおられ実に驚きました…」
と書いてあった。その日付は、私がハンプトンで質問をした前日であった。そしてこの一事は、心霊に対する私の態度を一変せしめる動機となった。

 次に狐狗狸(こっくり)さんについて述べる。しかし、狐狗狸さんは、その字の示すとおり、動物霊や低級霊がかかってくることが多く、簡単なことはよく当たるが、高級な問題は無理で、かつ、嘘も多いから、その回答には十分注意しなければならない。





 14 ウィジャ盤と狭義の自動書記

 ウィジャ盤は、写真のようにアルファベットや数字、その他のよく使う字を書いた厚い紙の上にガラスを載せ、ラシャを張った小型のブランセットのような指示器の上に手を置くと、これが板上を非常な速さで移動して字を示し、立会人がこれを綴ると文章ができるのである。ウィジャ盤を使用する霊媒の第一人者はヘスター・スミス夫人といわれている。同夫人は、シェイクスピア研究で有名なダブリン大学の教授ドウデン氏の娘であり、『オスカー・ワイルドの霊界通信』『天よりの声』『永遠の生命』などの著書がある。
 
 同夫人は、直接羽根ペンを持つ自動書記もできたが、このときの書体はかかってきた霊魂の生前そのままといわれ、またウィジャ盤使用の場合は30分間によく2000字以上を指して筆録者が追い付けぬほどだったと言われている。
 あるとき、牧師のヒックス師と創作家レノックス・ロビンソン氏列席のもとに自動書記を行なっていたところ、急に文章が変わって、ルシタニア号に乗って遭難、溺死したというヒュー・レエーン卿と称する人の霊がかかり、遭難の様子を詳しく綴った(ルシタニア号は英國の豪華船で、1915年アイルランド沖でドイツ潜水艦に撃沈され、乗客1134人が溺死した)。一同はルシタニヤ号が沈没するなどとは夢にも想像しえなかったので、不思議に思っていたところ、その日の夕刊にウィジャ盤が綴ったとおりの記事が報ぜられ、乗客名簿中にレエーン卿の名も見いだされた。
 レエーン卿はスミス夫人のその後の交霊会にも現われ、レエーン卿以外は誰も知らない種々の事柄を、遺言執行人に伝えてくれるよう切望した。 (1932年発行『心霊科学百科事典』p.105)

 自動書記霊媒中、次の狭義の自動書記、すなわち霊媒が直接自分の手で書く自動書記が最も多い。この種の自動書記の作品中、最も傑出しているのはステントン・モーゼスによって得られた霊訓だと言われている。彼は自己の潜在意識の作用や他人の思想の伝達されるのを防ぐため、難解な本を読みながら書くのを常とした。その方法は、質問事項を紙に書いて机上に置き、片手にペンを持って読書していると、手がひとりでに動いて回答を綴るのである。モーゼスの初期の自動書記には、つねにドクターと署名してあったが、後にインペレーターという霊が最高指揮者となり、レクターという霊がモーゼスの手を操作して、種々な霊の生前そのままの書体で書かせたと言われる。

 
 次は霊訓の中の一節である。

 質問 「悪霊について教えを乞う」
 
 回答 「悪霊は邪悪な人物の霊魂である。霊魂はすべて生前そのままの性質をもって霊界にくる。その趣味、習慣、愛僧など少しも変わるところがない。変わるのはただ肉体の有無にすぎない。
人格と霊性とを切り離しえないことは、ちょうど織物とその繊維を切り離せないのと同じである、繊維なくしては織物はない。おそるべきは生前の習慣である。個性の主要な部分を構成するのは実にこの習慣なのである。霊性がいったん肉体の欲望に服従すれば、ついにその奴隷となる。彼らは霊界においても、ひたすら酒色の巷にあこがれ、快楽の満足を求める。このような霊魂が神の敵であり、人類の敵である悪霊なのである。彼らは、極悪無道の邪悪な霊を首領と仰ぎ、われらの神聖な任務を妨害しようと日夜肝胆を砕いている。
 現界における人間の悪意の発動、憤怒の現われなどは、すべて霊界における彼らの策動の結果であって、心の低い人間はみな、彼らの虜となるのである。神学者の造り上げた悪魔のようなものは霊界にはいない」





 15 霊感と精神感応

 何も考えていないとき、心にふと浮かんだり、自分で考えようとしない、でも心に強く感知されてくる現象を霊感(Inspiration)という。
すなわち第六感の特に明確なもののことである。霊感の機構は指導霊の指示を言魂が受けて思魂すなわち顕在意識に感じさせる現象(第8章参照)であり、霊能者はほとんどすべて霊感能力者といってよい。
 また大政治家、小説家、作曲家、芸術家、発明者などには霊能者が多く、本人は知らずに、霊感によって国を救い、優れた仕事をし、大発明をする場合が多いのである。

 アンソニ・ヘック・スミス夫人は友だちと一緒に飛行機に乗ったが、プロペラが回り出したとき、この飛行機は目的地に達しないという予感がした。そしてますますその意識が強くなり、抑えることができなくなったので
「私を降ろしてくれなければ気違いになる」
と騒ぎたてて、友だちとともに降ろしてもらったが、これによって彼女は彼女自身と友人の命を救ったのである。その飛行機は離陸後、間もなく墜落し全員惨死したからである。(『ツー・ウォールズ』誌 1962年1月号掲載)

 テドウィン・テーラー嬢は4歳で頭髪の美しい子どもだった。ある朝、両親のベッドで幸福そうに遊んでいたが、急に遊びを止めて、
「お父さん、私はきょう、死ぬような気がする」
と、言いだした。父親は、
「そんな馬鹿なことを言うものではない」
と笑い飛ばし、母親も笑って気にかけなかった。ところが、それから数時間後にテーラー嬢の死体が、家から400メートル離れた人のいない穴蔵の中で発見された。これは守護霊からのせっかくの注意が両親に無視された気の毒な例である。

 発明王エジソンの発明は、研究が行き詰まり、疲れて研究所でまどろむとき、忽然として霊感を得るのが常であったといわれている。