モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

キリスト教 −その暗黒の歴史

「確かに悪魔は存在する、悪魔は全世界を支配しているのだ。」(マルティン・ルター)

『教科書が絶対教えない キリスト教 封印の世界史―西欧文明のダークサイド』 (ヘレン・エラーブ著、徳間書店刊)を読んでみました。貴重な資料に基づいた、宗教の恐ろしさを痛感させられる衝撃に満ちた内容です。宗教の背後にあるものが善なる神仏であると信じて疑わない人には、是非一読をお勧めしたい1冊です。内容を抜粋して御紹介したいと思います。

 「数年前、私は知人に唖然とさせられたことがあった。その人はこう言ったのだ、キリスト教会は西洋文明にすばらしい影響を与えてきたし、人々に安らぎと思いやりの心をもたらしてきた、と。私は思った。キリスト教会は散々酷いことをしてきたというのに、この人は誉めてばかりいる、暗黒の歴史のことを知らないのだろうか? そこで私はキリスト教の暗黒の裏面史を年代順にまとめてみようと思い立った。キリスト教会は自ら掲げる教義と理念に恥じない歴史を歩んできた、という世間一般の誤解を解きたかったのだ。その手の本なら書店に並んでいるだろうと期待していたのだが、行ってみて驚いた、参考文献というものがほとんどないのだ。歴史家が書いた本もあるにはあるが、学術約なものが多い。それに、キリスト教が宗教離れの世の中を作り上げてきたという事実に触れている者はまずいない。‥‥宗教史の暗黒面を知らない人は、宗教と精神性を同じように考えているかもしれない。だが、組織化された宗教は、はるか昔から、人間の精神を操り、個人と神との絆を阻んできたのだ。本書はこうしたテーマをまとめたものである。キリスト教史の概説ではなく、多くの人々の心身を傷付けてきた歴史の《裏側》にスポットを当てたものである。」

 「キリスト教会の残した「世界観」という遺産は、聖俗を問わず西洋社会にどっぷりと染みこんでいる。だがそれは、男女差別、人種差別、異説への偏見、自然への冒涜を引き起こす遺産でもある。キリスト教会は人間の自由や尊厳、意志をさんざん無視してきた。人々の精紳を操り、個人と神との絆を断とうとしてきたのだ。挙句の果てに、人間同士だけでなく人と神との間にも距離のある社会を生んでしまったのである。」

 「正統派は、元々は初期キリスト教の一派に過ぎなかったが、やがて政治的権力を振るうようになった、教義を道具にしてローマ帝国に取り入り、空前の権威と特権を手に入れたのだ。この一派はやがて「キリスト教会」と呼ばれるようになった。彼らは権力を笠に着て、自分たちの習慣を人々に押し付けた。逆らう者は迫害したが、そのためには自分たちの教義やイデオロギーをはっきりさせ、異端と区別する必要があった、教義やイデオロギーを決める際、彼らはいつも個人や社会を操るのに便利なものを選んだ。ヨーロッパを牛耳った教会は、ローマ帝同崩壊後、教育・科学技術・自然科学・医学・史学・芸術・商業の分野を壊滅同然に変貌させた。暗黒時代に入って社会が沈滞しても、教会だけは私腹を肥やした。紀元1000年を迎えて社会が劇的に変化し、暗黒時代が終わりを告げると、彼らは権威と特権を守ろうと必死になった。外敵を作ることで不満の広がる社会を統一し、イスラム教徒や東方正教会ユダヤ人を攻撃せよと民衆をけしかけた。十字軍が異教徒の征服に失敗すると、今度はヨーロッパ社会に矛先を向け、南フランスを容赦なく弾圧し、異端審問を開始したのだ。」

 「カイサリアの司教エウセビオスは、コンスタンティヌス帝の統治下で、世界の歴史をキリスト教中心に書き直し始めた。‥‥教会は考古学の研究を厳しく禁じていたが、自分たちはさらに古い時代へと歴史を遡り、改ざん作業を進めていった。20世紀の考古学で明らかになってきたことだが、紀元前のローマ時代に関する歴史の記述さえ真実とは大きくかけ離れていたようだ。人類の文明史はたかだか5000年だと信じられてきたが、それはまったくのでたらめだったのだ。狩猟・採集生活から農耕生活に移った新石器時代、特に紀元前7000―4000年には、驚くほど高度な文化が栄えていた。この時代の人々は、芸能・建築学・都市計画・ダンス・儀式劇・水陸の貿易・文筆・法律・政治に精通していた。民主制を最初に採り入れたのもギリシア人ではなく、この時代の人々だ。驚くことに、彼らの文明にはいわゆるヒエラルキーの影も形もなかった。戦争もなければ、圧制も奴隷制度もなかったのだ。」
 
 「歴史を改ざんしてそうした過去を消してしまえば、権力者には都合が良かった。現在の生活に不満を抱く者の批判をかわすことができるからだ。人間の社会が大きく後退したことを隠し、着実に進歩しているのだと教えれば、こう思わせることができる。今は暴力の絶えない不快な世の中かも知れないが、昔はもっと野蛮だったんだ、と。教父アウグスティヌスの弟子のオロシウスは、『異教徒に駁する歴史』7巻の中でこう述べている。キリスト教が登場した後の悪徳をキリスト教のせいにすることはできない。なぜなら、キリスト教以前の時代にはもっと忌まわしい災厄があったからだ、と。歴史が改ざんされたために、人々はこう信じてしまった。過去にはもっと野蛮で苛酷な時代があったのだから、キリスト教は社会を向上させてくれたのだ。それに、ヒエラルキーと独裁政治が社会を支配するのはいつの世も同じなのだから仕方がない、と。」


      アレクサンドリア図書館(復元図)
 
 教会は教育・学問の分野にも悪影響を与えた、教会は莫大な数の文学作品を焚書した。391年、キリスト教徒は70万巻の蔵書を誇る世界有数のアレクサンドリア図書館を焼き払った、さらにグノーシス主義者バシレイデスの全著書、哲学者ポルフュリオスの著書36巻、神秘主義27派のパピルスの巻物、エジブト王プトレマイオス・フィラデルフォスが集めた27万巻に上る古代の文書もすべて灰と化した。キリスト教徒が長い時をかけて本や図書館を焼き尽くした後、ギリシア正教会の名高い教父、聖ヨハンネス・クリュソストモスは誇らしげにこう言った。「古代世界の古典哲学や文学は、この地上から跡形もなく消え失せた。」

 「教会は芸術にも酷い打撃を与えた。正統派にとって、芸術はキリスト教の価値を高めるものでなくてはならなかった。創造性や自己表現というだけでは話にならなかったのだ。その後、ルネサンス時代になるまで、キリスト教イデオロギーとは無関係の斬しい芸術作品が生まれることはなかった。古代ローマの大理石の彫刻は、叩き壊されて、石灰と化した、特に派手に行ったのはグレゴリウス大教皇だった。建造物の大理石やモザイクは、石灰にされたり、ヨーロッパ各地の大聖堂や果てはロンドンのウエストミンスター寺院にまで運ばれて、装飾材料に使われた。今日でも、古代の碑文が刻まれた凝った作りの薄板をあちこちの教会で見ることができる。それが大理石の建造物が破壊されたことの何よりの証拠だ。」

 「そうはいっても、教会自身は当時利益を上げていた数少ない組織の1つだった。だから男たちにとって教会は金になりそうな就職口だった。教会のヒエラルキーで出世するのに欠かせないのが金と力だった、それが中世の教会の諸悪の根源だったのだ。教皇の椅子を金で買った者が少なくとも40人はいたという。教皇の座を巡る殺人などの犯罪も後を絶たず、次から次へと新しい教皇が誕生した。100年間で40人以上が教皇になっていた。教会は暗黒時代に巨万の富を築いた、代々受け継がれる教会の所有地は西欧の4分の1から3分の1を占め、無税で軍役を課されることもなかった、こうした土地の他に、司教が封建領地を持っていることも多く、軍役を課せられた時は伯爵や男爵に義務を押し付けた。教会の収入源としては、各国の王からの税収入、裁判で没収した財産、「免罪符」の販売、「聖職売買」などがあり、時には単に暴力で土地を奪うこともあった。」

 「正統派は芸術作品を軽蔑し、芸術家に異端者の烙印を押した。15世紀のドミニコ会士で予言者のジロラモ・サヴォナローラは、ずけずけと物を言うので有名な人物だ。彼は、古典詩など消え失せればいい、科学・文化・教育はすべて修道士の手に戻すぺきだ、と考えていた。サヴォナローラはこう書いている。<プラトンアリストテレスに感謝すべきことと言えば、異端の理由になる多くの主張をもたらしてくれたことだけだ。だが、その2人も今は他の哲学者とともに地獄に落ちている。‥‥役に立ちそうな多くの書物が焼かれてしまったとしても、宗教にとっては幸いである。書物が少なく、主張や論争に乏しい時代の方が、宗教はめざましい発展を見せたのだから。>

 サヴォナローラフィレンツェで道徳改革を行った。個人の道徳を取り締まるというのだが、そのやり方は警察国家にありがちな手口を用いたものだった。たとえば、召使いをスパイに使って家長の情報を集めさせ、正統派の教えに反する物をもっているらしいという家があれば、若い男をかき集めてその家に踏み込ませたのだ。没収されたのは、書物−特に古代ローマやイタリアの詩人が書いたもの−、彩色を施した写本、女性の装飾品、楽器、絵画などだった。それらは、1497年に焼かれ、フィレンツェルネサンス作品のほとんどが灰と化したのである。‥‥巨万の富を誇る教会は、信者と心を交わすことよりも金集めに夢中だった。教会の金への執念はすさまじく、十戒が一戒に減ってしまったと皮肉を言われる程だった。‥‥聖職者を選定する際にはその人の財産が重視され、その他のことは2の次だった。聖職者と平信徒との間にはかなりの格差があったが、それは聖職者同士にも言えることだった。例えば、裕福な司教の収入は、司教代理の300倍から1,000倍にも上っていたのだ。‥‥教会が巨万の冨を持つのはおかしいと指摘されれば、それがイエス・キリストの理想なのだと言い逃れた。そして1326年には、どうだとばかりに教皇の大勅書を布告し、イエスと12使徒は清貧だったと意見する者に異端者の烙印を押したのだ。」

 「教会の時代精神への対抗策は他にもあった。人々の関心を外敵に逸らし、めまぐるしい社会変革を阻止しようというのである。‥‥十字軍の兵士達は正義という言葉に踊らされ、教会の敵に容赦なく襲いかかった。歴史家であるアグレーのレーモンは、1099年に十字軍がエルサレムイスラム教徒やユダヤ人を虐殺した時の様子をこう語っている。」

 《それはうっとりするような光景だった。大勢のサラセン人が首をはねられた。矢で射抜かれた者、塔から突き落とされた者、何日も拷間を受けた挙句、火あぶりにされた者もいた。通りには切断された頭や手足が積み重なっていた。‥‥この地が異教徒の血で覆われることは、正義とも言うべきすばらしい天罰なのである。》

 「力を持つ者は誰でも教会の餌食となった、テンプル騎士団は、元々は十字軍の護衛として結成されたのだが、やがて政治力を持つようになり、信頼のおける金融組織として名を轟かせた。教会と王たちはテンプル騎士団を標的にした。‥‥騎士団は同性愛者・私生児殺し・魔術師の汚名を着せられ、殺されて財産を没収された。中世の教会が目の敵にした者たちは星の数ほどいた。‥‥1375年、イタリアの小さな都市国家教皇統治に対する一揆が起きると《イタリアの教皇特使、枢機卿ロベールは「正義」を果たすために皆殺しを命じた。‥‥1377年、2月3日から3昼夜、傭兵団は町の出入り門を閉鎖して大虐殺を繰り広げた。どこもかしこも死体だらけだった、逃げようとした者も大勢いたが、堀で溺れたり、剣で背中を突き刺されたりした。女は強姦され、子供は金目当てに誘拐された。殺しが片付くと略奪が始まり、芸術品は破壊され工芸品は屑と化した。持ち去ることのできないものは、焼かれたり、叩き壊されたり、道に撒き散らされたりした。死者は2,500〜5,000人に上っていた。》

 それから2年後の1378年、ロベールは教皇に任命され、クレメンス7世となった。


 「過去から現在へと続くキリスト教の暗黒の裏面史、それは、人間の精神を操り、自由を奪って来た歴史でもあった。暗黒時代、教会は教育・自然科学・医学・科学技術・芸術の分野を牛耳り、文明を崩壌させた。十字軍は中東に遠征し、キリスト教唯一神の名のもとに、殺戮と破壊を繰り広げた。中世の異端審問は、恐れを武器にして組織的に社会を取り締まるという全体主義の先例となった。プロテスタントカトリック宗教改革者たちは、互いに自分たちの教えだけが正しいと信じて衝突し、キリスト教徒同士で殺し合った。魔女狩りによる大虐殺は恐怖のどん底だった。神は地上に存在するという考えは否定され、無数の男女が抹殺された。」
 
 
 1785年、アメリカ第3代大統領トマス・ジェファソンはこう記した。

《 キリスト教の教えが広まってからというもの、何百万という無数の男女や子供が火あぶりにされ、拷問され、罰金を科され、投獄されてきた。けれども、私たちは1インチたりとも統一に向かって進んではいない。では、一体圧政は何をもたらしたのか?世界の半分の人々が愚者に、残りの半分が偽善者に変わってしまった、そして、世界の人々が過ちや悪業を支持するようになったのである。 》